はてなキーワード: ハラスメントとは
anond:20220924123746 の続き。
前回は嗜好面の特徴を書いたが、ポリティカル的な特徴も書いておこう。なおサンプルは二けた以上とだけ言っておく。
Z世代は何かをやろうとしている人を上に見る傾向がある。綺麗事や机上の空論は好まず、とにかくアクションとファクトを求める。逆にやろうとしている人に対して強く非難する人を嫌う。Z世代が左派野党を嫌う理由の本質はここにある。「口しか出さない人」を嫌うのだ。大人になる前からハラスメント教育をあちこちで受けていて、「面前で人を批判する」ことは内容にかかわらず悪であると刷り込まれているのも大きい。
これはよく言われる特徴である。オウム事件などをリアルタイムで見ていないのもあるが、意外とZ世代の周辺にカルト2世の同級生が居たりする。彼らは無理に勧誘して来ずに普通に過ごしているので拒否感を覚える機会がないのである。
上記2点の特徴が合わさったものである。従前から某カルト系(統一教会ではない)が強い学校部活動のジャンルがあるが、Z世代の同部活動経験者の大半はその学校や団体、および所属メンバーを崇拝している。「カルト宗教の広告塔であるから何?素晴らしい成果を見せれば問題ないじゃないか」という考えなのだ。
増田もそのジャンル出身の人だが、ここ数年、沢山のZ世代の人から「某カルトを批判する人達がうざい。直接被害食らっているのならまだしも、そうでない人がうるさく言うな」という類のフレーズを聞いている。直接被害を受けていないのなら、という但し書きがZ世代の考え方の特徴を表しているともいえる。
もちろん統一教会に対しても批判的ではない。それどころか「教団の人がマスコミや氷河期世代以上のおっさん達に叩かれて可哀想」と言っている人がそれなりにいる。
仮に統一教会がこの部活動ジャンルに手を出して来たら、一気に統一教会崇拝が起きる可能性すらあるのだ。既にニュートラルではなく同情的なポジションに居るし、ちょっとお金かけて全国レベルの団体を作れば・・・
前者はメディアでも報じられている傾向であるが、その結果後者の考え方が増えている。30代と比べたら3割くらい多いだろうか。キャリア志向が弱いので、キャリアを捨てて専業主婦になる事に対する拒絶感が無いのだ。しかも「お金持ち捕まえて専業主婦ライフ満喫♪」というお花畑志向ではなく、「つつましく暮らして子供育てよう」くらいの現実的志向である。統一教会と日本会議が望む家族観が既にZ世代の中に浸透しているのである。ちなみに近年、20代中盤の出生率が僅かながら回復傾向にあるが、この結果だろう。
次の世代に期待しよう。
1.統計上、女は男の上位2割に群がる
2.上位2割の群れの上位層は人を使う立場であり、ハラスメントは日常茶飯事
3.女は当然それをわかっていたはず
以上のことから、女のせいなんですよ。
5~1点で採点するとして、3点ぐらいにする奴が多すぎる。
謙虚気取ってればオッケーだと思ってるんだろうけど、違うんだよね。
そもそも日本人って5点満点で評価させると「5・3・1」に分布しすぎる。
そういう「俺はちゃんと評価できてる」感アピールのしやすさを目当てにした振り方やめろ。
とりあえずいいんじゃね?は「4」にしとけばいいんだよ。
いいか?
普通の優秀ラインだよ。ソシャゲで言うとSR+~SSRぐらいの10連で1つ確定するぐらいのだ。それより上?いわゆる☆5やレジェンドはそもそも5段階評価から突き抜けた所にいるから気にすんじゃねえよ。そっから減点して数えても意味ねえから。同僚・部下・上司に神であることを期待するか?人並み以上なら感謝感激だろ?ならお前も「5」って評価すれば良い。
まあぶっちゃけ大体の社畜ジャップはここには入るよ。「はぁ~~~この職場社畜すぎてゴミなんすけど~~~~」と思いながら結局付き合うなら「4」でいいんだよ。だって「普通」に考えた状況より大変なことやって付き合ってんだろ?なら「普通より上の社員」でいいだろ。雑な減点法使うやつは無視しろ。ソイツらは単に明確な基準を自分の中に持てないから架空の最高からの減点で点数つけようとしてるだけだ。ようは自分の中で物差し用意する勇気か知性のないヘタレかバカか両方なんだよ。
狂った「普通」に付き合う社畜にはついてけねえけどやることやってるならここだな。本当の「普通」って奴だ。ぶっちゃけ多少ミスしようが、それが致命的じゃなかったり、他人にリカバー頼む流れを作れるならここより上だわ。自力リカバーはぶっちゃけ「4」の技能だよ。「ミスっちゃいました助けて😭」が言えたらここだ。ミスをそもそも認識できないやつもいるからな……
まあそのミスを認識できない奴がこの辺だな。一緒に働きたくないレベルの始まりだ。ハラスメント野郎だったり、取引先との関係をゴミにしたり、遅刻常習犯だったり、明確な問題を持っててそれが職場のシステムとは無関係の所から生えてきてるような奴らだ。ただ、それでも仕事をする意思があるだけマシな連中が該当する。
マジでいるんだよ!仕事する意識ゼロで犯罪行為や迷惑行為ばかりを繰り返すのが!職場のトイレで毎日ソシャゲするやつだったり、横領を繰り返すようなやつ、会社のデータ盗むためにやってきた企業スパイだとかが。明確な敵としか言えない連中だ。稀に悪意は一切ないけどしょっちゅう機械を壊す奴とか、周囲を次々病院送りにする労災の怪物だったりがいる。ただのハズレじゃなくて地雷。麻雀で引いたら手を崩してベタオリするしかなくなる牌があったりするだろ?こういう奴らを引いた職場はその状態だよ。如何に追い出すかだ。
さあ改めて聞くぞ?
俺の今回の増田は……内容は良いと思うし、長すぎず短すぎず日本語もそれなりだな……ただ一部の人間の人格を否定しているような内容があるので読んだ時に傷つくクズがいるかも知れない……人を傷つけるのは令和のポリコレに反するので大幅減点……「3」だな……
好きに警戒しろ。こっちも好きにムッとしたり不愉快に感じたりネタにしたりするから。
ソロキャンくらい好きにしろ。一人前の大人だろ。自分の行動は自分で決めるんだよ。
ジェンダーに基づく差別はなくすべきなのだから、そんな施設を使ったら男性差別への加担と言われて当然。女性お断りの居酒屋やら男性限定のゴルフクラブやらに行く連中が女性差別に加担してるのと同じだよ。差別はしたいが差別主義者と罵られたくない、ってどういう神経してれば言えるんだ?
結婚をせっつかれるのが嫌なのはわかるし、職場とかだとハラスメントになるだろうが、私的な関係で他人の生活に口を出すのを禁じることはできない(誰だって、家族や友人の私生活に余計な口を出したことの一度や二度はあるだろう)。諦めるか、せっついてくるやつらから距離を取るか、嫌なことは嫌だと言うかしかない。
同上。
マナーとしてそうすべきでない、なら同意するが、そういう視線をなくすのは無理。女だって見栄えのいい男を見たらきゃあきゃあ言うだろ。お互い様ってやつだ。
直接言ってくるのはセクハラだろうしそういうのはよくないが、ネットで「俺はパイスラが好き」とか言うのを禁じるのは無理。
架空の女がどんなふうに描かれてようがあんたの権利侵害にはならん。それこそ表現の自由だ。だいたい献血ポスターやみかんのポスターといったこれまで騒がれてきた案件のどこが「過剰に性的」なんだか。過剰に潔癖すぎるやつらに配慮してたら何もできんわ。
好きに逃げれば? こちらも好きにムッとしたり以下略。キレて追いかけてくるのはどう考えても異常者だから警察に通報したり悲鳴を上げて周りに知らせたり突き飛ばしたりしろ。
そもそもなんでアメリカでハラスメントや差別があれだけ問題にされるかっていうと、日本の比じゃないくらいのゲロヤバなハラスメントや差別が横行してるからなんだよなあ。
海外とかに行くと警察組織なんて機能してなかったり、たとえば俺はよくアメリカにいくけどそこらじゅうで薬物中毒者がメチャクチャなことやってるわけよ
で時々被害にあうわけだが警察なんて誰も期待してないわけ よくある話だが、アメリカの警察は犯罪者の敵であって弱者の味方ではない 市民もあんまり期待してないし自衛するしかない
日本に帰ってくると(昨今の治安悪化を考慮してもなお)平和だな~と思うし警察に言ったら一応は話を聞いてくれて、(性犯罪で行ったことはないけど)多くの場合は何度か行けば一応動いてくれたりもする 全然対応が違う
具体的にどこの国がそんなに意識高く女性の権利を守ってるの?逆に教えてほしい。俺が行った国で警察を頼れたことなんてあんまり無かったし、そもそも警察にそんなに期待してる国もそんなになかった
俺が滞在してた会社とかは結構上流の人ばっかりだったからみんなハラスメントへの意識も高くてそういう問題ほぼ起こらなかったけど、少し階級が落ちるともうめちゃくちゃだよ
日本でも同じレベルの会社なら普通にハラスメント対応バチバチにやってるじゃん 中小企業とかは同じくめちゃくちゃだろうけどな
https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2022/0906a.html
○ 次に、防衛省・自衛隊におけるハラスメントの根絶についてであります。
防衛省・自衛隊においては、長くハラスメント防止対策に取り組んできたところでありますが、相談件数の増加の一途をたどるなど、引き続き、重大な問題となっております。
ハラスメントは、基本的人権の侵害であり、また、自衛隊の精強性を揺るがす、決してあってはならないことであります。
このため、本日、関係幹部を集め、「ハラスメントの根絶に向けた措置に関する防衛大臣指示」を発出いたしました。
指示事項は4点であります。
全職員に対し、改めてハラスメントの相談窓口・相談員を周知徹底の上、相談・通報を指示すること、
2つ目、現在のハラスメント相談の対応状況を緊急点検し、全ての案件に適切に対応すること、
4番目に、ハラスメント対策の抜本的見直しのための有識者会議の設置であります。
また、現在行っている、元陸上自衛官のセクハラ被害事案の調査について、更なる公平性・第三者性の確保のために、本件調査を主導する者として、防衛監察本部所属の検事及び検察庁からの出向事務官の2名を、4日、東北方面隊に派遣しました。防衛省として、ハラスメント防止対策になお一層しっかり取り組んでまいります。
うんうん。
端的に要約すると「外に漏れちゃったセクハラの件は息のかかった連中によって封殺するよ。これから新たに文春砲が飛びそうな案件は漏れる前に頑張って封殺するよ」ってことだね。
丁寧に見ていくと
これはつまり「外の相談窓口に相談されないように、身内の窓口にだけ相談するように徹底させろ」ってことだね。
身内の窓口に最初に来てくれればさも親身になって聞いてるかのようにしてなあなあにしながら情報を集めて、後々のために先回りして相手側に不利な証拠を集めたり逆に証拠を潰したり出来るものね。
いきなり外側に通報された場合でも、ことある毎に「まずは身内に相談してほしかったのにな~~」って空気を醸成しておけば部隊の中で「外に通報するやつ≒裏切り者の悪」って空気が生まれるよね。そうすれば反発心からハラスメントを受けた側に不利な証言をすることが多くなるわけだ。自衛隊ってボイスレコーダーとか持ち込めないから上手くやれば「その場にいた全員が知らない。本人の被害妄想や狂言」ってことで片付けられるよね。
これは要するに「今回のニュースを受けて自分も外に通報しようって動く奴がいると思うから、急いで先回りをしておけ」になるね。
上で書いた内容をノンビリやらずにスピーディーにせよってことだね。ボイスレコーダーこそなくても日記や記録帳ぐらいはあるかも知れないし、営内者や艦艇乗員ならこっそりベットの下を同室の人間に調べさせるとかもしてるかもね。
これはちょっと難しいけど「全員に向かって嫌がらせをすることで、通報した人間に対してヘイトを向けさせて、これから通報しようとする奴の心にダメージを与えたり、不利な証言をする人が増えるようにしよう」ってことかな。
特別防衛観察ってのは「普段なあなあで仕事してる自衛隊とは思えないぐらいの超厳しいチェック」をするってこと。これは本当に厳しくてもしも不正が見つかったらドンドン取り締まられて出世や給料にガンガン響くから皆されたくないと思ってるよ。こんなのに付き合った分だけ仕事も遅れるしね。
自衛隊(に限らず自民党政権下で働いてる公務員達)って守る気なんてまったくないくせに上辺のルールだけは凄い厳しいんだよね。「どんな些細な事でも個人情報の書かれた書類は凄く厳密に扱って、凄く一部の人しか見れないようにしましょうね」ってルールを作るだけ作るんだけど、それが現場と全く噛み合ってないから皆日常的に破ってるというか破らないとそもそも回らない仕事がどんどん降って来るわけ。
そんなことしてる時に突然「ガサイレだ!壁に手を付いて質問されたことにだけ答えろ!」って言われたら、いつもどおり仕事してただけの人がドンドン捕まっちゃうんだよね。もう最悪でしょ?それで生まれた恨み辛みをハラスメントを通報した人に向けさせて孤立させたいんだろうね。まさにカルトや詐欺師の洗脳プログラムみたいなもんだね。サイテーだサイテー。
自民党の口にする「有識者」がどういう人達なのかを考えたら、もう答えは見えてるよね。お友達を集めてもみ消しとトカゲの尻尾切りをするための会議を開くねってこと。もちろんマトモに再発防止なんて考えないよね。
うーん……実に最悪な話だねー。
さも耳触りが良さげなことは言ってるけど、いつも使ってる表現の裏が読めればそれが単なる偉い人達の保身のために下級国民を奴隷のようにぞんざいに扱う方法を丁寧に考察しつつ、都合の悪いことは隠そうとしてるだけ。
こーいう話だとつい「自衛隊って相変わらず帝国陸軍の頃から引きずったゴミモラルなんだね」って言いたくなるが、一番トップの防衛大臣が腐った自民党議員だってのを思うと、結局諸悪の根源はトップが自民党なことなんじゃねと思うわけ。
しっかし酷い職場だよね。
「我々は労働基準法を採用しておりません。基本的人権も採用しておりません。何故なら軍隊だからです。自衛隊法にそう書いてあります」だけでやっていけた昭和の価値観のままずーっとやってるんだから大したものだ。
そこから新しい世代が脱出を図ろうとしたり外圧がかかっても、最後は昭和脳の自民党議員が鶴の一声で全部元に戻しちゃうわけだ。
いや本当駄目な職場だよ。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』