はてなキーワード: 投げ銭とは
最近の個人勢VTuberと出稼ぎ風俗嬢って、ちょーっと似てない?
どっちもさ、すぐ他人のせいにして辞めるよね。
私さ、前ちょっとだけ個人勢ブイチューバーやってた時期あるの。登録者伸びない、配信盛り上がらない、全部リスナーのせいにして辞めた。
わかる?この感じ。
風俗嬢もさ、ちょっと客層悪いとか、店のシステムが合わないとか、すぐ辞めるじゃん?
結局どっちも自分の努力不足を棚に上げて環境のせいにして逃げてるだけなんだよね
努力できない奴らが他責思考で簡単に辞める、マジでその神経が理解できないんだけど。努力もせずに金稼ごうとか甘いんだよ。
世の中そんな甘くないっていい加減気づけよ。ってかさ、そもそも簡単に投げ出す奴が何やっても成功しないっていい加減気づけ。
私も最初はさ、VTuberの配信見て「私もやれば人気出るかも!」とか思ってたけど大間違いだったわ。才能ない奴は何やっても無理。
風俗嬢も同じでしょ。ちょっと容姿が良いからって簡単に稼げると思って風俗来るけど、結局メンタル弱くて続かない。
自分に甘い奴ってほんと無理。努力しないで文句ばっかり言う奴とか視界に入れたくない。SNSで愚痴って同情買おうとしてるのもマジでイタい。
努力もせずに金だけもらおうとするとか図々しいにも程がある。
結局、何やっても中途半端で続かない奴ってどこ行っても無理なんだよ。
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
友人のA子は無職だけど障害年金を受給していて、よくお気に入りの配信者に投げ銭をしてる。
先日A子と通話した際に「配信者に投げ銭するくらいなら俺に現金くれた方がいい。起業するから俺に投資した方が有効活用できる」と言った。
なぜそんなことを言ったかというと、A子が見ている配信アプリは還元率が低く、投げ銭をしても配信者の元には僅かな額しか入ってこないためドブに金を捨てるようなものだからだ。
それにせっかくA子が投げ銭してもA子の応援している配信者が有効活用できるかわからないし、それなら使い道も明確にある俺に現金を渡すほうが無駄がないと考えた。
ところがA子は俺の提案は断ったくせにその後も投げ銭を続けている。
いまや一躍時の人となった国民民主党代表、彼は結構昔からYoutubeで精力的に活動していて、政策を伝える動画や有権者と交流する生配信を節目節目にやっている。
今回問題提起するのは、代表がこの生配信においてスパチャをONにしていることだ。
動画文化に疎いはてな諸氏のために簡単に説明すると、「スパチャ」とはYouTubeの生配信における投げ銭機能「スーパーチャット」の略称で、視聴者は色付きの目立つコメントやスタンプと共に数百円から数万円のお金を送ることができる。
どんな配信でも送れるわけではなく配信者は時と場合に応じてこの機能をONにしたいOFFにしたりできる。
GoogleやAppleなどのプラットフォーマーから30%~50%程度の手数料を取られるし、一日当たりの上限が5万円と決まっているので、献金手段としてみると微妙なのだが、問題はこれ、どこの国からでも送れるし、匿名で送れるのだ。
最近の配信では選挙大勝のご祝儀もあってか、一配信で100万円を超すスパチャを集め、喜びを隠せない代表。
代表はこのお金の処理について、まずは個人の雑所得として計上して納税したうえで、匿名寄付として個人事務所に収めるといっていた。(ごめんこの辺り記憶で書いてるので曖昧、気になる人は配信を見てくれ)
これはいいのか?
プラットフォーマーへの手数料(30~50%)と雑所得への課税(20%)でほとんど手元に残る金はないわけだが、非効率ではあるもののこのやり方なら外国勢力から金を集めることができる。
外国人によるパー券購入禁止の主旨が国政への外国勢力の影響を防ぐためだというのならこっちはどうなの?
と素人目に思うのだが詳しい人教えてくれ。
むっちゃ好きなイラストレーターさんができたので、ファンボックスを初体験した話。
売ってるものが「未統合PSDデータ」とかで、自分には一切無意味なものだったが(見る専だしそもそもイラレ持ってないし)月500円プランにした。
で、Threadsで「複製原画とかないけど投げ銭のつもりで」とか適当につぶやいたところ、なんと本人が拾ってくれて、複製原画を商品に入れてくれたので、自分へのご褒美に買った。
それがさっき届いたと言う話である。
5万円だった。これは我が家の一ヶ月分の食費に相当する。
飾った。
満足度高い。
美しい。
脳内で、SHIROBAKOの舞茸しめじさんによる「自分へのご褒美って。自分への罰は与えないくせに」と言う言葉が流れたが、これでいいのだ。
俺は褒めて伸びる方なので。
年に1枚ぐらいのペースで地道に増やして行きたい。
ホスト業界では「俺は俺以外か」で有名なローランドが率いるROLAND GROUPに所属した「俊」がYoutubeライブに本格参戦しDoneruなどの高還元投げ銭サービスを利用し、月間数千万の投げ銭を集めて投げ銭タワーを立てまくり、大成功を収めたことをきっかけに配信戦国時代へ。
ROLAND GROUPでは先人の強みを活かしてYoutubeLive+Doneruの組み合わせで前人未到の年間売上6億円ホストが誕生。1年で歌舞伎町ホスト業界の歴史を一気に書き換えた。
また業界最王手の一つ、冬月グループとそのフランチャイズのグループユグドラシルはイケメンライブ配信アプリ「toU」での活動を本格化。「toU」での投げ銭をそのまま直接売り上げに連結するシステムを構築。ライブ配信だけで月間1000万円以上売り上げるプレイヤーを輩出。
YoutubeLive以外にもTikTokライブを本拠地にするプレイヤーも各グループでは増え続けている。TikTokではTikTok Live バトルという配信を行っているTikTokライバー同士でコラボを行い「一定時間(5分間)内でより多くのギフト(投げ銭)をもらった方が勝つ」という、昭和か?という機能が盛り上がっており、ホストライバーもこぞって参戦し、ギフトが乱れ飛んでいる。
客引きの規制が厳しくなる中で「集客はSNS(と出会い系アプリ)で行う」という手法が一般化し、その次の段階として「集金もSNSで行う」という手法が流行、その後の頂き女子事件での売掛規制を受けて一気に加速した。
今では大手のほとんどが売り上げをエース以外、太客以外、常連以外、店すら飛び出して広大なネットの海から広く浅く抜いて売り上げを作るという方向性にシフトしている。
ライブ配信に限らず、大手は代表やエースプレイヤーが個人チャンネルを持ちプロのカメラマンとディレクターを入れてドキュメンタリー形式でトラブルや日々の営業をドラマチックに演出した動画を作成し公開し、これまでホスト業界がリーチできていなかった層への幅広い訴求を行っている。
VTuberをはじめとする配信者、配信事業に関わる業界人であれば、
自己肯定感が高い人間なら「自分も投げ銭されたい」「配信者をやってみよう」と考えるだろう。
大体、配信者に5万円のスーパーチャットが飛び交おうが、自分の懐は一切痛まない。
口出しする理由がない…人の金の使い方にケチを付けたくなるのか?
自分が支払った税金が何に使われているかより、顔も知らない他人の金遣いを気にするのも変な話だ。
何への嫉妬だろうか? 人望の差を見せつけられることへの嫉妬だと思う。
投げ銭とは「この人にできるだけ長く活動してもらいたい」という好意の表れで、大げさに言えば「長生きしてほしい人に対する贈与」でもある。
画家や役者を支援するパトロンしかり、いつの時代も魅力的な人間には自然と金が集まる。
投げ銭の具体的な金額を通して、愛される人間とそうでない人間の差にイラつくのだ。
Vtuberに投げ銭しなくなった代わりに今はアザラシが人気。
https://playboard.co/en/channel/UCaqwCONkIsKkpMK2UlU_B4g/superchat
んなこと言ったってよー
投げ銭すると認知されてるかもしれないって思える瞬間が訪れちゃってよー
https://anond.hatelabo.jp/20240912074918
の元増田だけど
なんかブコメとかのアレルギー反応みると みんなVtuber大好きで投げ銭してる奴も多数なのかもしれないなぁってのが伝わってきて面白かった。わかったVtuberの話題はもうしないよ笑
なんか上手く言えないけど風俗夜職とVtuberって密接に関わってる気がするんだよね。
元風俗夜職のアニメ声のおばさんがVtuberやってるケースめっちゃ多そうだし、それ抜きにしてもVtuberの配信にハァハァするのはネットの風俗キャバクラでしかないと思う。
Vtuberに投げ銭サブスクしてる男を見るとゲロ吐きそうだし見てらんないのがあの文章書いたきっかけだし、それならリアルの風俗のほうがマシだよと伝えたかった。
女慣れしてないってのは詐欺に合いやすいってことなんだよ。その究極の形がVtuber配信者に投げ銭だと個人的には思う。
冷静に考えれば顔は隠すわ(この時点でそこそこの年齢いってる可能性が示唆される)だいたいの配信者が酒好きだわ(このへんから元夜職の匂いがする)でまともな女がいないのわかるんだけどね。
最近はてな匿名での非モテ自分のスペック晒がなぜか流行ってるが、みんな似たような傾向にあることがわかってきた。
酒タバコギャンブルはわかるよ。でも風俗は興味ないのは良いことでもあり悪いことでもある。なぜなら”プライドが高すぎる”から行かないだけの可能性が高いから。
彼女いたり彼女いた経験あったり既婚者も普通にみんな風俗行きまくってるよ。
自分の場合は逆に風俗に行って「ヤバい客来たと思われないように身だしなみを整えよう」とか「このファッションだといかにもオタクだよなぁ」とか考えるようになったり
「どうして女の子はそんな髪の毛サラサラなの?」「ん〜ヘアオイルとか高級なアイロンとか色々あるんだよ」と女の子と会話して知識を得たり。
ちなみにイケてる系の若い女の子はファッションのオタクだからファッション関係の質問は食いつくてくれる。普段どこで服買うの?とか。(若い子みんなZOZOTOWNとかネット)
そうやって自分から積極的に女性とコミュニケーション取ろうとすれば自然と「あぁ女の子はこういうの食いつくんだ」「演説したくなる話題振るのがいいんだな」とかわかってくる。
そしてここからが本題だけど、はてな匿名非モテの共通点はみんなVtuberにハマってる、ハマってそうなこと。
俺は個人的に”Vtuberにハマる””Vtuberに投げ銭””Vtuberじゃなくても顔出しオタサー姫配信者の推し”はこの世で一番時間がもったいないし金の無駄だと思ってる。
こいつらに時間を費やしてもいっっっっっさいプラスになることが何もない。↑を見てもらえば風俗やP活のほうが遥かにマシなことがわかるだろう。どんな形であれ現実の女と向き合えってこと。
たぶんチー牛系非モテ男子はプライドが高すぎるんよ。真面目だから風俗行きませんじゃないのよ。プライドが高すぎるから行きたくないのよ。
そんな状態で生きてたらたぶん可愛い子いても「プライドが高いから向こうが好きになるのをじっと待つ」だの「清潔感や身だしなみで人を判断するような女は興味ない中身を見てほしい」みたいな
頑固でわがままな人間になる。自分は今では普通にファッションに興味も持ち、それなりにモテるようになったが元を辿ると風俗なことに気がついたから書いた。
まぁあえてサイト名は書かないよ、知ってる人ならあぁ知ってるって程度には最近よくみるサイト。
昔はエロチャットといえば、詐欺か業者しかいなかったけど、今はすごいね。
でも、エッチなYouTuberって印象になったには、やはり日本人ストリーマーの功績だと思う。(功績?)
全世界の、ほぼ断言していい。全世界のストリーマーが単なるオナニー配信をしているなか、
もちろん、日本人の多くもオナニー配信をしてるんだけど、おもてなしの精神と、創意工夫とクリエイティブが凄い!
本業AV女優でもないだろうに、凝ってる人はシチュエーションとか、男優まで雇ってイメクラしてる。
数年前とか、海外なら、やっぱり「男が女を金にしてる」構図が多かったんだけど、
よほどの演技派でもないかぎり、見た感じ、最近はほんと、男が雇われてるね。
もちろん、雇われてるテイのSMプレイを男が女性に裏で強要してないかどうかは知らん。そんなのはもう見抜けない。
見てれば分かる。女性が主体となって、登録者数、スパチャ?の金額をあげようと色々と工夫してる。
あえてソロ路線の人もいれば、ユリレズもかなり多い。友達同士でーとか。ソロ配信者同士のコラボでーとか。
もちろん、昔ながらのカップル配信や、オラオラ系の男が女をパンパンやるのものあるけど、
オナニー配信中に、水道修理の人が来て、その扉一枚挟んで生配信的なんてのもやってた。
あんなん、業者がサクラ以外ありえねーからwwwwってのまで含めて楽しい。
全世界同じサイトなんだけど、外人さんと比べると、画質もいいし、小道具も凝ってるし
日本人のこの突き抜けちゃうアレはやっぱエロの世界でも変わらないんだねーっていう。
もちろん好みの差はあるし、世界は広いけど、個人的には上位の外人でも抜けるのは1個もないね。
おっぱいさらしてるだけの手抜き配信とか(喘ぎ声すら無い)ひどい。オナニーも魅せるオナニーじゃないっていうか、
数年前なら全然シコれたんだけど、もちろん今でもシコれるんだけど、
海外のサイトだからさ、俺もはじめはそーゆー系の詐欺ビデオサイトかと思ったんだけどさ、
無料枠とかはビデオなのもあるけど、そーゆー手抜きは伸びないね。
だいたい、チケットChat(有料)への誘導で、ほんと前戯?が凄い。
「はい、ここからは有料でーす!」が、腹たたないやり方なんよ。
ヘタな人は、はい、もっと激しいの見たかったら有料ねー、なんだけど、
案外男はね、それでは金を出さないのよ。
なんなら、別にVtubertがエロじゃなくてもスパチャ飛ぶように、
おっぱいとか、まんこで釣ってるけど、稼ぎ技能の主体が、おっぱいまんこじゃないのよ。
ほんと誇らしい。
追記:会員登録しなくても全然抜けるし見れるし、ログインしたら無料でも名前呼んでくれる人は呼んでくれる。日本人の一部はね。外人は知らん。外人にもおもてなし人材いるのかもしれんけど、俺は知らん。ほんとYouTubeのスパチャみたいな感じ。チャットでコミュニケーション出来るので、当然リクエストも出来る。
投げ銭しないと何もしてくれない人もいれば、タダでなんでもやってくれる人もいる。
だから業者感はほんとにない。無いっていうか、仕組み的に業者じゃないんだろうね。
自分の好みの女性にオナニー中に「あぁん♡◯◯さんっ、◯◯さんっ!!イクゥー」って言って貰うくらい無料か数百円でも可能だと思う。
まぁ、そこそこ投げ銭するのはマナーかなとは思うけど。風俗行く勇気もない弱男にはおすすめ。ただ、風俗よりも高くつかんように気をつけてな。