はてなキーワード: 家事労働とは
悪いけど何について書いているのかわからない。
うーん、わりとがんばってわかりやすく書いたつもりだったけど、まだ前提の相違があるのかな。
自分が言いたいのは、「あのイラストはPCじゃない(差別的な表象としての解釈もありうる)けど、イラストに書かれた人工知能が自由意志を持って行動していると理解すれば、差別的な表現ではないという解釈もきちんとできる」ということで、そこに対してどう反論したいのかがハッキリとは見えてこなかった。「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」「人工の女」っていうのがどういうレトリックなのかもよくわからなかったし。
こんな仮定はしてないね。ちゃんと「このイラストからはこの人工知能が自由意志を持っていると読み取れる」って書いてるんだから、もうちょっとよく読んで欲しかった。
完全に「人工の女」について語っているけど、格好だけを根拠に家事労働者ではないとは言えない。というか現にホウキ持ってるのに。
ちなみに「人工の女じゃない」ものとしてあのイラストを見ると、話はもっとシンプルになる。
すなわち、明らかに掃除に向いた設計じゃない、デザインの段階で「女のかたち」に用がある向きの欲望が大きく作用している、よって性差別的である、と。
自分は「Aだとは決定できない」と言っているのに、あなたはどうやらそれを「Aではない」と解釈しているのかな。まぁレトリックが悪いといえばそれまでか。
「人工の女」っていうレトリックがねー、とにかくわかりにくいので、そこだけ直してください!お願い!
ご冗談を。あなたはそれがホモサピエンスであろうともなかろうとも、彼女にはルンバや掃除機やクイックルでなくホウキを与え、代わりに読書に耽る自由は取り上げることに全く反対していない。
いやいや、どこからそんなの読み取ったの……。ホウキを「与える」っていうのがそもそも一方的な仮定だし、「読書に耽る自由を取り上げること」に反対したかな? よくわからない。
悪いけど何について書いているのかわからない。
「人工知能」という言葉であなたが表現しているものは、どこまでも人間や女性そのものに過ぎない。
あなたの記事の「人工知能」を「女性」に置き換えると、一昔前にフェミニズムについて書かれた文章として立派に通用してしまう。
「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」の、当然もつであろう自由意志について述べている。それ以上のものが読み取れない。
自由意志の定義を後回しにしたのがなおのこと良くない。それはある意味で人間の定義それ自体にも等しく、そこから差別性を説明することのできる重要なポイントたり得たのに、そこをぼかされたまま「人工知能に自由意志があることを前提とする」と始められても意味がない。
「自我」「知的存在」「コミュニケーション」にしても然り。これだけ定義の広い言葉をAIがらみでポンポン繰り出されても、曖昧なイメージが飛び交うばかりで何を説明されているのかさっぱりわからない。
人工知能についてどれくらいのことを知っているの? 実際にローブナー賞に挑戦している人工知能と会話したことは?
2-2の解釈を取ることについての説明は? 何を根拠に2-2なの? 妥当性、正当性、何でもいい。
まさか自分で勝手に定義不明のままおいた「人工知能には自由意志がある」という前提にだけ基づいているわけじゃないよね?
「従ってイラストの女性は自由意志に基づいて行動しており、使役されているように見えても実際は自由な行動であり、差別ではない」
よくわからない。想定されているとかされていないじゃなくて、素直に表象を読めば「ボディを持った人工知能」以外の何物でもないと思うのだけど。
人工知能に実際にボディを持たせてもあのイラストのようにはならない。
あれが「ボディを持った人工知能である」という解釈は単に記号的に付け足されている充電ケーブルが担保しているに過ぎない。
Photoshopでケーブルを消してしまえばあれは「家政婦さんの絵」だ。それくらいあの絵は「ボディを持った人工知能」にあるべき必然性を欠いている。
だからあの絵を見る側も「ボディを持った人工知能」ではなく「人工の人間(女)」として見ている。あなたのように。
そこはそういう設定じゃないと思う。そもそも設定されていないか、あるいはホモサピエンスに対して「エネルギー補給中である」ということを示すためのわかりやすい記号。メタ的には、あの絵を目にした人が一目で「人間以外の存在である」ということがわかるようにするための記号。
都合のいい解釈だことw 元ネタが掃除機で接続がケーブルなら「休憩を入れずに充電しながらでも広範囲を掃除するため」と解釈することはむしろ当然じゃないか。
一目で人間以外の存在であるとわからせるのにいい方法なんていくらでもある。人型でありながら人間とはかけ離れたデザインにした方がよっぽど一目でわかるよ。
充電表示だってもっと直球で「充電中」とどこかに表示されるようなデザインにしたっていい。
「描いた人間がそれじゃイヤだから」以外の、そうしない合理的な理由があるなら教えてもらいたい。
ここもちょっと決めつけすぎじゃないかなぁ~。明らかに掃除に向いた格好じゃない(よくわからんワンピース)以上、本業が家事労働代行とは言えないでしょう。だからといってセクサロイドとか設定をつけるのもやりすぎ。それだけ。
完全に「人工の女」について語っているけど、格好だけを根拠に家事労働者ではないとは言えない。というか現にホウキ持ってるのに。
ちなみに「人工の女じゃない」ものとしてあのイラストを見ると、話はもっとシンプルになる。
すなわち、明らかに掃除に向いた設計じゃない、デザインの段階で「女のかたち」に用がある向きの欲望が大きく作用している、よって性差別的である、と。
これもちょっと疑問だな。人間社会では人間のようにふるまうことが、人工知能にとっては適切な行動でしょう。なにしろ世界はたいていの場合、人間のすがたかたちをした生物が最大値のフィードバックを受けることができるようにできているのだから(人工環境は勿論、自然界ですら進化論を引っ張ってくればそういうふうに言うことも可能だよね)。
人工知能は生物ではない。「適切な行動」とは「生き延びるために適切な行動」の略ではなく、「パフォーマンス最大化のために適切な行動」のこと。
人間に合わせて本を視覚で読んでいては、データを一気にダウンロードして処理した場合に比較してどれだけパフォーマンスが落ちることか。
これだけ「人工の女」として人工知能を取り扱っておきながら、実在の生きた女に対してならば当然要される配慮がこのイラストの「人工の女」に対しては行われていないというところに疑問を持っていないのが一番不可解で怖気を誘う。
家事労働を行うにあたっての作業を助けるような利便性の欠如や、読書と掃除という相性の悪い動作の同時並行を描いていること自体が、「そんな配慮が要るという発想が無い」「眉目麗しければそれでいい」ことを如実にあらわしているのに、すべてを「この人工知能が自由意志でやっている」でくるみ込んでノーコメント。
「自由意志および自我を持ち相互にコミュニケーション可能な知的存在にはそれがホモサピエンスであろうとなかろうとも人権及び契約の自由が認められうる」?
ご冗談を。あなたはそれがホモサピエンスであろうともなかろうとも、彼女にはルンバや掃除機やクイックルでなくホウキを与え、代わりに読書に耽る自由は取り上げることに全く反対していない。
あまり語句的にツッコミすぎると収拾がつかなくなるので、もうしわけないがすこし整理しながらいこう。
まずは自分が仮定している基本的な命題として、「イラスト中の人工知能は自由意志を持つ」っていうのを挙げておく。
これは、「掃除中に本を読むという非合理的な(後述するがこの「非合理」には2通りの解釈が可能だ)行動を行っている」ことから明らかじゃないかな。
くわえて、この「自由意志を持つ」っていうことを根幹に据えて考えると、イラスト中の人工知能が掃除機やルンバの擬人化ではないということも明らかじゃないかな。
(もちろん悪意にとらえれば、「自由意志を持つかのように人工知能にふるまわせることで所有者が所有欲を満たしている」という解釈もできるわけだが、ここでは扱わない)
じゃあ、自由意志を持つイラスト中の人工知能が、掃除をしながら本を読んでるっていう表象からどういう解釈ができるかだが、これには2つある。
1.自由意志を持つにもかかわらず、人間の主人に(法的にか形式的にか(=フェミニズム運動が打ち倒すべき専業主婦的な立場だというわけだ)はわからない)所有され、家事労働に束縛されている。
2-1.自由意志に基づいた契約の結果として掃除をしており、くわえて本を読むという「非合理的な(=契約に反する)」行動も同時にとっている。
2-2.自由意志に基づいた自発的行動の結果として掃除をしており、くわえて本を読むという「非合理的な(=掃除をするという自発的行動に対して合目的的でない)」行動も同時にとっている。
このうち1だと問題があるというわけで、それがつまるところこのイラストがnot politicallly correctということだ。あるいは2-1は結局のところ契約者がフェティシズムを満たすために結んだ契約であり、それはそれでキモいというわけだ。しかし自分は基本的には2-2の解釈をとるし、そこには差別的な要素は含まれていない。もしくは2-1の解釈であったとしても、それがpolitically inncorrectだとは思わない。
自分とあなたの相違点として、まず「人間の自由意志と人工知能の自由意志は等価かそうでないか」という点があると思う。
あと、自分は自由意志および自我を持ち相互にコミュニケーション可能な知的存在にはそれがホモサピエンスであろうとなかろうとも人権及び契約の自由が認められうると思うけど、あなたはそうじゃないかも。
この点はもうちょっと深く聞きたい。
続けよう。
>この人物はボディを持った人工知能として描かれているが、想定されているのは「ボディを持った人工知能」ではない
よくわからない。想定されているとかされていないじゃなくて、素直に表象を読めば「ボディを持った人工知能」以外の何物でもないと思うのだけど。
>充電「ケーブル」なのは充電中でも広範囲に動いて掃除するためでしょ?
そこはそういう設定じゃないと思う。そもそも設定されていないか、あるいはホモサピエンスに対して「エネルギー補給中である」ということを示すためのわかりやすい記号。メタ的には、あの絵を目にした人が一目で「人間以外の存在である」ということがわかるようにするための記号。
>本業はお掃除で、それも自分の持ち物でない(であろう)書斎のお掃除。つまり本来の書斎の主である人間の家事労働代用。
ここもちょっと決めつけすぎじゃないかなぁ~。明らかに掃除に向いた格好じゃない(よくわからんワンピース)以上、本業が家事労働代行とは言えないでしょう。だからといってセクサロイドとか設定をつけるのもやりすぎ。それだけ。
>人間とは根本的に異質な情報処理を行い、また人間のように振る舞う事自体が彼ら自身にとっても適切な行動たりえない
これもちょっと疑問だな。人間社会では人間のようにふるまうことが、人工知能にとっては適切な行動でしょう。なにしろ世界はたいていの場合、人間のすがたかたちをした生物が最大値のフィードバックを受けることができるようにできているのだから(人工環境は勿論、自然界ですら進化論を引っ張ってくればそういうふうに言うことも可能だよね)。
>この二文は矛盾している。
ちょっとわかりにくい書き方しちゃったので、めんどくさいし無視してください。要は上に書いたようなことが言いたかったのです。
「掃除しながら本読むのは非効率」ってのも前提を勝手に作っている。どう考えても「掃除中に充電池の残量が足りなくなったから充電してるけど手持無沙汰だから本読んでる」って解釈のほうが普通でしょ。
先述したように「人工知能の学習は自炊して(ryの過程こそが合理的なのでそもそも本を『読む』わけがない」。電子書籍だったらどうこうという問題ですらない。情報をナマで取り扱うのはAIの得意中の得意でやらせない手は無いにも関わらず、本を『読む』こと自体がオカシイ。カメラ映像解析の方が情報処理に余計にメモリ食うしミス(視界のブレや読み間違い)も圧倒的に多くなるであろうことは想像に難くない。まして椅子に腰かけて落ち着いてゆっくりではなく、掃除しながらである。
つまり、この人物はボディを持った人工知能として描かれているが、想定されているのは「ボディを持った人工知能」ではない。
あと自分でも充電パッドとか例に挙げたからアレなんだけど、これって充電「ケーブル」なのは充電中でも広範囲に動いて掃除するためでしょ?
ちょうど人工知能(と充電池)を搭載していない、よく見かける蛇腹ホースの掃除機が、コンセントから直に電力を取りつつ広範囲を掃除できるように。
(というかぶっちゃけ、ブコメにも「ルンバの擬人化」とあったけどそうじゃなくて、これは蛇腹ホースのあの「掃除機」の美少女化なんだろうなと思うけど。深い考えもなくそれこそ「機械的」に萌え掃除機に翻訳したら炎上しちゃったみたいなアレだろと)
とにかく、読書は手持無沙汰の暇つぶしというより仕事と並行してこっそりやってる私的行為。
本業はお掃除で、それも自分の持ち物でない(であろう)書斎のお掃除。つまり本来の書斎の主である人間の家事労働代用。
その「対等」は既に単なる対等や平等を通り越して、限りなく「同一」とか「同類」に近い意味になっている。
細かく言えば、「立場として上下はない(から使役する・されるの関係が成立しない)し、互いに尊重し合わなくてはならない」というニュアンスを大いに含んでいる。
要するに「人間と対等な人工知能」ではなく「血と肉と骨で出来てはいない【人間】」として見ている。
それも「人間に達していない、人間未満である。よって人間ではない」というニュアンスではなく、「人間とは根本的に異質な情報処理を行い、また人間のように振る舞う事自体が彼ら自身にとっても適切な行動たりえない」という意味で人間の同類ではない。
ちょっと毛色の変わった同類、ではない。毛色とかでなく同類ではない。哺乳類と両生類より開きがでかい。
だから本来なら「対等な存在」として並列的に語る事すらできない。
では並列的に、いかにも人間のように描かれているあのイラストの「人物」は何者か?という話になるがそれは前記事に書いたので以下略。
「使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない」って書いてるけど、むしろ使役されてない人間だからこそ掃除しながら本読んだりするんだと思うけど。
「自分のやりたい事よりも優先させなければならない事がある」というのは、社会的に責任のある大人なら当然のことで、むしろイラスト中の人工知能が周りの人間と対等であることの傍証だよね。
この二文は矛盾している。
使役されていない人間だから自発的に掃除と読書を同時に行っているのだとしたら、それは趣味のようなもので「社会的に責任を果たしている大人の行動」には当てはまらない。逆もしかりで、社会的に責任を果たしている大人(の人間)は「優先させなければならない事」に集中するべきであるとされていて、片手間に本を読んでいたら「サボっている」と称される。
>人工知能がホウキで掃除して紙の本を読むことがどれほど高度なことなのかもわからんのか
わからなきゃ「そこまでして『従順でかわいくて世話やいてくれる都合のいい女の子』が欲しいのか…」とドン引きしたりするかw
つうかそんなに高度な事ができる人工知能が「ホウキで掃除して紙の本で読書」っていう人間のフェチに付き合わされてんの見て何も思わんのかい。
>「人間のかたちをしたものに掃除させ」たら「奴隷」。ちなみに料理ならOK。
ルンバがあるのにわざわざ人型ロボに掃除させるのは使用する人間のフェティシズムだろう。
それとどこに料理OKと書いてあるんだ。一体何を読んだんだ。いけないキノコでもやってるのか。
>何故本を読んでる事が前提なのか
ブコメが「読書をしてる=使役されるだけの(ry」と主張してたのでそれに反論してみた。
自分はそもそもサムネしか見てなかったので本に言及されるまで本を持っていた事に気づかなかった。ホウキを持っていたことにも気づかなかった。
気づいてみるとどう見ても人間の書斎をお片付けするの図にしか見えない。人工知能は目では読書しない。
>自我を持った人工知能に対して「ヒト型である必要がない」とか「性別がわかるようなのじゃなくていい」とか何様だよ
人工知能にコスプレ趣味に走るような自我があると思っているんですか。
少なくとも今現在チューリングテストに挑戦してる連中はみんな自我なんてないぞ。たぶん身体性の獲得くらいからクオリアを取り扱えるかどうかが課題になってそこで情報を統合するために自我みたいなシステムが必要になるんじゃないかなって感じはするけど。でも無くても何とかなったよみたいな話にもなるかもしんないし。
というか、自我を持った人工知能に対して「絶対ヒト型であってほしい」「かわいい女の子やってほしい」とはそれこそ何様だね。
生身の人間の女が付き合いきれなくて裸足で逃げ出すような欲望に、従順なロボットを従わせたいというその身勝手は問題じゃないのかね。
まぁいいや。
★☆ 子なし=子孫を残していない観点 ☆★
こどもがいないという観点でいえば、結婚していても同じ。家事労働しているかどうかという点を配慮しろってことなのだろうか。いまどき男子は家事もできるし、逆に家事くらいできなくて子なんかできたら共稼ぎ=いえぐちゃぐちゃの共倒れか、単独稼ぎ=経済的に共倒れになりかねない。
だが、子のありなし=種の保存でいえば、子なしの男性も同じのはず。
ダウン症についてはよく語られるが、
「50歳を超えてから父親になった男性が自閉症の孫を持つ確率は、20代前半に父親になった人たちに比べて67-79%高く、自閉症のリスクは世代を超えて蓄積し得る」
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/83fd7b4d481eba0c2c403b95106f129a
↑読みやすい対訳
なわけで、つまりだらだら結婚しないでいる男性は、自分の孫に対して無責任な行動をしているといえる。自分の子ではない分だけ、無責任にもほどがあるとすらいえる。
★☆ 仕事 ☆★
転職についても同様。50過ぎてまともな転職ができる男性っていったい日本人男性の何割だろう?
事業を起こすっていっても、それだけの信頼や体力があるのか? ってのも含めて。
大企業であれば、年功序列もまだ残っている。給料は下がらないまま定年まで行かれるかもしれない。
だが、その給料に見合う仕事をしているか、40代男性と比べてみた場合、? な人がたいていじゃないだろうか。
だとしたら給料泥棒ってことになる。大金を運ぶという意味で家庭では価値があるが、社会的には価値がない、ないというのがいいすぎなら、ぐっと落ちている。
ってなことを考えたら、子なしだから生きる価値がないというのは男女とも一緒。
しかも、離婚は結婚生活の破綻だけど、離婚しなかったからといって幸せとは限らんよな
配偶者が嫌だのうざいだの死んでほしいだの、四六時中言ってる人はリアルでもネットでもまったく珍しくない
多少多めに見積もって、半分ぐらいは共同生活の運営に失敗してるのではないか
で、考えると、「自分の意思で結婚を選択し、維持し続ける」って割と難しい行為だよな
家事やら、子育てやらを単純に「労働」とみて、生活費の配分を「利益分配」と捉えて個人としての経済的利益を大きくしようとすると
「いかに相手にやらせるか」「いかにして相手から分捕るか」って話になる
結婚だけじゃなく、あらゆる共同作業でありうる話だけど、ただ乗りしてくる奴にペナルティは必要
会社みたいに全く働かない奴はある程度排除できれば問題ないけど、結婚の場合はその時点で破綻する
だからあらかじめ、「自分の負担を最小にしよう」ではなく、「なるべく平等にコスト負担しよう」という
合意形成が必要ってのは、一見明らかな気がするけど、これって実はかなり難しい
家事等を全部半々にすればいいじゃん、という人も居るけど、どれくらい家庭の外で労働してるかは違うから
客観的に見て「これが平等な労働配分」ってのは定義しづらい。それこそ「家事労働は年収一千万」なんていう人も出てくる
そうするとどうなるかというと、交渉と駆け引きの問題になる
ゼロサムだから自分の利益主張するほど破綻につながる。だから、結婚を維持したいと思ってる側が「不利」になり、破綻してもいいかと思ってる側が「有利」という話になる
お互いの能力や結婚維持した気持ちが拮抗してればいいけど、差が出ると年収800万で小遣い1万の哀れなおっさんやらが誕生するわけだ
超単純モデルで考えると、破綻したり、一方が大損したりすることを排除できないどころか誘発するシステムとわかる
とはいえ、結婚生活終わらせるのもコストがかかるのは事実。これをでかくすれば破綻しないわな
まず社会が支払わせるコスト。裁判所は結婚の破綻の原因と認定した方に相手への賠償金払わせる上
離婚者はバツn(nは1以上の整数で離婚経験回数)という不名誉なレッテル貼られて、再婚しにくくなり、煩い親戚にゴチャゴチャ言われるわけだ
前者に関しては必ずしもデメリットにならんし(むしろ利益になることもあるので、これ自体が破綻リスク高めることも)
後者に関しては、バツnの人々が増えるにつれて社会圧力は弱まっていく傾向にある。今後もそうなるだろう
親権もった方は再婚しない限りシングルで育てなきゃならんし、そうじゃないほうも養育費がかかる
配偶者に何の情もなくても子供への悪影響や偏見を心配して離婚しない場合も多々ある。血縁関係は結婚と違って解消できないしね
しかしこのコストも将来的には減少していくのではないかと思われる
子供への偏見に関しては絶対数の増大にともなって漸減するだろうし、社会福祉も(どうなるかは確定ではないが)長期スパンでみれば拡大するだろう
欧州の国をみならって結婚制度改革!事実婚の権利増進!なんて流れもあるし、すくなくとも今後50年は離婚しやすい方向に進むだろう
なんかどこかで聞いたような話を書いてきたけど
的に一部ブコメ民に総括されそうな気がする。だが、そういう「理想的な結婚」はますます減っていくのではないかと思う
なぜなら、そういう価値観を持った人間は「不利」だからである。
「互いを尊重」するには前提として相手に尊重してもらうことが必要だ。離婚に抵抗がなく、自分の利益を求める人間はますます増えていくであろうから
そのような理想的な相手とマッチングするのは難しい。仮にうまくいっても、その子供が同じ価値観をもって結婚に臨むとまた同じ難しさがある
こうして考えると、そういう理想をもった人間は淘汰されやすく、「自分の利益が大事。場合によっては即離婚オッケー」派がどんどん増えていく結果となる
ますます「互いを尊重する」結婚は難しく高コストになり、そういった価値観を持つ人間はそもそも結婚をしようとすらしなくなる
こういった流れになるのではないか
こういう予測のもと、どういった制度変更が可能なのか妄想してみる
そもそも結婚維持なんていらんかったんや。子供うまれりゃオッケーオッケー。独身者にもその分課税な
人間の性欲はなくならないし、破綻コスト下げまくれば参入者は増える。
実は現実的かも。北欧モデル的?いったん定着すればまず後戻りはしない・できないだろう
発想は前時代的だが、なぜかSFチック。まあ今世紀中にはないと思うが
去年ネットの預言者がこういってた。なんでも2012年末にアセンションがくるようですな
あれ?今年って西暦何年だっけか?
ありそう。人口減少への道のような気がしなくもないが、別にそうなると決まったわけじゃなし
というか人口減少してるのって恋愛してない若者と、キモオタの増加のせいだよね。人類から活力を奪う風俗店とアニメとエロゲを規制しすれば解決!そもそも日本人たるもの国力増強のため(略
いやいや、本当にわからない人だね。社会構造の話を用いて、価値観を語るのはおかしいのだと言ってるのですが。
ホモソーシャルは社会学的な説明で、「◯◯観」は個人的なものの見方ですよ。社会学用語を持ちだして、男女の恋愛観を語るなんて矛盾してるんですよ。
言葉も取り違えているし、性的な話を持ってきて、都合の良いところだけジェンダーを持ってくる。ジェンダーとセクシャルの話がごっちゃになっているんです。
外からの説明を(間違った形で)都合よく用いて、内側からの話をしているんです。
海流に流されている魚を見て「あの魚はいい加減な品種だからフラフラしているんだ」と決めつけているようなものです。
これは生物学で散々言い尽くされてるじゃないですか。種の保存のためだと。
そして、女性がヤリチンに惹かれる理由も「より強い遺伝子を残すため」だと言われてるじゃないですか。
先ほど「恋愛は近代化の産物」だと書きましたが、性愛はあまりにも個人的で生物的な話になります。
脳科学でも、恋愛は生存のためにホルモンうんぬんの話をしていましたよ。
「同性愛的だから、女性に恋愛感情を抱かない」と言いたいのでしょうが、ホモという言葉に惑わされすぎです。
ホモソーシャルはジェンダー論で出てくる言葉なんです。ジェンダー論はそもそも、男女の性愛を語るものではありません。社会的・文化的な性の在り方を語るものです。
ホモソーシャルの概念は、女性に家事労働を担わせ、男性だけで社会を構成してきたことを説明しています。
社会的であることをホモフォビアで説明し、女性を社会の一員と見なさなかったことをミソジニーとしています。
「同性愛に走らないため」「だから女性を愛さない」ではありません。昨日の説明を何度も読み返してみてください。
ただし男性の「モテ」に関しては、ホモソーシャルを用いても説明できる。
ホモソーシャルでは男性どうしの評価を重要視しています。男性にとって、人望は権力になりうる外部評価です。
「男性は男性を意識する」と言うのは、ゲイ的な意味ではなく「男性の相互評価」を表しています。
ヤリチンを説明するとしても「支配構造の中で優位に立つために」「女性を付属品として見なす」という話になりますが、権化のためであり「同性愛回避」ではありません。
残っていますよ。男性支配構造はまだまだ残っています。日本の象徴がそうですし、政治家の大半も企業の上層部の大半もそうです。
「シングルマザーが増えている、働く女性が増えている」とおっしゃりたいのでしょうが、家父長制は、広い意味で「男性による支配構造」を言い表します。
よって「家父長制が昔ほど存在しない現在の社会でホモソーシャルが存在するのはなぜなのでしょうか?」というのは
「頭の頭痛が痛いのはなぜでしょうか?」と言っているようにしか聞こえない質問です。
http://anond.hatelabo.jp/20130328225320
つまり健康で働けるのであれば生活保護的な意味合いのある配偶者控除ではなく賃金労働に参加するように社会をデザインすれば良いと思う。この辺がアンマッチな感じがするのよね。
妻が「賃金労働に参加」するとしても、誰かが家事労働をしなきゃいけない
じゃあ誰がやるか?
主婦でしょ!
または、お手伝いさんでしょ!
・・・ということで、家事をアウトソースした場合と主婦がやる場合とを比較してみよう ※1
・夫の基礎控除38万円+夫の配偶者控除38万円+妻の基礎控除38万円=合計114万円
・妻が103万円で受注してもよいが、夫(と妻)が妻に払うだけなのでプラマイゼロ
・お手伝いさんを103万円で雇うと世帯所得が103万円減る(家事労働の外注は経費にならないので完全に持ち出し)※2
・控除が38万円多いので、ざっくり税率20%で計算すると38万円×20%=7.6万円税金が少なくてすむ
7.6万円+103万円で110.6万お得です!
え?
お手伝いさんとか雇えない?
まあそうですよね
・妻もほぼフルタイムで働いてて大変だけど、家事は妻がほとんど全部やる
・お手伝いさんなんか雇えません
収入も少ないし、控除も少ないし、妻は仕事と家事でヘトヘトだし、夫も(稼ぎは少ないけど)残業で疲れてるし、
妻が妊娠して仕事やめたら生活はけっこうカツカツになるし、一番大変なのはこのパターンですね
http://anond.hatelabo.jp/20130328124313
レスども。
そういえば成立理由とか知らないな、と思って調べてみたのですが
所得控除の今日的意義(目次) 下の方にPDFへのリンクがある。
http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/48/tanaka/mokuji.htm
ざっと見たところだけど配偶者控除の役割、成立理由としてはp89の
配偶者控除は、昭和36年に家事労働による貢献度、共稼ぎ世帯や事業所得者とのバランスを考慮して創設されたものである。したがって、一見すると担税力の減殺要因という要素で創設されたものでないように見えるが、沿革的には扶養控除に含まれていたものを、その存在を明らかにするために創設されたものであると理解できる。
つまり、配偶者にも当然に生活をするための費用は必要なのであるから、そこには担税力の減殺要因があるといえ、配偶者の最低生活費を課税対象から除外するための配偶者控除は必要であるということになる
ここからは私個人の考えなんだけども、上記の理由で成立しているとすると配偶者控除は生活保護的な意味合いがあると思う。
(上記PDF p70にも控除額としては、人的控除は生活保護基準に見合ったものとするとこが合理的な水準、という見解がある)
私が違和感があるのが、専業主婦が多かった時代であればこれはマッチした制度だったと思う。女性は家庭内の業務に追われ賃金労働がなかなかできなかった時代ならね。
世の中一般的に、嫁さんも扶養者とみなすことができる。
今はそうか?と考えるとそうではないよね。 少なくとも政府観点では男女共同参画的な観点から、女性の積極的な雇用を推進している。
「女性を積極的に働かせたい」というのであれば、配偶者控除をなくして、
つまり健康で働けるのであれば生活保護的な意味合いのある配偶者控除ではなく賃金労働に参加するように社会をデザインすれば良いと思う。この辺がアンマッチな感じがするのよね。
また他増田も指摘しているが単純に健康かつ子供をつくるつもりがない専業主婦はフリーライダーとして見なして良くね?
そこの部分の労働力を賃金労働力に向けるか、出産育児等に向けるかというのはありだと思うけどね。
という訳で私は扶養者控除を上げろよ(あるいは子供手当ての増額)という意見には賛成なのよね。
どういう理由で?
この辺の理由で http://diamond.jp/articles/-/19318
女性は年収130万円くらいで働き方を変えてしまう(個人的にはこれ合理的か?という疑問もあるが)、税制がそういうバイアスってかけるべきかね?
君が言ってるのは「配偶者控除も扶養者控除も基礎控除も本質的には同じだ」ということで、
それは「なぜ配偶者控除が扶養者控除とは別個に存在しているのか?」という疑問の答えにはなっていないのでは?
「個人企業と法人企業との間の負担のバランスの問題で(中略)白色申告者に新たに専従者控除を認めるとともに青色申告者の専従者控除の限度額を引き上げるべきものと認めた。」
「専従者控除の拡充は、その税制上の根拠はともかくとして、結果的には事業所得者に対する特殊の減税を意味し、また、家族が事業に従事する場合の労働報酬を控除することを認める場合には、企業と家計における家族の労働との関係が微妙な問題となり、ことに主婦の家事労働をどうみるかが大きな問題となる。」
これは要するに、事業所得者世帯(自営業者世帯)と給与所得者世帯(サラリーマン世帯)のバランスを考慮する上で、
自営業者世帯における「家族が事業に従事する場合の労働」とサラリーマン世帯における「主婦の家事労働」を同等にみなすということ
自営業者世帯の専従者控除との公平性を保つために、サラリーマン世帯に配偶者控除が導入されたということだから、
つまり「主婦の家事労働」の価値を国が認めたことが配偶者控除が導入された理由の一つだということではないの?
「単なる扶養親族ではなく、家事、子女の養育等家庭の中心となって夫が心おきなく勤労にいそしめるための働きをしており、その意味で夫の所得の稼得に大きな貢献をしている」
戦時下において女性の労働力よりも出生の増加が重要視されたから
不勉強で居直る馬鹿達より随分マシなのでまともな人間として扱う。
ようやく妻は夫に「扶養」される存在ではなく対等なパートナーになった
(税法上は)
君は控除の意味をわかっていない。
なんじゃそれは。
じゃあ扶養控除はなんなんだ?
障害者控除や老親控除ってのはなんなんだ?
これらは全員働いてない。
国に何かを認めていただいて控除を与えられるっていうなら
こいつらは一体何を認められて控除を受けてるんだ?
もっと言えば、
そもそも基礎控除ってのはどういう意味で付与されてただろうか?
更に言っておけば
家事を一切しないで遊ぶだけの配偶者についても配偶者控除は受けられるし、
欝で寝込んでる配偶者についても同様。
家事労働してるかしてないかが配偶者控除の要件とされたことなんかない。
…
君はちゃんと勉強した人じゃないだろうけど自分で調べる意志と能力がある。
調べたけど調べ方が足りなかったので、材料不足の部分を勝手な推測で埋めて間違えただけ。
今出したヒントに基づいて調べれば君ならすぐ正しい答えがわかる。
偏愛の対象のキャラを男でも「嫁」って呼ぶって、自由なようで不自由なような変な感じ
なのに既存のスタイルから外れた夫婦を男が嫁で女が婿って言う必要はあるのかな
偏愛の対象のキャラを男でも「嫁」って呼ぶって、自由なようで不自由なような変な感じ
なのに既存のスタイルから外れた夫婦を男が嫁で女が婿って言う必要はあるのかな
http://anond.hatelabo.jp/20121219001837
大学の方のURLが切れてましたね。すみませんね。下記のURLはどうですかね。
www.iser.osaka-u.ac.jp/library/dp/2005/DP0630.pdf
逆に『専業主婦は不幸だ』という日本人女性の統計データがあればURLが欲しいです。
あとこの記事の結論に
家事労働は労働ではないのか、という議論もあるだろうし、心理学的、社会学的には、女性が家事労働以外に職を持つことの有意義性は、実証されてきたからである。英米に限れば、女性のほうが男性よりも仕事への満足感が高いという報告もされており、有職主婦の幸福度の低さは、仕事そのもののストレスではなく、仕事も家事も育児も、「あれもこれも」背負ってしまわざるを得ない状況へのストレスなのではないか、という気もしてくる。
いや、無視している訳では無いんですが、そこは「という気もしてくる。」っていう記事の作者の気持ちなんじゃないかね。
あと「主観的な幸福度調査なんてアテにならないよ」という反論もありだとは思う。
ただそういってしまうと割と多くの主張が意味が無いことになる。たとえば女性が「女性は不幸だ」と主張してもそれは主観的な考えで(ry
そして結果論を言っていいんなら、むしろ事実元増田に対する牽制として機能していないと言えるんだけど。
元増田は彼氏の意図を「結婚したいけど面倒事は押し付けるつもり?」と推測していてそれに戸惑っているだけで、「この人とは結婚できない」とか「この人には結婚の意志がない」と思うには至っていないし。
「そういう女」って?
「家事のために仕事をやめる女ではない」ということは理解できていただろうけど、「仕事と家事なんて両立可能だから俺がやる必要はない」と考えてるのかもしれない。
「俺のやることじゃない」という発言からしても、家事労働をナメてる節がある。一方的に相手に負わせても平気だと思ってるだけかもしれない。
働けるのに働いてない専業主婦年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え年金払え。お前達は勤労者の敵。
yellowbell
とコメントして25スターをゲットし、該当ブクマで人気ナンバーワンになっていらっしゃるようですが、専業主婦に給与という考え方がよくわかりません。
たとえば、給与を支払うということは、夫と妻の間に雇用契約を結び、相応の賃金を支払う、ということでよろしいでしょうか。
であるならば、その家事労働に対して賃金を定める必要がありますよね。あと、当然ですが一日あたり8時間、週あたり40時間を超過することは労働基準法に違反するところとなり、あなたがたが帰ってきてからご飯を用意するとかいうことはサービス残業と見做されてしまうかもしれませんがよろしいでしょうか。残業代は支払っていただけるのでしょうか。まあ、鈴木さんが家に帰るやいなや「おい、風呂」とか言うような人ではないとは多くのブコメから存じています。
また、当然夫と妻が雇用関係にある以上、妻が給与の向上を求めることは当然の権利であるわけですが、鈴木さんの懐、年収はその要求に応えられるだけの額があるのでしょうか。当然給与だけに限らず福利厚生もしっかりしていないといけないと思います。当然有休も一年あたり10日ぐらいは用意していらっしゃることと思います。
しかし、そういうことではなく、鈴木さんがおっしゃるところの「給与」が単なる労いの比喩としてしか用いられていないのであれば、それはあなたがたの忌み嫌う「やりがい搾取」というブラック企業の手口そのものではないでしょうか。
いずれにしたところでそのようなブコメを遺した事自体が間違いであり、それを補強する取り巻きの残念さが露呈されたわけですから、このブコメについて本人あるいはその取り巻きの考え方を伺いたいところです。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121105-OYT1T00715.htm
oakrw
真剣に怒りを感じてるらしいところ悪いけど、
この手の人達は単に配偶者控除の意味をわかってないとしか思えない。
まず、基本的な人権の問題として、
「最低限の生活費に課税しちゃいけませんよ」っていう話がある。
これを当局は38万円としている。(今時の1年の生活費としてはすんごく安いけど今は置いておこうね。)
で、この38万円×頭数って言うのは
マイナスの人頭税とか人頭控除とでも言えばわかりやすいだろうか。
これを踏まえた実際的な例として
「保険とか入ってなくて家族も居ない超シンプルな独身のサラリーマン」の所得税を計算してみよう。
年収400万円のA君は収入からまず給与所得控除ってのを134万円引き、次に基礎控除ってのを38万円引く。
よね?
自分で申告しない人でもボンヤリとは知ってるでしょう。
この給与所得控除っていうのが「勤め人をやるにあたりかかる費用(超ドンブリ計算額)」であり、
基礎控除っていうのが、金額でわかったかもしれないけど前述の「人一人が生きていくための最低限の生活費」です。
これは単なる奥さんの最低限の生活費です。
更にA君がはてなアイドル(33歳)で禁治産者の兄、という人も扶養していたら更に38万円控除されます。
基礎控除だの配偶者控除だの老親控除だの色んな名前の付く38万円控除は要するに
「その収入で食ってる頭数×38万円は生存権に配慮して課税できないね by国税当局」っていうことです。
oakrw氏達が勘違いしてるような、
家事や介護や育児に対する功労金、ではありません。全く違う意味のものです。
だから扶養親族が主婦ではなく就学年齢児童やニートでも同じ38万円控除でしょ。
(ちなみに小さい子供の控除は民主党のおかげでなくなりましたが。酷い話だ。)
A君1人の収入400万円からA君と奥さん2人分の生活費76万円が控除されています。
別々に(合計76万円)控除されています。
(むしろ奥さんの給与所得控除のぶんBさん世帯の方が控除多いよね。これもすごく雑な比較だけど。)
妻の社会進出を阻んでるなんてこともない。
彼と私のこと
・彼は忙しい、私は暇
・一緒に暮らし始めて数か月、私が一緒に暮らしたかったからそうなったのだと思う
・家事は8割方私がしている
・生活費は折半
・彼は家にいれば家事に積極的な方
・お互いに大学生
私の母親のこと
・努力家
私のこと
・初めての恋人
・家事は好き
彼が忙しくて泣いた。
・構ってほしい
・用事の方が私より大切なようで癪に障る
・イベントの度に水を差される
・いつも彼の予定に合わせなければいけない
・私ばかりが家事を負担して、彼のいない時間に彼のことを考えて、彼のために動いている
・私が忙しくて彼が暇なときにも、私がしてきたのと同じことをしてもらえるわけではなくて、してほしいわけでもないけれど、がっかり
自分が嫌になる
・「してくれ」と言われたわけじゃないのに「彼のために」して、見返りを求めてしまう
・そういうところが母に似ている。ある種の男尊女卑?古い体制が身に染みついていて、それは嫌いだと思ってきたもの
・泣く。気持ちの浮き沈みが激しい
・要求がないのに不満を抱く
・彼とのセックスに不満がある
一緒にいてほしい。家事を半分してほしい。私のことを好きでいてほしい。求めてほしい。
私は母を尊敬しているけれど、自分の意識しないところでどんどん母に似ていくのは嫌だ。怖い。母のようになりたくないと思うところもある。
たとえば、私は週に5日夕飯を作る。メニューを考えて買い出しに行って作って、洗えるものは洗って彼の帰りを待つ。一緒に食事をとって、ごろごろする。彼と付き合い始めるまで夕飯をとる習慣はなかったのに。ダイエット中なのに。でも食べる。食べろと言われたわけではないのに。それはそれで幸せだけれど、ときどき嫌になる。私が出かけて彼が家にいた5日間、最初の2日は夕飯を作ってくれて、あとの3日目は私が友人と外食、最後の2日は自分で作って食べた。後で言ったら「だって夕飯いらないかなと思って。だからアイスとか買っておいたのに…」と。確かにと思って申し訳なくなったけれど、じゃあなんで毎日ご飯作らせてるの?私、要らないのに。
彼が忙しいのは悪いことじゃない。むしろ推奨されるべき生活態度かもしれなくて、一緒に暮らしたがったのは私だ。だから家事を私が負担すべきということになるかどうかはともかく、彼がそうしろと要求したわけではないのだから、彼に非はない。ないけれど、こんな主婦みたいな生活、彼の多忙が私に利することはないのにとも思う。彼の多忙が仕事であったなら内助の功と認められるような家事労働を、構造的にだって、私がしなきゃ立ちゆかない。……立ちゆかないわけではないところもある。カレーやうどんで夕飯を済ませてもいいんだし、彼が作る夕飯はそんな感じだし。それでいいと彼も言った。勝手に一汁三菜をと思う私に問題があると思う。それで不満を抱くとか人にも求めるとか馬鹿みたいだ。でも、カレー一品で済ませられない。母がいつもサラダを用意してくれていたからだと思う。サラダとなにがしかのおかずとお茶とデザートと。そこまでなかったかもしれないけれど、なんだかいろいろあったような記憶。4人家族だったからかな。
もう、ばかばかしい。
つまりなにが嫌なのかわからない。なにか嫌で、でも別れたくなくて、我慢するしかないという結論なのだと思う。彼は悪くない。悪くないのに昨日もアイスを買ってきてくれた。
私も悪くない。泣くのは私の自由だ。なにも要求していない。うちなる願望くらいいいじゃないね。
でもやっぱり、私ばかり不満を抱えて泣いて、美しくない。したいことをして帰ってきたら料理ができていて悠然と構えていられる彼が羨ましい。アイスひとつがなんだっていうんだ?何百時間を彼のための家事に費やしたと思っているんだろう。……そんなことを考えている私は惨めだ。惨めな気持ちになるから嫌だ。母を連想する。耐えて耐えて尽くして尽くして不平をこぼせば怒られて育って、やがてもうけた娘には蔑まれる。「お母さんはいつもお父さんの言いなりになって」「なんで文句言わないのよ!」どうしたらいいんだろう。母に相談したいけれど、きっと返ってくる言葉に苛立つ。どうしたらいいんだろう。尽くすと、不満が生まれて、それを腹に溜めて、増幅させてしまう。でも尽くさずにいられない。いつか不満を口に出してしまって、私だけが汚れて行く。彼はなにも悪くないままで、ずるい。
一緒に暮らすのをやめたらいいと思うんだけどね。そうしたら、どうなるんだろう。