この手の話をはじめると、決まって「継父の虐待」とか「シングルマザーの境遇では進学させられず...」とかの
キャッチーで酷い話ばかりになる。しかし実態はもう少し中庸だ。
まず、いくら劇的な離婚劇があったとしても、日本の80~00年代で結婚した夫婦と子供の大部分は劇的に貧しくはない。
世にでる離婚サンプルは目に余るものばかりだが、国やコミュニティの自負自尊心をくすぐる例しかメディアに載らず
売文できる離婚例以外は基本表には出てこない。
で、
①慰謝料養育費のやり取りが(満額とは程遠くても)5~10年ぐらい続き
③両親の離婚過程を、ある程度余裕をもって観察することのできた子供は多く実在するが、
法的責任も道義的責任も果たす両親を見ているし、戸籍上断絶した祖父母や親類との繋がりが残ることだってある。
外のコミュニティを代替物にしてふんばるぐらいのリソースはある。キャリアを積み、家庭も築く。
~ここまでがギリギリ物語やメッセージとして一般人に通じるライン~
ここからがツライ。
引き続き、子供が成人するまでに両親とはそれぞれ緩やかな関係が残るわけだが、
下限がしれたものなら上限だってしれた程度のものにしかならない。
よほどの人徳者でもなければ、父母同士がその後直接連絡を取ることはない。
それに離婚したからといって枯れて生きるわけでもないので、職場での自己実現や再婚といった手段が視野に入ってくる。ありふれた話だ。
しかし、1対1でのコミュニケーションで繋ぎ止めていた関係性がにわかに崩れはじめるのである。
問題はそれが10年から20年といった長いスパンで起こることだ。
ミクロで見れば努力や精神論の入り込む余地があって、各々が自立する美しい物語ができあがるが、
マクロで見れば自身のルーツや幼年期の愛着を否定されて摩滅するしかない期間である。
種々の責任を果たした両親を前にして取り付く島もなく、自身も”こじらせた”子供として振る舞うことができない。
喜怒哀楽の大きな起伏を呼び起こすような局面は特になく、いい大人が長い期間をかけてすり減るのである。
こういった具合でゾンビ状態にある大人を多数相手にしてきたが、
日本人はこの手の長い時間をかけて消耗するような、自意識の強度を試す命題にとんと疎い。
なので、今日も彼ら彼女らは年一で会った親から全く知らない人間関係の話を滔々と聞くことになる。
そこには貧しさも激しい葛藤もない。
とりたてて筋が通った話にもならず冗長だから、ひたすら消耗する。