はてなキーワード: リンチとは
本人いわく刊行前に炎上し、刊行後も批判ばかりで正当な評価がされていないという、みの『にほんのうた:音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』。「議論のきっかけに」「集合知を歴史観につなげたい」と言いながら誰が何を言っても「村社会」「リンチ的」としか言わないのは正直どうなのかと思う。絡むのと晒し上げられてめんどくさいし下手をすると訴訟とか言い出しそうだから匿名で自分が気になったことを書いといてあげよう。
これは複数人から指摘されている「どこが地の文でどこが参考文献の主張なのかわからない」問題と同じだが、歴史の設定や「音曲」というワードなど、この本の全体をつらぬく視点と前半の記述に既視感しかない。上積みやひねりがあるのかと思ったら、ない。これには何も言いようがない。「数百冊」音楽書を読んだのなら、先行する言説をどう扱うかくらい身につくと思うのだが、それもまったくない。自分では十分に言及しているつもりなのだろうが、複数の人から複数回同じようなことを言われているということは文章として失敗しているということです。
どこの世界でも誰かになにかを教えてもらうときには礼儀も対価も発生する。「有識者の今後のご活躍を待つ状況です」じゃなくて、自分が聞き手になるなり、間違えていてもいいからたたき台を作るべき。だれも「ぼくはみなさんの成果物だけかすめとります!」と宣言されたらいい気分はしない。
リスナーには毎度コメント欄で褒めちぎられ、レコード会社にはSNS向けのちょうどいいインタビュアーとして使われ、DJイベントに呼んでくれる老人からは若いのに頑張ってると褒められていると妙な勘違いをしてしまうのはわかるが、もうすこし謙虚になったらどうなんだろう。わざわざ見に来ている自分のリスナーが知らないだけで、世の中の人の知識量を舐めないほうがいい。すでに知っている情報に人は興味を持たない。あなたより若くて物知りで頑張っているライターもミュージシャンもたくさんいる(YouTuberにいるかは知らない)。
この本を出して、参考文献にあげた人たちから一切言及されていないということが何を意味しているのかもう一度考えるべきでは。
揶揄しているようなコミュニティは残念なことに存在していない。そもそも儲かっていないから利権の取り合いもない(一部御用ライターのようなものもいるにはいるが、そういう賢い人はSNSをやっていない)。だからといってこれまでの批判を貧乏人からのやっかみや人気者への嫉妬のように感じているのだとしたら、性格が歪んでいるので直したほうがいい。硬直化した、一般の人を置き去りにした議論に風穴を開ける!という構図に魅力を感じるのはかまわないが、現状認識が幼稚すぎる。これは『土偶を読む』と似ている。しかしそもそも数百冊の音楽書を読んでいるのならこういう考えに至らないと思うのだが…
ついにしびれを切らして「定員20人時間2時間」という議論の場を設けたようだが(これに来ないのなら口を出すなというような姿勢も見えるが)、この設定では誰一人として十分に話ができない。議論やシンポジウムというものをしたことがない、見たことがないのだろうか。結局ファンミーティングになるのが目に見えているし、そりゃ誰も来ないでしょ。本当に議論したいなら自分から頼んで声をかけましょう。
結局のところ「日本すごい」が言いたい本なのだと思うが、そこに大半の人が乗れていないように見える。ジャンルが外国から規定されることへ嫌悪感があるのだとしたら、その意識自体が現在の音楽をとりまく状況や、あなた自身の偏った認識を示唆しているように思う。そこを客観的に見れないなら「歴史」を書くのは無理。筋が悪すぎて箸にも棒にもかからない。『日本国紀』じゃん。本人は枝葉末節を批判されていると勘違いしているようだが(枝葉末節にこだわってる人もいるが)、根本が厳しい本だと思う。だから批判するのにもコストがかかるし、結果的に無視をするようなかたちになっている、ということくらいはわかってほしい。
しかしもともと雑誌や本に書かれていた評価評論ランキングをそのまま垂れ流す動画を作っていて、どうしてこんな本を書いてみようと思ったのでしょう。なにかコンプレックスがあるようにも思えないし(あるの?)、出版社に焚きつけられたのだとしたらちょっとかわいそう。実際のところ、自分でもあんまりよくなかったんじゃないかと思い始めているでしょう?
がんばってとは思わないけれど、恥ずかしいことはしないほうがいいよ。もう少し本を読んでからがいいと思う。数百冊は読んだそうだからたぶんあと3冊くらい読めばいいんじゃないかな。
以前から危惧されていた事だが、ついに反AIが著作権の非親告罪化など、いままで先人たちが命懸けで守ってきた表現の自由を破壊しようと動き始めた。
生成AIに反対する人たちが、著作権の非親告罪化とか非実在児童ポルノの規制とかを躊躇いなく主張するのを見て、過去の赤松健や山田太郎はじめ表現の自由のために戦ってきた人たちの努力は何だったのかと、ちょっと考えてしまう。デリケートな話題であるという前提がもう共有されてないように見える。
反AIは底抜けのバカだからAIが非親告罪化すれば楽園になると思っているんだろうが、AI利用した疑惑だけで無実の手描き絵師を何人も血祭りにあげて袋叩きにしてきた反AI達の行動を見れば、「気に入らない」というだけで非親告罪化した日には、AIを使っていようがいまいが「なんかAIっぽいと自分が思ったからお前はAI罪な、はい有罪」と手描きだろうがリンチの対象にされるディストピアになるのは火を見るよりも明らかだ。それは反AIが今までやってきたことが証明している。
反AIが著作権の非親告罪化を求める署名をして、まともな人間から「非親告罪化しても表現規制の足掛かりになるだけだ」とツッコまれた反AIは、このような反応をとった。
「私の補足もちゃんと文章内に載せていただいていますので大変助かります
ありがとうございます🙏✨非親告罪の件に関しては修正するつもりですが
海外情勢に関しても当時とはかなり変化しており文章の全てを見て微修正などしたいと思います」
(https://twitter.com/canchanandme/status/1777351414978855125)
署名させた上で内容を書き換えるなんて非親告罪化の如何に依らず手続きとしてまともでは無いし、そういう手続きを踏んだ時点で情報としてゴミですよ。内容を後から改竄してるんですから。
署名としての価値を維持したいなら文言を変更すべきではないし、内容を変更するなら署名を一からやり直すべき。
法改正の必要性(現行法の不完全性)を論理的に訴え賛同者を募る行為であれば、自身の立場など関係なく当然に支持するが、その場の思いつきで規制を煽動し署名を集めた後から諸々の修正・改変を加える不逞に、何の作用を期待できるというのか。
主張の内容は後で決めるのでとりあえずサインして、はあまりにもおかしな話。
「金額欄は後で埋めるからとりあえずこの借用書にサインしてくれや」みたいな話。
最近遊んだキャラクターの絵だろうがSNSで流れてきた絵だろうが最近見た映画だろうが、
いちいち自分の創作に使っていいか権利元にちゃんと許可とってから制作することになるけど、
本当にそれでいい?
著作権に関しては「出力した結果」で判断して、プロセスに関しては
「人間の学習とAIの学習は同じとして扱われる」ということを理解したうえで読み進めてほしい。
反AIは著作権について勉強してないし何も考えていないからAIの学習を禁止して人間の学習が制限されることを理解していないんだよね。
そもそも公開されたものを学習するのに許可は必要ないから「無断学習」という言葉自体がおかしいというのは一旦置いておいて、
無断学習が禁止されれば、人間も同じように影響を受けて無断学習できなくなる。
するとどうなるか、
絵師さんは見たもの影響を受けたものすべてに許可が必要になる。
「馬鹿じゃないのか」と思うだろう。
だからいちいち上で起こるようなことについて心配しなくていいし、
人間は映画や漫画から学習した影響をもとに創作に活用したりできる。
これって自由な創作文化に必要不可欠な土壌だとおもうんだよね。
上の方でもすでに書いたけど、
絵師さんが著作権侵害して制作した二次創作同人誌やskebイラストやfanboxコンテンツ、
版元やゲーム開発元にちゃんと利益還元することになるけど、それでいい?
絵師さんたち、著作権侵害した権利者に利益還元する気、ないでしょ。
「いや私は還元する気あるけど?」という人がいるかもしれないけど、
どうせ適当に自分で還元する比率とか決めるつもりで軽く言ってるでしょ。
でも反AIの言いなりになってると、
二次創作で得た金銭は20%を一次創作者に還元するよう法律で定める、
みたいなことが起こるけど、大丈夫?
20%じゃなくて5%かもしれないし、30%とか50%かもしれないけど、
「規制する」ってこういう事だよ。
絵師さんたちって、自分が権利者の著作物を無断学習・無断利用してるって理解してないけど、
pixivに置いてある絵とかも、そこからfanboxとかに導線があったら金銭が絡んでくるわけで、
いわゆる「ファンアート」として著作者に無断で制作してる著作権侵害二次創作絵だって
客寄せのための広告扱いで権利者に払うお金をいちいち計算しなくちゃいけなくなったりするかもしれないけど、
それでも大丈夫?
反AIに同調してる絵師さんさ、そこまで考えずに賛同してるでしょ。
でも反AIが言ってるのって、こういう事だよ。
まず、現在の著作権法では、「手描きだろうとAIだろうと作成した人間が責任を負う」っていう前提がある。
bingとかその他の画像生成サービスで「マリオを生成しろって言ったらマリオが出てきました!ピカチュウも出てきました!AIは著作権侵害!」
って騒いでるのを見かけるけど、
それって著作権侵害してるのはAIじゃなくて「それを生成した反AIの人」だからね?
全てのケースに対応できる現行著作権に関するAIの規制はただでさえ複雑で難しいのに、
こんな無能がいて戦えるわけないだろ。
「本当に何が起こるか」という事が分かってない。
こいつらは、表現規制の先兵だ。
二次創作も、表現の自由も、創作文化も、なにもかも破壊しつくした後で、反AIはこう言うだろう。
「こんな事になるなんて思いもしなかった」
内容としては、概ね以下の通りとなっている。
自分としては、(やはりVTuberではないというのもあり)若干視聴者の方に賛成である。ただ、VTuberの方が過度に悪いとも思わない。背景などを整理しながら、この件に対する自分の意見を述べさせて頂こうと思う。
まずはじめに、「そもそも何を以てして晒し上げという主張が発生したのか」という、できごとの流れについてもう一度振り返りたいと思う。
・はじめに、視聴者の方が、VTuberの方に関する過激かつ誹謗中傷ともなりえる不当な意見をX上で主張した。
・続いて、それを発見した当該VTuberの方が、リプライを用いて反論した。
・(当該VTuberの方のリプライを通じて、ファンの方々に会話の内容が知れ渡った。)
・第三者である別の視聴者の方が、当該VTuberの方に対して「そのリプライによる反論は晒し上げではないのか?」と主張した。
熱狂的なファンの方はVTuberのリプライも確認している場合が多いため、ことの顛末は事実上自動的に熱狂的なファンの方々に届く。この現象は、有名人がリプをした場合必然的に発生するものであり、制御は困難である。加えて、熱狂的なファンの中でも特に熱狂的な方は、リプライや引用リツイートを用いて、出来事に対する意見を追加する。今回も同様に、VTuberの方が投稿したリプライに対して、引用リツイートによって意見が追加されている様子が確認できた。場合によっては、VTuberの方によるリプライがきっかけで、誹謗中傷を実行した視聴者の方に対するリプライ・引用リツイートが増加している可能性も考えられる。
本件についてまず思うのは、有名人がリプを送信した際の晒し上げの発生は不可避であるということだ。この点で重要な部分は「有名人側の意図は一切無関係である」という点だ。本件のVTuberの方は、当該リプツリーの中で「晒し上げの意図はない」と主張している。しかし、VTuberの方のリプライによる、本件に対する、VTuberに賛同する意見の増加は明らかに発生しており、結果的に晒し上げは成立している。
この現象は、有名人にとって難しい事象であると思う。有名人と一般人のコミュニケーションは0か100であり、「話さないか、晒し上げるか」の二種類しか存在しない。例え一対一で真摯に話し合いたかったとしても、必ず第三者によるチェックが発生してしまう。そして、第三者によるチェック・及び意見の追加はSNSの規約上至極真っ当なものであり、抑制は不可能である。
VTuberの方には申し訳ないが、このような状況で「晒し上げた事実は存在しない」とは主張できないと思う。そのような意図がないことは理解できるが、リプライによっていわゆる「ファンネル」を呼び寄せた事実は、少なくとも私から見て否定できない。
上記の意見に対して、「そもそも、当該視聴者が初めにVTuberに対して誹謗中傷をしなければ、上記で指摘されている晒し上げに逢うこともなかった。なので、初めに誹謗中傷をした者が悪いのであって、その他の責任を問うべきではない。」と考える方が多数いらっしゃると思う。確かに、初めに誹謗中傷をした者が悪いのは事実であるが、かといって、大量の攻撃的なリプライ・引用リツイートが届けられるべきでもないと思う。
誹謗中傷をした者は、専用のルール・専用の処理・および専用の処理者によって処罰されるべきであり、大量の第三者によって適当に処理されるべきではない。尚且つ、有名人は大量の第三者を制御して適当に処理を実行するべきではない。罪を犯した者を集団でボコボコにするのはただのいじめであり、正義でもなんでもない。誹謗中傷をした者は罰せられるべきであるが、必要以上の罰を受ける必要はないはずである。
上記ではVTuberの方やファンの方々に偉そうなことを申し上げたが、かといって本件について両者に責任を問うべきでもないと思う。
VTuberの方からすれば、誹謗中傷者の取り締まりは急務である。自己の名誉を不当に損なわれるような事案は早急に対処しなければならない。かと言って、そのためのシステムが用意されていないのであれば、リプライの送信によって抑止せざるを得ない。ファンの方々も、結局のところSNSを規約通りに利用しただけであり、特に罪を犯したわけではない。結果的に、いじめのような形になってしまったというだけである。
誰も誹謗中傷されたり、リンチに遭うべきではないと思う。VTuberも誹謗中傷されるべきではないし、かと言って誹謗中傷の加害者ですら誹謗中傷・リンチに逢うべきではない。結局、何が悪いのか…を突き詰めると、両者が守られるシステムが構築されていない点が悪いと感じる。
理想を言えば、上記のようなシステムが構築されるべきであると思う。誹謗中傷が発見された場合は、VTuber本人ではなく専用の第三者によって調査・対処されるべきである。専用の第三者によって対処されるほどでもないのであれば、ファンの方々が仲介できないような形、例えば、DMなどで対処を実行するべきだと思う。リンチを回避しながら、誹謗中傷が罰せられるシステムが必要だ。
かと言って、上記はあくまで理想であり、現実的ではない。専用の第三者のチームの運営にはコストがかかる。DMもXのシステムの都合上送信できない場合がある。そもそも、VTuberの方々や事務所の方々がこんな記事の言うことを聞き入れてくれるとは到底思えない。
結局のところ、ごく当たり前な自己防衛に帰着するのだろう。まず誹謗中傷をしない。するとしても、鍵垢でする。何が誹謗中傷になるか最早わからない世の中なので、表垢でVTuberや有名人に対して言及しないよう気を付ければ一番安全であると思う。自分は、このような問題が(特にVTuber業界において)存在することを前から認識していたので、VTuberについて表垢で一切言及しないように気をつけている。
あれは主に夜職やお水系のアカウントやメンヘラ系絵師(と彼女の取り巻き)らがメインとなって中学生女子を叩いて炎上させていたのに
いつの間にか「モテない弱者女性が中学生の女の子を寄ってたかってリンチしていた」事にされかけている
当方喪ブサのオタだけど、夜職だのメンヘラ絵師(おそらく彼氏持ち)だのなんて、こちらからすれば上位カースト
男の世界で言えばヤンキーとかDQNに位置する人達なのに、何故か非モテ女が嫉妬して女子中学生を叩いてる事になっており最早枯れ草生やしてる
とは言え、男によるDVだの浮気だの性犯罪だのが、いつの間にか女性とは縁の無い非モテチー牛男のせいにされているケースも見かけるので
より弱い属性・クラスタに、意図的に自分達がやらかした事を押し付ける輩は、性別問わずいるという事なのだろう
強い者たちが群れて、更に弱い者を叩く…
一族郎党滅ぼす秘策は尊師並の事やらかして世間様を焚き付けてリンチさせる事だとか妄想ゲームしてた学生時代思い出しますよ~
やるつもりは微塵も無イスゥ!けど修行やってますいつの日か世界が終わると信じて(おまdoomer)
(空中浮揚の練習ゥ…)これは脚の運動になるのかな?就労するなら、下半身タクヤさん並に貧弱だから鍛えないとね!
一族不仲な方が各地に散らばって繁栄するんすかね?ダイナモ間隔!私は冬のあだ花長文で埋め尽くしてR.I.P.人生終了までさあ行こうぜ(チンシコーマン)
今日は平和にチョリソーパン食いながらトレする予定がマジ狂い、とか何とかわけわかんねーウンコみたいな怪文書下しながらコイツ頭がイっちゃてる
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
「100%どっちが悪い!」に対する徹底が足りないから左翼リベラルが低迷しているのであって、その路線なら未来永劫、ノイジーマイノリティのままだろうね。
安倍やトランプが典型的だけど、自分と少しでも意見が異なる相手に「100%あいつらが悪い!」をレッテルを貼って、民衆を扇動するのが、国民の質が低い民主主義国家で勝てる唯一の方法。
先進的な民主主義国家で人権国家である欧州レベルにまで国民の質があがればそんな手法に頼る必要がないが、日本がその域に達することはないので、国民に対して「反撃される心配なくリンチできる100%悪い敵」を設定してやれない政治勢力が主流になることはない。