はてなキーワード: 妄言とは
たぶん外部からのお客さんだろうけどもう旬は過ぎてるしブクマもそんなつかねーから後追いすんな
どれだけ時間かけてんのか知らんけど
今の60代とかその60代を育てた80代も早く死ねよ
良い国、ニッポンとかいってお前ら何も残してなかったじゃねえか
真面目とかどこにいるんだよ真面目な日本人
どいつもこいつも手を抜いて楽をしたがる50代60代ばかりじゃねえか
死ねよ
死ねよ
マジで何なんだよ
お前らのいう美しい日本ってどこにあるわけ?
作ろうとしてきたの?
自然発生するとでも思ってんの?
死ねよ
保育園に入れなかったくらいでがたがた抜かして
もう全員死ねよ
お前らが死なない限り再生できないんだよ
頼むから死んでくれ
これからの若い世代がどうやったら日本に生まれて良かったと生まれる社会にできるのかを
日本人は考えなきゃいけないのに
そんなんで良くなるわけねえだろ
ハッキリ言うと今生きてる日本人で金持ちに入れなかったやつらは
全員人生終わってんだよ!
諦めろっつーの
変に気持ちの悪いメンヘラな夢抱えてるから未来のことをまともに考えられない
俺たちの人生はとっくに終わってんだよ
次の世代が楽しく生きていけるように変えていかないと駄目だろ
それを夢にしないと駄目だろ
クッセー嘘を信じてんじゃねえよ日本人は優しいとか外国人からのチヤホヤされたレポート鵜呑みにして
本当に老害だわ
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645
まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通の女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。
さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約の批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかもまとめサイトの見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲームや漫画の販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。
まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議や国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的な批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家の代弁者が集う場ではないということだ。
また定例報告会とあるように日本だけが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドやスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。
そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用や年金での男女格差など複数の議題があったものだ。
この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。
話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。
冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。
妄想は自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。
その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。
中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別な意見という感じではなく、ごく普通の感覚と言えるだろう。
しかしこのような普通の感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。
憲法で保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件でわいせつの定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由の大前提にある。
近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。
定義そのものは変わらないが社会の変化とともにわいせつの要件に合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人にしろ悪徳の栄えにしろ現在は文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。
怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現は規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快だからという理由で規制してしまうことは表現のみならずあらゆるものを違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。
先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法な出版物として流通そのものを禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。
現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現そのものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政も出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。
コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近もコンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社や広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体が不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物そのものを禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトでしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体が存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会の見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分の不快なものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?
そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。
筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人は矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別や亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。
特にこれは性的嗜好という、教育的思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。
いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格を倫理的かつ道徳的に操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者の人格を一方的に精神疾患と判定するという独善的な思想を治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。
現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。
まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者に適用されないことが問題視されているように男性の女性からの性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性の性的被害より深刻である。さらに女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査で女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身は陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。
このことから
や
などの言葉に一切重みを感じられない。
筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲームの表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見も自身の嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」
を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である。
まず第一の
被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者の定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者だから作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職が大統領だから実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装も人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。
第二に
は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性の定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。
第三に
これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者の定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的な判断でなくてはならない。
仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるものが規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性を性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのものが性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性は純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性が現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。
そうやって限りない規制を繰り返しついに女性を性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さらに不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのである。たかが創作表現で描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。
人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。
程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近も児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準は法律に存在しないということだ。
最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。
筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たかが創作物というものに負の感情を根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?
自身が自由でありたいと思うのならば、他者の自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身の負の感情を理由とする個人的要求を、同様の理由で合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。
世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。
しかしコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。 Permalink | 記事への反応(3) | 09:02
この手の妄言を真顔で言っている人の口に戸が立っていなくて言い放題なのに、随分とピンポイントで抹消されてるもんですねぇ…と。
この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本で人権委員を設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。
この法案が出た当時、表現の自由の観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準が不透明であり、実質的な言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。
当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。
人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。
そして、その反対運動は、最近の言葉で言えば「カジュアルな差別」とともに行われた。
「実質的な言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日や利権を持っているマイノリティだけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本の言論を支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。
当時、世界各地で、人権委員の設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省のHPに掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリック・ブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。
だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員の活動や議論を調べ、紹介するような者はいなかった。
結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案の反対運動とは、「『他人の自由や尊厳を侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来の表現の自由ではなく「カジュアルな差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。
別段、驚くべきことでは無い。
YAHOOでホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。
中国人は王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位で人口が増減し、現在の漢民族は漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。
当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍の問題行為はすべて中国と朝鮮のでっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報を鵜呑みにしない人」の条件だった。
保障された権利を行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイスの民間防衛を引用しながら中国のスパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権の保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国の迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。
現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPのほとんどは消滅している。
だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板に書き込みをしていたヘビーユーザーは氷山の一角で、その何倍ものROM専の人間が、上記、カジュアルな差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。
やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報の更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題の入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。
挙句、何の根拠も無く「日本は外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人の正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチとほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。
ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史は倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。
そして現在、twitter、togetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言を投稿し続けている。
だが、忘れてはならない。
彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫や講談社学術文庫の中国の歴史を読むこともせず、
あるいは、出版されている本を読み、自分が攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、
そのくせ、井沢元彦「逆説の日本史」や小林よしのり「戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分のHPで全世界に発信してきた私たちだ。
入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥な私たちだ。
私たちの馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。
かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。
だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。
http://megalodon.jp/2013-0406-1941-33/anond.hatelabo.jp/20121209083635
彼女ができなくて…と嘆くのならば、hashigotanを派遣してあげましょう。きっと彼女なら青二才の他人のプライベートを安易に暴露する口の軽さにめげず、逆に青二才の下半身事情まで赤裸々に綴ってくれることでしょう。
そうすれば自意識と体重の肥大にかけては誰にも負けないドブ野郎はすくすくと育ち、絶対的な自身への信頼感、他者の妄言などには一切耳を貸さない強い意志、豊富な知識と実戦で磨き上げた商売感覚を併せ持つはてな最強のFXトレーダーになるでしょう。
5年前にはしごたんと青二才が一緒になると予言していた増田すげえな。青二才も回り道をしてついに行き着くべきところにたどり着いたと見るべきか。
・フェミニストがオタクを憎むのは恋愛市場のズルやダンピングだと思われてるから - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/897474
内容に関しては是々非々あるだろうし、本題とも関係ないのでおいておく。
ただ、少し気になる点があるので書いておくことにした。
ブックマークコメントやtoggterのコメントも見ていくつか感じたことがある。
この意見に賛成する人もしない人もいるのだが両者間に存在する溝があまりにもでかくなりすぎているように感じる。
ブコメを見ればわかるが一理ある。という人と見るにも値しない。というように賛成反対派でもはやコミュニケーションをとることが不可能なほどに断絶してしまっている。
賛成派はtoggterで主張されている内容を細かい部分では違うのではないかとしつつも理解できているように見える。
対して反対派がもはや主張の内容を理解すらできていない状態になりつつあるということだ。
「妄言である」とか、「理解できない」とか、「ああの人ね」とか。
これはもはやこの手の問題を解決することが不可能なのではないかと思わされてしまう。
なぜここまでこじれてしまったんだ。
しかしtm2501他の件については信用出来ない語りしかしないイメージだがさすがにフリーゲームについてはいい加減なこと言わないだろうと思ってるんで、参考にしたい。
ほんとにお前らはてな村()はこいつにでろでろに甘いことしか言わねーんだな。
別にこいつがフリゲが好きだってこと自体は否定しないが、ただ単なる一プレイヤーで何の知見も持ってないわ。
言うことといったら、的外れか、今更それに言及するのかよ周回遅れすぎる、のどっちかでしかない。
大体、元々こいつ「フリゲ流行ってるみたいだしいっちょ噛みすりゃ単著()出せんじゃねーの」ぐらいの下心丸出しだったじゃねーか。
フリゲ界隈にはまともに文章を書ける奴がいないとか抜かしてたんだぞ。
もちろんそんなんで相手にされるはずもなく、現時点でもはてな外ではまったく知られていないけどな。
つーか週一程度でたらたら感想書いてる程度で何で注目されると思うのやら。
まじで取り組みたいなら、閉鎖されたサニガレベルで情報集めたり発信したりしてみろよ。
大体な、流行ってんのはフリゲじゃなくてニコニコ実況でしかないんだよ。
最初っから見誤って勘違いの方向に舵取りしてる奴の何を参考にするってんだ。あほか。
それはともかく、今回の妄言につっこむと、こいつの言ってる「ゲーム製作者」は第一回のニコニコ自作ゲームフェスからの常連。
で、元々はRPG寄りの作品を造ってたけど、最新のコンテストではホラゲADV感動ものという、ピンポイントな方向に舵取りしてきた。で、結果をもって仕事もらった訳だ。
つまり、作者の意図としては、この現状を目指してたってことだよ。
そこに文句つけるってのは、どんだけお客様だよとしか言い様がない。作者に己の思う「フリーゲーム」像を押しつけておいて、自分は消費者気取りは醜いわ。自分の思う「フリーゲームプレイヤー」しとけよ。尖ったもんなんて死ぬほど出てるわ。
あと「面白くなくなった」じゃなくて「飽きてきた」の。
ではなぜ「男ってバカ」という意見が出てくるのか。要因は3つある。
まず1つ目は「誤解」だ。男はいい年して漫画を読んでいるから幼稚、を例にしよう。
たしかに昔の漫画は子供だましで上質な大人が読むには相応しくないものばかりだ。
ただ最近の漫画はそうではない。あのジャンプですらPCに対する配慮がすごい(ワンピースは除く)
ゆえに、漫画を読む=バカは知識の更新をしない怠惰な人間の妄言である。
次、2つ目は「確かに男の方がバカな振る舞いをする」だ。
各々が持っているぶっ殺したい奴リストを確認すれば分かるがそこに書かれている大半が男だろう。俺もそうだ。
男は平気でバカなことをして他人を不快にさせる。それはソレが許されているからだ。
男と女が同じ愚行をした場合の許容度は一致しない。だから女のほうがバカな行動が少ない。
つまり男女が平等に扱われれば同程度にバカな振る舞いをするだろう。
そして男は洋服にこだわらないから洋服にこだわる女をバカにするし、女は車にこだわる男をバカにする。
http://b.hatena.ne.jp/entry/diamond.jp/articles/-/76895
mkataigi 機械化されたら仕事しなくても良くなるからラッキー!って考え方はないのか
リンク2015/08/19
asus-sonicmaster この人たちが未来の生活保護者予備軍
リンク2015/08/19
blueboy こういう話が本当なら、労働時間はどんどん短縮していくはずなのに、現実には長時間労働のブラック職場が多すぎる。どうしてだ?
リンク2015/08/19
ninjaripaipan 仕事はロボットを定期的にメンテするだけあとは遊んで暮らせる時代来い
リンク2015/08/19
huttka 奪われるって言葉が悪いな置きかわるの方が最適。遊んで暮らせるようになる
リンク2015/08/19
機械化されることで仕事の効率化は進み、時間あたりの生産性は高くなるのは当然ですよ。そりゃそうだよ。あたりまえだよ。
でもな、その分仕事押し込んでいかないと企業は成長できないんだよ。勤務時間減らす方向には進めないんだよ。競合する相手がいるんだからさ、仕事してなくてもわかるよな?
仕事しなくてよくなる時間なんて絶対にない。4時間働いてあとはバカンスなんていう楽な仕事ほどロボットに置き換わっていく。その程度の人間の仕事はなくなる。
企業にとって人件費とは固定費であり圧縮すべきものである。だが人間には生活というものがあるから好きなだけ圧縮するわけにもいかない。
人件費含め経費は「いつ/誰が/何を/どこを/どのように/」減らすかが求められる時がある。ロボットに仕事が置き換わられるとき、圧縮される経費はどのように説明されるべきだろうか、ということだ。
遊んで暮らす金はどこから湧いてくるんですかね?仕事辞めてもお給料もらえると思ってるのかな?
仕事しなくても良くなるからラッキー!って、自虐かな?遊んだ後再就職できるの?数十年後の腐った体で?
生活保護がもらえる前提なんだ。年金ももらえる前提なんだよね?
なーんて言っちゃうんだから、おめでたいったらないよ。喜んで経費圧縮できる。不満がないんだから、にこやかに置き換わってくれるんだろうね。
ネットで検索すれば答えが得られる時代なんだから、家の蛇口ひねれば10億円湧いてくる方法でも検索して口開けてろよ邪魔だから。