はてなキーワード: ブロイラーとは
★農水省の友人が語るところでは、国内の肉類消費量は、「鶏肉」や「豚肉」は比較的安定してるのに対し、
★私見だが、20年程前は、「贅沢飲食のアイコン」としての牛肉消費があったと思う。
逆に言えば、「あいつに何かおごってやらなきゃ」と言うシーンにおいて、「7割の確率で喜んでもらえそう」だから、
人々は「儀礼的意味合い」も込めて、鶏肉でも豚肉でも魚でもなく、牛肉を消費してたんだと思う。
首都圏で贈答品に三越が、大阪で阪急百が選ばれるのと同じ理屈で、牛肉がご馳走飲食に選ばれた
その結果として「ご馳走飲食プレミアム」のかさ上げ部分が剥げ落ちたのが真因じゃないか?
「冷静に考えたら、おごってやるのに、牛肉じゃなくても、いいよね。魚でも豚肉でもいいよね」
と人々が「目を覚ました」?
★あと、変な話だが、「牛丼デフレ競争」と「100円マック」が「牛肉」の「贅沢アイコン」を徹底的に毀損した影響も大きいと思う。
今の若い人(20代)だと、既に中学生の頃から、牛肉は「安物」だった訳だ。
★そういえば、20年前は焼き肉チェーンとかステーキチェーンが人気だったが、
今は「世界の山ちゃん」とか「鳥貴族」のような焼き鳥チェーンの方が、元気がいいなあ
ブロイラーという「鶏肉の準工場生産化」に成功した鶏肉は、食品内で相対的に安くなっている筈。
何だかんだで畜産技術も進化しているから、牛肉も戦前比較では安くなっていると思う。
技術が進化しにくい魚類が、恐らく食品内で相対的に高くなってる
★日本には、まだまだ戦前の感覚が残っていて、「魚は安い、肉は高い」というイメージが残存してる。牛肉のご馳走消費はその名残。
アメリカでは、肉は庶民が食べるもので、魚は健康志向が食べる高級品扱いされてるらしい
http://anond.hatelabo.jp/20140623182935
増田は基本的に肉のブヨブヨした脂が嫌いです。脂身は全部取り分けて捨てるぐらい。だから鶏肉もスーパーに売ってるレベルなら胸肉の方が好きです。でも高い肉なら脂も美味しいのかも…
高い鶏肉が食べたいならコーチンでも比内地鶏でも食べればいいのに。よくある安ブロイラーと同じ調理法だと逆に違和感覚えるだけかもしれないけど。あと脂が食べたいだけでしょこの人。肉のおいしさは血だよ
http://b.hatena.ne.jp/ricenoodles/20140623#bookmark-200921402
噛み合ってないので脇から解説。
人間の脳は油とか脂肪を(あと砂糖も)“快”と認識するようにできてる。id:ricenoodlesが指摘してるのはそのレベルの話。
「甘い物好きでしょ」
と言われたときに
「角砂糖を嘗めるとかあり得ない」
私って放射脳なんだろうか。
ホルモンうたれまくっている養殖サーモンとかブロイラーの鶏とかよりは、天然物の魚とかそのへん走り回っている鶏をたべたい、っていうのとおなじ。
買い物に行くと原材料や産地を読んで選ぶ。
千葉から都内のはずれまで電車賃をかけて自分で野菜を売りにきている農家の方から買ったという野菜をすすめられたときに、断ってしまうほどには放射脳。
それが汚染されている可能性はどれくらいあるのかわからないから避ける。
とはいえ、例えば外食のときとかは、不安を感じメニューを選びながら食べるし食べさせる。たまにだからね、って言い聞かせて。その程度には楽観的。
奇形植物や動物のニュースには、そんなのずっと前からあるじゃん、ておもう。
まぁ、今すぐ影響はないんだろうなぁとも思う。
食品添加物だってそう。ちょっとくらい食べたって平気。でも食べない方がいいことにはこしたことがない。
不安な食材は自分はまだしも小さいこどもにはやっぱり食べさせたくない。
核実験しまくってた時代なんてもっといっぱいあったんだからだいじょぶでしょ、という意見も理解はできる。
原発由来の微々たる放射能を避けるのに、ラジウム泉に入ったり、放射能を帯びているミネラルウォーターを平気で飲んでいる。
まだそんなこと気にしてるの? 放射脳だわー、風評被害を助長しているとか言われる。
なんかよくわかんなくなってきたよ。
これって放射脳?
論が極端になると正当性を失うよ。
「劣悪なブロイラー飼育」は今回の問題点じゃないから「どうせ殺すなら一緒じゃん」と同じ脱線をしてる。
そして、高級食材として使われてきた歴史があるのだから「絶対に美味しかない」なんて書いたら、あなたが異端という事になり、あなたの言う事も異端の意見になってしまう。
今までの歴史があるから、一部レストランに卸される分はギリギリ仕方ない。
どうでもいいけど、牛や豚と同じなのに!屠殺はかわいそくないんか!っていうやついるけど。
家畜を肉として利用するまでに、超おおざっぱにいうと
2. 殺して肉にする
っていう二つの段階があるとする。
フォアグラの場合、第1段階、肝臓を肥大化させるための飼育方法、強制給餌が残虐であるから、少なくない数の活動家や一般市民、あるいは動物愛護団体から非難されているんであって、2の殺すことは問題にそもそも含まれてない。
なので、どうせ殺すなら一緒じゃん派は、そもそも問題になってないことを取り上げて見当違いなこと言っていることに気づいた上で議論に参加してください。
あと、強制給餌のビデオとか劣悪なブロイラー飼育のビデオを見てないやつは、とりあえず見ろ。
俺は別にあのカモに同情するとかじゃなくて、あんな作り方して無理やり作ったもんなんか、絶対に美味しかないし、ましてやファミレスとかコンビニで積極的に流通させるようなもんじゃねーだろと素直に思う。
今日も、「荒れる新成人」という毎年恒例の話が出てくる。しかし、新成人に文句を言って嘆く既成人たちは、「なにがなぜ悪いのか」を説明して叱れるのだろうか? 叱責が説得力をもつためには、なにがなぜ悪いのかを説明し、しかも叱る当人が己を律していなければならない。
「人を殺してはなぜいけないのか」という疑問が話題になったことがあったが、「そうした疑問をもってはならない」という社会気質が、この国にはある。何も考えずにただ「殺人=悪」だと言う。しかし、そんな思考停止では、真の倫理観は育つまい。究極的には、刺すか刺されるかの状況になれば他人を刺すものが必ず出るし、「死にたい」と思っている者には「他人を殺すまい」という抑止力はきわめて働きづらい。ただ単に「殺人=悪」だと言って洗脳するのでは、ものごとは解決しない。
この社会にあるのは、道徳倫理ではない。潔癖症なのだ。言い換えれば、怖いのだ。多くの者が、死を怖れると同時に、快適に暮らしたいと思っている。その、自分たちにとって心地の良いような潔癖な社会にしようとする理屈でできているのであって、真に「なにが悪いのか」は考えていない。
「なにが悪いのか」を考えずに杓子定規に順守して、「俺も守っているのだからお前も守れ」と言うのだろうが、そんな理屈ではよくわからない。ところが、いまの多くの人たちは、「俺はこんなに頑張っているのに」「私はこんなに苦しいのに」と言って他人に八つ当たりする。大流行中だ。
古くは、自分でも「悪い」とは思いもよらなかった行為を、偉い人に怒られたり、天変地異の原因になったと思ったりしたから、「しきたり」ができるようになり、いささか不合理な「しきたり」でも杓子定規に遵守するという社会気質ができた。それがそのまま江戸時代ころにはもう全国家的に流布されて、皆「お上」の言うことをきく「踏み絵社会」ができあがっていた。
さて、そもそも、社会的善悪というのは、真の善悪とは異なると思う。社会的善悪というのは、人間にとっての都合の良し悪しだ。自分たちの自我にとって「得だ」と思うことが善になり、「損だ」と思うことが悪になる。だから、死にたくなければ他の生物も殺すし、インフルエンザウイルスであれなんであれ、徹底的に殺すようにしているだろう。昔も今も、多くの生物を殺戮して、しばしば絶滅させてきた。
昔はもっと、「殺生は悪だ」ということが一般的に言われていた。いまは、平気で生物を殺すし、動物がたくさん殺されて食べられている。動物を殺すのを見たくないから食べない、というのではなく、見ずに食べる方法をつくりだして逃げている。ついには、魚肉や鶏肉に骨がないようにまでしている。もはや、生物っぽくなく、便利に食べられる。もちろん、骨抜き魚肉や骨抜きフライドチキンが出てくる以前に、チキンマックナゲットだろうがハンバーグだろうが、骨を意識することはないのだが。いまの欧米人はこの国の活造りを見ると「残虐だ」と言い出すが、我々はもともとは、生き物を殺して喰らっているという自覚をあえてもって、また、ピチピチしているのを見て「新鮮だ」と言って、喜びと有難みをもってきたのだ。反対に、たとえブロイラーにしようがハンバーグにしようが、動物を殺している残虐からは不可避なのだ。例えばマクドナルドなどにしても、全世界的に食肉を大量生産して流通させているが、膨大な殺生をしている。大量の飼料や水を消費して牛を飼い、また、深海魚まで獲っている。それはムダな消費なのではないか?
まあどうせ昔も、「殺生=悪」という「しきたり」でしかなかったのかもしれないが。だが、きっと、釈尊にしてもそうだし、「無益な殺生をしてはいけない」と言った多くの偉人たちのなかにも、「殺生ばかりをしていたら自分たち人間も生きていけないだろう」と直感していた者が少なくなかったのだろう。ただそれが、日本社会では、形式的にばかり順守される「法令さえ守っていればいい」的な実態になったのだ。それは結局のところが、日本社会のほとんどの人が無教養で思考停止をしているからなのだろう。つまりは洗脳されてきただけだ。
我々が生きていくためには、生物を少なからず殺す必要がある。そうしないと食べていくこともできないだろう。直接にも間接にも、殺生をしている。だが、際限なく殺しまくっていたら、無益な殺生になり、そして殺された生物種がしばしば絶滅する。
自我の屁理屈を超えれば、他の生物を殺しすぎるのは、生態系のつりあいを破ることになるから、我々自身も生きていくことが難しくなる。したがって、無益な殺生は、生きていくという観点でも明らかな悪だ。無益な殺生が悪だということは、合理的に説明可能だ。
いまのこの国では、「本当のこと」が言えない。例えば、政治的な発言が忌避されるのも異常だ。「それはおかしいと思う」と言える社会ではなくなっている。例えば原発にしたって殺生にしたって自殺率にしたって、さらには、インフルエンザだろうがHIVだろうがなにもかもを殺戮して存在を消し去ろうとすることの異様さにしても。
他人を叱れないし、叱る能力(冒頭に書いた通り)がそもそもない人が多いのだろう。なにがおかしいのかを言える雰囲気でもなければ、なぜおかしいのかも言えないからなのだろう。ひとりひとりが叱れない社会だから、マスコミが代弁することで憤懣の捌け口になっているのだろう。
我々は、完全には清廉潔白でいることはできない。殺生をしなければ生きていけないし、他人に迷惑をかけずには生きていけない。
だが、己の穢さを自覚しなければ、不潔であることに対する抑止力は働かないのではないか。
皆がまたぞろ、自分にとって都合のいいと思うことをやりたいから、例えばガソリンなどの資源エネルギーも多用するし、そうして地球温暖化も進んでいるのだろうし、有毒物質もまきちらしているし、将来の資源枯渇へと「ツケまわし」もしている。だが、「それは悪いことだ」とは、ほぼ誰一人として言わない。例えば、「自動車を抜本的に減らせ」とは、ほぼ誰も言わない。乗りたいからなのだろうし、自動車があることで産業があり雇用があるからなのだろう。同じように、「タバコは有害だから禁止すべきだ」どころか「増税すべきだ」と言うことすら、すぐさま自民党などから「葉タバコ農家が〜」という屁理屈が返ってくる。それではきっと、葉タバコ農家は死の商人だね。JTも、その大株主のこの国も、同じ国民から「血を吸って」「肉を喰らい」生きているのだ。
例えば米国人がやっていたら、この国でもやっていいことになる。迷惑駐車でもポイ捨てでもなんでも「他人たちがやっているから自分もやっていい」という言い訳は必ず出てくるだろう。互いに都合のいいことなのだから、みんなして「赤信号も渡る」のだろうし、「崖っぷちへと突撃する」チキンレースをやりもする。
ところで、自分たちにとって都合の悪いと思われる生物を徹底的に殺戮してきたから、HIVが出てきたり、新型インフルエンザが出てきたりしたのだと思う。少なくとも、薬物耐性病原体は、過度の殺菌をしてこなければ出てこなかっただろう。そうして、潔癖に潰しまくってきたから、いわば「テロ攻撃」が他の生物から、地球から、加えられているのだ。
それどころかさらに、いまの我々は、自己の心身にすら欺いて、自我が都合の良いと思うことばかりをしているから、心身の反乱をくらっているのだろう。癌にしても、アレルギーにしても、「精神疾患」にしても。人工的に潔癖な生活空間をつくってきたから、心身にとってかえって不健康なことになっている。
地球の生態系のつりあいも、自己の心身のつりあいも、壊しているからだ。だからかえって危機に陥る。不健康になる。
この国では少子化だと騒がれているが、世界人類はいまも増え続けている。はたして、「人口増=善」なのか? 人類が増えすぎたら、地球の生態系のつりあいは崩れる。すでに崩れている。しかし、自分が生きたいと思っている人たちは、「出産=悪」だとは決して言わないだろう。真実を言わないし、真実に気づきすらしないのかもしれない。
昔から、例えばクリスチャンは「人は原罪を負っている」と言う。また、この国では浄土真宗の檀信徒が最大多数だと言われているが、そもそもの浄土宗や浄土教は、悪の自覚から始まっている。つまり、「自分は悪人だ」と自覚しているからこそ、「地獄に堕ちる」と思い、「どうやったら救われるか」と考えるのである。それに比べると、いまの人間には、悪の自覚が足りない。
自分たちを律することができず、ゆがんでいく。ゆがんだことでトラブルが起こるごとに、対症療法をする。砂糖を入れすぎたから塩を足すかのように、余計なものをどんどんと付け足していき、だからますます錯乱していく。ぐにゃぐにゃにゆがんでいく。
究極的には、己の死に対して覚悟がないとはじまらないのだと思う。人類は、過剰な生存意欲があるからこそ絶滅せずに生きていられたのだろう。だが、だからこそ、生存意欲の過剰さに対する自覚をもたないと、欲望も執着も、いくらでも膨張して肥大化していく。そうして、人類も増えすぎるし、生物も殺戮するし、資源も食い尽くすし、自己の心身さえも傷つける。
異質な他者の存在に対して、多様性に対して、寛容に、しなやかに、ふわっと、受け入れないといけないと思う。究極には己の死に対して覚悟がないと、それはできない。だが、受け入れなければ、「テロ攻撃」が、他人からも、他の生物からも、さらには自分自身の細胞や潜在意識からも、加えられていくのだ。
いまのこの日本社会にしても、やっていることは正反対で、威圧して同調化させようとする傾向があり、それは近年ますます増している。それではきっと、ますます危険で不健康で暮らしづらい国になっていくのだろうと、私は思っている。
一度冷凍して解凍したときに水分が抜けてしまった鮮魚はうまいなあ
普通に買ってきた野菜を自家菜園野菜として使ったのはうまいなあ
お詫びしたあとで辞任は考えないと断言したのはうまいなあ
部下のせいにして意図的な偽装の事実はないと否定したのはうまいなあ
また利用させていただきますわ
(トイレを)
また利用させていただきます
「じどり」はたくさんありましたが「地鶏」という文字は店内になかったので、お客さんに嘘はついていないというのが店側の認識のようでしたね。
なら、ブロイラーという方が嘘という可能性も残ってるのでは?自分の目で見て確かめたわけじゃないんだよね?
余程のことがない限り、ブロイラーは早期に出荷されてしまうので、出荷が遅い地鶏と比べて、肉付きも重さも違うから見てればわかると思うけど。
実物を見ていってるのでなければ、地鶏というのが嘘なのか、実はブロイラーでした!というのが嘘なのかはわからん。
見慣れれてれば、地鶏とブロイラーは、さばくときにわかるけどな。あからさまに違う。
見慣れてないと厳しい。
それは、食うのも同じ。
住宅街にある焼鳥屋だったのだが、店内やメニューには大量の「じどり」という文字が散りばめられていた。
そのため、お客さん達は「地鶏」を食べているつもりのようであった。
店長が笑いながら事実を告げるまでは、アルバイトの私ですら誤解していたぐらいである。
少し良い物を知っている風に振る舞う学生や社会人のお客さんは、
「やっぱり〇〇(某チェーン焼鳥屋)とは違って地鶏は美味しいなあ!」
なんて声を頻繁に(ドヤ顔で)上げていた。
彼らは知らなかっただろう。
新興国の劣悪な環境で育てられたブロイラーを美味しそうに頬張っていたことを。
もしもメンヘラがひとつの村だったら…―脱メンヘラの人類学講座―
http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/10/26/205745
とかいう糞のような記事がはてぶに上がっており、俺はもう駄目だ。夢が壊れました。
皿ウォッシャーとしてやっていく展望が消え、夢が壊れました。と思った。
皿はさておき、数年前に重大な遺伝子疾患があることが分かった俺は手術費用数百万円をかけて、
肉体の一部を人工物に置き換えるという手術をした。
一命は取り留めたものの、遺伝子疾患なので完治そのものは永遠に無く、
症状としては肉体に常人と同等の負荷をかけていると死ぬという厄介なものであったので、
で、いくつかあった送別会のひとつで同期の馬鹿がこのような妄言を垂れた。
「それって子供の頃、運動しなかったとかの努力が足りなかったんじゃないの?」
「いや、遺伝子疾患なんですよプログラムのバグで細胞結合が弱いんですよ」
「でも、人間って鍛えれば強くなるじゃん。やっぱ弱いなら人並みに努力しなきゃ」
あるあるあるあるあるりーゔぇでるち、ウェルチグレープ味。
俺は社会に出るまでこのような糞のような発想の持ち主は幼稚だからであり、
大人社会においてはマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸として扱われ、
死に絶えているとばかり思っていた。が、そうでは無かった。
いるのだ。
このように、自分の持てる知識や人生体験だけで全く他人の知らない病気の理解を処理してしまう馬鹿が。
それも大真面目に上から目線である。風邪引いたときに鼻水と一緒に脳が流れ落ちたに違いない。南無南無。
交通事故で両手両足が切断されて乙武様状態になった水泳選手がいたとしよう。
「さ、みんな100m泳いでいるし、これまでも出来てたから頑張ろうね。医学とかブロイラー」
みたいなことを言う奴がいたら、さすがに社会ではマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸賞受賞ものである。
しかし、症状が、原因が、苦痛が見えない病気については、糞みたいな持論を展開する馬鹿が大勢出現する。
そして、なんかふんわりとそれが許される。
例を上げよう。不妊症。
医学的な処置をし、夫婦生活のコントロールをし、最善と思える全てを尽くした患者に馬鹿は言う。
「性欲が足りないんじゃないの?/タイミングがうんぬん/神様への祈りが/日頃の行いが」
それは知ってる、それは間違い、それはすでにやった、そんなことはお前に言われる筋合いは無い。
ほんの少し、ポケットの中で1/256に分割されたビスケットの屑ほどの想像力が有れば分かることを、
「たまたま運良くスムーズに子供をもうける事ができた」だけの頭悪男や頭不足女が上から目線の余計なお世話をいう。
糞である。
そして、メンタルヘルスのあれこれについてもそう。
医学がどうの統計がどうの「俺ってこう思う」ではやっていけない諸問題を先達が知恵を絞って導いた結論を全く無視して、
「村、村長、若者・・・」である。アホか。ド低能か。マジ糞吐き気催す。
今ここで腹にナイフさされてのたうち回っている人間に同じように言え。
「この近代社会が生み出したナイフ製品を村としよう」と。そこから始めろ。
そして同じように腹にナイフぶっ刺されて村長になれ。若者よ、大志を抱け。
単に言及対象の病気が「症状が見えない、分かりづらい」からだ。
「頭が悪く、理解力が無い、恥知らずな人間が病気のことについて好き勝手言っている」のが事実なのだ。
分かった?くずが。
蟻と違って人間は近道をする動物だって話を、どっかで聞いたことがある。
エスカレーターに限らず、交通、とくに鉄道まわりは、まともにキャパシティプランニングできてないくせに、事業者でも行政でも立法でもなく、あれもこれも任意のルールに「ご理解とご協力」だとか、マナーを守れという所に帰結させ過ぎ。
車内での携帯電話やベビーカー、女性専用車両も全部根っこは同じ。
みんな思ってるんでしょ?ズバ抜けて儲かってる埼京線が、どんだけ混んでんだよ、とか。あんだけ深くなった東横の渋谷駅なのに、階段もエスカレーターも足りてねぇじゃねぇかよ、とか。
力を入れて人を押しのけないと降車できない通勤車両。小柄な女性は「降ります!」と必死に声を上げている。溢れる人を押しこむ駅員。その上「エスカレーター歩くな」なんて言われたらもう、自分はブロイラーだと思うしかない。
おかしいよ。やっぱり。
本社名古屋あたり。豚と鶏肉の会社。日本の鶏卵シェア3位くらい。おそらく独立系。
【機械/設備関連/プラント・エンジニアリング/その他製造/その他電気・電子関連】
ゲン・コーポレーション
参考。
「鶏の品種を育種会社が育種選抜する。→会社が顧客に売る際、商品名として名づける。」という
主な採卵鶏の銘柄:白玉 :ジュリア、ジュリアライト、デカルブ、マリア など
採卵鶏の銘柄鶏の詳細は
http://www.ghen.co.jp/jp/products/poultry/index.html
肉用鶏の銘柄は
「別館 ブロイラー館」
http://homepage3.nifty.com/takakis2/broiler.htm
http://raumenzuki.hp.infoseek.co.jp/meigara1.htm
をご覧ください。
肉用鶏はたくさんありすぎて、
なかなか把握しきれません。
参考になったでしょうか?
ゲン・コーポレーションから輸入された「種鶏」を日本の採卵養鶏会社が購入して
ゲン・コーポレーション
ごく一部の後藤孵卵場の鶏も使われている。
後藤孵卵場
下記記事を読んでみてください。
http://www.chunichi.co.jp/article/economics/news/CK2007073102037287.html
所秀雄氏が1963年に起業した。産卵数が多いなど優れた遺伝子を持つ外国産鶏の輸入を進め、
国内の養鶏業界の発展に寄与した。所氏は2004年9月に会長を退き、後任に、
EWグループを率いるドイツ人のエリッヒ・ウエスヨハン氏が就いた。遺族によると本人の意に反した
交代だったという。
所氏は今年4月、88歳で死去。生前、EWグループへの株式譲渡について「経営は日本側、所有は
ドイツ側という分離政策を信じた」と語っていた。EWグループはいずれ全株式を取得する見通し。
ゲン・コーポレーションは「所氏の退任後も日本人が社長を務めるなど、経営が日本側にあることに
変わりない」としている。
このような経緯で、ゲン・コーポレーションは外資系企業になってしまったようです。
日本ISD協会
http://ameblo.jp/amuse8/entry-10230517301.html
ISD協会の話をする前に
(種鶏って何?って人にもわかるようにします。)
皆さんは卵食べますよね?
そしてその卵は養鶏場で作られているというのはお分かりですよね?
つまり養鶏場には鶏がたくさんいてそこで毎日卵が作られているのです。
そしてニワトリは生き物ですから、歳をとるにつれてと卵を産まなくなります。
(お年を召したのを食用に出荷し、若いのを仕入れる)
そのときのために私達のようなヒヨコ屋さんというのが存在するのです。
そしてヒヨコ屋さんでは種鶏(オスとメス、卵を産む鶏のご両親ですね)を
飼育して受精卵をつくりその卵を孵化させてヒヨコ(これが将来卵を産む)を
作るわけです。
出来れば卵をたくさん産んで、病気に強くて、飼育しやすくて、卵が丈夫で
卵の盛り上がりもよくて、殻の形もよくて、餌はあんまり食べなくて、などなど
いろいろと要求があるものです。
そういう要求にこたえるために品種改良が行なわれるのですが
小さいところが一気に逆転が出来る状態ではなくなったのです。
その掛け合わせのトライアンドチェックとフィールドデータの採取が
出来るところが勝利する形になりました。
ちなみにヘンドリックスは卵だけでなくブロイラー、豚においても
EWは卵とシャケ、マス、トウモロコシなどの遺伝子を持っていて
なるほど様々な遺伝子は大きい会社に統合されてきているのです。
日本ではEWグループが強く卵においては91%、ヘンドリックスグループは
しかし今から20年前にはヘンドリックス(ここは上記9社のうち6社が統合されている)
当時、この6社の合計シェア(当時は別々に経営をしていたので)は80%を超えていたのです。
それが10年前には50%になり(それに伴い統合も進んだのですが)今では8%に
なってしまったのです。
日本ISD協会続き
http://ameblo.jp/amuse8/entry-10231057437.html
(当時はグループではなく、別々ですが)
ヘンドリックスの系統の種鶏は現在では8%になってしまいましたと。
そしてISD協会とはこのヘンドリックスの6系統(昔の6社が扱っていた種類)を扱う
もう一方EWグループ(日本の代理店はゲン・コーポレーション)のものも
扱っている会社もありますので協会のメンバー全体での日本のヒヨコの
シェアは95%はあるのです。
その会社の中でEWの比率がかなり高く、結果として日本のEWの
シェアが高くなっているということですね。
やっとここまでこれましたね。
ISD協会のこと、種鶏のこと、わかっていただけましたでしょうか?
さて、その日本ではマナーなヘンドリックス鶏(上記6系統)ですが
このたび大変革を行ないました。
その内容をお話しする前に
なぜ、EWグループがたった10年間で日本で90%以上のマーケットを持つ
EWグループ、日本代理店ゲン・コーポレーション(以下ゲンさんと呼びます)は
1990年代後半いままで農家の延長であった採卵養鶏・種鶏の業界に
マーケティングの理論を持ち込み、卵・ヒヨコの生産にコスト、効率などの概念を入れ
その成長にともないEWのシェアも伸びていったのです。
すなわち、今までは鶏の能力により選ばれていた種鶏が
そのニワトリの能力より、総合的な顧客満足度(様々なサービスも含めて)で
選ばれるように変化したのです。
両者の間に大きな差が認められなくなったというほうが
正しいのではないでしょうか?
(それ以前はヘンドリックス鶏が優れていて、
EW鶏は弱点があるという認識でした)
人に聞いてみてください。
(私がこう言っていたとかももちろん言わないで。)
そしてこのような日本におけるマーケティング戦略をおこなったのが
10年前アンディはアメリカハイライン社(EWグループのアメリカ
そして日本の卵は世界で一番厳しい(注文がうるさい)という認識のもと
(以前にも書きましたが生で卵を食べるのは世界でも日本くらいのこと)
日本の市場を制覇できれば世界を制覇できるとの戦略で上記の事を
行なってきました。
つまりアンディの立てた戦略で日本で92%、アメリカで72%のシェアを
持つようになったのです。しかもアメリカと日本は世界で一番卵の値段が高い
高く売れる場所で高いマーケットシェアを持つという経営的にもっとも効果の
高いことを行なったのです。(高く売れるということは利幅が多いということ
しかしこれだけ多くの功績を残したアンディですが、よる年波にはかなわず
4年前60歳を機に退職されたのです。
アンディ・ハンセン
http://ameblo.jp/amuse8/entry-10231427162.html#main
この日本における養鶏のレベルを格段に引き上げたアンディ・ハンセンは
その経験を生かし、アメリカで養鶏コンサルタント会社を立ち上げ、
更なる養鶏業の発展のお手伝いをしておりました。
そして今年1月、アトランタ で大きな動きがありました。
(私は現地におりましたし、本人から直接話を聞いていたので
知っていましたが、私から発表は出来ませんでした)
つまり、日本・アメリカにおいてライバル関係にあったアンディと
シェアが大きく変る可能性があるわけです。
そして今日初めてそのことがISD協会のメンバーに伝えられたのです。
3年以内に50%まで引き上げるとのこと。
普通に考えればそんなことできるか!となるのですが
私は本当に出来そうな気がします。
なぜなら私がアンディに育てられた人間ですし、アンディからの命令があれば
おかげといえるのです)
しかもその何人かですが、日本の養鶏レベルの向上を肌で感じていますし
なんかこういう業界の編成に立ち会えるのはとてもぞくぞくします。
そして情報をしっているのと知らないのとでは大きく違うのだなと。
3年後がすごく楽しみになりました。
ちなみにですが日本におけるヘンドリックスのシェアは8%ですが、
我が社においては50%。つまり両方と上手に?
お付き合いをしてきたわけです。
この理由はどこかで詳しく書きますね。
ま、いずれにせよヘンドリックスにアンディが加わったことで業界に変化が
おきることは間違いありません。そしてその中で私はどうすればいいのか?
ISDセミナー(2009-03-26?)
http://ameblo.jp/amuse8/entry-10231438826.html#main
これらのお話をアンディがしたのです。
正確には4つというのは、2番目のお話の中に
日本でのデータを日本シェーバーの方がやったということですね。
ま、一番最初のお話は経済新聞読んでいれば当たり前のお話ばかりで
当たり前のここといえば当たり前だし、
独自の分析をあえて入れていないようにも感じましたので
内容はともかく(聞いている人に合わせてくれていたのだと思います)
感じは良かった。当然ですが間違った分析はありませんでしたし。
大体において、小さな部分を大きく、深く掘り下げていて
いや、わかりますよ。人と同じことを話したのでは独自性がありませんし
講演に読んでもらえなくなりますからね。でも、間違ってはだめでしょう。
それから極端な例を話してもだめでしょう。
自分の頭の中身の整理にもなりましたし。
(どれだけ上から目線なんでしょう)
2番目のお話は以前オランダ(ヘンドリックスの本社があります)で
出しているものでしたので特に目を引くものではありませんでした。
より打ち合わせが悪い。アリアンが省略して話しているところの
くれたから私も理解できた部分がありましたが。
ニワトリの種類の差は現れにくくなっているなと。
例えがうまくはまっているかどうかはわかりませんが
トヨタのカローラとホンダのシビックと日産のティーダの差でしょうか。
車の性能の差よりもイメージとか価格とかそういったところでしか
差を見つけられないと。
そうなるとニワトリの開発は日本全体を満足させるより南国向け、
北国向けとかそういう方向で開発することになるのかなと
車なら北国向けに寒冷地仕様がいいとか、海岸沿い用に防錆が
うまいとかそういう局地使用で販売を伸ばすと。
名産、特産になっているところ向けに集中して作ったほうが売れるってもんですよ。
そしてそういう開発をさせたらアンディにかなう人はいないということです。
(私がこういう風にかんがえるのもアンディの影響なのでしょうが)
最後の講演がアンディ
これが噂の(私が勝手に話を大きくしているふしあり)
アンディ・ハンセンです。
正確には日本では
(そのくらい力を入れないとマーケットが取れないと判断した
アメリカ人です。
ちなみに、ファッコといって先日わたしのところで導入した
ニワトリのケージ(金網の箱)のメーカーがイタリアにあるのですが
日本人より日本のおもてなしの心を学んでいます。すごい人です。
わかっている人がたくさんいます。すごいですね。
ま、アンディの話の内容は前回書きましたが
それぞれを分析してみんなで成長して
いきましょうっていうお話でした。
いいことなのかも知れません。
むしろ弊社の成長を見て改善点なんか助言をもらえるとうれしいですね。
ま、繰り返しアンディのご指導を受けるためにはがんばって
あの人は天才です。(こう思っているのは私だけ?)
2009年の記事ですが、3年後を見据えての記事です。
今年でちょうど3年目。
調査してみてはいかがでしょう?
http://unkar.org/r/recruit/1278332502
http://read2ch.com/r/recruit/1291774175/
www1.axfc.net/uploader/Sc/so/356063
情報元
http://note2ch.com/2c/n/recruit/1331782888/p2
業界情報まとめ
採卵鶏なら
肉用鶏(ブロイラー)なら
採卵鶏に詳しくなりたいなら、
「クレスト http://www.crestfarm.co.jp/index.html」、
これを読んで思ったんだが、
「おまえは何をそんなに大学に期待してたんだ?」と心底思った。
大体、大学に来る奴なんて色々に決まってる。底抜けのアホもコミュ障もDQNもいるに決まってる。
むしろ、その自由とカオスの中で何を選び取っていくかを問われるところだと俺は個人的に思っている。
カリキュラムがしっかり固められて、それにしたがっていく大学生なんて心底気持ち悪い。
もちろん、それはそれで一つのありようでこれは偏見なんだろうけどさ。
俺は早稲田の出で日大には極めて親近感を抱くんだよね。似た感じだと思う。
それの何が悪いのかさっぱり理解出来ない。日大の芸術系すごくいいじゃない。
自由で楽しく自己責任。英語やりたきゃ英語やれ、文学やりたきゃ文学やれ、やりたくないなら何もするな。
全てアリなのが大学だろう。少なくとも慶応にも早稲田にも、いい教授がいていい環境があるじゃない。
自分で選び取れば与えられるよ、少なくともこの二つでは。
国際教養大学は、俺にはブロイラーを育成するところに見える。与えられたエサを食ってる感というか。
もちろん、専門技能を持った人材の育成って意味ではとてもいいんだろうけど。大学というよりは専門学校というか。
別に強制されてるわけじゃないけど、なんとなく頑張っちゃって3時でタクシーで帰って翌朝出社とか昔はやってたな。
自分ではむしろ頑張って仕事してんな俺すげーと思ってたんだけど、家庭崩壊→メタボ→人生終了って感じ。
今は残業禁止令が出てるのでそれを口実にのんびりやってます。
仕事量は変わらないけど。
周りを変えようとしてもかわんないのはよくわかった。
年取ると記憶力もなくなってくるしでもう大変。
さっさと帰りたいので居ない間に仕事させようと思って、何でもかんでも自動化すると楽になった。
history眺めつつ、難しく考えなくてシェルでごりごり。
帰る前に流す。翌朝見る。失敗しててもどうせ居ない時間だし。
それを周りの人に配ったりするともうちょっと楽になった。
いちいち検索し直すのも面倒なので必要な本は机に積むことにした。
なんか時代に逆行な感じだけど、わりと便利。
会社やめたくないチキンさんはささやかなことから始めることにした。
ブロイラー一直線かも。
だけど、定時で帰れると家に着いても空が明るい。
のんびり散歩してると今の季節は夜の風が気持ちいい。