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はてなキーワード: 命題とは

2015-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20150312145612

そりゃ反論として筋が悪いだろ。

1+1=2はここではコンセンサスが取られているから、「1+1=3はおかしい」という理屈は成り立つけど、

「男はおっぱいより尻のほうが好きか」という命題についてコンセンサスがあるか?

から「男はおっぱいより尻のほうが好きだ」と言われても、「そうかもしれないしそうでないかもしれない」としか言えない。

何より、1+1=?といった解答が明確な命題について、「主語が大きい」という言葉に用はない。

「間違ってるよ」で事足りる。

http://anond.hatelabo.jp/20150312141314

みんな、命題の正しさじゃなくて、論理の正しさを議論しているんだよー

http://anond.hatelabo.jp/20150312135356

から、体験から命題を導き出す過程に飛躍があるってことは、そうだろうよ。

しか大事なことは、飛躍があったって、命題が正しいか否かはわからないってことだ。

だって、「日本人金持ちである」という命題に対して

「そもそも『日本人は』という括り方が間違っている、主語が大きい」と反論するか?

主語が大きい」ってのは、命題を導き出す過程に疑問があることをもって、データその他の客観的資料提示せずに命題が間違っているかのような印象を与えるだけの言葉なんだよ。

意図するにしろ、しないにしろ

http://anond.hatelabo.jp/20150312133533

命題は「男はおっぱいよりも尻が好き」であって、「男は」とカッコ括りすることで何をいいたいのかさっぱりわからんが。

「男がor女が」なら「男は」の部分を否定するのは分からないでもないけど、命題が「おっぱいor尻」なら、おっぱいか尻のどちらかを否定することになるだろ、この場合


ああ、もしかして、サンプル数が足りないことをもって命題否定できると思ってるのか?


これについては、

「俺の周りの日本人金持ちばかりだ。日本人金持ちだ。」

「俺の周りの日本人貧乏人ばかりだ。日本人貧乏人だ。」

も、少ないサンプルの中から命題を取り出している点は一緒だけど、客観的に見れば上のほうが正しい。

サンプルのとりかた等が間違っていても、結果的命題は正しいこともあるし、間違っていることもある。

主語が大きい」は主張の内容に疑義を唱えてはいても、まず論破まではできんのよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150312131919

「男は実は尻好き」という命題否定することはできない

ここでは「尻好き」ではなく「男は」を否定しているんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150312130417

その「主語が大きい」は批判として筋がおかしい。

その批判を成立させようと思ったら、「男は尻よりも乳のほうが好き」というコンセンサスが取られていないといけないが、

俺の知る限り、男は尻も乳も好きだ。優劣は主観であり個人差が大きい。

こういった場合は、「サンプル数n=1」といった形の批判が順当だろう。

だが、これで「主語が大きい」と言ったところで、「男は実は尻好き」という命題否定することはできないので、論破にはならないわけだ。

結局これだけでは、男はおっぱいが好きなのか尻が好きなのかははっきりしないから

http://anond.hatelabo.jp/20150312122838

主語が大きい」くらいの大雑把な主張に対して、言わずもがなのBというのは見たことがないな。

普通データその他客観的資料をもってこないと否定できないところだからな。

主語が大きい」と指摘したときに、何が「言わずもがな」になっているのか、一例でいいから言ってみてよ。


追記

ああ、「日本人貧乏である」という主張なら「主語が大きい」で事足りるかもな。

日本世界の中でも裕福なほうの国であるというコンセンサスがあるからな。

まあ、そういう場合普通は「貧乏じゃねーよ」みたいに命題のもの否定するのが普通であって

主語が大きい」という言葉を使うことはほぼ考えられないが。

http://anond.hatelabo.jp/20150312105736

反論も何もないよ。「主語が大きい」という指摘は、文字通り「主語が大きい」だけのことなんだから

それだけでは何の否定にもなっていない。

たとえば「日本人は…」という主張は、確かに主語が大きい

でもそれに対して「主語が大きい」と言ったところで、そうですね、主語は大きいですね、という反応しか返せない。

主語が大きい」を否定として使いたいなら、その主語サイズだと、どういうロジック命題否定されるのかを説明しなくてはいけないし、

そここそが批判否定の内容たる部分でしょう。

「なぜ間違っているのか」という一番肝心な点を言わず反論を求めるだなんて、相手にエスパーにでもなれと言っているのと同義ですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20150312094033

主語の大きい主張は、常識的な処理として、その主語サイズに合わせて一般論として処理されるケースが多いため、

(たとえば、「日本人金持ちである」という主張は概ねその主語サイズから一般論として処理されるので、「日本人でありかつ貧乏人」という例外提示したとしても命題否定されない)

その文中に「すべての○○」と書かれている等、例外存在しないことを前提とした主張でない限り、

主語が大きい」という指摘が用をなすことは、まずない。


おおよそ「主語が大きい」という主張で論破したつもりになっている人は、ただの気のせいだと思ったほうがいい。

(「主語が大きい」に比べれば、ブーメランのほうがはるか有用な指摘だ)

2015-03-03

世界 2015-03-03

↑new

対象を具体的に構成することによって証明可能ならば, 存在しないと仮定して云々ではなく, 実際に構成したほうがよい」あるいは「(最狭義の)背理法なしでいけるならそうすべきだ」(これらは別の主張である)という主張なら意味は通りますが. もっともこの種の議論教育云々に属すので.

彼の意味の非背理法証明古典論理に従う通常の証明であり構成証明直観主義的な証明などとは異なる. だから直観主義型理論証明からrealizerとしてプログラム正当性証明抽出する話とか, 直観主義論理存在具体化性なんかの話とは全く関係がない.

機械的に書き換え可能なら情報量は変わらないのでは」という簡単な突っ込みもできる. 幾らかの人達は「とはい計算数学なんかでは背理法に依らない証明を考えるのは意味があるのでは」といったことを述べているが

件の著書の内容紹介に【「背理法による証明」を、格段に情報量の多い「背理法によらない証明」に機械的に書き換えることができる】とある. これは, 彼の意味背理法による/よらない証明と, 古典論理/非古典論理による証明, または非構成的/構成証明, との対比を混同している.

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「LKもcut-free LKも非背理法的ということではないのか. そうだとするとカット除去定理背理法除去とは無関係ではないのか.」

他方で彼の著書では竹内・八杉『証明論入門』を引用してカット除去定理背理法除去を一般化した定理だとも主張している. ここでひとつ反論ができるとすれば「sequent calc.も非背理法的な証明体系ではないか. 証明に現れるsequentは全てvalidではないか.」

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他方で彼のいう非背理法証明というのはそういう状況が起こらない証明をいう. Hilbert流の証明体系では途中にprovableなformulaしか現れないことを想像せよ. したがって彼の数学としての主張は「自然演繹とHilbert流の体系は同値. よって背理法は除去できる」

実際efqを用いた証明ではefqの適用の直前に矛盾が導かれているはずだから「途中に正しくない主張が現れる」という状況に適合している.

から彼の拒否する証明法は広義の背理法よりももう少し広いものと考えられる. 例えばex falso quodlibetがnonsenseな証明法だと捉えていることは彼のサイト記述から明らか.

正確にいうと彼のいう背理法は「否定導入と最狭義の背理法」を合わせたもの. 背理法拒否する根拠は「背理法を用いた証明では途中に正しくない主張が現れる」こと. 自然演繹証明図は途中にunprovableなformulaが現れることを想像せよ.

また「背理法を用いて証明できるなら用いないでも出来る」というのは彼の言葉定義では正しいので「直観主義論理が云々, 派生規則から暗黙に背理法が使われてる云々」は反駁にならない.

教育の話だろ」という人間には「教育論の補強に数学を濫用しているし, 数理論理学教科書まで出版している」と反駁しましょう.「それでも教育的な価値は云々」という人間には「教育論として批判しているのではなく数学として批判しているのだ」と反論しましょう.

適切に批判しないと「(最狭義の)背理法なしでは(通常の述語論理形式的体系において)証明できない命題があるなどという人間は(彼の意味では背理法なしでも証明できるので)数理論理学理解していない初心者である」などと云われて, 傾げる首を切り取られてしまった人間賛同するので

2015-02-27

思春期特有の生きる理由探しは終わったが

生きる理由を探して来たがどうも無さそうだ。これは分かる。

ある人がとてつもない生き甲斐を見つけたとして、それは別の人にとってどうでも良い事になり得るだと言うのは分かるし、だとしてもその人にとっては「生きる理由」と言える程強く心の支えになり得る物だと言う事も分かる。

「生きる理由」が無かったとしてもその人はすぐ自殺してしまう訳ではないというのは分かるし、「生きる理由」が無かったとしてもだらりと生きていってしまう人が多い事だって分かる。

から「生きる理由」が至上の命題にはならない事も分かる。「生きる理由」を至上の命題にしたのは自分の心だという事も分かる。

なぜ生きる理由を求め続けたのかと言えば、全能感と現実矛盾やら生活への不満足やらで、見つけられれば現実を変えられると思っていたからだというのは分かる。

そんなの最初から分かってるんだよ。それでも俺は生き甲斐を見つけられねえし、逃避してなんとかつらみをごまかして生きていくのはプライドが許さねえし、心の何処かで自分が真っ当な生き甲斐を見つけてドラマチックに生きていく人間に値すると思ってやがる癖、自分から現実を変えていこうとはしない。

何で生きる理由自分自身で作っていく物だって気付いた瞬間に、悩みから開放されたかのように晴れ晴れとした顔で新しい人生の一歩を歩み出す奴らがいるんだよ。人生自由自由になるにも力が必要なんだよ。

俺はネット依存人生をブチ壊した駄目人間からな、そんな事に気付いた所で俺の駄目さは変わらないし、俺の人生は変わらないんだよ…それは分かるんだよ…

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて 追記

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。

汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。

自分の精いつぱいの物を。

然し、必ず、こはれるものを。

然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。

それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。

私が、私自身に裁かれさへしなければ。

たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

坂口安吾著「余はベンメイす」

序論

自分前回、少なくとも今の自分が"そうである"と信じる所を書いた訳である

批判こそあれど、撤回をする事で偽るべきではないと思う

しかし、いくつかの指摘には自らの答えを以って表明とするのが正しいと信じ、追記をする

前回の記事を書いた後の指摘にて自分が後悔したのは"欲望がどこから来るのか"という部分だ

タイトルだけに反応すれば、自分のスケベさを絵のせいにするなよ、と。

性的嗜好覚醒とは外から来るのか自らの内から来るのか。それはあたか信仰に似ている。

それは押し付けられたのではなく、もともと潜在的に有していたモノが開花しただけかもしれない。

人間は欲望が渦巻くスープであり自然は際限なく冷酷なものであるから

クジラックスが好きだけど異常性癖になった事はない、ただ少女愛は元々備わっていて偶々手に取ったのがそういった趣向のエロ漫画だったというだけだ。


これらの指摘は、全く正しいと思われた

そう、自分自分パスカルの「パンセ」を引用

"人はエロ漫画の持つ力で屈服させられ、目覚めさせられ、開発され、汚染される"といった趣旨の事を書いたように思う

私は私の体験を文章として切り取ったにすぎず、故にこれを撤回しない

しかし、人は自らの体験を真実、伝えきることはできない

ここにおいて自分象徴界限界を知る事になる

しかし、自分自分表現し得る辺縁の部分まで突き詰めてみたく思う

本論

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

フリードリヒ・ニーチェ著「善悪彼岸


まり、ここでは"力を振るうのは誰か"と言う事が問題となる

自分を屈服させ、従わせ、駆り立てるのは誰か

エロ漫画によって異常性癖になった」などとは言わない

それは私の作品への投影に過ぎない(※1)

あくまで「自分が選び、自分が惹かれ、自分決断し、自分が選んだ」に過ぎない

決めたのは自分自身に他ならない

然しそれでも、私の主観としては「作品によって、自分は屈服させられたのだ」という感覚を捨てきれない

春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。

そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。

自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。

夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。

誰がそれを許したのですか。

神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。

許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」


では、自分自身意識は何によって駆り立てられたか

ジャック・ラカン提唱した概念対象aと言うものがある

「明らかに自分が選んでいる筈なのに、屈服させられていると感じる」という主観

主体と客体の逆転がここで生じることについて、このエピソードが近しいのではないか

若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、

自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、

荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。

この時、船の上で、彼の同僚である教養な男が、海上を指差した。

そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、

強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。

「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。

しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。


対象a

人間が一生を通して追求するもので、想像界象徴界現実界中間にあり、欲動が求める対象

他の精神分析学派の主張する部分対象や移行対象自己対象との関連性が指摘される。

経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。

単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの

自らの世界の中に象徴化された欲望の対象痕跡

満たされない欲動の向かうところ

詳しくはこれを参照して欲しい





幼児期において、人間は万能であるという錯覚がある

求めれば完全に満たされ、不快なことはすぐに排除され、自分意志によってすべてが好転する

世界には他者などおらず、自己しか存在しない

しかして、その世界には終わりがある

聖書にて失楽園があったように、人間にも楽園からの追放がある

自我の芽生えである

世界には自分以外の存在があり、すべてが自分の思い通りなるわけではない」という事が分かるようになる

絶対的依存や信頼、母子密着状態からの脱却、対象との関係性の生起である

しかし、人間はこの時の愛着を忘れない

例えば、母親との絶対的な密着を忘れられない子ども

母親の代わりに毛布を肌身離さず持ち歩くようになる(※1)

成人した後は、形を変えて残る

人は過去の幻影を追って止まないし、追わないで居られるほど聖人君子でもない

「夢を追う」「面影を探す」「憧憬する」「焦がれる」「つい見てしまう」「どうしてか同じ行動をしてしまう」

幼児の頃の万能な世界や、絶対的幸福、真理や真実表現されるもの探し求める

しかし、それはみつからない

絶対的愛情存在しないし、絶対的幸福存在しないし、絶対的絶望存在しない

完璧文章などといったもの存在しない。

完璧絶望存在しないようにね。

村上春樹著「風の歌を聴け



しかし、人はそれを求める

逆説的であるが、人がそれを追いかけるときに初めて真理は存在することとなる

然し、真理といふもの実在しない。

即ち真理は、常にたゞ探されるものです。

人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。

探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。

真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。

人間人間の形をした豚ですよ。

真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

坂口安吾著「余はベンメイす」



結論

自分が信じた正義(今回で言えば、緑のルーペ氏が描いた人間尊厳冒涜するエロ漫画否定する事)は

主観としては作品のものの力によって屈服させられたように感じられる

しかしその実、それは作品の力という要因だけに帰属しない

自分自分の力によって自分正義破壊したに過ぎない

自分を駆り立てものはいだって「ガラクタ」、「吊るされた人参」、そして坂口安吾の言う所の真理である

欠如の象徴としてのそれらを埋めるため、自分は「人の倫理破壊する作品」に惹かれる

それと同時に、自らの正義がそれを許容せず「自分が望んでいるのではない、望まされたのだ」と投影させる

氏は「宇宙人の冬」を業の深い作品と説明した

それは、こうした葛藤を生じさせることに意識的であったからだろうか



脚注

※1:投影

投影(projection)とは、自分のなかにある受け入れがたい不快感情性格他者が持っているかのように知覚することである

たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者投影して逆に他者自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である

※2:俗に、ライナスの毛布と呼ばれる。移行対象のこと

ラカン

現実界

フロイト現実原則や、カント命題"ein leerer Gegenstand ohne Begriff"(「掴み得ぬ空虚対象」。独語

などから敷衍した概念で、空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う。

以下に記述する想像界にも象徴界にも属さな領域であり、例としてはトラウマ不安現実における体験などで言及される。

象徴界

人間存在根本的に規定する言語活動の場のこと。

また数学などもこれに含まれる。

ラカン言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。

これは自己他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。

大文字の他者言語活動の一部であることから象徴界に属するものとして考えられている。

想像界

想像界とは、たとえば「日常」平和」「不幸」といった、

人であれば誰しも漠然イメージできるけれども、

その正確な描写となると大変な労力を要するような対象世界を指しており、

かつわれわれが頭で思っているものを言う。

2015-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20150109143703

お前の言ってることの意味がわからない。なんで

"努力した人が報われるのはとうぜん、と考える人傲慢である。または無知か、世間知らずか、想像力欠如である。この言葉はひっくり返せば努力しなかった人は報われないのが当たり前、という意味である。"

と書かれているが、ある命題の真偽とその裏の真偽は一致するとは限らない。これは高校で習う。

っていう元増田の話から

努力した人が報われる、かつ努力しなくても報われる

が導出されるって思ったんだ?

http://fktack.hatenablog.jp/entry/2015/01/08/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%A0%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6%E5%AB%8C%E3%81%A0

突っ込みどころが多い。

まずタイトルと本文の主張が違う。

タイトルでは

"がんばった人が報われる社会なんて嫌だ"

と大きく出ているのに対し、本文では

"努力した人が報われるのはとうぜん、と考える人傲慢である。"

という割と普通の主張に書き換えられている。

この二つの主張は明らかに違う。もしこれが意図的なのであれば汚い。釣りタイトルと言っても過言ではないと思う。

次に主張の言い換えが間違っている。

"努力した人が報われるのはとうぜん、と考える人傲慢である。または無知か、世間知らずか、想像力欠如である。この言葉はひっくり返せば努力しなかった人は報われないのが当たり前、という意味である。"

と書かれているが、ある命題の真偽とその裏の真偽は一致するとは限らない。これは高校で習う。

2015-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20150107211946

今回の場合はそういう食物ではないのに

ここが根本的に間違っているが、理解できないのが日本国民

「そうでない食物が存在する」という原理的にあり得ない命題を気軽に真であるとみなして行動する。

2014-12-27

ゲームディレクターコードも絵もかけないんだから雑用に徹しろ

俺は心底、ディレクターという職種人間と接するときは注意を払わないと、

そいつ仕事を経由して人生や家庭を壊されかねないと痛感している。

彼らにとって、プログラマデザイナーというのは、いわばおまんまの種であり、

生産をしていくための道具として扱っていくことに本分を見出すべき存在なのだ

その道具であるべき存在が為すべき成果というのは、

プログラマであれば動くものであり、ゲームだったら、面白いゲームであったり、webだったら、客の問題を解決するページだ。

デザイナなら、絵でありUIであり、問題解決するイケてるクリエイティブだ。

クリエイティビティを発揮することが彼らの絶対的命題だ。

言い換えるならば、それを為せる技術を持ったもの責任だ。

決して、スケジューリング社内政治や調整ではない。

では、その技術を持たない「作れない」職種であるディレクターは何をすべきなのかというと、

プログラマデザイナーしかできないこと「以外」の糞面倒くさい作業「全部」だ。

これを勘違いして各職種に、各メンバー裁量権を持たせようと

責任分散化」を図るディレクター存在する。これはサボっているだけだ。

上流でサボったら、しわ寄せを受けるのは下流だ。

それも上流であればあるほど、小さいサボりでもクリティカルに影響する。

メンバー生活を壊しながら進むプロジェクトの完成だ。

プロダクトをイケてるものにしたかったら、メンバークリエイティビティを発揮させろ。

クリエイティビティを発揮させる土台を死ぬ気になって整えろ。

それができなかったら、います辞表を出すか、毎日詫びながら仕事しろ

2014-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20141207092556

そゆこと。能力があるのに利益が上げられなかった、っていうのは言ってみれば運が悪かったってことだから (この「運」は広い意味で、一経営者制御回避もできない環境要因の変動ってこと)、命題としては正しいけれど、その運のうちでも政治で減らせる部分を何とかするのが政府仕事なんだから手前が言うな、ってことだね。

2014-12-06

思い出

私は小さいこ幼稚園バスというものに乗っていた時期が少しだけある。

運用の詳細は園児だった私は知るよしも無いが、発着時間はそれなりに厳しく管理されていた記憶がある。

曇りだったあの日、私はこの幼稚園バスに乗り遅れそうになっていた。

帰りのバスに乗る時間…あの日、私はものすごく焦っていた。

焦りの記憶は、便器の前でズボンおろし、あとはパンツおろして便器に座るだけの状態から克明に覚えている。

私はこの状態でうんこを漏らした。

正確に言うと、自分意志で、パンツ脱糞したのだ。

なぜそうしたのか?答えはこうだ。

パンツおろして座るまでの間に脱糞がはじまってズボンが汚れたら悲劇なのでパンツ脱糞してパンツと尻のあいだの多分尻の割れ目沿いに収まる固形物をパンツを脱いでからトイレに落とせば問題ないだろう」

幼稚園児としては完璧作戦だった。

パンツについたちょっとの汚れを我慢し、トイレットペーパーでも挟んでパンツを履けば問題なかった。

これを考えついた私は、ちょっとおもしろみを期待していた気もするし、この解決策を考えたついたことが誇らしかった気もする。

しかし、私はまだうんこの厳しさを知らなかった。

当時の私の頭ではうんこうんこぐらいしか認識できていなかったのである

大人の階段を登らないとわからないが、うんこには固いうんこから柔らかいうんこ、そして水みたいなうんこもあるのだ。

そして、我慢できないほどに催すときは、決まってうんこが緩い。つまり、水分量が多いのだ。

はなしを戻すと、私は考えついた作戦パンツ脱糞遂行した。

作戦は順調だった。

しかし、脱糞している感覚はあるものの、固形物を感じないのことが不思議だった。

新しい作戦を考える必要があると、気づいたのは、パンツおろしたあとであった。

私は発車しかけていた幼稚園バスまで急いで走って、ギリギリ乗り込んだ。

車内に響くエンジン音が、幼稚園児の叫び悲鳴によって聞こえなくなるのに、それほど時間はかからなかった。

 * * *

幼稚園の頃や物心つく前を含めると、オムツ・便器以外にうんこを排泄した経験の無い人はそういないと思う。

「そんなことない!」って人は自分が覚えていないだけで、親はそういうことも覚えているので聞いてみると良い。

では、みんなオムツ・便器以外でどういうところに排泄してしまうのだろうのか?

幼少期~大人まで、色んな人の色んな話しを聞くと、やはりパンツが圧倒的に多い。(次点廊下)

興味深いことに、増田うんこを漏らした報告の第一号と思われる下記の書き込みも、

パンツの中に漏らして、困っている最中、混乱している状態で増田投稿している様子が見てとれる。

http://anond.hatelabo.jp/20061110005705

元増田も悩むように、パンツに漏らすと「ウンコまみれのパンツはどう言い訳するべきか?」という命題にぶち当たる。

今の私なら、「パンツを諦め、その場で捨てるべき」と即答するだろう。捨ててしまえば言い訳なんてする必要はない。

しかしながら、いざ漏らすと気が動転してしまい、パンツをなんとかしようと思ってしまものだ。

これはパンツに対する人間の性である

思い出のできごとの時も、私は人間の性に囚われてしまい、パンツをなんとかしようと奮闘した。

まずパンツトイレットペーパーで拭きまくった。しか臭いがとれない。

次にトイレ内の洗面台で水洗いをした。パンツがびしょびしょになっただけだった。

しかも、臭いは取れないどころか増した気がする。

備え付けの液体の石鹸を利用してもダメだった。

そうこうしているうちに、バスに乗らないと帰れないという現実を思い出し、

何を思ったのかびしょ濡れのウンコまみれのパンツを履き、バスに乗り込んだのだ。

この記事は 増田アドベントカレンダー2014 6日目の記事です。


公衆衛生観点からうんこのついたパンツを洗面台で洗うのは止めましょう。

2014-11-17

日本語ヒップホップ老害

http://kai-you.net/article/10438

AV女優上原亜衣さんが業界に横行する疑似中出し疑義を呈したラップソング「REAL」

疑義を呈したってのが、リリックからまり伝わってこないのとあいまって、ところどころでしつこく引用される人間発電所(のリリック

私はこれを聴いて、率直に嫌悪感を抱いた。

ブッダに対するリスペクトはそこにあるのか、そこで引用する意味必然性は?

と、同時に、こういったヒップホップに疎い層をターゲットにした曲で、クラシック引用されることは、多分そんなに悪くはないことだという考えもあり、自分老害化しているのではないかとハっとした。

加藤ミリヤマイクリレーを収録した三人に直接意見を伺ってみたいところである

なにはともあれ。

ヒップホップ日本の文化に浸透したのか、という話題がいまだに一定の盛り上がりを見せるところから、逆説的にその命題否定され続けているのだけれど、先人たちの礎は着実に受け継がれ、積み重ねられている。

トラックリリック引用に対して、いちいちケチをつけるような大人になりたくないと思っていたのに、すでに片足踏み入れつつあるのかと思い、自戒、怖い。

用心せねば。

2014-11-09

自動車コンパクトシティをしなければ、財政破綻となるだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20141108113802

自動車ドラッグのどちらが有害

http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html

私の実母は自動車を運転していて事故で亡くなった。

事故が起こったのはやや見通しの悪いY字路で、トラックとぶつかってほとんど即死だったらしい。

随分前のことで誰も事故の話に触れたがらず、結局事故の原因が何なのか私は知らないが、子どもの頃 そのY字路を通る度になにか不思議な感じがした。

母はドライブが好きで、幼かった私を乗せて名古屋から神戸あたりまで飛ばしたこともあった。

夜中にぐずつく私を寝つかせるために、車に乗せて走っていたこともあったらしい。

彼女にとってクルマは必需品だったし、私にとっても自動車のおかげで助かったことがあった。

しかし母が自動車のせいで死んだことも事実である

大学生になって友人が免許を取りに行くとかいう話を聞いたとき、少し考えた。

自分自動車によって殺される可能性はなくすことができない。

しか自動車で誰かを殺す可能性をなくすことはできる。

母を亡くした自分のような人間をつくり出すことだけはいやだ。

車に乗らないことで不便になるとしたら、その不便を我慢することが自分にできることだ。

……そう考えて免許を持たないことにした。

野蛮なクルマ社会 哲学研究室 -帯広畜産大学-

http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html

「野蛮なクルマ社会」 - しづのをだまき

http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950

クルマ社会を問い直す会

http://www.toinaosu.org/

人命優先自動車抑制社会政策資料

http://www.toinaosu.org/library/car.html

命と安全を守る、歩車分離信号普及全国連絡会

http://bunri.org/

ゾーン30は確実に死亡事故を減らす

http://melma.com/backnumber_16703_6111852/

車社会 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

なんで日本人自動車暴走するのか

http://news.azwad.com/post/31975473123/1

なくせ!輪禍:生活道路の車優先「考え変えて」 久保田尚・埼玉大学院教授インタビュー - 毎日新聞

http://mainichi.jp/special/bicycle/news/20121110org00m040999000c.html

青山繁晴さんは自分はレーサーなのに、自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという。青山さんは言う

「車なんか危ない、乗らないほうがいい。乗らないことにこしたことはない。車はステアリングちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」

自動車弱者保護優先不徹底の危険運転により歩行者自転車に怪我をさせれば下記の通り

危険運転致死傷罪【キケンウンテンチシショウザイ

危険な運転で人を負傷させ、または死亡させる罪。刑法第208条の2が禁じ、致傷は15年以下の懲役、致死は1年以上の有期懲役に処せられる。

危険運転致死罪。危険運転致傷罪。→自動車運転過失致死傷

◆第208条の2は平成13年(2001)に新設。刑法改正前は業務上過失致死傷等罪が適用されていたが、

悪質な交通事犯に対応するために改正された。同条が定める危険運転とは、

アルコールや薬物による不正常な運転・速度超過・技能を欠いた無免許運転割り込み幅寄せ信号無視煽り運転など。

なお、本罪の行為自動車の運転に限定されており、自転車の運転では本罪を構成しない。

事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円

http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html

「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト『車への執着は捨てたほうが家計がラクになる』『1回の乗車のために、2万6400円÷5回で、5280円を支払っている』

http://diamond.jp/articles/-/24093

クラス別!車の維持費比較 例:ホンダ フィット 一年間にかかる維持費 573,186円! トヨタ アルファード 714,566円! 車売り払って捨てたほうがいいかも・・・もしくは車必要ない地域移住したほうが安上がり。

http://kuru-ma.com/page317.html

一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】

http://fx-style.boo.jp/car18.html

180万円の車を11年保有すると…税負担車両価格を上回る

http://response.jp/article/2011/09/27/162924.html

自動車ドラッグのどちらが有害

http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html

野蛮なクルマ社会 哲学研究室 -帯広畜産大学-

http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html

「野蛮なクルマ社会」 - しづのをだまき

http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950

なんで日本人自動車暴走するのか

http://news.azwad.com/post/31975473123/1

免許って、とらなくても良くない?

http://anond.hatelabo.jp/20141024205027

第3章 第3節 コンパクトシティ形成へ向けて - 内閣府

http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html

迷走するコンパクトシティ 維持費と借金地方を苦しめる 地域活性化現実を見よ(3)木下斉×飯田泰之 (全4回) WEDGE Infinity(ウェッジ)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4262

自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率問題点 国土交通省

http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/

NHKの脱自動車コンパクトシティ特集『わがまちを身の丈に』

自治体職員「すべてのもの(インフラ)を残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」 

自動車依存蔓延による郊外化で苦しむ地域特集 自動車依存脱却が地域を救う

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3418.html

人口減が続く見通しのなかで、税収減は避けられない。そこで選択と集中命題となってくる。

自動車僻地を切ることによる拠点集約効率化で生き延びるか、点在化した拠点を結ぶインフラを残すための莫大な維持費で財政破綻。この2つの道がある。どちらを選ぶかは市民次第。

事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円

http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html

市民60人あたりの移動手段における占有面積。

http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg

http://www.tkz.or.jp/con13.html

『自滅する地方』 で検索してみると、そのクルマ依存生活がいかに地域を自滅に追い込んでいるかがよくわかる。

マイカー移動前提社会地域の持続可能性を大きく損ねる。

自分故郷破綻だのどうだのとどうなってもよいというのであれば、それはそれで市民の選択として現実のものとなる。

また、車前提の地域自動車の運転という高所作業並みのリスクと猛烈な維持費があるという点からしてもあまりに重たく苦しい。

それに自動車の要らない地域でも通販で家まで届けてくれるシステムがありますからね。

店で手続きすれば家までも送ってくれるサービスもいまどき整っているでしょう。

将来や万が一の場合、そして老後のことを考えれば考えるほど、自家用自動車前提地域は選ばれない現実がある。

2014-11-05

離婚された、中くらいに可哀想な子供の話

をする。第三者視点

この手の話をはじめると、決まって「継父の虐待」とか「シングルマザー境遇では進学させられず...」とかの

キャッチーで酷い話ばかりになる。しか実態はもう少し中庸だ。

まず、いくら劇的な離婚劇があったとしても、日本の80~00年代結婚した夫婦子供の大部分は劇的に貧しくはない。

世にでる離婚サンプルは目に余るものばかりだが、国やコミュニティの自負自尊心をくすぐる例しかメディアに載らず

売文できる離婚例以外は基本表には出てこない。

で、

慰謝料養育費のやり取りが(満額とは程遠くても)5~10年ぐらい続き

親権放棄した親と最低限面会する機会もあり

③両親の離婚過程を、ある程度余裕をもって観察することのできた子供は多く実在するが、

特に耳目を集めるものではないので不可視化されている。

法的責任道義的責任も果たす両親を見ているし、戸籍上断絶した祖父母や親類との繋がりが残ることだってある。

情緒精神面、資本面で負い目を感じる子供もいるだろうが、

外のコミュニティ代替物にしてふんばるぐらいのリソースはある。キャリアを積み、家庭も築く。

離婚によって子供が置かれる状況など、陳腐のものである


~ここまでがギリギリ物語メッセージとして一般人に通じるライン


ここからがツライ。

引き続き、子供が成人するまでに両親とはそれぞれ緩やかな関係が残るわけだが、

下限がしれたものなら上限だってしれた程度のものしかならない。

よほどの人徳者でもなければ、父母同士がその後直接連絡を取ることはない。

それに離婚たからといって枯れて生きるわけでもないので、職場での自己実現再婚といった手段視野に入ってくる。ありふれた話だ。

しかし、1対1でのコミュニケーション繋ぎ止めていた関係性がにわかに崩れはじめるのである

問題はそれが10から20年といった長いスパンで起こることだ。

ミクロで見れば努力精神論の入り込む余地があって、各々が自立する美しい物語ができあがるが、

マクロで見れば自身ルーツや幼年期の愛着否定されて摩滅するしかない期間である

種々の責任を果たした両親を前にして取り付く島もなく、自身も”こじらせた”子供として振る舞うことができない。

喜怒哀楽の大きな起伏を呼び起こすような局面特になく、いい大人が長い期間をかけてすり減るのである

こういった具合でゾンビ状態にある大人を多数相手にしてきたが、

日本人はこの手の長い時間をかけて消耗するような、自意識の強度を試す命題にとんと疎い。

なので、今日も彼ら彼女らは年一で会った親から全く知らない人間関係の話を滔々と聞くことになる。


そこには貧しさも激しい葛藤もない。

とりたてて筋が通った話にもならず冗長だから、ひたすら消耗する。

2014-10-31

田舎子供の事もそうですが、老後も悲惨

http://anond.hatelabo.jp/20141030222244

なぜなら、田舎ほど人命より自動車わがまま危険運転容認が優先されるから

自動車ドラッグのどちらが有害

http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html

私の実母は自動車を運転していて事故で亡くなった。

事故が起こったのはやや見通しの悪いY字路で、トラックとぶつかってほとんど即死だったらしい。

随分前のことで誰も事故の話に触れたがらず、結局事故の原因が何なのか私は知らないが、子どもの頃 そのY字路を通る度になにか不思議な感じがした。

母はドライブが好きで、幼かった私を乗せて名古屋から神戸あたりまで飛ばしたこともあった。

夜中にぐずつく私を寝つかせるために、車に乗せて走っていたこともあったらしい。

彼女にとってクルマは必需品だったし、私にとっても自動車のおかげで助かったことがあった。

しかし母が自動車のせいで死んだことも事実である

大学生になって友人が免許を取りに行くとかいう話を聞いたとき、少し考えた。

自分自動車によって殺される可能性はなくすことができない。

しか自動車で誰かを殺す可能性をなくすことはできる。

母を亡くした自分のような人間をつくり出すことだけはいやだ。

車に乗らないことで不便になるとしたら、その不便を我慢することが自分にできることだ。

……そう考えて免許を持たないことにした。

野蛮なクルマ社会 哲学研究室 -帯広畜産大学-

http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html

「野蛮なクルマ社会」 - しづのをだまき

http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950

クルマ社会を問い直す会

http://www.toinaosu.org/

人命優先自動車抑制社会政策資料

http://www.toinaosu.org/library/car.html

命と安全を守る、歩車分離信号普及全国連絡会

http://bunri.org/

ゾーン30は確実に死亡事故を減らす

http://melma.com/backnumber_16703_6111852/

車社会 ドイツの取り組み 高齢化も見据え交通

http://blog.livedoor.jp/trike_shop/archives/1773205.html

なんで日本人自動車暴走するのか

http://news.azwad.com/post/31975473123/1

なくせ!輪禍:生活道路の車優先「考え変えて」 久保田尚・埼玉大学院教授インタビュー - 毎日新聞

http://mainichi.jp/special/bicycle/news/20121110org00m040999000c.html

青山繁晴さんは自分はレーサーなのに、自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという。青山さんは言う

「車なんか危ない、乗らないほうがいい。乗らないことにこしたことはない。車はステアリングちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」

自動車弱者保護優先不徹底の危険運転により歩行者自転車に怪我をさせれば下記の通り

危険運転致死傷罪【キケンウンテンチシショウザイ

危険な運転で人を負傷させ、または死亡させる罪。刑法第208条の2が禁じ、致傷は15年以下の懲役、致死は1年以上の有期懲役に処せられる。

危険運転致死罪。危険運転致傷罪。→自動車運転過失致死傷

◆第208条の2は平成13年(2001)に新設。刑法改正前は業務上過失致死傷等罪が適用されていたが、

悪質な交通事犯に対応するために改正された。同条が定める危険運転とは、

アルコールや薬物による不正常な運転・速度超過・技能を欠いた無免許運転割り込み幅寄せ信号無視煽り運転など。

なお、本罪の行為自動車の運転に限定されており、自転車の運転では本罪を構成しない。

事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円

http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html

「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト『車への執着は捨てたほうが家計がラクになる』『1回の乗車のために、2万6400円÷5回で、5280円を支払っている』

http://diamond.jp/articles/-/24093

クラス別!車の維持費比較 例:ホンダ フィット 一年間にかかる維持費 573,186円! トヨタ アルファード 714,566円! 車売り払って捨てたほうがいいかも・・・もしくは車必要ない地域移住したほうが安上がり。

http://kuru-ma.com/page317.html

一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】

http://fx-style.boo.jp/car18.html

180万円の車を11年保有すると…税負担車両価格を上回る

http://response.jp/article/2011/09/27/162924.html

自動車ドラッグのどちらが有害

http://firefly1384.web.fc2.com/dokusyo/d030.html

野蛮なクルマ社会 哲学研究室 -帯広畜産大学-

http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html

「野蛮なクルマ社会」 - しづのをだまき

http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950

なんで日本人自動車暴走するのか

http://news.azwad.com/post/31975473123/1

免許って、とらなくても良くない?

http://anond.hatelabo.jp/20141024205027

第3章 第3節 コンパクトシティ形成へ向けて - 内閣府

http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html

迷走するコンパクトシティ 維持費と借金地方を苦しめる 地域活性化現実を見よ(3)木下斉×飯田泰之 (全4回) WEDGE Infinity(ウェッジ)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4262

自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率問題点 国土交通省

http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/

NHKの脱自動車コンパクトシティ特集『わがまちを身の丈に』

自治体職員「すべてのもの(インフラ)を残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」 

自動車依存蔓延による郊外化で苦しむ地域特集 自動車依存脱却が地域を救う

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3418.html

人口減が続く見通しのなかで、税収減は避けられない。そこで選択と集中命題となってくる。

自動車僻地を切ることによる拠点集約効率化で生き延びるか、点在化した拠点を結ぶインフラを残すための莫大な維持費で財政破綻。この2つの道がある。どちらを選ぶかは市民次第。

事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く

http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html

路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円

http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html

市民60人あたりの移動手段における占有面積。

http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg

http://www.tkz.or.jp/con13.html

『自滅する地方』 で検索してみると、そのクルマ依存生活がいかに地域を自滅に追い込んでいるかがよくわかる。

マイカー移動前提社会地域の持続可能性を大きく損ねる。

自分故郷破綻だのどうだのとどうなってもよいというのであれば、それはそれで市民の選択として現実のものとなる。

また、車前提の地域自動車の運転という高所作業並みのリスクと猛烈な維持費があるという点からしてもあまりに重たく苦しい。

それに自動車の要らない地域でも通販で家まで届けてくれるシステムがありますからね。

店で手続きすれば家までも送ってくれるサービスもいまどき整っているでしょう。

将来や万が一の場合、そして老後のことを考えれば考えるほど、自家用自動車前提地域は選ばれない現実がある。

http://anond.hatelabo.jp/20141030235243

横だが、「ちゃんとした宗教」は異教徒夫婦になることを許さないとか、そもそも離婚NGだったりそれに反発して新しい宗派を作ったりとか、いろいろ私生活に干渉したりされたりするものだと思う。

「ちゃんとした宗教私生活に干渉する」という主張の対偶をとると、「私生活に干渉しなければ、ちゃんとした宗教でない」ということになります

人様の宗教に向かって「私生活に干渉してないから、ちゃんとした宗教ではない」などと言うのは大変失礼ですよ。

現代世俗化した宗教を役に立つものとして「宗教一般」と捉えるのは歴史観としては偏ってるとおもうなぁ。

①「現代世俗化した宗教を役に立つものとして『宗教一般』と捉える」という命題を立てたのはあなたです。ここまでのツリーでそんなことを主張している人はいません。

歴史観の話にしているのはあなたです。ここまでのツリーで歴史観の話をしている人はいません。

2014-10-25

コスパなら写真付き住基カードパスポートですね。

http://anond.hatelabo.jp/20141025204732

自動車免許なんて割に合わない費用と取得のための拘束時間馬鹿馬鹿しすぎる。

合理的じゃないんだよね。

これからどんどん地方から自動車の要らない都市部への移住が進んで、ますます写真付き住基カードパスポートを見る機会が増えることは確実と言えます

なんだかんだで人は車の要らない地域を求めているんですよね。

車の傲慢を許せば人がいなくなる。『自滅する地域』のとおり。

第3章 第3節 コンパクトシティ形成へ向けて - 内閣府

http://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr12/chr120303.html

迷走するコンパクトシティ 維持費と借金地方を苦しめる 地域活性化現実を見よ(3)木下斉×飯田泰之 (全4回) WEDGE Infinity(ウェッジ)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4262

自動車依存による拠点点在、郊外化がもたらす不効率問題点 国土交通省

http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/

NHKの脱自動車コンパクトシティ特集『わがまちを身の丈に』

自治体職員「すべてのもの(インフラ)を残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」 

自動車依存蔓延による郊外化で苦しむ地域特集 自動車依存脱却が地域を救う

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3418.html

人口減が続く見通しのなかで、税収減は避けられない。そこで選択と集中命題となってくる。

自動車僻地を切ることによる拠点集約効率化で生き延びるか、点在化した拠点を結ぶインフラを残すための莫大な維持費で財政破綻。この2つの道がある。どちらを選ぶかは市民次第。

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