はてなキーワード: 義理人情とは
私の彼は日本で生まれましたが8歳くらいのときにアメリカにわたって以来アメリカ在住のバナナくんです。日本語も英語も中途半端ですが私とは日本語です。だからかついつい日本人としてのマナーや常識を期待してしまいます。ちらっと聞いたのですが、そういった人たちは言葉での苦労が長いだけに、心の成長がかなり遅れるとききました。確かに彼はすごく掴み所がなく、すごく大人びた振る舞いをしたかと思うとびっくりするくらい子供みたいな思考や行動をしたりします。やけに亭主関白風な考え方をするので日本人に近いのかなと思いきや以心伝心などありえない、個人主義で義理人情が全くない。何か二人の間で問題があったときに日本語の言い回し分からなかったとか、いろんなことが言い訳に聞こえてきてしまいました。
バナナさんたち、基本的には幼稚。ここ10年くらいずっといわれていることですし、そういう調査結果も出ていますしね(幼稚である、とはいわれていなかったけど、言語以外のことにエネルギーを費やす余裕がないとされてます)。これは仕方ありません。勉強や仕事の仕方、すべてにおいてです。でも自分は苦労してきたという自負心があるから、文句はとても多いですよね。自分がイヤになることもあります。日本の漫画や本をみて育ってきているので、日本の現実が漫画やドラマの中で描かれているものだと思ってしまっている部分もあります。だからとても面食いの人が多いし、恋愛とか仕事もドラマみたいにうまくいくと思っている人が多いです。思い込みがとても激しいので、調子に乗るとうまくいくこともありますが空回りしていることのほうが多いです。日本の人たちと普通に会話できますがやっぱり空気が読めなくて浮いてしまいます。
いわゆる不倫ってやつで、相手はその後輩と同じグループで教育係的だった先輩。
義理人情に厚く、頭の回転も速くて明るく楽しいけれど、一方では短気でちょっと怒りっぽくて、それでいてどこか屈折を感じさせていた先輩。
私もその先輩にはよく怒られ、そしてとても世話になった。
彼が、一途で不器用だけど天真爛漫だったその後輩の笑顔を奪ったかと思うと、飛んでいって大声で怒鳴りつけたい気持ちである。
でもそれはできない相談。
なぜならその先輩は既に故人だから。
そして後輩から笑顔が消えたのは、先輩が手遅れの病で若くして世を去ったまさにその時。
先輩の葬儀の時、何も知らなかった私は、あんなに可愛がってもらっていた後輩がどうして参列していないの?とひたすらいぶかしんでいた。
参列しなかったのではない。参列できなかったのだ。
何となくその時から感づいてはいたのだけど、頭の中でそんな筈はない、と打ち消していた。
それまで私を含む昔の職場時代の仲間とも打ち解けて話していた後輩が、急にどこかよそよそしくなったのも、その頃である。
今思えば、愛した先輩のにおいのする人々と距離を置いていたのだ。仲間のごく一部に真相を知られていたのも大きかったに違いない。誰が真相を知っているか、私は薄々気づいていた。でも真実を知るのが怖くて訊けなかった。
そんな後輩の柔らかな笑顔を久々に見たのは、一ヶ月ほど前のこと。先輩が亡くなった後に赴任した地でお世話になった女性と一緒に笑っていた。
振り返れば、その女性を初めとする地方の人々は、きっと抜け殻になっていた後輩を温かく癒してくれたに違いなかった。
昨日、後輩が婚約したとの噂を耳にした。相手はうちの職場と縁もゆかりもない所、昔の苦しい恋と結びつける何をも持たない場所に暮らしている人らしい。
そして今日、勇気を持って、私は真相を知っていると見込んだあの頃の仲間に問い質し、すべてを知った。
ごめんね。その頃職場が離れていたとはいえ、一番苦しい時に、何の力にもなれなくて本当にごめんね。
私なんかあてにしていなかったかも知れないけれど、でもごめんね。
仕事中だったから泣けなかったけれど、私は心の中でひっそり号泣した。
近く、後輩はここより少しだけ遠くに赴任していく。結婚してしまったら、もしかすると二度とこの近くには戻ってこないかも知れない。
婚約はまだオープンにはなっていないから、「おめでとう」とは言えないけれど、是非会って後輩の目を見て握手して、こっそりと祝福したい。そして前途あれと祈りたい。それが今の後輩に私がしてあげられる、唯一のことである。
横文字にするとなんだかカッコイイですよね。
世の中で特別な存在なのだと思っていた時期がありました。
常に新しい価値観を生み出し続け、
皆があっと驚くようなアイデアを見せ、
自分の作り出すものが凄ければ、
センスを研ぎ澄まし、
常に圧倒するような完璧な物を作り続け、
自分が納得のいく所までこだわり、
自分の力と作った物で皆を動かさねばいけないと
思っていた時期もありました。
自分はデザインだけを考え、
デザインだけに集中し、
デザイン以外の事を行うのは悪と考えていた時期もありました。
そんな考えも、今思えば非常に恥ずかしく、
もし、タイムマシンがあれば、
過去へ行き、そんな自分に酒でもオゴりつつ、
色々と、ゆっくりと話をしてあげたいと思うようになりました。
なんだかんだで、僕はプロとしてデザインでお金を貰い始めてから
6年ほど経ちました。
まだまだ視野は狭いとは思いますが、
それでも、上に書いたような事を考えていた時よりは、
よく物事が見えるようになってきたかなと思っております。
久しぶりに深夜にテレビを見ていると、
素晴らしいデザインの製品やアイデアなどが取り上げられていました。
画面の中のはなちゃんは、興味深そうに製品にコメントをしていました。
でも、僕はあまり興味を感じることは出来ませんでした。
リアルさというのが感じないというのか、なんというのか、
非常に奇妙な感じがしました。
こんなものは自分の好みもあるのかもしれないので、
偉そうなことは言えませんが…。
僕は仕事に対しての考えのひとつに、
という妙な意識を持っています。
そもそも「仕事」って何でしょうね?
僕は、仕事というのは、必要とされているものに対してサービスを行い、
その代価として報酬を頂くものだと考えております。
それは人間が相手であったり、世の中が相手であったり、環境だったり。
報酬というのも、お金であったり、スキルであったり、経験だったり。
求められている事に最大限に応えてあげる。
そんな事だと思うんですよね。
相手が何を求めているか、何に困っているのか、何を知りたいのか、
そして何を伝え、何を形にしたいのか。
この「何を伝え、何を形にしたいのか」、
という要望に対して、クライアントや、
最大限のサービスで応えてあげているんだなぁ、
と思うようになりました。
クライアントの伝えたい意図をどうやって伝えるか?
今は、デザインというのはあくまでも手段。
自分の手持ちの武器のひとつと考えるようになりました。
案件次第ではデザインをしない時もあります。
その方が妥当だなと思うからです。
でも、それで仕事がまわり、
クライアントも満足し、
お客様も喜び、
世の中がちょっとでも良くなれば、
それでいいんじゃないかと今は思っています。
そう考えると非常に気楽というか、
変なプレッシャーというのが無くなった感じがして、
非常に精神的にも肉体的も楽になり、
非常にこのあたりの意識があいまいです。
アートとビジネスの狭間を行ったり来たりするからだと思いますが。
だからと言って、日頃のデザインのセンスや力を養わない、
ということでもありません。
必要な時に期待に応えられないようでは、プロではありません。
でもこういう考えって、
飲食関連等に代表されるようなサービス業と言われるものだったり、
みんな同じ考え方だと思うんですよね。
相手に対して最大限のサービスを行い、満足をしてもらう。
満足をしてもらうには自分には何ができるのか?
演出したり、根回ししたりしてスムーズに流してあげる。
もしくは情報自体を考えてあげる。
というようなサービスを行っている気がしますね。
これもあの番組のせい…、なのかな?
この日記も10年後の自分が見たら、
きっと恥ずかしいと思うのでしょうね。
あ、最後に、コミュニケーションスキルと対人術と会話術。
それと相手に対する思いやりと愛みたいなものと義理人情。
これが仕事で何よりも大事なものだと思いますわ。