はてなキーワード: ジェンダーとは
女性と、それより年齢がかなり上の男性との恋愛が、年齢差による権力勾配を背景にしたグルーミングであり排すべきもの、とされるのはわかる。
しかし、もし権力勾配を問題にするならば、経済力や知能(偏差値)による権力勾配のほうが遥かにはっきりしており、深刻なはずである。
よって、年収に大きな差のある男女の恋愛、偏差値が明確に異なる男女の恋愛もまた、禁ずべきである。
したがって恋愛は、年齢も経済力も偏差値も容姿もほぼ等しい者同士にしか許されるべきではない。
そしてそもそも、現代のジェンダーギャップを背景とするならば、男女の恋愛そのものも権力勾配が前提であり、あってはならないことである。
つまり恋愛は、年齢も経済力も偏差値も容姿もほぼ等しい「同性」同士にのみ権利が与えられる、極めて限定的な行為なのである。
それ以外のものが子孫を残したいのであれば、人工授精から出産、育児までが完全に外注化、オートメーション化される未来を待つしか無い。
テイラー・スウィフトの記事を読んだけどアメリカで有名人になるには「LGBTじゃないとダメ」ぐらいなところあるよね。
性自認と性指向の違いもよくわかってないんだけど所謂ストレートとかシスジェンダーみたいな一般人は求められていないというか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c6d7c0ca303a19ee3751549a5cbae747da500df
ジェンダー?政治?どっちも無駄。自分の意見は持ってていいけど、他人と討論する意味なんて無い。争いしか生まない。
地震?寄付と備蓄の買い増しだけしてあとは忘れるよ。素人の俺が口を出せる分野じゃないだろ。
松本人志?あんなの当人同士の問題だし、叩こうが擁護しようが話題に関わってるなら同じ穴の貉だ。無視にかぎる。
ネットの言論はノイズが多すぎるのと、それに関わってる人間たちのどうしようもなさがキツい。
ミュート機能を駆使しててもそれをすり抜けて情報が入ってきたりするし、油断するとそういう話に言及しそうになる。
続き
2022年4月の県民からの申立を受けて、2023年8月30日に苦情処理委員が県教委へ提出したもの。
県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員が調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。
勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。
これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。
県教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校の主体性を尊重する必要があることなどから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html
女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。
条約全文
https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html
第10条
締約国は,教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとる。
(c) すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割についての定型化された概念の撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育を奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画を改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。
勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学を奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子と平等の権利を確保すること」とある。
半世紀前の世界で女子の教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代の埼玉県において、この条文を根拠に目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。
勧告要旨の2点目について、管理職・教職員の男女格差是正は必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。
男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。
他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。
埼玉県男女共同参画推進センターが主催するイベントに毎年出場しているらしい。
第21回 With You さいたま フェスティバル出展参加団体紹介
https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku
代表者氏名 清水はるみ 会員数 100人 所在地(活動拠点) 鶴ヶ島市
2001年9月、私たちは「埼玉県内のすべての公立高校を男女共学に」をめざして、「共学ネット・さいたま」を設立しました。
2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿の使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動の母体として、様々な活動に取り組んできました。
WebサイトやSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。
10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。
団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。
7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティの観点から別学の意義を主張している。
女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である。
7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。
最後に、埼玉県立高校の管理職や教職員の格差等については、県教育行政の問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである。
勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。
ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。
別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人の感覚であろう。
今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。
12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者(在校生・卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。
現在(1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。
Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生・卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。
賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的なものであるように見える。
特に関係者以外からのコメントは実感のこもった真摯なものが多く感じた。
一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。
勧告書の内容や経緯を誤認しているもの、卒業生が個人的な思い出のみを根拠に感情的に反対を叫んでいるものなど。
中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視し対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身の品位も矜持もないものかと残念に感じた。
そもそもの議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名の説明に勧告書と意見書のリンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。
勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。
しかし勧告書が提出され議論の俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである。
浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名の活動は意義あるものだと思う。
同人時代から好きだった作家さん、ずっとフォローしてたのについに外してしまった。
商業デビュー済みで、書籍を購入してマシュマロ経由で感想も伝えているぐらいのファンだったんだけど、今回の震災でどうしようもなくムリになってしまった。
もともとジェンダー問題でやや左寄りの見解を示していたのだけど、だんだんとその傾向が強くなってアンチ自民の発言が増えてきた。
(ジェンダー問題については最初はまだ穏健だったのに、アンフェに対抗しようとしてどんどん激化していった印象)
それぐらいなら別に気にならなかったのだけど、今回の震災で止められているのに勝手に現地入りした某党首を持ち上げるようなポストをリポストするようになって、自分が被災地域に近いところに住んでいることもあり、これは完全にもうダメだ、目に入れたくないと思った。
最初はリポスト先をブロックすることで対応していたけど、「あれをRPするような人」と思うとやっぱりタイムラインにいて欲しくないという気持ちのほうが勝った。
震災が発生してもインプレ稼ぎのデマが流行るだけ、デマに踊らされて拡散する一般ユーザたちも多数出現してしまう
こんな時でも男叩き、女叩きの余念のないジェンダー界隈
とかく嘘くさい「ジェンダー」「フェミニズム」「夫婦間トラブル系」
「こんな時代錯誤なこと言われた系」「身を弁えない婚活者系」などの話題
ほとんど作り話なのに、皆こんな話題が大好きで快楽を伴う脳の攻撃指令に逆らえずにキーキー言いながら「いいね」を押しちゃう
Xは社会性が低くて攻撃的な異常者があまりにも多くて、その異常者たちが仲間を見つけやすい環境だからひたすら異常性が加速する
X見てると気分悪くなることの方が多くなってきたから一時見るのやめてみるわ
わたしはジェンダーの記事で啓蒙されていたので、テレビに映った被災地の避難所を見て
「避難所では性加害や性暴力がはびこるらしい。心配」と感想を漏らした。
すると、それを聞いた母から
「今大変な思いをしている被災者に向かって、なんと失礼なことを言うのか」と叱られた。
これ、おかしいよね。
確かに大変な思いをされている方が大半だとは思うけど、それと性犯罪者がいることとは両立する。
能登半島の、しかも自らが被災している人々の中にも、性加害・性暴力の犯罪者が紛れ込んでいる可能性がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2fd42a1a9b0bdcb7da92610f85be6fb317d9a25
さらに「加害や暴行に及ぶ人が一人たりともいないよう祈ります。一人で行動しないなど、自衛を呼びかけることも大事だと思いますが、まずは加害や暴行をするなと、声を大にして言いたい」と主張。被災地や被災者を苛む卑劣な行為に及ばないよう、強く戒めた。
「加害や暴行をするな」、これはつまり能登の被災者にも発せられた言葉だと思う。
災害支援隊やボランティアも続々と入ってきているが、まだ構成員の大半は能登の被災者。
橋本さんのように、被災者に心を寄せつつも、被災者(と後で入ってきた他の地方の人)に他人への加害や暴行を決してしないように戒めるのが大人の態度だと感じる。
トランスとか誰も認めてないんで。性表現や見た目を心の性とか呼ばせるのやめろ
ジェンダーレス・ジェンダーフリー・ノンバイナリー勧めてください
グランジとは、1980年代後半から1990年代前半にかけて、アメリカのシアトルを中心に発展したロックの一ジャンルです。
グランジの特徴は、ギターの歪みやフィードバック、重低音のベース、力強いドラム、そして感情を剥き出しにした歌い方です。
グランジの歌い方は、男性ボーカルが多く見られますが、女性ボーカルも存在します。
女性ボーカルがグランジな歌い方をする場合、どのような特徴があるのでしょうか。
一つ目の特徴は、声質です。グランジな歌い方をする女性ボーカルは、一般的に低めの声やハスキーな声を持っています。
これは、男性ボーカルと同様に、声帯に負担をかけることで生まれる効果です。
低めやハスキーな声は、グランジの重厚なサウンドにマッチしやすく、また感情の高ぶりや苦悩を表現しやすいと言えます。
グランジな歌い方をする女性ボーカルは、一般的に社会的な問題や自己の内面について歌っています。
これは、グランジが反体制的な姿勢や自己表現の重視という思想を持っていることに関係しています。
女性ボーカルは、男性ボーカルと比べて、より個人的な視点から歌う傾向があります。
例えば、セクシュアリティやジェンダーの問題、家庭内暴力や虐待の経験、恋愛や友情の葛藤などです。
三つ目の特徴は、パフォーマンスです。
グランジな歌い方をする女性ボーカルは、一般的にステージ上で激しく動き回ったり、叫んだりします。
これは、グランジがパンクロックやヘヴィメタルという音楽的な影響を受けていることに関係しています。
女性ボーカルは、男性ボーカルと同様に、自分の感情を爆発させるように歌いますが、同時に女性らしさやセクシーさも演出します。
ジェンダーも、政治も、有名人の不祥事も、SNSの争い事も、全部俺たちの問題じゃないんだよ。
ご飯食べて、働いて、家事やって、簡単な娯楽を消費して、寝る。生活ってそれだけでいいんだよ。
ネットを見てると苦しいでしょ?自分の意志と違う話を読み解くのは疲れるよね?
先に言っておくと、雑に書けば殴られる形で集合知が集まるという例のやつのつもりで書いてるのでみんな気軽にボコボコにしてくれ。
女流棋士の話題になるとはてなではジェンダー論と安易に結びつきがちで変な論争が起こるため整理されたいと思い、増田の見解を書く。
そりゃ一般人に比べたら強いに決まってる。
プロ棋士は強ければ男でも女でもなれるし門戸も平等に開かれている。ただ、その門戸を突破した女性がまだ一人もいないのが現状であり事実である。
⚫︎なぜ男はプロ棋士になれるのに女はなれてないのか
とんでもない天才がひしめき合う世界なので、毎月数日コンディションが落ちるという生物的違いがとんでもない大きな差になるのかもしれない(対局日当日がその日に当たることももちろんあるだろう)。将棋とは関係ないところで男性相手に鎬を削るということにプレッシャーを感じるような「女は男を立てなくてはならない」「女は男に勝てない」等の刷り込みを社会生活のなかで学習しているということはあるかもしれない。後述するが女流棋士という枠の存在の影響もあるかもしれない。とは言え、プロ棋士になれるかなれないかの奨励会は勝敗がすべての世界であり、男の成績に下駄を履かせたりみたいな差別は一切存在しない結果がすべてである。
⚫︎女流棋士とは何か
そこで登場したのが女流棋士という枠だ。日本将棋連盟の役割はなにも「将棋が強い奴を選り分ける」だけではない。「より多くの人に将棋を楽しんでもらえるよう普及活動に励む」も日本将棋連盟及び棋士を生業とする人間の立派な役割だ。
そしてそうなってくると将棋界が男しかいないむさ苦しい世界だという事実は都合が悪い。別に門戸は開いているはずなのに、女性プロ棋士は一向に誕生しないのである。
こうして生まれたのが女流棋士という枠だ。プロ棋士とは別枠で、プロ棋士にはなれないけどちゃんと将棋を理解してて将棋が好きで将棋が強い女性には将棋を生業として生活できるように女性枠を設けますよ、という話だ。
これは、普及活動という点で男女差はなるだけ埋めたい女性にも将棋は楽しいものだと思ってもらいたいというそのままの意味でのアファーマティブアクションだとも言えるし、まあ解説やイベントの際に華を添える客寄せパンダ的なところがあるだろう点ももちろん否定しない。
プロ棋士になれるほど強くないやつでも、女なら女流棋士にしてあげるよ、それが女流棋士だ。
前項で書いた通り、女流棋士は必要により作られた女枠という認識ではある。が、閉ざされた男だけの世界に急遽都合の良い女が駆り出されたわけではない。平等な勝負の世界で女性が勝ち上がってこなかったので「これはまずい」と設けられた枠なのである。
女流棋士という概念自体は経緯を踏まえてもまったく悪いものではないのだが勿論弊害はあると増田は考えている。
まず一番大きいのは、プロ棋士を目指すための奨励会員と女流棋士を兼任できる点だ。つまり女流棋士のリーグ戦を戦いながら、奨励会でも戦う。女流棋士になれば解説やイベントなどの仕事も発生する。一方で奨励会で戦う男たちは「ここで勝てなかったらすべてが終わり」の人間たちだ。勝敗へのこだわりや思い入れに差が出るのは推して知るべしだ。
プロ棋士になるための奨励会での勝負への準備という点で言えば女流棋士も兼任できるという二足の草鞋が大きなハンディキャップになることは想像に容易であるし、女流棋士という生き方を選べることそのものが「逃げ道」として機能してしまうこともアファーマティブアクションという理想が善く機能することはいかに難しいのかという話にも繋がっていくのだと思う。男が一般職を選ばないとか、チルドレンと呼ばれる女性政治家とか、色々な類似例が想起されるが、完全実力主義の将棋の世界ですらアファーマティブアクションによる功罪は発生するのである。
ジェンダーを考えるための将棋などまったく馬鹿馬鹿しいが、全くすべてが勝負の世界である将棋界がどうなっていくのかというのは、その点においても興味深く思っている。
https://font-da.hatenablog.jp/entry/2023/12/30/103256
生身の身体を持ち、苦しんでいる人々を前にして、哲学研究者が何をすべきかという問いである。哲学研究者の知的ゲームのために苦しんでいる人々を素材することは倫理的に許されない。そのことがわからない哲学研究者は、あくまでも論理の世界でのみ議論を展開し、人々にかかわる学際領域に踏み込まなければいい。
「苦しんでいる人々」を助ける結論であれば問題ないの?まさか結論次第で扱える・扱えないが変わる?もし結論に関わらず禁止するのであれば、「苦しんでいる人々」を誰が哲学的に考察するの?(「苦しんでいる」って何?苦しんでいる人がいない領域ってどこ?哲学は人を救わないといけないの?哲学が人を苦しませてはダメ?)
ジェンダーに限らず、社会課題を論じるのに哲学議論が必要なことも多いはず。ジェンダーだって従来から援用しているんだし。意見を違えた研究のみ「倫理的に許されない」とされるのはおかしいよ...。と思いました。
女性と性的関係になることはおろか、何なら女性と会話したり、場合によっては女性に関することをなにか発言するだけで「性加害者」になってしまって、その基準も「海外のジェンダー研究と活動の成果」によって次々と変わっていくっていう時代だから、まともな男はリスク回避のためにもう助成と一切関わらない、女性についての発言すらしない、っていうことになる。
そうなると、女性と接点を持つ男はそういうことを一切考えないろくでもない男ばっかりになって、ますます男は敵視されるようになるから、もうどうしようもないね。
小レベルになるとネットで話題のものやジェンダー関連が取り沙汰される。軽犯罪も含む。
例えば渡部の不倫やNGT48の話が入ってくる。政治家の問題もここだ。
後ろにいる芸能記者、という名の芸能事務所の伝言係(本人が強烈にミーハー)のコメントを求めたりする。
これは松本MC時代だがこの議論の終盤、松本のがそのネタを嘲笑に使う。
よくあったのは「○○さんもしてるんじゃ」とかいう共演者に振るネタだ。わりとワンパターン。
ここで中レベルの問題はお茶の間で笑ってしまうカテゴリに分類されるようにできている。
全体を通して不謹慎をテーマにしている企画番組ではあると思う。
言いにくいことを話題にしてネタにする的な、ブラックジョーク番組だったはずだ。
が、だんだんと松本の立場が権力を持った芸能界のご意見番化していった。
ワイドナショー自体が切り取り的な報道をしているのを棚に上げて、自分はこのテーマに関して真剣に話しているんです、というスタンスをとるようになっていた。
番組を理由を明かさずに休み続けて、卒業のときにはこうコメントした。
「(裏番組の)『サンジャポ』のみなさん、来週からは(視聴率で)ぼろ勝ちすると思う。僕が抜けたワイドナショーは屁みたいな番組だと思う」
そしてこのコメント自体、松本をいなすためにつれて来られている東野や他スタッフに関してリスペクトもなく、ただ彼の世界には彼しかいないのだという印象をもたらすだけなのだが、そこまで松本は考えが及んでいなかったのだと思う。
X(旧ツイッター)を見ていると、罪を認めるのも認めないのも含めて、大いに周辺に迷惑がかかっていることにフォローの言葉もない。
それでも自分は助けてもらえると信じているのだろうが、
このような態度では信頼は失っているも同然だろう。
本人はこの問題が世界各国でどれほど記事にされているのか知らないらしい。
これについて責任感は一切なかったのだとしたら、彼はもはやモンスターだと思う。
改善はない。
少し前に、GACKTが忘年会での酒豪エピソードをXでシェアしたというネットニュースに多数の批判的なコメントが付いていたのを覚えているだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dfe3707804a61a686408af753ac213a1c689d53
「酒が強いのは自慢するようなかっこいいことではない」「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」といった具合である。
こう批判する人たちは、井上尚弥の闘う姿を見ても何も感じないし、「馬鹿らしい」と一蹴するのだろうか。無茶な理論に見えると思うので以下に補足する。
酒が強いことが男らしい(ジェンダー分けしたいわけではないが、特に男性にこの傾向が顕著に思えるためこう描写することとする)とみなされる背景には、格闘技と通ずるものがある。
相手からのパンチをもらわない、もらっても平然としている格闘家の姿を見て人は容易に「男らしい」「強い」「かっこいい」というイメージを抱くものだ。アスリートとしての動きや能力の高さに加え、怪我や命の危機への耐性の強さという、ヒトという生物としての生命力の高さに対する根源的な憧れが私たちの無意識に刻まれているためだ。
酒が強いことが未だに称賛される理由にも同様のものがある。アルコールという人体に有害で言動を狂わせる毒を大量に摂取してなお、顔色も変えず平然とし、嬉々としてさらに酒を飲み続ける姿に、私たちはヒトとしての生命力の高さを見ているのだ。この根源的で無意識な憧れは、文化や科学が進歩してなおヒトがヒトである限り続いていくことだろう。
「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカを助長するな」これはもっともであるが主旨を少々はき違えているように思われる。多量の酒に酔って人に迷惑を掛けるレベルの人間は本当の酒豪からすればそもそも称賛される対象ではない。プライベートで人に拳を向ける格闘家、あるいはパンチを放つは良いが相手からもパンチを容易に喰らってすぐダウンする陳腐な格闘家のようなものだ。そうした人種は酒を多量に飲むべきではない。
「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」これももっともである。しかし酒自慢をする漢はこれを承知で酒席というリングに上がっている。格闘家が、後年脳や身体へのダメージに苦しむかもしれないにも拘らず競技を続けるのと似ている。
酒豪とは格闘家である。将来迎えるかもしれない心身の崩壊に目をつぶり、酒席に上がって己の生命力の高さを見せつける事にこそ彼らの刹那的な悦びがある。
さて、大抵の格闘家は30代半ばには引退する。心身の衰えを自覚したり、将来へのリスクを鑑みることが多くの場合その理由である。同様にまともな酒豪家も、いい大人になるころには大抵その競技から身を引くものである。
何が言いたいか。50歳にして酒豪の第一線に身を置いている(つもりである)GACKTが笑われる根源的な理由はここにある。53歳にしてなお格闘技の一線に身を置く辰吉を見て人が苦笑いするのと似ている。
https://b.hatena.ne.jp/gowithyou/20231228#bookmark-4747017933468295151
id:gowithyou ブコメ「男の子は踏ん張って泣いちゃいけないしカッコつけてなんでもないふりをしなくちゃいけないから」って何だ?この時勢にジェンダー押し付けたうえで子供でもないのに「男の子」って…これに星付いてるのも謎
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746694842812753103/comment/gowithyou