例の逮捕の話題を見聞きしていてそういえばと思いだした。
私は今アラサーの女であるが、10代の頃、自分のまんこすらまんこと呼べなかった。
もっと小さい頃にはそもそもなんと呼べばいいのかわかっていなかった気がする。
母親はアソコと言っていたと思う。保健の授業ではヴァギナ。ポップティーン的な経験談雑誌ではア●コ。
ちんこちんちんちんぽという響きとはごく幼少時から親しむ機会もあったけれど、
対になる単語としてのまんこを知ったのはだいぶ後だったように思う。
今も中学の頃にふざけた男子が授業中に「おまんこ」と叫んだときの空気が忘れがたい。
「セックス」と口にすることの数十倍恥ずかしかった記憶がある。
ここ数年の間に、あけすけに自分の健康や失敗や体験なんかを話せる友人が何人か出来た。
いつの間にか自分の性器も他人の性器も等しくまんこと呼べるようになっていた。
まんこをまんこと呼ぶことで湧いたのは、なんだよ!みんなまんこついてるんじゃん!という感覚である。
道行く女子のスカートの奥になにがあるのか、ほんとに自分と同じもんついてんのかなという実感を持てているか?と自問すれば、
そこはなんとなくボヤ〜としていた。
いや〜みんなついてるよねまんこ。濡れたり濡れなかったり擦れたり黒ずんだり痒かったり何かはみでたりするよね。
そういう実感と、記事にならぶ女性器の文字とを見比べて、なんだか不思議な感覚になってしまった。
元々ついてるもんなのにな。
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