はてなキーワード: 上前とは
多分"同好の士を探しにフラ~っとスレに立ち寄った"ぐらいの感じでいきなりあの食糞コピペをぶつけられてまぁ狼狽したよね。
心の底からクソだな、という思いと、信じたくねえな、という思いと、
色んな感情が交錯して、まだ10代とかだったし、相当こたえたと思う。
でも、結局コーネリアスとかフリッパーズ聴くのやめるまではできなかったんだよな。
それからも、「良い曲だなぁ」「でも人間としてはクソなんだよなぁ」って
聴くたびに相反する感情に苛まれて、好きなアーティストとして挙げるのもはばかられるし。
定期的に掘り返されては燃えて。
まあ、一言で言うとしんどかった。
もちろん今回の件も。
で、ずっとこういうアンビバレントな思いを抱えて聴いていくんだろうなぁ、って思ってたところで、
今回初めて小山田自身からあの件についての正式な言及と謝罪があって。
あの文章でカタ付けられるなんてファンの欲目だろ、と言われれば、うんそうだね、としか言えない。
(ライターの代筆じゃねえか、と言いたいのも分かる。が、文責:小山田圭吾なのは事実だ)
多分世間からは許されないと思うし、これからも事あるごとに燃え続けると思う。
けど、あれで少しは楽になれた人間もいたということは、ここに書き残しておきますね。
同級生にウンコを食わせ、自慰を強制したり暴行を加えたりといったことを過去の武勇伝のように話している。
なんて酷い話だろうと思う。被害者の気持ちを考えると胸糞悪い気分になる。
だがな、あえて言わせてもらう。これはもう20年以上前の記事なんだよ。
ちょっとした知的障害を持っている同級生の女の子がいじめのターゲットだった。主に性的ないじめで、学校中で噂されていた。教師は完全に見て見ぬ振りだった。当時はそういう風潮だったんだよ。
今更、過去のいじめの話を蒸し返されて辞任要求されても無理があるだろう。
これと同じことが小山田さんのことでも起こっている。確かに酷いことをしたのだろう。だけど、人間社会に時効という制度がある意味も考えなきゃいけないよ。
ちょっと前までこの手の業界いたけど、AIで交通量調査ってアイデアとしてはめちゃくちゃ陳腐で少なくとも4年以上前にはいくつも製品化されてんだわ
それでも普及しないのは、カメラ置いて画像解析って言うのは簡単だが、屋外でプラグアンドプレイにするのは難しいからだよ
取り付け位置によってfpsや画質や画角の調整要るし、カメラの角度は実際の画像を見ながら行う必要があるし、外乱に合わせた色調整要るし、IP66必須だし、同じ車両のダブルカウントを防ぐ必要あるし、死活監視しないといけないし、盗まれないようにしないといけないし、塞がれるのも防がないといけないし、等々
特に調査会社にとってはデータが取れなかった時のリスクが大きい
鈴鹿の信号機柱が折れた原因が犬のおしっこだというNHKのニュースが人気だけど、この報道ちょっと短絡的なんよ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210713/k10013135901000.html
地中に尿素が沢山検出された→尿に含まれる塩分のせいで腐食が速く進んだって理路だが、この科捜研の推理、間違いじゃね?普通こういう場合に一番に疑うのは「近くに電話線が埋設されていないか?」って事なのだ。
https://goo.gl/maps/syr4awTVenxKDcHZA
無塗装無被覆の亜鉛メッキ鉄柱だ。
信号を動かすには電気が必要だから電線が引き込まれている。最初期のリレー式信号機はこれだけで良かった。
ところが最近、と言っても30年以上前からはそれだけじゃなくて通信線が必要になっている。国道などの信号機はある程度のグループにまとまって連動して動いている。バラバラだと渋滞を惹き起こし旅行時間(到達時間の行政用語)をいたずらに長くする。
これは最近進んでいる歩道橋の撤去にも絡んでいる。スタンドアロン信号機しかなかった昭和中期では歩行者の安全の為に信号機を設置すると渋滞が酷くなってしまう。その為不便で高価な歩道橋を設置するしかない。しかし年寄りなどの交通弱者には利用が困難でジェイウォークが頻発して結局事故になる。現在のネットワーク化された連携信号機なら赤と青が連続させられるのでいくら設置しても渋滞は悪化しない。
更に最近(と言っても30年前から)では警察署で中央管制が出来るようにしている。
これには多くの利点がある。まず現場まで行かなくても信号パターンをプログラム出来るので柔軟に運用できる。更に大きいのがカーチェイスの抑制だ。市街地でパトカーの制止を聞かずに逃げるとやがて前方の信号は全て赤になる。追尾の警邏パトカーは結構やる気ないような走り方をするがやがて管制室が作り出した渋滞につかまるからそれでいいのである。交差交通の方も赤の全赤にしておけば事故の可能性は更に減る。カーチェイスの事故で警察も悪い、悪くないの論争になる事があるが、警察の肩を持つ余りカーチェイス事故の責任をも全面的に免責するのはこういう理由で間違っている。責任があるから予算を組んでこういうシステムを整備するのである。
矢印信号をデフォルト装備にしておけば災害時に特定地区への進入を阻止する事も可能だ。
この為の通信線は「専用線」を使用し、アナログとデジタルがある。専用線は何も交通信号だけではなく、銀行ATMや企業の支社間、マスコミ企業なども使用していて警察電話などもそうだ。アナログ専用線は要するに専用の電話線である。
https://goo.gl/maps/bdENtmii5Ck6nJ4e6
ボックスへの曲がりが緩いので光ファイバのようだが更新前はアナログだった可能性もある。
電柱に掛かる線というのは高さによって3つに分かれている。
一番上には3本の線が距離をおいて張られている。これは高圧線でそれぞれ3300Vの電圧がある。3つがそれぞれ電圧の波がずれて送電されているので電線間では6600V。触れると危なすぎるので一番上に張られている。
柱上変圧器で家庭で使える100Vに変圧された電気は真ん中の線を流れて家に引き込まれる。これも三相で電線間の電圧は200Vだが家庭の電灯契約ではそのうちの一本100Vだけを使用する。
先ほどのストビューで見ると3つの線群に分けられているのが見えると思う。
となっている。終端装置へは専用線が中継器無しで引き込まれているのが判る。なお、終端装置柱の一番下にあるのは電力メーターだ。警察もちゃんと信号機の電気代を払わなきゃならない。
また、ストビューで見回すとこの交差点周囲の電柱からは電話線が多数地下に引き込まれている事が判る。このアナログ電話線に流れる電気は結構特殊だ。「-48Vの直流電流」なのである。
電話線が-48Vなんて変な電流を使う理由はボルタ電池とめっきの原理が関係している。
異種金属を導線で繋いで電解液中に置いた場合、イオン化傾向が大きい金属の方はイオン化して溶け出し電子が過剰となり、イオン化傾向が小さい方に電子が流れて水素が発生する。
逆に両極に外部から電圧を掛けるとイオン化傾向の差は無視されて陽極の方がイオン化して溶け出し陰極に析出する。これが陽極酸化現象でめっきの仕組みでもある。
アナログ電話では直流電流が必要だが、この直流が+電圧だったらどうなるだろうか?土中で漏電して、その漏電箇所ていうのは要するにめっきの陽極と同じだ。電解液である土中に銅イオンを流し続けて、近くに金属があった場合はそれを銅メッキし続けてしまう。その結果電話線はやがて無くなり断線してしまう。
逆に-電圧にすると周りから金属イオンを漏電箇所に集めて析出させるという形になる。つまり断線しない。
だがこの時近くに鉄で出来た構造物が埋設されていたら?
そう、この鉄構造物はめっきの陽極となってどんどん溶け出し、電話線の漏電箇所に鉄めっきされてしまう。埋設電話線は腐食に強いが、周囲の金属を犠牲にするシステムなのである。
だから埋設金属が早く腐食した場合、電話線の埋設は真っ先に疑われるのである。この電流はほんの微量で構わない。単三電池でも簡易的なめっきは出来るのだから。
だから科捜研は折れた柱周囲を掘り返し鉄分分布を取って変な分布傾斜が無いか調べるべきだったし、土中に電位差が無いか調べるべきだった。それ以前に電話線の埋設が無いか、過去無かったかをNTTに聞くべきだった。何しろ信号自体が電話線(専用線)を使うシステムであるし、その端末装置がある柱は折れた柱の直近なのであるから。更に近くの電柱から電話線が地中に引き込まれているのだから。
2016年に大阪の池田市で街灯が倒れて女児の指が切断されるという事故があり、池田市が「犬の尿が原因」という調査結果を出した事があった。それに寄せる為の調査が行われたという気がしてならない。
一方、NHKは科捜研がそれらの可能性を調べ尽くしたかを確認すべきだった。その上で犬の尿という仮説しか残っていないのならニュースバリューがあった。
犬の尿で倒壊っていうのは面白ニュースだからその説に飛びついてしまったのだろう。仮令誤報でも問題も起きない類のイシューだ。
しかし知的好奇心を途中で放棄してしまっている。犬の尿説で笑ってお仕舞にしたら交通信号の仕組みも個人では馴染みの薄い専用線の事も電話線とめっきの関係も頭に入ってこない。電柱を見てもただの邪魔な風景としか映らないままだ。路上観察の動機を逃しているのだ。
最後に散歩時の犬の放尿について愛犬家に尋ねたりして倫理問題にしてしまい、論拠が不十分である事を視聴者に忘れさせる構成だ。この構成の効果はメディアリテラシーの問題でもあるだろう。
すごく分かる。10年以上前だけど、当時の優勝校の部誌に掲載されたら作品が「おばあちゃんとの心温まる交流」とか「クラスで孤立していた子に友達ができる話」とかばかりで、厨二病だったからうっせえわ状態だった。大体偏差値も高い学校。
数年前、転職した先の会社の健康診断で採血が必要と言われて自殺をしかけた。その時は飛び降り直前に家族に見つかって死なずにすんだけど後5分遅かったら自宅のマンションから飛び降りてたと思う。
平常時ならそんなバカな事を、と自分でも思ってしまうが「明日、注射をする」という辛さに耐えられなかった。
健康診断の一カ月以上前から、暗い顔をして黙り込むことが多くなっていたらしいので家族は心配していたらしい。
その前に在籍していた会社がコンプライアンスガバガバの弱小企業だったので健康診断は受けたい人だけ受ければ?というスタンスでまともにやったことがなかったが、定期健康診断には採血必須なんですね。サラリーマン辛い。
死ぬくらいならもうしなくていい!と家族に泣かれながら力説され、それ以来採血だけスルーしている。会社からは何も言われていないので当面はこれで凌ぐつもり。ほんとすみません。
子供の頃から注射が苦手らしく、小学生の時にインフルエンザの予防接種で行った小児科で看護師さん5人ぐらいに体を押さえつけられて(両手両足胴体に一人ずつ)泣き叫んだのが最古の記憶。
中学生時は学校で行われたツベルクリン反応検査でパニック発作を起こして暴れまわった。その時も教師達に押さえつけられて打たれたんだと思う(ここはあまり記憶に残っていない)。
幸い、健康が唯一の取り柄です!みたいな人間なので大きな病気やケガをすることもなくここまで来ている。
幸い”任意”とのことなので打つつもりはないが、今後、打たないことで不利益を被ることもあるのかもなぁと思うと気分が重い。
ここ一年フルリモートなので人と接触することも全くないがSlackの雑談用チャンネルでも「どこでワクチン打つ?会社?自治体の?」みたいな話で盛り上がっているのを見ると内心冷や汗が出てくる。
そうでなくてもテレビをつけるとしょっちゅう注射をブッスブッスと刺している映像が流れてきて気持ち悪くなるので、ここ数カ月テレビはYouTube専用マシンと化している。あー子猫かわいい。癒される。
あまりにも日常生活に影響をきたしているので、改めて自分の症状を調べてみた。
素人がググった範囲だと限局性恐怖症の一種、注射恐怖症と呼ばれる比較的メジャーな精神疾患らしい。
>限局性恐怖症患者は,典型的には,自身の恐怖が不合理かつ過剰であることを認識している。
分かる。分かってんだよそんなことは!注射ぐらいパッと打ってはい終わり!副反応?ちょっと出たけど2日ぐらいで収まったよーって言いたいわこっちだって!
気を取り直して治療法を調べた。カウンセリングや薬による治療もあるそうだが、一般的なのは暴露療法と言われるもので
本人が恐怖を感じる対象に少しずつ慣れていくというものだそうだ。
注射の場合だと尖った物を腕に当てる、注射の映像を見る、実際の注射器を見るなどなど…。
ダメだ。想像しただけで気持ち悪くなってしまって思わずページを閉じてしまった。
よし、別のアプローチで行こう。
欲を言えば吸うタイプの全身麻酔で寝てる間によろしく頼む、といきたいところだが流石に予防接種程度でそんなことをしてくれる病院は無い。
注射を嫌がる子供向けにエムラパッチやペンレステープという皮膚表面に貼るタイプの麻酔を使うことがあるらしいとの情報を見つけたので
最悪コレか…と考えたがコロナのワクチン接種時に使ってくれる病院が近くにない。
もうめんどくさい!!!
蚊に刺されても痛くないんだからそんくらい細い注射針を作れよバカー!!!
っていうかこの世から注射なんて非人道的な物全部消えろーーーー!!!!!!
普通に考えろよ!針を!肌に!刺すんだぞ!どう考えてもおかしいだろ!痛いんだぞ!?
痛いものは怖いんだよ!それが生き物として当たり前なんだよ!
こっちだって我慢出来たら苦労せんわーーーーーーーーー!!!!
海外では鼻から吸い込むワクチンや皮膚にパッチを貼るタイプ、飲み薬タイプなどの研究が進んでいるらしいので一刻も早く実用化を!神様お願いします!を毎晩願っているし、
あわよくば自分以外の人間がみんなワクチンを打ってコロナ禍が収束すればもう打たずに逃げ切れるな、と考えている。
注射の事を考えると自分でもよく分からない感情に振り回されて辛い。
一日中ものすごく怒っていたり、一日中布団の中で泣いていたりする。
コロナが憎い。本当に憎い。
東京に4回目の緊急事態宣言が発出されることを受け、菅総理の記者会見が行われました。
https://youtu.be/d43bHPlfwhc?t=3246
先ほど総理は安心安全な大会を成功させるとの決意を表明されました。この東京大会、どのような状況を実現すれば、この安心安全な大会を実現できたと言えるのでしょうか。その具体的な判断基準について、総理の認識をお聞きします。
まず、安全安心な大会の実現に向けて、選手は大会関係者の徹底した検査や行動管理、こうしたことを行うことによって、ウイルスの国内への流入を防ぎたいという風に思ってます。これによって選手が安心して大会に参加できるように、入国する選手や大会関係者には、よって国内の感染状況に影響が及ぶ、こうしたことないようにしっかりしたいという風に思ってます。さらに今回の大会が人流を引き起こし感染拡大につながる、こうしたことは絶対避けなきゃならないと思ってます。
先ほど申し上げましたけど、これ1年以上前から、例えば首都高の料金を1000円上げるだとか、この交通の規制、あるいはこれ船もそうですけども、オリンピック期間中の着岸、接岸ですか。そうしたことに対しの対応とか。そしてテレワークについてもオリンピックというこれだけやろうと準備して進めてますから。そういう目でテレワーク交通量の規制。大会の時の人流というのはですね、現在よりも極めて抑えられて、そういう見通しの中で行うことになっております。ですからそういう中で、そうしてウイルスにも侵入されなかったと。感染拡大を阻止をしたと。そうした結果っていうのは大事だという風に思ってます。
そういえば、小さい頃は漠然と30歳くらいに死にたいなあって思っていた。
多分、周りの大人が楽しそうじゃなかったんよね。
だからある程度生きたら苦しまずにぽろっと死にたいなあって感じで。
でも実際の30歳はめちゃくちゃ楽しくて、この歳でシェアハウスを初めちゃったり、推し活にだって忙しい。
それにまだまだしたいこともある。
あの頃の私が今の私を見たらどう思うかな。
20年以上前、中学か高校の時に、肉牛を育てている農家でアルバイトしたことがあります。
子牛はどこかで仕入れてきて、それを育てて出荷していました。
子牛は可愛いですよ。犬や猫や人間など、他の動物の赤ちゃんと同じです。
お乳だと思うのか、こちらの指をちゅうちゅう吸ってくる様子が可愛いです。
目がくりっとしていて、おでこの毛がカールしていて可愛いかったです。
大人の牛は迫力があり、自分の鼻の穴に長い舌をつっこんで鼻水をペロペロしたりするので、可愛いとはちょっと違いました。
一度、子牛が病気になって寝込んでいて、獣医さんが診察に来ていたことがありました。
農場のお母さんが、「牛は商品なので、病気で死んでも悲しくはない。飼っている犬が死んだら悲しいけど。」と言っていたことが印象に残っています。
飯を食いながら眺めていたら、途中で泣いている自分に気がついた。
彼らの年頃だった自分を思い出していた。
踊っているうちの一人に何故かその頃の自分が重なって見えたのだ。
もちろん彼らのようなアイドル性もないし、ダンスだってうまくない。
垢抜けた見た目どころか、ひと目を避けるように暮らしているくらいには陰気な生活だった。
もう25年以上前の話だ。
自分が周りと違うと強烈に理解したのは、小学校5年生のときだ。
それまで親友だと思っていた友達と喧嘩したときに、「韓国に帰れ」と言われた。
こいつは何を言っているんだろう。帰れとはどういう意味なのか。自分はここで生まれてここで育った。なぜここにいてはいけないのだろうか。
もちろん韓国にも帰るような場所はないし、在日が一部の韓国人からキョッポと言われてバカにされていることも知っていた。
考えても考えても意味が理解できず、しかし、今まで垣根なんてないと思っていた親友から、底の見えないような深さで線が引かれていたことだけは理解できた。
それから自分が韓国人であることを、知人に教えることはなくなった。
中学校に上がって、同じく在日の同級生が早々にいじめに合うようになった。
自分は隠し通していたのでいじめられることはなかったが、でもいじめを止めるようなこともできなかった。
ある日親戚のお通夜でいじめられている同級生とばたりと出くわしたことがある。
なくなった人を通じて、遠い親戚だったようだ。
相手は信じられないと言った顔をしてこちらを見ただけで、一言も会話はなかった。
それからは学校で彼の顔をまともに見られなくなってしまった。いじめは卒業まで続いた。
皆が進路の話をし始めた頃、自分は漠然と高卒で働きに出るのだと考えていた。
一度兄に進学の相談をしたら間髪入れずに返ってきた言葉は、「俺らが就職できる日本の企業なんてない」という言葉だった。
パチンコで財産を築き上げたいとこだけが、有名大学に通っていた。
法事で親族が集まるとやれ同胞が暴力事件に巻き込まれただの、やれあいつが際どい仕事でどれくらい稼いだだのそんな話ばかりだった。
彼らは居場所がないなりに居場所を作ろうと必死になっている。しかし、その必死さが返って居場所を奪われる原因にもなっているのだろうと思いながら眺めていた。
そして、これから自分が生きていく世界にも、居場所なんてないのだろうと漠然と考えていた。
高校に進学はできたが、放課後はすべての時間を家の仕事の手伝いで消費した。
手伝いが終わって帰るのは日付が変わる頃で、何度学校に遅刻しても両親は何も言わなかった。
当然大学に進学できる学力はなかった。勤怠不良に加えて沢山の赤点があっても卒業できたのは、教師のお情けであるのか、お荷物を手放したかっただけなのか知る由もない。
ただ、目立ちたくないという気持ちだけで生活していたので、問題と言えるようなことは一切起こさなかった。
仲の良い友だちがいなかったわけでもないが、いつもとても大事なことを隠している後ろめたさがあったので、問題を起こさなかった代わりに関係を深められるような相手もいなかった。
小中高含めて、卒業してから同窓会というものに参加したこともなかった。表面上の案内以外の誘いが来るようなことも、当然なかった。
ただ自分が在日韓国人の家庭に生まれたということだけで、常に後ろめたさと一緒に生きるしかなかった。
何かで人に知られれば、いつ平穏が失われるかびくびくしながら10代を過ごした。
目立つことなんてもってのほかで、何かに打ち込むようなこともなかった。
そもそも放課後はすべて家の仕事で費やして、一日500円程度もらえる小遣いを休日に一人でゲーセンで浪費する生活だった。
唯一ゲーセン仲間とだけは、あだ名で呼び合うことで身元を明かさないで済む気軽さがあった。
もちろん通り名で生活しているので、名前くらいで本籍がバレることもないが。
ゲーセンの、ゲームの腕前だけが評価されるその場限りの関係が、自分にはとても心地よかった。
テレビの中で踊るBTSの一人が、妙に当時の自分と重なって見えた。
もちろん、何もかもが違いすぎるほどに違う。そもそも彼らは在日ではない。
ただ、少し癖のある髪型や、目元やちょっとしたときの表情が少しだけ重なって見えたのだ。
いや、恐れずに言うなら、当時の自分が化粧して同じ衣装を着たなら、見た目だけで言えば割と似ているかもしれない。
そう思えると、まるでそのメンバーが、もしもの世界を生きている自分のように思えてしまった。
どこかで間違えれば、自分にもこんな光り輝くような人生があったのだろうか。
あのとき、いじめを恐れずに在日であることを公表して、通り名ではなくて本名で生活していたらもっと自由に生きることができたのだろうか。
今となっては何もかもが遅く、しかし、今の日本で、韓国の若者たちがこうして受け入れられている現実が、自分は何もしてこなかったにも関わらず、少しうれしく思えた。
悲しかった。嬉しかった。言いようのない気持ちが心から湧いて出た。
澄んだ涙とどす黒い涙が決して混ざることなく同時に流れ出したような気がした。
家の仕事は全てなくなり、住んでいるところを追い出された。
すでに家庭を築いていた兄弟から支援を受けつつ、両親と狭いアパートで過ごした。
それからフリーターから肉体労働から、高卒でもある程度稼げる仕事を転々として、今の会社に拾ってもらえた。
職種は伏せるが、当時は底辺と言われた業種ながら、健全化が進み今では一つの市場として認められている業種にいる。
色々あったが、ここまで帰化する必要のない人生を歩んでこれた。
韓国人であることに誇りなんてないが、日本人になる必要もなく生きてきた。ただそれだけのことだ。
自分が生きていた頃に比べれば随分と選択肢は増えているだろう。
当然今までも韓流ブームはあった。
しかし、今までと違うのは、メディアが作り出そうとしている中高年向けのブームではなく、若者が主体となって作り出された、メディア後追いのブームだという点だ。
これからの世界を作り出していく若者たちに韓国人が受け入れられているという現実に、今までにない、どこか安心感にも似た嬉しさがある。
CMの量。もう末期なんだろうな。
結婚前にテレビ見てたのはもう10年以上前。独身時代はずっとテレビ無しで生活してたから、その感覚で考えると絶対CM時間めちゃくちゃ増えてると思う。
山奥に住んでるおじいさんに取材してたが、
・愛媛の山奥で家見つけた
・家におじいさんがいた
・おじいさんは昔東京にいた
・けどここに来た。何故か
・理由はおじいさんの両親が亡くなった
という項目ごとに内容が2、3分くらいでまとめられてたが、項目消化するごとに3分くらいのCMを挟んでくる。
内容もそんなに引っ張らなくても予測つくようなもの。おじいさんに対する他意はもちろん無いが、構成力クソすぎてこりゃ世間もテレビ離れするわ、と。
もうテレビも終わりが近いのかなと思った。
私は10年以上前に、職業運転手として大型トラックやトレーラーを運転していました。
その時の同僚が、真昼間に制限速度ぴったりで走っている大型は、
絶対止められないようにその速度で走ってるんだよ、
事実、大きな通りの道路沿いの定食屋で、昼間っからビールを煽っている運転手達を、
その同僚は酒を飲んでも顔に出ない(赤くならない)からと、
青果市場に荷下ろした後、夜中の1,2時頃、市場の食堂でべろべろになるまで飲んで、
会社に戻っていました。その頃はまだ出社時、帰社時のアルコールチェックが無い時だったのです。
呼気の検査が義務付けられたのは、2011年頃からだったと思います。
こんな奴が同僚じゃいやだなと思いましたが、或る日派遣されてきた運転手が居て、
15,000円/日(もう少し多かったかも?)と言う話を聞いたら、それが随分気に入ったようで、
ああいうのを見聞きすると、何故運転と言う業務中に酒を飲めるのか、不思議に思います。
私は運転することが好きなので、運転する時に酒を飲むことはしません。
しかし今では晩酌の習慣があるので運転手には戻れないかなと思います。
休みの前日しか酒を飲めないとなったら、それはそれで辛いだろうなと思うからです。
だらだらと書いてしまいまして、すいません。