はてなキーワード: 義理人情とは
憲政史に残る激動の2週間だったと思う。
新党ができたと思ったら、また、新党、勢いも日毎に変化している。
ところがなかなか・・・読みながら、政治家たちの顔が思い浮かぶことも多々あり
(↓立候補者数の多い順↓)
頼れる大木のような人
苦難に遭っても着実に発展し、晩年は安泰です。それまで積み上げてきた実績が実を結び大きな成果が表れます。
誠実で人情味があり、他人から信頼されます。晩年には地位と名声を手にするでしょう。
女性は特に吉運で、才媛・良妻賢母となる画数です。家庭運、子供運、健康運に恵まれ豊かな晩年を送るでしょう。
36画 凶
『苦労 波乱 面倒見がいい』
波乱に富み、平穏には人生を送れません。鋭い先見性と直感力があり、
社会的な成功を手に入れることもありますが、詰めが甘く失脚してしまいます。
家庭的には恵まれず、孤独な晩年でしょう。女性は晩婚の傾向があります。
義理人情に厚く、人の世話をよく焼き、損と分かっていても一肌脱がずにはいられません。
29画 特殊画
『厳格 才能 完全主義』
人並み以上の才能と感性
金運、財運、健康運に恵まれ、努力を惜しまなければ、豊かな晩年が約束されます。
才能におごらないことが大切です。
ただし、女性の場合、パートナーによっては不運をもたらされたり別離があるなど凶数となります。
思い立ったことを独断で次から次へと行動に移していき、周囲との調和が望めません。
他人をあまり批判しすぎると援助者を失います。特に女性は自分の非を認められず、
ヒステリックになりやすいので注意が必要です。男女とも寛容になれば運が開けるでしょう。
41画 吉
『温和 安定 実り』
温厚な人柄が成功を呼ぶ
若い頃から活躍出来ますが、30代以降に脚光を浴び、成功していくでしょう。
人脈を広げるほど活躍が期待出来ます。晩年も豊で安定しています。
賢明で判断力にもすぐれています。また、人望もあるので、人の協力を得ることが出来ます。
ただし、頑固な性格で、人の意見や貴重なアドバイスを聞き入れずチャンスを不意にすることも。
ひとりよがりには注意を。
22画 凶
破産や思いがけない病気、事故などに遭いやすく、年をとってからの運が下降します。
多くを望みすぎると幸せになれません。
見栄っ張りなところがあり、ハッタリをきかせるのが得意ですがうまくいきません。
あれこれ手を出さずに的を絞ることが大切です。
犯罪に巻き込まれる暗示もあり、対人関係には十分に気をつけましょう。
43画 吉凶混合
『浪費 非現実的』
能力を活かしにくい運気
強情で少々偏屈気味な性格のため人の忠告は聞く耳を持たず、自分本位です。
さらに計画性に乏しく、他力本願なところがあり、希望が叶いにくい運勢です。
忍耐力を養い、見栄を貼らず、自分の身の丈にあった計画をたてましょう。
また、周囲の助けを期待せず、なにごとも自力でやり遂げましょう。
(↓参考↓)
26画 凶
『波瀾万丈 衝突 不安定』
持ち前の個性や才能をうまく活かせれば、成功を手にすることが出来ますが、一生を通じて幸運と不運が極端に現れます。
家庭・仕事・財・健康運の全ての面で浮き沈みが激しく、家庭運ははかない暗示があります。
子供のことで悩まされたり、夫婦間にトラブルが発生し孤独と辛労を味わいます。
非凡な発想で事業を成功させる人もいますが、ワンマンで冷酷な面が周囲に受け入れられず全てを台無しに。
波乱傾向です。傲慢(ごうまん)になったり、周囲と衝突したりで人が離れていくかもしれません。
20画 凶
『社交下手 薄幸 別離』
度重なる不運で厭世的(えんせいてき)
幸せを得がたいために世捨て人のように生きる人も。精神世界に没頭するでしょう。
努力家で働き者ですが、空回りが多く、実を結びません。
お人好しで、騙されやすく、成功しても次につないで行くのが下手なタイプです。
ギャンブルなどで借金を作り夫婦別離、一家離散など物事が円満に運べない恐れがあります。
気持ちが落ち込むと、身近な人をも避けるように。
結局のところ、ネトウヨは一体いつの時代からタイムスリップしてきたんだというレベルでコミンテルンや共産主義の残党、中韓のせいにして
ブサヨは日本のクソみたいな商慣行や文化のせいだろう、とネットで盛んに言われているが、日本が急速に社会的にも衰退している理由って
単に世界史で見ればわかるが、アメリカ一極体制が2008年に崩壊したせいでしかないからね、実質アメリカの属国なんだから、アメリカがコケたらそら余波を思いっきり食らったってだけ
そりゃそうでしょ、同じ仕事してても給料や収入が半端じゃない速度で平均が落ちてるのもまさにそのせいでしかないからね。
小泉竹中路線から続く、自己責任だの努力不足論者さん、残念でした。何をどう頑張ろうとも、マイナスサムゲームに突入しているだけだから、勝ってるだけでも負けてるのが大半な訳
でも俺は勝ってるって?あのね、あんたらの年収今幾らよ?マイナスサムゲームで勝てるのなら、あんたら10年前同じことやってたなら今頃あんたら億万長者よ?上級国民の末席に入れてたかもしれないのよ?
年収500万平均が今や300万が大半、同じ努力をしても4割近く大半の人間は稼げる利益が減ってるわけ。わかる?4割だよ、4割。
現状維持するだけでも、俺らは40%増しで努力しなきゃいけないわけ、これが、加速度的にこれからもっと増えてくるのよ。
5年後か10年後には、年収300万維持するだけでも、今の150%くらいの努力をしなきゃいけない時が確実にくるわけ。
「じゃあどうすればいいんだ冷笑野郎!ペシミスト野郎!」なんていうかもしれないけど、まぁいい年こいてお前ら人にもの聞いてばっかだな、たまには自分で考えたら?と言いたいところだが、ハッキリ言っちゃうとね、勝ち馬に乗ればいいだけなのよね。
つーかさぁ、北朝鮮みたいな吹けば飛ぶようなゴミ国家にミサイルポンポン撃たれて挑発されただけで、空母を回航させるだけで口ばかり勇ましいことしか言えなくなったくらいアメリカなんて、ギリギリまで利用してポイして、他のところへすり寄ればいいだけじゃね?イラク戦争の時なんてさ、あるはずもない大量破壊兵器をでっちあげて、速攻で地上兵力数十万も送り込んで、1か月で制圧しちゃってたのに、アメリカもそんだけ凋落してるってわけよ
いつまで落ち目に甘んじてるつもりだ?勝ち馬に乗ろうぜいい加減、お前らだって、ネットでは弱者をぶったたいて、本当にやべぇ犯罪犯した上級国民は、ガンスルーじゃん、その精神でいけばきっとうまくいくと思うんだけどね、俺は
何でこれがマクロになれば、みんな義理人情に篤い善人面するかわからん、お前らが普段ネットでしてることを拡大しすりゃいいだけだろ?
妻からも娘からも邪険にされる父親像を一般化させたのは一体誰なんだろう
というコメントがあったので
そして、そのフェミに権力を与えたのは戦勝国のアメリカでしょう
占領せず洗脳で弱体化を図る!GHQが行った『日本弱体化政策』とは
http://matome.naver.jp/odai/2142192163190654201
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20061208/1165688702
日本国憲法(というかユダヤがドイツ人を骨抜きにするために作ったワイマール憲法の丸写し内容)で、何がしたかったかというと
目的は以下のとおり
自由の過度の追求
道徳軽視
無気力・無信念
俗吏属僚横行
突端主義
国粋否定
間違いなく、日本の物質的豊かさの反面で大流行している精神的退廃じゃないですか
(苦笑。本当にユダヤ人の法律家ってすごい賢いなって思いました。
最終的にたどり着くところは、家族制度の完全崩壊と金、金、金の欲と利害関係にまみれた個人主義的なエコノミックアニマルばかりの国家、
というか国家として機能しない社会を作るのが目的なんだそうです。
ユダヤ人が迫害されてきたヨーロッパでユダヤ人政府のワイマール共和国ができたときに、
大多数のドイツ人の中に生きるユダヤ人が復権するために作った人民飼い殺し用の憲法らしく、
どうせなので日本でもその写しを戦後の日本でも使ってやれ、と適用されたそうです。
(ちなみにドイツではその危機にドイツ人が感づき、反発でナチズムが横行してユダヤ人が迫害された)
で結果、日本では物質的豊かさと反比例して、日本人の精神・家族・国家をここまでぐちゃぐちゃにしてしまった。
で、このユダヤ人の老人モルデカイ・モーセさんは日本人にはいろいろよくしてもらったのに申し訳ない…最後に謝りたい、とこの告白をしたのがこの本というわけです。
憲法の内容とその効果、資本主義と共産主義をの両方を道具として生き残るための使ってきたユダヤの歴史などを詳しく紹介してくれています。
特に憲法の中で「自由」と「平等」という相反する概念の組み合わせがどれだけ人をダメにするか、「義理人情」の方がどれだけ崇高な概念かとかいている所は、かなりぐっときます。民主主義がどれだけ虚妄か本当に勉強になりました。
まあこんな気持ちのユダヤ人の方がいたということで、ぜひ、一度読むことをオススメしたい本です。内容的には、最近流行っている「国家の品格」とかに近い本ですね。
★男女平等は完全な家族制度の崩壊、福祉費用の増大による国家の疲弊を狙ったものだったんですね。
もしかしたら、婦人国有なんていう制度が導入されていた日本の事を考えると寒気がします。
今ももしかしたらほぼ、この婦人国有政策が実施されているのと同じような世の中なのかもしれませんが、
こんな政策が実施されていたら、女性はただイケメンに抱かれるために努力し、
男はいい女を奪い合う、まさに恋愛至上主義、道徳軽視の快楽主義、自然主義が更に蔓延した社会(非モテ・非コミュにさらにつらい社会)になっていたんでしょうね。
そう考えると、日本に古来からあったお見合い制度や信頼ある人同士が結婚相手を紹介し合う制度は非常に道徳的にも精神的にも高度な文化なのかもしれません。
プロブロガーに限らず、若いときに起業したいとか言い出す奴は珍しくない。
ちょっと前までは、いちおう大学は卒業して社会人1年目や2年目になってから言い出すものだと思っていたが
そういう人は可視化されていなかったか、あるいはそういう手段があるという認識すら持てなかったから言い出さなかっただけだ。
やぎろぐみたいに「大学生でもお金儲ける手段あるよ」といえばまぁ一定の割合でこういうの言い出す人出てくるだろう。
そういうのに釣られてお金を払ったり、それで稼げると勘違いして道を踏み外す人というのは一定数以上はいるのだ。
で、こういうやつらに甘い夢を見せてそこから金や本当の夢を奪う小悪党も昔からいる。
やぎろぐがやってることなど、アングラ世界では当たり前のように行われており
いつぞや増田で話題になった和佐大輔(自称「大学の時に年商1億を達成した情報商材屋」)あたりが手を付けている。
つまり、今までお前らが知らなかっただけで、やぎろぐみたいなことをやってるやつは大勢いるのだ。
こういうことをやってるやつらで、やぎろぐやイケダハヤトというのは明らかに低レベルだといえる。
普通こういう商売でお金を儲けようとするなら、できる限り目立たないようにする。
有名になって一般人の目に触れると、自分の煽りが通じない人が増え、自分にとっての不利な情報がどんどんネット上に出てくるからだ。
自分たちのやってることの有効範囲や賞味期限に限りがあることをよく知っており、目立ってしまうとその力が弱くなることも理解している。
上手な奴ほど、そのあたりはわきまえている。
だからこそ、知る人ぞ知る人間であることを目指す。それ以外の人間には知られないようにしようとする。
ターゲットは絞り込むし、そういうやつら以外には自分の存在が目立たないようにする。
表の入り口ではまともなことや役に立つことしか言わず、本当の入り口は奥に用意する。
彼らは人間相手の商売をするということがどういうことかよくわかっている。
やぎろぐやイケダハヤトは、目立たないと儲けられないという時点でもう格がかなり低い。
悪目立ちしないとPVが集まらないから炎上記事を書き儲からないからオンラインサロンを行い、責任感がないから無責任に大学生を煽る。
もともとグーグル相手に商売をしてうまくいったものだから、人を相手に商売をするということがよく理解できていないのだろう。
自分の力では何一つ勉強するつもりもなく、誰かについていけば儲かると信じる程度のど低能だ。
こういう人間は非常にだましやすいが気を付けなければいけないことが一つある。
イナゴというのは上がり調子の人間を妄信するが、落ち目になればすぐに見放すということだ。
やぎろぐの集まりでニコニコしている写真があるが、こいつらはやぎろぐが落ち目になったとわかった瞬間一瞬で消える。
イナゴはただ結果を求める。結果を出せなきゃ終わりだ。そこに義理人情や信頼関係などない。
イナゴ相手には自分が落ち目であることを見せてはいけないし、大きな落ち度が一度でもあったら終わりである。
オンラインサロンを運営するには、イナゴを一般のネットから隔離し、よくよく洗脳しなければいけない。
現実を見せてはいけない。実感がないかもしれないがみんなでゆっくり成功に向かって進んでいると夢を見せなければいけない。
バカな子イナゴがバカなことを書いて炎上しネットのみんなに佃煮としておいしくいただかれる前にフォローしなければいけない。
子イナゴがうまくいってないという現実があらわになればなるほど、それを子イナゴが認識すればするほど、そのサロンには魅力がなくなる。
そういうことがわからない人間が運営するサロンは長続きしない。
そして、やぎろぐもイケダハヤトも、どちらもそろそろ限界を迎えている。
これは単にこいつらが下手だっただけだ。
こんなやつらのことはもうどうでもいいだろう。
販売元が直接ヤフオクでチケット売れば全ての問題が解決すると思うのですが、
やらない理由を知りたいです。わからないなりに、思い付く限りの理由を列挙してみます。
3.チケットぴあやローソンチケットなんかと義理人情で結ばれていて縁が切れないから。
4.顔認証システムを導入して東京五輪前に実験しておきたいから。
6.ターゲット層は財力のある大人だけじゃないので、財力以外の購入手段(瞬発力とか?)を用意したいから。
7.オークション方式は中毒性があって問題アリと考えているから。
11.実はたいして問題だと思ってなくて重い腰が上がらないから。
12.その他
誰か中の人、教えてください。
ちょっと前の話。
外資系コンサル会社で5年間勤務するも、その勤務時間に疲れて日系事業企業に転職。
が、日系特有の義理人情浪花節文化に気疲れしてしまい、わずか2年で外資系コンサル企業へ再転職することにした。
…。
新卒で個人主義/自己責任/短期成果主義の、いわゆる「日本人から見た外資系企業」文化を叩き込まれたのが悪かったのか、
古い日系企業に多いと言われる、全体主義的で、みんなでゆったり浮き沈みするような、そんな労働環境が受け付けなかった。
なんでみんな横並びな状況で笑顔でいられるの?
無能な人間が高齢なだけで上司になっている状況に革命を起こさないでいられるのはなぜ?
みんなすごいよ、僕には無理だよ。ぼくが異端なの?みんなが普通なの?それが組織のあるべき姿なの?そんな組織設計で社会が良くなるの?
「科学と技術で資源を蓄積して人民を養う」みたいな共産主義が極めて資本主義的で企業的であることはすぐにわかる。
あれはほとんど同じ発想を指して言ってる言葉であって、対抗党派だとか言われてるのは歴史上便宜的にそうなってるだけ。
(ソ連と米国は実際はランドパワー・シーパワーとかその辺の分類になる、どうせ反論が来るだろうけどめんどくさい)
現在の資本主義ヒーローもウォール街の銀行はちょっとよくわからないがIT系は大体資本と技術で人間を管理するっていう共産主義を忠実にやってる。
初音ミクが当たってるのなんかを見ててもこの辺の人間を技術と設備で置き換える動きが忠実に進んでいくんだろうということはわかる。
で、本当に得体が知れないのは何かというと、日本の自民党やイタリアのマフィアのような経済学でも独裁でもない地縁血縁と義理人情で動く人たちのことで、
今でも実際にはそちらの人間のほうが圧倒的に多い。
実際に不況でおかしくなったヨーロッパではイデオロギーがどうこうよりもそれこそ最近流行りの地元指向ヤンキーみたいな極右が対抗勢力になってきた。
小さな事から、大きな事まで、判断を重ねて会社を動かしていく。
何も受注の話だけじゃない、人事もそうだし、設備に関するトラブルや、発注のタイミング、
資金繰りに、税金対策、会社を運営して行く上での、ありとあらゆる事の判断を積み重ねて行く。
やるかやらないか、やるとしても一部なのか全部なのか、やらなかった場合のリスクはどうか。
数種類の選択肢の中から、一つを選ぶその決定打となりうる根拠は実は数字ではなく、社長の直感だったりする。
いや、実際に電卓弾いてある程度は試算はするんだけど、到底数字じゃ表せないファクターが多すぎる。
それは、しがらみであったり、義理人情であったり、その時の世間の空気であったり。
ただ、判断基準はある。
社長は何かあれば全ての責任を取らされるんだから、いつも怯えている。
万一の事があったら、俺はどうなるんだと怯えている。
だから、数ヶ月、数年後まで見据えて判断をしている。
見据えているのは、会社の止め時だ。
つまり、自分自信の財産を守りつつ、会社を綺麗に精算できる時期を常に見極めようとする。
結果として、会社経営の方向は安全側に振れて行き、これが直感のベースとなる。
所がだ、これが、内部でも外部でも社長に口添えする人間が増えれば増えるほど、判断は曖昧になり、
いくら意思が強い人でも、複数人から何度も言われれば、段々自分の判断に自信が無くなって行くものだし、
口添えする人間が専門的な知識を持っていたり、学歴が高かったり、経験が上だったりすれば尚更自信喪失していく。
「やっぱり、アイツの言ってることは理にかなってるかな・・・」
「あの人は色々な会社を見てきてる。だからこその助言なのだから、信頼できるかもな・・・」
こうして社長の最初の意見に余計なファクターが追加されて、方向性を見失う判断に至ってしまう。
口添えする人間は、今の売上や目先の事しか見えてないし、外部の人間の口添えはそもそも自分への利益誘導だ。
じゃぁ、分かってるんだったら意思を貫き通せば良いじゃないかと思うだろう。
所が、渦中にいると気が付かないんだよこれが。
自分の中で判断に揺れて苦しんでいる時にされる助言は、一筋の光明に思えてしまうのだ。
「そうだ、そうだよな、だって~じゃないか、俺は何を迷ってたんだろう」
楽になれるから。
特に創業したての社長業は精神の高揚と落胆をジェットコースターのように繰り返す。
繰り返していく内に疲弊していき、精神を病む一歩手前まで追い詰められたりする。
そこに安心材料を伴った話でもあれば、コロッと信じこんでしまうのだ。
これが渦中にいる怖さだ。
振り返ってみれば、何故俺はあの時に、あんな判断をしたんだと後悔し、そして、
進言してきた人達を信じられなくなったり、恨んだり、結局俺が悪いんだと落胆したりする。
しかも、もっと怖いのはここまで分かっていても、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性を否定出来ないことだ。
「社長すごいですね、こんなに売上あったら税金すごいですよ!何か税金対策しないとまずいですよ」
「社長、どんと構えていて下さい、なに大丈夫です、攻めれば勝てます」
耳を塞ごうにも、こんなやりとりが日常的にあれば、抗うことが難しくなってくる。
今、ふと我に返ってこんな事を書いているが、判断に揺れているさなかでも、内心では直感的に最適な判断をしていた。
直感を信じていればと後悔するような出来事が1度や2度じゃないのだ。
結局は、創業者である社長は会社の隅々まで知っているので、最適な判断が下せるのは当たり前なのだ。
そこに気が付くまでに2年かかった。
「高学歴の世界」も礼儀と金の皮膜を一枚剥けば中身はヤンキーと変わらない義理人情と村八分とセックスですよ。数個前のエントリでもちらっと言われてたけどどちらかというとある種の発達障害や自閉的な人の世界とそうではない"主流派"の世界の違いのほうが大きいでしょうね。わざわざダブルクォーテーションて囲ったのはボリシェヴィキのようにそれが実は本当の主流でも多数でもないのだろうと思うから。ちなみに私は発達障害の診断をもらってるし、「お利口な子に猪介を出して妨害する」みたいな身体コミュニケーションができなくて苦労したので逆にそういうのを誰かに教えて貰いたいし貰いたかったと思う。
自分の経歴だと公立の小学校からそれなりにプレミアムな一貫校に受験で受かって進学したけど、それなりに努力した割には周りの人間に言われていたほどの違いがないので失望した。私は今でも重度の童貞だけどそれとは別に周りに女性がいなくなったのも今から考えると辛かった。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
タイトルをつけてみました。本当に世知辛い世の中ですよね。義理人情、僕は余り義理というやつが好きではないのですが、人情が廃ればこの世は終りだ、と実感するようになりました。
人を、部活の練習だとか仕事だとか、そーいうすべきことに縛りつけてるのって、
結局はしがらみなんだな、と思った。
私の所属しているサークルでは、定期的に、大会の運営等ののための会議がある。
色々事情があって、数カ月に一度のその会議は、全国各地の部の代表者が
日本全土のあちこちに集まらなくてはならなくて、時間的にも土日もフルに使わなくちゃで
結構真面目な会議だし、とてもヘビーなものだ。
その会議を尚更ヘビーにしているのは、恒例の毎度毎度の飲み会で、
金土日の夜に、大学生が飲みまくるのだから、それはそれは大騒ぎをする。
一回参加して、閉口した。
ほぼ皆勤の先輩に「なんでですか?」って聞いた。
その先輩は割と不真面目というか、テキトーな人だったので、余計に意外で。
そしたら、「会議常連メンバーの、他の大学のやつらと会いたいから」と言われた。
高校時代、私は某個人競技の部活を辞めようか悩んだことがある。
怪我をしたのだ。でも、やめなかった。
部活の友達と、友達でいたかったからだ。気まずくなりたくなかったからだ。
もちろん、その競技の魅力も無くはなかったのだけれど。
その先輩も、会議だとか、会議にまつわる雑務をきちんとしていたのは、
年に数度しか会えない友達と、心おきなく、後ろめたさなしで飲んで騒ぐためなのだろう。
きちんと運営をこなす達成感も、無くはないのだろうけれど。
「なんでまだ自分はこの競技を続けてるんだろう」って考えた時、
その競技の魅力というのは、あまり有効ではない。そんなに強い選手じゃないし。
勝つと嬉しい分だけ負けるのは嫌だし、練習自体は別に楽しくない。
ただ、部活の合間に皆とダラダラしたりするのが楽しくて、
あんなにしょっちゅう顔を出していたのだ。
先輩のおごりで一緒にご飯を食べる機会が多かったりするのは、
きっとそうやって、部活の人たちをシガラミで雁字搦めにする為なんだろう。
義理だとか、絆だとか、顔を覚えて後輩は先輩に借りを作って
練習から逃げづらくしているんじゃないだろうか。
勝手なイメージだけど、義理人情が重んじられる世界って言うのは、
やっていることがキツそうな気がする。やくざとか。
会社とかでも、そーいう上下関係だとか、仲間意識を大切にする所って
もしかしてそれだけ、すべきことがキツいんじゃないだろうか。
濃い人間関係はちょっと古臭くて、もっとドライなのが流行りだけれど
それはそのぶん「効率化」とか「やりがいがある」とかいって、
キツさも減っているから、成り立っているんだろう。
すべきことのキツさと、人間関係の濃さは、比例しないと破綻する。
高校時代の部活では、年々部員数が(幽霊も含めると)減っていくのが悩みだったけれど、
練習出席のノルマをきつくするんじゃなくって、
もっと部員同士で仲良くならなきゃならなかったんじゃないだろうか。
ゆるい空気にして、馴れ合って。弊害もあるだろうけど。
空気を緩くしないで制度化すると、おごりだとか、挨拶しっかりしろ!ってなるんだろうな。
人はしがらみで縛られて、すべきことをしている。
今のプロジェクトのプロデューサー(以下P)はやたらめったら義理人情に厚い。もちろん自称。
自称するだけであって、実際のところは自分の趣味の合う人は庇うが、既存の近しい人の欠点や問題点を言う人をやたらと遠ざける、という単純なもの。
さらにいうと、問題点を抱えたスタッフが先に述べた近しい人だったりすると、問題点として認識する事を止める、思考回路がかなりイカレている。
問題点として指摘すると、逆ギレしてくるので客観的な意見や、事実だとしても受け入られることは無い。
大変困った人間性の持ち主だ。
こういう人間がプロジェクトの最上位置に居るので実際に現場をまわすスタッフは大変だ。
なぜなら、そのPに近しいと思わせる行動をしておけば庇われる=仕事できなくても気が合うとクビにならない一生安泰終身雇用制度が出来ているから、セクションリーダーが無能でもPと気が合えば居座り続ける事ができる。そのおかげで仕事ができない上長に仕事を振ってもらわなきゃならないのだが、1週間振らないかと思えば今日中にやってくれって仕事を大量に投下する。途中成果物にも文句が多くて、最終的に帳尻合うモノも、合わない様に修正要望が入る。帳尻が合う事を説明しても理解できないから、思いつきを通そうとする。
もちろん現場の士気は下がる。士気だけならまだしも、無能が居るおかげで作業が進まない。
管理者が作業を止める。状況を聞くと「やっとくから~」と生返事。
プロジェクトマネージャーという肩書きが付いたスタッフが居るが、機能していないので、進行は滞ったまま。
止められた側がせっつき続ける事で、その糞リーダーはリーダーを降りたいと弱音を吐いたものの、Pは現場が滞ってると見抜け無いため、「おまえじゃないとリーダーは勤まらない!たのむ!やってくれ!」と言う始末。
結局、半年間もの間、何も進まない期間が生まれた。
新たに、「居座り続けてれば何も達成しなくても金貰える」ということに気づいたのだ。
だからのらりくらりと適当な事で遅れをごまかし続け、Pには聞こえの良い事を言って持ち上げて、自分への矛先を回避する。見上げたものだ。
そして、切れだした別セクションのリーダーが、「おたくのセクションが滞るとこちらはこれ以上作業できない」と切り出した。
おかげでPも気づき始めたらしく、糞リーダーが止めている作業を、糞リーダーが居るセクションの優秀なスタッフに振られることになった。
が、Pとの反りがいまいちで、糞リーダーよりもPと近しい存在になる事は望めない。
本当は彼がリーダーなればかなりの速度で進行するはずなのだが。周囲の人間はそれを望んでる。
作業を振られた彼も半ギレだったろう。
プロジェクト内で一番糞なスタッフが、期限も大幅に過ぎた状態で音を上げ、大量の作業を引き継ぐのだから。
Pの言う義理人情で一人の糞スタッフを守るものの、仕事ができる人に押し付ける現状はいかがなものか。
同様に問題を問題と認識できていないな。
それにしてもこのままではプロジェクトが泥舟のように沈み、全てのスタッフに不義理を行う事になるということにPは気づいていないのだろうな。
もうね、辞めなくていいから死んでくれ。
昔は性風俗が今と違ってゆるかったなんて聞きます。
その根拠の多くが文献ですが
しかし、本当にそれがその時代を映す性風俗である証拠はあるのでしょうか
たとえば、西暦2100年になって学者が1990年代の日本を調べていると、どうやら援助交際なんてものがあったらしいと、資料をあされば出てくるでしょう。
しかし1990年代の女子高生で援助交際をしていた人を、僕は知りません。
テレビなんかで騒いでただけです。
今現在の女子高生の性習慣なんてものを、普通に生活していると目にすることも無いです。
どこかでだれかがそう言っている。だれかが言っているのだから間違いない。
そんな曖昧な情報伝達が、伝言ゲームのように大げさに伝わっていくことがあって、事が大きくなると言うことは無いでしょうか?
日本はサムライの国、義理人情だとか、イギリスは紳士だとか、アメリカ人は陽気だとか
その国や地域、時代を表す記号やモノ、風習がどこかやらせクサイと思います。
私の彼は日本で生まれましたが8歳くらいのときにアメリカにわたって以来アメリカ在住のバナナくんです。日本語も英語も中途半端ですが私とは日本語です。だからかついつい日本人としてのマナーや常識を期待してしまいます。ちらっと聞いたのですが、そういった人たちは言葉での苦労が長いだけに、心の成長がかなり遅れるとききました。確かに彼はすごく掴み所がなく、すごく大人びた振る舞いをしたかと思うとびっくりするくらい子供みたいな思考や行動をしたりします。やけに亭主関白風な考え方をするので日本人に近いのかなと思いきや以心伝心などありえない、個人主義で義理人情が全くない。何か二人の間で問題があったときに日本語の言い回し分からなかったとか、いろんなことが言い訳に聞こえてきてしまいました。
バナナさんたち、基本的には幼稚。ここ10年くらいずっといわれていることですし、そういう調査結果も出ていますしね(幼稚である、とはいわれていなかったけど、言語以外のことにエネルギーを費やす余裕がないとされてます)。これは仕方ありません。勉強や仕事の仕方、すべてにおいてです。でも自分は苦労してきたという自負心があるから、文句はとても多いですよね。自分がイヤになることもあります。日本の漫画や本をみて育ってきているので、日本の現実が漫画やドラマの中で描かれているものだと思ってしまっている部分もあります。だからとても面食いの人が多いし、恋愛とか仕事もドラマみたいにうまくいくと思っている人が多いです。思い込みがとても激しいので、調子に乗るとうまくいくこともありますが空回りしていることのほうが多いです。日本の人たちと普通に会話できますがやっぱり空気が読めなくて浮いてしまいます。