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はてなキーワード: 古典論理とは

2023-09-06

社会学に適した論理

社会学社会学関係批判されがちだが

社会学者達が通常の科学で使われる論理を使ってる以上は批判は全く否定できない物になると思う

論理のものを新しく開発すればいいんじゃないかな

数学論理学では非古典論理を作ってる試みは沢山あるし批判される社会学者達は自分にあった論理を作ればいいよ

社会学に適した論理

社会学社会学関係批判されがちだが

社会学者達が通常の科学で使われる論理を使ってる以上は批判は全く否定できない物になると思う

論理のものを新しく開発すればいいんじゃないかな

数学論理学では非古典論理を作ってる試みは沢山あるし批判される社会学者達は自分にあった論理を作ればいいよ

2020-01-05

classicの訳

ゲームとかのclassic modeを古典的と訳すのは意味限定されすぎるし堅いしでよろしくない。

「おなじみモード」とかそのあたりがいいと思う。

そうなると(classicalだけど)古典力学古典論理学も「おなじみ力学」とか「おなじみ論理学」とかになって親しみやすくなる。

柔らかい感じを出したいときオススメです。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205111907

>「A→B」と「¬B→¬A」が同じ

排中律がなりたたない場合直観論理など)だとその対偶は成立しないのでは?

で、ヘンペルのカラスとかみればわかるけど世の中のたいていの問題排中律がなりたたない事が多い。

あと古典論理の⇒(実質含意)は日常的な「ならば」とかけ離れているので両者を混同するのは詭弁しかならないともうんだが。(「1+1=2」ならば「雪は白い」は古典論理では真)

この乖離論理学を学ぶとき最初に叩き込まれものでしょ?

2015-03-03

世界 2015-03-03

↑new

対象を具体的に構成することによって証明可能ならば, 存在しないと仮定して云々ではなく, 実際に構成したほうがよい」あるいは「(最狭義の)背理法なしでいけるならそうすべきだ」(これらは別の主張である)という主張なら意味は通りますが. もっともこの種の議論教育云々に属すので.

彼の意味の非背理法証明古典論理に従う通常の証明であり構成証明直観主義的な証明などとは異なる. だから直観主義型理論証明からrealizerとしてプログラム正当性証明抽出する話とか, 直観主義論理存在具体化性なんかの話とは全く関係がない.

機械的に書き換え可能なら情報量は変わらないのでは」という簡単な突っ込みもできる. 幾らかの人達は「とはい計算数学なんかでは背理法に依らない証明を考えるのは意味があるのでは」といったことを述べているが

件の著書の内容紹介に【「背理法による証明」を、格段に情報量の多い「背理法によらない証明」に機械的に書き換えることができる】とある. これは, 彼の意味背理法による/よらない証明と, 古典論理/非古典論理による証明, または非構成的/構成証明, との対比を混同している.

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「LKもcut-free LKも非背理法的ということではないのか. そうだとするとカット除去定理背理法除去とは無関係ではないのか.」

他方で彼の著書では竹内・八杉『証明論入門』を引用してカット除去定理背理法除去を一般化した定理だとも主張している. ここでひとつ反論ができるとすれば「sequent calc.も非背理法的な証明体系ではないか. 証明に現れるsequentは全てvalidではないか.」

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他方で彼のいう非背理法証明というのはそういう状況が起こらない証明をいう. Hilbert流の証明体系では途中にprovableなformulaしか現れないことを想像せよ. したがって彼の数学としての主張は「自然演繹とHilbert流の体系は同値. よって背理法は除去できる」

実際efqを用いた証明ではefqの適用の直前に矛盾が導かれているはずだから「途中に正しくない主張が現れる」という状況に適合している.

から彼の拒否する証明法は広義の背理法よりももう少し広いものと考えられる. 例えばex falso quodlibetがnonsenseな証明法だと捉えていることは彼のサイト記述から明らか.

正確にいうと彼のいう背理法は「否定導入と最狭義の背理法」を合わせたもの. 背理法拒否する根拠は「背理法を用いた証明では途中に正しくない主張が現れる」こと. 自然演繹証明図は途中にunprovableなformulaが現れることを想像せよ.

また「背理法を用いて証明できるなら用いないでも出来る」というのは彼の言葉定義では正しいので「直観主義論理が云々, 派生規則から暗黙に背理法が使われてる云々」は反駁にならない.

教育の話だろ」という人間には「教育論の補強に数学を濫用しているし, 数理論理学教科書まで出版している」と反駁しましょう.「それでも教育的な価値は云々」という人間には「教育論として批判しているのではなく数学として批判しているのだ」と反論しましょう.

適切に批判しないと「(最狭義の)背理法なしでは(通常の述語論理形式的体系において)証明できない命題があるなどという人間は(彼の意味では背理法なしでも証明できるので)数理論理学理解していない初心者である」などと云われて, 傾げる首を切り取られてしまった人間賛同するので

2011-01-11

論理学あるある

古典論理を一通り学んで日常会話の文を拾い上げて

裏や逆や対偶を取ったり論理和や含意を考えて人の誤謬を指して笑ったりするんだけど

時系列を扱うために時制論理を学んだり

事実命題、当為命題価値命題いうあたりからだんだん理解が怪しくなってきて

矛盾許容論理を学んでついに「論理的」とは何かがわからなくなって口を噤む

2010-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20100714142638

トラバぐらいつけたらどうだ。

まず、ITは比較斜陽ではない。ITが斜陽ならインフラ以外は皆斜陽だな。ああ、そういうことが言いたかったのなら気にしないでくれ。

そんなことより中学生小論文を書く時間を倍に増やせ。~グループワークを徹底して増やせ。

つまりは国語教育を何とかしろ、ということだろう?それならまずディベートグループディスカッションをさせればいい。今の教育は「こんな議論の形式があります」って教えるだけだからな。小論文や説明文は夏季休業時の宿題にしてもいいだろう。このうちから10000字以上の文章生産性を向上させる訓練はしていていいはずだ。

個人的には古文漢文は今の学習量の半分でいいと思っている。削減して生まれた余裕のうち何割かをそこに当てればいいだろう(個人的には言語学的要素をもう少し増やしたいが、皆必要というわけではないからそれはなくてもいい)

高校生で数理英を全員必修にしろ。特に英語は構文を徹底してやれ。数学論理統計を増やせ。


私立大学早慶以外全部潰せ、と書いたはずだ。すなわちそれを学ばないやつは大学に来る必要がない、ということ。そこまで徹底すれば高校も必修にせざるを得ない。なぜならそれを学ばない=バカが通う高校という社会的評価が下されるからな。そういうところはどんどん潰れる。

ちなみに論理古典論理か、述語論理か。まさか様相論理までさせるわけではあるまい。

統計というか、「表や図の作成、理解とその分析」は必須だろうな。ただそれを一教科作ってまでやるというのは難しいだろう。

たとえば夏季休業に社会科学統計(地歴公民)か自然科学統計統計)のどちらかを分析させることを宿題に出すのはどうだろう。もちろん該当する科目でそれぞれ一度は分析を経験した上で、だ。

そして数学統計分野を確立の次に持ってくるようにする。これでどうだろうか。

2008-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20080831164659

> だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。

おいおい「ピュアな」を忘れんなよ。統計の著作なんて一個も無いはずだよなあ?

> あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。

ほんとに論理学わかって無いなあ。

・「無税国家になる」か「インフレが実現される」かどちらか

・どちらでもうれしい結論

と言ってるのに、それに対する反論になってないだろ。

> 文献精読

どうでもいいから「国債を買い捲ればデフレ脱出必ずできる(のにやらない日銀馬鹿)」っていう命題が「バーナンキ背理法」かどうかぐらいは確認しろよ。

> for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。

for-allは∀ですが、古典論理で「必ず」なんていう限量子があるんですかww どう書くんですかww

それとも、あなたのケイザイガク論文では様相論理でも使ってるんですかww

論理構造」っていうタームがあるんですかww 定義は何ですかww

> 野矢茂樹論理学』

あれはいい本だけどさあ。ここで君が権威付けに持ち出すには初歩的過ぎるだろw

 
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