2023-12-30

これありなの??

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2023/12/30/103256

生身の身体を持ち、苦しんでいる人々を前にして、哲学研究者が何をすべきかという問いである。哲学研究者知的ゲームのために苦しんでいる人々を素材することは倫理的に許されない。そのことがわからない哲学研究者は、あくまでも論理世界でのみ議論を展開し、人々にかかわる学際領域に踏み込まなければいい。

「苦しんでいる人々」を助ける結論であれば問題ないの?まさか結論次第で扱える・扱えないが変わる?もし結論に関わらず禁止するのであれば、「苦しんでいる人々」を誰が哲学的に考察するの?(「苦しんでいる」って何?苦しんでいる人がいない領域ってどこ?哲学は人を救わないといけないの?哲学が人を苦しませてはダメ?)

ジェンダーに限らず、社会課題を論じるのに哲学議論必要なことも多いはず。ジェンダーだって従来から援用しているんだし。意見を違えた研究のみ「倫理的に許されない」とされるのはおかしいよ...。と思いました。

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