はてなキーワード: 経済的とは
高校を卒業後、地方の人口の少ない地域から都市部に出てきて、人間関係が築けず孤立するパターンをよく聞く。
話を聞いてみると、いわゆる田舎で暮らしていると人が少ないので、小中高とほとんど人の入れ替わりがない。(先輩・後輩も顔見知り)
なので、新しい人間関係の形成やコミュニティに入っていく経験が乏しく、また、長年、小さく固定化された人間関係で暮らしているため、都市部の社会性に馴染めなかったり、経済的に合わなかったりするようだ。
みんながみんなそうではないが、よく聞く例だ。
前者は男性の性欲を抑制することで社会から性的なハラスメントを撲滅するべきであるという文脈で使われる。
後者は少子高齢化に対する対策として女性の性欲を向上させることで計画外の妊娠を促すという意味合いで使われる。
男性の性欲を抑制する効果がある薬はどうやら存在するようである。
だから、後者に関しては完全にSF・ファンタジーの世界、仮定の話になる。
もちろん、前者も完全に仮定の話になるのだが。
どちらの場合でも、その性欲をコントロールする機関なるものの存在が必要になるのでは?
全国民の性欲をコントロールするべく、コロナワクチン摂取イベントのようなものを定期的に実施するべきであるという主張とも言える。
後者の場合は、少子高齢化対策として機能して人口が増加するようであれば国力の上昇につながるならば経済的にもとは取れるかもしれない。
そのような話の前に、そもそも国家が国民に対して、公衆衛生的な目的と乖離した目的で定期的に薬剤を投与するようなことが許されるのか?という話をしなければいけない。
おおよそ、そのようなことが許されるわけはないのは言うまでもない。
だから、性欲をコントロールする主体が国家を想定しているのであれば、かなり頭の悪い人の言動ということになる。
あるいは、なんらかの自主規制として社会がそのような暗黙の了解を形成するべきという理論なのだろうか?
個人が自主的に性欲を抑制したり、上昇させたりすることを期待しているのであろうか?
例えば、喫煙という行為は社会的プレッシャーにより大幅に抑制されている。
そのようなものを社会的合意を形成するべきであるという主張なのだろうか?
前者の場合、セクハラやあるいは性的な暴力を抑制する目的のための手段として主張されている。
もしも男性がその性欲を抑えることをした場合に与える社会的な変革のうちの瑣末事でしかない。
まず子どもの出生が減るのは間違いない。
これにより国力は現在より更に低下する。
そして上記にも書いたように国家が何らかの形でそれに関与するならば、そのような国家は意図的に国民をコントロールする術を手に入れることになる。
そのような権力を行使する国家とは極めて自由のない国家となりえる。
おそらくは合意の取れたパートナーがいる場合に限り、性欲の開放は許可されることになるのであろう。
そのようなパートナーがいない場合には、その性欲は有害であると判断されてその性欲は否定される。
このことは性産業、さらには性風俗産業にたいしても壊滅的なダメージを与える。
これは結果論としてだ。
男性に性欲がなくなれば、女性に対して性的な魅力を感じなくなることになる。
このことは女性に対して有利に働くケースもあるが、不利に働くケースもある。
一方で性的な魅力を失った場合にも、女性が社会的な地位を現在同様に維持できるのかは予測がつかない。
おそらくは女性にとっては不利に働く。
ものすごくハンサムな男性が何らかの事故などによって顔面に激しい損傷を受けた場合にも今までと同様に生きていけるか?という問題を想像すればわかりやすいかも知れない。
女性は性的な魅力を失うことで、そのゲタはなくなることになる。
そのときにより厳しい局面を迎えるのは、能力のある女性ではなく、能力の低い女性である。
結婚や風俗産業が経済的にその女性を救うことが難しい社会が形成される。
そのための社会福祉が必要なるが、そのような予算が捻出できなければ、国家はその女性たちを男性にあてがうことになる。
全体として国家が男性の性欲を抑制した場合、あまりハッピーな方向へと向かわないはずだ。
おそらくは、その国は滅びる。
そもそもがすべてファンタジーの世界の話であり、真面目に考えるような話でもない。
また
裏返しであり
前者を主張する人間は
そのことを自覚せずに前者を主張するような人は馬鹿とはいわないが少し考えが浅いと判断できる。
三沢さん本人か三沢さんに興味あるという人だけが読んでくれれば満足です。
これが一番の進歩であり収穫であって
一般的な「文章を読めない人」と比べても更に何かがあるように見えます。
私ははてブ民の誤読なら大抵は何をどう誤読してるか秒でわかりますが
そちらの思考が長くなるため本の内容の受け取り方が歪む。
草薙さんの癖の強い経歴を見てください。
彼はいわばブラックジャック(医師会に属さない医師)のような僧侶です。
それで本が何十万部も売れるのだから作家の才能は保証つきですが
彼の本が身になる人って案外少ないのではないかと私は感じています。
彼が添加する具体性は常に、
仏教を理解させるより「身近に感じさせる」ことに重点を感じます。
いちいち冗長な具体性を与えて透明な抽象性を損ねているように思えます。
草薙さんと三沢さん2人の出会いが相性抜群で最悪だと感じるのは
教師の草薙さんは仏教を紹介する本にかなり自己流の工夫を入れる人で、
生徒の三沢さんは人の話の途中の浅瀬で自己流解釈を始める人です。
草薙龍瞬さんが提供する仏教は既にスパゲッティナポリタンになってる感じ。
三沢さんはそれを舐めて「このケチャップの僕流アレンジ」を考えている。
三沢さんが草薙龍瞬さんの本から得た「仏教」はお釈迦様のアイデアとは別ものです。
現に三沢さんの欠点・苦しみの元が少しも治っていないですよね。
せめてこの端緒にでもついていれば、三沢さんの病的な「自分自分自分自分」という文の(思考の)癖に変化の兆しぐらいは生じているはずです。
https://note.com/tm2501/n/n1c20fe51d4ec
現に三沢さんにそのような変化が見られないので、
草薙さんか三沢さんか少なくとも片方に重大なエラーが発生していると思います。
(たぶん共鳴し合っている気がするのですが)
三沢さんは執着せず眺めて手放すということが出来ていません。
「ん、これはアンタッチャブル」とか考えていたら出来ないですよね。
(私は草薙さんの「ジャッジメント」ですらなんだかなと感じましたが
三沢さんはそれをさらに俺流に「アンタッチャブル」に変えました。
二人ともなぜこんなことするんですかね。
草薙龍瞬さんの紹介と三沢さんの読解のタッグが仏法を損ないました。
二人とも勝手なアレンジを入れることの弊害への警戒心がなさすぎるように思います。
それをやると劣化コピーではなく根本的に機能を損ねることがあります。
というか私は草薙龍瞬さんの本はサンプルだけ見て閉じたきりでしたが、
今回三沢さんへの影響を確認するうえでアンリミテッドで読みました。
「反応しない練習」。
読んでいるだけでどんどん頭が悪くなるような感覚がありました。
知識の収集癖、羅列癖、過剰で無益な具体性、支離滅裂、あと鍵かっこが多すぎ。
書き手が実践して身についた知識について語っている感じがあんまりしない。
これ本当に三沢さんと同じ型の人ではないですか?
私はこのがちゃがちゃな本から読者が自分のためになるエッセンスを掴み取れる気がしません。
凄く売れた本らしいですが、買った人達はちゃんと読んだのでしょうか?
草薙龍瞬さんはプロの作家でお坊さんですから偉そうな意見は言えませんが、
三沢さんは34歳ニートなので多少の助言はしても良いと思います。
三沢さんは「有能な人っぽく振る舞うこと」に神経を使いすぎです。
三沢さんて「有能な凄い人にならなければ自分の願いはかなわない」と思い込んでいませんか。
全然そんなことはありません。
能力的に凡人でも凡人以下でも願いをかなえて生きている人は沢山います。
三沢さんの大言壮語や意識高そうな口調はただの自己否定や現実逃避に見えます。
凡人だと生きていけないという強迫観念があるためではないですか。
三沢さんは普通でないくらいに自信がない人で、しかも自信欠如への対応がおかしい。
「自分と乖離した凄い人の虚像を作って身にまとう」という対処のせいで
実像とのギャップが生じてますます苦しみと自信喪失のループに陥っていますよね。
たまに三沢さんの文を見かけるだけの人間でもそういうことを濃厚に感じます。
俗世間の熾烈な競争に負けない「凄い人」になる必要があったかもしれません。
しかし34歳にもなればそんなものを追い求める虚しさは感じられているでしょう。
四国に住んで創作活動人生を送るという願いは素敵だと思います。
叶うと思います。
ただ、その願いの実現ためにまず「凄い人」になる必要があると考えていると
10年後も同じ部屋に住んでると思います。
三沢さんが「凄い人」になろうとする必要性や焦燥は何のためにありますか?
そういう「凄い人」になるための焦りの所産と言うか
人と違うバリューを出すんだという間違った取り組みに見えます。
本を読んでるあいだずっと「面白い独自の感想を言わなければ」とか考えていますよね?
これは大きな間違いで、
本をただきちんと読めて書いてあることを受け取れるなら
高学歴なはてなブックマークの人達だって新聞記事すら読めていないでしょう?
ひときわ壊滅的な集中力しかない三沢さんも苦しみの構造自体は同じです。
三沢さんが人並以上に集中力が欠損しているのも、頭があんまり良くないのも、(本当はなんらかの自覚はある筈です)
本の内容と一体化すべき時にいちいち自分自分をやっていれば本など読めるわけがありません。
おそらく「批判的に読書をする」のようなアイデアをまた草薙さんのようなアレンジをする人から受け取って、
ものごとを正しく見て正しく知ることができ、
というのが仏教です。
三沢さん好みの具体的過ぎる話をするなら
何と言うこともなくすらすらと内容が頭に入ります。
概念を手放していくというのはたぶん三沢さんの溜め込んだメソッドと正反対でしょう。
だから三沢さんが本当に仏教と出会えばじわじわと別人になってしまうはずです。
でもそうならないのはおそらく草薙さんと三沢さんの自我のせいです。
何と出会ったって自分の概念九龍城へ組み込むパーツとしてしか見てないために
まとめると
「自分は有能な凄い人だ」という妄想概念をくみ上げて常にそれを体の周りに装着しています。
このために何を見ても何を聞いても何を読んでもその妄想を通しているために情報が壊れてしまう。
これが自我です。
人の話を聞いてるときに、相手が何を言っているかも何を感じているかもわかりにくくないですか。
もしそうならそれは自我がずーっと邪魔をしていて心が目の前の情報を取れないためです。
全人類がこの病気ではあるけど三沢さんは少し程度が強いのではという印象です。
仏教にはこのガスを取り払うための実践的で研ぎ澄まされたメソッドがありますが
草薙龍瞬さんの本を読むとそういうことまで辿り着けないと思うし
三沢さんは「特別な自分」「オリジナルな自分」について考えこむことが自分の強みであり突破口だと思っていそうですが
そこが一番の間違いであることは仏教なら本当は30分でわかります。
本を読むのにも文をバズらせることにもそんなこと考える必要は一切ないです。
四国へ行きたいならまずその自我妄想と別れを告げることだと思う。
ところでお坊さんを軽々に否定したりしちゃいけないという道徳が自分の中にあるんですが
でも草薙龍瞬さんの本はなんか…。デタラメを言っているとかでもないからなんとも言えないんですが。
女が結婚しない人生、子供を産まない人生も認められていた時代だよ
山口智子さんや小泉今日子さんが肯定的に見られていた時代だったよ。
多様性の欠片もなかったどころか、今よりも寧ろずっと多様性良いねの時代だった。
なのに突然少子化が叫ばれ出してバックフラッシュが起きたのは21世紀に入ってから。
だから敢えて結婚出産した人達は全員、自ら望んでその人生を選んだ事を無視してはいけないと思うよ。
氷河期世代の女性に子供を産まなかった人が多いのは、多様性どうこうじゃなくて純粋に経済問題だと思う
@mihyonsong
でも氷河期世代は、20代終わりに、30すぎて結婚も出産もしていないのは「負け犬」って言われてめちゃくちゃ煽られてた世代なんよ。今みたいに、多様性イイねのかけらもなかったんよ。
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(追記)
女の婚姻率がほぼ100%の時代(不本意既婚と任意既婚がいた)→婚姻しない自由が認められた時代(未婚者はほぼ全てが任意未婚)→少子化が叫ばれ出したバックフラッシュの時代(任意未婚の割合は変わらず。増加したのは不本意未婚のみ。氷河期世代はこれに当たる)
という経緯を辿っているので、氷河期世代の若い頃は既に任意未婚は普通にいた時代であり、「多様性イイねのかけらもなかった」というのは大間違いだろうという事。多様性イイねの時代は昔は確かに存在していて、今はそれがなくなったんだよ。
元ポストの引用で『負け犬の遠吠え』が多様性を推進させたみたいに語っている人も多いけれど、それも全然実感と違うなー。
この本は寧ろ多様性を後退させて画一的な価値観を推し進めた本だったと思うが。
『負け犬の遠吠え』は2003年発行だけど、以前は結婚しない女性、子供を産まない女性の生き方は普通に認められていたのに
にわかに少子化が叫ばれ出して世間から叩かれ出すようになった。
これ以上叩かれたくない独身の著者が自ら「負け犬」と自虐して降伏仕草を見せる→その言葉を利用してさらに叩かれるようになる、
という流れだったよ。
こんな本が出た事自体、既に自分の意思で非婚非産を選ぶ女性は大勢いた事を証明しているんだから、多様性は既にあったんだよ。この本はその多様性を後退させた。
氷河期世代女性の未婚率の高さはけして多様性が認められたからじゃなくて(多様性に関しては寧ろ前世紀末の方が認められていた)、
社会全体としては産めよ増やせよが国是となって画一的になる中での、経済的理由で「結婚したくてもできない」女性の増加によるものだから
けして褒め称えるべき事でも誇るべき事でもないと思う
この手の話題になると就職氷河期に対する真面目な言及がある一方で、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1176491213494125218
preciar 男女平等の話をするなら、経済的に落ち込んだときに二馬力で稼ぐのが前提なら結婚は増えるはずなんですよね。そうしないのは何故か?/大前提として「選ぶのは女性の側」なので、どういう選択をしてるかと言うと...
結婚は両性の合意がなければ出来ないのに何故か「選ぶのは女性側」という事になっているのがまずおかしいし
(寧ろ生物の身体の仕組み上、男が勃たないと生殖は出来ないので、選ぶのは男性側では?)
あとなんで2馬力?女が男と同じだけの給料がもらえたら苦労しないでしょ
女が必死で働いても1.5馬力程度にならない(今現在50歳前後の年齢層ならば多分今の若い層よりも低い)現実を無視して机上の空論を語るなよ
仮に女の意思のみで「下方婚」したとして、多分DINKSにならざるを得ないから子供のいない女性になる事には変わりないと思うぞ?
これがほんとに正しいならば、結婚する人のほぼ半数は同じくらいの収入の人と結婚してるわけじゃん?
https://nfrj.org/nfrj03_2006_pdf/nfrj03_200601_6.pdf
生涯未婚率が男女で差があるのはなんでだろなって考えてたんだけど、日本は離婚率も上がってるじゃん?
そんで再婚する人もいる。
再婚するときに男女で格差があるのかどうかはわかんないからこれは想像だけど、再婚するときは女性の連れ子のほうが比較的多いと思う。
だとすると、子供にもお金かかるし経済的に助けてもらえる相手を選ぶのは、男女平等とか関係ないんじゃないかねー。
増田は女性が下方婚しないから男性が余るんだって信じてるしそれはそうかもしれないけど、そうしない理由は女性が働きたくないからとか欲張りだからとか養ってもらいたいからとかそういう単純なものではないと思うよ。
男性も馬鹿じゃないから、大体の人はそれほど余裕があるわけでもないし最初からそんな気持ちで結婚を望むような女性とは結婚できないと思う。お荷物になることが目に見えてるから。
同類婚のほうが比較的結婚はしやすそうだけど、上方婚じゃないとだめなのかな?
それだったら独身のほうがいいって思う?
https://anond.hatelabo.jp/20190923000541
このエントリーで貧乏人でも子供を作って良いよ!ってはてなの奴らが背中を押してたけど勘弁して欲しい
貧乏底辺夫婦のクソ底辺遺伝子を受け継ぐだけでなく、貧乏の再生産になりやすいクソ底辺環境で育つってことなんだわ
もちろん貧乏夫婦は論理的な会話なんて出来ないから脳が育たず馬鹿になりやすい
こういう超絶不利なゲームを強制的にプレイさせられて少しでも文句を言ったら
「親のせいにするな!環境のせいにするな!自分次第だろ!他責思考を止めろ!」
俺はガキの時にグレまくって、情弱を騙す情報商材屋に行きついて稼いでるから良いけどさ
女性が社会進出して男女平等がすすめば女性の凶悪犯罪がちゃんと増えるみたいだけど
「女性は男女平等になるほど凶悪犯罪を起こす」ことが確かめられている。35年間の27か国の女性犯罪率を調べたところ、全ての国で経済的に発展するほど女性による暴力犯罪が増加することが確認されたのだ。わけても女性による財産犯罪および金融犯罪…窃盗と詐欺は爆増している。更に詐欺と窃盗の検挙率と女性の高等教育と社会進出には強い負の相関があることが確認された。
真面目に言うんだけど、いちばん効果あるのは枠を作ることじゃなくて、少女漫画を改革することだな
すべての女性が寿命で死ぬまでお姫様として扱うのは一般国民には経済的に無理があるので、
いい加減、プリンセスとして育てるのではなく、自己決定が出来る職業婦人として育てましょうねって方向で
でもそうしたら化粧品メーカー死にますけどね。特に化粧水とかのカルト
あと、これはフェミニズム(社会平等)とは関係なく、単なる母ちゃん教の話なんですけど、母ちゃんがキリキリ働いてるとこ見たい?って言われたら
正直言って見たくないですね
ようやく、どこのご家庭のおっかあのことも『お姫様』として『母上』としてを扱うことが出来る時代になった、
『弱男論では「社会全体」とはその構成員すべてによって作り出される「風潮」であり、特定の支配階級を倒すことによって革命できるものではない』
あっなんかこれ核心に近づいてきた感じがする!なるほどーなんかすごくいい!
社会の構成員全てによって作り出される「風潮」は、弱者男性を具体的にどのように差別し、彼らはそれによってどのような損害を被るものなのだろうか。
つまりそこにはマイクロアグレッションのようなものがあり、それによって彼らの人生が捻じ曲げられている…?
でも容姿や能力や経済的なものであるならばそれは性別はあまり関係がない…んー…それは一体なんだろうか…
あー…「男のくせに」か?それなのか!?
それはどのようにして彼らの人生を蝕んでいくんだろうか。
まあなんか経済的成功が人生の成功である、みたいなのはある意味わかる気もするけどそれだけじゃダメだよなっていうのもわかる。
衣食住にそこまで困らず命を脅かされる危険がなく、誰かに必要とされていて、つらくない仕事を持っているっていうこの三つが満たされれば
そこから考えると女性でも男性でも無理なく安定して仕事ができる社会っていうのがわりかし社会幸福に結びつくんだろなと。
つまりあんまり生産性を落とすのも社会全体が貧しくなっちゃうとそれはそれで困るけど
女性もできるように仕事のやり方を変えていくことは男性をも助けるんじゃあないかっては思う。まあそれは余談だけど。
話を戻すけど、弱者男性が被っている「経済だけじゃなくて社会的な差別的扱い」ってなんだろうか。
容姿のことであるならばそれは性別に限ったことでもないし、「オタサーの王子」というものも存在すると思う。料理教室とか。
女性は下方婚しない問題もあれ、大体の人は同じ収入帯の中で結婚するっていう統計を見ました。
つまり同じような収入クラスタの中で男女が(体力差なのかフェミニズム案件なのか理由はそれぞれだと思うけど)上下に分かれてるからそうなるわけで
そのクラスタを飛び越えたシンデレラ婚みたいなものはほんの一部だそうです。
まあ学校の同窓とか職場とか、あるいは遊び場も同じような収入の人が集まるわけで、おおかたそういうところで知り合うんだから当然そうなるのはなんかわかる。
(あっ…つまり男性看護師が増えればあるいは…っていうような話だったりする…?)
って考えれば考えるほど、じゃあ弱者男性とは何を不当に差別されている人のことを指すのか?っていうのがますますわかんなくなっちゃうんだよな…
まあそういうことを研究する学問がないこと自体が差別であるっていうことも言えるんじゃないかとは思うけど。
ないよね?あるけど知られてないだけ?知られてないことも差別であるとも言えるね?
詳しい人その辺わかりますか。
そうだな…んーと
経済的にとかあるいは異性との関係において問題があってメンタルがアレしてるとかそういう問題のない人は性別関わらず弱者ではないよね…?ってところまで考えて
そうか経済的でなくても異性との関係において問題があってメンタルがアレしてる人が弱者男性…?って思ったけど
フェミニズムにおいてはつまりそれは夫婦間とか恋人間なんかの力の勾配?とかそういうものを批判するわけだけど
相手がいない場合はそこにはフェミニズムも手出しはできない(つまり異性がそこに絡まない場合はフェミニズム案件は存在できない)ので
それと同等のものが弱者男性問題であるとして扱うのはちょっと厳しくないかなって思うんだけどどう思う?
あーまあでも社会的な男女の関係においてはフェミニズムによって女性のほうが権力が強くなっている場合とかもあるってことかな…
経済的困難とかが主なことだと思うんだけど
経済だけじゃなくて社会的な差別的扱いとかも含まれ多岐にわたる
それをうまく表現する言葉がなく、共通する表層が「モテない」なもんで、そこに話が集中しちゃうんだけど
それ、熱があると訴える患者に「頭に氷当てとけ」って言ってるようなもんで、熱の原因がなんであるか、どう対処するべきか(自然治癒に任せるのが一番だというならそれも可)を考えるべき
弱者男性というのはどういう理由でどういう不当な差別をされているんだろうか?って考えるとそこから途端にわかんなくなるんだよな…
(中略)
これに明確な答えを出してくれる人はいないだろうか。
件の人は専門外だからいいとしても、社会正義、平等、人権を普段から訴えている人は考える責務があると思うよ
フェミニズムは男女の能力に差がないということを強調するってことは、能力によって差がつけられることは当然のことであるって言ってるってことなんだろうか。
能力に差があるとして、「能力の差が生活の豊かさに直結したら良くない、女性にベーシックインカムを!」なら主張としてはそれでいいと思うんだけど、
フェミニストって(白人)男性と同じことをすることが成功の定義なんで、政治家、経営者になれなきゃ「失敗」なんだよね
かといって明らかな無能を政治家経営者にしろと言うのもまずいので、そうすると「女性も同じ能力がある」、と言わなきゃいけないのだろう
これ見て気づいたんだけど
「その前提になるもの」ってつまり経済的困難とかが主なことだと思うんだけど
フェミニズムは女性は男性と同じくらいの能力があるのに、性別によって給料や職業などに差別があるから是正しろって言ってるわけだけど
弱者男性というのはどういう理由でどういう不当な差別をされているんだろうか?って考えるとそこから途端にわかんなくなるんだよな…
弱者がいて不当な差別を受けているっていうのならそれは救済されなければならないよなって思うんだけど
そこで結局弱者男性というのは具体的に何をどう差別されているのか?っていうところでいつも考えが止まってしまう。
容姿ということならそれは性別関係なくあることで、特に男性に限ったことではないのでそれは社会的弱者だよなっていう結論になってしまったりとか。
これに明確な答えを出してくれる人はいないだろうか。
そんでこれもさらに今書いてて気づいたんだけど
フェミニズムは男女の能力に差がないということを強調するってことは、能力によって差がつけられることは当然のことであるって言ってるってことなんだろうか。
つまり能力の高い女性は救われるが、低い女性は何も救われない。
フェミニズムは全ての女性を救うものではないということになってしまう。
そういえばでも上野千鶴子さんはマルクス主義フェミニズム?とか言ってたな…
でももし共産主義を持ち出して男女平等を謳うっていうことならば、それは性別関係なく適用されなければなんかおかしいんじゃないかっても思う。
SNSで発信したり炎上したりして素人を巻き込むならば、素人にもわかりやすい説明があって然るべきなのではと思うんだけどどうだろうか。
素人を味方にはしたいけど、それが理解できない人への説明責任を怠るというのではちょっと虫が良すぎないだろうかと思う。
そんでここまで書いてさらに気づいたんだけど
子供2人
既婚だが弱者男性と思ってる
数年前から飲んでる抗うつ剤も効いてない、少し量を増やしてもらおうか。
元々メンタル弱くて、鬱っぽかったけど、子育てのモチベーションでなんとかやりくりしてた。
しかしながら、子作り以外では行われなくなったためメンタルどんどんおかしくなった。2人目以降は年1あれば良い方。奥方は性欲ないし、過去のトラウマでセックスできないんだって。
数年前に浮気されて、他の人とはセックスするんだと呆れた。反省してるのかと、高をくくったが、全く反省してなかった。
1年間はやり直そうとも考えたけど、育児や夫婦の考え方が違いすぎて、夫婦としての再構築は諦めた。セックスの回数は増えることなく、同居人として生活する事に決めた。
再構築中に一回セックスをしてみたが、時間制限ありで笑えないくらいひどかった。
ここ数年は会社の飲み会も復活してるみたいで、午前様が多い。週末も家にいない。
来月、会社の人と旅行に行くとのこと。喚く気力もない。子供たちのためにお金入れてもらえれば、それで良いのかもしれない。
数年前再構築中に、人生楽しまなくてどうするの?と奥方に言われた。お前が楽しむ前に子供達の将来どうするの?と質問に質問で返してしまった。娘の中学受験中に浮気してた奴のメンタルは違うわ
あと数年で育児が終わるという頃に、少子化だ補助だ援助だと話題になったところで、時期的に関係なさそうよね。
氷河期に社会人になって、惚れた女いたからブラックな会社だけど正社員になって、数年は新婚気分でラブラブな生活したかっけど、子供欲しいって望まれたから2人作って、仕事辛かったけど辞めずに働いて、奥方の負担減らすように頑張って育児も分担して。お金ないなりに苦労させないよう、色々我慢して、気がついたら奥方は自分の道を進んでいて家事育児から遠ざかり。楽しまなければ負けな人生送ってて。
だけど育児は続くわけで、育児の理想が高かったから逃げることはできなくて。
後で気づいたんですが、そんな努力は誰からも評価されない。育児頑張ったところで会社は評価しない。育児頑張っても評価は上がらない、下がるだけだった。
経済的な援助が潤沢だったら、さっさと別れてた。ヘルパー雇って会社の地位も築けてたかもしれない、もう少し健康な生活や思考ができていたのかもしれない。カモシカカモシカ
子供2人が社会人になったら奥方と別れるんだろうけど、独りになって時に生きる気力残っているのだろうか。
その時に安楽死が合法化してたら使いたいが、だいたいタイミング悪いので死んだ後に合法化されるんだろうな。
早く世界よ滅びろ。