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はてなキーワード: 仕事探しとは

2021-05-18

anond:20210518052358

ひろゆきがなんて言ってるかは知らんけど

俺なら自分に合った仕事探しながら気軽にやるかな

最悪見つからなくてもいいわけだし

2021-05-13

インド株がー、だの騒がしいけど、

なんか仕事探しにくいな

特に在宅じゃないの

障害者から在宅じゃない仕事ばかりしかない

というか、なんで日本ってこうなんだろう

anond:20210513115620

賃金変わらずとも、やる仕事が次に(給与アップに)結びつくような仕事探した方がいいんじゃないかな

どんなデータ入力してるかわからないけど、画像から文字起こしも音声から文字起こしもかなり自動化されてきているから、今のところにそのままいるのは危ないんじゃないか

2021-04-15

anond:20210415103732

私も似たような境遇会社に属せない人間だったけどバイトしながらクラウドワークスやらで仕事探して今はフリーイラストレーターとしてなんとかやってけてるよ 起業起業〜〜 

2021-03-24

うちの会社4月決算

経理の人とか棚卸しの人とか役所絡みの仕事とか、今が大変な人々からは恨みを買ってしまいそうだけど、弊社はこの時期マジで暇で仕方ない。

贅沢な悩みだと思うしリアル人達に言うとなんか嫌われそうでこわい。

私は今小さな企業に勤めている。

4月決算社長個人事業主として創業を始めた頃の名残だそうだ。

世の強そうな会社は大体3月決算で回っていて、自然と弊社に対しても3月決算の前提で話を進めてくれる。

年度末≠3月っていう環境イマイチピンと来ない人は結構いそうだなと思う。

私も新卒の時はそんな感じに思っていた。学校4月に始まって3月に終わる繰り返しだし、そのまま会社入ったし。

社長社員もみんな主要取引先には何回か「うちの会社5月まりなんですよ〜」って言うけど大手担当者が変わるので毎年同じ話をしてる。

なので弊社は毎年「決算のために」1月2月は受注前倒しで超絶忙しかったが、「決算があるので」3月は受注が来ない!

さらに、業態的に元々春先は閑散期のお仕事だ!もらった受注はだいたい4月後半以降だ!

暇だよ〜〜〜暇だよ〜〜〜午後から何しよう

営業職じゃないので無理やり仕事探したり掃除したりしてるけどネタが尽きてくる。下手したら営業マンも回るとこなくて会社にいる。

あっこれ別に弊社に配慮しろとかの話ではないです。

ただ暇な理由を書いただけです。

あと同じ4月決算でも、きっと3月お仕事忙しい会社あると思う。その人達巻き込んでしまったらごめんなさい。弊社は暇です。弊社はね。

2021-03-08

anond:20210308094030

毎日時間YouTube見たり便所で寝てたりしてサボり倒し⇒〇 業務時間は1日30分くらい 残りの時間ネット見たり文庫本読んだり

業務自体もそこらへんの中学生でも平気でこなせるレベルのもの⇒〇 書類に目を通して印鑑押すだけ 他の人も見てるから別に自分がチェックする必要なし 

年間休日140日以上⇒〇 有休もほぼフル消化してる

転勤なくて⇒× 残念ながら転勤あり

福利厚生めちゃくちゃ手厚くて⇒〇 一部上場福利厚生もばっちり

自動的に定年までに年収1000万いく仕事⇒〇 現時点で年収1000万円ちょい

転勤以外は今の自分仕事はほぼ条件充たしてるわ 頑張ってそういう仕事探してね

2021-02-04

仕事辞めてカオス状態となる

コロナ会社の業績悪化事務なのにテレアポみたいな仕事を無理矢理させられてしまった+時短勤務強要

もちろん、給与は変わらないどころか時短のせいで少なくなった。

正直、安すぎる給与テレアポ仕事が見合わないから(めちゃくちゃキツイ)、新しい仕事探して、案外すんなりと見つかった。

仕事もすんなり辞めることができた。

今は有給消化中なのだが、新しい仕事に行くのが不安で仕方ない。

そして、前の会社の不満が今頃むくむくと湧き上がって来て、自分の心の中がどす黒いものでどろどろのカオス状態に。

前の会社仕事結構気に入っていたのだが、自分でも気づかなかった不満がたくさんあったみたい。

その不満に目を背けて仕事してたんだなって、今更思ってしまう。

次の仕事、やっぱり不安しかないけど、辞めてこんなにカオス状態になるなら次は不満があれば少しずつでも吐き出した方が良いなって思った。

とりあえず、有給消化中に自分の心の中のどす黒いどろどろが消えてくれることを祈る。

2021-01-31

十年前の手紙

ありがちな話だろうけど。

探しものをしてたら見覚えのない小さな箱があって、見覚えのない筆跡の手紙がついていた。

「○さん(夫の名前)との泊まり旅行はとても楽しかった。おそろいのこれを身に着けていれば離れていてもずっと一緒だね」というような内容。ご丁寧に日付と差出人の名前付き。十年前だ。

十年前、自分は何をしていただろう。仕事をしながら義理の両親のお世話、看取り、子どもたちの入退院、いろいろ一段落ついて、本当に久しぶりに日帰りの家族旅行にいった時期と、手紙の日付は、ほんの十数日しか違わなかった。

なんでその時に離婚してくれなかったんだろうな、とぼんやり考えている。結婚して実家から遠く離れたところに長く住み、実の親よりも長く夫や義理の親たちと過ごしてきた。それも全部、いったい何だったんだろうな、という気持ちになっている。

十年前なら離婚して子供連れて縁もゆかりもないところにでも住み直して、また仕事探して頑張れたかもしれないのに。

ひとまず手紙写真に撮り、こっそりネットの片隅に放流してみた。名前も日付も隠しているし、たぶんちょっとやそっとでは見られない場所自分が死んでも、あの手紙ネットの海を漂い続けるのは、ちょっとだけ面白いなと思っている。夫は当然、まだ何も知らない。

2021-01-30

anond:20210130090211

とりあえず計画でもたてよう

去年から始めた株のおかげでお金あるから、やろうと思えば初動の費用はでるし、テレワークで今は仕事が急がしくないから、子供相手はできるけど、その後は不明だなぁ

ほんとうは嫁と子供と3人の家を買う為のお金をふやそうと始めた株だったのに

確認ポイント
個別パターン

仕事そのまま、保育園そのまま

引越し物件と、保育園探しと、仕事探し 3つ全部やるとか大変だなー

2021-01-29

anond:20210129203452

なんか「プログラマー」の人達って妙に安い給料で甘んじてるというか意味もなく納得しちゃってる人が多い気がする。

仕事探します年収300万貰えたら嬉しいです」みたいなことをいい歳した奴が言っちゃうのはどういうことなんだろう。

価値を生み出すとか創造的に仕事をするとか人と会話して物事を進めていくみたいなことを一切やりたくない(あるいはできない)という感じなのかな。

2021-01-27

PCが買えない病気

引きこもりの友人がいる。

10年前に勤めていた会社が潰れてそれっきり無職のまま。

同居している母親年金で細々と暮らしている。ということはまあそれなりの年齢だ。

仕事を辞めたばかりの頃は、「仕事さないの?」と聞くと「母親高齢から」と答えた。

「お母さんをデイケアとか預けないの?」と聞くと、「頑固だから無理」。

ちなみに母親高齢ではあるが病気もなく元気だ。

それから10年、就活するわけでもなく外出と言えば近所のスーパーの行き来だけ。

どこからどう見ても引きこもりだ。

だが本人は少なくとも表面上はひきこもりだと認めてはいない。

「もともとのんびりした性格から」「今はちょっとやる気がでないだけ」「そろそろ働こうかと思って仕事探しているんだ(働かない)」

といったほんわかした表現で取り繕う。

それでも無理やり連れ出したりメールでやりとりしたりしていると一回くらいは「あーなんか私もうダメかも」的な発言が飛び出してきて

驚いて「えっ、大丈夫?」と聞き返すと「え、ああ大丈夫大丈夫。私の言い方が悪かったせいで驚かせちゃってごめんねーてへぺろ増田さん心配性だから〜」的な返事が返ってきて

正直こっちもストレスがたまっていった。

共通の友人と話して、「どうしよう、心療内科的なことに連れてった方がいいのかなあ」と相談したけど

友人は「本当に困った事態になったら絶対に行動するようになるから様子を見よう」と言い、そうなのかなあと思った。


そしたら本当に困った事態がやってきたんだよ。

ひきこもりの友人が10年近くずっと使っていたパソコンが壊れてしまった。

まれから一度もパソコンに触ったことのない高齢者ならともかく

今の時代パソコンなしの生活はきつい。

ちなみに友人はスマホでもない。ガラケーだ。

正直、ちょっと興味があった。

本当にどうしようもない事態に陥った時、いつも自分で言ってたように「今はちょっとのんびりしているだけで、いざとなればちゃんと動ける」のか。

ダメだった。

パソコンを修理に出すまではできたんだけど、どうやらパソコンを買い替えるしかないと判明してからずーっと悩んでいる。

パソコンを買い換えなきゃ→でもMacは高い(今までMacを使っていた)→お金がない→中古Macにしよう→でも中古だと買ってもすぐ壊れるのでは→Windowsなら新品で安く買える→Windows使ったことないし使いこなせないかも→やっぱりMacがいい→とりあえずお店にいって見ようか→でもコロナ怖いし→最初に戻る

をずーっと繰り返してるらしい。

自分でも頭の中がぐるぐるして疲れたと言っていた。

Windwsも別に難しくないとか、中古品でも保証がつくお店もある、とかはとっくに伝えてある。

というか多分問題はそこじゃないんだろう。

パソコンが壊れてからもうすぐ1ヶ月になるけど結局まだ買い換えてない。

おまけにどう言うわけか、壊れてから3日に一度のペースで「報告です!」とメールが送られてくる。

報告といっても「修理屋でやっぱり無理って言われた、どうしようどうしよう」「やっぱりパソコン高いよね、どうしようどうしよう」

というどうしようメールがひたすらくるだけで何も解決していない。

報告メールって、壊れました、買いました、みたいなもんじゃないのか?


やっぱり友達病気なんだと思う。

自分専門家じゃないし何の病気かなんてわかるわけないど。

でもネットで「決断できない 病気」と検索すると真っ先にうつ病があがってきておそろしい。

もう一人の友達は反対するかもしれないけど、なんとかして一度心療内科に連れて行こうと思う。

家族でもない私がそんなことにまで口出ししたら、もう友人関係は終わってしまうのかもしれないけど

正直今のこの状態のままだともう友達を続けていくのも難しい。


何か他に良い解決方法があるのだろうか。

誰か知っている人がいるなら教えて欲しい。

2020-12-26

(ADHDだと思いこんでたし)6年前の仕事自分否定されて死にたくなってた自分へ。年収1000万超えたよ

ADHDじゃなくて発達障害じゃないか(※自己診断)

エントリー時、実は年齢28か29歳。

このときワーキングメモリーが非常に小さかったように思う。

30越えて、自営になってから短期記憶ましになった

労働環境変わって、仕事に追われる恐怖、ストレスが圧倒的になくなってでかいミスしてない

ただ、人にお願いされる仕事が圧倒的に少なくなったので問題が出る場面が少なくなったのもあると思う。

ただ、仕事キャパは広がった

あと、アラートの出し方はましになった

だってベスト尽くしてんだから、分からないこと聞いてもいいじゃん

嫌われないキャラ作りも大事、お礼言ったり、アルフォートの小袋とか助けてもらったら渡すとか、

余裕ある職場だと、相談しても怒鳴られないんだぜ。萎縮もしないですむ

TAKERが自分教育係の職場しんどい

GIVER,MATCHERが多い職場自分がGIVER,MATCHERだとうまくいく

これ大事だったかも。クソ上司に当たると病む

中高一緒で仲良かった同級生(精神医)に自分のこと相談するとADHDほどではまったくない、発達気味と、言われた

振り返ると6年前は他者言葉で自信喪失しきっていた。


■似たエントリーを見たので、自分過去記事見直しながら、現状を書いてみる

殴り書き。文章おかしいけど、勢い任せ

6年前の自分へ。その職場で掛けられた言葉は全部大した事はなかった。仕事で自信無くして、死にたくなってたけど、1年後は全然違ったし、6年経ったら年収1000万いけた。

https://anond.hatelabo.jp/20140314033333


■6年前の自分

企画系が好きだったから、コピーライターなったけど、2ヶ月で辞めた。

アルバイト求人広告制作は、1件記事書いてもせいぜい3000―4000円にしかならない。

当時の評価される仕事一日何件OK記事を作れるかだ。

自分が求めていた記事の質(=ミスマッチのない求人応募数が増える)はお金を生み出せなかった。

自分制作スピードが遅いか職場お荷物だった。ボロクソに言われた。今でも当時の事を思い出してしまう。


求人広告会社

辞めてから1年で潰れた。

罵詈雑言言われた年下の連中の仕事の仕方、振り返ればクソだった。

ここで否定された自分性格能力、ほかの会社仕事ではお金を作れる力だったよ。安心してね。


求職者支援訓練時代

離職後、職業訓練(求職者支援訓練)でweb学校6ヶ月行く。

web制作知識(html,css,wordpressの使い方)

photoshopIllustratorの使い方学ぶ。

フォトショイラレちょっと使えるようになると結構今後に役に立つよ。そこで仲良くなった人とは今でも交流ある。


仕事

基金訓練行きながら、バイト仕事探しはじめる。

経済系のニュースサイト会社に潜り込める。

そこで優しい先輩に仕事の進め方習うよ。

稼いでる会社、稼げる仕組み、地盤がしっかりしてる会社は何事にも余裕がある。前の会社が異常だったのがわかる。


副業ネットニュースライター

同時に副業ネットニュースライター兼副管理人仕事も始める。

合計で手取り500万円くらいなって、ようやく人並みの生活送れる様になる。ちょっと贅沢もできる。精神も落ち着く

実家に帰る

ネットニュース仕事しながら実家仕事手伝う。

実家仕事は年に30万円ももらえない。

けど年老いた両親が安心するからよかった。


同人制作はじめる

同人制作が稼げるの見つけるよ。やった事なかったけど、3ヶ月リサーチマーケティング、準備して企画して広告戦略してオリジナル作品売り出す。一作目で200万円くらい利益出る。数作品作って2020年は1000万利益出た。2021年はやり方工夫して3000万円位の利益目指す。


お金のこと

お金稼ぎは能力に正比例するんじゃなくて、需要が多くて供給が間に合ってないところだと稼ぎ安いのでは。浮ついたお金稼ぎの方法なので、全力でやって稼いでおこうと計画投資とかの勉強も、と思うが勉強するより同人作品作った方が確実にお金になる。なので、制作時間投資する。

子供の時から、周りの大人自己破産してきたの見たから贅沢や手を広げるのはしない。余剰資金投資も固いの回さない。


コピーライターで学んだこと

コピーライター養成講座で学んだリサーチの事とか、販売ページの説明文作りでめっちゃ役に立ってる。自分が得意だって思ってた企画とか考える能力は間違ってなかった。同人制作めっちゃ役立ってる。


■前の会社でかけられた言葉

人より仕事が遅くて馬鹿にされて否定されたけど、そういう人の言葉思い込みが激しかったり、クソ狭い視野の中で決めつけられたものだったり。何の役にも立たないから反芻したりするのは時間無駄無駄無駄しかない。

それよりも、自分可能性を信じてくれる、人の言葉の方を何度も反芻して、前の自分競争してね。他人競争するのなんて、俺には向いてない。その時の自分の行動を肯定してあげて。


自己啓発の本を読む事より、手を動かした方が健康

あれこれ悩むより、手動かして、試した方がよっぽど進む。得るものがでかい2018年くらいからどんどん読まなくなってきた。啓発系の本は概要読んで、Amazonレビュー読むくらいでいいんじゃないか。読んでもひと月で忘れるし。


■人への接し方

否定から入る奴は大抵くそ

否定するのは簡単マウント取れやすい。心理的優位に立とうとしてる奴が多い。

自分はそういう人にならない様に「アドバイスはしない」「考えてる事を聞く」「良いとこをさくっと簡潔に言う」

これだけで人は救われる。

あとはその人次第だ、自分問題ではない。


■前エントリー声かけてくれた方へ

優しい言葉は時折見返して、勇気をもらいました、本当にありがとう

https://anond.hatelabo.jp/20140718122039

>>コピーライターではないけど一応クリエイティブやってる立場から。<<

わかりやすかった、自営だったらなんとかなった。

会社勤めはどうやら得意ではなかったようだ。


https://anond.hatelabo.jp/20140718233214

>>増田と同じような悩みもってる件について<<

一番アドバイスが的確だった。6年で何度も見返したよ。

書いてくれて、ありがとう


https://anond.hatelabo.jp/20140718105236

>>仕事の内容そのものに適性があったとしても、実際に仕事として成立するとは限らない。

増田はそれなりに自己分析できてるから、これまで生きてきた30年間の人生アウトプットを踏まえると、

そのことにとうに気付いていてもおかしくないのだけど。

このままいくと、スーパーハカー目指してるのにいつまでも「できる○○」シリーズ読んでいるような、

永遠ワナビーなっちゃうよ。<<


仰るとおり、ワナビーだった。自己評価も高すぎた。いろんな失敗や学生時代や、地元以外の外の人から心底呆れられる経験

自分の出来なささを認められるようになったら地に足ついた手順で努力できるようになった。できなくて焦るのも認められるようになった。


lost312 今さら読んだが、この人は大丈夫だな

ありがとう、この言葉、何度も思い出した。

ヘタレとき、昔の記事読んでこの言葉めっちゃ探した。

ありがとう


ono_matope "そこで「好きを仕事にしてみよかー」と思い、某有名講座を受講" なんかここがダメ


全然ダメじゃなかったぞ

受講してすごい役に立ってるぞ

この記事読んでる人はこういう言葉投げかけられて、凹んだ経験ある人も多いと思う。

こういう発言する人は言葉責任も持たないし、どうせ大した実績もないかスルーしよう

つい反芻するくせあるけど、冷静に「こういう言葉言われたが、この人の判断であって、自分には関係ない」

自分肯定するのが大事だ。


■今、会社で死にたくなってる人へ

プライド邪魔したり、周りに話を聞くスキルが低い人ばかりだとやばいよね。

思い切って増田投稿してみたら?

しかったり、助けになるアドバイスたくさんもらえたよ。

やべーアドバイス書いてる、けどまぁいいか

---2021.01.01追記----

あけましておめでとう

このエントリ読んでる人で、職場無能扱いされて死にたくなってる人へおすすめ記事

働く仕事内容、進め方、スピード自分の適正でここまで評価違うんだよって話。あなたにとってあった職場が見つかりますように。

無能と思われたら職場を変えたらいい

https://anond.hatelabo.jp/20170204103326

2020-12-01

anond:20201201221707

そうなの?

若い女貧困みたいに特集されてるとモヤモヤする

こういう人達はなるべくしてなったのではと思ってしま

稀に本当に運が悪い人もいるけど

最初から風俗パパ活なんかに頼らず仕事探してれば苦労しなかったのに

2020-11-26

家族不採用通知は辛い

よく仕事探しは「選り好みするな」とか言われるけど、母が数え切れないほど履歴書を書いてきたことを知っている。

なんでどこも採用してくれないんだ。職歴か?年齢か?見た目か?

働きたくなくても働かないと生活できない社会なのに、どうも一度あぶれた人間に厳しすぎる。

腰を擦りながら「次のとこ、探さなきゃね」と呟く姿が悲しい。

こんなこと進行形で養ってもらってる学生が言うことじゃないかもしれない。だからこそ、卒業したら自分が働いて親孝行するのが当たり前なんだろう。それはわかるんだけど。

自分よりしっかりしてる親が職に就けない状況で、俺が就職できる気がこれっぽちもしないのな。

だって就職したくなくて親の金Fラン進学するわ、接客業バイトで突然声が出なくなるやつだぞ。俺がどっからどうみても社会不適応者のクズだ。両親の良いところは何一つ受け継がなかったようだ。

まあ俺が駄目なのは重々承知してるし、自分一人ならとことん逃げ続けてやろうと思える。いざとなったら責任放棄したっていい。

けど、ちゃんと頑張ってる人間が報われないのは普通に辛い。

特に家族努力否定されるのは、苦しいんだよな。

2020-11-19

実家に帰りたくない

現在求職中のアラサー男です。

今は東北田舎一人暮らしをしています


IT系会社プログラマーをしていたのだが、今回コロナの影響を受けて職を失いました。

それで親から実家に戻ってきたほうがいいのではないかと言われているのだが、正直言うと実家に戻りたくは無い。


理由としては

実家がある場所は今よりかなり田舎 (正直限界集落と言ってもいいレベル) なので自分希望しているIT系仕事が無いことが予想されること

IT系仕事がないため、おそらく求人のある介護系の職などに就くことになると思うのだが、自分としては希望したくないということ (自分の好みと違うという意味介護自体を下に見ているつもりは無い)

・今の自分には一人暮らしが合っていて他の誰かと生活するのが難しいこと (例えば、年末年始などに実家に帰ってもほぼ自室にいる)

・両親がITに疎く仕事への理解があまり得られていない (「今 転職サイトを使っている」というだけで怪訝な顔になる 転職サイト自体の是非ではなくネット自体を怪しんでいるレベル)

他にも理由はあるがこの理由が大きい


正直子供ワガママと言われても仕方ないとは思っているが、自分としては切実な問題で困っている。

できれば東北から関東に出て仕事探しをしたいのだが、家庭の事情東北から出ていくのはほぼ無理と言ってもいい。

なんとか今の住居から仕事に就けるようにしているのだが、うまくいっていない。


両親とこれからについて電話するたびに、「もう連絡を取りたくない」という気持ちが強くなってしまって困る。

同じような方がいるかからないが、もし同じような問題解決した方がいればアドバイスなど頂けたら助かります


親と縁を切るのは最後の手段にしたい。

2020-11-17

anond:20201117130448

家を与えるだけでいいなら、今でも生活支援とかあるじゃん

大抵シェアハウスや相部屋だし、生活自由度は下がるけど

少しでも元気な人は、常に仕事探しや自立の方向へ促され続けるし

そういうのが息苦しいかホームレスを選ぶという人もいる

もちろん、支援を受けたいがどう支援と繋がればいいかからない人もいる

とにかく家を与えろ、じゃなく一人一人が何を望んでいるのか、どういう接し方がその人に合うのか

そういうことに一つ一つ向き合うべきだと言っている

2020-10-29

ブラック企業で働くことは社会悪だとなぜ分からないの?

ネタではなくマジな話だから聞いてほしい。

俺は13年前まで飲食店フリータをしていたが、あまり労働力賃金釣り合っていなかったからやめた。

その後8年間ニートをしていたのだが、遂に両親から勘当され手切れ金を渡され,追い出される形で家を出た。

俺は住む場所を確保しようと、その手切れ金で、行政書士生活保護申請代行を依頼し

現在まで生活保護を受けながら暮らしている。(現在受給生活5年目)

世間はこんな私を税金を食いつぶす怠け者だと思うだろうが、それは違う。

受給していた当初から仕事は探していた。 問題があるのは私が面接を受けた企業の方だ。

俺はハローワークを利用して 数え切れないほどの面接をしてきた,まともな社会復帰をする為には、まともな企業で働かなければならない

から俺は面接の際に、以下の事を必ず確認するようにしている

<>

サービス残業させてないか

・時給は5分単位計算してるか?

・着替えや朝礼など 下準備にも後片付けにも時給はキチンと発生しているか

制服など仕事必需品は給料天引きさせていないか

<>

今後もこの質問は続けるつもりだ。違法企業に加担するわけにはいかないからな。

しかし驚くべきことに私は現在まで1つも受かっていない。 コンビニスーパー介護、土方、全部落ちた

俺が質問した途端に顔をしかめ、動揺したり、はぐらかしたり、無気力な態度になったり

ひどいときには突然キレられた事もある・・・正直絶望したね、世の中には、これほどブラック蔓延っているのかと

俺は数年前にこの体験SNSつぶやくと 次のような意見が出てきた。

・みんな多少の違法妥協して働いているんだからお前も少しは多目にみろ

労働基準法をそこまで細かく守ってる企業はないのだから少しは妥協しろ

税金を払うためにブラックでもいいから働け

もう呆れたよ、要するに違法行為を見てみぬフリをするのが普通だってことか・・

から言わせりゃこんな連中は社会悪だ! ブラック企業がなくならない最大の原因だ!

違法に対して我慢するのが偉いって・・単に悪に訴える事もできないただのヘタレじゃんww

ここで皆さんに言いたいのは、生活保護受給者が長期に渡って継続しているのは

怠け者だからではない。みんな仕事探している、というか仕事さないと打ち切られる

ただ労働基準法を守ってるまともな企業採用されないのだ

からといって「ブラックでもいいから働け!」というのは当然間違っているよな。

違法な働き方をさせていると知りながらそこに加担するのは極道に入るのと一緒だ!

なぜブラック企業で働く事は社会悪だという事が浸透していかないのだろうか…

2020-10-24

anond:20201024231740

いや一時的お金あればいい。仕事探しお金貯めて独立したい。学歴だけはあるから自信はある。

2020-10-22

anond:20201021210748

その1:みゆさんは世間知らずで「無職の人でも工場なら誰でも雇ってもらえる」と素朴に思っているか仕事探し応援しようとした。

その2:「他の人は体力が余っているから歩いているだけで、動く歩道で歩かない増田問題ない」とフォローしてくれている。

その3:「俺、若い女性に話しかけてもらえないんだ〜(ニヤニヤ)」は普通にセクハラなのでキレた。

増田彼女発言を悪いように受け取り過ぎ。

2020-10-06

死に損ないの日々

 私はいつも〈なぜ自分が生きているのか〉 を考える。

 なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告たから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。

 長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。

 あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。




オナニー開始

 私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつから自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ

 死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。

 それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校図書館にある絵本漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。

 中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったかものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。

 恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかたか告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。

 そして、私は一人の女の子出会った。

 彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするとき自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。

 はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃん彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃん媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。

 彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働き彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。

 それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。

 偶然休みだった彼女母親にも会ったときには挨拶して、彼女父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。


 ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。



 そして、夏休みにはなんの因果彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。

 前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から彼女とのちょっぴりえっち関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。

 その後学校が始まってからもそのえっち関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。

 どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。

 その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。

 二学期終業式の日に初めて彼女性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってから風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。

 彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室彼女こちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。

 彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。

 話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。

 『兄』のとき彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のとき彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。

 迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。

 しかし、いつから彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。

 学年が上がり彼女クラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。

 3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。

 『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリ希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。





●●●●●読み飛ばし向けの説明●●●●●

 可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。

 でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。


 私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。

 その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかたから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。

 そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。

 立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。

同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○

のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。

 大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからいから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。

 そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計負担はかけないと思ったからだった。

 その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。



 そして、19歳になった。

 

 正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議気持ちだった。それでも、10年も前から予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。



 そして、成人した。

 こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか

 また、今まで『余剰分』と思っていたもの想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。

 そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。

 しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。

 そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったこから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実世知辛いそもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣渡り歩くだけだから悪いのだけれど。

 あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いとき代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。

 オナニー終わり。

 ここから相談。クソ長い私の人生のおさらオナニーを見てくれてありがとう





 生きるモチベーションが無い。

 死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。

 もう前みたいに好きな文章自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生オーバーラン気持ちが拭いされないから、未来希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい死ぬはずだったのに、死に損なった。

 そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者未来希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。

 いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたいホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたか自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。

 一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。

 死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。

死に損ないの日々

 私はいつも〈なぜ自分が生きているのか〉 を考える。

 なんて書くと格好良い気がする。でも残念ながらそんなに高尚なことではない。今から書くのは私の短い人生の中での経験とそれに伴う思考なのでオナニーにすぎない増田を書くよ。長いよ。忠告たから「長い」は書かないでね。長くてもいいよってやつだけ20代女のオナニー見てくれ。出来れば助言をくれると嬉しい。

 長いのは読むの面倒!でも助言はしてやる!みたいな奇怪な人がいるなら、ラスト1画面分くらいのところまで飛ばしてくれてもいい。その助けようとしてくれたのが有り難い。

 あと、これを読んで(あいつか?)と思った私の友人はそっと見なかったことにしてくれると嬉しいな。




オナニー開始

 私が死を感じたのは小学生低学年くらいの時。いつから自分は長く生きられないと思った。それは(最初はたぶん違ったけれど)具体的には18で死ぬと思ってた。誰かの死に触れたとかのようなきっかけも特になく、ただ漫然とそう思って、確信していた。私は18に左側から来た車に追突されて死ぬ

 死ぬのは怖かった。幼稚園くらいの私は『お母さん』になって、こどもが3人いて、休みの日はみんなでゲームをするような家族に憧れたけれど、流石に18ではそんなこと出来ないから少し悲しかった。でも生き物はいつかは死ぬものからと次第に諦めて、今を楽しむことを決めた。

 それからは色々なことをやった。何も知らずに死ぬのは嫌だったから本を沢山読んだ。具体的には小学校図書館にある絵本漫画じゃない本で、「未来」に役に立つもの以外の思想系や哲学系の本はほぼ全部読んだ。あとは「やりたい」と思ったことが出来たら積極的にやるようになった。

 中学生になるとますますその『死』に近づいたから今のうちに!という意識は加速した。ちなみに中学校の隣に図書館があったかものすごく沢山の本を読んだ。それに伴って自分文字を書くようにもなった。とても拙いものではあったが、楽しかった。

 恋愛をしたかった。小学校では気になる子はいたけれど、彼は人気者だったし、ただ話しているだけで楽しかたか告白はしなかった。それをすごく後悔した。だから中学校では恋をしようと思った。

 そして、私は一人の女の子出会った。

 彼女に想いを寄せたのは中学1年生。入学式直後のクラスで、一番初めの自己紹介をするとき自分の好きなものを周りから引かれるくらい話している彼女が楽しそうで、キラキラしているように見えて、興味を持った。

 はじめは小学校が違うし、彼女の好きなものは私の知らないものだったからなかなか話せなかった。私は踏み込めるタイプではなかったのだが、席が近くて小学校は違ったけれど話が合って一緒に帰っていたAちゃん彼女と好きなものが一致していたようで、Aちゃん媒介して彼女とも少しずつ話すようになった。

 彼女は絵がとても上手くて暇があればすぐ絵を描いていたからそれをずっと眺めていた。私は練習したが絵が全く描けないので目を輝かせながら鉛筆を動かし続ける彼女がうらやましかった。彼女は、「何も知らない」私に彼女の好きなものをたくさん教えてくれた。そうして、両親が共働き彼女の家に行って彼女の好きなものを見せてもらうことを沢山していた。彼女の好きなものを見せてもらって、それを元に文字を作ったりもした。

 それは本当に楽しくて、また彼女も私が沢山知ろうとするのが嬉しかったのか段々と彼女の家に行く頻度も増えた。彼女の家と私の家、また学校までは地図上で鈍角二等辺三角形くらいの逆方面ではあったのだが、私は毎日のように通っていた。

 偶然休みだった彼女母親にも会ったときには挨拶して、彼女父親とも少し気まずいながらも挨拶をして、彼女とはどんどん楽しく話すようになっていった。


 ここから私の『恋』が始まるのだが、想いが無駄に多くて無駄に長いので読むのが面倒な人は●●●●●まで飛ばしてほしい。



 そして、夏休みにはなんの因果彼女とはキスをした。しかも舌を絡めるやつ。はじめてがべろちゅーな中学生だった。

 前述の通り彼女の両親は共働きで家にはいつもいなかったのでその日から(正確には次の日から彼女とのちょっぴりえっち関係が始まった。彼女の耳を舐めた。首を舐めた。キスをして、抱きしめて、顔がくっつきそうな距離感でくすくす笑っていた。

 その後学校が始まってからもそのえっち関係は続いていた。彼女の家の方に行って、彼女の家か彼女の家の裏でキスをして、彼女の太ももを撫でた。

 どちらかが告白して「お付き合い」したわけではなかったので私の方からある日好きを伝えた。心臓が飛び出そうなくらい緊張したが、彼女は泣きながら笑っていたのをよく覚えている。

 その告白のあとから彼女とはこっそり教室で愛を囁いたりして、みんなにバレないようにいちゃつくのが楽しかった。

 二学期終業式の日に初めて彼女性器を舐めた。ものすごく善がっていて家に帰ってから風呂で初めてオナニーをした。生憎私は絶頂しなかったけれど、人体の神秘と思いながら自分でやってみて問題ないとわかったことを彼女にもした。

 彼女の中に初めて指を2本入れた日の翌日、一時間目の移動教室彼女こちらに歩いてきて、顔を赤く染めながら小さな声で「2本一気にいれるのはきつい」と耳打ちしてきた時は一瞬意味がわからなかったが、理解してあまりにも彼女が可愛くて、危うくクラスメイトの前でキスをしそうにもなった。

 彼女と一緒にいて、とても楽しかった。自らに来る(と信じている)死も彼女といれば忘れられた。正しくは1回あまりにも幸せだったから『今』死のうかと思って彼女に告げたことはあった。泣いて止められたので二人で抱き合って泣いたのをよく覚えている。

 話は少し変わるのだが、私には悪い癖があった。自分自己催眠のようなものをかけていたのだ。それでありもしない『過去』を話したり、存在しない『昔の友達』の話を自分に刷り込んで、自分に自信を持たせて、死を感じたりしない元気な少女を演じていたのだが、小学6年生くらいの時から人格が出来始めた。別に多重人格というわけではなく、いわばイマジナリーフレンドのようなものなわけだが、数が多かった。男や女は勿論犬や猫、アンドロイドなど様々なものを生み出して、自らの支えにしていたし、その中でも特に優秀な人格を『兄』や『姉』のように扱った。また、『兄』や『姉』に自分が成りきることで『私』には出来ないことをやってのけたりしていた。それを彼女の前でも出してしまっていたのだ。私の口からそれは説明しなかったので、彼女最初は混乱していたが次第に受け入れてくれていたように思う。

 『兄』のとき彼女をどうしても手荒に抱いてしまっていた。『狼』のとき彼女の至るところに噛みつかないと気がすまなかった。『猫』のときは沢山撫でてほしかった。

 迷惑をかけているのはわかっていた。けれど、私は自分ではない自分も受け入れてほしかったのだと思う。彼女はよくやってくれた。『私』を愛しているから、と彼女が言ってくれたときは私は自分のすべてを彼女のために使ってもいいと思えるくらい嬉しかったのをよく覚えている。

 しかし、いつから彼女は私と距離を置くようになった。理由は分からない。彼女理由を教えてはくれなかった。だからきっと私になにか落ち度があったのだろうと思っている。そうして彼女との蜜月関係は終わってしまった。

 学年が上がり彼女クラスがわかれたことで話すことすら叶わなくなって『自然消滅』のようになった。そうすると忘れていた死が襲ってきた。やはり死ぬのは怖かった。でもその傍らで死んだら彼女は私を見てくれるのだろうと期待した。

 3年になり、彼女は本当に私と話さなくなった。おそらく私が死んでも見てくれないのだろうと思うほどに彼女は私と目を合わせようともしなかった。

 『兄』は彼女に一番執着していたので「やり直したい」と言った。沢山アドバイスもくれた。『猫』は『兄』に賛同した。それでも、私は行動にはうつせなかった。だって、今は『自然消滅』だが、『兄』の言うようにすると明確に終わってしまう。私は、終わらせたくなかった。1ミリ希望はないのはわかっていたが、それを見たくなくて現実から逃げた。





●●●●●読み飛ばし向けの説明●●●●●

 可愛い女の子といちゃついて、ABC全部した。楽しかったです。

 でも女の子によって自然消滅させられた。悲しくてずっと引きずってる。


 私は高校に進んだ。彼女とは違うところだったので彼女と私の繋がりはなくなった。私は彼女を想いながらも、死までの日々を送った。

 その頃になるともう「死ぬ前にやっておこう」という感情が強すぎて、いろいろなことをやった。好きな漫画をすべて揃えた。文字を書くのが(現実逃避として)楽しかたから暇があればペンを動かしていた。毎日何かしらを作って、自らの生を感じていた。

 そして、18歳になった。明日死ぬかもしれないと思いながら日々を過ごした。でも、『今日』は生きてるのでやりたいことを積極的にやる日々は続いていた。

 立派な同人オタクにもなっていたので同人誌も沢山買った。高校生でも18は18だから買えたのは嬉しかった。でも、沢山物は買うが、そろそろ死ぬと思ったので処分先は一覧にしていた。

同人誌はISBNついてなくてブックオフに売れないので池袋の○○というお店に売ってください。電話番号→○○○○○○○

のように1円でもお金にして還元できるようにしていた。部屋は定期的に片付けをしていた。気持ちとしては片づけというより身辺整理だったが。

 大学受験はどうせ死ぬのに必要かわからなくて、やる気が出なかった。しかし、18のいつ死ぬかわからいから『大学生』になるのもいいかと思って、とりあえず受けた。勉強意志が無かったので落ちまくってfランにすら入れなかった。

 そしてとりあえず大学生になった。人生も終わりだから沢山遊んだ。遊んで遊んで、遊びまくった。具体的には奨学金もほぼ全て使い込んだ。4年分の学費を払わなくていいから今死んで返済が親に行っても家計負担はかけないと思ったからだった。

 その頃になるともう死は怖くなかった。この時点で人生の半分はもうすぐ来る死を考えて生きてきたのだ。流石に向き合えるようになっている。



 そして、19歳になった。

 

 正直驚いた。まさか迎えるとは思っていなかった19回目の誕生日はなんだか不思議気持ちだった。それでも、10年も前から予言?が少しズレるのは仕方のないことだと思ったので、後悔しないように生きようと思った。



 そして、成人した。

 こうなってくると混乱するのだ。人生の半分以上の芯が歪んでいるのだから当然だろう。流石にオーバーランが過ぎるのではないか

 また、今まで『余剰分』と思っていたもの想像以上に多かったことにも気がついた。そうして、私は一気にやる気を失った。だって今まではゴールテープがあったからそこまで頑張って走っていたのだ。マラソン大会でゴールと思ったらまだグラウンド1周あった!はまだ頑張れる。しかし2周は流石にやる気をなくす。まだあるの?となってしまったのだ。

 そして気がついたら学ぶ意欲もなくしていた。だから大学をやめた。とりあえず働くことにした。

 しかし、今まで『後悔しないために』お金は余すことなく使い続けてきたのだ。だから貯金がない。でも、今までの生き方は変えられないからあったらある分だけ使ってしまう。

 そして学生時代より多くの収入を得たが、扶養ではなくなったこから出費も増え、でもその生き方が変えられなくて、この間遂にプ○ミスに手を出した。良くないとはわかっているけれど、お金が無いと生きていけないのだ。現実世知辛いそもそも仕事探しにも本気になれなくて派遣渡り歩くだけだから悪いのだけれど。

 あと欲に逆らわない生活をやめられないので1年で20キロほど太っている。明日死ぬかもしれないから食べたいものを食べる!を続けている。若いとき代謝があるが、段々と衰えることで脂肪に変わるのはわかっているが、やめられない。

 オナニー終わり。

 ここから相談。クソ長い私の人生のおさらオナニーを見てくれてありがとう





 生きるモチベーションが無い。

 死んだあとのことはずっと考えている。本を売る場所リストは未だに存在しているし、保険証の裏面の臓器提供欄はすべて提供するに○がついている。若い体だから使えるなら使ってほしい。生きたいと願う人間の役に立てるなら本望だ。血も臓器も皮膚もすべて提供してもいいと思っている。それで誰かが救われるなら生きていた意味があったと喜べる。

 もう前みたいに好きな文章自分の中の好き!を表現する気力も体力もない。未だに人生オーバーラン気持ちが拭いされないから、未来希望も持てない。年金は払っているけれど、18で死ぬと信じていた人間に75までの想像はできない。なんなら30の想像もできない。こどもを産むどころか彼氏彼女すら作ろうと思えない。未だに『彼女』は私の心に居る。あの楽しかった、キラキラした思い出を抱きしめて死にたい死ぬはずだったのに、死に損なった。

 そうやって毎日毎日死に損ないが生きている。どうしたらこの『死に損なった』のはなくなるのだろう。「今の若者未来希望が持てない」なんて言うのを聞くが、私の希望の無さはベクトルが違う。誰とも分かり合えない。

 いっそのこと隕石が降ってきて殺してほしい。通り魔に刺されて死にたいホームで人混みに押されてバランスを崩してしまいたい。青信号で渡っていたら老人の暴走車に轢かれたい。車に轢かれる死を思っていたか自殺は怖くて出来ない。でも死にたい。そんな思いを抱えながら生きることに意味はあるのか。

 一気に打ち込んだので誤字脱字してそうだし、読みにくい表現もあると思う。ここまで読んでくれてありがとう。書いておいて、しかも読め!とか言っておいてなんだけど、こんなものを読ませてしまって申し訳なく思う。ごめんね。

 死に損ないはあと1ヶ月でまた1つ年を取る。

2020-09-05

anond:20200905094440

仕事探し始めたよ

このぶきっちょな笑い方をたたえてやって来たんだよ

2020-09-04

無職病人日記m+n日目

何日目か数え忘れたし、ややダウナーなのでこのままで。

再診は問題なし扱い。

ただ、さっき化膿している方の傷から出血。着衣に付着した。

痛みはロキソ系の鎮痛剤で対応

昨夜〜今朝は喉の違和感が強く、目が覚めてとりあえず水分取って寝直したら昼だった。

どうにもやる気が起きない。

仕事探しも同じく。

ネサフもゲームも。

早くあれこれまとめないと忘れそうだが、似たような体験記ばかりあってもなという気持ちと、とはいえバリエーションはいくらあってもという気持ち

筋トレ等は術後1ヶ月以上経ってかららしい。

生きてくのはめんどくさい。

いつだってだいたい楽しく過ごせるが同時にとんでもなくめんどくさいとも思う。

代替人員が配置される度に、自分は役に立たなかったんだなと落ち込むのも止めたいが。

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