はてなキーワード: パジャマとは
ワキガ歴は15年くらいになるだろうか。何もケアしないとかなり匂うのが自分でも分かる。
昔からそれなりにデオドラント用品を試してみたが、どれも汗をかいたりして匂いが出てしまうという状況の時には効かなかった。
しかしなぜかひとつだけ体に合ったのか、Hミッテルという塗り薬?を3日以上塗り続けると汗をかいた状況でも無臭に近い状態でいられた。1~2日だけではほとんど効果が無く、3日以上続けないと効果が出なかった。
これはかなり自信があるが、自分がワキガな事に気づいてる友人知人はおそらくひとりもいない。
ワキガの友達には直接本人に言ってしまう関係性の連中だったし遠慮されてる感じもない。それぐらいその塗り薬は効いていた。
なので夏は毎日塗るから無臭状態が続くが、冬などあまり汗をかく危険性が無い時はついサボってしまい、厚着して汗をかくと匂いが出る時があった。しかし自分に合ったいい商品を見つけたが、ほぼ毎日塗らないといけないというのがネックだった。
このまま一生これを買い続ける費用と、塗り忘れた時の不安とワキガというコンプレックスを解消してしまおうとワキガ手術をする事にした。
方法を調べていたら剪除法(皮弁法)というのなら保険が効くらしく両脇で5万円ぐらいで済むことがわかった。
(自分は両脇二回づつだったので結局10万弱ぐらいかかった。)
しかも効果も他の方法に比べて高い効果が得られるようなので一択だった。
次は病院選びだが、田舎から都会に引っ越してきたので選び放題だった。
人気がある病院だったのか、予約がかなり取りづらく手術は平日の昼間ぐらいしか空いていなかった。
手術までの流れは
・診断
・手術&固定
・経過観察&消毒(手術三日後)
・抜糸(手術一週間後)
・塗り薬などで手術跡のケア
というのを左右ずつやる。計二回。
範囲が広いと片側を二回に分けてやるので計四回。
・診断
自分はここでアポクリン腺が広範囲にあるので片側二回、計四回に分けてやると言われた。
左 上部、右 上部、左 下部、右 下部 の順番。順番は選べる。
上部が特にアポクリン腺が多いとの事だったので、先に上部をやることにした。
四回に分けてやるというのは、かなりショックだった。
同じ場所は手術後に一年経ってないとできないので、全部終わるのに二年かかった。
・事前検査
血液検査をするだけ。
・手術&固定
手術は片方40分ぐらいかかった。日帰り。
最初に麻酔をワキに打たれるのだが、これが妙に痛くて嫌だった。
毎回二本ぐらい打たれたのではないだろうか。
感覚はすぐに無くなり、メスで切開されているのがワキをつたってくる血で分かる。
血が苦手なのでこの感覚も毎度苦手だった。
その後は切った箇所から指を入れて皮膚を引っくり返してアポクリン腺を除去していくのだろうけど見えないのでよく分からない。麻酔が効いているので全く痛くない。
皮膚を引っ張られている時も、手の甲の拳骨あたりの皮膚をつねられているぐらいだ。
手術が終わるとかなりワキをかなり圧迫されながら固定された。
これをタイオーバーといって、皮膚と肉をくっつける為にやるらしい。
脇を開くことができないので、基本的に衣服はシャツやジャケット前開きの服のみとなる。
Tシャツは着れない。伸びる素材で作られたタンクトップなどはギリ着れた。
パジャマがTシャツやスウェットの場合事前に、いつもよりゆったりしたサイズの前開きの服を購入しておかないとツラい。
ユニクロで投げ売りされてるシャツを二枚買ってパジャマにした。
ワキを閉めっぱなしにしないといけないので、煩わしく日常生活に支障が出るが片側は普通に使えるのでそんなでもない。
シャワーも当日から入れて、脇を濡らさないようにすれば頭も洗える。
寝る時はバンドを体に巻いてワキが寝てる間に動かないように固定する。
痛み止めを毎回もらったが、初日に麻酔が切れて痛みそうになる前に飲んでいたので術後に痛みを感じた事は四回の内一度も無い。
・経過観察&消毒(手術三日後)
経過観察は異常が無いか見てもらい、ガーゼを変えて固定をやり直してもらう。
ここではじめて術後のワキと対面できるが、ワキ周りが内出血してたりしてちょっとグロい。
固定をしっかりやらなかったり、動かしてしまうと圧迫してる箇所がシワになってしまうらしい。
最初は固定に神経質になっていたが、徐々に意識が薄れてかなり適当に過ごしていても運が良かったのかシワにはならなかった。飲酒は止められたかどうか忘れてしまったが、ほぼ毎日飲んでいた。
・抜糸(手術一週間後)
・塗り薬などで手術跡のケア
抜糸をしても数日は薬を塗りガーゼを当てて軽めに固定する。しかしほぼ固定のストレスは無い。
ワキの下部の方が皮膚がくっつきにくいらしく、一回だけ抜糸後の経過を見て右の下部の固定が延長(三日)された。
術後のワキの色を改善する為の飲み薬を処方されたりする。
・左右の手術を終えて
上部が特にアポクリン腺が多かった為左右の一回目をやった時点でかなりニオイは軽減された。
ワキ毛はなくなった。術後一年経っている上部には、同じ穴から二本同時に太いのが生えていた毛は無くなった。
アポクリン腺の再生について先生に聞いてみたのだが、多少あるらしいがほぼ気にならない程度の多少らしい。
術後の色素沈着に関しては男だからかそんなに気にならない。
ただワキ毛も無いので、あまり大っぴらにワキを見せる気にもならない。
手術をして本当に良かったと思う。
コスプレの是非を巡ってまたぞろ話題になっているけど、根本的な問題はこれだと思っている。
たいていのコスプレは布がしわくちゃで安っぽくて原色ギラギラ。子供っぽい付属物(猫耳やおもちゃ)がついていて、とてもまともな大人のする格好ではないというのが根本的な嫌悪感に繋がっている。
パジャマで外出することは法律で禁じられていないが、パジャマで電車に乗ってるやつがいたら「うわっなんだこいつ…」って扱いをされるのは当然だし、そういう扱いは許されている(是非は別にしてな)。
また、ヨレヨレ布地&ギラギラ原色の服ってのはめちゃくちゃ目立つ。視界に入るだけで「うるさい」と感じるほどに目立つ。ラーメン屋で隣に座った人がずっと電話で話してたら「うるせぇな」と思うだろう。それと同じなんだよ、現状のコスプレイヤーって。
一方で、ゴスロリは「そういう(特殊な)趣味の人」として、近寄りたくはないけどまぁ、別にいいよね的な扱いを受けている。それは「見た目のうるささ」が実は少ないからだ。ゴスロリファッションの多くは縫製や布地、色彩が落ち着いているし、持っているアイテムも時代にそぐわないとはいえ、現代の現実に存在するものばかりだ(バッグ、傘など)。近寄りたくはないけど、「なんでそんな変な恰好してるの!」と言い出せない雰囲気はある。ドレスや着物の延長線上にゴスロリはある。
しかしアニメ系コスプレは、子供のお遊戯やパジャマの延長線上に位置している。まずそれを認識してほしい。
また、人間は知らないものに忌避感を感じる。人間に限ったことではないが。コスプレイヤーが批判され、白眼視されるのは、「よく知らないもの」だからだ。
というわけで、コスプレイヤーに言いたい。
安っぽい布地、おもちゃみたいな付属品、原色ギラギラの下品な色、キッツイ髪色、痴女/痴漢そのものの露出は仲間内だけにしてくれ。公共の、「よく知らない人」の前に出るときは、気合を入れてしっかりした布地(ユニクロレベルでいい)、まともな縫製、現実的な色彩、人間として認識できる髪色、社会性を持った生命体としてまっとうな露出具合にしてきてくれ。それができて初めて「そういう変わった趣味の人」扱いをされる。
そこから始めてほしい。
海外のコスプレサミットでは、キャラクターの格好を現実的なものに落とし込んだコスプレをよく見る。そういう方向はどうだろうか。
ずっと昔ハタチくらいの頃、夜中にパジャマ姿で家を飛び出し、自転車を往復6,7時間漕いでスカイツリーまで行ったことがあった。
その小旅行は誰の目から見ても青春18切符の自分探し旅行だったが、当の本人はいたって真面目に死に場所を探しに出かけたのだった。
道中どこか手頃なビルがあったらそこから飛び降りよう、最悪スカイツリーの近くの橋から、と決めていた。
道中、手頃なビルはいくらでもあった。でも私は、もう少し、次あったら、とぐんぐんと進んでいき、挙げ句の果てに永田町のマックで休憩を取る始末だった。
「これが最期のご飯だ」
と食べるハッピーセットには緊張感のかけらもない。
そうこうしているうちに案の定、スカイツリーまで来てしまっていた。
私の人生はいつもそう、本当にやりたいことすら、まあ明日やればいっかなんて考えているのだ。
今回は必死の思いで出てきたのに、それすら後回しにして生きる自分に気がついて、心底情けなかった。
保育園にかよってたとき、なぜかしらんが保育園は全部無料だと思っていた
先生が荷物運ぶのをおてつだいしてるときに、せんせーおしりのところあなあいてるよって教えてあげたら、ヤダ!?ってはずかしそうに片手でおさえたのを今でも覚えてるよ
そのときはなんではずかしがってるのかぜんぜんわかんなかったな
結婚して子供もうまれたって小学生になってからきいたけど、もうそのときは小学校で好きな子がいたから、とくになにも思わなかったな
勇者シリーズのロボットについてきたカタログのチラシみたいなやつをこっそりもっていって友達とみせあいっこしたっけ・・・
めちゃくちゃ悪いことしてると思ってたなあ当時は・・・
おりがみしたい
あやとりしたい
どろだんごつくりたい
えほんよみたい
毛糸編みしたい(めちゃくちゃ長いのを作ってたのにあるとき急になくなってすごくショックだった。今思うと誰かに盗まれたんだなあ)
コマ回ししたい
ソーラン節踊りたい
うずらのたまごを持って帰りたい
さんぽで公園にいきたい
むかご食べたい
数珠玉集めしたい
高い木にかかったブランコをしたい
ともだちの家におとまりにいきたい
おとまりにいった家でじごくのそうべえをよみきかせてもらいたい
おとまりにいった家のごはんたべてすごいおいしい!!!って感動したい
おとまりにいった家のごはんでしいたけもちゃんと食べて、相手の親御さんにほめられたい
おとまりにいった家でごはんの後でやっぱりさびしくなっておしいれにかくれてこっそり泣きたい
そんで泣いてるところをみつかって親に連れ戻されたい
仕上げ歯磨きをしてもらいたい
寝る前の読み聞かせでできるだけ長い絵本を選んで寝るまでの時間を引き延ばしたい
布団の中でとなりでねてる親にばれないように逆方向を向いてこっそり指しゃぶりをしたい
アルコールばかりでご飯もろくに食べない運動もしない仕事は定年迎えたで
朝起きたらトイレマットが交換されてたからこんな早朝からトイレ掃除したのかと母に尋ねたら
その数日後もトイレにいこうとして何故か台所にきてバランスを崩し倒れそのまま起き上がれなくなってた
結局1時間くらい起き上がれないままだったのでトイレが間に合わず小便も漏らす
母が帰宅するまで漏らした小便で冷えたパジャマを履いて床に転がってた
そのあと着替えをするためにシャワーを浴びにお風呂へ行くけどシャワー後にやっぱり起き上がれず
風呂場で震えながら座ってたらしい
最近は現実と夢の区別がついていないのかよくわからないことも言ってるらしい
父の部屋には日本人形がガラスケースに入れて飾ってあるのだけれど
そのガラスケースの中に知らない人が数人入って人形を触っていたんだそうだ
誰に断って勝手に入っているのか、と尋ねたら 家の人の許可は貰った と答えたらしい
日本人形は高さ30cmくらいのものでガラスケースもそれに合わせた大きさなので当然ながら人間が入ることは不可能である
またある日は「昨日は自分の葬儀だったのに火葬場に行かなかった」というようなことをいきなり言ってきたらしい
父は今のところ生きているので変な夢を見たのねと受け流したらしいが父は真面目に話していたようだ
年末年始にかけて漏らすこと大2回、小1回、妄想2回 あまりにもひどいのでお酒をやめるようにいったけれども我慢は3日が限度
またビール1本、チューハイ2本、焼酎2杯 と段々アルコール摂取が戻ってきている
長年やっていた釣りは面倒になったのか船も手放し何年もやっていないし、将棋と言っても指す相手もいない
私、専業主婦。
こどもふたり。2歳児と1歳児。
夫、会社員。
私、スゲー喜んだ。
めっちゃ楽しみにしてた。
第一子を妊娠してから3年以上、独りで身軽にお出掛けなんて出来なかったから。
子はかわいい。
今までも、ちょっとスーパーいったり、ヘアサロンに行ったりとかはもちろんできた。
でも、1日だよ?
何してもいいんだよ?
お腹重くないし、子達の手を繋いでなくていいし、抱っこもしてなくていい。
夫氏は子に、
とか言ってた。
優しいじゃないか、夫。
なので、フリータイムもらったとはいえ、一応洗濯干して、弁当位は作ってから出掛けよう、とか思ってはいた。
しかし、急遽前日になって、旧友と飲みに行くことになった夫。
私は嫌な予感がしたので言った。
きちんと電車に乗って帰ってくるように、と。
終電逃されては困る。
タクシーも困る。
で、当日。
今日だよ。
朝起きたらベッドに夫はいない。
ものすごく嫌な予感がして、リビングへ行くと、案の定昨日出掛けた服装のままソファーに転がっている夫の姿。
うん。
とりあえずシャワーでも浴びようか?
すると、シャワーではなく、きちんと湯船に浸かりたい等と抜かす夫。
そもそも子達の世話は私に丸投げですか。
着替えの用意をして、ごはんを食べさせて。
挙げ句お前の世話まで追加ですか。
いつも出掛けるときに子達の支度なんて全くしてくれない(そもそも出来ないし、覚えるつもりもないご様子)ので、荷造りもしてあげなきゃいけないなーとか思ってたけど、どこまで人に丸投げですか。
風呂沸かしてやって、入れと散々促してやっと入り、出てきたと思ったら、私が出掛けるまで寝かせろとおほざきになって、寝室で横になりやがりました。
何故休みをもらえるはずの私が出掛けるまで平行して色々とやらなければ?
と、恐る恐る聞いたら、
とか抜かしおった。
父親は子の世話はしなくていいんですね!
お前はゴルフだなんだと私も子も置いてちょいちょい出掛けているだろうが。
早朝出掛けるから、出発前には何もできないんだよーとか言うけど、帰ってきたところで早朝出発のせいで眠くて、いつもだいたい何もしてくれないだろうが。
3年以上ぶりにやっと出掛けられるはずの私を、何故快く送り出してくれないんだ?
そもそも前日に飲みに行くのは久しぶりに会う人だから仕方ないにしても、何故一軒目で帰って来ない?
歩いて帰ってきた?
タクシー使わなきゃいいってことじゃねーだろうが。
そんなに私のお願い事の優先順位は下か。
人に金借りてる分際で40000円以上置いてきやがりましたか。
もーこの時点でぶちギレた。
泣きながら怒鳴った。
怒鳴って泣きわめいて、やっと重い腰を上げてリビングへ来た夫。
でもまたソファーに転がる。
だーかーらーさー。
自分の支度させてよ。
子達に邪魔されるのよ。
目を離すとろくなことしないのよこの人達。
改めて思い出した。
彼に子達を見てて、と頼むと本当に見ているだけ。
見てねえ!
既に出掛けようと思っていた時刻はとっくに過ぎ去っている。
なんなんだ、この人。
そんなに出掛けさせたくないのか。
何度もぶちギレ、やっと出掛けられたのが、10時前。
洗濯?干せませんでしたよ。
回すだけ回して干してもらおうかとも思ったけど、信用できなかった。
だってぶちギレて、洗濯もお前がやれ!と怒鳴った時、使い方がわからないから回すだけやってってくれない?と言われたから。
教えてくれ、ではなく、やっといてくれ。
だって。
もー本当にがっくり。
すったもんだで、やっとひとり。
とか言ってる。
子達が不憫になった。
お土産買って帰ってあげよう。
で、2時間半後。
電話が鳴る。
夫、何かにあたったんだって!
どーしろと?
行きたいところはたくさんあって、まー家には17時位に着けばいいかな、とか思ってたけど、完全に水を注された気分。
独りでぶらつく気分では無くなってしまった。
それでも、どうしても行きたいところに行ったけど、全然楽しくない。
というか、はっきり言って夫なぞこの際どうでもいい。
子達が心配になった。
もーいいや、帰ろう。
家に着いたのは16時位。
ドア開けて、ビックリ。
出迎えてくれたのはパジャマのまま、それも上着ただけ。ボトム穿いてない子。
聞いたら赤子と父は寝室で寝てるんだってさ!
お願いしたはずなのに、炊飯器には朝炊いたごはんが入れっぱなし。
水にも浸けてないからかっぴかぴ。
もーなんなんだ。
なんだこれは。
半日居ないだけでこれか。
1日休みをくれると言っていたのは何なんだ。
悲しくなった。
色々情けなくなった。
なんかせっかく出掛けて帰ってきたけど、何も楽しい気分ではない。
子達がかわいそうで泣いた。
母、ワガママでごめん。
もー2度とこんなことしないよ。
君たちがせめて二人とも幼稚園に入るまで、色々母は我慢するよ。
本当にごめん。
約束破られてお出掛けできなくてごめんね。
出掛けさせてくれてありがとうと言いたいけど、とてもじゃないけど言えるレベルじゃないよ、夫。
ひとかけらもリフレッシュできるような日ではなかった。
長期的にじゃなくて、あーキてるなー涙出てきたやばいなー生活もめっちゃ荒れてるなーいい加減ここらで立て直さなきゃーっていうときにできること
・まず深呼吸
・仕事は流しで
休暇取れそうな日が直近であったら申請しておく。
「野菜とるぞ!中から元気に!」とか思っても自炊で体力もってかれる。コンビニとかの健康っぽいものを軽めに。
・酒は飲まない
メンタルキツいときって風呂・シャワーが異様にしんどいから、帰って即キメる。「湯船につかってリラックス♪」も体力持ってかれるからやらない。
・パジャマを着る
・あったかくして早く寝る
・ご飯
食べたいと言うまで出さない。
朝抜きで保育園に行って、先生に食べてないとか言ったらバツが悪いとか思うけど、ぐっとこらえて出さない。
ご飯を食べていない間はおやつもなし、お腹が空いても次のご飯まではがまん。
なんだかんだで、空腹の辛さとご飯の大切さを身をもって理解してくれるようになったと思う。
・着替え
朝の着替えが面倒なので前日風呂上がりor寝る前に翌日の服を着せる。
パジャマを着たいと言ったら、「着るのは自由だが、朝ささっと着替えなかったらパジャマのまま保育園」
と約束を決めておく。
・風呂
おっさんでも大して臭くならない(きっと)。
休日(余裕のある日)のお風呂はお湯張って遊ぶけど、普段はシャワーだけで流れ作業のように。
・寝かしつけ
実は、子供も保育園で昼寝してはいない。布団の中で暇を持て余しているのか、布団カバーの紐が幾重にも結ばれていた。
夜は本当に寝ない。もう諦めて絵本だけ読んで後は勝手に寝ることにした。
うるさくても平気で寝られるようになったんだと思う。
結局参考にならないかもしれない。
まあ、体は丈夫だし、ちょっと賢いし、がんばりやさんだし、笑わせてくれるし
四歳男、二才美。
魔の二才児のはずの二才美は、軽いイタズラをしたりずるっ子だったりする程度で手はかからない。
四歳男がヤバイ。
とにかく元気が余っていてうるさい。
魔の二才児だったころも騒々しかったけど、今はもっとうるさい。
危ないことをする度にバシバシひっぱたいている。
悪いとわかっていてもやってしまうみたい。
そして偏食も激しいし、ほとんど食べない。夜も寝ない、寝ても「レッツ!変身!」「ぼくのじゅんばん!」とか寝言を叫んだりうるさい。
おかげで保育園で一番の問題児。一番細くてガリガリなのに、走り回って他の子にぶつかって泣かせてばかり。
多動、ADHDかもしれないけど、診断はつかなかった。
頭は良くて、ひらがなカタカナは全部読めるし漢字もいくつか憶えた。だけど、我慢して練習することが出来ないので箸は使えない、発表会でも、自分の好きなように太鼓を連打して迷惑をかけていた。
子供達を保育園に送り届けてから、会社に行って午前中はぼーっとしている。昼ご飯を食べてから仕事に取りかかって定時になって逃げるように退社。
幸い、意識の高かった20代に作った立場とスキルがあるので、仕事はどうにかなっているが、評価はただ下がりだろう。
そして、私は鬱と診断された。
良い先生なのかどうなのかはわからないけど、薬は処方されたけど飲まなくても良いと言われた。
6:00 起床、だいたい子供達が先に起きてドッタドッタしている。
朝ご飯を作って、一時間かけて、子供達に食べさせる。一口食べては立ち上がったり、しゃべり出したり、おもちゃで遊び出したり。
パジャマからなかなか着替えてくれなかったり、遊び出したり。なかなか出発できない。
登園中も、しつけの出来ていない犬みたいにゴミ拾ったり、急に走り出したり、立ち止まったり、道路に飛び出すのをひっぱたいて叱って、拗ねて座り込んだり。
19:00 お迎えは残業が無い方が担当。保育園の先生にあれこれ注意を受けて気が滅入る。
19:30 子供達にテレビを見せて、夕ご飯を作る。安らぎのとき。
20:00 二才美だけご飯を食べて、四歳男は食べない。テレビがついているとテレビに見入り、テレビを消すと拗ねて食べない。ハンバーグのときだけ食べる。結局、食べさせるのに1時間くらいかかる。
21:00 お風呂、テンション上がってギャースギャース入る。キンキン風呂場に声が響いて頭が痛い。だいたい、四歳男が二才美に水をかけまくって泣かせ、叱ったところで拗ねてお風呂から飛び出して終わる。
22:00 やっとパジャマを着せ終わるが、子供達のテンションMAAAAX。ライダーの歌をエンドレスに歌い。お互いのレゴ作品を壊しあって大げんか。
問答無用で部屋の電気を消して寝室に追いやる。四歳男の本日の武勇伝語り。兄弟で、毛布やタオル、場所の取り合いが続く。
23:00 私と二才美が力尽きて寝る。
24:00 四歳男が力尽きて寝る。
2:00~5:00 トイレ、寝言、布団の取り合いで起こされる。
スーパーやファミレスで他の子を見るとみんなおとなしくて羨ましい、
駄々をこねて泣いている子もホトトギスの鳴き声くらいに聞こえる。
うちのは人に絡んで怒鳴っている酔っ払いみたい。
終電間際まで残業。俺は疲れた顔をして家までの道のりをとぼとぼと歩いていた。
足取りは重い。帰ったところで、頬杖をついて指でカツカツとテーブルを打ち鳴らしている妻か、トドのように大口を開けながらいびきをかいて眠る妻しかいないからだ。どちらを想像しても、気が滅入っていた。結婚したてのころは帰宅時にいつも玄関で出迎えて笑顔を見せてくれたのに。5年目となるとしょうがないのか、と諦めている気持ちもある。
しかしながらそんな家にまっすぐ帰る気にもならず、かといって居酒屋に入って一杯引っ掛けるような気力もなく。
せめてもの抵抗、と、コンビニの角を曲がり、遠回りをすることにした。
もう3年近く住んでいる街なのに、まったくの他人のようなよそよそしさがある。
ふと油断するとすぐに迷ってしまうようなおそろしさがある。
歩いている間に日が暮れてどこにいるか分からなくなり、もう家に帰れない気がして母に会いたくなって、大声で泣いた思い出がある。
結局、近所のおばさんが発見して母を呼んでくれた。あのとき、めちゃくちゃ叱られたっけと思い出す。
そういえば焼き芋を食べたな。帰り道で母に手を引かれて下を向きながら歩いていたとき、焼き芋屋が通りかかったんだ。
間抜けで軽快なメロディーに顔を上げた俺を見て、「夕飯もうすぐだけど、買っちゃおうか」といっていたずらっぽく微笑んだ母。
新聞紙に包まった熱々の焼き芋を半分に割り、「熱いから気を付けてね」と俺に渡す。
泣き疲れていた俺は急に猛烈な空腹を感じて、焼き芋にかぶりついた。
舌を火傷しながら芋を食べる俺の隣で、母はぽつりと尋ねる。
「あんたが無事で良かった、お母さん心配したよ。どうしてあんなところにいたの?」
あのとき俺はなんと答えただろう。
そこから先の記憶が掘り起こせない。年をとるってのは悲しいものだな、なんて自分を慰めたところで見覚えのある建物までたどり着いてしまった。
ああ、どうか寝ていてほしい。
その瞬間目に飛び込んできたのは、パジャマにダウンジャケットを着込んで靴を履く妻の姿だった。
「……出かけるの?」
こんな時間に何の用で、と続ける俺の声を遮って妻が口を開いた。
「おかえり」
キャッチボールが成立してない会話に面くらった自分を見ながら妻は言う。
「LINE見てないでしょ」
「終電もとっくに終わってるのに連絡ないし。心配したよ。何してたの?」
その言葉に、パズルのピースがカチリとはまったような爽快感が全身を駆け巡る。
ああ、そうだ。あのときの俺はこう言ったんだ。
「冒険してた」
なにそれ、といって呆れながらも笑う妻の顔が、母と重なった。
3万くらいで運用費がかからない、ちょっと幸せになれるものって無いかな。
なにが良いかな~
/追記
もしかしたらamazonのランキングにヒントがあるのでは、と見に行ったら
人気度ランキング・ホームキッチンの3位がセーラ服パジャマで思わずポチリそうになった。
違う、そうじゃない。
/更に追記
ボチボチ返信貰えて嬉しい。ありがとう。
睡眠関連は睡眠第一主義なので、必要経費として常に用意してる。
枕もマットレスも布団も色々試して数十万使った。
いまだにベストにたどり着けてないけど、とりあえず及第点の商品使ってる。
PS4持ってる。
でも予約終了で買えないので、この系統で探してみる。
きっと私が欲しいと思うものは、キックスターターや上海問屋にありそうだわ。
いい買い物が出来そうです!
来年で30になる。
子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。
どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。
電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。
あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。
その時、成人式で親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。
こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。
会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。
都合が悪いふりをして会わなかった。
ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。
考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。
どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。
何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。
家の前のアスファルトの道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。
長い時間が経ったように思えた。
答えは出なかった。
それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。
俺はというと頑張って大学を卒業して何とか就職して働きだした。
もちろん忙しいときはそんな暇はないが。
何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。
名前が特殊なだけあってネットで簡単に今の近況を調べることができた。
モデルを目指している人間がブログやツイッターを本名でやらないわけがないからだ。
10年前の俺にはできないことをしている。
今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。
特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。
残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。
今の俺は何が違うのだろうか?
今でも俺は自分の武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。
少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、
今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。
要は、自分に必至じゃなくなったから他人の人生にちょっかいかけたくなったのではないか。
どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。
俺が伝えたいことはこうだ。
「10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、
今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断したからだ」
「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」
「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」
「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」
10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。
どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、
きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。
俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、
それとも未だに自信がなく怯えているのか、
あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、
難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、
Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。
Kくんが増田なわけはないが、
万が一にも増田なら、
あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。
電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。
そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、
すまん、Kくん。
立派になったら連絡を取ると誓ったが、
俺には一生無理かもしれない。
どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。
俺は何も変わらなかった。
とても悲しい。
夢を叶えてください。
でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、
もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないかと
いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。
本当にありがとう。
また、いつか。
Wより