はてなキーワード: パチンコとは
例の事件を受けてクジラックスの「がいがぁかうんたぁ」を読んでみた。と言うよりネットに普通に落ちてた。これは犯罪を誘発させると思った。
感情論で創作物は規制するべきではないと思うが実際に犯罪に影響があるのであればロリエログロを問わず公共の福祉に則り規制されるべきだと思う。
日本国憲法で保障されている「表現の自由」は対国家権力に対しては絶対的に保障されるべきであって、ロリコン漫画は実際に犯罪を誘発し罪のない子供を傷つけるのだから無制限に保障されるべきではないと思う。
わかりやすく言えば安倍総理批判は無制限に保障されるべきだがクジラックスの漫画は実際に犯罪を誘発させるから規制ということ。
現にクジラックスの漫画に誘発されて20人もの被害者がいるという事実、これはたまたまではない。クジラックスの漫画がなければこんなに被害者は出ない。
私も東京都青少年育成保護条例とか児童ポルノ法改正の際はばりばり規制反対派で連日2ちゃんねるやTwitter等に表現の自由を侵害するな!と書いていたものだが。
規制反対派から賛成派になったのはロリコン漫画規制反対を唱えるネトウヨの存在。
ネット右翼さんの主張はホント感情的だ、タバコは自分が吸わないから規制しろと唱えるし酒も自分は飲まないからと規制しろと言うしパチンコは北朝鮮に金が流れているから規制しろと言うし。
でもアニメや漫画を規制しようとする政治家がいたら「感情論で規制するな!好き嫌いで規制するな!これだから女は!」と言うくせして自分のやらないものに対して、嫌いなものに対して規制しろと感情論全開で連呼するネトウヨ。そんなダブスタ理論には付き合えない、擁護する価値はないと思い規制賛成派に転身した。
友達と話してて「パチンコ屋なんか全部潰れていいし存在価値ないじゃん、法律で禁止すればいいのに」みたいなことを言った。
そしたら「そんなこと言うな、そこで働いてる人達が困るだろう」と諭された。
私の父親は土日は全部パチンコ行ってて子供の運動会に1回も来たことないような人でさ、だからとにかくパチンコが嫌いなんだよ。パチンコって多重債務やギャンブル依存の要因だしさ、夏は車中に子供が閉じ込められて死んじゃうしさ、韓国では禁止されてるらしいじゃん。弟が大学中退してパチンコ屋でバイトしてるけどさ、もっとまともな職に就けよとしか思えません。
その友達は弁護士で割と裕福な家庭の育ちで多分身の回りにパチンコやってる人なんかいないと思うんだけどさ、なんかイラっとした。
さっきtwitterで仮面ライダーの最終フォームがダサいというのが話題に上がっていたので。
子供向けのデザイン、昔からひどすぎるものが多くない?武者ガンダムとかパチンコの台のデザインと同じ思想だと思うし、映画の邦題がおかしいという話ももとをたどればこういうところが悪影響及ぼしているんじゃないかなと思ってる。
任天堂のゲームもスマブラのメニューデザインやカービィのスーパーデラックスのメニューは本当に酷いと小学生のころから思っていた。ゲームデザインは本当によくできていて面白いのに。
ウルトラマンのデザインはスケッチ段階では最高にクールだと思うけど、着ぐるみだといまいちだし、あのシワが許せない。
イカとかは世代交代されてかなりいいデザインだなって思う。時代が少しづつ変わりつつあるのかな。
ちなみにサンダーバードは子供の頃からデザイン最高だなって思って見てた。今でもブレードランナーのシドミードとかと比べられる程度に最高だなと思う。
子供の触れるものを親の価値観で制限するのはマッチョでいけてないという指摘はもっともなんだけど、どーしても見せたくないなって思ってしまう。子供はそんなにバカじゃない。
https://togetter.com/li/1116738
コレを見て。
「自業自得とは何事だ!うちの親は頑張って働いて~」
とかわめいて怒鳴っている人ばかりで正直うんざりしている
そもそもこの人達、「自業自得の透析患者」ってやつの解釈が長谷川と徹底的に違う
長谷川は何度も言っている。ろくに節制もせずに暴飲暴食を繰り返し、透析になっても
だけど自称透析患者の家族とやらは、まじめに働いていたのに透析になったうちの親に死ねというのか!と言い出すので、話が噛み合ってない
何でこんなことになるのかと思うのだけど、多分「自業自得」の文脈としての置き場所が違う。
●●で××な透析患者は自業自得、というのが長谷川のスタンスなのだが、なぜか透析患者の家族は「透析患者は自業自得」の部分しか読んでない
の長谷川に対して
とはいえ、長谷川も間違えてるんだよな。自業自得の透析患者うんぬんをネットで言ったところで、実際に
長谷川が想定していた自業自得の透析患者は絶対見てない。そいつらはおそらく爆サイとか、あんなところに
つまり実際に伝えたかった人のいないところで演説をぶってしまったが故に、長谷川的には全然関係ないと思っていた
他の人たちが過敏に反応して「なにそれ俺のこと!?」と怒髪天になっているのが今の状態。
長谷川を責めることが出来る場所に立っている自称家族とやらは、長谷川が想定している自業自得の透析患者ではない。
長谷川が想定していた「自業自得の透析患者」ってのは若い頃から吞む打つ買うなどを繰り返し、定職にも
ろくにつかず、家庭内暴力を振るい、家族から金を盗んで自己破産なんかをした上に、暴飲暴食をしていた
せいで透析になるが、病院でも医者や看護婦さんに横柄な態度を取りまくり、家族がぺこぺこと謝る、そんな奴のことだったと思う。
私の親のような。
だから、あの長谷川の記事を見たときは大笑いして、「ほんとだよ早くしね親父」と思った。
娘の金を盗み、兄の学費も使い込み、先祖代々の土地もすべてギャンブルに使い果たした糞親父は、暴飲暴食しまくって見事に足なくなった。
っていうのに、病院で暴れて、私はいつも慌てて病院に行っては謝りまくっていた。
ほんと早く死んで欲しかった。全員実費負担にさせてくれれば治療費がないから殺せるのに、とかマジで思ってた。
だから長谷川はおそらくそんな私の親のような奴のことを言いたかったんだろうと思っていたので、彼がぼこぼこに
叩かれているのを見ると、ああ、この人を叩いている人たちって言うのは、本当の底辺の透析患者を知らないんだな、と思ったりもする。
長谷川が想定している透析患者は、ネットでツイッターやブログで自己表現をするような人たちの周りにはおそらくいないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170325083636
これは本当だ。長谷川の叩いた対象の透析患者は、パソコンなど持っていない。金を持てばパチンコに行って、勝てば平気で
長谷川はその底辺層のことを知っているが、ブログ等で彼を叩いている人はそいつらを実際によく知らない。だから自分のことと
勘違いしている。彼らには見えないのだろうが、いるのだ、そういう腐った透析患者って奴は。
なお前述した私の父は見事に糖尿病で死んだ。
飲食業やネットカフェ、パチンコといったサービス業において現場に負担が大きいものといえばタバコの吸い殻の処理、灰皿の清掃等である。
非喫煙者の私はネットカフェとパチンコ2つの仕事を経験した、そのうえで上記の仕事の負担がかなり大きいと思った。
ネットカフェでは毎日大量の灰皿を洗わないといけない、毎日毎日臭い灰の付いた灰皿を洗うのは面倒、時には赤の他人が口をつけた煙草の吸殻を指で摘まなきゃならない。
ニコチンなんて摂取したくないのに真っ茶色なニコチン汁まみれの灰皿を処理しなきゃならんときもある。
意志の弱い自己中野郎な喫煙者のために現場はどれだけ時間を割かなきゃならないのか、この無生産的無駄な時間がなければ他のことに時間を使えるというのに…
パチンコなんて客の7割位は喫煙者、負けていらいらしたストレスをたばこという麻薬で一時的に解消して脳を麻痺させてまたシュレッダーのようにサンドに1万円を突っ込むのさ。パチンコ店も屋内禁煙になれば今問題になってるパチンコ依存症患者の減少にもつながるのではと思う。
パチンコで負けて一服するために席を立ち喫煙室で吸う→一息置いて今日はパチンコをやめようとなる。
昔は男のステータスとして「タバコ」は有りだったかもしれないが非喫煙者が多数派を占める時代タバコを吸う奴は意志の弱い自己中の底辺でしかない。タバコ、缶コーヒー、パチンコ、安酒、スマホゲー、この5つ全部を嗜む奴はこの時代最も恥ずかしい人種だとして肝に銘じてもらいたいものだね。
だけど職場の同僚が喫煙室で上司と仲良く話しているのを見ると自分もタバコを吸った方がコミュニケーションが捗るのかなとは思う、でも健康とタバコミュニケーション、天秤をかけたらやっぱり健康だ。
最近のネット上のやりとりを見ていると、ダブルスタンダードであることを全く恥ずかしくないと思っている人たちが増えているように感じる。ダブルスタンダードであることを指摘しても、別に全然気にしていないというか、そもそも何が悪いのかもよく分からないといった反応が返ってくることもある。
これまで自分は、自分の主張がダブルスタンダードになることは恥ずかしいものだと思って生きてきたけど、ネット上でダブスタを気にしない人達の発言を見ていると、そちらの方がストレスなく気持ちよく日々を生きられるような気がしている。むしろなぜ自分が今までダブスタであることを極度に恐れていたのかよく分からなくなってきている。別にネット上で論理の破綻を指摘されても気にしなければいいんだよね。論理が破綻していようといまいと現実の生活には何の影響もないわけで、それだったらネット上では論理が破綻していたとしてもただただ自分の思ったことを気持ちよく主張している方が得なんだとようやく気付いた。
ネット上は議論を交わす場所としてはとっくに死んでいる訳で、今や論理や整合性を気にせずに自分が気持ちいいと思うことを垂れ流すほうが正解なんだろう。ネット上でダブスタにならないように気をつけることって、パチンコ屋の中でバカに見られないように哲学書を読んでいることと同じ位滑稽なことなんだね。
つうか本当に北朝鮮が嫌いならパチンコで勝ちまくって北朝鮮に流れる金を減らすべきなんだよな。
ネット右翼さんの主張はホント感情的だ、タバコは自分が吸わないから規制しろと唱えるし酒も自分は飲まないからと規制しろと言うしパチンコは北朝鮮に金が流れているから規制しろと言うし。
まあパチンコなんてここ数年で規制規制連続だしネトウヨが「なんでパチンコは規制しないのか!」と憤怒するのは無知な証拠。
アニメや漫画を規制しようとする政治家がいたら「感情論で規制するな!好き嫌いで規制するな!これだから女は!」と言うくせして自分のやらないものに対して、嫌いなものに対して規制しろと感情論全開で連呼するネトウヨ。
一体どうやって育ったらそんな歪んだ思想に育つのか、ネトウヨさんの主張はホント理解不能だ。
平日真っ昼間からカタカタボロPCで掲示板やらに嫌韓コピペや駄文書いているネトウヨよりタバコ会社酒会社パチンコ店のほうがよっぽど社会貢献してるよまじで。
パチンコ屋はルームレスなリタイアおやじの居場所にもなってるから居心地がいい
トイレは割と綺麗なのでよく行く(打ったことはない)
知り合いがパチンコ店の集客コンサル的なことをやっているんだが、最近のパチンコ店はすごいらしい。
まず、禁煙スペースを多くとっているらしい。10年ぐらい前まで俺もよくパチンコをやっていたんだが、当時のパチンコ店といえば長時間打っていたら煙で白い服が黄ばむほどタバコの煙で充満していた。最近は禁煙スペースだけではなく、服にタバコの匂いがつかないよう、匂いを取る機械を置いているところもあるみたいだ。
そして、女性をターゲットにした店作りをしているところが多いらしい。なぜならここ数年の業界トレンドとしてパチンコをする女性が増加し、要は彼女たちを囲い込み、パチンコ依存症にしてしまった方が店としては美味しいという訳だ。いかにも不振に悩む業界らしい策である。改装して女性向けに綺麗な休憩スペースを用意したり、ホテル並に豪華な化粧室まで作るところが増えているとか。
あと、一番驚いたのが店内にフードコートのようなイートインスペースを用意するところが増えているところだ。昔はちょっとエッチな恰好をしたケバいお姉ちゃんたちがコーヒーを運んでくるくらいだったのが、今や本格的な食堂が入っているというから驚きだ。
法人によってはボケ防止を大義名分に老人ホームにパチンコ台を設置し、老人に打たせているところもあるそうで、オワコンオワコンと言われる業界だが、もしかしたらしぶとくずっと生き残っている業界はここなのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20170526223943 を読んだ。
ぼくも似たようなタイプだ。私立でもトップとは言えないが一般に上位と言われる大学にどこにでもいる文系学生だ。
しかし、やりたいことが全くない。彼は死にたいどころか生きたいのにと書いているが、ぼくは生きるということにすらモチベーションが一切沸かない。自分もなく親の言うことに従い脛を齧りながらなあなあに人生を誤魔化しながらダラダラと生きていた結果、生きるということに関して無気力になってしまった。こんなんで就活がうまくいくわけもない。現にうまくいってない。
付属のエスカレーター組の中の更に底辺からすると彼はまだ受験で大学入れたんだからすごいと思う。ぼくなんかは高校受験時に「アンタこの日空いてるんだからこの高校受けなさい」で受験して受かった滑り止めに本命落ちで入学し、そこで落ちるところまで落ちたと思う。赤点も数え切れないほど取ったし、担任に推薦はムリとも言われた。けど悪運が強かったのかギリギリで引っかかって今に至っている。大学も単位だけはきちんと確保して留年もせずに卒業できそうだ。でもそれは、結局親に単位云々でウダウダ言われたくないから取っているだけで正直自分のためになってないと思う。元々が怠け者の上にプライドが高いからこうなるのである。本当にダメな李徴みたいなものだ。
ふと、親がいなくなったとき、自分がどうなってしまうのかを考えてしまった。親が指し示した案に乗っかって22になろうとするこの年まで生きてしまいここまで来てしまった自分にそんなことを考えられる気はしない。
じゃあかといって、自分が何をしたいかというとそれもないに等しい。人と関わるのは根本的に好きじゃないから交遊関係も限りなく狭いし、今だって趣味はなけなしのバイト代が尽きるまでやる競馬とパチンコ、それとまぁネットサーフィンぐらいだし、正直こんな人間が社会に出たところでロクでもない未来しか想像できない。例えばぼくの知人には彼女と結婚するためにも金貯めるから頑張るとか、色々なところに旅行行きたいからとかいうのがいるが、やはり人生における目標があればモチベーションが違うのだろう。ぼくはというとそんなものはない。強いて言うなら遅くても45ぐらいまでには死にたいということぐらいだ。世の中に生きて色々やりたいのに若くして病気で亡くなっていく人を見ているとこの命を相手にくれてやりたいと思う。
日付も変わって今日もただただ気分の重い1日がやってくる。
身近な発達障害者と左利きを見ると、左利きも人知れず生活に困難を強いられています。英語で障害は困難を意味する difficultyと言います。
なぜ左利きは健常者なんですか?
参考
世の中の製品(道具や機械、楽器など)は、右利き用に設計されているものが多い。これは左利きにとって不便なだけでなく、危険性が高い場合がある。また一般に左利き用の製品は右利き用に比べ割高であり、経済的負担を強いられる。
機械の操作ボタンの多くは(向かって、以下同)右側に配置されている。
エレベーターのボタン、パソコンのテンキーやエンターキー、カメラのシャッターボタンなど、ほとんどが右利きを前提にしている。ただし定員の多いエレベーターは左側にもボタンがある機種もある。
テレビ受像機の電源スイッチや、自動販売機の硬貨投入口は向かって右側にある。
ノートパソコンのマウスの差込み口(USBジャック)、DVDなどの光学ドライブは右側についているものが多い。また有線ネットワークアダプタのコネクタが左側に付いていることが多く、ケーブルを挿すと左側のスペースにはみ出るほか、CPUクーラーの排気口も左側に付いていることが多く、熱気が左側に排出されるためマウスを左側に置きにくい。
マウスを使用する際、メインでクリックする方を左ボタンとしている。(右手の場合に押しやすい人差し指が左ボタン、押しにくい中指が右ボタンに配置される)
電話機の受話器は左手で持つように配置・配線がなされている。右手でダイアル・またはプッシュボタンを操作したり、メモを取ったりするため。
缶コーヒーや缶ジュース等の飲み口(プルタブ)は右手で開けやすいよう、切り口が左奥方向に折れていく構造になっている。
アイロンの電源コードは本体右側から出ている物が多い。左手でアイロンをかけるとコードが邪魔になる。
机に引出しが付く場合は概ね右側にある(ただし学習机では引出し部分が机の左右どちらにも置けるものもある)。
公衆電話ボックスの折れ戸式の扉は、左手では非常に開けにくい構造になっている。
電子レンジやコインロッカーの扉は左開きであるが、これは左手で開けて右手で品物を出し入れするためである。
文字の多くは上から下への縦線と左から右への横線で出来ているが、左から右への横線が左手では書きにくい。これは習字や英語の筆記体で特に問題になる。左利きは紙を右へ傾けて字を書くと横線が左上から右下への斜線になるため書きやすくなるので、多くの左利きが無意識のうちに紙を傾けて書く。また鏡文字を書いてしまう左利きもいる。
横書きで左から右へ文字を書く場合、書いた文字に左手が触れ、乾いていないインクがにじんでしまうことがある。(縦書きやアラビア文字、ヘブライ文字ではその心配はない。)
なお左利きでも右利きと同様にペンの鞘を右手前に倒して(ペン先を左前につきだして)持つ者もおり、その場合は上記の左から右への横線の書きにくさや、横書きの際に乾いていない文字に左手が触れるといった問題が起こりにくく英語の筆記体も普通に書ける。
はさみの噛み合わせはほとんどが右利き用であり、左手では非常に扱いづらい。(刃が噛み合わない。)ただし左利き用や両利き用のはさみも存在する。
片刃である日本剃刀、小刀、和庖丁の多くも右利き用である。また両刃であるカッターナイフも左手で持つとロック部分を手のひらで覆うかたちになるのでしっかりと握ることが出来ない。
缶切りも本来は右手で引く力を利用して開けるが、左手では押し込む操作となる。(近年ではプルトップ式が主流になり、困難は減った。)
錠前、コルクスクリュー、パチンコなどは、右手で回転しやすくなっている。なおスロパチンコにはCRサンダーVという左ハンドルの機種があった[8]。
剣道では利き手に関わらず、右手が柄の鍔側・左手が柄頭を握るように指導される。
まだまだ山のように左利きは社会生活に困難があり発達障害者と同様、社会においてできないことも、右利きより得意なこともあります。人口割合もどちらも15%で日本にはそれぞれ1000万人暮らしています。困難があっても見えにくかったら障害者扱いされないのですか?
暇な時間にすることはシコるかパチンコに行くかしかない。シコるのは10分で終わる。となるとパチンコに行くしかないのだが、パチンコばっかり行っているのだが、最近のパチンコはひどいので行く気がしない。何がひどいのかと言えば、詳しいことは詳しい人に聞いてほしいのだが、俺の実感では、①まず当たらない、②当たっても続かない、③①と②により勝つことができない、という風になっている。いや、まあそれは前からそうなのだが、新基準になってからまじで勝てなくなっている。新基準とは何かというのは詳しい人に聞くか自分で調べてくれ。要するに実感として、前は3万円勝ったり4万円負けたりしていたのが、今は5千円勝ったり2万円負けたりなので、勝ったとしても「勝ったな〜」と気分が良くなることがほとんどない。というか無い。これはパチンコの射幸性が低くなったということだ。
俺は射幸性を高くしてくれと言っているのではない。むしろありがたいと思っている。射幸性が低くなれば行く気も起きなくなるし、パチンコに行かなくなった分のお金を貯金に回すことができる。新基準はパチンコを辞めたいクソ野郎共にとってはありがたいものだと思う。だが今は新基準になって日が浅いので、前の基準の感覚でパチンコに行っても「勝ったな〜」と気分が良くならないからストレスが溜まっているクソ野郎共がたくさんいる。俺もその一人だ。まじでストレスが溜まる。だからもうあまり行かないと思う。
その内誰も行かなくなるだろうな。もう終わりだわ、パチンコは。
http://anond.hatelabo.jp/20170528064815
通勤に私鉄を使わなきゃならない理由が果たしてこの世にあるのか。
公営よりサービスがいいって、誰の為にサービス競争しなきゃならんのだ。
それの何が問題だ。
でも財源の豊かな大都会の公共交通が民営である理由って何だよ。
笑顔で電車に乗り込む風景の裏で外国人が、会社別運賃制度へ殺意の波動を送っている。
満員電車に乗り込むサラリーマンが、駅員や駅の職員を後ろから刺す妄想をしている。
都市交通の運賃が一本化され、通勤鉄道が公営企業一社に統一されたアメリカのNYのように本当の意味での公共交通が実現できたらいいのに。
それができない理由って何だよ。
常識って何なんだよ。
ふざけんな違うだろ。
本当の意味での大都会を名乗れるだけの常識があるかって話だろ。
痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。
互いを敬う常識を推奨するなら、搾取の恐怖から利用者を解放する事が筋じゃないのか。
これは我儘なのか。
運転免許の迷惑は子供は関係ないが、都会の私鉄の面倒は子供をも巻き込む。
外国人観光客が短い距離の割には乗り継ぎで高い運賃を払わせることに不満を感じている。
都会の通勤電車ラッシュだって、会社が交通費を負担しているから成り立つのだ。
「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。
現状は囚人のジレンマ。
AさんとBさんがそれぞれ私鉄を[使う、使わない]。
使わないBさんの評価が相対的に下がって、社会的に不利になる。
ゆえに[使う、使う]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、
実際のところは[使わない、使わない]で公益は最大だ。
我慢するぐらいなら使わない方が良いに決まっている。
でも道路交通のストレスが嫌だから[使う、使う]になってしまう。
じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。
使わなくても不利にならない状況を作るしかない。
そうでなければ、JRに編入しよう。
東京の私鉄線が全部JR東日本になれば、郊外の学生が運賃の高さに嘆く事もなくなる。
「私鉄は好きだ」と別の人は言う。
そりゃそうだ。
好きならそれでいい。
だが使わなきゃならない理由にはならない。
宝くじはいくらか投資すれば当たるが、誰もが当たらなきゃならない道理はこの世にない。
全員がオートバイに乗れなきゃならないわけでも、アニメを見なきゃいけないわけでもない。
私鉄社会が電車に対する一番の苦痛だという人間の権利も守れたらwin-winだという話だ。
ここは日本だからとか、負担が億劫だとか。国民が怖くて公金が出せないとか。
だが、これらの意地や怒りは良いものか。
これらに膝を折る事は、少しでも何かを良くするか。
偏見や思い込みを捨て、思い切って行動する方が良かったものじゃないのか。
他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。
都市鉄道会社が独占・寡占で、運賃が一本化されている事の何がそんなに問題だ。
「初乗り運賃が何回も取られるのは嫌だ」「財務に追われるお役所の身にでもなってもみろ」
「なら車・オートバイ通勤を許可しよう」「慣習を逸脱するのは良くない」
堂々巡りの議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。
東京で暮らした14年間は本当に楽しかった。仕事の拘束時間は長かったけど、それでも東京に居られるので基本心は軽かった。給料は、私一人が暮らすには十分だった。貯えもできた。
田舎のほうが暮らしのコストが安いとの意見を目にする。田舎で生まれ育った自分からすれば、自動車を持たねばならず、なにをするにも誰もが同じ量しか持っていない「時間」をコストとして払うのは金銭と異なり取り返しがつかない。
両親が年老い、ついに私も時間切れとなった。実家とは、田舎とは、呪いだ。逃れられない。田舎暮らしについては今から億劫で仕方がない。おそらくもう私は死んだも同然だろう。そのうちに田舎になじみ、パチンコを楽しみに、飲酒運転を日常にとりこみ、他人の行動ばかり監視して、他人の話ばかりする人間に入れ替わっていくだろう。両親が死に絶え、田舎の軛が外れるころには私は別人だろう。田舎の学問より京の昼寝とは真実である。
待ち合わせの時間つぶしにパチンコ屋で漫画を読んでいた。大学時代にパチンコをしてて、今ではデカイトイレ、もしくは騒音の激しい読み専ブックオフとして活用している。
読んでいたのは「グラップラー刃牙」。正確に言うと「範馬刃牙」。親子喧嘩をしようとしているところで、父の勇次郎がちゃぶ台を指でメリメリ裂いていた。なぜ?
読みながら「俺も昔一度だけ親父と取っ組み合いの喧嘩をしたことあるな」と思い出した。2回目の留年+無い内定のクズ大学生だった俺は、精神が不安定になり母親の何かの一言にブチ切れた。今ではなんと言われたかすら覚えていない。挙句母を泣かしてしまい、父が出動した。こっちの言い分も聞かずに「母を泣かすのは悪いやつだ。謝れ」としか言わない父にまたブチ切れた。それまで口喧嘩はあってもお互い暴力を使うことはなかった。俺が小学生の頃ビンタで一方的に吹っ飛ばされたくらいだ。それが何が高まったのか掴み合いの喧嘩になった。すぐ母に止められたのだが、数秒掴み合いをした父の非力さに無性に悲しくなったことを覚えている。昔ビンタで吹っ飛ばしたくらいだし、若い頃は柔道やってたらしいし、身長は低いがメタボで体重もあるのに、当時ガリガリの俺に軽々と押し負けるくらいの力しかなかった。運動の1つもしていない、50過ぎのただのおっさんだった。今まで父に怖れを持っていた俺とは何だったのか、こんな弱いおっさんを困らせる俺って何なのだろうかと、驚きと寂しさとやるせなさでいっぱいになった。
そんなことをパチンコ屋のバリバリとチカチカにあてられながら思い出した。クズみたいな俺でも引き続き心配し、運良く就職できて上京してからもずっと定期的に連絡をしてくる母親はすごくないか。相当酷いことを何度か言ったはずだが、捨てずに許してくれている。誰にも愛されねぇなって考えるほど彼女の1人もできない自分をいつまでも気にかけてくれている。全然恩返ししてなくてヤバイって思ったときに今日は母の日だってことに気付いた。その場ですぐにスマホを取り出し、Amazonでカーネーションとどら焼きのギフトを注文した。凝ったものや高いものを珍しいヤツがいきなり贈るのもアレだなと思ったから簡単めに。
もちろん母の日には間に合わなかったが、今日届いたらしい。喜びのLINEが来た。すげぇ嬉しそうだった。こうやって少しずつ返していくのでもいいのだろうか。けど、刃牙読んで思い出してパチンコ屋でポチッたとは言えないよなぁ。