はてなキーワード: 新入社員とは
卒業式ー。
悲しいほど綺麗なままの卒アル。
卒業式を終えた子達が集まって、門の前の桜並木で写真を撮っており、その周りでは父兄が談笑している。
そんななか、たった一人で一番早く門を出てくる我が子。
そんな子供の姿を見て、母はどう思っていただろうか。
私は、彼等の立つ桜並木には、一生立つことができないだろうと思った。
成人式ー。
誰に見せるわけでもないのに着物を着て、誰に見せるわけでもないのに美容院でスタイリングして、最後に家の前で写真を撮った。
テレビをつけると成人式の話題ばかりで、華やかに盛り上がる新成人達の姿を見て、わたしは心底面食らった。
入社式ー。
本来であれば入社しているはずの年に、私はそれができなかった。
真新しいピカピカのスーツを着て、意気揚々と歩く新入社員達の姿を町で見て、母は何を思ったのだろう。
無気力で何にもやる気が出なかった。自分のことが嫌になって恥ずかしい思い出に縛られる。
過去の些細な出来事を反芻し、あの時こうしていればと後悔を繰り返す性分が、精神を追い詰めている。新入社員がうつとか、ダサくって受け入れられない。とにかく過去を振り返らない、とりわけ周囲の評価を気にしないといった決めごとを守っていけば多少回復すると思うのだが、癖になってやめられない。
創作意欲もないけれど、一発当てて周囲を見返す妄想にとらわれている。一目置かれたいという欲望が抑えきれない。余裕を見せたいと思う余裕のなさ。こうしたウィークポイントは明確に捉えられているのだが、長年の癖は抜けない。
ノンバーバルな癒しが欲しい。具体的には犬か猫。しかし、ペット禁止の社宅に移り住んだ今向こう数年はかないそうにない。飼われているのは自分なのだ。
この歳にして3度転職している。
どの会社も、仕事が出来な過ぎて会社に居づらくなり、会社にクビを宣告される前に辞意を表明してきた。
クビと言われる前には辞める判断のできる無能の中でもマシな人と思われたかった。
普通の人、問題のない人と思われたい。この欲求が自分でも驚くほど強い。それは小中といじめを受けて阻害されてきたことが要因だと思う。高校大学ではそこに居るだけで蔑まれる存在から、そこに居ることが許される人になりたい。自分の意思や感情を伝えれば誰かから嫌われる。そう考えて人の顔色ばかりを気にして自分の考えはあまり示さず、ただへらへら笑うことでどうにか輪の中に入ることができた。今考えれば、自分のコミュニケーションの成功体験はこれしかない。グループに入っているけれどいてもいなくてもいい存在以上になれたことがない。この調子のため、高校大学を卒業して友人と呼べる人はいなくなった。
どうにか社会人になったものの、このコミュ力である。人当たりはいいが何がしたいのか・伝えたいのかわからない。悪口を言いづらい仕事が出来ない邪魔な新入社員という地位を数ヶ月で築き上げた。
誰かが笑っているのを見ると自分の悪口であると感じ、上司の表情は固くなり、意見を言えばそういう論点で話をしてないだろ!と叫ばれた。
人が話している内容を理解して噛み砕いて自分の意見を言うことが壊滅的にできなかった。
鬱病と、グレーなASDの傾向があると医師に診断された。会社は辞めた。
休んだことで、自分で考えて、話して、仕事をしたい。と思うようになった。そしてもう一度就活をした。就職して、同じことを繰り返した。
人も会話を成立させたい、人に自分の考えを伝えたい。仕事をして、ここに居ていいと思われたい。本当にただこれだけなのに、どうしてもうまくいかない。本を読んでみたり、実践したりしたけれどいつだって失望した同僚の顔が目の前にある。もう諦めたほうがいいんだろうけれど、バカなので諦めが悪い。何から始めたらいいかアドバイスが貰えると嬉しい。
この記事は上場当日に自分が社内ブログに投稿した記事を編集したものである。
なぜそれをこうして公開する気になったかと言うと、もしかしたらこれからIPOを経験する人の参考になるかもしれない、というのは理由のひとつだ。
もっと大きな別の理由は、この記事には自分が以前に勤めていた会社のことが書いてあるのだが、昨日の忘年会で会った当時の同僚たちに読ませたところ「懐かしすぎてもだえ死ぬ」という好評価をいただいたので、もう少し広く仲間内で盛り上がるためである。
そして何より、年末の休暇にすることもなく暇だった。
中学受験体験記 https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
内容的には今回の記事とは何の関連もないのだが、匿名とはいえ単一の人格として認知されたいと思ったので書かせてもらった。
では、以下投稿本文。
本日めでたく東証に上場した。このタイミングで皆に話をしないといけないと以前から勝手に思っていたことがあるので、長文だが昔話に付き合って欲しい。
勤めている会社がIPOするというのは、自分にとっては二度目の経験である。
最初にIPOを経験したのは、大学を卒業して新卒で入社した会社だった。
4月1日、入社式が終わるとオリエンテーションが始まる。しかしそのオリエンテーションで、なぜか銀行の人が前に出て話し始める。
「皆さんはとても運がいい。御社はIPOを目指している。皆さんには持株会を通じて未公開株式を取得するチャンスがあります。30万円を支払えば持株会に入会できます。お金がなくても心配はいりません。我々の銀行がお貸ししましょう!」
入社早々、新入社員に借金を背負わす会社があるか?むちゃくちゃ怪しくないか?もしかしてヤバい会社に入ってしまった?
しかし未公開株という言葉は魅惑的だった。ちょっと前まで世間を騒がせていたリクルート事件のニュースでよく聞いていた。が、聞いたことがあるだけで、実のところそれが何を意味するのかを理解していた人間はほとんどいなかったはずだ。
結局、同期のほとんど(全員?)は30万円を支払って持株会に入会した。自分も含め、ローンを借りた者も多かった。
また、毎月の給与からの天引きで持株会に拠出する制度もあり、自分は毎月1万円に設定した。
入社して半年ほど経ったある日、全社員に「持株会に追加拠出できます」というアナウンスがあった。1口 30万円、最大3口まで追加拠出できるということだった。
ローンを借りると翌月から返済が始まるので、たぶんその負担を考慮したのだろう、自分は2口 60万円を追加で借りることにした。
入社2年目の冬のことだった。IPOが決まった!というニュースが流れた。
この頃までに累積で110万円くらいを拠出していたはずだが、公開価格で計算すると5倍!
20世紀末、日本経済はITバブルに沸いていた。そんな中、その会社の株も「有望」とみなされ、株価は上昇を続けていった。
当時はインサイダー規制も緩くて、みんな比較的自由に自社株を売ることができていた。周囲からは景気の良い話が次から次へと聞こえてくる。豪邸を建てたとかフェラーリを買ったとか。
同期で集まって酒を飲んだりすると、株や金の話になる。
「みんなで金出し合ってマンション建てようぜ」
「無人島とか買ったら楽しくない?」
億万長者が最も多くいる会社として、週刊誌の記事で取り上げられたりもした。
株価は上昇の一途。3日くらい連続でストップ高が続く時期もあった。自分の持株の含み益も1億円くらいになっていた。
でも周囲には5億、10億の人がざらにいたし、全然特別感はなかった。
この頃は狂っていた。株価が下がるのが怖くて株を売るやつはいない。逆に、自分が売った後にさらに株価が上がるのが怖くて売れないのだ。
「あいつは仕事もしないで株価チェックばかりしている」と言われる人が少なからずいた。
オフィスの自席の電話から大声で証券会社に売り注文を出す人間もいた。(当時、インターネットでの売買は現在ほどは普及していなかった。)
一方で、持てる者と持たざる者との分断も発生した。
IPO後に入社した人は、株をほとんど持っていない。周囲で自分には関係のない浮かれ話をされて面白いわけがない。しかも仕事をしないのである。
なにせ、ストップ高ともなれば、含み益が1日で数100万円増加、3日も続けば自分の年収を大きく超える金額になるのだ。何のために働いているのか分からなくなる。
冷静に考えれば、自分は1億円に値する働きをしていない。しかし当時の自分は「こういう会社を選んだのも自分の才能」と、完全に思い上がっていた。
世の中ちょろいと思っていた。自分には才能があるから、金なんかいくらでも稼げると思っていた。
株価が頂点近くのときに、試しに10分の1だけ売ってみた。数日後に銀行口座に950万円が振り込まれた。その金は1ヶ月半でなくなった。
追加の資金調達がきっかけだった。ついに株価の急落が始まった。連日のストップ安。
しかしそんなことはなかった。数ヶ月後には株価は半分以下、2年で数10分の1になった。
結局、数年後に残った株を処分したのだが、数100万円にしかならなかった。
しかし意外と悔しくはなかった。
結局、あの1億は自分の実力ではなく単に運が良かっただけなのだと思い直したし、出資した金額に比べればはるかに大きな利益を手にはしてたし、20代のうちに特異な経験をすることができたのだ。
自分の知り合いの事例をいくつか紹介しておく。
ある人は「これからは毎日サーフィンと株価チェックして過ごす」と言って辞めていった。そのうち自宅でデイトレードを始めたが、今は普通にサラリーマンをしている。
ある人は株を売って得た大金を、ソフトバンクや光通信など、他の流行りの株に投じ、結局手元には何も残らなかった。
ある人はフィリピンパブのお姉ちゃんと仲良くなり、家族を捨ててフィリピンに移住していった。
ある人は滝のある豪邸を建てた。高級車も買った。きれいな奥さんと結婚した。六本木での夜遊びは続けた。離婚して財産をほとんど持っていかれた。
ある人は息子たちがいい年になってもろくに働きもせず、親の金で夢を追いかけ続けた。
別にこの人たち皆が不幸せになったわけではない。そもそも消息を知らない人もいるし。
が、もしこういう人生を望んでいないのなら、過去事例を知っておいて損はないだろう。
入社6年目の終わりに会社を辞め、大企業に転職したものの、物足りなくなって1年半で再度転職した。
値下がりしきった株を処分するなどして作った1000万円を、自社のシードラウンドに投じた。
その会社は30億円以上を調達したものの最終的には立ち行かなくなって、現在ではゾンビ企業と化している。今でもその株式を持っているが、何の価値もない。
次に、今では超有望ユニコーン企業となっているスタートアップ企業に転職した。
しかしここでは満足のいく成果を出すことができなかったし、ストックオプションもなかったし、そもそも当時は全然成長路線ではなかったので、ここでは夢を見られないと思い辞めた。
スタートアップ2社で消耗しきったので小休止が必要だった。それでいったん大企業に転職した。
しかし数年働いているうちにまた元気が戻ってきた。もう一度スタートアップの世界で勝負したい。
そしてこの会社にやって来た。
あのITバブルから20年、「次こそは」とスタートアップに身を投じてから15年、ようやくここまでたどり着いた。
熱狂と失望の後、その会社は本当につまらない会社になってしまった。
多くの人間が株に狂って会社を辞めていったし、上がらない株価を見ながら「あの頃は良かった」と昔の思い出に浸るやつ、持てる者と持たざる者の間に生まれたしこりも残った。
別にそれが主因ではないだろうけど、業績も悪化して早期退職を募集することにもなった。
自分は、この会社にはそんなことにはなって欲しくないと願っている。
この記事を書いているのはそのためだし、これを読んだ人にとって何かしら考えるきっかけとなってくれたらうれしい。
もちろん今はITバブルのときとは状況が違うから、同じように狂う人間が大量発生するとは思えないけど、それでも自制心は必要だと思う。
せっかくなのでいくつかアドバイスしておく。
「上場初日に読めてよかった」「背筋が伸びた」「何度も読み直した」などなど、うれしいコメントももらった。
その後、この記事の効果かどうかは分からないが、幸いなことに社内に浮かれた雰囲気は全くなく、株価の話をする人間もほとんどいない。入社以来、勝手に感じていた使命を果たすことができたような気がしてほっとしている。
ここに公開するにあたり、オリジナル版にあった固有名詞や株価の推移を示すチャートなどを削除しているので、文章からいくらか臨場感が失われているかもしれない。しかしもしこの記事がこれからIPOを経験するかもしれないどこかの誰かの役に立つのなら、望外の喜びだ。
なお、15年かけて再びIPOを経験できたのだからさぞや嬉しかろう、と思う人もいるだろう。
実のところ、嬉しさよりも社会的責任の重さに身が引き締まる思いのほうが強い。格好つけているわけではなく本当に。
ストックオプションを行使できるようになるのはまだしばらく先だし、その頃に株価がどうなっているかなんて分かりやしない。事件・事故を起こすことなく、しっかりと業績を上げていくこと以外にできることはないのだ。
俺も大人になったもんだ。
ただ、おそらくお金が絡む商取引と広告について全く何も考えていなかったというのがたぶん正しい
いやまあ、毎回何かにつけて「ネットでシゴト」では社会的に問題は出まくってるんだけども、今回もやっぱりそのへんが出た印象
新入社員や新入りバイトにする研修や説明に相当するものが全くない状態だったと考えるといいよ
個人として請けた仕事であるので、不備不義に対する批難と責任は(下請けとか嘱託の範囲内で)個人が負うことになるとは思うけども
ただ、だから、ステマというものを認識していたかどうかという論点で話をしようとするのはあんまり筋がよくはない
(その話をしようとする人自身も、ステマを日本で定義説明はできないはずだから)
(なんかあのへんのを悪いことだと認識してとか、ほかの国では~といっても響かない。公知定義できないから人は店の冷蔵庫に乗る)
もうちょい別の、路上で素人に声かけて後ろ暗い仕事させて金ばらまいて一儲けする古風いびつな構造がネットにも、みたいな方向から切り込むとか、なんかそういうほうが持続性があると思う
全く言うことを聞かない精神的に動かない身体を、どうにかして脳みそというCPUで動かさなければ生きていけない。
幸いなことに私のCPUは優秀で、数年前まで自信があった。演算能力を貸し出してJPYマイニングしたり、その金で立派な大学で足の裏についたご飯粒を取ったりもした。残念ながら、その道は閉ざされてしまったが。
無事就職して、「あれ、私のCPUバグあるんじゃね?」って気づいた。仕事上の目的がある会話なら全く問題なくこなせるし、専門分野なら新入社員だった頃から他部署に相談を持ちかけられるレベルであったため、そこは全く困らなかった。
しかし、いわゆる日常会話がサッパリで、話題の切り替わりや理不尽なツッコみが全く理解出来ず、こっちのちょっとしたボケやツッコみはすべて空振る。会話が下手だという自覚はあったが、高校以降は全く困ってなかったので、小中学校のときのソレと類似系と気づいた。気づいたはいいが、いつまで中学生なんだこいつら、と内心思ってた。だが、どうやらこっちが正しいらしい。よくよく考えれば、私の分かりにくい比喩や唐突な引用を分かれという方が無茶だった。日常会話をCPU使用率1桁%でこなせる人間が、CPUの7割を使わないとできない人間と会話が噛み合わないのも当たり前の話だ。最近ようやく、下手な比喩を使わない、聞き役に徹するなどで日常会話をエミュレートできるようになってきた。CPU使用率は上がった。仕事しながら雑談できん。困った。
そして先日、見事にバグありボーダーだと診断が下った。本当にアレって勉強ができるかと関係ないんだと実感した。
「私は一生こいつを介護しなきゃならんのか。介護辞めたら死ぬんだからマジで一生じゃねえか。困ったもんだ。」って思ってる。何故か他人事感が抜けない。「どうせ困るのは私だし」が基本理念。どう考えても周りに迷惑かけてるのにね。
初めてこういうところで書くので見づらいところや拙いところが多々あると思いますがご容赦ください
いろいろ思い悩むことがあるので、賛否問わずご意見いただければ幸いです。
私は今年の4月から社会人になった新人です。業種は商社系なのですが、売り上げは会社が持っている直営の店舗での売り上げが半分以上という会社です。
会社の方針で、総合職採用された新入社員は最大一年間店舗での研修があり、その後正式に部署に配属されるという形式で、入社前にその説明もあったので、それを承知で入社しました。
店舗での研修という体はとってますが、やっていることはアルバイトと変わらず、期間限定とはいえ体のいい補充要因かつ、本社で仕事している人たちも現場の声を知っているというアピールポイントのために遣わされているようなものでした。
また、期間に関しても実際のところは、本社で不足している部署に適宜補充といった形で、同期のうち何人かは先に本社に引き抜かれていき、自分も半年で別の部署に配属になりました。
今年の10月から、別の部署に配属されたのですが、配属された部署は支社にありかつ、自分を含めて3名で規模が小さく、今所属している人たちで悠々と仕事が回せる状態です。
10月に配属されて2ヶ月経過しましたが、配属後教えてもらったことは、何を取り扱っているかと顧客リストのみの、ほとんど仕事を教えてもらってない状態で終わってしまい、出来る仕事もないからという理由で業務に関わらない簡単な雑用程度しか回してもらえず
正直言って社内ニート状態です。また、部署の売り上げも徐々に減少しているらしく、仕事を教えてもらうはずの直属の上司は現状維持で精一杯みたいで、今後仕事が本格的に振られていくのかもわかりません。
とりあえず何かやることないかと聞いても出来る事があれば仕事を任せる、新聞かネットニュースでも見て情報集めといてといわれている状態で、成長している気がしません。
暇なら暇で、どうにかして時間を潰して会社に寄生してオフを楽しむという風に切り替えれば気持ちも楽になるかもしれませんが、支社に配属されたため、今住んでるところには友人もおらず、これまで一人で楽しむような趣味も嗜んでなかったため、それも難しいです。
配属前には、人事から忙しくない部署でゆっくりと育てていくからという説明を受けましたが、毎日ネットサーフィンをしてニュースサイトを巡りながら、何もしてないのにやったことを美化した日報を書くのを二か月続けて、精神的につらくなってきました。
会社の雰囲気自体は悪くなく、仕事が人並みに出来れば残業もほとんどなくてむしろ居心地はいいと思います。転職も考えましたが、現状特にスキルもなく、1年経たずに辞めた第二新卒を拾ってくれる会社があるのか疑問です。