はてなキーワード: 第一人者とは
ボクシングで親友に勝てない主人公がやさぐれて戦場に出向いて人殺し回ったあとで雷神(エミタイ)と呼ばれて帰国。親友と対決するが、親友は山の中で仙人みたいな修行ばっかして余裕ぶっこいてる雲上人。これにパンチが当たらず、「もう殺す」とか親友に殺意を向けるが、どういうわけかクリーンファイトに目覚めて打ち合うという話。
結局ボクシングで人生を棒に振ったようしかみえない。傭兵になるまで思いつめなくてももっと他に人生はあったよ、という優しい一声が欲しかった大作。
つねに「ぐは!」と言いながら投げたり投げなかったりする漫画。ラブコメ要素があるけどまあ普通の漫画だと思う。最終話掲載のビッグコミックスピリッツがうちの倉庫に眠ってます。表紙はゆうきなえじゃなかったっけ(違うかも。調べろ。嫌だめんどくさい)。松田さんが日刊エブリーという雑誌の記者だったことを何故か覚えてることと、アニメ版の1話はパンチラ強調しすぎ。永井真理子は良い。以上。
北斗のイメージと言えばパチスロ。パチスロといえば北斗というくらい某所得層に残った漫画だが、笑えるエピソードが多すぎて元祖シリアスギャグ漫画家な、と思っている。シリアスギャグ漫画の二大巨頭は『カイタン』と『彼岸島』なんだけど、思えば北斗もわりとね。ただあまりにも出来に開きがありすぎるので原先生に失礼だと思う。
き、気持ちいいぜ~ぴやばっ
某所の某電力の原発漫画の第一人者だが、古舘伊知郎と絡んで以降当人も特にマンガで食ってゆく意思がなく、リタイア。ぶっちゃけプロの目があったと思う(まあめちゃコミとかRenta!とかそういう系列だが)。
【G1復刻】ライスシャワーがマックイーン3連覇の夢粉砕/天皇賞・春
ライスシャワー(牡5、飯塚)が無敵マックイーンを倒して古馬日本一の座に輝いた。
10万人の観衆を集めた大一番、第107回天皇賞(春)は単勝2番人気のライスシャワーが断然人気のメジロマックイーンを直線で突き放し、3分17秒1と従来の記録を1秒7縮めるウルトラレコードで優勝。ミホノブルボンの3冠を阻止した昨年菊花賞に続いて二つ目のG1を制覇するとともに、メジロマックイーンの3連覇、武豊騎手の5連覇、3週連続G1優勝の夢を砕き、世代交代を高らかに告げた。
トウカイテイオーに並ぶことさえ許さなかった孤高のステイヤー、メジロマックイーンが今、後ろから来た馬に並ばれている。武の驚くような顔が勝利の確信をより強いものにした。首を振って食い下がる芦毛の怪物をラスト300メートルで突き放す。2馬身半の決定的な差をつけ、政権交代を告げるゴール。
「菊花賞よりうれしい勝利です」。殊勲の的場は声を震わせてその感激を語った。ふだんは控えめで地味な的場騎手が珍しく何度も馬上で右手を挙げ、勝利を誇示する。それは、ひそかに胸の中にしまいこんでいた、関西の人気騎手武、関東の第一人者岡部への勝利宣言でもあった。
ミホノブルボンの3冠を阻んだ時は、思わぬ憎まれ役になった。今度はマックイーンの3連覇を阻止。だが、もう的場もライスシャワーも悪役ではない。世代間の戦いに勝ち、頂点へ上りつめたチャンプだ。
以下のことが30歳を過ぎるまでにできていなければ、現代の競争社会から
淘汰されると思っているのですが、どうでしょうか?
・部活、サークルに入ったり、アルバイトをして社会・社交性を身に付ける
→何を言われても気にしない自尊心と自信を持つこと
・会社で「必要とされるスキル」を「必要なレベル」まで磨き、職場で”第一人者”になる
→自分が好きとか得意とかではなく、相手(会社)が求めるスキルであること
・あるいは副業、起業、投資などで生活が担保できるレベルにする
・BBQ、旅行、飲み会、同窓会に参加し、これまで築いたコミュニティを”維持”する
ちなみに私はコミュニティは年とともに疎遠となり、パートナーもおらず、
スキルも求められるレベルに達しておらず、副業、投資もしておらず、
メンタルも弱く、人の目を気にしてしまうので、もうすぐ淘汰されそうです。
これらを満たしていなくても、不安なく生きていくにはどうしたらいいでしょうか。
ワルキューレの冒険をご存知だろうか。
ファミコン時代のゲームともなれば、今や知る人は少ないかもしれない。
英語読みでバルキリーとしたほうが色々と馴染みがあるかもしれない。
その後ワルキューレの伝説というアーケードゲームが発売されるが、その後はリメイクやサイドストーリーものがいくつか発売されただけ(他のゲームへのゲスト参加などもある。)で、完全新作と呼べるものは一切発売されていない。
このゲームは、ベースとなるストーリーや設定がとてもよくできている。
キャラクターの生みの親によるコミックも発売されていて、ゲームでは描かれなかったバックボーンを知ることもできる。
ギャルゲーという概念すらなかった当時、多くの男性ファンを魅了したキャラクターの第一人者といってもいいだろう。
(当時、魅力的な女性キャラといえば脱衣麻雀のキャラ達が席巻していた時代だ。)
その頃のアーケードゲーム情報を扱うゲーメストという雑誌の、はじめて女性キャラだけを扱った別冊ギャルズアイランドでは、第一号の表紙を飾るほどの人気だった。
ギャルズアイランドなどという下品な響きとは似つかわしくないほどの神々しい表紙を是非検索して見てもらいたい。
カイ(ドルアーガ)、ワンダーモモ、アリス(メルヘンメイズ)、アルテミス(フェリオス)、アリーシャ(ドラゴンスピリット)、ジェニファー(スプラッターハウス)、安駄婆(源平討魔伝)
そんなキャラクター達を差し置いて、やはりワルキューレは頭一つ飛び抜けた人気があった。
今でこそ自立した女性が当たり前になったが、その当時にしても凛として一つ筋の通った性格で誰に媚びるわけでもなく自らの力で道を切り開いていく姿は、この時代に置き換えても何一つ色褪せて見えない。
そんな彼女自信のキャラクターもさることながら、世界観、また、それを取り巻くキャラクターたちもどこか憎めず、ストーリーもシリアスながらどこかコミカルで、それでいて最後は胸が熱くなるようなまるでディズニーの名作と比べても何ら遜色のない作りをしている。
主人公が魅力的。
サブキャラクターたちもキャラがしっかりとしていて、出てくるアイテムや武器も豊富。
敵キャラクターも恐ろし過ぎず、暴力的すぎないので全年齢対象作品。
BGMが神。(まじで神。飛ばし飛ばしでいいのでYoutubeでワルキューレの伝説プレイ動画を是非見てほしい。)
こんなにも素晴らしい作品なのに、ここ何年も新作が発売されないのはどうしてなのか!
もしこれら特性を生かして、ゼルダのように作品展開できていたら、今や国民的女神になっていてもおかしくなかったはずだ。
ゼルダシリーズのどれをワルキューレに置き換えても全く違和感がないし、むしろもっと広くファン層を獲得できそうな気さえしてくる。
何年か前にナムコによるカタログIPオープン化プロジェクトと称して、その一環としてワルキューレが踊る動画が公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=uPvAqueGLds
泣いたよ。声を上げて泣いた。
見たかった彼女はこういうのじゃなかったけど、だけど曲がりなりにも公式がちゃんとした彼女の姿を見せてくれたことは素直に嬉しかった。
お見合いで結婚をするとなったときも、お見合い相手にまず紹介したのはワルキューレのフィギアだった。
最初はモニターの上にちょこんと座らせておいて、相手が気づいたときに「実は、、、」と切り出した。
これを受け入れてもらえない相手とは絶対にうまくいくわけがないとわかっていたからだ。
別に散財をするほどのめり込んでいるわけではない。心の支えとしてそばに置いてあるだけなんだという説明をすんなりと受け入れてくれた今の妻には感謝しかない。
もし彼女が国民的女神になっていたら、同士達にこんな思いをさせなくて済むだろう。
今からでも遅くない。
ギャルズアイランドの表紙を飾ったときのような癒やしの笑顔や、天空から地上に降り立つ瞬間の決意に満ちた凛とした表情、神と人間や別種族の間にたって葛藤していく姿で世界を魅了してくれ。
今こそ求められているんだよ。ワルキューレ。
息子と一緒に妻の前でも遠慮なく楽しめるような、ほんわかとしてそれでいて人間性の成長につながるようなしっかりとしたストーリーのワルキューレのと冒険が、僕はしたいんだ。
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
かのゲーム産業の第一人者である任天堂は、Nintendo Switchに人狼系ゲーム「Among Us」が移植されたとき、こう言った。
「アモング アス」と。( https://www.youtube.com/watch?v=VXVNbXIuRpM )
学のない世のYoutuberはこの発言に騙され、このゲームを次々と「アモング アス」と呼び始めた。
任天堂の発言があるまでは「アマング アス」と言っていた人でさえ、である。
しかし、英単語"among"の発音は、カタカナで書けば間違いなく「アマング」なのである。
発音記号は"əˈmʌŋ"。"o"の発音に該当するのは"ʌ"。
これは、"cut"の"u"や"come"の"o"と同じ発音である。
訛りなどない一般的な発音で、誰がこれらの単語を「コット」や「コム」と言うだろうか。
もし、この単語を間違った発音で覚えてしまい、それが入試問題の発音問題に出たらどうする気なのか。
誤った発音を世に発信してしまった任天堂、そしてそれを何の違和感も覚えずに拡散し続けるYoutuber、
その両者の罪は重い。
再掲になるが。
受験生諸君、"among"の"o"の発音は"cut"の"u"や"come"の"o"と同じ発音である。
ゆめゆめ間違えることなかれ。
https://anond.hatelabo.jp/20201130143825
この増田に触発されて。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/77739
みんな大好き初詣も、おみくじ、占い、お盆、クリスマス、バレンタイン、ジューンブライドもみんなスピリチュアルでしょ?スピリチュアル嫌いな人がどうやって折り合いをつけているのか知りたいくらいだよ。
まず、「スピリチュアル」というものを定義したい。日本でスピリチュアルという時、最も一般的なのは海外発のニューエイジ〜日本における精神世界〜ほぼ同じ内容ながら大衆向けに転換した「スピリチュアル」だと思う。
これはこの分野の第一人者、宗教学者島薗進や、それを引き継いでの研究を参照してのものだが、スピリチュアル界隈について見ている人なら概ね納得してもらえると思う。
最もよくまとまっているのは「精神世界のゆくえ」(これは精神世界についてだがスピリチュアルも中身はほぼ同じ,より新しいものなら「スピリチュアル市場の研究」あたり)だが、とりあえずスピリチュアリティのwikipedia記事、「日本での展開」について読むだけでもおおよそ分かってもらえると思う。
例えば下記のようなものだ。癒しや自己啓発に結びつくものが多い。
・瞑想
・ヨーガ(単なる健康法ではなくチャクラの覚醒やエネルギーについて言われることも多い)
・代替医療(レイキ、手かざし、ホメオパシー、気功、各種ヒーリングなど)
スピリチュアルの特徴は、「宗教ではない」とされること。スピリチュアルで使われる要素自体は宗教的なものが多いが、宗教団体という形を取っていることはほとんどなく、多くは個人としてスピリチュアル本やグッズを消費している(といってもスピリチュアルビジネスの主体が教祖のように振舞っているパターンはよく見られる)。
また、スピリチュアルと共通した概念を取り込んでいる新宗教もあるが、少なくともスピリチュアル界隈で堂々と「○○教です!」と主張されることはほぼないと思う。
となると、「初詣やおみくじ、お盆、クリスマス、バレンタインetc」のほとんどがスピリチュアルには当てはまらないことがお分かり頂けると思う。
ここで挙げられていたのは、世間一般的に行われている慣習であり、私からすれば特に癒しを求めているわけでもないのでスピリチュアルなこととは思わない。占いについてはスピリチュアルの範疇に入るかもしれないが、これは触れなくても問題なく生活はできる。また、初詣については、神社を「スピリチュアルなパワーが得られる」パワースポットとは思っていないのでスピリチュアルな人達とは目的が違っている。
小林麻耶さんの事件で問題になったのは、まさに上述したような教祖化するビジネス運営側であり、スピリチュアル界隈ではこういう例が頻繁に見られる。
個人でやる分にはやたらと批判されることもないだろうが、資格ビジネス化していることも多く、健康被害やキャリアの形成に繋がりかねないような言説(ニセ医療や一般社会での労働を軽視しスピ商材での自立を促す)をばらまく側になってしまっていることがあるので難しい。
著書とか記事とかに載ってるドヤ顔や、魔法とかメディアアートなんて単語は確かに好き嫌いが分かれるかも知れないけども
開成筑波東大と普通に高学歴ではてなーの好きな博士で准教授だし
やってることも、はてなーの好きな多様性を始めとする社会問題やSDGsをテクノロジーで解決しようとする向きだし
はてなーの好きな芸術家だし、文化庁やら色んな賞を受賞してるし
なんで嫌われてるの?
自分はとある機会に氏の講演を聞いたのだけど頭の回転が凄く速いのが印象で
よくいるコンセプトだけを掲げてる人かと思いきや、既存のテクノロジーや考え方を利用して課題解決を考える、地に足のついたアプローチを主にしてて
様々な研究や第一人者からよく学び、今後は無視できないであろうSDGsの課題に研究者として取り組んでて、啓発も十分に行ってる
正直、ああこんな若手が次の社会を担っていくのかと感心した
本人はあまり技術を生み出してないという意見は分からないでもないけど、新たな技術を開発するより既存の技術のAとBを組み合わせてみようとか本来研究者として当たり前の行為じゃない?
なんで嫌われてるの?