「パラドックス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: パラドックスとは

2023-04-25

anond:20230425232557

単純にその人が精神障害から気にするだけ損ですよ。

前提として「仕事なら不機嫌になるのも仕方ない」という謎の文化があるので

仕事で不機嫌になる=それだけ仕事を真面目にとらえている」というパラドックスが生まれしまうのですが、

実際の所その人の精神状態おかしいだけなのでほんとに気にする必要ないです。

職場おかしい人がいて、職場がそのおかしい人を咎め勇気が無いんだと思って諦めましょう

2023-04-21

[]

平頂山事件

きになっていろいろしらべてしまった。時間とけた。_| ̄|○

検索パラドックス

なにをしらべたらいいかからいか検索できない。検索かけれることはすでにわかっていることで検索自体無意味

これ、でも、chatGPTならなんとなく問い合わせても、ばっちりな答えかえってきそう

2023-04-08

ネットじゃ冷笑冷笑というけれど、冷笑コケにするのも冷笑、それをまたコケにするのも……という無限マトリョーシカ構造になる。

他にも、マゾヒスト苦痛を好むったって、苦痛を喜んで受け入れてるならそれは結局快楽を好んでない?とか。

個性派喧伝したって、それもまた「個性派気取り」という没個性になってない?とか。

似たようなパラドックスじみた話だなって思う。

脱構築というのは二項対立から抜け出すという概念だったと思うけれど、こういう構造をも打破するアプローチはあるんだろうか。

2023-04-07

anond:20230407160643

「誰のお願いも聞かないで」って増田がお願いしてパラドックス宇宙監禁する

2023-03-29

年寄りが残念すぎる

日本バブル期で甘やかされてきたせいか年寄りほど甘ったれというパラドックスが起きてる。

年寄りは誰しもが「昔は良かった~」と飲み会でくだをまく。

さも自分が何かをなしとげたかのように(実際は何もしていない)

これから日本責任を取るのは若者だってのに。

本当なら年寄りが身を挺して日本責任を取らないといけないのに逆転現象が起きている日本をどうすべきか

2023-03-28

うんこを食べるのはなぜ身体に悪いのか

うんこは食わない方が良いらしい

しかしもともとうんこ自分身体の中にあるもの構成されている

毒のある物とか食べて出たうんこは別だよ

元々毒だからうんこ以前の問題である

しかし毒ではないもの、例えば寿司とかピザとか食べて出たうんこ身体に悪いのはなぜだろうか?

うんことは食べたもの身体細胞・腸内細菌集合体なのだから

うんこを体内に取り込むのが悪いのであれば、元々食べたものとか身体細胞とか腸内細菌身体に悪いという結論になってしまうのだ

これはまさにパラドックスであると言わざるを得ない

2023-03-06

anond:20230306101602

追記ブコメに反応いただいた id:koo-sokzeshky です。

私のブコメ

解がさっぱり分からんので、素人が言えるとしたら「統計的差別容認する前にせめてトランス差別解消の意思を見せろ」くらいだと思うけど、そうすると「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」で膠着状態に…

増田氏の反応:

この増田にもまた酷いブコメがついた。

引用

これだけ言ってもまだわからんか。

黒人差別反対の主張に対して、「黒人差別の解消を叫ぶ前に、その前にせめて黒人による犯罪の多さの解消の意思を見せろ」と要求するクソな醜悪さがわからんのか。(実際に過去にも今もそういう主張する白人、わりといる)

「膠着状態」になんてなんないよ。なぜそんな意見考慮する必要があると思うの?「せめて黒人犯罪をなんとかしてから黒人差別反対を訴えろ」と思うのか?それと全く同じ主張を差別反対と同列に扱ってると自覚できんのか。

なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。

「その前にせめて」じゃねえよ。

個人が犯した犯罪を、属性全体の罪にするのは差別のものなんだよ!

いい加減にわか!!!!!




言い訳になるけど私のブコメは、個別には筋の通っている複数の主張がぶつかったときに「その前にせめて…」式の優先順位の取り合いが発生しちゃって難しいね、というボヤキです。

「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」が私の主張ではないのです(そう言う人にも同情的なのは事実だけど)。

というか、「性犯罪危険性を強調することで特定属性をまるごと排除するのは黒人差別と同じ構造であり、手放しに肯定できるものではない」という点については完全同意なのよ

構造が同じならすべてが同じというわけでもないが、ではトランス差別問題に固有の話は何かということになると、私は明るくないので論じられない)。

なお、増田氏が私のブコメを「誤読」した等と主張するつもりはなく、基本的に私の書き方が悪い。伝わってて怒られたのだとしたら私の理解度が低い。

なぜそんな意見考慮する必要があると思うの?

なぜと言われると一言では難しいが、一般論としては、あると思う。

というか、私もできているとは言いがたいけど、一般リベラルは非リベラルを含む他者の主張(場合により差別的だとしても)の背後にある問題意識を無視すべきでないと思っている。

これはしばしば保守派リベラル批判するときに言っていることで、限度はあるにせよ、方向性としては確かにそうだなあ、という感想

なお考慮とは「その通りにする」という意味ではなく、検討材料カウントするということ。

なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。

当然ではないだろうけど、ちょっと整理が要る。

いい加減にわか!!!!!

この要求がまだ満たされていないと思う場合は教えて貰えるとありがたいです。実際、私が未だにわかってなくても不思議でないので…。


追記ブコメ反応)

なるほど、わかる。ただ、『トランス差別問題視する人が「当然、男性も含めて皆で負担するのだ」』はどうなの、という気がする。悪いリバタリアン的。逆に差別問題視する人がいなければ差別放置していいのか。

「悪いリバタリアン的」は実は薄々思いつつ端折ってしまい申した。

"皆で負担" は一見社会主義的だけど、逆説的にリバタリアンがこういう主張をすることがよくありますね。

ソーシャルリベラル的な批判としては、最終的な理想だけを(まるで既に実現しているか、もしくは容易に実現可能であるかのように)述べても、今そこにある問題是正について議論が進まない、これでは一向に不公正が無くならない……という反応になる。

しかし一方で「現状はともかく、理想はこうだよね」という確認作業大事ではあるんだよなとも思っており、まずはそこで合意を示しておくべきかな、と思った次第です。

理想論と現実論の混同は色んな話題でよく揉めますよね。混同しなくても単体でも揉めるけど。

追記トラバ反応)

DD論はやめろ

不寛容には不寛容

リベラルが大好きなこの2振りの武具でお前の論法全部否定できるけどどんな気持ち

2chレスバはやめろという気持ちだが、気持ちは置いといて、その2点については良い指摘だ。

それと "2振りの武具" とやらはリベラル傲慢さを批判したいのだろう。その連帯責任を私に求めている? それとも私のエントリに該当箇所がある?

いずれにせよ些末な問題とは思わないよ。

2023-02-24

anond:20230224180210

いやほんまに。何とか生きているうちにできんか……。

この際俺の肉の脳は壊して、電脳アップロードとかでもいい。パラドックス関連には目をつぶる。

2023-02-15

anond:20230215150637

そういうのは自己言及パラドックスとしてすでに確立していて

多様性否定する多様性否定してもいい」

不寛容には不寛容であってもいい」

というふうに除外規定を設けて対処するのが世界常識だよ

2023-02-12

anond:20230212000339

普通状態なら単純な観察本数は男性のが女性よりよほど多いのにね

パラドックス逸話に使えそう

2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

2023-02-08

anond:20230208224932

https://gigazine.net/news/20221018-darkforestsim/

宇宙の広さを考えると地球文明存在しているはずなのになぜか接触証拠が見つからない」という疑問は、提唱者の物理学者エンリコフェルミ氏にちなみ、「フェルミパラドックス」と呼ばれて活発な議論対象となっています。この理由説明する仮説の1つに「文明生存戦略のために他の文明を滅ぼしている」という「黒暗森林仮説」があり、これはシミュレーションで試すことができるといいます

[]シュレーディンガーの猫のいくつかの解釈

シュレーディンガーアインシュタインに宛てて、量子力学コペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。

この効果を、原子というミクロ世界特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブル椅子、猫といったマクロ日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガー思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学コペンハーゲン解釈不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしかさないし、死んだり生きていたりもしない。

ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。

この思考実験意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数宇宙複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。

 

1. シュレーディンガーのQBist猫について

通常の話では、波動関数は箱入りのネコ記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。

例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的歴史なのだ

今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェント自分の 賭けに手を加えることなのだ。

重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合からである

QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである

 

2. ボーミアンについて

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。

ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?

量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。

なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたかである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。

 

3. 知識可能性について

シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実であることではなく、量子系を知識対象として安定化できないことである

通常の知識論理では、私たち質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。

 

4. 反実仮想的な本質

シュレーディンガー実験には、3つの基本的意味がある。

これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか現実)ではなく、何が可能不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想性質は、量子論運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものからだ。

量子論後継者は、運動法則根本的に異なるかもしれないが、反実仮想性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメントさらには新しい現象可能になるだろう。

シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対であるシュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである

シュレーディンガーは、量子力学波動関数は、個々のシステムの完全な物理記述提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼン論文に反発していたのであるEPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである

シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理記述提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベル言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである

もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学形式理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガー馬鹿にしていた結論に直面することになる。

 

5. 波動関数実在論について

シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロ領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学ミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。

問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということであるシュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケ写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反関係にある。

ベルが彼の定理実験的に検証する前、量子力学技術が発展し、もつ状態実在性を利用し、巨視的なもつシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈必要である

波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈アプローチであるシュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数自由度を収容できる超高次元空間となる。

 

6. 超決定論について

不変集合論IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランク洞察を、今度は量子力学状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルであるISTでは、量子力学連続ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想世界存在し、このような反実仮想世界は格子の構造矛盾している。このように、IST形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。

ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界アンサンブル対応し、各世界状態空間特別な部分集合上で進化する決定論的系である非線形力学理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。

アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界アンサンブル記述していると考えていたが、これは実現可能である特にシュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。

 

7. 関係量子力学について

シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学仮定である。 もし全ての性質関係であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。

猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかであるしかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。

箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれ可能性があるからだ。

まり波動関数崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリ進化」は、外部システムに対する性質の実現確率進化を表すのである。 これが、量子論関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。

 

8. 多世界

物理学者たちは古典物理学では観測された現象説明できないことに気づき量子論現象論的法則発見された。 しかし、量子力学科学理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガー方程式を考案してからである

シュレーディンガーは、自分方程式放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。

このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態崩壊することによって、量子系の進化記述する方程式としての普遍的有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールド存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用回避し、自然界における決定論を守る一つの可能である

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

anond:20230208051034

問題はそのモチベーションだな。

かに褒められるとか、いいねを付けられる等の成功体験がないと、インプットの意欲が中々沸きにくいのが厄介。

それでそれらを得るためにはインプット必要だ、というパラドックスがあるよね。

2023-02-06

anond:20230205235719

要するに寛容のパラドックスの話か?

今回の件の叩き方に問題なしとは言わないが、公職に就いている人間としての適格性が疑われるのはやむを得ないだろう

2023-02-03

anond:20230202020747

お前さあ、何か勘違いしてないか

いか人生ランクマじゃないぞ。エアプの癖に上位勢の動画動画ばっかり見て知識だけ一丁前で「6Vまでは求めないけど600族か準伝希望」「虫ポケは弱点多いしNG」「最低限パラドックステツノカイナはダメ」って最初の草むらで言ってるのがお前だ。非モテなんだろ?じゃあ御三家も持ってないぞお前。ゴチャゴチャ言っとらんとそこの草むらにモンスターボールなげろ。ボールないならさっさと買いに行け。買ったらすぐボールなげろ。いいか繰り返しになるけど人生ランクマじゃないぞ。人生は旅だ、そしてお前に必要なのは旅パだ。1番道路出会ポケモンがお前の旅の仲間だ。虫ポケか鳥ポケか電気ネズミか知らんけど、ボールを投げて、ボールに入った子がお前の相棒だ。運が良ければムクホークやアーマーガアみたいにバリバリ活躍してくれるかも知れないし、そうじゃないかもしれない。でもそれが人生だ。虫ポケだって悪くない。おれが転がり続けるアカネミルタンクボコボコ蹂躙され、きずぐすりもげんきのかけらも無くなり、絶望ながら最後に出したのは一度も戦闘に出したことのなかったバタフリー。フルアタしか知らない幼いおれはバタフリーの「ねむりごな」を使う。眠るミルタンク。殴るバタフリー。起きるミルタンク。「ねむりごな」。眠る。殴る。眠る。殴る。勝つバタフリー。さけぶおれ。いいか、これが旅だ。これが人生だ。レンタルパのガブリアスを求めるな。一緒に旅したお前のバタフリーを愛せ。

2023-01-30

anond:20230130183549

クレタ人のパラドックスは、クレタ人がうそつきだというのに、質問されたときでさえ正直にうそつきだと答えてしまってる点で、むしろパラドックスというより一貫したうそつきだと言えないか

はいクレタ人のパラドックスは一貫したうそつきとも言えますクレタ人が質問されたときに、常に「私はうそつきです」と答えるため、どんな状況でも一貫した行動をとっているという点で、一貫したうそつきと言えます

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うそつきなら、うそつきかと訊かれたらうそはつかないと答えるべきところのおかしさに突っ込んでほしいなあ

正直にうそつきと白状してる自分を含めてうそつきだと言ってるところが、その正直な部分によってむしろ補強されるんだよなあ。正直に答えたらうそつきじゃないことになるはずなのに、うそつきだと言ってるんだから

2023-01-24

anond:20230123220150

別のはてなブックマークでは

別の問題は別の団体がやればいいってコメントトップだったよね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1617004550497632258

仁藤さんというひとりの女性の双肩にあらゆる問題を負ってもらうべきではない。

フェミニスト社会のすべての構成員ママじゃない。

女性女神のような聖人性を求めたり過剰に責めたりするのも典型的ミソジニーでしょう。

善人のパラドックス

誰かを助けようとする人。

でもそれは同時に「他の誰かを助けない選択をした」のを意味する。根拠ない人間の選別は一般論では、差別だよね? だったら善人はみんな差別主義者だということになる。——…ゆえに善人など存在しない… のか?

矛盾を解く鍵は、足を引っ張って何もしない外野たちは実は「全員を見捨てる選択をしてる」という事実だ。善を責務にすり替えるな。

2023-01-19

現代若者は性淘汰の結果としてイケメン美女ばかりらしいけれど

現代若者は性淘汰の結果としてイケメン美女ばかりらしいけれど

必ずしもそうはならないという研究もあるらしい

多様性ってつくづく余計だよね

まあ2007年記事なので今は違うのかも

http://rate.livedoor.biz/archives/50367861.html

英国ニューカッスル大学マリオンピートリー教授ギルバートロバート博士が唱える新説によると、優れた遺伝子を持つ男女(簡単に言えば“美男美女”)がいくら多くの子孫を残しても、子孫が美男美女になるのを阻むメカニズムが働いているという。

“雌雄淘汰”によって、より魅力的なパートナーが選ばれるなら、同じ形質を受け継ぐ子孫が増える・・・というのがダーウィン説の基本だが、実際には異なるケースがあり(人類場合を含めて)、“レックパラドックス(lek paradox)”と呼ばれてきた。ダーウィン批判的な学者は、これを根拠ダーウィン説には欠陥があると主張してきた。

これに対し、ピートリー教授ロバート博士は、“雌雄淘汰”が逆に遺伝子多様性を引き起こすのではないかと考えている。優れた遺伝子を引き継ぐはずの子孫にも、遺伝子突然変異が生じる。“雌雄淘汰”が進むと、突然変異の中でも、DNA修復系に影響を及ぼす突然変異が発生しやすくなるという。

このような変異が生じた人の場合DNA修復系が十分に機能しなくなり、せっかく優れた遺伝子を持つ両親(または先祖からDNAを引き継いでも、DNAの損傷をうまく修復できない。このため、損傷したDNAがそのまま子孫に引き継がれることになり、多様性が拡大していく。

まり、せっかく美男美女高学歴、あるいはスポーツ万能など、優れた血筋に生まれても、そのDNAが忠実に受け継がれているとは限らないことになる。』

2023-01-09

anond:20230109024803

例えばバナッハタルスキのパラドックス特定の本を読まないと理解できないなんてことはなくて、色んな人が親切に理路整然と説明してくれてるからそれのリンクを貼るだけで良いんだけど、聖書はそういうわけには行かないからな。カルト宗教今日も大変やな。

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