はてなキーワード: ギリギリとは
3時間超えの映画は割とゴロゴロあるけど、4時間超えはそうそうない気がする
長い映画の代名詞の『戦争と平和』はスターウォーズみたいにパート分けされてるらしいし
愛のむきだしも4時間行ってるかと思ったけどギリギリ超えてなかった
探せばあるんだろうけど、ある程度メジャーなところではかなり珍しそう
ディレクターズカット版とかでギリ行けそうな感じなのかな
相手の自称カップだったので本当にそうなのかは知らんのと、アンダーがいくつかは知らんという前提なのでテキトーだが。
大学の後輩。飲みの席で向こうが自分のちっぱい具合を自虐トークし始めた流れで頼んだら横パイまで見せてくれた。なかなかの絶壁具合で横パイと言いつつ普通に乳首が見えていたのはコメントしなかった。平たいおっぱいに対して乳首の存在感が妙に目立っておりこれはこれでアリというかエロいなと思った。触らせてはくれなかった。残念。以後そいつと普通に話している時に「そういや今日の乳首はどんな感じなんやろな」と時々考えずにはいられなかったが特にそれ以降の発展は無かった。てかそれなりに仲のいい先輩後輩ではあったと思うが特にお互いを好きではなかった。余談としてそいつはちょいちょいノーブラで大学に来ており、乳首を知っている俺には状態が一目瞭然であった。
昔の彼女。ブラ着用状態だと割と盛られておりなんとなくCくらいかなと思っていたが脱いだらこじんまりとしていた。ただおっぱい感のある形ではあり全然おっぱいだった。乳首の感度が良くて乳首舐めが楽しかった思い出。おっぱって頑張って寄せて上げなくてもごく普通にブラで盛られるもんなんやなあということを俺に教えてくれたおっぱいであった。
昔のセフレ。盛るのが嫌だったらしくブラ着用状態の印象そのまんまだった。なんかこじんまりとした可愛いおっぱいだった、とコメントしたらめっちゃ怒られたけど。おっぱい全体の感度が弱くて胸を責め過ぎるとすぐ嫌がられたのでなかなか取り扱いの難しいおっぱいでもあった。片方だけ軽い陥没乳首でエロくて大好きだったが本人はそれを嫌がっていた。
昔のセフレ2。ちゃんと測ればDあるはずなんだけど痩せたからCというのをやけに言い訳がましく言っていた思い出。割と頑張って盛っていたので服着てる状態だと露骨に胸が大きく、かつ胸元開いてる服を好んでいたのは脱いだ状態のコンプレックスの裏返しだったのかどうか。Cあるとちょうどお椀型っぽい感じで脱いでも全然良かったんだけどなー。所謂、美乳ってCかDかなという感じ。乳首そのものではなく、乳首の周囲の感度がやたらよくてその辺を良い感じに擦る技術を俺に教えてくれたおっぱい。
援交経由で仲良くなった援交相手兼セフレみたいな感じの子。相手が金に困ってないタイミングや良い感じに機嫌を取れるとタダでやらせてくれた。CとDはなんかあんま差を感じなかった。強いて言えば鍛えてるかどうかが大事かなーと思う。鍛えてる子のDはすごい美乳感でよろしかった。感度の良いおっぱいでもありセックスが大変楽しく月1以上で3年くらいちょいちょい会っていたのだが大学卒業を機にそーゆー系は完全に辞めるとのことでお別れ。超さみしかったが仕方ない。だいぶ年数が経過してからたまたま子連れで歩いているのを目撃しオッサンは勝手に涙した。
Twitter経由でたまたま知り合って数年単位かけて何となく仲良くなった子がEだった。ソフトボール経験者でめっちゃ鍛えてたせいかEなのにちっとも垂れてなく数字以上の大きさで感動した。直接見た中ではベスト巨乳。ただ感度のイマイチなおっぱいだったが、下の方の感度がやたら良くめっちゃ中イキしてくれたのは今でも思い出すと愚息も昇天。その子が高卒就職してて通勤中に事故ってケガった時にちょいちょい通って生活の面倒をちょろっと見たり食品の差し入れをしてたりしたら途中からお礼つってやらせてくれた。当時18歳と6カ月とかで「すげえ!肌のハリってこういうことなんだ!」と感嘆したものであるが、それを素直に伝えたらめっちゃキモがられたのは反省。てか直接拝んだ中で顔面スタイルその他総合的なビジュアル点数でベストの子であった。その半年後くらいに彼氏を見つけ付き合うようになり俺とセックスはしてくれないようになったが、その彼氏がDV野郎で2回中絶してから消息不明。今何をしているのか知らないが元気でいてほしい。
パパ活で知り合った女子大生。ギリギリ型崩れしていない感じで、なんというか面積の広いおっぱいであった。仰向けになった状態で「えっそこもうおっぱいなの?」と感動した。手で寄せて上げるのが楽しかったがおっぱいの感度は良くなかった。クリを自分で開発し過ぎててちょっとクリをいじるとイキまくるのは清純派っぽい見た目とのギャップでエロかった。4回くらい会った段階で「今回だけ会う前の前払いでお願いできないか」と頼まれ、まあこんだけ仲良くなったからええやろと思って振り込んだらバックれられた。仲良くなったと思っていたのはオッサンの勘違いやったんやね……。別にそれを悪用したりとか報復しようとかは思わないが、本名住所が知られてる(頼まれて自宅まで送っていったことがあるため)相手によくバックれなんてするもんだなあと悪い意味で大変印象に残った。
大学の同級生。飲んだ流れで1回だけヤった。自称ちょいポチャの巨乳であったが、勘違いするな。お前は巨乳ではなくデブである。確かに胸はデカかったが腹回りに萎えた。
高校の先輩。社会人になってから共通の知人経由でちょろっと仲良くなって飲みに行った流れでヤった。お前は巨乳ではなく単にデブである。セックスしてからガチ後悔したのはこの時だけ。
だいたいそんなかんじ。
ツイッターでバズりそうな140文字ギリギリまで使用した創作実話を考えてください。
ChatGPT
「今日、友達に誘われて初めてのフルマラソンに挑戦した。スタートから10キロのところで足がつってしまい、その後も何度も膝を痛めながら走り続けた。そんな中、見知らぬおばあさんが道端に座っていた。そのおばあさんに「頑張れ」と声をかけられた瞬間、不思議な力が湧いてきて最後まで完走できた。今日はそのおばあさんに感謝。」 #ランニング #感動の一日
退職して地方国立大学の博士課程に進み、今春博士課程取得予定の者です。
巷を見ていると社会人博士は多いですが、退職して(企業の後ろ盾なく)D進する人はあまり見なかったので情報共有しようと思います。
追記:サンプル数=1の標本なので、過度に一般化しないでください。他の退職D進事例を並べて読むことをお勧めします。
お金はどうしても必要です。あなたが親に支援してもらえるならここは読まなくていいです。
私の場合、頭金約100万円必要でした(入学費+前期学費で60万円程度+引っ越し+半年分の生活費)。東京or大阪だと税金(住民税+国民健康保険費)や家賃が高いため、200万円は見たほうがいいと思います。私立大なら更にこの倍は見たほうがいいかと(あなたが家族持ちの場合は、さらにその数倍は必要に思えます)。授業料免除は積極的に活用すべきですが、入学費と前期学費の免除は難しいです。これは、所得課税証明書(源泉徴収票)に前年度の社会人としての収入が記されているためです。
入学後もバイトしないと生活は維持できません。私は授業料免除+日本学生支援機構奨学金+TA(ティーチング・アシスタント)をフルに使い、かつ週3(15時間)バイトしてトントンでした。確定申告して気付くと思いますが、収入が非課税ギリギリで同世代の1/5くらいになります。比較して心を病まないように。
学振(DC,PD)は期待できません。社会人から研究持ち込みのパターンでは、ツテもコネもありません。博士に入る前に受け入れ先の先生とよく相談して、研究計画を立てて狙うのが良いと思います。
(そもそも、地方国立大学で学振はとれないと思った方がよく、採択されなくても落ち込むことはないです。とれたあなた、相当優秀です。)
おそらく、博士取得のためには論文誌(ジャーナル)X本、国際会議Y回発表というノルマが課されていると思います。それを入学前に確認した方が良いでしょう。なぜなら、論文の査読から採択・掲載まで半年持っていかれることはザラにあるため(分野によります)、それを見越しておかないとノルマを達成できないということが起こりえます。
旧帝大クラスではX=3が多く(分野によります)、課程博士(3年)の場合は年1本のペースで論文を書かねばなりません。博士スタートの場合、修士からのエスカレーターと比べハードルが高いです。博士に入る前に論文のネタを1本準備しておくなどの対策は必須でしょう。
研究室に入った段階で自分の研究デザインが出来上がっていたほうがよいです。学振を書く際に必須になりますし、博士審査でもその点は何度も聞かれます。
研究所に入る場合、先生や就職事務と相談して空いてる研究者ポストがないか探すことになります(研究者採用は一般にオープンではないです)。年度末ぎりぎりまで採用が開かれているので(今でも面接しています)、諦めずに頑張りましょう。面接では研究内容を発表する機会が多くありました。自分の研究内容をまとめたスライドを作っておくと良いでしょう。
民間企業に就職する場合、あなたの扱いはおそらく第二新卒になります(就業年数にもよる)。新卒というくくりですが、面接では中途とほぼ同様の問答が起きます。たとえば「どうして前の企業をやめたのか」、「なぜ博士に入ったのか」、「あなたのできるスキルは何か」、「前の企業で公にできる成果物はあるか」、「あなたの研究は弊社の何に役立つのか」はほぼ確実に聞かれます。このあたりの回答ははっきりさせておくと良いでしょう。職務経歴書の準備も必要です。
中小企業にとってはあなたの存在は重く、採用を渋られることが多々あると思います。めげずに頑張りましょう。また、インターンシップの参加は絶望的と思った方がよいです。私は1つも受かりませんでした(私の能力がないだけかもしれません)。企業の立場になって考えると、一度社会に出た者にインターンさせてどうするの?というのはあると思います。
課程は一般的に3年の長期戦になります。体調管理に気をつけましょう。
リタイアした人は、ほとんど精神を病んで大学に来なくなる(連絡も取れなくなる)パターンを踏んでます。対策としては、よく先生(友達)と連絡をとる、研究以外の趣味を持つ、散歩でもいいので運動する…くらいしか思いつきません。
論文査読や審査ではあらゆる点から(ときには理不尽な)攻撃を受けるので、そのディフェンス能力が試されます。博士課程はそういった精神・体調面でも試されていると思います。
博士課程は逃げ場や遊び場ではありません。モラトリアムの延長と思って入ると審査で弾かれます。
一度博士課程に入ると、あとは自己責任になります。先生はある程度の所まで(課程取得のために)サポートしてくれますが、限界があります。
退職D進を検討している方。本当に退職して問題ないか、研究分野が好きか、博士を取れる見込みがあるか、よく考えてみてください。
買ったのは夫なのだけど、夫が言うには
給料は徐々に上がる想定だったけどコロナ禍で業界自体縮小し、年収も上がるどころか50万ほど下がってる
ということらしい
見通しが甘かったということなんだろうなと
これは一度でもゴツい系の工場で作業経験がある女性なら多少なりとも頷ける部分があるのではないか。
自分は研究職採用の女性だが、最初の半年間は地方の工場での現場研修を経験した。その工場では男女比が概ね6:4と聞いており楽観視していたが、いざ到着してみると主力ラインは全員男性で、女性は検査部門かラボレベルの試作や簡易分析の部門か総務にしかいなかった。工場脇には掃除しているのかしていないのかわからないほど汚い仮設のような女性用トイレしかなく、現地の女性は皆事務所の綺麗なトイレしか使わないとのことだった。
本社からその工場に研修に来た研究職の同期はたまたま自分以外全員男性であったが、自分たち新人研修生は文字通り男女平等に、全員が主力ラインに配置され、現地の女性からはよく「女性一人で辛くない?」と過剰なまでに心配された。
率直に言って汚い工場だった。薬剤の影響で建屋のあちこちが腐食し茶色く変色しており、雨漏りの応急処置で穴の空いた屋根に吊るすようにビニールシートを広げていたりもした。喫煙室は建屋内にあったが、扉は常に開放されており、近づくと煙草の臭いが漂っているのには参った。
現場ではある種の職人技的な勘が要求される部分もあり、半年程度では到底身につくことはなかったが、素直に勉強になった。しかし実際に与えられた作業は、軽いがフレコン6分目(女性ということで現場の方が少しおまけしてくれた)くらいのガラクタを工場の端から端まで背負う…というか引き摺るように歩いたり、20 kg弱の製品を持ち上げてあちこち移動したり、巨大な台車を引っ張ったり、1時間以上腕を断続的に上げ続けたりと、大学院で専ら座って実験していた自分にはとにかく一々の作業が過酷であった。何とか初週を終えて帰宅後倒れるように眠り、翌土曜に120分のマッサージを予約したことを未だに鮮明に覚えている。学生時代に暇つぶしで取ったフォークリフトの免許があったおかげでたまに運転させてもらえたりもして、その時間は数少ない天国だった。
現場の男性は気のいい人達ではあったが、「お勉強しかしてこなくて現場のことを何も知らない」といった態度を露骨に表す人が全くいないわけではなかった。今後のコミュニケーションを円滑にしたかったし、気に入られたかったのもあったが、何より「これだから研究職の連中は」「これだから女は」と思われるのが嫌で、半年間黙々と男性と同じ作業をこなした。止められない工場だったので夜勤もした。幸か不幸か、現場では「女性では100%不可能」という作業はなく、あるのは女性でもギリギリこなせる肉体労働と、男性でも単独では不可能な作業だけであった。半年後に現場を去るとき、社交辞令も多分にあるだろうが「久々にガッツのある女の子が来たと思ったらいなくなるなんてな~」といった感じで一応惜しんでもらえた。苦楽を共にしたというのは思った以上の繋がり感を生むもので、本社に帰ってからも電話で気楽に聞きたいことが聞ける関係が築けて半年間の経験には満足している。しかし正直あれを何十年と続けることはできないと痛感した。
女性がきつい作業を好まない、確かにそうなのだろう。辛かった辛かったと増田で吐き出している自分が言うことではないかもしれないが、初めて工場に足を踏み入れたときの、残酷なまでに男女の居場所が分かれている現実を目の当たりにして何とも言えない複雑な気分になったことを思い出し、この増田を書いてみた。
バリキャリなら見た目に関しては女性は(男性も)客の前じゃなきゃどんな格好でもいいので
期間工だけれど、ていうか何なら出勤前だけれど期間工経験したことのない連中に一応言っておくと自動車製造業は身長は低い小柄な方が非常に有利
逆に体格良くて高身長な人は腰痛になる可能性が高く、むしろ自動車製造業で高身長さが求められる工程なんてひと握り
身長の低さは床をかさ増しすりゃ何とかなるんだけど、身長の高さは工場の床を掘るわけにもいかないのでどうにもならんのだ
何で身長は低い方が有利なのかと言えば車内へ乗り降りしたり、高架された車体の下で作業する際に高身長であればあるほど腰を曲げなきゃならんからだな
だから実際のところ自動車の構造自体は大柄な男よりも小柄である場合の多い女のほうが本来向いているはずなんだよ
じゃあなぜ女がタクトタイムに間に合わないか?という疑問が起きるわけだけど、元増田が言うように工具や部品が重いからだと思われる
どこの工場か知らんけど今の自動車製造工場は職人芸のような技術を求められることは無いとは言わないがそこまで多くないはずだから扱う物が軽くなれば女でも間に合う様になるんじゃないか?逆にタクトタイムが伸びても同様だと思う
でもそれはコストが増えることを意味するし今の車の作り方だと女が主流になると車の販売価格は増えるだろうね
話は変わるけど元増田頑張ってると思うぞぉ?見たこと無いしな子持ち女が副ラインで組んでるの
俺の配属工場は見渡す限り男・男・男って感じでたまに見る女は清掃員のおばちゃんだよ
本当に極稀に女の子居るなぁと思ったらピッキング工程の子っぽいな、ピッキング工程って他のラインで使うボルトとか部品とかを必要個数まとめて箱に入れることやってる部隊、その箱は輸送部隊が各々のラインへ運んでいき、その輸送部隊も大半が男
そんな中でギリギリとは言えついていっている元増田はすげぇ母ちゃんだなって心から尊敬するわ
ブコメみたらさ戦時中の工場はとか言ってるやつ居るけど当時の日本の兵器って直ぐぶっ壊れるし不動が多いんじゃなかったっけ?
つまり当時の女だけで回していた工場って品質が担保できてなくて現代の品質主義的な感覚で言えば、その工場は回ってるって言えないんだわ
その辺を無視して戦時中の工場はって言うのは女を擁護していることにならないんじゃね?俺は言う気なかったけどそういうおかしなフォローすると女が作るものはクソだって言われるぞ
女が主体だった工場って縫製工場とかだったと思うけど縫製工場は確か座り仕事だったはず
ギリギリでも文三でも理二でも推薦でも帰国子女枠でもいいから東大合格までは滑り込まないときついしんよ
むっちゃマジメやんか自分
笑えないすよ
私は20代の頃に就職した女性30代既婚。
結論から言えばタイトルにも書いてある通り、女性が主ラインの主力にはなることは今後数十年は無いだろうという話。
もちろんこれは男女共同参画社会に関連した話題だ。
私が現在配属されているのは実際に車体が流れる主ラインへ様々に組み合わされた部品(これをアッセンブリー部品という)を供給する副ラインに居るのだけれど、まさに自動車を作っていますと言え、報道写真でもよく見られるような花形とも言える主ラインの様子を傍目から見ていると「女が主力に成れる環境じゃないな」と心の底から感じられる。
労働環境が劣悪という意味ではない。いやむしろ「作業中に走るな」とか「間に合わなかったらフォロー担当者呼び出しのボタンを使え」とか「(時勢もあり)体調不良の場合は(報告がないほうがむしろ迷惑だから)報告するように」とか「有給消化は義務です」とか、むしろこのネットで聞き知ったブラック企業の話にドン引きする程度には勤務先はしっかりしている。
「そんなの建前だろ?」と言いたくなる人が居るかも知れないが、ウチでは製品の不良や労災を出すと管理職が更に上から口うるさく言われたり、下手をすると工場で一番偉い人や労組が本当に出張ってくるので管理職が何がなんでも不具合を出さないように配慮し続けているのだ。
さて、正規非正規問わず自動車製造業を経験した人ならば30代女性の私がいまだ部品を組み上げるタイプの副ラインに居ることへ驚きを感じるだろう。これはコロナ禍という偶然もあるからこそ起きた。
私は産休を取っていたのだけれどスタンダードなキャリアパターンだと子育てもあるからということで比較的負担の軽いチームへ異動配属される。しかし、コロナ禍の影響で工場全体に人員不足が発生し異動が起らず産休前から所属していたチームのままなのだ。当然ながら夜勤もあり産休前とほぼ変わらない労働形態になっている。
自動車製造業に詳しくない人からすると何が驚きなのか?わからないと思うが、部品を組み上げるような副ラインのチームへ所属するのは20代〜50代の男性であることがほとんどであり、女性はどんなに年齢を重ねても30代の独身女性が限度。30代の既婚女性は主ライン副ライン問わず部品を組み上げるようなチーム以外に所属するのが通例なのだ。
これが主ラインになると年齢層は20代〜40代男性と20代女性となり50代60代男性が主ラインに入っていると物凄く頑張ってるな感があるし、何だかんだで与えられる作業量は低く抑えられている。そして30代以上の女性が主ラインへ配属されている可能性は著しく低い。
おそらくはだが、一時期よりもコロナ禍も落ち着きを見せ始めているし人員補充も追いついてきたので来年度(4月)に私は負担の少ないチームへ異動となるだろう。
主ラインという花形を女にさせられないという男女差別があるのか?と邪推する人が居るかも知れないけれど、それは違うと言いたい。単に主ラインで与えられる作業量を与えられる数十秒の間にこなすのが女の私では無理なのだ。
身体能力に優れた女性ならばと思うかも知れないが、例えばダイエットで500mlペットボトルをダンベルの代わりにして運動しようみたいなのあるけれど、自動車製造業で使われる定番の工具であるインパクトドライバーはだいたい1.5kgある。500mlペットボトルは中身が水だと500g、両手で1kgだ。500mlペットボトル2本よりも重いモノを持って運動を8時間やるのだけれど、多くの女性に聞きたいアナタはやれますか?と。
しかも手に持つモノはインパクトドライバーだけでなく組み付ける部品もある、更に言えば立ち仕事だ、製造品質も確保しなければならない、トラブル対応もしなくてはならない。これを決められた数十秒のうちにやり切るのが自動車製造業という仕事なのだ。
ハッキリと言ってしまえば自動車製造業というノウハウ自体が男性が中心となって蓄積してきた仕事のため、自動車製造は女性ができるようにはなっていない。工場の製造体制どころか根本的に自動車の構造自体がそうなのかも知れないけれど女性が主体となって作れる自動車というのが想像できないので何とも言えない。少なくとも現代の自動車には安全や保安基準があるので応力や締め付けトルクなど様々な数値を無視できるはずはないし、どのような自動車になるか頭へ全く思い浮かばない。
機械が進化したらと言うけれど現状にはその進化した機械は存在せず、何なら自動車製造の大部分を産業ロボットへ置換したら作業員の能力に依存せず省人化できるのではないか?とテスラがその初期に試みて大失敗し出荷が年単位で大遅延したという実績すらあるのが進化した機械という発想だ。テスラは方針転換し一般的な生産方式へ移行したことで遅延をある程度解消した。
製造業の手本となりやすい自動車製造業ですらこうなのだ。10年勤めた私から見ても男女共同参画社会で女性があらゆる環境で活躍できる可能性は今後数十年物凄く低いと言い切ってやりたい。
そしてフェミニズム論者の見通しが甘すぎると私はハッキリと言うよ。何が身体能力に優れた女性ならばだ。10年間自動車製造やってる私がアナタ達が言う身体能力に優れた女性だよ!それでも主ラインは無理なんだよ!女性が主体となって自動車製造やるのは無理なんだよ!産後で作業負担減らしてもらってもヒーヒー言いながらギリギリついて行くので精一杯なんだよ!
この会社に居れば家のローンなんて簡単に通る、福利厚生もしっかりしてる、決められた時間内働いていれば1人だけ率先してサッと帰っても誰も文句言わない(まぁみんなそんな感じで帰るんだけど)、ボーナスだってしっかり出る、労組も強い、職も安定している、社名を挙げれば皆がスゴイね!ってお世辞を言う
でもね?大変なんだよこの仕事、女の身体だと本当に大変なの。それを知らずに理解しようともせずに自分でやろうともしないくせに、好き勝手に男女平等だジェンダーフリーだ女だって出来る身体能力が高い女性は男並みに働けると言う勘違いフェミニストはマジで自動車製造業に来なよ。
自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。
まずは副ラインを女だらけにしよう!
法律に詳しくないので頼む🙏
賃貸「退去から一ヶ月前までに解約を出さなかったら来月分徴収します」
経理「内事が出る前に取った引越の見積もりは経費で落ちねーから。見積もり一度取っておいて内事出てからもう1枚貰えよ」
上司「言い忘れたけど、転勤なくなったときに引っ越しの準備してた金とかは出ねえからギリギリまで賃貸解約するなよ」
賃貸「解約前の立会希望日は申請順で抽選するから3月に出てくなら早目に出さないと希望通りにならんぞ」
経理「引っ越しの都合でホテル入るのも2日だけは認めてやるよ。それ過ぎたら寝袋でも使え。賃貸すら借りてねえなら知らんわ」
上司「お前の異動どうするかまだ揉んでる最中だから先走るなよ。場合によっちゃ早まるから準備は早めにしておけよ」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
気~~~が~~~狂~~~い~~~そ~~~う~~~~
本当の銃を撃ちまくらせてくれよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本語で書いてると特定されそうですが、鮮明に覚えている内に書いてしまいます
夜8:30辺りに大学側から警告の通知があり、そこから4時間程教室に籠もりました
また、大学側から部屋を暗くするように、ドアなどがある場合は靴紐やベルトで縛る様に指示がありました
居合わせた方の提案でなるべくドアから離れた位置で座ったり寝転がったりして待機していました
銃撃犯は2人以上、4人以上など様々な情報が飛び交いましたが、結局は1人だったらしいです
とにかく怖かったですね
あ、ここで人生終わるんだ、幸せだったかな、弾丸は熱いらしいなとか考えていました
突然目の前に死の可能性を突きつけられました
当然、生存率は100%を切るわけで、管轄外のギャンブルに自分の命が賭けられている気分でした
パニックにはなりませんでしたが、混沌に放り込まれて呆然としていました
動いてる人見てこんな時に動ける人間が偉いんだなと感心してました
唯一良かった点は沈黙を大体貫けた点ですかね
米の銃撃事件は他人事の様に感じており、まさか、自分が危機に晒されるとは思ってもいませんでした
後は持ち物ですね
飛行機の避難説明と同じなのですが、基本的には逃走する際には持ち物を持たない方が良いとされています
でもやっぱり後々回収したり、紛失するリスクを考えるとこんな時でもなかなか出来ませんでした
リスク無しで都合良く逃げられたらそれが最善なんですが、やはり持ち物が無い方が生存率が高まるわけでその決断にかなり時間がかかりました
靴紐ももしドアを破られたら裸足同然で逃げる訳でかなりリスクが大きいです
サイレンやヘリの音は幾度と聞こえましたが、銃声は幸運にも一回も聞かずに済みました
一度、ドアが叩かれた時は終わったと思いましたが、どうやら生徒さんの様で冷や汗をかきました
一応両対応ドアと内側からしか開かないドアの2種類があったので最終手段としては外に逃げるという選択肢がありました
最初の1時間程は集中して音やドアの隙間の光の変化に気をつけていたのですが、集中力はそう長く持たず、寝っ転がってスマホを弄ったりもしていました
正直周りが暗いのでやるべきではありませんが、情報を得ないと募る不安と恐怖が紛れませんでした、眠いですし
でも大概誤情報だったので、アテになるのは警察の方の公式Twitterだけでしたね
途中で2日間大学関係のやつは中止ねと言われましたが今欲しい情報はそれじゃないよ
スマホの充電もギリギリだったんですが… もしもの時にある充電器は非常に役に立つと実感しました
「銃撃事件に巻き込まれたら」などと調べていましたが、逃げる隠れる程度しか書いておらず、なかなか打開案は無いのだなと落胆したりもしました
安全が確保されたと言われてもなかなか動く気にならず、やはり車や近くの建物までも暗い夜道を短時間ではありますが、歩く必要がありました
隠れている最中に警察の方に二回程連絡を入れましたが、当然ながら待機、優先は犯人の発見及び確保であると言われました (意訳)
幸い自分は無事に何事も無く乗り越えられ、恐ろしい経験を積めました
取り敢えず、生きてます
ハワイ行きの旅客機内でウイルステロが起きて、未知のウイルスだからとアメリカに着陸拒否されて引き返してくるのね。
そんでパイロットも感染してギリギリまで操縦してるんだけど、あっやばいもう無理ってなったところで、一番近い成田に着陸しようとすんのね。
そしたら日本政府がさぁ、5分くらいで着陸拒否を決断して、自衛隊機が威嚇射撃してくるわけ。
もうそこ見たところで一気に見る気失せちゃった。
いや韓国の映画だから物語上韓国に戻さないといけないんだろうし、韓国国内でも着陸拒否のデモが起きたりしてたけどさあ、日本政府がそんな迅速に決断できるわけ無いだろ!!!!!!
「対応を検討中」とか言ってる間に着陸されんのがオチだわ。ベレンコを見ろベレンコを。
そんで着陸されて防疫やってみるけど結局漏れ出て感染列島になるのが目に見えとるわ。ダイヤモンドプリンセス号のこと忘れるなよな!
ギリギリで大手に就職できた。次の年の採用数は自分の年の1/3だし、次はさらに半分。
ラッキーだったなって思った
今考えるとセクハラまがいというかど真ん中ストライクのセクハラもやってたと思う
今なら獄中で解雇通告を受けてたかと思うとヒャヒヤする。ホントラッキーだった。
そこそこ稼ぎもあったしいい相手も見つかって結婚できたし子供もいる
生まれた年のおかげでだいぶ楽させてもらってるのは実感してるから今の若者に「もっと頑張れよ」とか「俺が若い頃は~」とかは言えないけど
昔に比べて緩かったり守られたりしてる世の中で甘えてるのを見ると「そんなんじゃ生きていけねえぞ」とは思う