はてなキーワード: 電通とは
(もうブコメ書いてしまったので追記へのコメントをこちらに。ブコメだと字数制限がきつくて書ききれないのもある。)
(以下長いので,面倒な人は まとめ まで読み飛ばしてもらってもかまわない)
元増田は「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように」と書いているが,元増田や,今回の電通事件に関するの他の記事のブコメを見てもそういう論調は主流ではない。
セクハラやパワハラがあったことも問題視されているし,その他さまざまな問題も指摘されている。「長時間労働さえ解決すれば全て解決」というようなブコメはほとんどない。
もっとも,長時間労働は今回の事件に関連する問題の主要な一部であるし,日本の労働環境が抱えている大きな問題の一つでもあることに変わりはない。
長時間労働は,元増田ですら認めているように,心身を疲弊させ,場合によっては人を死に追いやる原因になる。
だからブコメの論調は「長時間労働 だけ を解決すればOK」ではなく,「長時間労働 も 解決しないとダメだ」というのが主流だろう。
1. 「度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前」と書いて長時間労働にも問題があることを認めておきながら,一方で「「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではない」と矛盾する主張をした
2. 「問題の核心」であろうとなかろうと,問題の一部であれば解決する必要があるのに,「核心ではない」=長時間労働を解決する必要はない,という論理の飛躍を行った
先ほど挙げた欺瞞は,まだ論理展開の瑕疵に過ぎず,たいして大きな問題ではない。もっと大きな問題は,これから書く問題である。
元増田では,「長時間労働」という言葉は何度も出てくるが,それが不払時間外労働(いわゆる「サービス残業」)か否かについては一切触れていない。
話を始める前に,まず大前提として,日本の法律では労働時間は週40時間までと決められており,それを超える場合はいわゆるサブロク協定を結んだ上で,超過勤務手当を支払わなければならない。さらに勤務時間が深夜(午後10時〜午前5時)にかかる場合は,深夜勤務手当の支払いも必要である。
元増田は「長時間労働」と書いている以上,それは週40時間を超える労働を指しているのは明白であり,従ってそれらの労働には当然超過勤務手当や深夜勤務手当を含む,いわゆる残業代が支払われていなくてはいけない訳だが,今回の電通事件でも明らかになったように,残業しているのに残業代を支払わない,いわゆるサービス残業が後を絶たない。
従って「長時間労働」を論じるときは当然それも論点になるが普通なのだが,元増田はなぜか全くその点に触れていない。
そこで,元増田に代わって,その点に触れながら「長時間労働」問題について論じてみよう。
今回の電通事件もそうだったが,もうこれは論じるまでもなく「悪」である。
法律違反だからというだけでなく,労働のダンピング=他人の労働の価値の毀損という意味で,やってはいけないことなのだ。
だから,「長時間労働(不払時間外労働を含む)」の場合, 「おれは(給料もらえないなら)がんばらないからオマエも(給料もらえないなら)がんばるな」 (言うまでもないが,カッコ内は自分が追加)という論理は,元増田が何を言おうと正しいのである。
この場合,被雇用者の観点からは,あまり問題がないように見える。
ただし,あくまで 自発的な 長時間労働の場合のみであり,強制される場合は,やはり問題になるだろう。ただ元増田が論じているのは自発的な長時間労働と思われるので,そうするとやはり問題がないように見える。
しかし,経営的な観点からは, 自発的な 長時間労働には問題がある。
まず,先ほども述べた通り,時間外労働には割増賃金を払う必要がある。つまり,コストが増えるのだ。
「3日間徹夜」を例に考えてみよう。
ちょうどまる3日とすると72時間。ただし8時間ごとに最低1時間の休憩時間を与えなければいけないと法律で定められているので,9時間を1単位として割り算すると8になり,72時間中8時間は休憩時間になる(最後1時間が休憩なので,厳密には71時間連勤と考えるべきかもしれないが,その辺は適当に)。従って実稼働は64時間。
1日の通常勤務時間を8時間とすると3日分の通常勤務時間は24時間。残り40時間に対し,1.25倍の時給を支払う必要がある。
そのうち午後10時から午前5時の7時間にかかる部分についてはさらにその1.25倍の時給を支払わなければならない。面倒なので,その午後10時から午前5時の間に必ず1時間の休憩が入っていたと考えることにすると,(7 - 1) * 3 = 18時間が深夜勤務時間となる。
つまり,3日間64時間の勤務の内訳は,通常24+超過22+深夜18 となる。
仮に通常勤務の時給を2000円(相当安いが)とすると, 2000 * 24 + (2000 * 1.25) * 22 + (2000 * 1.25 * 1.25) * 18 = 159250 となる。
一方,これを通常勤務のみでこなすとすると,64時間で, 2000 * 64 = 128000 となる。差し引きは31250円である。
もちろん完成までには徹夜するより時間がかかり,3日間徹夜の場合月曜の朝9時に始めれば木曜の朝9時には「すげーもん」ができているが,通常勤務のみだと64時間=8日間で,土日休むとして,月曜朝9時に始めると翌週水曜の午後6時に「すげーもん」ができることになる。 ちなみにどちらも「すげーもん」ができることに違いはない。
こうなると問題は,「約6日間早い完成」に「31250円」の価値があるかどうかになる。
「31250円? 意外と安いね」と思うかもしれないが,率にすれば約24%増し。約6日待てばその31250円=24%の追加費用を支払わずに,同じ「すげーもん」が手に入るのだ。
したがって,何らかの理由,例えば納期が迫っているとか,ライバル企業の新製品発表に先んじる必要がある(これとて本当にそれに価値があるのかどうか疑わしい)とかがないと「31250円」の支払いに妥当性はなく,株主に対する責任の観点からは厳密に言うと背任にさえなる。そもそも「納期が迫っている」というのが3日間徹夜の理由だとしたら,それが働く側の「自発的」な労働であるかどうかは極めて疑わしい。
そもそも上の話では1人で3日間徹夜する作業を想定しているが,複数人で3日間徹夜しないと「すげーもん」ができないのなら,上積み費用は 31250円 * 人数分 になる。あるいは本当にそれが1人で3日間の徹夜でできるものなら,3人アサインして3日間通常勤務すれば,上積み費用を払うことなく,しかもより早く(月曜朝9時に始めて水曜日の午後5時には)同じ「すげーもん」を手に入れられることになる。
(上の話にはもっと無理な仮定もある。それは「徹夜で働き続けても睡眠含む休息を十分に取った場合と同じ生産性が維持できる」という仮定だ。しかしそれはまた別の話なのでここでは敢えて触れない)
長々と書いてきたが,要するに何が言いたいかというと,被雇用者には「自発的」に長時間労働をする権利などない,ということだ。何にいくらコストをかけるかは経営側の専権事項である。
8営業日の通常勤務で作れるものを3日間徹夜して作るのは良く言って「被雇用者の自己満足」であり,普通に考えると「ただコストを増やしているだけの愚行」に過ぎないのだ。
いや「納期に間に合わせる」とかあるだろう,と言う反論が出てくるかもしれないので再度書くが,それはもはや「自発的」とは言えない。
元増田は抜け穴を探そうとするだろうからついでに書いておくが,「納期までに少しでもいいものにする」ために「自発的に」3日間徹夜をし,経営側もその分の採算の悪化を妥当とみなすケースはあり得る。
しかしそれが採算を少しでも悪化させるなら,株主に対する背任になりうることに留意すべきだろう。極論すると,株式会社においては,たとえ鉛筆1本でも,それが無意味なコストであれば,原則的には「背任」になる(もちろん可罰性があるかどうかは別問題)。
(だいたいその「納期までに少しでもいいものにする」努力自体 http://monthly-shota.hatenablog.com/entry/2016/10/20/214026 にある通り「もっとくだらなくて、どうでもいい仕事」であることが多いのだが,これもまた別の話になるので,これ以上は触れない)
結論としては,元増田がどうしても「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」という自由を欲するのならば,自分が経営者になるしかない。ブコメに「経営者になれ」とか「事業主になれ」とか「フリーになれ」とあるのはそういう意味。
ただ経営者になったとしても,他人に「3日間徹夜」を強制する権利はないよ。
こんなの書いても元増田は考えを変えないだろうとは思う。
シカトされるかボコボコに批判されるのを承知で(だから増田で)書く。むしろ論理的批判は歓迎だ。あと、この件について学問的に素人であることを最初に告白する。その上、これを書くための調査に要した時間もたかだか一時間程度であり、材料が偏っている可能性がある。だが科学的思考はできるつもりだ。
今広く報道される例の事件は、電通の労働事情が問題であるかどうかについては検討の余地があると思う。
日本で一年間の自殺の件数は2万人台で(https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H26/H26_jisatunojoukyou_01.pdf)、ざっくり考えると一日50人以上自殺している。世界的には、40秒に一人、誰かが自殺している(http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/131056/5/9789241564779_jpn.pdf 以下、「WHO報告」と呼ぶ)。これほど数が多い場合、統計学的考察が有用だ。個々のエピソードで語るのは、思考を歪ませてしまう。
今、報道やネットで大きく議論されているのは、電通での長時間労働が非常に悪かったのではないかということである。だがそれは真だろうか。私が疑問を持つのは、労働時間が短いことで有名なフランスでも自殺率は低くないじゃないか、ということがあるからだ。詳しく見よう。日本の自殺率23.1/10万人に対して、フランスで15.8/10万人、というデータがある(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html)。フランスは週35時間労働であり、超過勤務については法的制裁を含む強い規制がかけられている。アメリカでは13.7/10万人。条件を揃えるためには先進国で比較するのがよかろう。労働時間については、この3ヶ国では予想通りフランスが最短、次が日本、最長がアメリカ、とある(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html)。自殺率とは相関していないように見える。
「過労によって自殺した」という場合、統計学的には、超過労働時間と自殺率とのトレンドが、各種因子、例えば男女・年齢・社会経済状況、を補正したのちにも見られないといけない。ちなみに男性の自殺率は女性の3倍だ(WHO報告)。だから、上に述べた国別比較は、参考にはなるが、あくまで参考である。ネットで調べた限り(http://www.econ.hit-u.ac.jp/~kawaguch/class/seminar_undergrad/ugthesis2013/fujimoto_thesis.pdf)少なくとも日本で、超過労働時間と自殺率の関係に関する先行論文はないように見える。そしてこの参照先PDFには、「所定外労働時間(中略)については自 殺率を減少させていることが分かった。」と結論しているのだ。もちろんこの一件で全ての結論を出してはいけない。同じデータの違う解析や、独立したデータでの再現の確認などが必要だ。
しかし、「超過労働が明らかに自殺率を増加させる」ということについての、社会経済学的根拠が私には見つけられなかった。
医学的には自殺と関係するものとしてのは精神疾患、特にうつ病が挙げられるだろう。ならば、「超過労働がうつ病発生率を増加させる」→「うつ病が自殺率を増加させる」という因果関係にある可能性はあるか。これも短時間調べた限りだが、これまた「労働時間とうつ・抑うつなどの精神的負担との関連について,一致した結果は認められなかった。」とする報告がある(http://joh.sanei.or.jp/pdf/J48/J48_4_01.pdf)。
労働時間をどんなにすることよりも、もしかするとそれとは関係なく発症しているうつ病を早期に検知し、投薬を含むメンタルカウンセリングへのアクセスをよくすることの方が、自殺防止にははるかに重要だったりしないか。
我が子を自殺から守るためにするべきことは何か。考えている次第である。
もちろん、日本の超過労働(しかも効率の悪い)は是正されるべきだ。しかしこれは、例えば妻や子供といる時間を増やしてより豊かな家庭生活を送ることとか、余暇を増やしてレジャーによってより経済・産業を回すこととか、そういったことが目的であるだろう(これも学問的検討が必要だが、「家族といる時間が増える」ことについてはほぼ明らかと言えよう)。その上さらに、労働時間を減らせば自殺率は減るのか?自殺率を減らすために労働時間を減らすのか?本文で参照した論文によれば、自殺率と失業率は強く相関するとのことだ。労働時間を減らすと、少なくとも今の日本の労働慣行のままでは、経済は悪化すると思われる(これは将来的には労働慣行そのものを変えるべきだろう)。それで経済が悪化することで失業率が高まり、却って自殺率は高まらないか?
もしそうなら、その時政治に必要な決断は、労働時間を減らすことにより一時的に自殺率が増える可能性があり、メンタルヘルスケアを強化する、ということが必要になるだろう。これは、「労働時間を減らせば自然と自殺率は減る」と思っていたら起きない発想ということになる。
現状はあまりにも生産性が蔑ろにされてるから文句が出てるんでしょ。
高給ブラック会社とかって年収1000万で月100時間残業とするじゃん。8時間×20日で160時間。計260時間分の生産。
年収500万。7時間×20日×2人で280時間。十分賄える。むしろ効率良い分6時間×20×2日の240時間で260時間分に値する仕事をこなせると思うよ。
そんな単純な話じゃない、一人雇う人が増えると会社側が払うコストは二倍じゃ済まないのは分かるけど、そういうところを高効率で賄うという考え方をしてよと思うわけで、非効率に働いてだらだら残業代払ってる現状で生産高云々言われてもねってこと。
この辺のマネジメントをするのが会社の上層部と上司の役割なのに、「そうすると俺らの役員報酬が減るよね」「そんなことになるくらいなら社員に犠牲を払ってもらおう」という無能な会社トップが少なくないから文句言われる。
雇いたくても人がいない?ブラック会社が会社を清算したらちゃんと必要なところに人が回るよ。
じゃあお前が社長やれ?こういう反論良くする人がいるけど、俺が社長をやろうがやるまいが、ブラック会社の社長が無能なことには変わりないよね。自分の無能さをさっさと認めてトップを降りろ。
何より、生産高を上げたければ効率を上げるのが一番いいんだよ。今まで1時間で1生産してたところを効率化したことで0.9時間で1生産できるようになれば、同じ40時間で44.4時間分の生産高を上げられる。この「効率化」を実現するための空いた時間が必要。
googleが仕事時間の2割を自分のプロジェクトに費やしてよいとしたように、仕事時間の一部を効率化に使うべきなんだよ。そのわずかな時間をケチって生産に充てたところでいつまでたっても生産高はアップしない。何より所定の1.5倍も仕事を詰め込まれたら絶対に効率化する余裕はない。
効率アップ作業のため、一時的に生産高が落ちたとしよう。0.9×6か月=5.4 効率アップ作業を生産に回していたら1×6か月=6だ。
だが、このマイナス0.6なんてのは効率1.1で半年で取り返せる。その後は同じ生産時間で +0.1を得られるわけだ。
このように、本当に生産高が欲しいなら、長い目で見て、生産性に着目した方がよいと思わないか?
「もう今1.5倍の仕事があるんだよ。まずそれを捌かにゃいかんのに効率化するための時間なんか取れるか!」という職場が少なくないとは思うが、どこかで方向性変えないと一生悪循環なので…なんとかしようぜ。
電通だって「周りがこうなんだもん!どうにもなんないよ!」と言ってたけど、現状がどうしようもない状態なこと=それを放置して良いということではないと思うんだよ。
産業革命時に一日12時間以上働かされる中で、なんとか変えていった結果が一日8時間労働なわけじゃん。巻き戻しちゃいかんよ。
この発想はなかった……
http://togetter.com/li/1039072
『偉い人が「社員の生産性を向上させる」という打ち合わせをした結果「集中力を2倍高めて生産性を2倍にする」という結論だったと聞いて震えが止まらない』
ドヤ顔で。
海外で同じことを言ってもただの可哀想な人、としか見られない。
お仕事系ドラマを見ていても長い時間をかけて労働し、問題を解決する話が多い。
必ずと言っていいほど定時外で仕事をする様子が描かれる。
そしてそれは大抵物事解決や成功への道であり、長い時間をかけること=美徳として映る。
映ってしまう。
幼い頃からそういうドラマを見て育てば、長時間労働=頑張ってる人という図式が出来るだろう。
何気ないところで価値観の共有がなされている。
自分の小さい頃を思い出してみる。
宿題をしているふりをして机に向かっているだけで褒められた。
私自身、社会に出るまで長時間働くことは良いことなのだと思っていた。
実際に社会に出てその通りに働いたら身体を壊して、精神を病んで、辛くて死にたい日々を経験した。
ひょっとしたらそうじゃないんじゃないか?という疑問を持った。
価値観を疑って、文化にまで成り果てている長時間労働問題を解決するべきだ。
このことから何を学ぶべきか?
早く気付いて欲しい。
電通で働く人ってスクリーニングの過程で、ああいう耐性(だけが)があるのを見定めてるって感じだったのにっていうのが率直な感想。
言うたかて、社会人3年目ぐらいまで仕事らしい仕事なんてなくて、どこの会社でもただの作業(そう思わせないようにCTL大事)だってのに、とても可哀想だなって思った。
電通に限らず、クライアントにこたえなければならない仕事というのはたくさんある。
教育産業もその一つだ。学生や保護者、マスコミなどに対応しないといけない。
多くの大学では、学生を学外で何かさせるときは学生の危機管理、何か事故が起こった時の対策とかしている。海外でテロが起こったり、地震や津波が起こった時に備えていろいろ対策を立てているしお金も払っている。
学生に何かあれば保護者から責められるだろう。マスコミも責任を問うような報道をするだろう。文科省からの予算が減らされるかもしれない、そんな理由から土日も盆も正月もなく教職員が働いているところもある。
そういう環境で仕事を始めた人はそれが当たり前だと思うだろう。学生のため、大学のブランドのために必死に働くのは当然だと主張するだろう。電通の社員のように。古い体質のところであれば、残業や休日出勤をすることを評価する上司もいて、こういうことを積極的にやろうとする教員を評価するから、さらに仕事は増えていく。
ただ、そういう大学ばかりではない。
学生は自分の意思で行きたいということで学外の活動をしている。危機管理も健康管理も自分でやる。教員はそこで出た成果を見るだけ(場合によってはまだ努力が足りないやり直せと突き返す)。腹を据えてある意味学生を信じてほおりだす。そうすることで学生は自力でいろいろなことができるようになる。失敗しながら学んでいく。
大学側が手厚く保護する体制にあれば、学生は何かあったら教職員が何とかしてくれると思うから、自分で調べて自分の身を守ろうとしなくなる。相手とうまくやらなければとも思わないから、紹介されたホームステイ先の人と合わないから、別を紹介しろと言ってくる。親も同じように、要求がどんどんエスカレートする。自分で責任をもって行動しようとせずすべて人任せで、本人たちは成長しない、むしろ悪質なクレーマーとなっていく。
自主性を重んじる方の大学でも学生が問題を起こせば一応なんちゃら委員会の先生がマスコミの前で頭を下げる。ただ、それだからって年中マスコミを恐れてびくびくしているわけではない。東大でも京大でも慶應でもレイプ事件みたいなのは起こる。大きな災害が起これば学生が巻き込まれることもある。どうしたって一部はそういう学生がでる。教員が努力したところでそれを完全になくせるだろうか。
つまり、ある種の自信をもって、自分はこういう姿勢で仕事をする、というのを示す必要があるということだと思う。そうでなければ保護者や学生やマスコミや文科省や、いろいろな取り巻くアクターの都合に振り回されて、その人達の要求がエスカレートしてという形でどんどん仕事が増えていく。周りに振り回される側が評価されるかというとそうとも限らない。「うちの会社はこういうポリシーの会社です」というのをはっきり示すことで会社の評価が上がる場合もある。自分が働いていた大学の中では、ポリシーがはっきりしていて学生の自主性を重んじる大学の方が偏差値が高く、そうでないほうが偏差値が低く、学生集めに苦心していた。新入社員には難しいけれど、経営者側が「うちはこういう企業です」というのをはっきり示す、というのは信頼につながる。今回のニュースで広告代理店の評判はだいぶ下がったと思う。それを挽回するためには、(伊藤忠じゃないけど)経営者側がどれだけ改革したかを見せる必要があるんじゃないか。たぶんそうでもしないと一つの昭和の優良企業としてマスコミや家電メーカーと同様、沈んでいくしかなくなるだろう。
電通の事件で思ったんだけど、うちの会社、年棒制・見做し残業代つけてるっていう理由で、
今月残業が100超えそうで、さすがに仕事自体がアホらしくなってんだけど。
これ労基に通告したら対応してもらえるんだろうか。
それとも日本死ねって訴えないとだめ?
電通の社員だとか元社員がでてきて、クライアントがどうのって言ってて、それは本当にそうだと思う。
ただ人のせいにするばかりで、肝心の自分たちのことにはあまり触れられていないことが、もやっとする。
クライアントがモンスターなら、社内で仕事まわす側は更なるモンスターになってそんなことになってるわけで。
そして仕事を外に出す際には、クライアントを批判できるような立場には到底いられないような、超絶に強力なモンスターになって下請けをいじめる構図を積極的に作っていってる気がするんだけど・・・
たいがい電博とからむと関係してた従業員が一人二人消えるみたいなのが普通になってる下請け側からだと、目が曇るのかもしれないけど、世の中の悪循環にものすごいブーストかけてるところが、おれらは悪くないと虫が良すぎますよね。
電通でずっと週100時間以上残業させられた女性が苦痛のあまり自殺した。
担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。
私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。
物書き、編集、企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。
ゆくゆくはフリーになりたかったから、会社の仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。
するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティで勉強のためにととある会社に所属することにした。
面接と作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。
「修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」
それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。
そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。
それは仕事まで及び、短文からマンガの原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、
5時間くらい残業して何日もかけて書いたものを上司に見せると、これおかしいから手を入れるからと原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。
挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真のキャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。
原作や創作文章もいくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態だから会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。
もう自分のスタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかわからなくなっていた。
書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格を否定するようなことまで言われるようになっていった。
思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないから否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。
だから徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。
これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。
もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。
もうできるものなら死んでもいいと思っていた。
その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニックを受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。
それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。
しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープはホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。
ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。
もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかわからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。
運よくその前後に、以前の会社の出入り業者がデザインやMACを使える人を探していた。その会社の副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。
二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社へ転職することになったのは運がよかった。
新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署の個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。
PhD取得時に学振に落ち続け、論文を一報それもしょぼいのしか書いていないことが負い目になっています。
Yさんに入社一年目に研究者に向いていないと言われたことが呪いのように頭の中に常に流れておりますが、それは間違っていないように思います。
何を書いても怒られる未来しか予測できず、筆が進まず、提出ができず、また催促され怒られ、とてもつらいです。この環境で頑張っておられるグループの皆様を尊敬しておりますし今後とも応援しております。グループの皆様の、あいつよりはまし、あいつよりは自分はできるという気持ちのはけ口として役に立っていたら幸いです。
世渡りが下手なのか、地雷を踏んでばかりだと皆様に言われますが、踏みたくて踏んでるわけではないのです。
嫌われているから怒られているのかと思いだすと、怒られている要点がよくわからなくなってきている状況が非常によくないと感じています。
会社のストレスチェックも正直に答えたらとても悪い結果になってしまい開示しようか悩みましたが、人事にこのデータが行くことが自分の社会人人生に明らかに悪影響を与えることが推察されたので開示しませんでした。
入社一年目の終わりは会社に行きたくなくて、毎日おなかが痛くてつらくてつらくて仕方がありませんでした。
今はその時よりは業務的には楽なのですが、自分の未来が期待されていないことが一年目よりもわかってきて、その分仕事は楽でも精神はつらくなった気がします。
いろいろ言われたままだと癪なので、そんな風に腹は立っているうちはまだ大丈夫だと思っているのですが、怒られ続けている状態が定常化すると、自分に期待されていないことが客観的に感じられてとてもつらいですし、普段の集中力や思考力も低下してきているように感じます。
人一倍承認欲求や自己愛が強すぎるのが問題なのかもしれません。
自分に期待をしなくなればもう少し楽になれるのなら、もっと頭に靄がかかった方がよいかとも思いますが、仕事に支障が出そうなので、もっとしっかりしないとと強く思います。
親友達には心配はかけたくないですし、向精神薬は飲みたくありません。
Yさんと相性が悪かったのは事実ですし、新入社員のころから、仕事で成果もあげられず、他者と比較すると自分がみじめになることが多いです。
優秀な同期や先輩後輩たちをうらやましく思うことが多いですし、本心では負けてないと思っているのに行動が伴っていない、そんな自分が情けないです。
遅くまで残業されている皆様を見ていると自分が全然頑張っていないのにつらい気持ちでいっぱいになっているのがとっても情けない気持ちでいっぱいです。
電通の社員の方がなくなられた件で長期労働やパワハラの件でニュースになっており、それも心が痛いです。自分と状況を比較すると、論文が書けないくらいで困難から逃げているだけの自分が甘えているといわれていても仕方がないかとも思います。
お体にはお気をつけて頑張ってください。
なんか、まさにいま沈没していってる船の上で
「定時過ぎたんでー」
とか言ってるアホなバイト船員みたいでほんと滑稽。
バカの一辺倒で労働時間ガーつって、それと一緒にこれから先の時代に必要なエネルギーもろとも叩いて満足してるのとかほんと終わってる。
おれはがんばらないからオマエもがんばるなよ とかほんと反吐がでる。マジでやめてくれ。氏ぬなら勝手にひとりで氏んでくれよ誰も止めないから。
【追記】
ここでの“船”とは、日本国全体のことを指している
個々の企業の話などしていない。
電通はクソだ。潰すべき。電通を潰すべきなのであって、その他のエネルギッシュだけど誰も不幸になってない場所はそれでもいいだろ。問題は労働時間が長いことではない。
おれは自分の子どもたちの事を考えると、なんでおまえらがそんなに悠長に構えてられるのかがまったく理解できない。
おれらのオヤジたちが作り上げたものをのうのうと食いつぶしてるのはおれらのだ。
そんな中で、度が過ぎた過労や心労がいけないのは当たり前だが、大してモチベーションの高くないやつらが大声でやる気のあるやつもろともぶっ叩いてる構図が怖いんだ。
「かすり傷でもついたらいけないから運動会に出ない」と言ってる子どもみたいに見えるんだよ。
ほんと大丈夫なのかな。
【さらに追記】
「長時間労働をすれば船は沈まない」などとは一言も言ってないのです。
「あんたらのその言い方だと、頑張ろうとしてる人間の足を無駄に引っ張るんじゃないの」と言っている。
「労働が長時間かどうか」なんてのは問題の核心ではないのに、あたかもそれを改善すれば問題が解決するかのように、それが正義であるかのように皆が叫んでいるのが恐ろしい。
「3日間徹夜してがんばったらすげーもんができた!」っていうのをわざわざ潰す必要はないじゃん。
「それをやられるとこっちがバツが悪い」とか言うやつに合わせなきゃならない社会なんて、それこそ共産主義的でこわいんだけど。
そしてその周辺人物の大きな心の傷を残して
「たった2人の自殺」
では、会社というのは規模が膨れれば、自殺があって当然の組織なのがろうか
電通がここまでに叩かれるのは当然のことだ。
自殺者が出るほどの過労、残業をすればここまで叩かれるという見せしめ、磔行為なのだ。
世の悪徳経営者は震えあがっている事だろう、世の悪徳管理職は震えあがっている事だろう。
社員を大切にしなければ、ワークライフバランスを見直さなければ。
次に人を殺して、猛烈に叩かれるのは自分なのかもしれないのだから。
サラリーマン生活ですっかり忘れていたが今問題になっている広研に入っていた。
悪さはしなかった。それなりに規律があったので報道を見ていると正直違和感がある。
今は変わってしまったのかもしれない。あのころは楽しかった。多少派手な奴もいたが普通の学生の範疇だったと思う。
マスコミから写真を抜かれるのでFBからステータスを消せというローカルな連絡だけ来る。
特に電通はえぐい苛めの話をよく聞いた。だが、そのうち給料も上がって仕事も楽になる。辞めはしないんだろうなと思って聞いていた。あいつらはそれなりに勝ち組だった。
世の中の比率はわからないが、たいした数でもないサークルの同期はすでに二人自死している。心を壊して行方知れずになった奴もいる。
だが、生まれつきなのかなんなのかとんでもなくタフな奴もいる。普通に死ぬほど仕事して、実家の仕事手伝って、更に同期もまとめて、子供三人とか。
まあ、自分は第一線で働いている奴らからすると、取るに足りない仕事をしている。それしかできなかった。
格差が激しいのが空しくなりもう何年も誰とも会っていない。
最近分相応という言葉をよく考える。人間を生き物だと思う。晒されるプレッシャーに耐えられる奴だけが、場を与えられて、生き残っていくのだろう。
過労自殺の件で電通に批判が集まっている。だが、ちょっと待ってほしい。電通って何十年も営業している伝統ある企業で、延べ人数で何万人も社員がいる大企業だぞ? それぐらいの人数だったら自殺するやつなんてどこも何人かいるだろう。そこだけ切り取って「電通は悪い企業だ!」って騒ぎ立てるなんて、本質的な解決にならないんじゃないか? たった二人だぞ、自殺したの。そこをただ叩くよりも、もっと直すべきところがあるだろう。多かれ少なかれみんな残業しているんだから、電通だけを叩くっておかしいんじゃない? それで社会全体の改善に繋がるの?
毎朝毎朝、通勤ラッシュ時に駆け込み乗車をする人をよく見かける。
その度に「迷惑だな〜」とか「もっと時間に余裕を持って駆け込み乗車しないようにしなよw」とか思ってた。
しかし驚くべきことに、なんと朝の通勤ラッシュ時だけでなく夜の帰宅ラッシュの時にも駆け込み乗車をする人がいるのだ。
もう仕事が終わってこれから帰宅している時間なのに何故急ぐ必要があるのだろう、とずっと不思議に思っていたが、こないだの「電通の新入社員の過労自殺」の件で何となくわかってしまった。
彼らは、19時、20時過ぎでもまだ仕事があるのだ。
私が仕事終わって帰っている時でも、彼らにとっては「まだ仕事はこれから」。電車に乗ってこれから得意先の所へ行くのかもしれない。だから駆け込み乗車をしてでも「なる早」で目的地へ着く必要があるのだろう。
私は彼らを許そうと思った。
ここでも電通が暗躍してんのか