はてなキーワード: ソーシャルとは
元増田のブコメでもあるとおりネット上のソーシャルリベラリズムとGNUは衝突しがち
ソーシャルリベラリズムが何故か不寛容へ振り始めていて自身の所有物への制御権を得るため全員が関わっていこうとするGNUの理念と合わなくなってきている
とりあえず最初にまさか...そんな...猫耳カチューシャ...を最近知って素晴らしいものを読ませて頂けたことへ最大級の賛辞を贈りたい。
猫耳カチューシャは心を豊かにするのだと心新たにすることができた。
では本題だけれども、ボクのリベラルの根源はGNU宣言とフリーソフトウェア運動というエントリを読み、猫耳カチューシャ増田であると記名して書こうという思いに至って実際に行動している。
端的に言えば「猫耳カチューシャを装着するという自己決定を擁護する側のケモノミミストであり、その自己決定の制御権は他者に侵害されるべきではない」と考えている次第だ。
男であれ女であれ性別の型に依らず猫耳カチューシャを装着する自由があるべきだし、年齢がどうのとかどうでも良いじゃんと、猫耳カチューシャを装着したいなら、猫耳カチューシャでパートナーを誘惑したいなら好きにやったら良いじゃんと思うのだ。
これまで猫耳カチューシャ増田はソーシャルリベラリズムに「猫耳カチューシャの自由」の根拠を求めていたが、近年の、特にインターネット上で支持される類のソーシャルリベラリズムはその理念に反して自己の発露を抑制し、あまつさえ規制しようという動きがあるのは否定できないはずだ。
あろうことか野党は与党が自己の発露を擁護しようという立場へ立った際に、与党と差別化しようと政局しか考えず自己の発露の抑制へ歩みを進めるという愚を犯してしまった
共産主義政党は別として、与党よりもソーシャルリベラリズム政党として認識されていながらソーシャルだけに注力しリベラルを棄てるとは、そしてそんな政党を支持してしまうインターネット上のソーシャルリベラリズム界隈には猫耳カチューシャの自由を預けることが正直出来ない。
いつしか猫耳カチューシャが店頭やネットショップから消えて流通されなくなってしまうのではないかと恐怖を覚えてしまうのだ。
あなた達は言ったじゃないか、特定の商品が流通しないように社会合意をはかっていくと。
そんな恐怖に怯えている最中に読んだのが上記の「ボクのリベラルの根源はGNU宣言とフリーソフトウェア運動」だ。
読めば読むほどGNU派にはケモノミミストが求める猫耳カチューシャの自由があるではないか!
猫耳カチューシャを装着する自由、ウサ耳カチューシャを装着する自由、4つ耳であっても良い、髪でヒト耳を隠せば良いじゃないかという自由、そしてケモノミミを装着しなくても良い自由すらある!
我々とあなた達の自己決定をGNUは担保する!
ソーシャルリベラリストよ、このエントリのバカバカしさを受け止められるか?
「夫に猫耳カチューシャを着けたら最強じゃね?」という妻のバカバカしい声を受け止められるか?「猫耳カチューシャを着けた妻の可愛い姿を観たい」という夫のバカバカしい声を受け止められるか?
自分は、猫耳カチューシャ増田はGNU派へ転向したからこそソーシャルリベラリスト達の「GNU派ってバカなのか?」という声すら受け止めようじゃないか!
他人の自由を制限するのであれば自分の自由も制限されると思わなければならない
団体は個人の集まりだ、労組であっても、政党であってもそうだ、個人の集まりだ
統一教会という団体の政治関与を制限するのであれば自分が所属・支持する団体の政治関与も制限されなければならない
ソーシャルリベラリズムの根拠を政党やインフルエンサー的な個人へ委ねている人の限界は他人はダメだが自分だけは良いという結論に至りがちなところなんだよ
自民党は統一教会と関わるのはダメだが共産党は天理教と関わるのは良いとか、自分は反自民で良いが他人は反旧民主なのはダメとか、それが現在のソーシャルリベラリズムの限界だ
現在の、現在のソーシャルリベラリズムな。
現在なので変化をしたら将来的にはソーシャルリベラリズムが最も悪くない選択肢と言われるかも知れない。
んで、現在のソーシャルリベラリズム、いやもっと狭めようか、現在の日本のソーシャルリベラリズムを信望するリベラリストの根拠は特定の政党もしくはインフルエンサー的な個人へ委ねられている。
この問題点は現在まさに問題視されている特定の宗教団体の問題と殆んど違いがないと言って良く、政治団体だから良いのだと言ってしまえば、それは過去に暴力革命を行おうとした政治団体の存在の歴史を軽視していると言わざる得ない。我々はそれを実際に経験しているのだから。
現在の日本のソーシャルリベラリズムの限界とは、そのソーシャルリベラリズムの根拠が特定の政党もしくはインフルエンサー的な個人へ委ねられているということなんだ。
しかもその限界は、アンチ思想であっても同じこと。反自民であれ反共産であれ反オタクであれ反フェミニズムであれ、自民党や共産党、オタク、フェミニストの存在が根拠として駆動している。
例の事件の根拠は反統一教会だ。反自民や反フェミニズムと何が違うのか。安倍に恨みがなくとも統一教会を擁護する立場にあればこの世から抹消する、その漫画に恨みがなくとも表現の自由を擁護する立場にあればこの世から抹消する。何が違うのか。
現在のソーシャルリベラリズムの限界を認めよう、そして新しいソーシャルリベラリズムを模索しよう。
そうしなければ違いなど決してありはしない。
最近はプロのブックマーカーも増えてきて昔よりは治安も良くなったけど、いまだに初心者の間違った使い方も見かけるので注意喚起としてプロが身につけるべき3つの良い習慣について書いておく。
目に余るデマ記事を見かけたらとりあえずブックマークして反対意見を書いて、はいけない。
例え炎上だろうと世間の耳目を集めた時点でデマゴーグの狙いは半分達成されてしまう。
初頭効果って知っているだろうか?
たとえデマの内容があとから明確に否定されたとしても、初めにデマから受けた印象を人は引きずってしまうことが実験で報告されている。
デマが注目をあびて、何も知らない人の目にもさらされてしまうと、その無垢の人には間違った印象が刻み込まれてる。
あとから反論記事を読んでもらってもそれは消すことができない。
はてブでいえば、デマゴーグのデマに反論ブクマをつけてしまうとデマは注目をあびて結果的に多くの人に広まってしまう。そしてたとえブックマークコメントを読んだりしてデマの内容が否定されたとしても、その印象は残ってしまう。反論を書いたブックマーカーの意図とは裏腹に。
プロのブックマーカーはこういうときどうするか。もったいぶってもしかたがないので結論からいうと、
「既にブックマークされているコメントの内容を見て、自分と同じ意見のはてブに無言でスター連打」である。
こうすればデマにこれ以上注目が集まることはなく、ただデマを否定するコメントを目立たせることができる。
ネットスーパーで買い物をする習慣がついて、久しぶりにリアルのスーパーで買い物してみたら辛かった。
いちいち商品があるところを探してあっちこっち歩かないといけない。しかも人を避けながら。狭いところとかだとカゴの持ち方とか歩く姿勢とか気を遣う。運が悪いと人が邪魔で通れない。探してるものがどこにあるのかわからなくてぐるぐるすることもある。
買うものが多いときは後半、カゴが重くなってくる。カートなら腕がちぎれそうにはならないが、動きにくいし小回りがきかない。
支払いのレジ待ちも辛い。どの列が早いかとか考えるのも面倒。ソーシャルディスタンスに気をつけながら、フォーク並びなのか違う並び方なのか見極めながら、うっかり横入りしてないかとか全方面に気を配りながら、重い荷物持って待たないといけない。まだ並んでない人たちの通行の妨げにならないように気をつかう必要もある。
ネットスーパーなら自分の好きなタイミングでとっとと支払いが済ませられるのに。体を縮めて待たなくてもいいのに。
支払いするときもしんどい。後ろの人を気にしながら早く支払いを済ませないと、みたいなプレッシャーがつらい。
その後の袋詰めも嫌だ。運が悪いと場所が空いてないこともある。袋詰めしてるときに幅寄せしてくる人もたまにいる。袋に詰める順番も考えるのがめんどくさい。あとで崩れると運びにくいから、両端に柱になるやつを入れて、とか本当にめんどくさい。
さらに買ったものを家まで自分で無事に届けるとか、気が遠くなる。
ネットスーパーを利用するようになって、食料品や日用品の買い出しがどれだけ負担の大きい「労働」だったのかがわかった。
近所には残念ながらすごく新鮮な野菜とか魚とかを扱ってるスーパーがない。だから実物を見て美味しそうなものを選ぶなんてこともない。それに、値段がものすごく安いわけでもない。もう、実店舗で食料品を買うメリットがない。
夫、リモートワーク。わたし、現場で働かないといけない仕事。子供なし。
私は元々人付き合いがそんなに得意ではなくて、仕事から帰ってくるとソーシャルバッテリーが切れる寸前。
一緒にご飯を食べたら、すぐ自分の部屋に行ってベッドに倒れ込んで本読んだりゲームしたりする。
夫は私のその態度が気に食わず、悲しい、らしい。
もっと一緒に映画見たり、休みの日はお出かけしたりしたいらしい。私はずっと眠ってたい。
「夫婦なのにすごく冷たい関係性」「こんなに寂しいのが夫婦なのか」と、悲しそうに静かに責めてくる。
私はそれをいわれるのがいやで、ますます夫と一緒にいたくない。
リモートで顕著になったものの、そもそもの性質だと思う。わたしはソーシャルバッテリーの容量が少なくてすぐ一人の時間で充電したくなる。夫は人といる方がエネルギーになる。
不思議なのは、別に夫は私以外にもめっちゃいっぱい友達がいるということ。
土日は野球サークルで遊んで飲んでくるし、マンションの理事会で友達になった人の家に遊びに行ったり、私の1000倍は友達がいる。
だから「他に依存先見つけて」みたいな話でもないっぽい。「夫婦」に意味を見出したいらしい。
ちなみにレスじゃないので、遠回しにそういう事を催促されてる訳でもない。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-06-20/RDR3XKT0G1KW01
新型コロナウイルス感染症の致死率に関する直近の統計で、日本が首位に立った。世界の裕福な国々の中で日本の致死率が最も低い理由について専門家が指摘するのは、マスク着用の継続やワクチン接種率の高さ、長寿大国といった基本的な事実だ。
今も世界のさまざまな地域で感染症拡大は起きている。だが、日本では人混みや換気の悪い場所を避けるなど、基本的な感染対策を人々がしっかりと守ってきた。その上で、政府のワクチン接種プログラムが着実に実施され、致死率を抑える結果につながった。
国立国際医療研究センターの医師で東京都の医療アドバイザーを務める大曲貴夫氏は、「個人単位での感染防止対策の遵守は、日本の感染対策において重要な役割を果たしている」と話す。政府や自治体はソーシャルディスタンスなどを呼び掛けたものの、人々の自主性にも任せたことが奏功したという。
65円の部分を66円払おうとした。60円の部分に引っ張られたと思う。
100円のものを買って108円だからと180円出したりしてる。
セルフレジの方が少ないから雑になってるとかじゃなくて単に頭がおかしくなってる
久しぶりにスーパーに並んだら誰もソーシャルディスタンスしてなかった。
自分は自分が守りたい決まりごとから外れるのが苦手だから自分だけ地面に書かれたテープラインを守って前と空間が開くんだけど背後にぴったり次のお客さんが居てずっと気まずかった。待ち時間も長かったし…。
形骸化してるものはさっさと取っ払ってほしいな…テープがなければ自分もぴったり並ぶし…。前だけ開けても意味ないとも思ってるし…。
記入用のボールペンを持ったまま立ち去ろうとした。
さっさと書いて速やかにお暇することだけ考えていたらボールペンを置く工程が抜け落ちていた。
流れ作業的に応答してるだけなのに生年月日を聞かれてついでに語呂合わせで○○です。って言ってしまった。
え?はあそうですね。
って反応だった。言った直後に後悔したけど反応にさらに申し訳なくなった。
最近とても集中力が落ちた気がする。まともに頭が働いてないし相手の話もよく分からないし。
ストレスとは無縁の生活だからただの加齢かな。もともとやばい人間だったけど若さのカバーが効かなくなってやばさに拍車がかかってるのかも。
コロナ渦になり、マスク社会になった。世界は劇的に変わった。ソーシャルディスタンスを保つために距離を取ったり、レジ前やテーブルにはプラスチックボードが挟まれたり。そうなると相手がなにを言ってるのかよくわからなくなる。というかコロナ前からぼくはそうだった。以前から相手がなにを言ってるかよく聞き取れなかったり意味がよくわからなかったりすることがよくあった。でもこれはぼく自身の理解力の問題なんだと思っていた。
ある日、聴覚情報処理障害(APD)というものがあるということをYouTubeで知った。どんな障害かというと、雑音の中で言葉がよく聞き取れず、理解できないのだそうだ。どうりで飲み会なんかで相手の言葉が聞き取れないわけだ。調べて見ると、100人に2人くらいの割合でその障害を持って生まれるらしい。ぼくもその障害なのかもしれない。
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。