はてなキーワード: 政治意識とは
東京新聞:オタクは政治意識が高かった コミケで調査 衆院選の投票率8割超える:政治(TOKYO Web) https://t.co/XiW596Iyjx— 山田太郎 ⋈3日目南フ10a(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2019年12月12日
そう言えば、当時オタクは票にならないだの言われ煽られて、規制が強行される構図だった事を思い出した。
あの時は散々言われたからね、今でも覚えている。
当時のメインが保坂元議員や枝野議員だった時に当時はまだみんなの党だった山田太郎議員が動画配信を始めて、規制反対に尽力しだして下さった時にはまさかその後も落選してまでもずっと規制反対にここまで尽力してくれるとは思いもしなかったけどね、
皮肉な話山田太郎議員がいなかったら、今よりも規制を過剰に進めている様なもっと酷い世の中であった事は想像に容易いよ。
当時は規制推進側の政党だった自民等の人達であるネトウヨと呼ばれた人達が反対していた人間をロリコンだの煽ってきていたのだけど、今や逆にリベラル側の人間が表現の自由戦士だの言って煽ってくるのだから笑うしかないよね。
当時からフェミに関しては今と変わらず、オタクを煽ってきていたけどさ(苦笑)
それと当時は自民公明の与党が規制を推進していたのだけど、しばき隊以降フェミやフェミ団体が野党側につき、今や共産党が規制推進の最先鋒なのだから笑えないけど笑うしかない。
しっかし当時の与党のみならず、野党もオタクは票にならないと侮っていたのは事実だったのだろうね。
それが逆に規制を推進している野党を見る限り、あの人達は票田所かそれ以外の票を減らす最大のデバフと化しているのは笑うしかないけどさ。
今の状況を振り返ってみると与党にいた時は当時の与党の票削りまくった結果、民主党政権が誕生した一因になったのも事実だと思うぜ?
それと逆にここまでオタクやアニメ漫画やゲームを趣味にしている人が危機感を持つほどに過剰な規制が行われてしまったと言う現実があるのだけどね。
どうもMidasファンです。
もう少し左翼に好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治は政治でちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。
このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物だから問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵にラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。
「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術の政治化(本来はニュートラルであるべき美術の世界に稚拙なプロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治を美術化した」から。
政治の美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治を美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界の矛盾を一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的な判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治をギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革をあきらめたしるしでしかないのである。政治を展覧会のネタにしてはならないとはそういうこと。
たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。
(まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由』はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツは雑誌『ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌『ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。
ロードショーから場末のポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌『ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクになっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報のコンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。
慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで「日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。
雑誌『ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントをおもしろおかしく無差別にとりあげれたその点において表現が自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソな演劇が並んでてよかったね自由な社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。
高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに「侮辱だ」思うのもまた自然なことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに「侮辱だ」思うのもまた自然なことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。
みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダストリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。
インダストリーの問題とはすなわち文化産業の問題であり雑誌『ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等な社会の構築に焦点あわせてたしこの環境の産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。
若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報をフラットに」ではなく「差別と排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別と排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。
表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものでホントに重要なことは展覧会のテーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから。
って意見に対して若者が選挙行けば政治家は若者向けの政策を提示するから
こんな意見をよく見るけどクソだなって思う
こんな事を言い放ちながら投票すれば何かやった気になるのだろうか?無意味だ。
若い世代の投票率がもしも上がれば若者向けの政策を作ってくれるかもしれない
こんなタラレバを期待する浅はかさで長い人生どう生きるつもりなのか?
暮らしが苦しい、国に助けが欲しい若者がするべきことはもっと単純明快であるべきだ
ずばり自分たちで政党を作り候補者を出し議席の過半数当選させる、これしかない!
なぜこれができないのか?
実現させるには若者が大嫌いな政治運動というものを行わなければならないからだ
カッコ悪い事はやりたくない、だからやらない。
割れ窓理論とは、1982年にアメリカの心理学者、ジョージ・ケリングが考案した理論である。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
日本における様々な社会問題は、いじめ問題や貧困による問題などを見ていく限り、小さな問題が大きな問題につながっているケースが多い。例えば貧困の問題は、福祉システムや税金システムの不備という小さな問題が平均所得の下落を引き起こし、最終的に絶対的貧困者の生活苦や体感的貧困率の増加に繋がっている。
例えば日本の三大疾病のひとつである癌は、初期の段階で放置しているとやがて少しずつ悪化し、最終的には生命の危険に至る。だから、どこの保健機関も「癌は早期発見し早期に治療せよ」というのがスローガンになっている。
では、割れ窓理論が実際にどのように活用されてきたのか?一番有名なものはニューヨーク市の治安改善である。1980年代に治安の危機を感じた当時のニューヨーク市は軽犯罪を徹底的に取り締まることを徹底した。最初は強い反発もあったが、次第に軽犯罪の取締りの強化に伴い中規模犯罪や大規模犯罪の発生件数が減少し、現在ではニューヨーク市はアメリカでもっとも治安のよい都市に位置付けられるようになった。ニューヨーク市の成功事例を受けて、日本でも7大都市圏を中心に軽犯罪減少キャンペーンが展開され、現在は犯罪件数は毎年のように過去最少を記録するようになっている。
ブラック企業や貧困がまかり通るようになったのは、富や労働力の再分配が不十分であることが原因である。富の再分配とは、税制の改造や富裕層の自助努力によって富の一部を貧困層や中流に分け与えることを指す。すなわち、消費税のシステムを日用品や公共インフラには非課税にし、贅沢品にはなるべく高い消費税(10%程度が望ましい)を課すように改善することや、脱税の取締りの強化を行わなければならない。もちろんこれは政治家や官僚のモラルが善良であることを前提としている。
ブラック企業に関しては、人事が体力・メンタル的に仕事面で合わない人間を採用しないようにする、労働力を最適化する、長時間労働を抑制する賃金システムにするといった複雑な改善が必要になってくるだろう。それ以前にゆとり世代やさとり世代といったメンタルやモラルに欠陥のある人間に対する啓発や再教育なども必要となるが…
現在ホットな話題になっているのがまさにこれだろう。人種差別や歴史修正主義や反知性主義の台頭を野放しにしてきた結果が現在の安倍政権であり、欧米における右傾化がある。これに対しては人種差別や歴史修正主義や反知性主義に対して知識層が批判・非難し続けることで鎮圧させることが重要だ。
2017年9月8日に東京京橋のtwitter本社前におけるデモが話題になったが、まさにこれも割れ窓理論に基づく運動である。SNSにおけるヘイトスピーチに対する粛清行為は、ニューヨークの場合における軽犯罪の取り締まりに相当する。これを政治の場面でも活用すべきではないかと思う。
現在の日本人には鉄道=迷惑施設というイメージが定着しており、そのためか鉄道趣味も1990年代や2000年代に比べてかなり下火になっている。鉄道利用者のモラルの低下も叫ばれているが、この大元の問題はインフラの老朽化などにあるのではないか。
地震対策や鉄道の故障やトラブルによる定時率低下が叫ばれるようになってから、人身事故(鉄道自殺)や痴漢犯罪が社会問題化されるようになった。解りやすくいえば、安全対策や防災対策が不十分の、老朽化した鉄道車両や鉄道施設が野放しにされることにより、鉄道会社が注意を払っていないと認識した悪徳利用者が鉄道自殺や痴漢行為を引き起こしている。
この問題については、完全な結果を出すことは難しいのかもしれない。何せ日本は世界的に見ても珍しい、鉄道会社が都市企業化かつ多様化している国だ。しかし、大幅な改善は可能であろう。きちんとホームドアを設置する、監視カメラを設置する、鉄道インフラを更新する…こういった地道な努力をすればよい。
氷河期世代やゆとり世代やさとり世代の台頭以降、日本人の低能ぶりが露見する自体が多発している。学力の低下、政治意識の低下、娯楽中毒…挙げていけばきりがない。
彼らに対する対策は学力、政治意識、適度に娯楽と向き合うことの大切さや大変さを学校等で学ばせることにある。日本人は学習能力の高い人種であるといわれているので、人種性に合わせた教育を行えばよい。もちろん、違う人種に対してはその人種に合った教育法で教えさせるべきだ。
それには、日本人は政治家や政党を選ぶときにどんな基準を無意識に適用しているか、という点への推察があった
それによると、日本人は「自分達から嫌われたときにきちんと権力が凋落するかどうか」を無意識レベルで判断している、ということらしい
裏を返せば、「市民からどれだけ嫌われても全く困らない議員・政党」を日本人は本能的に忌避する傾向が強いということでもある
安倍政権が日本市民から粘り強く支持されているのも、いちど失脚した経験があるために、「二度と我々(有権者)を怒らせるようなことはしないだろう」という先入観のようなものが強く作用しているのではないか
また民主党(当時)の支持が伸び悩んでいるのも、政権交代前から幹部クラスの顔ぶれがほとんど変化していないため、「また失政を繰り返しても誰も責任を取らずだらだらと議員バッジにしがみつくんじゃないか」という疑念が未だ払拭できていないのか原因ではないか
共産党に至っては、世界情勢がこれほど変化に富んでいる今に至るまで全く変わろらない体制であるがゆえに、民主党よりも遥かに危険視されているのではないか
…というような要旨のことが書かれてあった
日本は労働者不足だとか移民入れなきゃ国が滅びるとか、マスコミさんががーがーわめいて、Webでも「由々しき事態だ!」としたり顔でブックマークついてたりするんだけど、あれなんなのだろうね?
人手不足で労働の価値が上がり、いままで16万円で働いていた人は18万円の職場に、18万で働いていた人は20万の職場を死亡するようになる、移動するようになる。それって、国民目線からして全然いいことじゃないの?
まず賃金を上げて、現場労働力が足りなくて社会に不都合が生じるようになって、初めてその次のステップでしょ。
それにしたところで、国民が国家経営者顔で「国の労働力が……」とか語りまくる状況には違和感しか無い。そりゃ確かに政治意識ってのは必要だよ。でも、「社員全員が経営者時点で会社のためになにを提供できるか考えろ」ってブラック企業の典型的な洗脳手法だよね。国民全員が国家のために不利益な判断を受け入れろ! も動揺にブラック国家洗脳とでも言うべきだと思うよ。
賃金が上がりまくって、ビル掃除婦でも年収600万円、それでも人が足りない、経営者の工夫じゃもう乗り切れない……っていう状況ならともかく、それよりはるか前の段階で国や移民政策に解決を押し付けようとするのは経営者の手抜きじゃないの? ちゃんと給与上昇させた? マスコミさんはどっち向いて誰の味方してるの?
とりあえず一つだけ確実に言えることは、特に2番に要注意だということです。
議論に勝つことを優先する余り、露骨すぎる詭弁を使っているのにそれに気づかない人には近づいちゃ駄目だということです。
そういう人たちは、自分の正しさを全く疑わないので、たとえ8割正しいことをいっていたとしても、2割の間違いでみんなを巻き込んで滅びます。
他人を見るときに大事なことは、8割正しいことを強気でいえることじゃなくて、時々だれでもおかす間違いに対して、どういう対応をするかです。
2番と3番が合わさると、都合が悪くなったらすぐにポジションチェンジしますから、まともに信じてついていくとバカをみます。
彼らは政治家ではなく投資家です。 常に分のいいポジションに貼るだけで信念などありません。 社会をかえる力もなければそのつもりもない。
そういう人たちを信じてついていくなら、第一に学ぶべきは、彼らの語る言葉ではなく、自分たちもすぐにポジションを変える節操の無さです。
これは「自分の反対する法案が通ったから」とか「自民党だから」ではないんだよね。議会制がまともに機能せず立憲制を侵しうる状態ではどんな政権がどんな法案を通そうとその正当性は担保されないって話。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
そういう人たちから彼らを守るどころか、「若者がおかしな勢力に利用されないように~」と彼らを心配するふりをしながら、デマや誹謗中傷を検証することもなく拡散していた人たちがどれだけいたか。本当に恥ずべき光景だと思うよこれは。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
行動を起こした若者が道を誤らないように助言したり手助けすることこそ大人の責任だろうに、それを放棄して「俺の思った通りの行動をしない。なんでできないんだ」と叩く。TVでスポーツ見ながら「下手くそ!」と野次飛ばしてる馬鹿親父とおんなじだよね。そんなやつの言うことに誰が耳を貸すかよ。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
そういう人がたくさんいる国だからこんな状態になってるんでしょうけど。まあそういう人は二度と若者の政治意識がどうこうなんて語るべきでないね。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
安保法案賛成派は、冷笑系が多い印象があるな。冷笑系は別に思想がある訳じゃなくて、その時々に都合よく発言するだけで https://t.co/OGwXl0cqfl— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 19
まともな批判もいっぱいある中、自分への人格批判だけ取り上げて、だから反対派は!とか言うのは印象操作にも程があるわー / “SEALDsをdisる俺をdisるツイートの呆れるばかりの低脳ぶりについて | ホリエモンドットコムブログ” http://t.co/njC7ElxlOx— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 19
なんだよこの記事。イケダハヤトかよ笑 SEALDsをdisる俺をdisるツイートの呆れるばかりの低脳ぶりについて | ホリエモンドットコムブログ http://t.co/Of0deCqrwF via @HORIEMON_COM— Keita (@HazakuraKeita) 2015, 9月 18
んーまあでも「民主党悪玉パラダイム」ってのに病みつきになってるのが、同世代に多いんだなあとは思った。ものごとの説明が全部それ。お前らは水戸黄門かなにかでも見てる気か。— NaHCO-TAS (@NaHCOTAS) 2015, 9月 18
周辺国にキャッチアップされる「下り坂の日本」を感じつつ、その責任をかぶりたくない一心で理由付けするわけだから、安易なキャッチフレーズに飛びつく一方で、自分のことばを持てないまま20年過ごして30代とか40代に差し掛かっていて、考える体力みたいなのが先に衰えてるんだなあ、と。— NaHCO-TAS (@NaHCOTAS) 2015, 9月 18
http://anond.hatelabo.jp/20150920001448
言い逃げか。とりあえず「必死そう」なやつをみかけたらおちょくって楽しむって感じかな。
わかりきっているけど、やっぱ低い。
やって思ったのは、選挙に関わっているのは、みんなおじちゃんおばちゃん以上。
選挙のバイトに応募するのも、運営するのも、来るのも、みんなおじちゃんおばちゃん以上。
土地柄とか、配置された場所とかもあるのかもしれないけれど、市役所から応援にくる職員もおじちゃんおばちゃん以上なのは、なんだかなあ、と思った。
閑話休題。
年齢を気にせず仲良くするのだが、みんな見事に政治に興味が無い。
というか、新聞に載っているようなことには、ほぼ興味が無い。
家に集まって、飲んで泊まった明けの午前中。
みんなボケーっとしてるから、取り敢えずテレビをつけているんだけど、やってるのはニュースぐらい。
ボケーっとするぐらいなら見りゃいいのに、全員みない。
選挙期間も、住民票移したばっかで遠隔地投票になるやつは「めんどくさいからいいや」。
確かにめんどくさい。気持ちはわかる。
でも、それでいて先日「何で選挙したのに消費税あがんの?」とか「消費税上がって生活良くなるんならいいけど」と言っていた。
多分、そいつはこれからも政治ニュースとかに触れないまま、次回も投票に行かないで、政治への不信感を持ち続ける。
他にも「期日前も仕事で行けないわあ」と言いつつ、そもそも行く気がなかったりとか、俺がTwitterで選挙のこととか呟いてると「難しいこと呟くよね」って言ってたりとかする。
ああ、本当に興味ないんだなあ or 信用ないんだなあ、と思う。
別に、悪い、って言ってるわけじゃない。
ただなんとなく、これ大丈夫? と思った。
>鳩山総理の不勉強・不見識は、結果的に日本が今まで享受してきた安逸な世界を根本から崩すことになるのかもしれません。
軍事に限らず、鳩山は優秀な反面教師だったと思うよ(過去形w)
鳩山のおかげ(?)で国民や不勉強な政治家は、政治が具体的にどうなってるのかを具体的に勉強したり考えたりする事を迫られた
悪政が布かれれば革命が起きてきた様に
国民の政治意識に強烈な影響を与え、問題意識を芽生えさせたのは、結果的には功績
最近の日本の他の首相が、今までなし得なかった事を結果的には出来てしまった
古代の哲学者(誰かは忘れたが)が、討論相手に「私は何も知らない、あなたの言ってることがどういう事か説明して欲しい」としつこく言い迫る事で、相手が実は何も分かってない事を自覚させていたように
自らの無知をひけらかす事によって、周りが必死で分かろうとする
だって西洋でワークシェアという概念が編み出されたのとは全く独立に、かつ、全く異なる動機・背景で発案されたものだから。
リーマンショックからこのかた、雇用情勢の悪化で「今度こそワークシェアしかねえ……!」という機運が国内でも出てきている昨今、大分県姫島村、つうか姫島村役場の事例が「国内におけるワークシェアの元祖」であるような文脈で各マスコミで持ち上げられている。うんまあ、『賃金を抑えてその分たくさん人を雇いましょう』という手法そのものはワークシェア的ではあるし、かかる手法において国内最古と言われればその通りだ、っていうか下手したら先進資本主義世界全体において最古かもしれないw(*1)
ただ、姫島村の場合は当時から現在に至るまで一貫して『公共セクターに於いて賃金を抑え雇用を増やす』形態になっており、この点で既に一般的なワークシェアの概念――民間ないし官民全体で、『同一労働同一賃金の原則』の徹底を背景に、主として一人当たりの労働時間を短縮することにより、一人当たりの賃金を抑制しつつ雇用を増やすこと――とは形態を異にする。
この形態の相違は、姫島村方式の創案そのものが、一般的な意味でのワークシェアとは起源を異にすることに由来する。
http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm
や
http://www.zck.or.jp/essay/2681.html
において姫島村の藤本昭夫村長(40年前にこの制度を創案した村長の息子であったりする:後述)自らが詳しく述べられていることだが、この施策のそもそもの動機は雇用不安の解消などではなく、『昭和四十年代前半に、過疎化、人口減対策として若者を村に残すための取組みとして始められ』たものなのである。昭和四十年代前半といえば、オイルショックすらまだ到来していない、高度成長でイケイケドンドン右肩上がりな時代である。しかしながら姫島村ということろは、田舎である大分県の中でも、更に隔絶した離島だ。高度成長の恩恵はさほど大きくはなく、村内の仕事は限られる。とはいえ、今のような雇用不安とは様相が全く異なる。島の外に出て行けば、仕事はいくらでもあるのだから。
村内に仕事はないが、村外には仕事はいくらでもある。この状況下で、村内の仕事を増やすべく始められたのが、姫島村方式である。
では過疎対策としての効果の程如何かというと、これが結構効いている。今なお過疎の村には違いがないものの限界集落は発生しておらず(*2)、また現在でも村職員の人数は村内全人口の約7.7%を占める『大口の就職先』だ(*3)。この村職員の人数を背景に、保健や福祉など現場の業務――行政の合理化に於いて真っ先に民営に移されがちな『現業』の分野だ――にその過半を裂き(*3)、結果として村民の居住環境に対する満足度は過疎の村にもかかわらず悪くはない(*4)。一方で、村職員の給与は高度成長・バブルを経た現在でも低廉なまま据え置かれ、その水準は夕張市につぐ低さである(*4)。
とはいえ、一方で人口減は続いており、人口増に繋がる地域振興の決め手とまでには至っていないことは、上掲手記において藤本村長も認めるところである。
さて、かように長期にわたり姫島村方式が受容され続け、いまなお続いている背景には、その効果が評価されていること以外にも、姫島村社会および姫島村役場の特異性があることを指摘せざるを得ない。
姫島村では、藤本村長の父である故・藤本熊雄氏の代から半世紀以上にわたって村長選が行われていない(*5)。最後の村長選で村全体が『懲りた』のだ、と言う。一方で、熊雄氏は、姫島村出身である自民党の有力者・西村英一にきわめて近しい立場で、二人三脚のようにして姫島のインフラを整備していった。『おらが村の西村先生』を錦の旗(*6)に、姫島村の政治意識は保守・自民党への支持を基盤としてまとまっていった。
そこに到来した高度経済成長の波。人口流出の危機。熊雄氏は言った。『役場での共働きは原則、禁止。女性は出産育児を機会に退職する。ただ、家庭の事情に応じて優先的に雇用する』と(*7)。これが革新の強い地域であれば、かかる意見は昭和40年代の当時ですら『女性は出産を機に退職せよ、と強要するとは何事ぞ』と一悶着起きたであろう。都市部であれば首長リコールもありえたかもしれない(*8)。しかるに、ここは姫島村である。保守は絶対優位であり、(大分県内他自治体では今なお猖獗を極める)自治労系の職員組合すらここには存在しない(*9)。反対する者は居なかった。
今なお姫島村の同調圧力は強い。少し前からインターネットに居たはてサ諸君におかれては、「姫島村の成人式」を記憶する人もあるかもしれない。「成人式には晴れ着などもってのほか、それが『常識』である」との主張。それがまかり通る社会であればこそ、通用している制度である、という認識が必要だ。
無論、『空き缶デポジット制度の徹底』など、ほかにも同調圧力の強い村社会だからこそ成功した政策を幾つも擁する村なのであり、『みんなで保守化すればいいじゃん!』という解釈もできるかもしれないが、ねえ。
畢竟、姫島村方式は『過疎化の抑止』『過疎地における公共サービスの維持』に対しては一定の有効性を持ち、そういう意味では地方自治体、とりわけ過疎地を抱える自治体が真似するには良い物である。だが、だからといって『雇用不安を解決するためのワークシェア手法の先駆』としては一般化しがたいものだと考える。雇用不安対策としては民間を幅広く巻き込む必要があり、そのためには保守と革新・使用者と労働者の枠を越えた妥協が必要であるところ、姫島村で起きたことは良くも悪くも『保守・使用者的立場による善政』の枠を越える物ではないのだから。
……ってわけでな、あれを『ワークシェアだ! ラピュタは本当にあったんだ!!』って言われると、もにょるのだよ。
(*1)オランダのワークシェア事例が1970年台創始、姫島村方式も「40年ほど前に創始」「昭和四十年代前半」なのであるからほぼ同時期、ないし下手をしたら姫島村の方が古いかもしれんのよ。
(*2)http://kotobank.jp/word/%E5%A7%AB%E5%B3%B6%E6%9D%91%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0 ただしソースは朝日。
(*3)http://www.oita-press.co.jp/featureNews/12294210095/2009_123180887708.htmlおよび上掲の藤本村長手記から。パーセントで言ってもぴんと来づらいかもしれないが『村民の13人に一人が村職員』と言い換えると尋常じゃない。
(*4)http://arch.oita-u.ac.jp/urban/ppt/2008/B/yamamura.pdf
(*5)http://www.oita-press.co.jp/localNews/2008_122533025626.html
(*6)上掲手記中http://www.zck.or.jp/forum/forum/2590/2590.htm#section8に『西村先生は、「村の誇り」であり、西村先生を皆で応援しよう、皆で頑張ろうという意識』の言及あり。
(*7)http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/children/227551/
(*8)同じ大分県内の日田市で、近年『共働き職員の給与削減』を言った市長が居た。http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-060207-0011.htmlそして、その市長は次の選挙で落選した。
(*9)上掲手記中http://www.zck.or.jp/essay/2681.htmlに「職員団体はない」旨言及あり。
俺用メモ。
09年8月1日00:00以降に投稿された絵で「政治」タグがついたのまとめ。
09年9月16日某時まで。
・なんか「公職選挙法違反だから選挙中は政治タグ自粛しようぜ」的な空気があったらししい。ので、実際の政治絵の数はもっと多いと思われる。
・漫画とか連作ネタとか投稿者かぶるとか気にせずガンガン数にいれてる
・「政治」タグでも国内政治と関係ない絵は除外。ティモチェンコとか。
・総投稿数142枚
88枚
♂-14
♀-25
不明-49(うち二、三十枚が同一人物の投稿)
15~19- 7
20~24- 6
25~29- 3
30~ - 1
・ヘタリア絵が多い。中には「ヘタリアを追ううちに民主党の闇と麻生総理の素晴らしさを知った」って人もいた。
・女性が多い。「不明」に振り分けた人たちも(多投しまくったた特定一名を覗けば)大半はガーリーでもちふわな、女性的な画風だった。
・若い人多いよねやっぱり。年齢晒してないひとでも「学生」という肩書きの人が多かった。
・なぜか中川(酒)の人気が高い。サケックマなる某ゆるクマとミックスされたキャラクターがそこいらじゅうに。
・ANAってユニット名はじめて聞いたけど麻生・中川・安倍の略?
・九月(選挙終了)を境目に、それまで片手の指にも満たなかった男性の投稿者が急増した
6枚
♂-3
♀-1
不明-2
サンプル数少なすぎてイグリジブル
(26才がひとつ)
・印象薄いし
・「民主党寄り」より、「反自民(今までの自民党政治)」の色が強かった。
・友達が派遣切られたとか、恨み節が生々しい
・よって、割と年寄り臭い。
48枚
♂-26
♀-10
不明-12
・手ブロあたりになるともっとこの傾向が偏ると聞いた。
・「ヘタリアを政治の道具に使うな!」という腐女子の声は割とデカい。
・(ヘタリアを好むような)腐女子が総右傾化してると断じるのは早計?
・むしろ、2chまとめブログあたりの影響の方を重くみるべきかなん
・複数枚投稿してる人が5,6人いた。その内、九月の選挙にあわせて作ったと思われる垢が半分。つまり、pixiv内の「政治クラスタ」は二、三名。
「生きるか死ぬかの問題なんだ!」
確かにこの季節、外の空気は乾き、地面は冷たい
家を持たず、食事も取れなければ辛かろう
そう、冒頭のこれは派遣切りにあった人が名古屋市の職員に向けた怒号である
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208999.html
本来彼らはどうすべきであったのか?
ここについて述べてみたい
さて、この切実な叫びに対してネット世論の反応は冷ややかである
「自己責任だろ」「また左翼かよ」「むしろお役所の人間がかわいそう」
一方、海外に西欧に目を向けるとイギリスのNHSやフランスの学費無料の制度などをみると
弱者に対して優しい目を持っていると言えるだろう
なぜネット世論はこれだけ冷ややかなのだろうか
普及させようと取りくむ青年たちがいる
では、何に対して冷ややかであったのか
それは彼らの政治意識に対してであると思う
嘲笑されたのは彼らの中に根付く江戸時代からのさもしい権威主義だ
どういうことか
民主主義において権利は国民に対する弁論によって得るものなのである
決して政府への批判だけによるものではない
まして金や暴力によって得るものでは決してない
我々を納得させることによって彼らは保護を勝ち取らなければならない
それが民主主義だ
「国民の皆様、私たちを守ってください 社会保障をもっと広げてください」
こう主張するべきだ
政府は我々が決めたことを行うのみである
「政府はいきあたりばったりだ」「税金払ってるんだから仕事をよこせ」
こういった類の批判は古くさもしき権威主義に他ならない
残念ながら日本の野党、圧力団体などが弁論ではなく批判しているのを見る限り
あなたたちがすべきは政府への陳情ではない
これは「いきあたりばったり」な手段といわざるを得ない
どうするべきなのか
まずは国民に支援を募れ
法制には時間がかかるそれゆえ政府による支援は制度化されるまでの
一時的なものにしかならない
それまでは我々本人たる国民に支援を求めよ
そして演説をせよ
国家財政は現在逼迫をしており増税なしには充実することはかなわない
それが民主主義だ