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はてなキーワード: 無駄とは

2024-06-20

anond:20240618122917

世界一スパコンはあっても良いかもしれんが国産スパコンは売れないし売る気も無いか無駄っちゅうことやね。

さんざ汎用性の高さが売りと言ってた富嶽が実際にはかなり特化したコードチューニングしないとかなり遅いってのは地名的で、そらミニ富嶽も売れないわなぁ。

anond:20240619020210

コロンブス=卵としか認識してないアホが、無駄クオリティの高いものを作ってしまったのが間違い

だって石丸伸二に投票したいわけじゃねえんだよ、なあ

東京都知事選

もうふざけんなよと

こりゃ投票率も下がるだろ

若者政治離れ?無関心?

若者だけのせいにするなよ、なあ

誰が首長になっても大して何も変わらんと思うような選挙に、誰が積極的に行きたいと思うんよ

まずまともな候補者をお前らの世代から出せ

話はそれから

その上でまともな選挙をさせてくれ


毎回そう思うような選挙だったがね

石丸伸二

今までいそうでいなかったタイプだと思った

発言が明快であり、主義主張のブレがない

少なくとも一本筋の通った主張をしているな、と思う

今までは政治の場での質疑というものは噛み合わないのが基本、と思っていた

みんなそうだったか

しかしみんな直球の答弁を避けたり、単に議論が下手なだけだったのではないか

石丸伸二の答弁を聞いているとそう思わせられる部分がある

うーんしかしな

ちょっと発言に痛い部分も見られるし、安芸高田市議会での論破パフォーマンスは少しやり過ぎ感があったのも否めない

それに全部が全部公約に賛成というわけでもないし、実力についても高々4年小さい市の首長やっただけじゃ判断できねえよ

それでも、政治家の姿勢、態度、というものは少なくともこうあるべきである、という点において、ブレていないというのは評価できる



小池蓮舫石丸田母神の4人で討論してる動画も見たよ

ほんとに討論の形式になっていたかは置いておいてな

例えば、原発推進かどうか、yesかnoかで答えろと、そういう質問

小池蓮舫は長々と思いの丈を述べるだけでyesかnoか、はっきりと答えない

0点

関係各所との調整が必要?都だけでは決められない??

そんなこと百も承知なんだよ、舐めるなよ、ふざけんな

で、お前はどうしたいの?????

リクルートも聞いて呆れるわ

お前の考えを聞いてんだよ

政策に票を入れさせてくれよ

人気投票やってんじゃねんだわ

当たり障りのないことだけ言って無難に票集めようとすな

そういう態度が気に食わない


もういいよ

もういいか

頼むから石丸伸二の姿勢スタンダードになってくれ

えらいよ、石丸伸二えらいと思うけど

それが政治家の普通スタンダードであってくれ、頼むから

当たり前のことで無駄議論すんなよもう

裏金?透明性?説明責任を果たす?

聞き飽きたわ

しょーもな

当たり前のことを当たり前にやれや

当たり前のことが当たり前にできた上で、その上で各々の政策聞いて票入れたいんや

別に石丸伸二の政策全部に大賛成なんて微塵も思わん

ももう他にないじゃんよ

消極的にでも入れるしかないんよ

政策の是非をもっと考えさせてくれんか


ちゃんとした選択肢もっと都民に与えてくれ

2024-06-19

家に議員さんのポスターパンフレットが届いた

どこで住所漏れたのかわからんけど、誰にも彼に配達するの?

カラーコピー代と配送代とが無駄すぎない?

紙の日に資源として出す予定ですが

女性限定公募男性差別とか言ってる女見てガチ萎えしてる

ジェンダーギャップ指数高位の国にいるけど日本はどう見ても順位通りのひどい男尊女卑国だよ

日本についても趣味ながらも勉強して外から支援活動に参加してきたけど、

奴隷解放を望んでる奴隷には法整備進めたり支援活動打ち立てたりする価値あると思うが

奴隷になりたいか奴隷でいさせろと逆ギレする奴隷には救う意味価値がないか無駄からやめるわ


今まで不文律男性限定公募だったからやってるんでしょ、こちから見たら明らかにいまの日本の男女同権には必要プロセスだよ

と思ってたけど反対する女がいるなら日本より他の国に時間使いたいよな

日本語が話せるよしみでやってたけど無駄だわ

女性限定公募男性差別とか言ってる女見てガチ萎えしてる

ジェンダーギャップ指数高位の国にいるけど日本はどう見ても順位通りのひどい男尊女卑国だよ

日本についても趣味ながらも勉強して外から支援活動に参加してきたけど、

奴隷解放を望んでる奴隷には法整備進めたり支援活動打ち立てたりする価値あると思うが

奴隷になりたいか奴隷でいさせろと逆ギレする奴隷には救う意味価値がないか無駄からやめるわ


今まで不文律男性限定公募だったからやってるんでしょ、こちから見たら明らかにいまの日本の男女同権には必要プロセスだよ

と思ってたけど反対する女がいるなら日本より他の国に時間使いたいよな

日本語が話せるよしみでやってたけど無駄だわ

anond:20240619213805

放置してどうやって苦しむんだよ

地道に面倒でも叩いてきたから減ったんだが

女叩きの時代にまた戻りたいのか?

今まで女性可哀想からそれなりの時間と労力使ってきっちり叩いてきたけどお前の書き込み見てもうええわと思ったわ

からは女叩きに与するし女叩き支援しま

フェミニズムやめるわバカの国でフェミニズムやるだけ無駄だよな目が覚めたわ

anond:20240619191740

でも自分の子供が女を当てがえとか言ってる気色悪いチー牛に育つなら

育てたくないよ

人生時間無駄じゃん

ほんと徒労に終わる無駄努力って感じ

そんなの尊い命でもなんでもない

それだったら推し活して幸せ暮らした方がいいよ

 

自分人生時間を大量に注ぎ込んで

チー牛育てたい人なんかいないのに

なんで嘘つくの?

小池学歴詐称疑惑に対して対抗する無意味

日本の政治の場においては、政権与党側が疑惑をふっかけられた時点で負け。

どんなに時間をかけて「疑惑裏付け証拠がない」ことを証明しても、

ますます疑惑が深まって追求側の攻撃過激化し、

国民の間でも疑惑が確定事項になって行く。

疑惑をふっかけられるような隙を見せた時点で自動的に負けが確定し、

それに対して抵抗しても無駄ってのを安倍の結末から学んでないんだろうか。

それとも安倍にはできなかった「疑惑がないことの証明」が自分にはできるとでも思ってるんだろうか。

自民党内での勢力争いに負けて都政に逃げ込んだ小池とき小物風情が?

ちゃんちゃらおかしくてへそで茶が湧くわ。

大人しく負けを認めて都知事選を辞退しろよ。

今なら「都知事選無敗の選挙女王」として国政に復帰できるかもよ?

「ほっぺがおちる」の仲間

ほっぺがおちる=おいしくて表情が緩み頬が下がるのをあらわす慣用句

骨が折れる=きつい作業をあらわす慣用句

目玉が飛び出る=値段が高いのをあらわす慣用句

銀歯がとれる=ソフトキャンディの強さを評価する慣用句

チクビがとれる=ワッフル生地などゴワゴワのポロシャツをあらわす慣用句



追記

思いのほかトラバブクマジワったな。みんなサンキュー

そういえばほっぺがおちるは「ほっぺがおちそう」しか知らんくて「おちそう」と「ごちそう」がかかってると永年思ってたわ。それお前ほっぺ関係なくない?って思ってた。


Amazon普段着用にセーター買ったけどチクビがとれそうな素材だったから着なかったことがある。やっぱり通販で服買うのはダメ

ネット生地なんかネット記事と同じくらい要注意よな。とくに冬場はチクビがお前硬化サスオオカブトやったんかーい!ってくらい無駄に硬化するときあるしな(赤道ギャグ


腹がよじれる: 笑いによる腹斜筋群のエクササイズ効果を表す

笑い系はこの方面多いよな。コーヒー吹いたwwとかもはや実際は真顔であるということをあらわす慣用句

anond:20240619142138

ワイは投票に行くのに使う体力は無駄やと考えて毎回棄権してるやで。

攻略Wikiに「低レア活躍するから育成した方がいいよ!ただしこいつらは例外な!」って、

名指しで育成非推奨されていたワイの推しに、将来スキンが来ることを知って小躍りしている。

ありがとうアークナイツありがとうハイパーグリフ。

艦これ推し公式から干されてゲーム中では2016年から追加要素が全くなく、

アニメ一期で背景モブとして出たことに小さな幸せを感じていたら、

円盤ではピンポイントでそこだけ消されて、アニメ出演がなかったことにされる。

一方で姉妹艦は大小さまざまなゲームコラボやグッズでの描き下ろしが大量供給

アニメ二期ではゲームでの看板キャラ差し置いて、主役に大抜擢され、

連動して改三まで実装し、水着グラまでご用意されると言う徹底した優遇ぶり。

そんな環境下で、怨嗟と憤怒と飢餓に苦しみながらも、

正気を保ち続けた経験無駄じゃなかったんだ。

C2と田中謙介は絶対さない。末代まで祟ってやる。

祟ってやる。

祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる祟ってやる

anond:20240618231750

でも絶対当選しない人に入れても無駄なんだから

当選しそうな中から一番ましなのぶってのは合理的投票行動ですよね

anond:20240619110957

洗えよクソが お前みたいのがいるかゴミ処理に無駄な金がかかるんだわ

弱者男性だけど整形して変わったこ

前に整形してクラスで一番目(俺の学生時代比較)ぐらいのイケメンになったと話した増田だけど、いくつか変わったこと事がある



  • 年齢問わず知らない女さんからしかけられる事が増えたり知らない女さんの愛想がかーなーり良くなった







意外と変わらなかった事

  • 職場では本人の耳に入る所で整形の話しをする人はおらず表向きは普段通りやれてる
  • 商売でもなければ勤務態度は普通なので些事……なのか?

  • 結局自分磨きとやらはまだまだ続く
    • 外見振る舞い共にやらなきゃいけない事が多岐にわたるようだ
      • あと足を踏み入れて思ったのが、女さんの美容への執念と金や労力のかけ具合は男の想像を絶するもので、脱コルとやらに対しては男側からはあえて何も言わないのが無難かもね


個人的な心に残った言葉たち

  • 「服は意外と普通なんだな」
  • 「化粧やってそう」
  • 「意外と腰低いね


化粧もこれからやります

でも化粧男子って多分男カーストだと雑魚なので依然として弱者男性ってところかな?

別れた夫はなんであんなどうでもいいことを子供たちに怒鳴って怒ってたんだろな…って考えてた。

私がどうでもよくない?って言うとめちゃくちゃ怒ってたけど自分もそれやってるよね…とか。

なんか本人は筋が通ってるつもりなんだけど、側から見るとなんか言ってることおかしいのほんとに気づいてなかったのかな、客観的にも社会的にも頭のいい人なはずなのに…とか。

自分は躾のために嫌われ役をやるって勝手悲劇ヒーローやってたけど、子供たちに嫌われたことはこたえてた。

躾は怒鳴らなくても怒らなくてもできるよね…って言っても、子供動物と同じだからっていう持論は曲げなかったなー。

あと叱り方がすごく意地悪だった。あれはほんとにやだったな。

子供たちが何か失敗したりやらかしたりすると、考えられる中で1番意地悪な解釈して怒って、子供たちが無駄に傷ついてることも非難すると躾だからって言い張ってた。

それは嫌われるよ…って私はいつも思ってた。

最後は私もだいぶその意地悪な思考にやられてて、それも含めていろんなストレスちょっとおかしくなってた時は夫はもっと酷いこと思ってるに違いないって妄想が止まらなくなってた。

でも多分、本人はそんな酷いこと言ったんだって自覚はまったくないんだと思う。今でも。

自分は言い方が悪いことはあるけど、根本的に間違ったことは何ひとつ言っていないっていつも言ってた。まあその言い方の悪さにも限度はあるよね…

やっと落ち着いて今思うのは、あれは親御さんからそういう育てられ方をしたからなのかなとか。

自分も親御さんのこと嫌いなくせに、躾はあれが正しいって信じてたとかなんだろうか。

彼は結婚するとき、私がそういう意地悪を言わないところが人柄として好ましいって言ってたのに、自分子育てする番になってそれ忘れちゃったんだなあ…

あるいは彼は子供たちを私みたいな人間にはしたくなかったのか。

あれっその時点でもう私こそがすでに愛されてはなかったのか…?まあそれは考え過ぎか。

今は子供たちも私の実家で落ち着いて生活してる。

もう意地悪を言ったり怒鳴る家族はいいから、だいぶ穏やかになって姉妹喧嘩することも減った。

でも夫もほんとは誰よりも家族幸せを願ってたはずなのに、彼にはそれが最後までわからなかったのはとても気の毒に思う。

anond:20240618222241 anond:20240618221543

ワイもADHDで50差があるけど、ゆうて仕事のもので困ることまずないのよな。生活基本的な部分で苦労してるんだよね

両親はフリーダムで、『やりたくないことはやらない』というワイの態度をほぼ矯正しなかったのよ。結果、その部分でつまずいてる感じ

 

例えば、手先が極端に不器用で異常にすっとろいから、料理日常タスクとして難しい。今はお金があるから問題ないけど、収入がなくなったら詰むよね

偏食がなければ、レンジでチンするだけの食事でも大丈夫だろうけど、パンダ並に偏食が激しくて、Nashダメだったし、

Oisixミールキットレベルでも異常にすっとろいか日常タスクとしては厳しかった

エアフライヤーは買ってよかったけど、毎日揚げ物や焼き物ばかり食べたくないし、そもそも毎日きちんと食事すること自体が難しい

食べたくないもの食べるくらいなら別に食べなくていいやってなっちゃうんだよな

いい年なので低血糖で発汗したり具合が悪くならないようにだけ気をつけてるが

 

そのほかの日常部分においても(基本的な身だしなみとか)ほぼ似たようなレベル

 

あと、お金管理がすごくルーズ

収入が増えたか貯金はできてるけど、時間が有限だってことをガン無視で、常時また稼げばいいの精神

衝動性が強くて全ブッ込み余裕なので投資も難しい。両親もお金管理が極端にルーズで、投資(投機?)や純粋ギャンブル趣味や女遊びに全ブッ込みしていてた

今の収入に対しての支出という意味では問題ないけど、料理が難しくて偏食があって目移りもし易いから食費がやたら高い

年を取ってもこの出費で大丈夫かは自信ない

ちな、FP相談したら、『お金が残るなら問題ない』と言われただけで、特に何もなく、無駄に恥だけかいただけでしたわ

 

それから感情コントロール

幸いなことに、発作的に人を殴ったり物を壊したりするほど深刻じゃないけど、異常に怒りが強い

一度テンションが上がるとなかなか落ち着かない。もっと感情をうまく扱えるように訓練しておけばよかったよね

自己コントロールがまともなら、大人対応ができたり、習得時間が掛かる課題もっと取り組めたかも知れないし、雑創作にも時間割けたし、

複数案件をこなしてもっとお金拾えてたかも知れない・・・・って思ってたけど、最近別にそんなことはなかったかも知れんなとも思い始めている

人よりも出来ないことが多くて、計画性がなくて、異常にすっとろいから、強い感情がなければ何もできなかった可能ワンチャンある

 

とりあえず、発達性読み書き障害用の英語教材を買ったけど、いつものように先送りにして1年経過したので、取り組まないとなって思ってるやで

シルバーバーチ読んで落ち込んでる人向け

今の人生がつらいのは

過去の償いをしている場合

前世でできなかった体験をしている場合

があるらしい。

の子供は本当に本当に本当に手がかかるんだけど、それは私が今までこんな大変な子を育てた体験がなかったからなのかもしれない。私は今まで「子供なんて育てたように育つんだ。できないのは親が悪い」くらいに思ってる世間知らずだったのかもしれない。子育ては本当に大変。思い通りにいかないし、思い通りにいっていいのかすらわからない。

無難人生じゃ学べないことが多々あるんだろうね。だから今苦しんでる人は「自分はそれほど悪い奴だったのか……」と落ち込むより「自分は今まで幸せ過ぎたのだろう。今回は苦労を体験しに来てるんだ」と考えたほうが精神的にマシだよ。どんな体験無駄にならないらしいし。しんどいけどね……。

あーセックスしてー

でもセックスしても関係維持するのがめんどう

本当は心の底からセックスいらねえ、時間無駄ってなれる境地になりたい

疲れるんだわ性欲ちゃん

2024-06-18

anond:20240618234414

事業仕分け自体予算削減ありきやからなあ

事業仕分けをすると無駄予算削減で埋蔵金が出てきて民主党マニフェストの財源にできますという話であって

事業仕分けしたら仕分け対象事業予算が数倍になりました」となるのを望んでたわけがいからな

おもいだせない肉じゃがのはなし

相当昔(2014-2017年ごろ?)誰かのブログで見た肉じゃがの話をもう一度読みたい。

確か料理研究家?のレシピ引用していて

調味料は大さじ1?小さじ1?で良い

・少ない調味料で色むらがある位が美味しそうにみえ

こんなことが書いてあった気がする。

書き手の人は煮物はびたびたであるもので育ってきたけど

自炊するようになって、少量で十分美味しいし調味料無駄がなくていいしいいことづくめだ、みたいなことも書いてた。

すごく読みやす文章だったんだよなあ。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

仕事のうち1つを辞めたので、毎日時間ができるようになった。毎日映画を見ることだってできるな。今日から1年間で365個映画を見るサラリーマン、などというXのアカウントでも作れるな。感想を書いたり、自分気持ち文字にして残すことが苦手で、今まで何もしてこなかった。昔見た映画の内容などほとんど覚えていない。なんだか無駄人生を歩んでいる気がする。明日から楽しんでみようかな。

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