はてなキーワード: 日本民族とは
トレンドに上がってたのでサンフランシスコ市議会での議論を見てみた。
http://sanfrancisco.granicus.com/MediaPlayer.php?view_id=178&clip_id=23681
これに限ったことじゃないけど、なんで日本のおっさんていうのは負け方が下手なんだろうなと思う。
戦後70年経ってまだグズグズ言ってるのもそもそもがこの「負け方が下手」ということに尽きると思えてしまう。
何回も何回も韓国が謝罪と賠償を求めてくることについて「韓国の下品な国民性」のせいにしてるけど、それだけじゃないだろう。
目良とかいうおっさんが議長に注意されたり、発言が終わったあと元慰安婦という女性が不規則発言したりといろいろあるけど、どうしてこういう場所でこういう発言するのかとマジで不思議でたまらない。
そんなにまでして「自分らは悪くない。悪いと認めたら日本民族の恥」にこだわる理由って何なんだろうと思う。
ここからは少し話が大きくなるけど、自分の知っているおっさん連中というのは謝ることが非常に下手だ。
間違いを認めるのも下手だし、一度自分がした発言を引っ込めるのもド下手だ。
他の人から意見を言われるとまるで自分がバカにされたかのように怒り出すし、理論よりも目先のプライドを優先させて自分の意見が通るかどうかに非常にこだわる。
そしてそういう傾向は会社の経営者や大学の教授など、高所得者やインテリなどいわゆる社会的強者に非常に多い。
おっさんと書いたけど、同様の立場にいる女性(おばさん)にも全く同じ傾向をしている人が多数いる。
・質問があった時には肯定的に、そして「素晴らしいことに気づいてくださいました」という姿勢で説明し
・事前に根回しをして賛成してくれるように接待をして
・その計画や研究がかなったときにはあなたがトップとなりますということを示して
というところまでしないと話し合いがまとまらない。
実際に提案内容を作るよりも、こういうご機嫌取りのために使う時間の方が膨大でそれが残業代を圧迫していると言ってもいいくらいだ。
でも自分のような下の世代がこういうご機嫌取りをしているからこそ、富裕層や経営者層のおっさんやおばさんは「議論は周りが自然に自分を持ち上げてくれるもの」という思い込みを持つようになるのかもしれないと思うようになってきた。
だからといってそういうやつらに真っ向から逆らった提案をしたり、議論で完膚無きまで叩きのめしてもそれで自分の提案が通ることはない。
それにリア充などといわれて恋愛や、ましてや結婚してるような連中は、間違いなく在日朝鮮人か朝鮮人に決まっている
平和を願う普通の日本を愛する日本人である俺たちから搾取して私腹を肥やしているのを、安部総統閣下と自民党が国内の寄生虫の在チョンを駆逐してくださってるための増税だろ?
在日朝鮮人はいますぐ日本国籍と全財産を放棄してこの国から出ていけ
お前らがため込んでる金や、汚らしい9cmチンポをしゃぶらせてる上級国民のお嬢様やモデルやアイドル声優、大和撫子との恋愛や、リア充の座は
帰化人は公務員を目指して必死に勉強して、公務員になると反日活動をやる。市役所から国家公務員まで帰化人はいる。
自衛隊の中にもいる。
国会議員にもいる。左翼政党だけじゃなくて中道左派の自民の中にもいる。
立法・行政・司法の中に薄く広く帰化人が蔓延してきたのだ。その結果日本人が排斥されたのだ。
日本人の定義を「江戸時代から日本に住んでいる人の末裔」にしてそれ以外は帰化人として、日本人より権利を制限しよう。いやなら国に帰ってもらえばいい。
日本はどこに誰が住んでいるか戸籍を使って記録していた。江戸時代は全ての人は寺の檀家になっており宗門人別改帳で戸籍が記録された。
現在も住民基本台帳で戸籍が守られている。しかし、過去の記録が破壊されつつあるのだ。出自を記録しなければならない。
キモくて金のないオッサン(弱者男性)は、結婚できないのも妻子を持てないのも、すべてが自己責任だ。
もしも貧困に陥ったときのセーフティネットで、衣食住・医療だけが「人権」で保障される。
お前たちはそれで満足しろ、愚痴をこぼすな、と言っているのがサヨクだよ。
だったらそれと同じで、弱者女性を助けずに放置して、出産・育児を断念するように追いこむべきである。
ロスジェネ世代の女性は、実際そんな感じで棄民みたいになっているし、もうそれでよくないか?
弱者女性のために衣食住・医療費のセーフティネットを用意すれば、それで「人権」は十分なんでしょう? 結婚・出産のような幸せを望むなら、あとは各人がせいぜい自助努力でがんばってください。
↑こうなると少子化が止まらず、日本社会は衰退するだろうけど、「お国のために」という多産奨励よりマシだと思う。
そうなったら移民を入れて、いきいき働いてもらえばいい。サヨクによれば、日本は日本人だけのものではないのだから、移民に参政権を与えて、国家運営を任せればいいだけの話だ。もし日本民族の人口が激減して移民だらけの国になったとしても、「人権」的に問題ない。
しかし今日では、そのサヨクが「いきいきママを応援しろ」と言い出して、良妻賢母を増やそうという国民運動の急先鋒になっている。つまり、日本民族のための日本を守ろうと躍起になっているわけだが、いつからサヨク共はナショナリストになったのか? こんなん、草生えるわ。
俺はADHDだ。社会に迷惑をかけて生きてきた。存在自体が社会の迷惑だ。実際に、迷惑だ迷惑だ迷惑だ、と30代になる今まで言われ続けて育ってきた。生まれてこの方、怒られないことはなかった。俺みたいな迷惑な人間が生まれてこなければ、定型発達者だけで幸福な社会を作ることができたはずだったのに、俺はこの国に生まれ、30代までのうのうと生き腐った。俺が子供を作っても、ADHDは遺伝するから障碍者が一人増えるだけだ。社会にとって有害だ。ADHDは人口の5%ぐらいだから、日本に俺みたいな迷惑な人間が600万人ぐらいもいる計算になる。
最近選挙があっただろう。なぜ、ADHDを皆殺しにするという政党が出てこないんだ?これを読んでいるお前は俺を殺さないんだ?迷惑をかける人間が減ることは、この国にとって良いことじゃないか。俺はもうオッサンだ。確かに俺が子供の頃は、ADHDなんて言葉もなかったし、ADHDの子供を見つける技術も発達していなかった。だから、俺みたいな30代が要ることは百歩譲って不思議じゃない。けど、ADHDの子は今も生まれ続けている。国から、「お前はADHDだから避妊手術を受けろ」みたいな命令も来ていない。なんでだ?人口が増えるのはいいことだろうが、俺みたいな迷惑な人間が増えても仕方がないだろう。事実、これまで、俺に接してきた定型発達者は、全員俺を迷惑な人間だと非難した。俺は定型発達者の協力がなければ生きていけない。そんな人間を増やしてどうしようっていうんだ?
これを読んでいるお前が定型発達の日本国籍保持者なら、ADHDの人間を探して日本のために殺す義務がある。お前は俺を殺す義務があるんだ。俺は誇り高く礼儀正しい日本人なのに、ADHDなんていう歪んだ迷惑行為を行う異常者の遺伝子を持って生まれてきて、しかも、女を妊娠させる事が可能で、日本民族を汚そうとしているんだぞ?なんで民族のために立ち上がらないんだ?なんで俺を殺そうとしないんだ?なんで俺を含むADHDの人間を抹殺する事を公約にする政党が生まれない?600万人も俺みたいな迷惑な人間がいるんだぞ!!!!怖くないのか?600万人も俺みたいな迷惑な異常者をのさばらせておいて怖くないのか?俺みたいな奴らをのさばらせておいて、この国の将来の世代に申し訳なくないのか?
俺みたいなADHDの迷惑な有害日本人を皆殺しにする義務を、定型発達の日本国籍者持っているはずだ。お前は俺を殺せ。それがお前に課せられた、日本民族を守るための義務だ。ADHDの人間を見つけて殺すんだ。それが、日本の、この国のためになるんだ。さぁ、まず、俺から殺すんだ!
はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。
『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。
僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああいう教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである。
ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである。日本民族がいかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的な価値観を元に記述せざるをえなくなる。
客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。
いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。
クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。
例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています。
平清盛が後白河法皇を幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団や中央の貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇の皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏の源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。
これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝や信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団が挙兵して、ついに内乱は全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。
平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。
しかし、畿内・西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏は北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国に都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼・義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係の説明が詰め込まれています。
まず、平清盛が後白河天皇を幽閉したこと、安徳天皇を即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています。
当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています。
次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団や中央の貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王と源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています。
これはまさしく因果関係に言及しているわけです。
このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価や因果関係がしっかりと述べられているのです。
そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。
なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています。
治承・寿永の乱は、一般には源氏と平氏の戦いといわれている。しかし歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏と平氏の勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王の挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃・近江・河内の源氏、若狭・越前・加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏らである。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである。
彼らの動向をまとめあげ、武家の棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲・源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。
教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。
この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司や荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。
こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。
他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。
【参考文献】
(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)
伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏の根拠地・鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦、千葉、上総氏などの有力な東国武士と主従関係を結んで御家人とし
頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います。
三浦、千葉、上総という武士の名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏の名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦のときに唐突に登場します。)
[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政・裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元・三善康信が就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島で平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦で平氏を滅ぼした。
[]は引用者註。
この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。
鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています。
北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦いで平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国の地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原(神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇と対立したので、法皇は同年、頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経はさらに平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門の壇ノ浦で平氏一門を滅ぼした。
この教科書は歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。
上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海・東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏が都落ちに安徳天皇を伴ったことも言及なし。
というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります。
鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍に面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。
教科書の中では唯一、桐原書店だけが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。
(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍に面接して」という説明も省かれています)
["新恩給与"についての註]
土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。
これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!
所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世の土地支配の構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います。
なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています。
職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園の場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。
この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地そのものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。
しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会と文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています。
地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益の意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利。
これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配の構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?
せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。
さて、桐原書店の教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています。
幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権を意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近衛大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。
Aについては南北朝時代の武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨・甲斐善光寺蔵)。
とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。
網野善彦の著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います。
他の教科書には載ってませんが、ピンポイントで東大入試に出題されました。
源氏と鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏の氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮(八幡宮の前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。
鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍の教科書だけです。
上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉と経済流通」というのも掲載されています。
東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉の都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います。
こののち、後白河法皇は義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令を希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。
頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています。
あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷の命令を無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。
それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇・朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。
両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます。
関西にある政権が東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ。
平氏は安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力を回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門の壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。
この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス。
都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。
どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています。
ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西の教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇や平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)
例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国の武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とあります。さらに西国の御家人が東国の御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書の関西中心っぽい史観は独特です。
子育てに苦しんでる人は、本来子供を生むべき知能を持って生まれなかったんだ。進化の流れに反することをしてるから苦しむのだ。
民族の中で最も頭のいい半数だけが子供を産めばいい。そうすれば、民族が賢くなる。
日本は、大多数が日本民族なんだから、今起こってる少子化は、民族が進化するプロセスなんだ。自然の摂理に反してはならない。
何も頭の悪い人間は死ねと言ってるわけじゃない。頭の悪い人間は子を作るなと言ってるだけだ。自分については、他人が何を言おうが生きる権利はあるが、子供については、子が生まれたら社会の協力なしには育てられないのだから、社会が子を作るべき人を選べる仕組みであるべきだ。
そして、実際に子供が作れる余裕がある人が社会に選ばれているからこそ、少子化が起こっているんだ。つまり、少子化は、社会が子を作るべき人を選んだ結果なのだ。
少子化は民族の進化、社会の進化のための自然なプロセスだ。それを無理に食い止めようとするのは不自然だ。子供を作るべきでない人が子供を作ると、本人も子供も社会も苦しむんだ。
ちょっとまだ理解できないことがあるのでネトウヨさん教えて欲しい。
今日本に住んでる日本人のDNAって、朝鮮半島に住んでる人間に近いっていうじゃん?
稲作はもちろん、日本の文明は朝鮮半島から伝えられたのが始まりなもんが多いっていうし。
そうすると、日本民族が朝鮮人より優れた人種だっていうことの根拠をどこに見出せばいいのかね?
2000年弱のうちに分化して、圧倒的に優秀な人種になったって事でおk?
それとも、今現在の文化文明が日本の方が優れてるから、日本人のほうが優れた民族なんだ、って事でいいの?
もしくは日本人が朝鮮半島から渡ってきた人の子孫だなんていう説は無視して、
日本人は「阿Q正伝」の小説を知らないのだろうか。この作品の主人公は「底辺階層」だった。この小説の教訓は、中国人のレベルの低さに対する檄文という訳だが、「日本民族云々」と思考停止する日本人は今こそこそ読み返すべきだ。日本の大衆の代表格「ポストギャル・ポストヤンキー・マイルドオタク」の民度は外国人に例えれば何だ?
文学に限らなくても、非ファンタジー作品に出てくる日本の現実の町並みが登場する小説群に出てくる登場人物はまさに日本の平民や下層そのものだった。日本は恥ずかしながら、国民の人格はライトノベルの登場人物、民度や階層は昔の携帯小説の登場人物並みに劣化しているのである。だから中国人や韓国人を冷笑することは絶対にできない。「瑞穂の国」の現実を考えた方がいい。
オタク向けの作品を例にするまでもなく、欧米ならハリウッド作品、隣国であれば韓流など、私が親しんだことのあるサブカルチャーには必ずや現実風刺があった。そういえば日本の最近のドラマは単なる社会風刺である。私からみれば一昔前の韓国ドラマそのものだ。
現代日本人の正体は日本国籍を持ったコスモポリタンで、彼らの云う右翼は、愛国心が極めて低く、日本以外に誇れるアイデンティティのない悲しい人物である。天皇制をぼろ糞にいえる左翼のほうがずっとましだ。
そんな連中は、歴史的文学のレベルからやり直す必要がある。日本民族云々とホルホルする前にまず、「阿Q正伝」から読み返せ。こんな連中に発言権を与え続ければ日本の環境はろくなことにならないぞ。
それはそうと、また日本の自称右翼に落ち度のない日本人たちが叩かれているのでしょうか。私の妹のtoto1等当選がばれた後にいたずらメールが殺到しています。
「お前は日本人を名乗るな」と。
もう慣れたというか、飽きたというか・・・。まったくもう・・・。本当に馬鹿の一つ覚えですね・・・。
なんであなたたちはそんなにワンパターンなんですか?洗脳でもされていらっしゃるのでしょうか?
その頭は飾りですか?自分の考えで動けないんですか?
どうせいじめるなら、もう少し頭を使ったほうがいいんじゃないですか?
あなたがたのような卑怯で陰湿な民族は、現実社会やネット社会や日本社会だけじゃない。
それは外国人による日本の掲示板の『日本人に対する批判や非難』を見て頂ければ、
一目瞭然です。
ネット自警団??