はてなキーワード: 憂鬱とは
元増田です
今後の参考にします
せっかく生徒がいないから普段はできない作業をまとめてやっちゃうぞ~~と思ってたら
生徒の夏休みが終わるまでにあれとこれとそれをやっといてね!!って先週の金曜日に急に言われて
多すぎないですか?勤務時間内に終わらないですよ、っていうのをそれとなく伝えたけど全然分かってくれなくて
(意地悪してるんじゃなくて本当に分からないだけなんだと思う。自分の説明が下手なのもあると思うけど……)
今日は本当は9時半~15時までの勤務だけど9時に来て16時半に帰ったよ
そうしないととても終わりそうにないから
仕事を指示してきた先生はたくさん休み取ってるから午前に一瞬会ったけど昼には帰ったっぽい
今後もたぶんそんなに会えないと思う
勤務超過してることは誰にも気づかれなかった
研修もあるし学校に生徒が来て応対しなきゃいけない日もあるし今時は夏休みが短いし
それを考えるとあんまり残りの日数がないから毎日16時半に退勤になるかな
帰りが遅いから家族が不審に思っててそろそろ「情けない!!定時に帰りますってはっきり言えーーーー!!」って怒鳴り散らされそうでそれも憂鬱
普通なら年度末に面接や簡単な筆記試験を受けて、経験者だからってわりとあっさり採用されてまた次の学校に……っていう流れになると思うけど
ちょっと最近精神的に限界で急に涙がポロポロ出てきたり他にも体の不調があったりして
もう辞めたい……と考えるようになった
学生の時に工場のバイトやったことあるけど鉄粉飛びまくってるし高いところに鉄パイプが無造作に積まれてるし姿勢ほとんど変わらないからめちゃくちゃ首と肩痛くなるし要領悪すぎて他の人より明らかに作業進んでないしでこれを一生やるのは自分には無理だなあって思ったけどしょうがないのかな
なるべく早く寝るぞ
アラサー既婚2年目夫婦。東京在住で両家とも実家は新幹線で数時間の遠方。
私の実家はまあ狭い家で、6畳2間に両親と私と弟、家族4人身を寄せ合って暮らしているような世帯だった。
居間と寝室しかなく、思春期になってからは寝室6畳を私と弟の部屋で無理やり割って、自分の部屋として3畳の空間を確保して暮らしていた。親は居間に寝るようになった。
そんな実家なので、結婚した後も夫を実家に泊りにこさせるのは無理だろうな(昼間遊びにくるならまだしも、客を呼ぶ家ではない)と思っていた。
なのに今年のお盆、いつも通りひとりで帰る連絡を実家にしたら、親がいい加減旦那を連れて帰って来なさい、とのたまう。
これまでは夫を放っておいていいの?と言われても、友達にも会いたいからと言ってスルーしてひとりで帰っていたものの、親としてもそろそろちゃんと親戚づきあいしないと、と言い出した。
配偶者の実家に泊まることが、「ちゃんとした」親戚づきあいだというのか?
別に実家には泊まってなくても、親が東京にくるときまたは実家近くに行くようにして、3ヶ月に1度の頻度で夫と親は顔を会わせている。
定期的に贈り物のやり取りや手紙だって送るし、関係は十分良好だと思う。
なのになんでわざわざそんな狭い実家に呼ばなきゃいけないのか。
夫は心の綺麗な人なので、両親が呼んでくれるなら行くよ〜と気軽に言ってくれるが、何より私がいやだ。
狭い家で育ったというコンプレックスもあると思う。
親からはそんな私の心理を見抜かれて、恥ずかしい実家かもしれないけどいつまでも夫だってお客さんじゃないんだから、、と言ってくる。
恥ずかしいと思ってないよ。いやちょっと思っているけど。
でも狭い家に無理やり夫を連れて行くことはないじゃない。ホテルだっていいじゃない。
なのに親は納得してくれない。
別に私だって実家が嫌いなんじゃないんだよ。ひとりで帰るには全然いいんだよ。でも実家は窮屈なんだよ。夫を連れて行きたくないんだよ。
実家に帰ると、たった3畳のクーラーもない部屋で、いつかここより広い部屋に住んでやると思いながらガリガリ勉強した18の夏に戻っちゃうんだよ。
今の私は東京都心に住みながらバリバリ働いてる設定なんだから、あんな狭い家に育ったという設定は似合わないんだよ。
夫の実家は3LDKのちゃんとしたマンションで、泊りに行けばプライバシーは確保されるし、うちのような狭い世帯とはわけが違うんだよ・・・・
無理して自分の実家に呼ばなくていいじゃないか。。。と思う自分はおかしいのだろうか。。。
あー、こういうことを思う時点で実家に関してのコンプレックスが結構あるんだろうな。
夫を連れていけばそれも解消されるのかしら。呑気に旅行気分でいてくれるから楽しんでくれればいいのだけど。
それにしても憂鬱。
日中の出来事を詳しく教えてくれるんだけど、へーそうなんだって感じ
たまに帰宅時に旦那と長男がバトルしてる時があり、それがこちらに飛び火して、お前の躾が悪いからだと責められる。
(小さい頃は私が世話してた。
会社から大急ぎで帰り、2人の子供を風呂に入れて、少し遊んで寝かしつけをする。
旦那は部屋に引きこもる。
もうどうでもよくなる。
子どもは大切だが元気に生きてればいいよね的な
旦那との喧嘩のフォローなんて馬鹿らしくなってきたしやらなくていいや!
世の中のお父さんあっぱれ!
反応あって嬉しいー!
フラリーマンは悪だとか言う風潮があるけど、帰りたくない!
疎外され、命を削って稼いだ金を持ってかれる
寂しい思いをするために家に帰る必要があるのだろうか?
もう全てがめんどくさい!!
辛い
同じだけ会社にいるはずの同期との差がめちゃくちゃ開いてる気がする
技術や知識が劣ってるのはわかってたけど、これは負けてないぞと思ってた分野でも気づいたらめちゃくちゃ先に行かれてた
飲み会でもWebサービスで一旗揚げたいとイキイキ語る彼に対してヘラヘラと大皿に残っている食材をビールで流し込むだけ自分
もちろん追いつくためには毎日コツコツやるしかないのはわかっているけれど、これまでも多少なりとはやってきたはずなのに、何も身についていない、なんの成長もないように思えてきて、そうなると自分の頑張りってなんなんだろうと思えてくる
全てにおいて自分以外の人がやったほうが早いんじゃないか、うまくいくんじゃないかと思えてくる
自分にできることってなんなんだろう
幼いころに思い描いてた未来の自分になれなかった。自分は自分が想像していた以上にダメ人間だった。という現実を心底思い知らされてから初めて大人としての人生が始まる。
増田が絶望している事柄は多かれ少なかれほかの大半の人も体験している。ずっと悶々とする人もいる、趣味に走る人もいる、家庭や子供をもって「あきらめる理由」を見つけた人もいる、いろいろよ。
俺も若いころの夢破れて、学生時代の同期が自分がやりたかった仕事やプロジェクトで大活躍してるのをFBの近況で見ながら、クソ仕事しかできない自分に絶望して憂鬱な日々を過ごしてたな。
今は落ち込むにも気力が続かず、とりあえず頭の中で100周くらいしてからいろいろ開き直って自分の興味のある技術の勉強を少しづつしてる。
42歳を超えて、ようやく他人と比べることをあきらめることができた。てか執着する気力が萎えた。
増田もどこかのタイミングでいろいろ開き直って違うことをチャレンジしようという気になるだろう。30歳後半になれば、他人と比べるのに疲れて心底どうでもよくなる。そうなればちょっとは精神的に生きるのが楽になる。
いつか心に火が付くときに備えて、とりあえず散歩かヨガでも趣味にして体力維持だけは心掛けたほうがいい。人生敗戦処理中のおっさんからのアドバイスだ。
今日これから依存症のクリニックに行くので、その前に自分の事を一度書き出したいと思う。
ちなみにまだ性犯罪にまでは至っていないが、レベルが上がればその可能背が有るとの事だ。
(こんなレベル全く上げたいとは思わないのだけど)
だそうだ。
自分はただ、異性関係にだらしがない性欲の強い人間だと思って居たのだが
どうやら、それだけでは無いらしい。
さかのぼるといつになるのだろう、、、
特別性的虐待を受けた記憶も無いし、よくある一般的な家庭に育った人間だと思うのだが気が付けば現状
・一日3~4回多い時はもっと、外出先のトイレでも自慰行為をしてしまう。
・風俗店通いがパートナーにばれて(2回目)今からクリニックに行く事になってしまう。
というのが現実だ。
ただ、周りにもそのような人が多かったし、また仲間や先輩の多くは時とともにそのような状況から抜け出し
やがて家庭に収まって行ったので、自分もそうなる物だと甘く考えていたのだが
現実は、自分だけは大人になり切れず、特定のパートナーがいるにも関わらず
酒の席などで少し向こうに気が有るそぶりなどを見つけると
気が付けばベットに、、、そして、翌日自分のしてしまった事に後悔。
というパターンを繰り返していた。
「風俗店でビジネスとしてセックスしてもらえれば問題ないのではないか」
と考え、風俗店に通いだしたのだが
隙の多い僕はパートナーにばれてしまい、一度目はもう二度と行かない!と約束してみたものの
「バレなければいいのでは?」
「今度もばれないだろ、、、」
などとどんどん甘くなってしまい、ついにバレた。
パートナーの事は心から愛しているし、裏切りたいとは全く思っていない。
と聞かれ、とても返答に困ってしまった。
ただ、逆に病気、依存症と言われるとなんだかしっくりくる所も多い。
自分がセックスしたくなるのはストレスが高まっている時なのは振り返ってみると明らかで
そんな経験のある人も居るんじゃないだろうか?
僕はまさにその延長線上に僕の今の性依存症が有ると考えている(まだ先生に聞いてないけど)
なにか、ストレスがかかる時に【性】をそのはけ口にしていた代償がここまでになっている気がする。
「あー、集中が切れたな、オナニーしよう」
「むしゃくしゃするな、オナニーしよう」
誰にも迷惑かけていない様で、その先に離婚や犯罪が待っているとしたら、、、恐ろしい話だ。
5年前の自分は出先のお店のトイレで「気分の切り替えの為に、、、」などと
自慰行為をしている自分も全く想像していない訳で、パートナーの為にもこのまま放置していい問題でもない。
もう二度と風俗店に行きたく無いけど、性に依存している自分を放置していたら
性犯罪までは想像できなくても、なにかの弾みで浮気してしまい、それがパートナーにばれる。
なんてのは、まったく想像に難くない。
おっとそろそろ時間だ。
ただ、この手のカウンセリングはすべて正直に話さなくてはいけないらしい。
ので、行ってきます。
自分もADHDだけど、アレルギー性鼻炎のお薬を飲んだ時に、思考があちこちと散漫にならなくなり、対人関係の無駄な怯えや憂鬱がなくなり、何かをする前の億劫さがなくなり、健常者の感覚を手に入れたことがある。一度しか効かなかったけど。
大丈夫、生きてれば何か新しい夢が見つかるよ、なんてそんなこと言われてもって感じだろうけど。
せめて今すぐにできるちょっと心地いいこと、やって積み重ねていけばほんの少しでも楽になるかもよ。好きな紅茶飲むとかさ。
意外とね、おなかが凝ってると憂鬱になりがちだからね、おなかをゆっくりゴリゴリ押してみるとすっきり!なんてこともあるよ。心が辛い時は体だけでも楽にしてみるとかどうでしょう。
もうね、なんにも知らない人だから、どうしたら助けられるかわかんないけど一緒に考えていけたらなって思った!
お互いさ、なんか、どーにかして生きてこうよ。
だましだましでもさ、生きてるだけで丸儲けって、思うんだよ私は。
バスがこない。かれこれ20分は待っている。Googleマップで見たら、この間に既に3本は過ぎているはずなのに全然こない。バス停で待ってる人も増えてきて、初めは女の人一人と僕だけだったけど、今では10人くらいいる。でもみんなイライラしてる風は見えない。家族連れは楽しそうに子供と話しているし、サラリーマン風のおじさんは涼しい顔をして立ってる。
スマホを見たら、彼女から、もう別れようってメッセージが来ている。あんなにいい子なのに、遂に愛想を尽くされてしまった。バスが来るはずの方向を睨みつけてみるが、一向にバスは来ない。普通の車はよく通る。たまに重いエンジン音がしたと思ったら、ただのダンプカー。
社費留学の準備がうまくいかず、上がらない点数と焦りの中で、絶えず憂鬱の雲の中にいるような感覚があった。なんとなくヤケクソになってるような気持ちもあった。27にもなって、こんなタスクすらハンドリングできないのかと自分に失望しつつ、彼女との時間が取れないのは仕方がないとどこかで思っていた。でも彼女にとってはそうじゃなかったみたい。大切にしないから離れていってしまった。俺はこれからもう二度と彼女はできないかもしれないな。こんな憂鬱な性格だし、そのくせにこんなに彼女を大切にできない。あーあ孤独死まっしぐら。もうどうにでもなれ。
普段なら長くても5分しか待たないバス停で、25分ほど待ったところでバスが来た。このバスに乗ってもどうせ間に合わない。でも乗るしかないから乗った。なんだか僕の人生みたいだな。
例えば多数のファンを持つ球団であったりアイドル、オタク向けビジネスまでありとあらゆるビジネス形態が対象だ。フォロワーの多い貴方も対象に含まれる。
ファンがつくことで確かに安定した利益が発生する。しかし今回の事件で明らかになったことは「ファンは自分を愛するがゆえ、ちょっとした勘違いでも憤慨し、自分に殺意を向ける可能性がある」という事実だ。
私たちはこの事件を通して、愛は深いほどたやすく憎悪に変わりうることに気づいたのである。
元恋人によるリベンジポルノから、某有名アイドルへの嫌がらせ、著名ブロガー殺害、そして今回の京アニ放火テロまでの流れは「ファンビジネス」への警鐘ではないだろうか?
残念ながら利益がすべての経営者もいる。建物のセキュリティーがいかに完全であっても熱烈なファンを抱えた時点でアウトである。すべてのファンを抱える者にとって、いつ自分が殺されてもおかしくない時代といえないだろうか?
身の安全は自分で守るしかない。誰も助けてはくれないと厳しく考えるべきだと思う。経営者は社員や自信の安全のためにむやみにファンを作らず、極力組織や利害関係から距離をおくべきだ。
自由に暮らし、余計な人間と関わらず、好きなことを誰の目も気にせず満喫する「無敵の人」は案外、最も安全で幸福なのかもしれない。
インスタグラムも「いいね」機能の廃止を検討し、テストを開始した。人がむやみに繋がりすぎる社会の弊害が現れている。
身の安全のために今すぐできることは何だろうか?
・熱愛ファンを作らず、適正温度の人間関係を維持するために、ある程度ファンを減らす「フォロー外し」を行うこと
・自身の愛され要素を改めて棚卸しし、いかに愛されないか方策を練ること
・経営者であれば行き過ぎた「ファンビジネス」「ブランディング」「差別化戦略」は、自社の社員や周りの家族への殺人的暴力になりうるという認識を持つこと。そして、「愛されすぎないファンビジネスのかたち」を模索すること
より根本的な経営上の問題、避けられる問題が隠れていることに少しでも多くの人が気づいて欲しい。
ボケーッとしてたら、来年からNHKがネットでも見られることを思い出して憂鬱になっている。
私の家にはテレビがない。
どうしてこうなってしまったかと言うと、大学生で初めて一人暮らしした時のNHK受信料を回収?にきた人がすごく嫌な人だったからだ。
私が住んだマンションがたまたま新築の学生専用だったため、ほぼ全員受信料を払っていない状態。
そのせいでほぼ毎日マンションに入り浸っていて、少々怖かったし、
そして、その人が語る受信料を払わなくてはいけない話が長くてしつこくて、当時NHK受信料のことをよく知らなかった私は
泣きながらテレビ捨てるので許してくださいと思うほどだった。
『テレビを見られる環境がなければ受信料は払わなくて良い』という逃げ道が無くなってしまうことが辛い。
貧乏人でテレビを見なくても受信料を払わなくて済む日本であって欲しい。
消費税はまだ買い物の時考えたり、恩恵も多少あるから良いのだけれど、
NHKの受信料に関しては見ないものなのでお金を投げ捨ててる感覚に強い。他のことに使いたい。
まだその受信料で地震とか災害の必要な情報を流すのなら良いのだけれど、制作費数十億円のドラマが作られるのはなんだかなーと思う。
いっそのことNHKを分割して、必要最小限NHKと娯楽NHKに分けてほしい。
必要最小限NHKでは国民に伝えたいことだけ放送する。こっちならまだ受信料払っても良い。自分が見なくても、いつかお世話になる日がくるかもしれないし。その分安くはして欲しいな。
卒業式や運動会の組体操や合唱大会や老人ホームに訪問してお年寄りのために見せる演劇のような学校行事で、生徒が先生の言うことを聞かずに真面目に練習しないまま本番を迎えるような状況が怖くて仕方なかった。
ほとんどの場合は、先生が生徒の尻を叩いたりなだめすかしたり、途中で演目の難易度を下げたりして、なんとか本番までに仕上げて切り抜けてたけど、行事の練習と本番は毎回憂鬱で仕方なかった。
一度だけ、本当に本番で生徒がてんでバラバラになって行事を放棄して中止になったことがあった。自分にとってまさに恐れていた悪夢の実現。
当然、外部の指導者の人は激怒したし、担任の先生は「毎年この行事をしていますが、こんなクラスは初めてです!」と怒りながら泣き出すし、その日の夜は生まれて初めて悩んで眠れないという経験をした。
先生は自分たちの担任をもうしないのではないか、行事を失敗させた自分たちはずっと家族や他の先生や地域の人たちから叱られ続けられるんじゃないかと思って。
もちろん、実際にそんなことは起こらず、担任はやや無気力になってクラスは崩壊気味のまま1年が終わってクラス替えになり、次のクラスではそういうトラブルも無く小学校を卒業した。
別に複雑な背景や心理があったわけじゃなくて、自分が優等生だったので(勝手に想像した)先生の辛い立場に感情移入し過ぎてたってだけだと思う。
急に当時の嫌な気分を思い出したので、書いた。
まず私の説明をする。私は小三で両親が離婚し、父子家庭で育った。しかし、仕事などのストレスで中二の時に父が自殺しそこからは親戚もいなかったので兄と二人になってしまった。両親は決して良い親とは言えない人たちで、兄は両親が原因で対人恐怖症を抱えており、私以外の人とろくに会話も出来ない。私は私で持病とADHDを抱えている。
私がしっかりしなくてはとがむしゃらに頑張ったが、家を支えることに必死で学校に通えなくなり、元々抱えていた持病の定期検診で精神科の受診を勧められてその後即日入院した。退院してから高校卒業までは児童養護施設に入っていた。そこでもしっかり生きねばとがむしゃらに頑張って18歳の今は事務系の公務員として働いている。最近までパワハラ上司に悩んでいたが今ではそれも解決した。
いざ自立すると私は掃除もご飯も1人でろくにすることができない。毎日コンビニご飯を食べて、床にはペットボトルのゴミが溜まっていく。掃除しなくてはと思うが仕事から帰るとヘトヘトで何も出来ない。兄は障害者枠でパートをしているが、家のことはやはり何も出来ないしする必要もないと考えているようだ。私は自身の無力を痛感する。周りの学生をしている同い年の友人が別世界の人間に思えてならない。
夏休みに友だちが泊まりに来ることになった。掃除をしなくては。休みに掃除をはじめる。父の部屋もついでに片付けよう。ああ、御骨が未だ置きっぱなしになっている嫌な気持ちだ。生命保険もまだ受け取っていない、憂鬱だ。そんなことを考えながら遺品を漁っていたら生前父が毎日使っていたボディバッグに紙が2枚入っていることに気がついた。1枚は適当な人の名刺の裏に父の講座の暗証番号と、「私、兄、ゴメン」とだけ書かれていた。2枚目は過去に散々罵倒していた母の名義の図書カードだった。私の心は決壊した。これはつい1時間前の話だ。兄はもう寝ている。母を父が言うようにゴミ屑だと思うことで嫌悪し寂しさを紛らわせていたのに、父は最期まで未練たらしく母を思っていたのだ。ああ、しんどい。私たち子供たちはそんな一言の謝罪で済まされる存在だったのか。残していっても大丈夫だと思ったのか。ちなみに父は私たちにこれ以外のメッセージを残していない。こんな毎日息苦しくゴミ屋敷に片足突っ込んだ家で迷子のように生きていて私たちが本当に惨めに感じられた。誰にもすがれない、生きるのが辛い。問題ばかり残して1人だけ退場して、どうして私たちを連れて行ってくれなかったんだ。中途半端に投げ捨てるくらいなら無理心中でもして責任とって始末して欲しかった。今までがむしゃらに生きて閉じ込めてきた思いが爆発している。しんどい辛い悲しい。誰か上手な生き方を教えて欲しい。お前のせいで私は大人にならざるおえなくなったんだ。私だってまだ友だちみたいに大人ぶった子供でいたいんだ。でも守ってくれる人がいない私は大人になるしかない。つらいつらいつらい。私だって誰かの愛に守られていたかった。
個人的な備忘録みたいなもんだけど、今からある人と縁を切ろうと思います。
あんなに楽しくないサシ飲みは初めてでした。
ほんとは今日もサシ飲みの予定だったけど、先週くらいから行きたくなさすぎて憂鬱に耐えられなくなって、昨日ドタキャンしました。
いつ返しても即レスつくのが怖すぎて、昨日1人で泣きました。
明後日現場なのに、こんなことで悩むのも阿呆らしいと思います。
夜外出していて、私がいない間に息子が起きて泣いたらしく、
「おとうさん だいすき」
なんというか、嬉しい反面、
またこんな捨てづらいものを量産しやがってという気持ちが70%くらい。
紙切れ一枚、場所をとるわけではないんだけども、
これを額縁にいれて保存なんてことはしたくない、子の思い出ボックスに入れるのも面倒。
何これ どうしたらいいの。
内容を確認して嬉しかった。あとはもう見ることもないし、ゴミ箱へinなんてすると
嫁が怒るんだろうなあ。憂鬱だなあ。
でもあかんのやろな。きっと。
あと祝い事の物とか、捨てたいんだけどな。
とはいえ贈ってくれた人の気持ちを無下にはできないんよね・・・。
ついでにいうと押入れの一部を占拠してる子の思い出ボックスも整理したい。
保育所のころの作品なんて見返すか?せいぜい子が結婚とか一人暮らしで旅立ったときだろうがよ。
心のストレージに保存しとけ、劣化するかもしれないけど美化もされるんだから。
自分自身、親に思い出を残してもらってないからそう思うのかな?
出来れば子にはそんな思いにはなってほしくないんだけど、
子が何かを制作するたびに、それどこに置いておくの?がまず出てくるのはあかんのやろな。
なあ、もう物に執着するのはやめようぜ。
とりあえず、嫁に怒られるのは嫌なので、紙切れは嫁に託すことにする、なのでどこかに保存されるはず。
今や押しも押されぬ一大ジャンルのアイマスだが、当初は一部で人気のアーケードゲームに過ぎなかった。
それが箱◯が出て、ニコニコで動画が上がるようになって、人気が出てきて
毎年ライブはやってはいたけど、続編は発表されずに5年が過ぎて
友達に抱えられて会場を出た。
会場で流れたPVを家に帰っても何度も何度も眺めた。
続編を出すというまで5年かかった。
でもその時は本当に嬉しかった。
『皆で前に進める』
そう思ったから。
でも
そうはならなかった。
https://www.google.co.jp/amp/s/www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20811.amp
先に言っておくが、僕はジュピターに関しては何ともない。
Mマスが出た今となっては、そこに至るまで頑張った彼らのことはむしろ大好きで応援している。
僕が一番つらかったこと。
『皆で前に進める』と思っていた。
しかし希望と歓喜に満ち溢れていた未来は、あっさりと刈り取られてしまった。
表現を選ばないで言えば、本当はアイマス2の発売日にバンナムの前で腹切って死のうとまで思った。
でも弱い僕は出来なかった。
その後はゾンビのようにただただ生きていた。
Pだった時ほど気持ちが沸き立つこともなく
Pだった時ほど心がときめくこともなく
Pを辞職して浮いた時間と予算で、バイクや自転車に乗り始めて、それで新しく友達が出来たりとプラスになったこともあった。
でも本当の心は棚上げされたままだった。
最初はハート❤︎イロ❤︎トリドリ〜ムを聴いても、やばい歌だとゲラゲラ笑ってるだけだった。
特に速水ヒロ
「やべぇヤンホモがおるwww」と毎週1話1話を楽しみに待つようになった。
それでも這ってでも出勤しろと言われた。
しかし、そこでヒロくんは跳んだのだ。
天下のJRですら電車を動かせないのに、ヒロくんは電車を動かしたのだ。
久々に、本当に久々に腹の底から笑った。
そして涙が出た。
あの大雪の日、僕は漸く、一歩だけ前に進めた。
その職場で踏ん張り続けて更に2年。
KING OF PRISM by PrettyRhythm 公開
それまでボーイズのCDやプリパラ劇場版ルート4で細々と生きていた僕に突如与えられたガチの続編。
正直総集編でもよかった。ヒロくんは勿論、オバレやなるちゃん達のその後を少しでも知れたらそれだけで幸せというくらいの気持ちで観に行った。
総集編?続編?そんなチャチなもんじゃなかった。
次回予告が。
僕は思った。
この作品を皆に観てほしい。
そして
絶対にこの話の続きが観たい。
観れなかったら一生後悔する。
アイマス2が発売されてから、オタクとして全く無気力で人に何かを勧めるなんて全然やってこなかった。
そんな僕が本気で勧めた。
そして、今度は『未来』が繋がった。
公開が延長し始めて最初の頃の舞台挨拶でシンちゃん役の寺島惇太くんが言った。
「僕、この作品を初めて観たとき『なんて面白い作品なんだろう!』って思ったんです。でもあんまり伸びてないって言われて、『アレ?僕の感覚が間違ってたのかな…?』って思ったんですけど、今こういうことになって、自分は間違ってなかったと思えました!」
自分も心底頑張って、周りにも助けられて、
今度こそ、『皆で前に進めた』んだなって。
その後キンプリはまさかの一年間のロングランをして、サントラも、円盤も出ることになって、そして
KING OF PRISM -PRIDE the HERO- 公開
毎日終電で帰宅する生活、社長以外の人間から変わらなく受けるイジメ、売上を一番出しても誰も手伝ってくれない仕事量とプレッシャー。
僕は鬱で起き上がれなくなった。
一生の付き合いだと思った友達も。
神様はいると思う。キンプラはなんと試写会で1ヶ月早く観ることが出来た。
今度も想像以上だった。でも観たいと想像したものは全て観れた。
思い残すことはこの時点でなかったと思う。
でもここに至って起き上がれるようになった。
ヒロくんのショーは俺が沈み切ったところにまた届いたのかもしれない。
体調は一進一退を繰り返す状態ながらも、なんとか働けるところまできた。
そこで発表された三度の続編。
もう、ここまで来たら見届けよう。
同僚に支えられながら、少しずつ良くなっていった。
KING OF PRISM -Shiny Seven Stars- 公開
長くなったが今回の話で一番語りたいのはこの作品だ。
第12話でシンちゃんは観客に向けて11話で自分のしたことへの謝罪をする。
それに対する観客の反応は
「いいよー!」
「大丈夫だよー!」
このとき思った。
泣いてる少数派は9.18事件のときの僕、そして同じく傷ついた人達と同じじゃないか、と。
普通なら世の中は少数派には目をくれず、大多数の意見を拾ってそのまま進む。
少数派は切り捨てられる。実際僕らはそうだった。
でもシンちゃんは違った。
泣いたままの少数派をしっかりと見たのだ。
そして、少数派の為に涙を流し、あまつさえ大好きなプリズムショーをやめようとする。
なんで、なんで
シンちゃんは何にも悪いことをしていないのに
でもシンちゃんは僕たちを見てくれた。
僕たちのために泣いてくれた。
それをシンちゃんは今回与えてくれたのだ。
そして皆のショーが始まる。
今まで長々と書いてきたのもこれが理由だ。
『今ここに立っていることが 僕の最高の幸せ』
離れていった人も確かにいる。
でもそんな僕にもまだそばにいてくれる人がいる。
皆がいなければここまで来れなかった。
『どんなに辛く悲しい気持ちも 困難に負けそうな時も』
沢山あった。本当に沢山。
『僕らがいる 心配しないで
もう一人にはしないから おいで』
ここまで、ここまで言ってくれるなんて
かつてコンテンツに切り捨てられた。
身も心も全て捧げたコンテンツに。
もう何も信じられないと思った。
でも
この世に愛はあると
コンテンツは更に愛を大きくして返してくれると
セプテントリオンの7人とKING OF PRISMという作品はそれを教えてくれた。
こんなに嬉しいことはない。
キンプリは、スッスッスはあの時、そしてその未来で得られるはずだった
オタクとしての充実感を
オタクとしての達成感を
僕に与えてくれた。
やっと僕の心の傷は塞がりました。
傷が治ったわけではないけれど
塞がってくれた。
この先僕は22世紀まで歩いて行こうと思う。
ありがとうのかわりに好きって言い続けてよかった。
2016年に恋だったものが、2019年に愛になった証だから。
『ありがとう』