はてなキーワード: プロ選手とは
俺も思いつかんな。
たとえばだけど、「犯罪行為によってJリーグを永久追放されたプロサッカー選手」がいたとしてソイツがサッカーで飯食うことって出来るのだろうか?
コーチやるにしても子供に教えようにも元犯罪者の時点で親御さんの評判が悪くて売上が落ちるから誰も雇ってくれなそう。
個人的にスポンサー募集してなにかやろうにもそもそも活躍の場がないと思う。
プロ選手に野良試合を挑んでボコってる様子を配信する迷惑系Youtubeとかぐらいか?
でもよっぽど上手く立ち回らないと名誉毀損で訴えられたりしそう。
つーかそんなんで下手に有名になったら家が刃牙ハウスになりそうだわ。
逆にゲームの世界だったら「個人コーチやります」とか「アカウントのレベル上げやります」とかでヒッソリ食っていけそう。
スポーツの世界だとそういう個人コーチ業とか代理レベル上げとかがないから厳しいんちゃうかな。
スポーツも賭けで食ってきゃ良いのか。
でもそれが有りならゲームも賭けで食ってく手がありそうだな。
真っ当に生きるのを諦めたらどんな業界でも独り立ちは可能じゃん。
まあ通報で即アウトかこれわ。
最後の章になる。
地方自治体はどんな人を欲しているのか、及びどんな人が職員として通用するのかしないのか、それらを説明して終わりにする。
とはいえ、もう4万字を超えそうだ。ここまで読んだ貴方は忍耐力を持っている。地方公務員に適合した人材である可能性濃厚である。
キャリアの棚卸しにしては壮大になりすぎた感がある。まずは、先達の書いた日記をひとつ紹介して記述量のショートカットを図る。
https://anond.hatelabo.jp/20200923212241
この日記を書く前に、はてな匿名ダイアリーで見つけた日記のひとつだ。短く簡潔にまとまっている。内容も概ね正しいと感じる。明白な誤りはない。単純に面接を突破したい人間はこれを見るといいだろう。惜しむらくは、上の日記を書いた人は公務員試験の面接官ではない。
せっかくの機会だ。民間時代を含めると十年以上に渡って面接官を務めた者として、採用可能性が高い人材の傾向を三箇条として述べてみたい。その後、面接評価表にはないポジティブチェック・ネガティブチェックの一部を示そうと思う。
モデルケースを挙げる。採用試験を受けようとする市町村で生まれ、小中高をそこで過ごし、進学や就職を機に都会に出たけれども、また地元に戻って働こうとする受験者がいたとする。
はっきり言おう。満点に近い。もうその時点で、「面接評価では4を取ってください! お願いします!!」と面接官に期待の眼差しで見られている。K市ではそうだった。というのも、そこまで地元愛のある若者はほとんどいないからだ。
覚えておられるだろうか。当時のK市の人事行政の問題点のひとつに若手職員の離職率があった。3年以内離職率が3割超えという高い数値の原因のひとつが、『他市町出身』の職員数の多さにあった。
採用試験を受けるまでの人生で、K市と接点のあった受験者があまりに少なかった。原因はシンプルであり、県庁や政令市や特別区の滑り止めで受ける人間が多かったことによる。みんな現役で地方公務員になりたいので、第一志望に落ちた後もなりふり構わず受けまくるのだ。採用された後も、第一志望の自治体に入るために勉強を続ける。いわば仮面浪人だ。
「何をもって他市町出身なのか?」を定義するのは困難である。ここでは30才以下の職員について、市外在住率(K市に住んでいない者の割合)が『他市町出身』の代替指標として機能するとしよう。さて、K市の市外在住率はどの程度だったと思う?
正解は……30才以下の若手職員のうち、8割がK市に住んでいなかった。私が辞める年には7割を切るところまで改善されていた。新人職員が居住地をK市に選ぶ割合が増えたことによる。改善のミソは、採用試験で評価されやすいポイントを変えたからだ。後述。
これはひどいな、と当時の私は思った。素人考えでもわかる。市外在住率が高すぎる。もし災害が起きたらどうなる? 全員すぐに集合できるのだろうか?
すべての年代になると、市外在住率は約5割になる。K市の近くにある政令市などが魅力的なのもあるが、市町村合併でK市に編入された先の市町村職員が、「もう義理を果たす必要はない」とばかり、こぞって自分が住みたい町に移住していく事情もある。全国的に見ても人が多い地方であるため、魅力的な市区町村が多いのだ。
では、上の『後述』の内容について。私が総務部長に提案したのは、「K市を愛することのできる人間を採用する」というものだ。試験を受ける時点ではK市が好きじゃなくていい。K市出身でなくてもいい。入庁した後にK市を好きになることができる、そういう素地のある人に高い評価をつけるようにした。
申し訳ないが、具体的な内容は部外秘とさせてもらう。公開すると、ネット検索によってK市がわかってしまう可能性があるからだ。ご了承願いたい。
社会人として一番大事なことは何かと問われれば、30代前半までの私であれば、『実力』又は『正しい過程で正しい成果を出し続けること』と答えるだろう。
今の私であれば、『尊敬によって他者との繋がりを保ち続けること』と答える。これが社会人(使用者も労働者も)にとって一番大事な事柄であり、能力でもある。これは、Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(Amazonのページに飛びます)といった名著においても明らかにされている。
このように自分のために何かをしてくれた人に対し、きちんと感謝の言葉をかけられる人が果たしてどのくらいいるだろうか。
あなたの人生にもキャディのような役をしてくれる人はいるのではないか。あなたが存分に仕事ができるよう、目に見えないところで条件を整えてくれている人、成功のための下地を作ってくれる人、ゴルフバッグのような重い荷物を代わりに持ってくれる人、困った時に助けになってくれる人。そんな人たちがいるのではないか。
たとえば会社の中では、誰もがそういう「裏方」の役回りをすることがある。あなたの会社は、そんな人たちの貢献に注目し、正しく評価する体制になっているだろうか。あなたは自分を日頃から笑顔にしてくれる人に、感謝の気持ちを伝えているだろうか。
単に協調性というと、「みんな揃って前ならえ」のイメージがある。今の日本社会では、善悪両方の社会的資質と見なされることが多い。
私が持っている神の辞書によると、協調性とは概ねこんな意味合いになる。
・異なる立場や環境、利害関係にある者が互いに力を出し合って問題を解決すること
本来はこうである。みんな揃って前ならえ、ではないのだ。仕事は1人ではできない。一般事務職として採用される公務員は、民間企業でいうところの総合職だ。常に誰かに依存し、依存されることで仕事を前に進める。
だが、自分ひとりで成果を出していると勘違いする者が後を絶たない。空しいことだ。こういった人の残念なところは、その知性の程度にあるのではない。俺だけが、私だけがスゴイ。もっと自分に注目してほしい、といった自己本位的な動機で仕事をしていることだ。
どんな仕事も、社会に生きる人間一人ひとりを幸せにするために存在している。彼らはそのことに気が付かないか、気が付いても自分の気持ちばかりを優先する。
百歩譲って、20代までは良しとする。だが、30代になっても学校の勉強や部活動で高い成績を上げ、周りに注目されて喜んでいる中高生と同じレベルでは困る。
あなたは、見知らぬ人に対して敬意をもった行動ができるだろうか。自分と考えの異なる人間を尊重できるだろうか。嫌いな人や敵に対しても、悪い感情に心を乗っ取られずに意思の疎通ができるだろうか?
面接においては、この人格的態度を最も高く評価する。私が市職員になる前からそうだったし、K市の面接官として責任を受け持つようになってからも変わらない。
話は逸れるが、あなたが面接官の経験がある人だったとすると、「この人、面接の時とぜんぜん違う!(もちろん悪い意味で)」みたいなことがあったはずだ。面接で猫をかぶるのが上手い人だ。そういう人を見分けるコツがある。
印象がいい――これに尽きる。あなたにとって印象がいいし、他の面接官にとっても印象がいい。特に、ハキハキとした明るい話し方。面接官全員にとって好印象だったのなら、その人は危険だ。本当に使える人が面接に来た場合、面接官が3人だったとすると、大抵1人は、「うーん……」と頭をかしげることになる。採用判断が下しにくいということだ。
それが普通だ。みんなにとってイイと感じる人格をもった人間はまずいない。いたとしたら、それは猫をかぶっているか、はたまた聖人のどちらかだ。
技術職や、職人芸を要する分野で人を雇う場合は特に気を付けよう。それに適合した人との面接では、極度に緊張した様子が伝わってくる。身体は縮こまっていて、声はたどたどしく、自己アピールも乏しく、挙動不審――そういった人が最高の素質(タレント)を持っていることがある。
一流の面接官であれば、誰が試験に来ようと、その人のいいところを最大限に引き出せるよう心がける。履歴書を読み込んで、実際のシミュレーションをし、面接ではよい雰囲気を作るよう心がける。その人が職場に適合している証拠を質疑応答によって全力で探すのだ。受験者が喋るのに苦労しているようであれば、なんとかして悪い雰囲気を壊そうとし、その人の考え方や過去の行動を引き出そうとする。
飲食店などアルバイトの採用では、あなた1人で面接を担当することもあるだろうが、それでも上記のことに気を付ければハズレを引くことは少ない。印象がいいな、と感じた人に気を付けよう。初対面で印象のいい他人はまずいない。たとえ面接官に嫌われようと、素の自分をちゃんと出す人間を採用した方がいい。
猫をかぶる受験者への具体策としては、面接が始まる前と終わった後の行動をこっそり監視するといい。椅子をちゃんと戻しているか、出入口で人とすれ違う時の仕草や、駐輪場で他人の自転車をぞんざいに扱ったとか、車の運転に危険があるなど、それなりの確率でボロが出る。
公務員に限らず、組織で働く人間にとっての血であり肉である。ここでいう知的能力には、知能であるか、知性であるとか、創造性とか言われるものを含む。
すなわち、数値計算やスケジュールの段取り、ある規則に従っての並び替えといった正解がある分析的分野から、新規事業の企画、プレゼンテーション、利害を巡っての交渉や調整といった正解(不正解)がいくつもある総合的分野に至るまで、脳を働かせて答えを導き出すありとあらゆる分野を含んでいる。
官公庁に特徴的な仕事の傾向として、業務の幅の広さ(薄く広く)が挙げられる。特に地方自治体だと、ひとつの役場で多種多様な仕事を行っている(この機会に、あなたが住んでいる市町村の組織図をみてみよう)。民間で例えると、とんでもなく多角化が進んでいることになる。
数年おきに全く新しい仕事を覚えることになるのだが――その意味の幅の広さだけではない。役場を訪れる人間も多種多様だ。男性も、女性も、一般市民も、民間企業も、若者も、中年も、高齢者も、子どもも、障がい者も、何らかの病気にかかった人も、とにかくいろんな人が来る。
それらすべてに対応(問題解決)しようと思うと、まずはその職員が賢くないと無理だ。これは、市役所の現場で働いたことのない私でも確信できる事実だ。傍から見ていてわかる。
礼節や態度は大事だ。植物であれば、花弁や果実など目に見える部分がこれにあたる。それらを支える意味で必要なのが枝であり、幹であり、根である。もっと細かく見ると、細胞質や葉緑体や核ということになる。職業人でいえば、脳というOSがこれに当たる。
このOSが大したことのない物だと、いかに素晴らしい性格や気質を具えていても結果を出し続けることは難しい。正しい答えや行動を相手に示すことができないからだ。市職員が、受付窓口で手早く計算をしたり、各種申請書の書き方の指導ができないと、市民や企業が何度も窓口に来たり、無駄な申請費用を払う羽目になる。
スポーツだと、柔道における心技体がわかりやすい。ある一流の選手がいたとして、その人の精神がどれだけ優れていても、技術が優れていても――風邪で高熱がある、骨や靭帯に損傷がある、五感の一部が機能しないといった事情が生じると、たちまち三流以下の実力になる。
多くの人は錯覚している。例えば、どんなスポーツでも面白い試合というのは――両者ともに拮抗している。心技体のうち、技と体が同じくらいのプロ選手がいたとする。となると、勝負を分けるのは必然的に『心』となる。
実力伯仲の者同士、わずかな差で勝負が決まれば当然盛り上がる。それが、スポーツで一番大事なものが心→技→体の順番と皆に思われる最大の理由だ。
官公庁が筆記試験を必ず行う理由がここにある。現在の公務員業界では、筆記試験(性格適性検査を含む)の作成をリクルートなど民間会社に委託する方向で進んでいるが、今後何年が経過しようと、筆記試験自体が廃止されることはないだろう。組織人として働く上での血肉であるところの、知的能力を客観的に測定できる唯一の機会だからだ。
女子スポーツ選手の盗撮問題が、とあるけど、それって問題なのかな?
性的な盗撮で言えば、スカートの中を盗撮するとかがダメなのはわかる
通りすがりの人をいきなり道端でバシャバシャ撮るのも、まあ、確かにダメだろう
それはわかる
でも、プロ野球見に行ってスタンドからプロ野球選手を撮るのは構わないわけだよ
公式な大会と称されるスポーツ大会で、誰でも見学できる大会で、競技者は間違いなく公的な存在なのよ
じゃあそれも撮影していいでしょう
それを女子だから、とか、エロい目で見るから、とかで撮影するのがダメというのは正直よくわからない
大会そのものに権利関係があって、独占的な撮影権が大会主催者側にあるから一律撮影禁止、とかならわかる
しかし性的な目で見る人がいるから、といだけで競技者の撮影禁止って変じゃないか?
なんでそれでいいの?
そんなことするくらいなら、性的に見られないユニフォームとかはないの?
性的な格好以外許さないビーチボール協会か何か、そういう規制をかけている団体があるの?
あるならそれは滅びればいいと思う
競技力のために考え抜くと結果的に性的になってしまう競技があるの?
陸上とか?
それはもう、撮影関係なくスタンドから性的に見てる人はいるし、ぎりぎりまでタオルまいたりしてガードするしかないよね
実際そういう選手多いし
やっぱり、保護者なら撮っていいとか、男子選手なら撮っていいとか、顔は撮っていいけどおしりはダメとか、なんか変じゃない?
プロ選手や実業団の選手の公式大会競技中は、スタンドから撮れる写真ならどんな写真でも撮っていいでしょう
中高生の大会なら、選手の保護という観点なら、それはもう一律撮影禁止でいいんじゃない?
保護者だって、男子生徒の保護者が女子選手の盗撮するとかあるでしょ
「基本は写真撮れるけど、女子選手のお尻アップだけはダメでーす」って言われると違和感しかないわ
だいたい、競技中の田中理恵の開脚時の股間を執拗に撮ってたのは、スタンドにいるエロファンではなくて公式な腕章をつけたプロカメラマンやマスコミだったじゃないか
撮影者をひとりでも許した時点で女子選手の性的写真は撮られてしまうもんなんだよ
本当の意味でそれを守るなら、マスコミも含めて禁止しないといけない
それは当然
飲み会は「アルコールという薬物のせいで頭壊れちゃったんだな」ってまだ理解が出来る。
理解が出来るだけでより悪質なのかも知れないけど、少なくともそうなる原理は理解が出来る。
でもフットサルや野球大会を辞められない連中は全く理解が出来ない。
コイツらなんなの?
めっちゃ顔近づけながら「はぁはぁ!」「はぁはぁ!」ってボール取り合ってんだけどお前ら怖くねえの?
100000歩譲ってプロ選手だったら「まあ、お前が今ここでスポーツ捨てても誰も助けてくれないからな」って理解は出来る。
でも素人が趣味でやってるスポーツをスパっと辞められないのは狂気しか感じねえよ。
学生スポーツだったら「まあ、お前らがプロになるのを諦めたのを一生引きずっても誰も助けねえしな」って理解は出来る。
でも完全に事務職として食ってる連中が趣味でやってるスポーツで濃厚接触を繰り返すのは理解が出来ねえ。
スポーツをすると脳が腐るのかな?
プロ選手めちゃくちゃ出場してる
似ているじゃなくて「アイドル」そのもの一形態としてプロスポーツが存在する感じ?
だってスポンサードろくにされてないけど本人の努力と才能だけで結果を出しました系ってほとんどいなくね?
モータースポーツなんかはそれが超極端で、どんなに実力があっても交渉力が皆無だと車に乗ることさえ出来ずに消えていくわけだ。
それじゃあ単に走るだけのマラソンだったら違うのかっていうとさ、市民ランナーですら周りからの理解があって初めて成立してるもんじゃん。
「俺、今度大会出るんで残業したくないっすわ。あと有給ください」って話がちゃんと通るのはスポーツ選手としての立ち位置に対して皆が理解を示してるからでしょ。
人格ハイパークソだけど才能は凄い奴だって、ソイツの才能を見たコーチが「金のなる木やんけ!よっしゃ投資したろ!」となってるから仕事受けてるわけで。
コイツ才能ねーわと感じたらよっぽどの暇人以外は「金積むだけでプロとしての魂ごと雇う気ならもっと金積んでや?」ってなるわけじゃん。
まあそこで札束ビンタする人もいるわけだろうが、それもアイドル候補生達が「うるせー!金は積むから事務所に入れろ!」するアレそのものでしょ。
近いんじゃねーのって話じゃなくて、まさしくそのものなんだよ。
アイドルというあり方の一つに「歌って踊る系」と「技術で魅せる系」があるってだけ。
ほらキン肉マンにだって「アイドル超人」っているけど、アイツらレスリングに勝ったらウマ女みたいにヴィクトリーダンスするのか?
一般人のレベルが1~40くらい、プロのレベルが80~100くらいの世界で、ただ一人だけレベル150くらいの化け物スコアを叩き出しているオーパーツレベルのトッププロが好きだ。
ただ一人抜き出ていることがポイントで、基本的にライバルなどいない孤高の存在。
F1ならセットでプロストの名前が挙がるセナではなく、全盛期のミハエル・シューマッハのイメージ。
全盛期の羽生さん(将棋)とか、全盛期のイチロー(野球)とか、コピペになるレベルの超人が好きだ。
そういう超人が存在する競技は珍しいし、存在する時代も限られている。
あと、そもそも一般人と普通のプロのレベルに大きな差がある競技だと、さらにポイントが高い。
一般人1~40/プロ80~100よりも、一般人1~10/プロ90~100の世界の方が超人の凄さが際立ってくる。
そもそもプロ選手自体が超人の集まりなのに、そこから更にワンランク上の存在ってめっちゃゾクゾクしない?
ちなみにこの手の超人萌えってなんとなくフィクションだと難しいような気がしていて、多分、超人のさじ加減が難しいのがその原因だと思う。
漫画とかだと簡単にレベル200とか1000とか、なんなら100000とかの超人を出すのも容易い分、ついついやりすぎてしまうのがいけないんだと思う。(ex.ワンパンマン)
一方で、仮に主人公を超人に設定した場合レベル150くらいでは普通に強すぎて面白みがないし、ライバルを150にした場合には結局主人公がそのレベルに追いつかないと話が進まないので孤高の存在ではなくなってしまうというジレンマがある。
強いていうなら、魔人ブウ編で桁違いに強い超サイヤ人の中でただ一人超サイヤ人3に到達した悟空なんかは、割とイメージに近いかもしれない。
続き
実写映画化されてるニュース見て、そういえば途中までしか読んでなかったなと思って最初から通読
結果、つまらなかった
絵もマンガの基礎技術もつたないし、それを補えるほどのキャラやストーリーの魅力もない
いくら運動部のスキルが高くてもしょせんガキが本場の弓矢、剣道にかてるわけねーだろ
主人公が歴史オタクってところとなぜか弓術チートもってるけど、序盤でそっこー現地勢にも日本史の教科書渡っちまって、
科学部が技術と知識つかってバクだんっぽおいのとか毒ガスとかつくってたけど、相手も先にタイムスリップしてたやつが火炎放射器とか現地の技術レベルで作ってるのおかしいだろ
不破がまたからんでくるかと思ったらでてこねーし
主人公の幼馴染の男がヒロインの恋びとで男がそっこー死ぬからヒロイン宙ぶらりんで存在価値ねーし
いちおうそいつのために主人公がんばるけどむくわれねークソビッチだし
映画化にあわせて続編?スピンオフ?の真群青戦記ってのがいまはじまってるのもしってたから最新話まで全部読んだけど、こっちはさらにつまらない
刑務所がタイムスリップして、今度は真田家メインの話になるっぽいんだけど、キャラがことごとく魅力がない
タイムスリップしてスキルあっても覚悟とか人を殺す感覚がないとかのギャップはもう前作で見たわ
前作はみんな高校生でほとんど序盤はされるがままだったけど今夏はけいkむしょで凶悪犯とかいるから緊張感ないし
まあふつうの人間がいっても前の二の舞になるってのはわかるけど
それならこんどはプロ選手でやりゃよかったのに
日本語でググると、だいたい下記の知恵袋か、この知恵袋を情報元とした「いかがでしたか記事」がひっかかるので、答えは1995年の全米オープンのモニカ・セレシュということになっている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11100799166
しかしそのような記述は、彼女の日本語のWikipediaにも英語のWikipediaにも載っていない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Monica_Seles
英語でググってみると、むしろ「誰だかわからない」というのが広く普及した見解のようだ。それも PeteSampras (同名のプロ選手がいるが同一人物かは不明) という名のネットユーザーが長年にわたって調査しているものの、答えが見つかっていないという有様。
PeteSampras 氏がその熱意にもかかわらずたどり着けていない正解に、果たして日本の知恵袋ユーザーがたどり着いていたのだろうか? この知恵袋ユーザーは、どれほどの情報源と自信を持って回答したのだろうか?
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テニス 四大大会 グランドスラム テレビカメラ カメラ レンズ プロテクター ガラス アクリル板 プラスチック板 画面 サイン メッセージ ペン サインペン マジック 最初 初めて 起源 由来 きっかけ 文化 習慣 風習 慣例 恒例 伝統
集まった小中学生からすると「誰だこの人」みたいな古い人ばっかりなのな。
父親から「昔157キロ投げて、当時の日本最速だったんだぞ」なんていう話を聞いた。
練習ってほどでもないんだけど、元プロ選手達にちょっとレクチャーを受けるイベントがあった。
ビビった。デカい。プロ野球選手ってこんなにデカいのか。間近で見るとよくわかる。
なんといっても肩幅が広い。すげえ。自分の父親とはサイズが全然違う。
なんか足の踏み出し方とか教えてもらったと思うんだけど、そのデカさばかりが印象的であんまり覚えてない。
「OBでこれなんだから、現役プロ野球選手ってのはデカい人ばっかりなんだろうなあ」なんて思ったよ。
男性の体に生まれたトランスジェンダー女性が女子スポーツに参加することに反感を持つ人向けの例え話。
ジャングルの奥で文明社会に関わらずに暮らしている未開の部族がいたとして、その部族の女性にスポーツを教えてトレーニングしたら、生まれつきの身体能力と幼児の頃から厳しい自然の中で鍛えられているおかげで物凄く優秀なアスリートになり、女子スポーツの試合で上位を独占するようになった。
他の女子選手は誰もこの部族には勝てない。多くのプロ選手やスポーツ奨学金での進学を狙っていた学生選手が諦めて競技を去ることになる。
それでも、この部族が女子スポーツの試合に出るのは不公平だとか、今まで厳しい練習に耐えて頑張ってきた他の選手たちが可哀想だとか、そういう理由で出場を禁止すべきと訴える人はいないだろう?
トランスジェンダー女性は、この未開の部族と同じで、「これまで発見されていなかった女子スポーツ選手」なんだ。
しかもトランスジェンダー女性は、例え話の未開の部族とは違い、我々と同じ社会で暮らしていてずっと隣にいたのに昔から無視され、今も無視され続けている「女性」だ。