はてなキーワード: 広辞苑とは
調べてみたよ、確かに間違った用法みたいだが最近は関西でよく用いられるようになってるのか、平安時代は男の配偶者に嫁と使うのもありみたいだし結構広く使えてたのかね
奥さん、奥様
元々は、他人の妻に対する尊敬語として使われてきた。その後、昭和以降には、自らの妻をさして「うちの奥さん」などと使用する用法が生まれ、日本全国へ広まっている。「従来妻への尊敬語がなかったためこれにあたる語として奥さんを使用するようになってきている」[1]。
嫁
元々は「自分の子供の妻」、「男性の結婚相手(用法:大きくなったら○○さんのお嫁さんになる!)」、「他人の妻」を指す言葉。現代では、西日本を中心に自分の妻を指す言葉として用いられる[1]。という考えがある一方、「男性の配偶者」や「結婚したばかりの女」を指す用法としても平安時代の更級日記以来使われており、広辞苑をはじめ、辞書的にも認められた用法である。
晩婚・未婚・核家族化が進んだとはいえ、世の中には「マリッジハラスメント」なるものが未だ存在します。前世紀の遺物ではありません。
ちなみに「マリッジハラスメント」は私が「マリッジ」と「ハラスメント」を勝手に合体させて作った造語……のつもりだったのですが、ググるといっぱい出てきますね。社会怖い。
老父母(薹が立たないうちに……)
広辞苑(第6版)には【片付ける】の意味として「嫁にやる。縁付かせる」が載っているくらいです。ウルトラ男尊女卑。社会怖い。
男の子?
「世間体・イエ・長男・家督」は死語に見えて死語じゃないところが怖いですね。
リベラルな我が家でさえ、私(男)に対する【片付ける】圧力は存在します。結婚ではなく「始末する」っていう意味ですが。ウチ怖い。
先に男根のメタファーなるものが話題になったが、それでは男根の直喩とはなんだろうか、という疑問が呈された。
考えてみると、画像や映像で「メタファー(隠喩)」という表現は使われるのに直喩はみない。それはどうしてだろうか? また男根の直喩はありうるのか? その場合はどういうものがそれに相当するのか?
比喩とは、異なる2つのものを性質の共通性によって連想(類推)させ、結びつけるものである。
それゆえ比喩は比喩対象(=比喩されるもの。「被比喩物」)、比喩しているもの(比喩対象以外のものであることを要する。「比喩物」)、両者の性質の共通の3点を満たす必要がある(以上を「比喩要件」と呼ぶことにする)。
してみると、隠喩は比喩要件を最小限に満たしたもの、直喩はそれに加えて比喩性を明示したことをいう、と考えられる。
ところで比喩であることを明らかにするには「ようだ」など、比喩性を直接に明示する文言を使うことが一般的である。
辞書の定義には「ようだ」「ごとし」「似たり」などの比喩を表す文言を用いたもの、とまで書くものもある(広辞苑など)。
しかしそれ以外の方法で比喩性を明らかにすることが妨げられないのではないか。比喩であることが明らかなもの、という定義も存在する。大体にして「などの比喩を表す文言」という定義自体、曖昧であり却って議論を混乱させる。本質としては比喩であることが明示されているか否かが重要だろう。
そこで、凡そ一般に比喩性を明らかにすれば、直喩が成立すると考える。
比喩性は比喩要件を満たせば認められるが、同時に我々は比喩要件を満たした表現を見ると、それを比喩であると認識する。
この観点に立つと「ようだ」「ごとし」「似たり」などの文言を使う方法は、比喩要件充足を包括的に示す方法と言える。
それでは「明示」とは何を意味するのか。
これは、受け手に高い蓋然性を以って<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解されるものと考える。
まず比喩要件を各個に検討し摘示するような表現が考えられる。比喩要件を各個に検討し摘示する表現はかなり不自然な表現であるから、<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解される。すなわち、比喩要件充足が明示された、と言える。拙い例で申し訳ないが「あの子は虎だね。強くて大きくて五月蠅いが、それでいて可愛げがある」などの言い方を例にしたい。最初の文単独で見れば隠喩のように見えるが、しかしこの文章全体からしてこの言い回しは直喩である、ということになる。本来受け手の側で「発見」される(後述)性質の共通性をわざわざ述べる不自然さが比喩性を明示するのである。
しかし方法はそれだけか。私はほかに「比喩するものの存在の明示すること、及び比喩対象(被比喩物)の存在が特定できるほどに明確に共通の性質を示す」という方法でも可能ではないかと考える。何故ならそれにより結局比喩物、被比喩物、共通の性質が明示され、比喩要件充足及び比喩要件充足を示そうとしていることが高度の蓋然性を以って理解される、と思うからである。
(またこのほかに、そもそも被比喩物を模したことが公知の事実となっている比喩物というものもある。男根と張型の関係はこれに当たろう)
さて後者の「その他の方法」をわざわざ提示するにはそれなりの理由がある。これは、言語表現以外で比喩性という一種の関係を伝えることには困難が伴うと考えるからである。
詳述するとこういうことである。画像や映像における「メタファー(隠喩)」は言語表現とは異なる。言語表現においてメタファーは比喩物と被比喩物を示し、共通性は読者が発見するという形を採る。なぜ読者がわざわざ発見するのかと言うと、それは比喩物と被比喩物がズレているのにも拘らず、同一性を示す言い回し(AはBだ、が典型)が使われるからである。
映像では被比喩物が示されず、ただ比喩物のみが存在するという場合がある。その代わり、比喩物と被比喩物の関係は共通性が見出しやすいものとなっている。それは同一性に気付く手がかりがないからそのように設定して用いざるを得ないところもあるが、画像や映像は情報量が多いため、共通の性質を見出すことが容易であることも大きな理由であろう。
こういう性質を持つがゆえに、画像や映像において「~のメタファー」なるものは見いだせるのに、直喩は見いだせないのである。しかし、先に示した直喩の考え方によるならば、画像や映像においても辛うじて直喩は認め得るのではないか。映像や画像であれば、似たものを並べれば、それは比喩物、被比喩物、共通の性質を同時に示したことになり、これは「各個の明示」に近い。
またそうでなくとも「その他の方法」によることも可能である。例えば動作を含めれば、共通の性質がより鮮明に打ち出され、それにより被比喩物が特定されるだろう。画像・映像表現ではこちらが使いやすいのではないかとも思われる。
以上より、画像や映像における直喩は成立しうる。そして如上の直喩概念によるならば、男根の直喩とは、例えば次のようなものが考えられる。
張型(物自体)
目玉焼きにソースやケチャップかけるやつのことは馬鹿にしてきたし、寿司ネタでうにが好きなやつのことはほんとになんでそんなにってくらいに馬鹿にしてきた。カラオケでバラード熱唱しちゃうやつのことも当然馬鹿にしてきた。
電車でうんこもらすような大人のことはもちろん馬鹿にするし、20歳すぎて童貞のやつも当然馬鹿にするし、旧帝一工神未満の低学歴のことも馬鹿にするし、課金ゲーやってるやつのことも馬鹿にするし、任豚のことも馬鹿にするし、ウィンドウズ使ってるやつのことも馬鹿にする。
日本人のことを馬鹿にしてきたし、野球のことを馬鹿にしてきたし、テレビのことも馬鹿にしてきた。政治家で馬鹿にしなかったやつはいないし、コメンテーターを見てはこいつ馬鹿だと馬鹿にし、ネトウヨを見てはジャップと馬鹿にし、三色ボールペンを見てはそこは四色だろと馬鹿にしてきた。
プロパンガスのことも馬鹿にしてきたし、卓球の粒高ラバーのことも馬鹿にしてきたし、靴下の色が白のおっさんのことも馬鹿にしてきたし、白ブリーフも馬鹿にしてきた。
初詣に行かないのは馬鹿にしてるからだし、箱根駅伝だって馬鹿にしてる。
種ありぶどうは欠陥品だと馬鹿にするし、でかくて味の悪いバナナはつねに馬鹿にしてる。
広辞苑は言葉の用法がよくわからないから馬鹿にしてるし、41度という風呂の温度も若干低いから馬鹿にしてる。
CD買ってるやつのことも馬鹿にしてるし、BDでAV見てるやつのことも馬鹿にしてる。
魚の食べ方が汚いやつのことも馬鹿にしてるし、箸の持ち方が悪いやつのことも馬鹿にしてる。
それがなにか?
え、なにがそんなに問題なの?
馬鹿じゃないの?
ああ、おまえ、いま俺のこと馬鹿だと思っただろ。
そういうことだよ。
お前も何かを馬鹿にして生きてるんだ。
葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室の行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国の代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理の葬儀が国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京の武道館で宗教色を排除して国葬が行われています。
今度、こういう天皇の葬儀についても、憲法の政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法第一条に規定をされた我が国の象徴、国民統合の象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております。
○吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇の葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇の場合は差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室の行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居は撤去すること、大真榊は撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます。
○吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものとほとんど違わないわけですね。こういうものを部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法の政教分離の規定はクリアできないと思うんです。憲法二十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。
政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。
そこには、先ほども話がありましたけれども、神道の象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。
広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊の象徴として祭礼が行われるわけですね。
こういうような宗教儀式に総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。
○政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます。
国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居を撤去し、大真榊は撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法二十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます。
その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室の行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございます。しかしながら、そこに総理が総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます現天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定の宗教を助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣が総理大臣としての資格で皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法二十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html
http://anond.hatelabo.jp/20140518130751
きせいさんは鐘を鳴らすだけで十分だ
みなさんおつです
・01 二条城(34): ID:G4TGTImG
・02 山椒[漢字のほう](69): ID:H9mjx34v
・03 西島秀俊 にしじまひでとし(91): ID:H9mjx34v
・04 モナコ(108): ID:TefQpKLg
・05 1(番(138): ID:NogHOKLS
・07 福岡(県(170): ID:dLlowP0W
・08 ジョージ・ルーカス(190): ID:7IIiuNkJ
・09 CAN YOU CELEBRATE?(209): ID:s3Jr8J1m
・13 円(282): ID:H9mjx34v
・14 デニッシュ(・ペストリー(308): ID:dM9UlOib
・15 群雄割拠 ぐんゆうかっきょ(321): ID:H9mjx34v
・16 ワシ(339): ID:nGzR5wmQ
・17 小豆島 しょうどしま(371): ID:H9mjx34v
・18 ウエイトリフティング|重量挙げ(400): ID:nGzR5wmQ
・20 2(枚(415): ID:H9mjx34v
・21 長野(県(445): ID:dM9UlOib
・22 )ロダン(465): ID:dM9UlOib
・23 広辞苑 こうじえん(526): ID:H9mjx34v
・24 しずる(595): ID:H9mjx34v
・25 青白 い星[あおだけの回答](612): ID:dM9UlOib
・26 広瀬(637): ID:H9mjx34v
・27 ミョウガ(651): ID:H9mjx34v
・28 鳥取(県(687): ID:H9mjx34v
・xx ネルソン・マンデラ(848): ID:ZM+hId4/
11pts ID:H9mjx34v
4pts*2 ID:dM9UlOib ID:7IIiuNkJ
2pts ID:nGzR5wmQ
1pt*7 ID:----- ID:G4TGTImG ID:NogHOKLS ID:ON/bc8g3 ID:TefQpKLg ID:dLlowP0W ID:s3Jr8J1m
-----
追記:
・yy (2)60兆個(451): ID:NogHOKLS
携帯サイト 今月 3756名中 累計 45634名中
http://anond.hatelabo.jp/20140428044654
少なくとも「評価が低いのに」というような意味合いは書いてない。
〔競馬で〕
穴馬。
〔実力を持つ不気味な相手の意にも用いられる。⇒ 惑星〕
何かと個性的なことで知られる新解さんはあっさり手抜き風味。いいのかこんなんで。
さらに「惑星」引いてもPlanetの説明しか書いてなくてこんな意味載ってない。どうなってんの!
→ ダーク
個人的に評価の低い大辞林。じゃあなんで入れてるんだと突っ込まれそうだが察しろ。
これは「番狂わせ」とか「よくわからない」という書き方で半分けなしてる感じ。
元増田みたいに怒りたくなる気持ちも分かる。
のだが、わざわざ米語と断ってるのが気になるので、英英辞典も投入してみる。
1 someone who is not well known, and who surprises people by winning a competition:
In the 1955 golf championship, dark horse Jack Fleck defeated Ben Hogan.
2 BrE someone who does not tell people much about themselves, but who has surprising qualities or abilities:
さすがは大正義ロングマン。ダントツで詳しい。ジャックが穴馬ならこの本命のベンは誰だと思ったらすぐに出てきた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Hogan
大事故で死にかけてから復活して生涯成績メジャー9勝(歴代4位タイ)、ツアー64勝のスーパープレイヤー。
特に1953年にはメジャー年間3冠達成してる。Wikipedia情報だと、当時、PGA選手権と全英は掛け持ち不能という糞実装だったらしいので、ある意味グランドスラム並の偉業。そりゃ本命だ。
本題のジャック・フレックはこちら
http://en.wikipedia.org/wiki/Jack_Fleck
あ、先月亡くなってた模様。ご冥福をお祈りします。
生涯成績はPGAツアー3勝。メジャー優勝は1955年のUSオープンのみ。このときは第一ラウンド終わってトップと9打差、というところから巻き返してプレーオフに持ち込み優勝。たしかにこの展開は熱い。
この人、地方のゴルフ場でプロ(週給5ドル)としてキャリア始めて、ツアーにフル参戦決めて半年後ぐらいで優勝した模様。
アニメに置き換えると、下請け専門の無名地方プロダクションの自社作品がいきなり覇権取って円盤も1万枚オーバー売ったようなものだろう、たぶん。
「役不足」の正しい使い方は? 文化庁が言葉の本来の意味を“提供”する「ことば食堂」
http://hatenanews.com/articles/201404/20242
へえ、と思いながら公式サイトを見て目を丸くした。あの言葉がない。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/kokugo_sisaku/kotoba_shokudo/index.html
「確信犯」。
平成14年度の国語に関する世論調査で「役不足」と並んで誤用が広く知れ渡り、
慣れ親しんだ意味で使おうものなら鬼の首を取ったように吊し上げられるようになったこの言葉がない。
いやいや、単に選ばれなかっただけでしょ?と考えるかもしれない。
違う。
ここに「確信犯」がないのは十中八九、悪いと分かっててわざとやる という意味が誤用ではなくなったからだ。
「確信犯」や「役不足」を誤用と断言した時点で、日常的に十分使われている=正しい日本語 ではなさそうだ。
何をもって正誤を判断したのか。
残念ながら資料を見つけることはできなかったが、フツーに考えて古今東西の辞書を根拠にしているのだろう。
他に出典を使う理由がない。もし学者のお偉いさんを連れてきているとしても、結局同じことだ。
で、「確信犯」という言葉は広辞苑第六版(2008年)で次のように定義されている。
>(1)道徳的・宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。
>(2)俗に、それが悪いことと知りつつ、あえて行う行為。
俗に…と濁した言い方はしているものの、(2)の意味として堂々と掲載されている。
同じ第六版の「役不足」であっちの意味がわざわざ誤用と明言されている(>誤って、力不足の意に用いることがある。)以上、
これは広辞苑的にはもはや誤用ではなく、定着した1つの用法と判断したと見て間違いないだろう。
既に広辞苑以外の辞書でも「確信犯」の意味を2つ載せているものは多い。
もう正しい意味で使われているのなら文化庁で取り上げる必要ないね、めでたしめでたし…
で済ませてしまっていいのだろうか。
文化庁の役目は正しい日本語を広めることであって、あれは実は誤用なんだよプププというウザいトリビアを広めることではない。
だからこそ、日本中に広まってしまった「確信犯のあの意味は誤用」という誤用を、文化庁自ら発信して正すべきではないか?
もちろん、文化庁が辞書以外のよりどころを持っていて、その信念に従って「確信犯は(未だに)誤用!」と断言するのであればそれでいい。
でもそれだったらなおのこと、ことば食堂に「確信犯」を載せて、正しい意味を啓蒙すべきではないか。
現状では、平成14年時点の情報で止まっている人が、最新の辞書の定義を知る人を笑っている。
これは文化庁が最も避けたい、日本語の乱れというやつではないだろうか?
まさか、あれだけ大々的に誤用アピールをしたのに今更違うだなんておかしいし辞書が変わったから正しい意味も変わりますなんて何だか言いにくいよ~ とか
そういう背景はないと思っている。ただ、今は誤用じゃないからという理由で取り上げないのだとしたら、やっぱりずるい。正用も言葉の変化も等しく広めるべきだ。
医学部は、1年か2年はクッソ楽。普通の学部と変わらない。普通にドイツ語とかフランス語だけやっとけば普通に受かる。
エグイ。確かに、医学を学ぶにはまず人体を知らなければ。という理屈は分かるのだが、とにかく量が多くてびっくりした。広辞苑みたいな教科書がドカドカと数冊積まれて、「この量を覚えるんだよ」と言われる。パニックになる。
周りが「この学年の勉強はキツい!ガチでやらないと普通に留年する!」と焦るのだが、何をしていいのか分からない。暗記をしてみるもとてもじゃないが追いつかない。覚えられるはずがない!となる。
まず始まるのが、過去問や授業資料の取引。先輩などからもらった資料を元手に他の友達からも資料を交換しまくる。
また、仲がいい奴らで集まって、効果的な勉強法なり、周りとの足を揃えて知らず知らずに処置無し状態にならないように必死になる。先輩などからどの時期に何を勉強するのか必死に情報を手に入れる。
「暗記は無理」→「過去問から1割くらいは出るし、勉強すべき分野が絞れるぞ」→「そうやっても全然覚えられない」→「できるやつがまとめノートなり、全体のオリエンテーションをつける講義をやってくれる」→「全然覚えられない!!!」→「テスト2ヶ月前にガンガンひたすら覚える」→「1ヶ月前に2周目に入ったでも全然覚えてない!」→「2週間前に3周目、なんとかなるかな???過去問もなんとか合格点超えるなあ」→「テスト直前に長文などブーストが効く奴をやりつつ短期記憶に詰め込みまくる」→「なんとか受かる」
多分、このパターンが一番多いと思う。ちなみに、2ヶ月は無いと受からない。前期後期とテストがあるなら1年の内4ヶ月は受験生より勉強することとなる。1日15時間という勉強量に焦るが、周りも普通にやっており、やらないと終わらない。
ここで気づかずに2ヶ月残せない状態でノーベンだと、だいたい留年する。
次の学年くらいから、一般的な病気にかかわるものを学んでくいく。
このあたりから勉強法が自分に合ったものを採用したり、効率がよい勉強を覚えていくようになる。なにしろ高校までの勉強とは明らかに異質な暗記マシーンとなるので、自分を変えなければならない。
「全く臨床に関係無いものにどうやって興味持つんだ無理だ」→「書くと覚えやすいかなオレは」→「質より量で長時間の勉強でできるだけストレスをかけないのがいいから音楽聴きながらやるといいな」→「とにかく学校で友達とやると肝外しな勉強にならずにすむ」→「とりあえず3周すると忘れにくいかな」→「授業の参考資料+成書での深い記述+とりあえずまとまりがいい資料の3コンボでまわすのが覚えやすいな」→「むしろ出題者の意図を読めば選択脚が覚えやすいな」→「友達とやらないと、出題者特有のその問題ごとの攻略の仕方が膨大すぎてとらえられない」→「コツコツ1年ずっと勉強するのは不可能だ」
まあ、いろいろ工夫をしだす。
ハッキリ言って、マトモにやったら絶対無理な量をこなすこととなる。「試験って次何教科?→18教科かな→(゜Д゜)」リアルである。全員ものすごく焦る。信じられないからだ。2ヶ月で終わるのか?と思う。
しかし、一応この学年まで生き残った人々、それなりに勉強法は心得ている。が、それでもキツい。ほぼ1年、勉強に費やすというのも普通。
頭では、「実際の患者さんの為に、ここが本番なんだ」となるが、そんなもの、人格を破壊するかのような学習量にズタズタになる。何も考えられないほど1日勉強でつぶれるなんてざらである。10日風呂に入ってない、ありがちである。
ところで、ここまでで気づいた人もいるかもしれない。「2ヶ月なんて毎日勉強とか時間取れるの?」当然だが、夏休み、冬休みを突っ込むことになる。再試にならなければ、1,2週間は遊ぶことはできるが、再試にかかるとその年の夏休みは終了。
④さあ、臨床の場へ!
正直楽だった。テストが無く、ひたすら目の前の患者さんと臨床に尽くすだけでいいからだ。勉強はそりゃほぼ毎日する。目の前で横行する臨床を見て、知識が足りない!と焦って学校の後に知識を補充すべく勉強する。
ああ、これが本当の勉強だよなあ、と感動する。
⑤国家試験
正直楽だった。臨床の場で得た体験が結びつけば覚えやすいなあという感じであった。それに、1回やったことの繰り返しの部分も多かった。また、コレまでに比べて考えればなんとかなる問題も多く暗記量を理解で減らしまくれた。
思えば①~③までの勉強がキツかった理由を考えると
Ⅰ 勉強方法が明らかに高校までのものと違い勉強法が分からない
Ⅱ 2ヶ月前からずーっと1日10時間以上勉強する、などという経験がなく合宿みたいで辛い
Ⅲ 暗記量が尋常でなく、数学や物理みたいな暗記いらずの分野で稼ぎまくったタイプかつ、歴史など暗記がまったくできなかった自分の能力特性が悪すぎた
Ⅳ 試験前に病気や怪我をしたことが多く、それでも勉強しなきゃという現実が辛かった
Ⅴ 理解して暗記するというプロセスの有効さや復習の有効さが理解できていなかった
Ⅵ 先生の趣味みたいな問題が多く、しかも出題する先生が1教科15人×10教科など多すぎて過去問を見ても出題傾向がつかみにくい
Ⅶ とにかく先生の趣味みたいな問題でまったく取れない分野が多い
といったことがあげられる。
お笑いコンビ「米粒写経」の居島一平はとびっきり面白いと思わないか?彼のネタを繰り出すスピードはマシンガンをも超えた。そんな逸話がある!
↓
ttp://www.youtube.com/watch?v=ED4vVeQO1kU
一方、相方のサンキュータツオは国語学者でもあり、学者芸人って肩書きの持ち主。学者で芸人って、すごくね?国語辞典200冊も持ってる、国語辞典マニア。どんだけ。
それはさておき。国語辞典を読むのってとびっきり面白いと思わないか?言ってみれば、国語辞典を読むことというのは最強のエンターテイメントである、とここに声高らかに宣言しよう!
つーか、これ読んでるそこのお前。ああ、おまえのことだよ。国語辞典を最初から最後まで熟読したことはあるかい?それを何周もやったり複数の辞典で実行したことは?
9割は「No!」と悲鳴交じりに答えるだろう。
騙されたと思って毎日50ページ国語辞典読んでみ。「お前・・・最近変わったな」と引き気味に言われるから(笑)
↓
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4375117
標準的な国語辞典の見出し語数は7万くらい。これって実は成人男性の平均的な認識語彙数にひとしいのだよ。認識語彙というのは見れば意味が分かる語句のことだ。
であるからしてだな、「ボク日本語がちょっと苦手なんすよぉ~」と思ってる奴は、国語辞典を何度も通読すればいいんだよ。なぜなら、それが必要にして十分な量なのだから!
余談だが、広辞苑レベルになると見出し語数30万になる。これは専門用語がほとんどだ。さっき言った日常語7万に加えて、専門用語23万がオプションでついてると考えてもらって差し支えない。
日常語7万の部分が他の辞典と比べて特別優れているわけじゃあない。いやまじで。若者よ、広辞苑ブランドに騙されるな!
てわけでレッツ国語辞典。毎日50ページなら『新明解国語辞典』は1ヶ月で1周だ。ちょろいものよふはは。
おまえの励みになるブログを1つ貼っておく。
↓
こまけぇ話をする。国語辞典を読む時は最低でも見出し語は音読しよう。しかも大声で。ただし、近所迷惑だけはかけてはいけないぞよ。それが鉄の掟だ!
次。書いてある意味を1つ1つイメージしよう。だだ読み厳禁。意味1、意味2、意味3と1つ1つ塊で捉える感じ。用例も1つ1つイメージすること。
次。意味は素早くイメージしよう。言葉はスピードが命。言葉を見聞きして瞬時にイメージできるよう鍛えなさい。
次。関係を捉えよう。それは何の一種で、同種の他者との違いは何か、などの把握に少し時間をかける。
次。細部はさっと流そう。1周目は特にガンガン流そう。目標は1ページ3分。
そんなこんなで、国語辞典の知識をムシャムシャ食べて言語感覚をメキメキつけて作文力をムキムキつけるって寸法ですわ。ボディビルのようにボキャビルをスローガンに!!
1つ注意しよう。
国語辞典で身に付くのは単なる「暗記モン」の知識ではない。愚かにもそのように考えてしまったら最後、哀れかな辞典の通読が不毛な作業へと堕してしまう。
国語辞典で身につくのは知識の上質な枠組みである。いや、枠組みてゆーかあれだよ、整理棚だ。そこにあらゆる知識を保存できるような、そんな整理棚を手に入れるのだ。それが目的であるぞ。目的を履き違えてはならぬ。しかと心に刻みたまえ。
そのためにも何周も通読したほうがよい。2周目は1周目でうっすら出来た整理棚で整理しながら読んでいく。するとさらに整理棚がパワーアップする。この繰り返しなのだ。分かる?
↓
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/20944?page=4
気功にはな、「空車を回すことなかれ」ってゆう戒めの言葉があるのな。だがっ!国語辞典は、断じて、空車ではない。むしろ極上の歯車、ゴールデンギアとでも呼んでもらおうか?(キリッ)
空車はな、むしろ、整理棚も持たぬまま、無限の荒野に繰り出すことなのだ(笑)
分かるかな?いかに、いかにいかに、語彙というものが大切なことか、それはもう、強調しても強調し過ぎることはぬわぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああい!(ち~ん)
それでは皆さんまった来週ぅ~。まったねぇ~。よいお年を~~。
↓
http://anond.hatelabo.jp/20130925185607
辞書を見ると「噴飯」は、ふき出して笑うことと説明されている。
(辞書からの引用は項目全体の引用ではなく省略したり一部表記を変えたりしています。以下も同様)
しかし例えば次のでは、「噴飯物」を使った用例に対し「ばからしい」という追加の説明がされている。
「噴飯物」を見出しにあげて説明をつけている場合でも、どちらかといえば否定的な意味合いで説明されている。
【噴飯物】人に笑われるような物事。こっけいなこと。
「そんなことをするなんて―だぞ」
「そのおこないはまったくの―だ」
【噴飯】まったく~ものである be quite absurd [ridiculous, preposterous]
(研究社 新和英大辞典 第5版)
【噴飯】噴飯の至り It is laughable - ridiculous - ludicrous
※「laughable」も噴飯に似て「馬鹿げた」と「面白い」の両方の意味がある。
laughable (1)ばかげた(ridiculous)、軽蔑に値する a ~ act 愚行. (2)(まれ)笑いを引き起こす、おかしい≪◆あざけりを呼ぶような面白さをいう≫.
また日本語大シソーラスでは、「噴飯物」を含んでいる項目は次のようになっている。
馬鹿らしい 馬鹿臭い 馬鹿馬鹿しい 馬鹿なことを 馬鹿げる 馬鹿げた ; 痴れ痴れし 痴れ痴れ 痴れがまし 痴(おこ)がましい 烏滸がましい ; 阿呆臭い 阿房臭い 阿房らしい 阿呆らしい ; 愚にも付かぬ ; 笑止 笑止千万 笑止がる 笑止顔 片腹痛い 傍ら痛い ; 噴飯 噴飯物 ちゃんちゃらおかしい お笑い草 お笑種 笑わせる; 臍で茶を沸かす 臍が茶を沸かす 臍茶 臍が笑う ; 仕様もない 仕様(しょ)むない ; 箸にも棒にもかからない 箸にも掛からぬ; 話にならず
軽蔑 ; 反対 ; 切り捨てる ; 跳ね除ける ; 笑止 笑止千万 笑わせる ちゃんちゃらおかしい 噴飯物 お笑い草 お笑い種 片腹痛い ; 聞いて呆れる 開いた口が塞がらぬ 二の句がつげぬ 呆れてものが言えない
こんな感じで「噴飯物」は、「笑えること」「面白いこと」というよりも「笑われるようなこと」「笑うべきもの」「笑われるべきもの」みたいな意味合いが強くて、そうなると文脈や話者によって、あきれ、あざけり、いきどおり、怒りのようなニュアンスも付加される。
なので
これはあくまでも僕の妄想であるが、今回docomoからiPhoneは出ないと思う。
docomoがiPhoneを発売するにあたって、情報お漏らしポイントが2つある。
キャリアの網をiPhoneに対応させるのは結構おおごとで、まず大きいのはキャリアメールのシステムをメッセージアプリに対応させなければいけない。
SoftBankは3G販売にあたって対応できず、IMAPメールであるi.softbank.jpという苦肉の策でお茶を濁し、softbank.ne.jpをメッセージアプリに対応させるのは発売後時間がかかった。
auも4S発売時に対応できず、その後のiMessege対応も遅れた。FaceTimeなんかもそうだ。
auは◯問題って言うのもあったけど、とにかくキャリアの網をiPhoneに対応させるのは大変なことなんだ(現在SIMフリーのiPhoneをdocomoSIMで運用している人は実感しているはずだ)。
さらにAppleはパケット通信料にレベニューシェアを求める。iPhoneから生まれたパケット通信料の何割かをキャリアはAppleに支払わなくてはいけない。これもiPhoneによって生じた通信料の測定結果をAppleとキャリアが共有出来るシステムを導入する必要がある。
さらにさらに、Appleはキャリア側にiPhoneの販売数をリアルタイムで共有することに求める。もちろんシステム上でだ。docomoショップの販売管理システムに改修が必要ということだ。
このようにiPhone発売にあたりdocomoは自社インフラを改修する必要があるが、天下のNTTグループがそれを自社のパワーだけで賄うことはない。N系だったりH系だったりする各協力会社へ、機器・人員・ソフト・システムあらゆる発注を実施する。しかし、これまでLTEエリア拡大のたびに広辞苑みたいな厚さの注文書が協力会社へ飛んでいったものの、今回はそういう話を聞かない。
Appleのサービスにまったく対応しないまま販売するつもりか?
docomoグループ従業員および協力会社の社員に秘密を漏らせば死ぬ呪いでもかけたのか?
docomoは特に直営店舗のスタッフ教育に力を入れている。これまで目玉となる新機種発売の前や新プランの発表前には事前に各拠点にスタッフを集め教育を実施してきた。「え?そんなの11日の発表後でも間に合うじゃん?」と思うかもしれないけど、最後まで聞いてほしい。
docomoは教育のたびに、拠点に細かく備品投資をするのだ。例えばスマホの画面を大きく投影できるプロジェクターだったり大型液晶テレビだったり、それをスマホと接続するケーブルだったりアダプタだったり。で、こういう備品を本社で一括購買はしない。各拠点で個別に買う。60インチのアクオス(docomoはやっぱり国産品が好き)を、docomoの本社がSHARPの本社から買うことはない。各拠点が独自に予算と裁量を与えられ、安く買える業者や店から買うのだ。中にはどう見てもバッタ屋みたいな業者から買ってる拠点もある。当然取引業者は多くなるし、その業者の何割かはピンと来る。「ああ、近々新機種が販売されるな」「新しい料金プランが出来るな」と。
10日以降に店舗でスタッフを集めてA4に印刷した資料をもとに教育するだけなら10日まで動きがなくても全然問題ないかもしれないが、プロジェクターやテレビを使った教育を実施するのならもう発注してないとさすがに間に合わない。今回そういう業者への備品発注の話が漏れてないのだ。