小さな事から、大きな事まで、判断を重ねて会社を動かしていく。
何も受注の話だけじゃない、人事もそうだし、設備に関するトラブルや、発注のタイミング、
資金繰りに、税金対策、会社を運営して行く上での、ありとあらゆる事の判断を積み重ねて行く。
やるかやらないか、やるとしても一部なのか全部なのか、やらなかった場合のリスクはどうか。
数種類の選択肢の中から、一つを選ぶその決定打となりうる根拠は実は数字ではなく、社長の直感だったりする。
いや、実際に電卓弾いてある程度は試算はするんだけど、到底数字じゃ表せないファクターが多すぎる。
それは、しがらみであったり、義理人情であったり、その時の世間の空気であったり。
ただ、判断基準はある。
社長は何かあれば全ての責任を取らされるんだから、いつも怯えている。
万一の事があったら、俺はどうなるんだと怯えている。
だから、数ヶ月、数年後まで見据えて判断をしている。
見据えているのは、会社の止め時だ。
つまり、自分自信の財産を守りつつ、会社を綺麗に精算できる時期を常に見極めようとする。
結果として、会社経営の方向は安全側に振れて行き、これが直感のベースとなる。
所がだ、これが、内部でも外部でも社長に口添えする人間が増えれば増えるほど、判断は曖昧になり、
いくら意思が強い人でも、複数人から何度も言われれば、段々自分の判断に自信が無くなって行くものだし、
口添えする人間が専門的な知識を持っていたり、学歴が高かったり、経験が上だったりすれば尚更自信喪失していく。
「やっぱり、アイツの言ってることは理にかなってるかな・・・」
「あの人は色々な会社を見てきてる。だからこその助言なのだから、信頼できるかもな・・・」
こうして社長の最初の意見に余計なファクターが追加されて、方向性を見失う判断に至ってしまう。
口添えする人間は、今の売上や目先の事しか見えてないし、外部の人間の口添えはそもそも自分への利益誘導だ。
じゃぁ、分かってるんだったら意思を貫き通せば良いじゃないかと思うだろう。
所が、渦中にいると気が付かないんだよこれが。
自分の中で判断に揺れて苦しんでいる時にされる助言は、一筋の光明に思えてしまうのだ。
「そうだ、そうだよな、だって~じゃないか、俺は何を迷ってたんだろう」
楽になれるから。
特に創業したての社長業は精神の高揚と落胆をジェットコースターのように繰り返す。
繰り返していく内に疲弊していき、精神を病む一歩手前まで追い詰められたりする。
そこに安心材料を伴った話でもあれば、コロッと信じこんでしまうのだ。
これが渦中にいる怖さだ。
振り返ってみれば、何故俺はあの時に、あんな判断をしたんだと後悔し、そして、
進言してきた人達を信じられなくなったり、恨んだり、結局俺が悪いんだと落胆したりする。
しかも、もっと怖いのはここまで分かっていても、また同じ過ちを繰り返してしまう可能性を否定出来ないことだ。
「社長すごいですね、こんなに売上あったら税金すごいですよ!何か税金対策しないとまずいですよ」
「社長、どんと構えていて下さい、なに大丈夫です、攻めれば勝てます」
耳を塞ごうにも、こんなやりとりが日常的にあれば、抗うことが難しくなってくる。
今、ふと我に返ってこんな事を書いているが、判断に揺れているさなかでも、内心では直感的に最適な判断をしていた。
直感を信じていればと後悔するような出来事が1度や2度じゃないのだ。
結局は、創業者である社長は会社の隅々まで知っているので、最適な判断が下せるのは当たり前なのだ。
そこに気が付くまでに2年かかった。