はてなキーワード: 大卒とは
お盆シーズンなので年老いていく親にからめてちょいと書かせてもらう。
自分のスペックは独身20代後半、年収は350万(手取り230万)程度、地方の田舎住み。
非正規雇用をへて、社員登用から正社員になったのが2年前といった状況である。
中小企業ではないが、中途採用、さらには大卒ではないので将来的な大きな年収増は見込めない。
祖母は90代前半、足腰弱って外を出歩くことはないが認知症もない。週に1度デイサービスを利用している。
今現在問題があるというわけではないが10年後、20年後にはやってくる問題だ。
生まれたときから祖母と同居しているのもあり、年寄りとの付き合い方というのにまったく慣れがないわけではないが
それは祖母がつきっきりの介護を必要としなかった幸運でしかない。
祖母は耳が遠いので、同じことを4回ほど大声で言って話が通じるか通じないかという程度の苦労はある。
なぜ、まだ訪れていない問題に焦燥感をもっているのかというと学生時代に研究で老人の福祉関係を少し齧っていたからである。
特に老老介護や認知症の自分の親を介護しなければならないという状況に陥った場合は結構厳しい。
育ててもらった恩やニートのときに親に世話になったので無下にはしたくはない。
結婚の予定はない(する気もない)が、嫁を当てにするやり方も不誠実だと思うし。(父は祖母の世話を母に任せて自分はノータッチな人だったので猶更。)
別居すればいいじゃないかと思う人もいるだろうが、経済状況から実家暮らしをしてる。
そんな自分が至った結論は介護の外注化。将来は介護サービスを利用して乗り切ろうってことだ。
介護には想像以上に金がかかる。ここ3年ほど毎年100万ずつ貯め、現在貯金が300万ほど。
普通なら結婚資金辺りになるんだろうけどこれは介護資金。介護したくないもの。
地方と都会とか、低学歴と高学歴とかいう括りもあるけど、それぞれ一様じゃないんだよなぁという感想を持った。
元増田の人は私と同世代のようであるが、大卒以上/高卒以下でそれを括っていたけど、私の同級生とか見ると
大学出るのは2割くらいかな。元増田の学校よりも進学者そのものは多かったと思う。
中学100人のクラスで20人位は大学か高専など大学に準ずるレベルの高等教育は受けてたと思う。
だけど、その20人のうち、首都圏に行くのは2~3人、地方の国公立に進学は5人くらい。
残りはいわゆる地元の名前書けば入れそうな大学に入る人だったな。そういう人はいわゆるここで言う「低学歴」の人と思考はそんなに変わらんように映った。
だから大卒か高卒かで区別することの妥当性は俺は無いんじゃないかなぁと思う。
地方だと、いわゆる早慶や、その下のマーチとか言われるような大都市圏の有名私大に行くためには、学力だけじゃなく
両親の経済力というハードルもクリアしなきゃないというのが問題で、もちろんバイトなどを頑張って自力で行くという選択肢はあるだろうけど
それやっちゃうと学業がやっぱり中途半端になってしまうし、本末転倒になりそうではある。
学費以外の生活コストを考えると、国公立だろうが私立だろうが東京や関西の大学に行けるだけで、地方にとってはすごい事だと思うわ。
自分も両親からは私大だろうが国公立だろうが都会はダメという約束で、高校は地域の進学校に進学した。
親父は大学行きたかったが行けなかったらしく、経済的には余裕はなかったが、それでも私にはそれなりの大学に入って欲しいと思ってたらしい。
成績はそれなりをキープしてたので、3年時に担任から某関西と東京の有名私大(今大河ドラマになってるとこと、マーチのRなところ)の指定校推薦に行かないかと誘われた。
早慶やマーチなどこういう有名私大の指定校推薦が全て揃っていたが、埋まるのは半分くらい。
早稲田政経は流石に人気だが、年によっては慶應も指定校推薦応募者がいなくて、
教師が慌てて成績優秀者に声をかける(0だと取り消されかねない)が、経済的事情からなかなか行く奴は現れない
という現状があったりする。
かくいう私も担任からも親に色々説得してもらったが、結局うちの経済力ではかなわず。
んでも、田舎の国公立って、入試難易度の割りには元増田が書いてるような意識の高い感じの人ってあんまり多くないと思う。
東京のもっと入るのが簡単な大学のほうがそういう人が多いように自分には映った。
「壁を超える」には、学歴とか頭の良さじゃなく、多様な人材が集まる場所で学業や仕事をする機会が必要なんだろうと思う。
そして、都会で何不自由ない良い家庭環境に育つと、意識せずともそうじゃない人と交わる機会が減る。
日本にはいろんな階層があるということを知らなければならないのは、アイスのショーケースに入ってるような奴もそうだが、
分かる。そして、この話が分からない者の考えもまた分かる。
日本の田舎には工業町、漁港町、農業町、炭鉱町などなど、こういう特定の産業によって維持されている田舎があるんだけど、こういう田舎はゴマンとあってそういうところに生まれると、学歴、学力、常識なんてものは全く必要としない。
だから、三代に渡って大卒者がいないとか、親族連中で大卒者がいないとかよくある話であって、元増田が異常な場所の人だとは思えない。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
を読んで思ったが、低学歴と高学歴を分ける鍵は親にあるというはよく分かる。
俺の例を語ってみる。
・父方
祖父と祖母がいとことの近親婚の影響か全員発達障害を持っている。
正月とかで親戚が皆集まるんだけど話がかみ合わないがかみ合わずにそれなりに盛り上がっていた。
肝心の教育だが、職人一家で「手に職があれば教育はいらねぇ」って祖父の方針で、長男の伯父は高卒。
次男の親父はサラリーマンになれと言うことで大学に行かされていた。
・母方
祖父、祖母共に教育熱心で「出来るだけ上に」という方針で男は大学に、女は高校・短大にという
2人とも教育の必要性を感じてくれて、私立中高一貫に入れさせて貰った。
そこでは観たことの無い世界だった。
明らかに「違う世界に来たんだ」ということを感じた。
海外旅行など一度も行ったことなかったので、その後俺は海外旅行漬けになってしまうけどねw
ここまで持ち上げてくれた両親には本当に感謝している。
一方、親戚を見ていると転落していった人も居て複雑な気持ち。
小さい頃良くしてくれた母方の伯母(高卒)は結婚出来たが、DVで離婚、その後も再婚で離婚。
現在生活保護で暮らしている。伯母の息子(つまり従弟)はいわゆるDQNヤンキー。
父方を見ても、伯父(高卒)の娘(従妹)はFラン大卒でパチメーカーに入社、叔母(高卒)の息子(従兄)は高校中退でひきこもり。
分かる
「勉強だけが全てではない」「大卒よりもその期間仕事してきた高卒の方が」
「女は短大卒で充分」「大学に行けるあなたがうらやましい」「話題と言えば車、TV、パチンコ」
親の地頭がかなり良かったから本能的に勉強して田舎抜け出せて大学いけて
「はてな村」にも安らぎを見出せたけど
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
読んで色々考えさせられた。
せっかくなので、身の上話を増田に吐き出そうと思う。
すごい田舎の底辺中学を卒業してるけど、地元同級生たちや親戚達の常識感っていうのは独特だなぁとずっと思ってた。
上京してからは特にそう思ってて、同じ日本なのに本当に違う世界が共存しているんだなと思ってそれがもう日本だと思ってた。
この記事を読んで、そうかそれは「低学歴の世界」と「高学歴の世界」の溝だったんだと納得した。
地元は田舎だからか両親ともに兄弟が多くて、いとことか30人くらいいるんだけど、その中で大学に行かせてもらったのは俺くらい。
俺の両親は、他のいとこが次々と中卒・高卒で働き始めたりしているのを横目に、頑張って俺を大学まで行かせてくれた。
両親が大学まで俺を行かせたかった理由としては学歴コンプレックスもあったのだと思うけど、それ以上に今後生きて行く上で大切な友達や結婚相手の階層のレベルをあげてやりたいってことがあったのだと思う。
実家に帰ると、親戚の誰それが結婚した、でも結婚相手はどうしようもないバカでパチンコばかりで家族そろって金を無心にくる、という似たような話がゴロゴロ。
不倫・バツ1・再婚・生活保護・パチンコ・ギャンブル・騙した・騙された・蒸発、、、あげれば切りがないけどそんな話がゴロゴロゴロゴロ。
俺の両親は2人とも低学歴だが、そういう世界に本当に嫌気がさしていたんだろう。
今思うと、きっと両親はそういう「低学歴の世界」が常識な親戚から俺を遠ざけたんじゃないかと思う。
いつの頃からか、他の親戚連中とは距離を置くようになっていて、気付いたら俺もいとこ達とはあまり会わないようになってた。
大学にもやれないような、子供の将来よりお金の無心しかしない人を騙すしか能のない親の元で育つ子供はバカになるし、バカとしか結婚できないんだ、そして親と同じことを繰り返すんだと両親は良く嘆いてた。
そんな地元環境だったので、大学に行ってからはカルチャーショックがたくさんあった。
そのうち、進学で上京したのは俺を含めて2,3人だったと思う。
大学へ行ってまず俺が驚いたことは、友人達の家庭環境と文化レベルの高さ。
などなど。
もう大学卒業して結構経ってしまったからその当時の衝撃を少し忘れてしまっているけど、「高学歴の世界」の人からみたら、ごく当たり前のこんな感じのことで当時の俺は衝撃だった。
今思うとここが「高学歴の世界」への入り口だったんだなと思う。
俺は学部で卒業したけど、大学院進学も見据えて大学入学してきた奴らなんて、本当「高学歴の世界」すぎた。
俺なんて、大学入るまで大学院なんていう存在すら知らなかった。
親と一緒に驚いた。大学の上に更に進学するところがあるんだって!って。
大学では本当に勉強・研究を頑張った。大変だったけど初めて勉強が楽しいと思った。
大学でできた友人達とは今でもとても仲が良いし、めでたいことにその時の友達ひとりと結婚もした。
今の俺の状況としては、東京の某大企業に就職し無事に溝を超えて「高学歴の世界」にお邪魔した感じだろうか。
そして、会社に入ってから更に大学よりも純度の高い「高学歴の世界」の人たちがたくさんいることにビックリした。
仕事していて困った奴もたくさんいるけど、地元にいた「低学歴の世界」の人たちのような耳を疑うような非常識さは全くない。
ここでずっと仕事していると、こういう世界が日本の普通と錯覚してしまう。
そして彼らの大半は、家族も両親もずっと「高学歴の世界」で生きてきた人なので、「低学歴の世界」を垣間みたことがない。
大学進学するのが当たり前だと思ってるし、周りも大卒ばかりなので、実は日本には大卒ってそんなにいないことを実感していない。
パソコンとインターネットの違いが分かるのは当然だし、スマホもタブレットも使いこなす。
飛行機や新幹線のチケットはネットで買うのが当たり前だし、分からないことは全て自力で調べられる。
年に一度は海外旅行が当たり前だし、英語は苦手といいつつも日常会話はそこそこできる。
両親兄弟がちゃんとした常識人で、困ったときには何かしらのアドバイスをくれる。
両親の家に普通にパソコンがあって、孫の様子をスカイプでテレビ電話する。
孫のために両親がお金を湯水のように注いでくれて、当たり前のように援助してくれる。
それがどれだけ凄いことか分かってない。
なので、たまにそんな「高学歴の世界」の奴らにいらっとしてしまうのだ。
この溝は超えたことがあるものにしか実感できないんだろうなと思うし、実感しても人生にいいことはあまりない。
だから大半の人は溝に気付かないか、見ない振りをしてごまかすんだと思う。
大学進学が溝を飛び越えるのには一番理にかなっていると思う。
けど、その障害となっている一番の原因がその親だ。
頭のいい子がいて大学進学を進めても親にその気がなければ、もうそこでその子の人生は地元止まりだと。
なんとかしてやりたいけど、全員を救えるわけではないしどうしようもない、と。
唯一、政治家だけはこの溝について何かしら対処すべきだと思うけど、政治家自身も「高学歴の世界」にいる人たちばかりなので実感として「低学歴の世界」を理解できないんだろうな。 年々この溝が深くなっているような気がする。
本当に根深い問題だと思う。
30年前に地元を出た人の話ならわかるが、そうでないなら都会の人が想像で語った釣りでしょう。あるいは、30人中大学進学が1人とか超特殊な一族過ぎる。自説を開チンする時に経験談に仕立てるアレな類い。
っていうブクマがあったけど、俺30歳ですよ。
特殊な一族なのかなぁ。違うと思うけどなぁ。どうなんだろう。
ひとつひとつにコメントしたいところだけど、気になったものに対してだけコメント返信させてもらいますね。
底辺エリアであってると思います。ヤンキーやDQNがなぜか沢山集まった学区にあった公立中学校なのかな。
校内にバイクは侵入してくるし、ガラスは割れまくるし、授業中に水は飛ぶはご飯つぶが降ってくるわ、先生は泣いているわ、それはもう楽しいところでしたよ。
今思うとあんなに玉石混合な人種が共存していた世界もそうなかったと思います。
両親公務員家庭で自分も大学行ったけど、親戚はほぼ大学出てないとある地方の家庭で育ちましたが、こんなに周りの文化レベル低くないです。やっぱ日本にもやばい場所とそうでない場所がある。
公務員が一族にいるだけで、凄いですよ。
そんな安定した職業の方は親戚にいませんよ。
この話をぼくの周りに話しても誰も無関心&他人事で、最近は言うのを止めた。どちらの世界も中途ハンパに知ったまま底辺に落ちてくとストレスだよね。
すごく分かります。
俺も会社では地元の話はあまり出しません。逆に地元では会社の話はあまりしません。
どちらにも愛すべき人たちはいるし、どちらの世界にも彼らなりの「普通」に幸せに暮らしている人もいるので、そんな人たちに今更こういう現実が横たわっているっていう話をしても何も生み出さないなぁと最近感じています。
釣りだと思う方は、そう思ってた方がいいと思うし多分そういう方はもうひとつの世界を知らなくてもいい人なんだと思います。
「高学歴」で陰湿な凄まじいイジメをするやつ、「低学歴」でこの人について行きたい!と思える徳の高いやつ、いたよ。高学歴=人間としても素晴らしく育ちが良い的な論調には賛成しかねる。率は高いにしても。
高学歴を賛美するつもりはなかったので、誤解させてしまったならごめんなさい。
俺の周りにも「「高学歴」で陰湿な凄まじいイジメをするやつ、「低学歴」でこの人について行きたい!と思える徳の高いやつ」はいます。
なので100%学歴の話ではないけど、それでも悲しいことに学歴が所得と階層に相関関係あるのは確実だなと肌感覚で思うのです。
俺が田舎出身だったので田舎という表現を使ったけど、きっと東京の郊外でも似た話はあるんじゃないですかね。
話せば分かるとか、努力すればなんとかなる、とか。
それ以前の問題があることに想像が及んでないんだなぁと思います。
でも「高学歴の世界」の人たちも、彼らなりの努力や葛藤があって人生歩んでいるので「低学歴の世界」とはまた違った大変さがあると思います。
なんか色んな反応があって面白かった。
こういう話をちゃんと外に吐き出すのって初めてだったのでなんだかスッキリした。
それは遠くの町に出稼ぎ通勤でもしない限り仕事なかなか見つかるわけない
すぐ雇ってもらえるとか考えている人は甘い甘い
働き出したら今以上に料理雑になることは間違いない
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
こういうフラグメント化された世界は幾つもある。ムラ社会とも呼ばれるわな。インターネットによってフラグメント化された世界が衝突し合うのは幸せなのか不幸なのか。
さて、僕が属するフラグメントは、はてな村の中の一部だ。オタクが多く、学歴も比較的高い(まぁ中卒~院卒まで色々いるが、平均的には大卒以上が多い)。メディアリテラシーが高く、DQNフラグメントの起こす炎上騒ぎをウォッチする人間も多い。一つ問題点を挙げるならば、彼らに対して繁殖力が異常なまでに弱い。子孫を残せるのは、せいぜい3割くらいだろう。DQNの繁殖力の高さは僕が言うまでも無いだろう。繁殖力の高いDQNフラグメントと、先細りするオタクフラグメントではもちろん勝負にならない。じり貧だ。
ここまでは僕の狭い観測範囲による感想なのだが、実際の所、オタクの繁殖力はいかほどなのか?DQNフラグメントに滅ぼされるような貧弱な種族なのだろうか?あるいはメディアリテラシーが高い人たちの繁殖はいかほどなのか?
僕としては、僕の属するフラグメントがなんとか民度が高くてかつ繁殖力の高いフラグメントと、共存、融合、あるいはコバンザメのようにくっついて、民度の高い日本を維持する側で居られればと思うがどうなるのだろうか
店長が「うちら」の世界について記事を書いて大ヒット、あちこちのblogで議論の対象となっている。
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425
しかし多くの場所で議論になってるような「バカな一部がバカをやってしまう行動を理解」という文脈よりも、この記事には注目すべき点があると思うので、それをメモする意図で記事を書く。
それは記事中の
彼らの感覚としては「所与の権利」の範囲が非常に広い。権利が広いため、たいていのことをしても許される「ことになっている」。(中略)所与の権利の幅が大きいということは、逆になにやっても自分たちには危害は及ばないということでもある。つまり危機意識の低さだ。
この部分。
この部分に注目した場合「うちら」は多い。たぶん、日本人全部がそう。
上記の指摘は、たとえば「学生ローンを借りたんだがこれは借金じゃないか!若者の未来を潰すつもりか!」とか「大学院を出たのに就職できないなんて信じられないクソ社会だ!」に通じる。
大学に行くのも就職するのも「所与の権利」ではない。「所与の権利」だと思って安心しきっていた(=危機意識がない)からそれが無くなると「奪われた!」と騒ぎ出す。
この話をすると、国は国民に一定の生活を提供する義務がーとか吼える人がでてくるのだがそう言う話ではなく、そもそも「国がある」というのは人類に与えられた所与ではない。作ったからあるのだし、維持してるから現存している。運用しているからサービスが降りてきている。それだけだ。
当然その維持運用コストは参加者全員で支払わなければならない。資本主義の現在のこの社会において、その代表例はお金(=税金)である。
しかしそのさらに下のレイヤとして、本当の最低限、参加しているんだから全員支払えよというコスト、もはや参加資格といってもよいコストが存在する。それは「所与に対する盲信の否定」を含む「システムに対する理解」だ。
この社会は、社会構成員が望む「所与の権利」を望むままにえられるコストをちゃんと支払っているのか? と問われれば、疑問符がつく。
個人的な感覚の話になるんだが、日本人は、これ以上コストを払う能力がないように思う。もちろん、税金は払える(所得が上がれば)。そうではなく、前述の認識や道徳的な「理解というコスト」を支払う能力、店長の言葉を借りれば「社会に対する想像力」がもう頭打ちなのじゃないかと感じている。もちろんその想像力が高い人も低い人もいる。でもその格差ってのは現実にあるし、それを教育で是正しようぜというのは正論なんだけど、じゃあ大学教育がここまで一般化した現在、知識は増えたのかもしれないけれどバカは減ってるのかと言えば、ヤンキーやDQNでも大卒になれる社会になっただけのように見える。たぶん衆愚政治っていう言葉の意味は「「理解というコストを支払う能力の限界」を指しているんじゃなかろうか。
じゃあどうすべきかというと、日本はもうこれ以上「所与の権利」を増やせない、増やすべきではないと思うわけだ。というか、現在のレベルすら維持できない。もっと「所与の権利が低い」国になっていくのが現実なのじゃ無かろうか?
子どもが大学に行けないのはあたり前。家計が苦しいのはあたり前。学校のレベルが低いのはあたり前。旅行に行けないのもあたり前。中古車はあたり前。スマホ持ってないのはあたり前。お店で店員に怒鳴られるのはあたり前。公共サービスの質が悪いのはあたり前。郵便が届かないのはあたり前。夜の街を女性がひとりで歩けないのはあたり前。水道の水が飲めないのはあたり前。
もちろんそれはとてもいやなことではあるけれど、コストを負担せず権利だけわめくよりはまっとうな結末に思える。
そもそも(工業)高専って,大卒の給料が高いから雇いたくない&高卒だと教育が必要で雇いたくないっていう時代の産物じゃなかったっけ.
それでも早いうちから専門を学べるのは得なように思えるけど,それもインターネットの無かった時代の話で,
今やGoogle先生に聞いたらなんでも見つかるし,勉強するにしてもAmazonで名著を推薦してくれるから効率よく学べるし.
たかだか3年ぐらいのアドバンテージなんてほとんど無い.大学・就職後ですぐに埋まる.
それより動機とモチベーションの維持の方が大事.当たり前だけど.
とか聞くけど,そもそもその根性が腐ってるのと,大学院まで行くならそのときにロンダできるのと,
ロンダして就活してるやつはやっぱり苦労してるから意味無いよね.
しかも編入後はいきなり3年からで授業が繋がらないからついて行けないor内容が被ってることが多いよ.
「この分野だと高専卒の人が多い」
こんだけ良いとこ無いのに,なんで高専行くかっていうと,「大学受験したくない」「国立で安い」「他の人と違う道を進みたい」ってことだから.
そのために普通の高校生なら経験する3年分の青春と大学受験という名の知的トライアルを捨てるからね.
高専だと出会いの場は専ら合コンだからね.付き合っても週1ぐらいしか会わなかったりするからね.
普通の高校生は付き合って無くても週5で異性と会って,何かしら話をするでしょ.多分.
文化祭とか体育祭とか部活動のマネージャーとか,マジでマンガの世界だから.
だから高専病ってのができるんだけど,ぶっちゃけ罹患してる奴の方がマシ.異性と接してるから.
変なプライドっていう抗体を作り出して高専病にかかってない奴の方がヤバイ.女性との接し方が異常になる.
だから高専卒は童貞多すぎだし,そうでなくても女性との接し方が下手くそだから.
で,知的トライアルを受けてないから妙にプライドが高い.ランキングされたことがないし,挫折を経験しない奴が多すぎる.
編入は割と楽だし,編入後も専門分野の講義だから自力を発揮しやすい.
だから割といい評価で大学を出るんだけど,やっぱり地頭が付いていかないことが多くて,
じりじりと化けの皮が剥がれてくる.でも本人は周りより出来ると思ってる.それがイタイ.
こんだけ言っておいて,高専生にアドバイスするのは,もう,思いっきりバイトした方がいい.
授業終わったらさっさとバイト行け.出来れば女性が半分ぐらいのバイト.時給は関係無い.
間違っても時給がいいからと言って家庭教師とか運送屋とかやめとけ.飲食業とかにしろ.
学業への影響とか気にするな.授業中に寝なければ留年することは無いから.
で,4年後半ぐらいで辞めろ.続けてもいいけど減らせ.で,死にものぐるいで勉強して,大学へ編入しろ.
仕事して客に怒られて,ヤンキーみたいなバイト仲間に親近感を持って自分のプライドなんて捨てちまえ.
それでお金が貰えるんだから,大好きなパソコンや旋盤とか買っちゃえばいいんだよ.
そうすれば高専は割と良い場所.長めの大学生活みたいな.間違えても家と高専を往復してロボコンやプロコンに出るんじゃ無いぞ.
ググったら、ブラック企業は〇〇な特徴・社風で人を酷使するから駄目といった内容のサイトしかヒットしなかったんだよ
でもブラックでもオススメしたい会社とかってあってもおかしくないと思うんだけどなぁ・・・
大学院(労働経済)まで行って軍隊予備校みたいな会社は行きたくないってか能力発揮できねえし、それ以外ならどんなトコでも割り切れるんだがな
軍隊予備校みたいな会社ってのは、入社研修で穴掘りとか声出しとか精神論とか体育会系のノリな会社な。
あれほど意味ないもんはないし、大卒の入る所じゃないな。高卒でも意味ねえから猿にでも仕込んどけってな。
これは経営者の資質に関わるレベルだから池沼社長の会社は行きたくないね。
例の「いうほど国は何もしてないのか?〜エイベックス松浦氏のポエムに寄せて〜 」のエントリ( http://anond.hatelabo.jp/20130804050326 )の元増田です。
あれの「出生率が2005年の1.26から2011年の1.41まで上昇してきた」にたいしてのブコメでid:sea_side氏よりこんなブクマがつけられてたのだが・・・
「まだ不十分ながら少子化対策が形になって現れてきたとも考えられる。」これは違う。若い時に産まなかった人の一部が今産んでるだけで、若い人が産まない状況は変わってないのでこのままなら回復は早晩止まる。
これは俺の書き方も悪かったんだけどいわゆる「出生率」の話じゃないかな。俺の書いたのは「合計特殊出生率」の話だ。
1.26や1.41という数字も出していたし、日本では一般に出生率=合計特殊出生率として語られることも多いので、誤解を与えた(かもしれない)表記については勘弁して欲しい。
ちなみにブコメが言いたいのは、人口の分厚いアラフォー団塊ジュニア女性が駆け込み出産してるから出生率が上昇しただけ、彼女らはじきに産まなく/産めなくなるし、その後の世代は人数減ってくので、出生率上がってるのも今のうちだけだよということだよね。出生率だとその通りの解釈でいいのだが、合計特殊出生率の場合は、「各年齢の平均出産数」を足し算するので、人口構成の偏りの影響をうけない。
アラフォー世代がいっぱい産んだからすごく数値が上がりましたとか、逆に20代前半女子がいっぱい産んだんだけど人数少ないから大して数値上がりませんでしたー・・・みたいな話にはならないということな。もしブコメの指摘のとおり今後伸びがとまったとしても、人口構成が理由ではなく、別の理由ということになる。
ブコメに対するフォローとしては以上です。以下はすべて余談。コンビニ店長じゃないがすげー長くなったのでよろしく。
上に書いた「合計特殊出生率の増減は人口構成が理由ではなく別の理由による」・・・これは裏を返せば、合計特殊出生率が2005年から2011年まで0.15上昇しました、というのも十分に数字どおりの意味があるということだ。
もちろん俺もこれが政治や行政のおかげだ!すごい!と短絡するつもりはなくて、他の影響、たとえば出産関連の商品・サービスを提供している企業がマーケティングの一環として、団塊ジュニア世代に向けてメッセージ(まあ広告のことだ)をたくさん発して、商品・サービスそのものも力を入れて開発しましたとか、金利の低い経済状況も手伝ってこの世代向けに手頃で子育てしやすそうなマンションが大量供給されたとか、広義での「人口構成の偏りの影響」はあると考えている。
彼らにしてみれば団塊ジュニアの出産育児需要を、彼らが出産適齢期を迎える15年ほど前から今か今かと楽しみに期待していたのがいっこうに産んでくれなくてアテが外れてしまい「もうここ5,6年が最後の勝負やで!頼むでもう!」とばかりに必死にやっただろうからね。
第2次ベビーブームのときだって、合計特殊出生率の理屈で言えば上昇しないはずなのに、実際には一時2を割ったこともあった合計特殊出生率が(ひのえうまじゃないよ)、2.15近辺で数年間推移したことがあった。
企業のマーケティング以外でも、たとえば、お隣さんもお向いさんも赤ちゃん産まれるのを間近で接して「じゃあうちもそろそろ」なんてベビーブーマー以外の世代までその気になっちゃうなんてのは十分考えられることだ。子ども産むか産まないかっていうのは、政策だけでなくこのような「社会の雰囲気」の影響も強く受けるんじゃないかと思う。
社会のふいんき()の次は金の話だ。もう書いてる内容がめちゃくちゃだな。
正直俺も楽観視できないとは思う。なぜなら若者に仕事がなく結婚できない出産できないからだ。
要するに金の問題だ(ほかにも人生の価値観の多様化ということももちろんあるが、そういうのはもう仕方ないのでここでは置く)。
金がないことに対するひとつの解としては、最近話題のベーシックインカムだ。ただこれには数十年単位での時間がかかる。
俺がその手前の段階で期待してるのは、仕事の細分化によるワークシェアだ。
いまひとりの人間に500万払ってやらせてる仕事を300万ずつ2人にやらせる。
雇用規制を緩めるのとセットだが、暇な時はひとり解雇できるようにすれば企業にもメリットがある。
400万の仕事を250万ずつ2人にやらせる。300万なら180万ずつ2人にやらせる。あるいは500万の仕事を200万ずつ3人でもいいし、150万ずつ4人でもいい。
これを社会全体でできるようにすれば、解雇されたやつも他の企業にすぐ移れる。
いわゆる雇用の流動化というやつだ。
アルバイトとは異なり、年金、健康保険などは従来どおり加入させる。もちろん年収が少なければ年金の支払いも少なく老後もらえる額も減る。
だからどのみちこれだけではダメだ。ダメだが今できる少しでもプラスになる雇用対策、少子化対策としてのワークシェアだ。
そうやって年収200万の若者が結婚し(あるいは同棲、事実婚で)400万の世帯収入を無理なく見込める環境をつくってやる。200万の収入は心もとないが、世帯収入400万ならなんとかなる。
そうやって将来不安、雇用不安、出産不安を少しでも軽減してやる。
余談に余談を重ねるが、俺は主にネットの進化とIT化によって、基本的には仕事の総量は減っていくと思っている。
海外に流れてくのもあるだろうし、それがなくても今まで10の人手が必要だった仕事が5とか3とかゼロでできるようになってきている。
ゼロサムではなくマイナスサムだ。それをなんとかゼロサムでキープするために「細かく切って皆で分ける」というワークシェアが必要だと思っている。
それでもおそらくは数十年単位での一時しのぎだ。
それで時間稼ぎしておいて、ベーシックインカムなどより抜本的な対策を考える。そういう話だ。
今、大卒まで全部義務教育でも子どもひとり800万と言われてる。塾とか習い事込みの金額だ。
これを大卒までの22年でわると年間36万になって1ヵ月3万だ。民主党が月2.6万だっけ?子ども手当やりますって言ってたけど、かなりいい線いってると個人的には思ってた。ま、民主党はそれ以外の問題がありすぎたんだけどね。
ともあれ2.6万は結局半額1.3万になって、いまでは月5千円?元に戻っちゃった。乳児で1万だっけ?
あの2.6万をパチンコに使わず、必要ないとき(公立の小中学校なら月2.6万もいらん)はちゃんと貯蓄するようにしておけば、そして22歳まで支給すれば、子育て不安は相当なレベルで軽減される。
パチンコが不安なら2.6万支給じゃなくて高校も大学も学費をどーんと下げる。高校は授業料無償化になったけど、ケチケチせず修学旅行も無償でいいじゃないかと思う。
元増田の国会予算の話でいうなら此度の高校授業料無償化で、一般会計から4000億円支出されたんだそうだ。文教科学振興費5.3兆円のうち、0.4兆円な。
もっと大事なのは保育園、幼稚園でここは非常に金がかかる上に、親も若年で経済力がない。ここも無償化だ。
このサイト(http://educationalcost.com/list.php)によると公立保育園で120万。1歳から6歳まで年間24万。対象が500万人(乳幼児1世代100万人の計算)として約1.2兆円。
文教科学振興費がプラス1.2兆円は相当な負担だが、幼保一元化などサービスの効率化によりなんとか捻出する。
そして待機児童ゼロに。駅近、駅中にも設置。ここはさらにお金と時間かかるだろうけどね。
さらには出産から義務教育終了までの医療費無料化。これは一部自治体で近いレベルまで実現されているが拡大する。
乳幼児期の出産、子育て支援については、もうこれをやらずに他に何をやるのかというくらい大切な、少子化対策の1丁目1番地だ。
育児手帳?出産手帳だっけ?話題になってた。あれやめてこっちをやって欲しいくらいだ。
とにかく大事なことは、出産育児なんとかなりますよ。というメッセージとそれを裏付ける具体的支援だ。
乳幼児期の費用と医療費さえなんとかなれば、もう公立義務教育終了まではなんとかなる。
そして公立大学の学費も上のサイトによると、215万だが同じく2万円補助してみると4年間で96万円。ほぼ半分の負担になる。
(国の負担は50万人×4学年=200万人×24万=年0.48兆円の支出となる)
こんなもろもろで就学前120万、大学100万、それから上の800万には高校無償化の影響が入ってないようなので高校3年間で50万減として、合計270万親の負担が減るなら合計530万。年間24万の月2万となって33%減。とくに就学前負担が減ることによる心理的効果は大きいのではないかと思う。800万には塾や習い事も入ってるので「必要不可欠」な金額としてはもっと減る。
国庫負担はここに数字あげただけでも2兆円を超える。試算してない待機児童ゼロを目指すための保育園(認定こども園)の充実と医療費をあわせるとさらに増える(このへんは別途どこかで試算が出てるだろう)。
自分で国家予算とにらめっこしてモノゴト発言しましょうねと言っときながらなんだが、厳しい数字なのは間違いない。
ただ、それでも年金問題ヤベーよという話に比べると、はるかに見通しが立てやすいし、金額的にも現実味のあるレベルではないか。
急激な少子化は日本経済を破壊する。合計特殊出生率1.2なんて論外だ。この資料(http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/point.pdf)によると、合計特殊出生率1.35で37年後の2060年、日本の人口は8600万人になるらしい。33%減だ。
同じ8000万でも若者と老年のバランスがとれてる8000万なら問題ない。でも合計特殊出生率が1.35ということは頭でっかちな人口ピラミッドでの8000万だ。じきに将来5000万を割るとわかっている中での8000万だ。その社会はどんな社会だろうか?そんな市場で世界のグローバルカンパニーがビジネスしたいと思ってくれるだろうか?
荒廃しきったマンション、団地、住宅地、商店街、オフィス街だらけの国に、世界中から観光に、留学に来たいと思えるだろうか?
全国津々浦々「リアル・デトロイト」みたいな国だよ、37年後の日本は。あれデトロイトはリアルか。
まあいいやとにかく「日本全国総デトロイト化計画」待ったなしだよ。
デトロイトは全盛期185万人の人口が今半分以下の70万だって。日本も人口6000万でデトロイトになれる!そうなりたいのかという話。
今ならまだ間に合う。合計特殊出生率1.41を1.5にすればメディアがちょっと騒いで社会に前向きな雰囲気が生まれる。「日本いけるやん!」という気分になれば経済にも好影響が間違いなく出てくる。
そうして1.8まで回復すれば、ひとまず「急激で破壊的な」人口減は防ぐことができ、ひといきつける。あるいは人口1.2億から減るとしたって、緩やかに9000万くらいまで減少したとしても、もろもろ破綻しない仕組み、構造に変えていく時間を稼げる。人口9000万への軟着陸というイメージだ(9000万は適当な数字だよ)。
そこからまた腰をすえて「2」を目指し、また抜本的な社会保障制度の構築を目指して、国民みんなが前向きに考える。
最後におまけでウィキペディアの出生数と合計特殊出生率の推移グラフを載せときます。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/日本_出生数と合計特殊出生率の推移.jpg
ていうか、普通というのは 8割以上入るとか 9割以上入るって前提だと思うけど
まず 大卒って段階で 二人に一人しかいないので全然普通じゃない。 その上で そこそこの容姿(半分以上)となると 半分の半分で 全体の10-25%かぐらいしかいないんじゃね?
その段階ですでに普通じゃないし。
細かい条件を付け加えると10%どころか5%もいなさそう。
それに、大卒で誠実な男子って、(大卒の)2割ぐらい(全体では10%)しかいないイメージなんだけどな。もっといっぱいいるのかね?
http://anond.hatelabo.jp/20130805080734
条件自体を設定するのは婚活的にはすごくいいことなんだ。
うすぼんやりと「理想の人」を待つよりは、しっかり明文化しておけばそれにあてはまる人が現れたらすぐ決断できるから。
ただ、これ条件自体が明確じゃないんだよな。
もっと条件を細部まではっきりさせないと。
要素の絞り込みをしよう。
・誠実で浮気しない
⇒これは付き合ってみないとわからないというか、ある程度様子を見ないとわからないからとりあえず出会った段階では保留しよう。
⇒これはいいと思う。自分にとってセックスとか手をつなぐとかキスできない相手と付き合ったり結婚するのは双方にとってよくない。
⇒これらは、重要度を付けてどれかは目をつぶるとかしたら?たとえば「年収450万だったら車の運転はできなくてもいい(結婚後に取得させるようにうまくもっていく)」
みたいな。
⇒これも重要度の高低をつけて、どれがほんとに嫌なのかを自分のなかで段階づけて、ある程度満たしてたらどれかひとつふたつは目をつぶろう。「年収500万、容姿もいい、酒タバコなし、アニメとゲームはそんなに派手にしなかったらOK」みたいな。
貴方もそれなりの大学に行ってたならわかると思うけど、
別に上の学校だからって"分かりやすい"授業が多いわけでもなければ
学生が皆完璧に理解出来るわけでもなく、簡単に取れる授業も落とす人が多い授業もある。
ただ、少なくとも
落とされた学生が、「先生はあたまいいから僕らのことなんてわからないんだー」
なんてバカな事を言うことはない。
社会に出ても、「先輩がちゃんと教えてくれなかった、だから僕悪くないもん」って言う部類の人間になって
その上無駄に大卒のプライドだけ持って社会の悪にしかならないかと。
もう、徹底的にそんな学生一度潰すような授業でも良いと思うんだけど。
それこそ、研究が本業だと思うので、そちらで結果出せば大学側もそれ程文句は言わないでしょ。
(それでもそういう系の留年の率とかの話が出るのは上の大学でもあるのは知ってるので苦悩は分からないでもないですが。
まあ、何にしろひどい話ですね。)
元増田さんのお気持ちはわかります。中の中~上ランクだと、高偏差値大学、とくに国公立大なんかに微妙にコンプレックスがあるらしく、たしかに教員側の「偏差値」を気にする学生は多いです。
私の場合、「先生は○○大卒だから、俺らとは違う」的なことを言われたときには「○○大は研究大学だが、ここは違う。それは方向性の違いである。目指しているところが違うのだから、そうやって偏差値で一律に比べることにはあまり意味がない。君たちはどういうところを目指したい?」と丁寧めに答える+問い返すことにしています。こういう風に言えば割と納得してくれたり真面目に考えたりしてくれることが多いような気もします。
授業に関しては、旧帝大やトップ私学にいるような、一を聞いて十を知る学生はほとんど皆無ということを日々肝に銘じております。そこは教員の実力次第ということのようで、同僚にも、最新の研究成果をものすごく分かりやすく解説してくれるというので学生に人気の先生というのがおられます。授業の分かりやすさと中身のレベルというは、必ずしも一致しないということかもしれません。まぁ、教えるのが苦手で研究したくて大学教員になった人には辛いことかもしれませんね…
ただ、いくら分かりやすく言ってもそもそも考えることが嫌だ(!)という学生もいるので、そういう意味ではhttp://anond.hatelabo.jp/20130802193214の方が言われる
教員個人の授業のレベルがどうのっていうよりも大学全体で見て上のレベルから下のレベルまで
幅の広い授業が揃ってるかどうかが結局大事な気がするんで
は、なるほどな、と思います。
小学校教師なんてただの大卒なんだからそんな能力期待できるわけがないでしょ?
貴方自身が今どの立場か知らないけど、学部卒で就職した時の会社での使える
自分の知識を考えれば明らかで。
しかも教師は会社ほど先輩に物を教わる、ってもんでも無かろうよ、これは勝手な想像ではあるけど。
まぁ公的教育なんてそんな程度だ、ってのはその通りだけど、それを良しとして正しい姿とみなしてしまうのは本末転倒であり思考停止であると思う。
これは言い過ぎで、今のこうて教育でも充分力をつけてるひとはいくらでもいる。
逆に、今の教育の水準を上げたところでそういう人を増やすのはとてもむずかしいと思う。