はてなキーワード: エンジョイ勢とは
死んだ祖父ちゃんの日記、せっかく残っていたのに、実家のおばさんが焼却処分してしまったらしい。
別に戦争体験を残そうとか、そんな意識高い気持ちはなかったけど、なんだってそんな勿体ないことするんだ、という疑問はあった。
それで、この前別件の法事があったので酒の席で日記の内容を聞いた。
そしたら、書いてあった内容が大体
・人を撃ち殺すのが楽しい
・ガキを殺すのが一番楽しい
・気に入らない同僚が死んだのマジウケる
・榴弾講座
・7割くらいは現地人の女を抱いた話
的な感じで構成されてたらしく、ああ~そりゃ、うちの家、結構真面目だから燃やすわ、と思った。
まあ、別に戦争行為中の殺人なんてありふれたことだろうし、色々面白そうだからやっぱ読んでみたかったけどね。残念
スプラトゥーンの話だ。
最近、赤ZAPを使って塗り返しとミサイルを撃つことを主にしてギア開けをしている。いわゆるマルミサマンというやつだ。
このマルミサマン、実に嫌われている。検索すれば一目瞭然である。
過去にろくにキルが取れない死んでばかりのマルミサ装備を有名実況者が晒し上げ、多くの人に共感を得ながらも謝罪をするなんて珍事が発生するほどに嫌われている。
私はマルミサマンを好きではないし実際苦手だし、やられていい顔をするのは難しい。
でも、マルミサマンに対してマルミサマンをやめろというのも馬鹿らしい話だと思う。
私が見てきたなかでは、昨今のゲーマーは勝ちたがりに見える。
とにかく勝ちたい。強くなりたい。実力でマウントを取りたい。そういう志をもって対人戦が主軸のゲームをプレイしているようだ。
最近はいろんなゲームがe-sportsともてはやされ、殊更に「強い者が正義」「ガチプレイヤーこそ至高」という風潮を生み出している。
ただ、これはゲームの楽しみ方の一側面でしかない。他にもゲームの楽しみ方はたくさんあるはずである。
カジュアルに嗜む程度、娯楽としてゲームをするなら根を詰める必要などどこにもない。
昔、私はガチマッチでA帯に入るのを目標としていた。その頃の私はスプラトゥーンを学ぶことに真剣だった。
試合をする時はX帯のプレイヤーが寄稿した記事を開いて予習をする。自信のある、かつ一般的に強武器と言われる武器を担ぐ(当時はシマネを担いでいた)。立ち回りを意識して、敵を倒し、積極的にルール関与もする。
だが勝てなかった。特にヤグラとホコはいくらやってもA帯に乗ることができなかった。
ゲージはギリギリで割れ、その度に絶望し、暴言は止まらない。ドライアイで目から涙が止まらなくなるほど続け、気がつけばルールの切り替わりいっぱいまでプレイするのはザラだった。
当時は同程度のウデマエであるはずのB帯のプレイヤーを人として見ることができなかった。適切な行動が取れずに崩れて負ける試合を繰り返し、敵も仲間も人間ではないと思いながらプレイしていた。
そんな人間とも思えない奴等に負けるのは腹がたったし、勝っても嬉しくなれなかった。
三ヶ月ほど苦しんで、ようやく全てのガチマッチでA帯入りを果たした時、私は燃え尽きた。正直言って、つまらないことにこだわっていた。
それから二ヶ月ほど他のゲームを遊んでいたのだが、ふとスプラトゥーンに戻るきっかけを得た。その時のもう私にこだわりはなかった。
赤ZAPを握って陣地を塗り返し、マルミサを流すのを繰り返す。
ZAPは操作感がよく、マルミサは単純に使いやすかった。馬鹿なことにこだわっていたことにようやく気がついたのだ。
気がついたらヤグラのウデマエが上がっていた。武器の相性もあるのだろうが、楽しくギア開けをしてるだけであっさり上がってしまったから、びっくりしてしまった。
ランクを気にせずに戦うエンジョイ勢と化した私は、参加型のライブに飛び込んだり、ギア開けのために一人でガチマッチに潜るのを楽しく続けている。
元エンジョイ勢でした。
ボーダー理論を知ってしまってからパチンコのすべてが色褪せて見えます。
でももうパチンコが運ではないと分かってから楽しむことが出来なくなりました。
ボーダー理論というのは聞いたことはあっても理解は全くしてませんでした。
ですが2年前くらいからパチプロたちがYouTubeにボーダー理論の動画を上げはじめました。
負けまくっていた私は勝ちたいと思いそれらの動画を見ました。
ボーダー越えの台をひたすら打ち続けて1年、
ですが楽しいと思う事が減りました。
1年ボーターで立ち回ってようやくボーダー理論は100%正しいと理解できました。
ボーダー理論が正しい事を理解出来てからパチンコを遊びで打つことが出来なくなりました。
桜鷹虎さんやポンコツのサンドに入金さんの動画がたちまちつまらなくなりました。
1日で収支が収束するわけないのにって冷めた目でしか見れなくなったし
回らない台で勝ってもボーダー以下ならいずれ収支に跳ね返ってくるじゃんと思ってしまう。
ボーダー以下に設定して回してるんだからそりゃあアホみたいに負けますよ。
負けて当然なのに勝てるのか?ってクソ寒いじゃん。
「遊びで打ちたい」
口をそろえて言ってるけどいや絶対嘘じゃん!
遊べればいいパチンコなんて楽しくないわ。勝つために打ちにいってるのに。
ボーダー理論を知ってしまってから、パチンコは運ではない事を知ってしまった。
回る台打てば?回る台打たないから負けるんだよ?
私みたいにボーダー越えの台を見つけれたらまだいいけど
ボーダー理論は理解している。けれどもボーダー越えの台を見つけられない人は
私にとってapexはよくも悪くも人生を破壊されたゲームで、去年一年間のプレイ時間は3000時間を超えていた。廃人なみにやっていた一方、現在はそこまでやっていない。その理由の一つに、「センスのない凡人はどう足掻いてもソロマスになれない」というのがある。私はダイヤ帯に三シーズン連続で到達し、そして毎回ダイヤ3の手前で終わった。シーズンを追うごとに、私はCSでやっているのだが、味方にデュオが来ることが多くなり、デュオに合わせながらプレイする毎日だった。自分がキルしても味方はついてきてくれず、逆に上手すぎるデュオについていけず自分が死んだりと、兎に角やってて楽しくなかった。ソロの醍醐味である、見知らぬ仲間とお互いに連携して勝つ!というのがほぼ失われていた。
それに加えて、ボルトSMGとフラトラが床湧きしなくなった。これが自分にとっては致命的だった。単純に、撃ってて楽しい武器がゲームをやってても使えないというのは相当ストレスだった。あとは私が好きなアリーナランクのマッチシステムが改善されず、更にアリーナにおけるハンポ関連について何の調整もやっていない事もストレスだった。
ファミ通か何かの、apexの運営のインタビューを読んだ。そうするとそこには、常に新しいことにチャレンジするとあった。きっとその結果として、オリンパスの改変やコントロールがあるのだろう。確かにコントロールは楽しい。でも、ボルトが無く、BRランクに潜ればデュオの顔色を伺わなければならず、アリーナに行けば敵も味方もディヴォREなこのapexに私は正直楽しさを見出せない。
今年の夏にスプラ3が来る。csのエンジョイ勢はほぼスプラに移行するだろうし、pcユーザーだってスプラに移る人はいるだろう。そこが正念場なのではないかと個人的に思う。私はapexブームは今年で終わると思っている。pcユーザーはそもそもvaloやタルコフをやっている人が多いし、csは他に人口の多いfpsがないからapex一強なだけだ。このどうしようもない運営が変わらない限りapexのブームは終わると思う。
ゲームセンターがはみだし者を受け入れてきたんじゃない。
インベーダーゲームが出始めた頃は小金を持ったサラリーマンが主な客層だったんだが、数年もたたない内に強盗・盗難などが多発する無法地帯になってまともな人間が近寄れない場所になってしまった。
地域にもよるだろうが、当時 (1970年代後半) にゲームセンターが不良のたまり場とレッテルを張られたのは実際に不良 (というか強盗や恐喝犯) の巣窟だったからだ。
結果として一旦は急激にゲームセンターが衰退した。
今の若いeスポーツのプレイヤーはその時代とは無関係なのは承知しているんだが、ワイみたいなじいさんにしてみればああいう荒い連中はむしろゲームする場所を奪ってゲーム文化を破壊したやつに見えちゃって印象が悪い。
それがゲーム文化の代表みたいな面をして世に出るのは勘弁願いたい。
でもまあ口が荒いだけなら暴力が有った昔よりずっと良くはなってるんだろう。
【追記】
anond:20231001232459 社会人5年目の話を書いた
【追記ここまで】
anond:20190809203213 を書いた者。近況をダラダラと書いてみる。
新卒で入社した会社で働いて今3年目。今年の春から4年目になる。
手取り収入は新卒の時と比べて6万円増えた。月々使える金が6万円増えるって冷静に考えるとすごいな。出費は変わらず15万円ぐらいだから月20万円以上貯まっていく。投資とかした方がいいのかな。暇な時に調べてみる。
フレックスタイム制だから相変わらずセルフプレミアムフライデーとかしてる。あとリモートワークが以前より推奨されるようになって更に働きやすくなった。
業務も相変わらずのんびり楽しくやってる。成果さえ出してれば何も言われない環境。周りには業務時間中にゲームをやってる人がいるぐらい緩い。その人は自分以上の成果を出してる人なので尊敬や憧憬こそすれ不満に思うことはない。優秀な人のおかげで会社が成り立って、自分みたいなエンジョイ勢が生きていけるわけだし。
根っからのインドア派でスマホとデスクトップPCとネットがあれば幸せに暮らせるんだけど、最近は他の趣味を開拓したくなってきた。年20万円ぐらいの予算で楽しめるオススメの趣味があったら教えて欲しい。仕事柄人間関係が広がりにくいので人と関わる趣味だと尚嬉しい。
近況としてはこんなところ。
相方にそう伝えたら
「馬鹿か!お前は!理想がデカイからってチェーン店が作ったフラペチーノと戦えるほど、お前はよく出来ちゃいないんだよ!オヤジ達が何と言おうと生き残る店は一見さんを座らせるためのスペースを用意して生まれたんだ!それは何故だか分かるか?ええ?おまえ達がランチタイムの歴史の中で学んだことだよな。新規客の全体人口と購買力と継続性、それに宣伝だけは常連以外のものを利用するつもりだったからだ。下手に借りを作ると面倒だもんな!しかし、店に居座ることは自分たちのものにした。フッ、一見って奴は金の使い方がケチくさいエゴイスティックな顧客だからだろう?だからお前達は、お前達に必要な新参だけを接客して、地域が育てた商店街の生体エネルギーの全てを吸収して溜まり場を作るつもりだ!それがお前達だ!けどそういうお前達が何故かエンジョイ勢とガチ勢という2つに別れ始めた。しかも店と客の関係でもない。もっと根源的に、白黒とか、分離したカフェオレぐらいはっきりと反発しあう習性を持っている。何故だよ!?一つで完全無欠に永遠であるものなどこの世にはない。だからこうやってぐちゃぐちゃになってきたなら、クラファンだってそうだろう!?自分の理想にあるものをこねくり回して探してるものがあるんだろう?キック・スタートとかもう下火のクラファンとかさ!オーガニックで有機的なものが1人のものであるわけはないのに!貴様!お前は!オタサーの姫程度の女に唆されて……うっ馬鹿野郎!お、おい。あとがないよな。どうだ、えぇ。ブレン、痛い所はないか。悪口は言ったつもりなはいぞ……ヨシ!」
日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち
https://number.bunshun.jp/articles/-/851448
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今日この記事を読んだのだが、私が知る現状とは違うと思ったので、少し書いてみる。
私は高校時代はクラブチームでプレーをし、その後は学生時代の友人や仕事を通じで知り合った人々と草サッカーを楽しんできた。そんなわけで、引退した今でもサッカーに真剣なガチ勢や、テレビの試合やウイニングイレブンを通じて、「ちょっと自分もプレーしてみたいな」なんて思って飛び込んでくる、サッカーエンジョイ勢の両方を私は知ってる。
地域としては関東圏に限定されるが、他の地域もそれほど誤差は無いと思う。
僕は、日本に一番足りていないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」だと思っています。
週末に、仕事終わりに、競技レベルの高低とは全く関係のない次元で、おっさんがユラユラと集まって、しかし真剣に、サッカーをする。11対11である必要は全くなくて(どうせ最後は走れなくなって2対3くらいになるのだから)4対4でも、6対6でも構わない。
僕は大学卒業まで日本でサッカーをしましたが、各年代のチームメイトで、週末だけでもサッカーを続けている人間は数えるほどしかいません。皆、短くない期間打ち込んできたにも関わらず、です。
それはサッカーがプレーするに足らない、魅力のないスポーツだからではなく、熱中していた時にあった序列的な空気構造がサッカーを「つまらなく」感じさせてしまったからではないでしょうか。「サッカーと自分の蜜月関係」の間に、上手くいかない、嘲笑される、誰かにジャッジされる、という横槍がザクザクと入り込んで、サッカーを「誰かより劣っていた記憶」として、あるいは「自らを序列に当てはめた記憶」として刻んでしまう。好きで始めたサッカーが、ヒエラルキーの象徴に化けてしまう。
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このようにあるが、これは一部の世界だと思う。と言うよりも草サッカーにも階層があって、サッカーの上手い人は上手い人同士でつるみたがる。サッカーの上手い人達にとって、素人と一緒にプレーするのは基本的には歯痒いモノなのだ。
ボールの蹴り方からディフェンス時のボジション取り、チームメイトの狙いを汲み取っての連動的なオフザボールの動き、挙げればキリが無いが素人とプレーをすると、その全てがどうしても気になってしまう。
実際に草サッカーと言えど、ある一定のレベルにあるメンバーがいないと分かると、予定をキャンセルするサッカー上級者も私は見たことがある。いわゆる「介護プレイはゴメンだぜ」ってやつだ。悪く言えば差別と言えるかもしれないが、実際にハイレベルな人間同士でないと実現できない領域はあって、それが実現できた時の快楽が何ものにも変えられない魅力に包まれてるのも事実だ。
確かに冒頭の記事の中野遼太郎さんが語るように、見えない序列はある。ただし一部の世界で。ガチガチの序列がある草サッカーチームは、そもそもチームの存続が難しい。
東京都内で考えてみる。
サッカーグランドを借りようと思うと、2時間で5000円~10000円ほどかかる。しかもナイターの照明代金が30分ごとに1700円なんでプランの場所がちらほら……。結構なお金がかかる上に時間制限まであるのだ。
「それなら埼玉や千葉の河川敷に行って勝手にボール蹴ってれば良いだろ?」と思うかもしれない。実はそれもNGだ。地域の職員さんが勝手に利用してないかチェックするために車で巡回をしている。河川敷もその地域に住む人が抽選をして初めて使える仕組みだったりする。意外にも誰でも自由に使って良い場所は都内には少ないのだ。
さらにまともにサッカーをやるには10人以上は確実に必要だ。10人でも5対5のミニゲームができるくらい。その人数を忙しい社会人の中から集めるのは至難の技だ。22人ならもっと難易度が上がるのは想像に難しくないと思う。
これは私の妄想だが、あらゆる草サッカーチームは慢性的な人手不足なんだと思う。
変に「サッカーの上手い人には従うべき」だとか、学生時代のノリでやろうと思うものなら、金はかかるしマウントは取られるしで簡単に人は離れ、そのチームは満足にサッカーができない状態に陥るだろう。
草サッカーで個人個人の技術向上を常に考え、常に大会で勝利することを目指すガチ勢のチームの運用は、本当に難易度が高い。だから私が知る限りサッカーをしたい人には、どれだけボールを蹴ったことがなかろうが、基本的にはウェルカムな姿勢のチームが多いと思う。
上の項で書いたが、サッカーは都心では金がかかる。しかも人数を集めるのが難しく、それを継続するのも、相当なサッカーに対するモチベーションやメンバー同士の絆が無いと難しい。
フットサル場もサッカーと変わらずあるいはそれ以上の料金(10,000円以上など)を覚悟しなくてはならない。しかし、仲間内だけでやるなら10人集めれば条件はクリア。さらに当日に集まった知らないメンバー同士でフットサルをする個サルのチョイスもある。個サルなら1人2000円程度で参加可能だ。
なのでサッカーよりもフットサルの方が、現状ではエンジョイ向きであり、そっちに多くの人が流れているのではないかと私は推測してる。
おそらく冒頭の記事の中野遼太郎さんは、草サッカーの中でも上手い人達の世界しか見てなかったのかもしれない。ちゃんと目を凝らすと「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」は結構見つけることが出来るハズだ。
今回の記事は日本サッカーの未来を憂いて書いたと推察する。しかし僭越ながら言わせてもらうと、あなたがもっと危機感を持つべきは、『金のかかるグラウンド』の存在だ。
現在東京を中心に関東圏では、どこでボールを蹴るにしても金がかかる。しかも時間制限もある。サッカーやフットサルにおいて2時間なんてスグだ。ちょっとプレイしてスグにその場所をどかないといけない。そんな状態で例え経験者と言えど、サッカーをわざわざチョイスする人が、どれだけいるのだろう??
また、これからの未来を担うサッカー少年に対しても、この現状はマイナス。自由に無料でサッカーができる場所があるから、自分の技を磨けるのにその場所が有料で時間制限があるのだから、どうやってサッカーを上手くなるのだろうか??高校サッカーでもクラブユースでも、首都圏ではなく地方のチームが強い理由が、ここに表れてると私は思う。
本来サッカーとはボールと仲間さえいれば、どこでも楽しめるものだが、その本質とズレた状態が、今の日本の大きな問題なんだと私は思う。
俺が好きだったゲームはMTG、マジック・ザ・ギャザリング。
TCGの元祖、「遊戯王」「デュエルマスターズ」の元ネタとかって説明されることが多くて、名前だけは聞いたことがあるって人もいるかな。
ゲーム自体もとても面白いのだけど、今回は主にゲーム性じゃなく、それ以外の部分で俺が惹かれた要素と、「好き」が過去形になった理由について書いていく。
ゲームプレイヤーにも勝利を求めるガチ勢、楽しさを重視するエンジョイ勢と色々いると思う。
(俺はガチ勢ってのも互いに本気で勝利を追求する遊び方を楽しんでる人って考えてる)
他のとこは知らないけど、MTG界隈では競技(ガチ)⇔カジュアル(エンジョイ)って表現を使ってた。
競技なんて言うと「カードゲーム風情がスポーツかなんかのつもりかよ」って思うかもしれない。
まずは俺が惹かれたMTGの要素の一つである競技性を語らせてくれ。
ゲーム=競技ってことで、その競技性ってのはつまりプレイヤーがどれだけ本気で勝ちに行ってるかの指標って感じかな?
皆が本気で勝ちに来るような方法って?そんなの簡単な話だ。商品を付ければ良い。皆が本気で勝ちに来るような商品って?これも簡単。「金」に決まってる。
今でこそゲームの大会に賞金が出るのなんて当たり前だけど、今から30年近くも前から「ゲーム」自体を主体に賞金制の大会があったってのは凄いことだと思う。
次にその大会の規模、まずGP (グランプリ)。世界各国で行われて、誰でも参加が可能。コロナ以前には日本国内でも年に4~5回開催されてて、最高人数は2500人程度、2000人↑は当たり前って感じでかなり大盛況だった。
優勝で大体100万円くらいで、結構大金だけどガチ勢にとって同じくらい大事なのが上位入賞者に与えられる副賞。
PTは世界各地で行われる。各国の強豪が集って、各々が練りに練ったデッキを持ち寄り優勝を目指す大会。賞金は優勝で500万円くらい。多くの競技者はこの舞台を夢見て、焦がれて、狂ってた。
このPTって舞台はMTGやってる奴には本当に羨望の的なんだ。昔はニコ生で、今はTwitchで配信してて、海外でやるから時差があったりで眠たさ堪えながら噛り付いて見てた。
さらにもう一つ大事なことがあって、MTGにはプロプレイヤーって呼ばれる存在がいる。
「プロ」の定義は論の種にもなる事なんだが、一つ明確な線引きがあってプロ・プレイヤーズ・クラブっていうMTGを制作した大元であるWoTC(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)社が公式に制定した制度。
これはプロポイントってポイントを稼いで、それが一定数溜まったらそれぞれブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナと順にランクが付与されてボーナスが貰えるって仕組み。
このプロポイントを貰えるのが前述のGPやPTなどのグレードの高い大会。
誰でも参加可能なGPでも、このプロポイント1点取るのに結構苦労するんだが、MTGのプロプレイヤーはこのポイントを求めて世界各国を飛び回ってGP、PTに参加するってのが常だった。
国内だけだと4~5回と書いたGPだが、世界ではほぼ毎週のように行われてるので、プロやプロになりたい奴らはポイントを、PTへの参加権を求めて世界を旅してた。
WoTC公式からも「PLAY THE GAME, SEE THE WORLD」って言葉でその行動を奨励してた。
俺はこのプロプレイヤーってものに強く強く憧れた。最初はただゲ-ムが面白くてやってたんだが、次第に戦えるようになって、勝てるようになって、大きな大会にも出るようになった。
俺はいつの間にかこのゲームに狂ってたんだ。狂うのも悪くないけどな、好きなことに狂えるならそんな幸せなことはない。だから狂いが醒めてしまった俺からみると、未だに狂ってるような人を羨ましく感じたりする。
ここまでが俺がMTGを好きだった理由。ここからは好きじゃなくなった理由。
上に書いた競技性と、それを織り成す制度ってのが、俺がMTGってゲームに惚れた一つの要素だったわけだ。
結論から述べる。俺がこのゲームを好きでなくなったのは崩壊とも表現したくなる度重なる制度の変更が理由。
最も絶望するのは、それが他でもないこのゲームを作り出したWoTC社が原因となることだ。
2016年の初めあたりにWoTC社の社長が変わった。度々この社長がやり玉に上がる。
本当に社長のせいなのかは分からないが、実際にこの時期からWoTC社は数多くの制度変更を打ち出す。
色々と細やかな変更はあったんだが最大級のヘビーパンチが、2018年末のこと。
その内容は、前述したプロプレイヤー制度の廃止。そしてそれに代わる32名の定員でのMPL(マジック・プロリーグ)という新しい制度への移行だった。
元々、プロプレイヤーって呼べるような人間は世界に数百人いたと思うんだが、それに対してMPLの32名という枠はどう考えても少ない。
プロ制度の廃止に伴ってプロポイントも無くなり、世界を股にかけて飛び回る意義も失われた。
過去のプロ制度は、本気で目指して努力すればギリギリ手が届きそうと思わせてくれるいい線引きだった。
それに対し、MPLってのは百戦錬磨のトッププロが競い合う中で、そいつらを蹴落としてようやく入れるような場所で、明らかに必要となるコストの大きさが違うんだ。
MPLからあぶれたプロプレイヤーも、プロを目指していた競技勢の人々も次の目標となるものの遠さに驚いたと思う。
(ちなみにこのMPLももうすぐ終わっちまうらしい。それ以降のプロに対する制度の説明は現状一切ナシ。
推測の域を出ないが、界隈で多く見かけた意見は前制度にかかるコスト、金銭的負担の軽減が目的というもの。
PTのようなアメリカ、ヨーロッパ、時にはアジアなどで行われる大会の場合、世界各国からプレイヤーや運営する人材を派遣するだけでも多量の金がかかる。
プロプレイヤーへの報償も同様に、目に見えて分かりやすい直接的なコストのために制度が見直されたのだ…と。
競技性がMTGの魅力の一部でしかなく、皆が皆一様に求めていたものではないとは思うが、ゲームの人気の一端を担うものであった事も確かだ。
俺はWoTC社がそれを軽んじ、踏み躙ったように感じた。
WoTC社はそれ以外にも目先の利益に捕らわれた焼畑商業的な業務方針を繰り出した。
MTGには、「とあるカードセットで禁止カードを連発してしまい。開発陣は社長室に呼ばれて𠮟られた」という有名な逸話があるんだが、現在のMTGでは2017年から毎年新しいカードセットから禁止が生み出されている。
それ以前は偶発的なデザインミスで、禁止せざるを得ないようなことはあったものの、毎年のように禁止カードが続出している状況はおかしいとしか言いようがない。
ゲームデザインは非常に難しいことだとは思うが、発売からわずか17日で禁止が出たと聞いたときは流石に目を疑った。
本来の焼畑であれば、別の場所を耕作すればよいだけだが、MTGでいう土壌とはプレイヤーの事だ。容易に開墾できるものじゃない。
こうした事によって(俺の)WoTC社への信頼は地に墜ちることとなる。
人は信頼があるから金を落とし続ける。だから企業は顧客満足度なんてパラメータを得るのに躍起になるわけだな。
信頼=金ではないが、信頼≒金ではあるんだ。
友人にWoTCへの呪詛を吐き散らす奴がいたが、WoTCがクソなのなんて衆知の当たり前の事で、それを一々言ってる自分がおかしいのかもと言われて笑っちまった。
まず渡辺雄也は今例えるなら、「MTG界の大谷翔平」と言って差し支えない日本プロのトッププレイヤー。
競技シーンを知る人に「日本一上手いプレイヤーは?」と聞けば大体の奴はナベかヤソって答える。
次にマークド。これはカードに目印をつけて、裏面から見ても何のカードかを識別できるようにするっていうイカサマ。
事件の経緯は以下。
渡辺雄也選手は大会でこのイカサマを行ったとして失格処分を受ける。
↓
後日スポンサー(Cygames)と共に反論する旨の声明を出す。
↓
WoTC社はこれに対し報復とも考えられる重い罰(30ヶ月の出場停止、殿堂除名、MPL除名)を与えた。
・ジャッジや対戦相手などによって容易に物的証拠を作ることができてしまう。
・十数年間、イカサマなんてほど遠い、クリーンなイメージ像からこの裁定が下るなんてありえない。
俺は当事者以外があーだこーだ言ってもしょうがないと思ってる。
けど、一つだけ信じてるのは渡辺雄也って選手はイカサマなんてしなくてもこれまでの実績を疑わせないくらい強いという事。
この件でWoTC社に失望したのは、声明に対して納得のいく証拠の提出を一切することなく、異例なほど重い30ヶ月という罰を科したこと。
反則行為で失格になった時点で罰が与えられる事、それ自体は仕方ないことかもしれない。
しかし、求められた調査の開示がない事、不当に思えるほどに重い罰、あらゆる説明が足りなさ過ぎた。
結果的に日本を支えてきた英雄が不本意に、容易に、軽々しく選手生命を絶たれたとしか見えなかった。
この件を皮切りに実際にMTGを辞めたやつも何人か確認してる。
献身的にずっと日本のMTG界を牽引してきた人物でも、不透明な組織の指先一つで活動を終わらせられる可能性があるなんて、信じられないよな。
こんなとこで文句言ってんじゃなくて問い合わせろって?日本のWoTCに何か言っても無駄だ。
日本公式が駄目なら英語なり使って本社に言えって?俺は自分で声を挙げたことはないが、海外プロプレイヤーのWoTCへの不満がたまに流れてきてもゴミみたいな制度を連発してるあたり何言っても無意味ってことだな。
こんなことが続く内に、WoTC社に期待する方が悪いという風潮が当たり前になった。
面白くてゲームを初めて、企業に嫌気がさして、ゲームへの興味も失せた。
これが、俺がゲームを「好き」じゃなくなった経緯。
この手記が、MTGの魅力の片側から見た一方的な意見であり、カジュアルに遊んでる人が今も楽しくしてるのは知ってる。
まぁタイトルにある通り「愚痴」だからな。聞いて欲しかっただけだ。
こんなこと書きながら2,3年後にはMTGやってるかもしれないけどな。
滅茶苦茶ネガキャンしといてなんだけど、ゲームは本当に面白いので興味あれば触ってみて欲しいという思いはある。
今ならマジックアリーナって無料で始められるアプリもあるし。DCGの中では本当に金のかからない部類だしね。
カードゲームが趣味だったおじさんのか弱い嘆きを聞いてくれてありがとう。
書いてる最中に、存在すら知らなかったPTの代替となるCS(チャンピオンシップ)とやらが行われていたらしく、久しぶりに配信を見た。
先日ひぐらしのなく頃に卒14話が放送され物議を醸していると言う。
くだらん。
で、ここからが本題だ。
散々ミステリーと解釈して考察を行ってきた連中がついにドッカンドッカンバトルや鬼狩柳桜ビーチフラッグやビッグバン百合心中で遂に心折れ考察を卒業したらしく、それを受けた古参ファン勢が憤慨してるらしい。
両方アニメにマジになってどうするんだと俺は言いたい。
マジになるなよ。ひぐらしだぞ。
古参ファンはもう慣れきってしまってることを理解してスルーしろ何年インターネットやってるんだ。
心折れた新規考察勢は諦めろ、ひぐらしは祭囃し編の時点でだいぶファンタジーだった。そもそもエウアなんぞが出てきた時点で理解しろ。
エンジョイ勢に優しくしてくれ、とは思うことがある。
家庭用のゲームや、アーケードのゲームでユーザーが交流していることが多いが、それに伴いトラブルも多いことがある。少し整理を兼ねて思うことを書いてみようと思う。
ゲームの中ではスプラトゥーンやガンダムのように階級やランクがあり、階級やランクを上げることを目標としている人は多いであろう。
自分は『下手な物好き』なため、下手でも楽しくできればいいエンジョイ勢であり、なんのゲームも下手である。まぁ出来ればいいって感じで遊んでいる。
SNSで交流していると、階級が低い人の発言権はなく、階級が高い人の意見が中心であったりする。
例えば「Aさん、Twitterで下手って言ってきた」とか階級が低い人がTwitterで零したりすると、「上手くなって見返すしかない」ってリプライされることがあるそうだ。
APEXとかチームでのゲームだと、「人に迷惑かけるんでやめて貰えませんか?」とメッセージが来た人もいるとかいないとか。
そんなツイート流れている時、「下手なんだから当たり前だろ」とかそういうのばっかり流れてきた。
それに同調する声も多くて驚いた。
違う、そうじゃない(画像略)
何が言いたいかと言うと、下手だから言われて当たり前みたいな空気出すのは違うと思う。
ノースキルだから何言っていいって思ってるのだろうか。ゲームで飯食べてる訳じゃないんだぞ。
Bさんが迷惑なプレイヤーでそのBさんを界隈全体が晒しているのが当たり前だとして、ほかに迷惑なプレイヤー(Cさん)が現れて誰かが晒した時、「晒しは良くないですよ!」と待ったの声が。
あれ?Bさんのことは皆さん晒してましたよね?
なんでCさんのことになるとそう言うのですか?
家庭用の某ゲーム界隈は、無線で接続しているユーザーを叩く風潮があった。しまいにはスレまで作り始め、ラグを理由に晒し始めた。
ゲームで飯食ってるわけじゃないんだ。