はてなキーワード: スピッツとは
28歳女。飲食店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行の妖怪のせいだろうか。一大事~なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレスを剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火、最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、このままリポビタンDのCMに使えそうな画である。ファイト一発!私はそうやっていつも乳首を励ましていた。
世間では女性の乳首はさくらんぼに例えられることもあるが、私のそれは実ではなくヘタ(茎・軸)のほう、より専門的に言えば果柄である。口の中で結べるとキスが上手いと言われるアレである。仮に私が大塚愛ばりに「私さくらんぼ!」と乳首を出そうものなら、男性にぎゃあと叫ばれた挙句、大塚愛と法廷で戦うことになるだろう。もし徳永英明が私の乳首を見たら『取れかけのChikubi』というバラードを歌い上げるだろう。スピッツなら『乳首がポロリ』、コブクロなら『取れそうで落ちそうな乳首が今年も春を待っている』、一青窈なら『薄紅色の可愛い君のね、乳首がちゃんと終わりますように』、いくつもの乳首J-POPが頭をかけ巡る。もういっそのことすべてを諦めて、ありのままに任せたらいいのではないかと思うこともある。しかしありのままやっていたら私の乳首は十中八九レリゴーしてしまうだろう。もちろんこれはMay J.の責任問題であり、法廷で戦うことになるのは必至だ。もちろん黒幕は松たか子である。
とにかく私の乳首は無事に年を越せるか分からない。仮に年を越せても再来年は分からない。遠からず乳首が離れるときがくる。子が親から巣立っていくように、いずれ別離のときがくる。だけどそのときは涙は見せず、笑って見送りたいと思う。ぽとりと落ちた乳首はきっと大地で芽吹き、いつか綺麗な花を咲かせるだろう。木になる果実はさくらんぼ。そのとき大塚愛とのさくらんぼ裁判が幕を開ける……。
今年発表ではない。ちょっと気が早いけど年末忙しそうなんでまとめた。
30 君はできない子 きくお
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20410104
https://www.youtube.com/watch?v=tgHXXfiPLck
犬が糞をしたあと飛ばした土がアスファルトを汚した光景を思い出す。そのとき聴いてたし。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm341788
https://www.youtube.com/watch?v=C-FJ9UOtAQs
思い出の洋服とはオレンジチェックのシャツと黒のポロシャツです。
26 まっさらブルージーンズ ℃-ute
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14229743
「まっさらブルージーンズ!!」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9721776
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9631728
23 こっちむいてほい てをには
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20340895
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19480453
木製の銃でデコイの水鳥を撃ち抜いた、って感じがしたね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4460906
https://www.youtube.com/watch?v=Eze6-eHmtJg
19 花言葉 Mr.Children
https://www.youtube.com/watch?v=cmAeRw1_e7c
モトカノがよく口ずさんでいたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=VArdmWLNwP0
再評価。ピカピカピカピカピカピカピカピカしてたのに。
https://www.youtube.com/watch?v=Bs09d3Xvq_U
16 あきの日 パスピエ
https://www.youtube.com/watch?v=V_iY8NfInoU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14175555?ref=search_key_video
そろそろ眠いしは驚異的な歌詞だ。地球入りのカンテラってFFに出てきそう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10643827
再評価。あいあいあいのところ、初めて聴いたとき泣いたの覚えてる。
13 ハダ色の日々 MOROHA
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22191620?ref=search_key_video
心がざわつく。1番のクオリティが2番以降も維持できてたらコスモだった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6111485
https://www.youtube.com/watch?v=1Ummhp5G03g
心だけだったら許してくれますか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11609872
それって救いがない。
https://www.youtube.com/watch?v=7yoGaURbt_M
8 文具 POLYSICS
https://www.youtube.com/watch?v=DhUGZUlp-Pw
http://www.nicovideo.jp/watch/nm5883778
個人的にかっこ悪いペコ見るの嫌いなんだ。くそまってろマジで。
6 光の雨が降る夜に 9mm Parabellum Bullet
http://www.nicovideo.jp/watch/nm10516955
いまだかつてないサビ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11517084
4 Waitress, Waitress! [Champagne]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17172328
俺の歯は折れてしまったんだ。心と一緒にな。
(単曲で見つからん)
2 マンピーの/G★SPOT サザンオールスターズ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14142466
1 神様のヒマ潰し GO!GO!7188
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3903793
ところでまだ好きなんですがねそれは?
youtubeで検索したらコピーバンドがひっかかったから試しに聞いてみたら演奏ガタガタでひどすぎた。
ライブであれほどのクオリティを出せているスピッツがどんだけすごいかがはじめてわかった気がした。
当たり前の安定感を出すってのもすげーむずいんだなと思った。
ASKAの詞の特徴の一つは、複雑な比喩を折り重ねていくことにある。そうした複雑な比喩の解読については、「On Your Mark」の楽曲分析で先日書いたところである(http://anond.hatelabo.jp/20140924014048)。
しかしながら、私はCHAGE&ASKAの熱烈なファンであるけれども、「比喩」の観点から歌詞を見ればASKAよりも巧者は他にもいると思っている。例えば、スピッツ。「ロビンソン」の印象派の絵画を思わせる複雑な比喩を見るとASKAに少々分が悪い。では人生の機敏という観点から見ればどうか? 私の考えでは、ASKAは中島みゆきに遠く及ばない。しかしそれゆえにASKAの歌詞は二流であるわけではない。
ASKAの詞はJ-POP史上稀に見る「音楽性」を持っている、というのが私の意見だ。「言葉が音楽性を持っている」とはどういうことか? 分かりやすい例として、まず"YAH YAH YAH"をとりあげて、それを説明したい。
「YAH YAH YAH」のサビは、ご存じのように、ひたすらYAH YAH YAHが繰り返されるだけである。しかし「YAH YAH YAH」という発音には極めて綿密で、天才的な直観があると私は考えている。仮に、YAH YAH YAHの部分を「ウ」でも「エ」でもよいが、別の母音に置き換えたものを想像してみると、「YAH YAH YAH」という曲そのものが成立しなくなることが了解されるだろう。YAH YAH YAHの発音の秘密はそれだけにとどまらない。その前の歌詞に注目する必要がある。
この部分を読むと、「イ」の発音が異様に多いことに気がつく。「イ」は、歯を食いしばって発声される。怒りを耐え忍ぶかのような身振りを発音が要求している。そして、サビに入る時に「ア」の開放的な音に切り替わる(殴りにいこう「か」)。サビの一個手前に、このような母音のドラマが隠されている。この「イ」と「ア」の動きをYAH YAH YAHというサビで何度も何度も再現するのである。なお、「今から一緒に」の前にある「勇気だ愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい」では「イ」で終わっているので、まだ耐え忍ばなければならずYAH YAH YAHと叫ぶことができないように発声的にも規制されていることが分かる。こうして見てみると、一見単純に見えるYAH YAH YAHの歌詞には天才的な音楽的直観が働いていることが分かるだろう。
そうした作詞法はASKAの専売特許ではない。そうした作詞法を意識的に採用しているのは、ASKAも尊敬している井上陽水である。陽水は、「Tokyo」の冒頭部分「銀座へ鳩バスが走る」という歌詞の秘密を次のように語っている。
タモリ で、それを作りたいってことに、なんで銀座が浮かんできたわけ? しょっちゅう行ってるから?
陽水 いや、そういうことじゃなくてホラ…、東京でね、やっぱり一曲ね[作りたいと思ってたから]。で、「銀座へ~」っていうね、あのー、人によってね、いろいろ、発音でね、取り柄がある発音とあんま響かないのがある。「銀座へ~」っていうのが、この口にすごく合ってたの。「銀座へ~」、あ、響くなあ、って。
7:00-7:40頃 https://www.youtube.com/watch?v=szB9lhaX2XY
井上陽水の曲を聞いてみると、たしかに言葉の「音」に対する独特の"美意識"があることが分かる。これはこれで、余人には真似しがたい孤高の美をたたえている。「Tokyo」であれ「Make-up Shadow」であれ、言葉に対するきわめて繊細な美意識を私は感じる。
完全に余談だが、全世界的に流行した「Let It Go」の歌詞にも言葉の音に対するこだわりを強く感じるので紹介しておく。
My power flurries through the air into the ground
My soul is spiraling in frozen fractals all around
And one thought crystallizes like an icy blast
I'm never going back, the past is in the past
この部分は、一番の大サビに向かう、心躍る箇所だ。
歌い始めの「My power flurries through」の部分は、口をすぼめる内気な発音が多い。しかし、「the air」の所でやや反抗的な「エ」の発音がやってきて、「into the ground」で一回大きく開放的になるが、すぐに締められる。「My soul is spiraling in frozen」までは基本的にはやはり内気な発音が多い。「fractals」のところで「the air」とは別のしかたで(歌い方で)反抗的な様子を見せるが、これも「all around」の個所で一回開放的になるが閉じられる。こうした発音のドラマの最後に、「the past is in the past」の個所がやってくる。このようにして、まことに開放的で、ドラマチックな「ア」の発音がここに訪れるのである。
このように、言葉の音に対する意識は世界的に存在する。しかしながら、日本語は、世界の様々な言語と比べても「母音」の割合が非常に多いという特徴をもっている。日本のロックミュージシャンたちはこの母音に苦しめられてきたのだ、と言っても過言ではないだろう。そこで例えばサザンは子音に着目した。サザンは日本語における子音の可能性を大きく拡張したミュージシャンとして評価することができる。しかし、ASKAはあくまで「母音」の可能性にこだわったミュージシャンであると私は考えている。日本語の本来の特徴が「母音」にあるのだとしたら、その「母音」を徹底的に活用したのがASKAである。
こうやって私が言葉の音に対して敏感になったのは、チャゲアスの音楽を聴いてからだ。ASKAは、まず歌唱からして、母音を強調している。これは良くも悪くも「古さ」を感じる歌唱であろう。母音を強調する歌手として、例えば尾崎紀世彦や布施明を挙げることができる。彼らの歌唱には「昔ながらの情念」を感じる人が、とくに若い人になればなるほど多いのではないだろうか。一方、母音を強調しない歌手、小田和正の歌唱にはそうした「古さ」を感じることはないのではないか。母音は、本能的な部分に訴えかける、ほとんど呪術的と言える原始的な力をもっている。しかし、それを真に受け止めるためには現代人はいささかシャイなのだ、というのが私の持論だ。母音とは、一種の「ますらをぶり」である。ASKAは「ますらをぶり」のシンガーである。
私の見立てでは、ASKAが母音から歌詞を構成する方法を意識化したのは、だいたいシングル「WALK」以降である。「WALK」より前の曲には、母音に対する美意識を見出すことが難しかった。逆を言えば、WALK以降には母音に対する鋭敏な感覚をASKAの曲に感じる。国民的シンガーCHAGE&ASKAが出来上がったのは「SAY YES」であるが、「SAY YES」と同レベルの作品を量産できるようになったのはだいたいシングル「WALK」の時期からだ。一つ一つ楽曲分析をして証明をすることもできなくはないが、それをするとなると、ちょっと本格的にやらなくてはいけない。そこで、ASKAの曲の中でも、母音の使用がもっとも素晴らしいと思う楽曲を一つ見てみることにしよう。「はじまりはいつも雨」だ。
「はじまりはいつも雨」はASKAソロの曲だが、チャゲアスVer.も残されている。私の一番好きな音源である(https://www.youtube.com/watch?v=5mzj72QxrYo)。
「はじまりはいつも雨」は、メロディーと歌詞の二つが複雑なハーモニーを形成しており、決して不協和音をつくっていない。母音の使用法も極めて洗練されている。しかしながら、冒頭から母音の分析をはじめても感覚的に分かりづらいと思うので、もっとも分かりやすいところから見てみよう。それはサビの終わる所である。
失くした恋達の 足跡(あと)をつけて(二番)
まず気がつくのは、これら全ての終わりが「エ」で終わっているということである。仮にこれを「エ」以外の音だと考えてみよう。すると、この曲自体がぶち壊しになることが分かると思う。「ア」だと少々なさけない感じがするし、「イ」はやや幻想的になるかもしれないが悲痛な雰囲気も漂いそぐわず、「ウ」はそこで完結してしまい、「オ」では重すぎる。ここは「エ」でなければならない。暗い街中に消えていく複雑な余韻は、ここでは「エ」によってしかつくることができない(なお、似たような曲として井上陽水「帰れない二人」があることを指摘しておく。また、ASKAは「はじまりはいつも雨」を作る時にその曲を意識していると私は考えている)。
さて、この曲における母音でもっとも美しいと思うのはサビに入る前の「誰よりも 誰よりも」という箇所だ。J-POP広しといえども、このような「オ」の大胆な使い方をして、それが成功をおさめている例を私は他に知らない。この箇所は「ア」と「ウ」でも成り立たないことはない。しかし、「ア」だとあまりに開けっぴろげで楽観的すぎるし、「ウ」だと少しストーカーのようないやらしさを感じる。ここはやはり「オ」でなければならず、「オ」という少しくぐもった母音によっていささか内気な青年の、胸の奥底からやってくる高鳴る期待が的確に表現されていると私は考えている。言葉の「意味」ではなく「音」によってこんな複雑な操作をできるシンガーソングライターが今どこにいるだろうか? たいへん残念なことに私はASKA以外に知らない。
他にも「はじまりはいつも雨」には美しい母音が色々ある。例えば「今夜君のこと誘うから 空を見てた」の「と」の遠慮がちな「オ」とその後にメロディーとともに上を見た時にある開放の「ア」であったり(綺麗な夜空を見て嘆息つくような場景が思い浮かびます)。こういうことは言いすぎると野暮になることかもしれない。とりあえずは「はじまりはいつも雨」を聞いていただきたい。それから、「Say Yes」や「no no darlin'」などのチャゲアス名曲群から美しい母音たちを集めて、それぞれ言葉の音を解釈してみるのも一興だと思う。
こういうふうに語りながらおすすめを決められるのってすごいと常々思う。
自分がいいと思ったからといって他人にもウケるという確証がもてないから、
自分の熱量とは別に客観的に理路整然と分析して機械的に聞くようになったらつまらないし。
両方切り替えられればいいんだろうけどそこまで器用じゃないし。
俺はそれでいい。
めっちゃ傲慢にあれもこれもとすすめちゃってドン引きされちゃいそうだし。
ちなみに俺はジュテーム?が好き。
今は野良犬も少なくなり、ブランド志向もあって、雑種というのは減ってきた。
流行りの犬種なので、もともと飼われている数が多いということもあるけど、よく吠えるのが嫌われるようだ、とのこと。
もともとは猟犬として長い尻尾は邪魔だからという理由からだったが、今は短い尻尾がカワイイかららしい。
切られて出血死、ショック死することも多いという噂を聞いたこともある。
近所の奥さんがコーギーを飼い始めたが、無駄吠えが酷い。朝からずうっと狂ったように吠えている。
旦那さんの出張中だったそうで、帰ってきたご主人は、突然家に吠え続ける犬がいてびっくり。
そういえば昔はよくなく犬の代表が日本スピッツだった。今は改良して無駄吠えしなくなっているらしい。
「卒業式で桜ノ雨」「お昼の放送でボカロ禁止」といった話題がネットに上がってから3年~5年、
ニコニコ動画におけるVOCALOID初期作品の『みくみくにしてあげる』や『メルト』からおよそ6年半。
青春の音楽=ボカロって層はまだ学生だろうけど、大学くらいでボカロに触れて楽しんだ人が教職に進んでクラス担任を受け持っていることはありえると思う。
すると生徒とくだけた話もするタイプの教師なら、ボカロ好きな生徒との会話を試みて
「先生が学生のころは〇〇Pを聴いてたんだよー」「そんなP知らなーい」「えっ」
といったシチュエーションがあるかもしれない。
でも私が中学校の頃はどんなに若い教師でも、私たち(のものと思っている)の娯楽にすり寄られるとウザいと感じた。
むしろ私たちだけがその娯楽の面白さを知ってればいいとさえ思っていたから、
冒頭で挙げたネタで出てきた「自分の好きなものを否定されて辛い」って感情は
否定してくる相手が同級生なら共感できるけど、教師だとできない。
モーニング娘。・嵐・浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・aiko・椎名林檎・19・ポルノグラフィティ・Dragon Ash・BUMP OF CHICKENは私たちのもので、教師が入ってくるのを拒んでた。
「二宮くん可愛いよねー」より「私の1番は今でもかーくんなの!」という女性教師の方が誠実そうに見えた。
吹奏楽部が定期演奏会で『ザ☆ピ〜ス!』を下級生のダンス付きで披露したとき、飛び入りでダンスに参加した副顧問の男性教師にはかなり白けた。
一方で自身の思い入れのある曲・歌手・娯楽を紹介できる教師は、ちゃんと青春を謳歌して大人になったんだなと好印象だった。
『TSUNAMI』、『波乗りジョニー』の大ヒットで当時40代の教師たちがサザンオールスターズや桑田佳祐を熱く語った。おかげで男子に『マンピーのG★SPOT』が大流行した。
ドラマ『人にやさしく』でTHE BLUE HEARTSを知った子も多かった。体育教師は持久走の授業で『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』をBGMに流して生徒が関心を示すと、どこか満足気だった。
一番印象に残ってるのは卒業式とは別にあった、教師のくだけた訓話と生徒の出し物がメインのお別れ会。
男子生徒のバンド演奏で2人の男性クラス担任がボーカルの子と並んで歌った、スピッツ『チェリー』。
『桜坂』は大ヒットしてたけど、後発の桜ソングはまだなくて桜ソング=卒業ソングというイメージもまだなかった時代。
それでも春と旅立ちのイメージで選ばれたんだと思う。
『チェリー』のCDリリースは96年。私たちは小4で、大流行してたJ-POPを主にテレビからどんどん吸収していた。
歌った先生たちは教員になったかならないか、でも『青い車』『ロビンソン』なら学生だった世代。
男子生徒たちは普段Dragon Ashを体をくねらせながらコピーしていたせいか『チェリー』だとかっこつけきれず、はにかむような顔を見せた。
先生たちは学生のころの気持ちに戻ったと言いながら、ノリノリで歌い終わったあと赤面してた。
お互いの照れがとても印象的だった。
これがスピッツではなく19だったら、あるいは尾崎豊だったら、生徒と教師が一緒につくった思い出としては今の私に強く残らなかったと思う。
オフコース・アルフィー・杉山清貴・稲垣潤一・来生たかお・・・
レパートリーに楠瀬誠志郎、KATSUMI、ミスチル、スピッツ、谷村有美辺りが加わった。
だが、世紀が明けて2000年代になって、パタッと音楽を聴かなくなった。
一つには個人的にそれどころじゃない(赤ん坊ができた)というのもあるが、以前だったらカウントダウンTVとか
耳が保守化したのかな?とも思ったが、日本の音楽自体が変質した気がする。
一番感じるのは、いわゆる「ラップ」というのか、メロディーラインを軽視してリズムを重視して、
「語るような感じ」の音楽が増えてしまって、メロディー・ハーモニー重視の自分の嗜好と真逆になったのが大きい気がする。
アルフィーの3人のハモリみたいな楽しさが、2000年代以降の音楽に、全く感じられなくなっている。
■久々にジュリ-を聴いてた
台所で、色んな曲を聴いてる。
スピッツだったり、IL VIVOだったり、QUEENだったり、ABCだったり、
ジュリーの知らない曲が出てきて、
でも、歌詞だけでなく、ついでの拾い物もある。
拾い物って、ジュリーや関連した人や物の記事。
色々、PCでも見たくなり、翌日の昼間、PCが使える時、改めて検索。
いちいち、昔の事を掘り起こしてる暇なんてない、
はずなのに、
ついつい、あれこれ読んでしまった。
■本、買えない
「ロング・グッバイのあとで」という本が読みたくなった。
当時の事やその後を書いてくれてるようだ。
レビューも色々出てきた。
そんな暇ない、と思いつつ、あれこれ読んでしまった。
■ネットって、ありがたい
私は、本をよく買ってた、ものすごく買ってた。
でも、今は、買えない。
今は、私はネットオークションで売る人になってる。
図書館に行って借りて読む暇も捻出できない。
読むことへの情熱も無くなってる。
色んな人のレビューを読むのは好きで、本を買う前によく読んでた。
自分もおススメの本をよく自分のブログでアフィリエイトしながらレビューしてた。
今回、ネット上の瞳みのるさんの本のレビューをいくつか読んで、
それぞれのその人の視点で、心に残った部分しか書かれてないけど、
けっこう、色々、読んだ気になれた。
■ご批判もあるとは思いますが
って、この走り書きが、誰かに読まれるとも思ってないけど。
そんなの読んだことにはならない、そのくらい、
読むのが好きだった私は、わかる。
本当は、じっくり読みたい。
でも、まあ、この忙しい時代、そういう読み方も、有りかな。
そんなふうに思う。
昔スピッツジャンキーだった経験を活かしてスピッツっぽい歌詞に共通点を見出したので書く。
変態エログロオナニーロック期、セカイ系開き直り媚び期、今の自分見つめなおしました&実験期、
周囲の人に感謝の正拳突き100万回期、と来て今の自分見つめなおしました二期を迎えてるスピッツである。
歌詞表現は手を変え品を変えているように見えるが、大元というか、魂というか、そういった事はあまり変わっていないように思える。
ただし、私が今から書くことはそういう透けて見える魂を炙り出す作業ではない。生温い目で見ていただければと思う。
歌詞を書くコツは下記の5つ。結構多いが、これを考えなくても出来るようになる事がマサムネへの近道だ。
【薄幸薄弱男を頑張らせる・情景描写をおぼろげにする・気付いた感を出す・倒置法・空を連想させ、飛ぶ】
以下、それぞれ解説し、最後に自分なりにこのルールに沿って歌詞を作ってみる。
・薄幸薄弱男を頑張らせる。
基本的に「君」を高嶺の花・世界の全てに据え、尚且つ「僕」は頑張る。
「君の手を離さぬように」、「恋する凡人試されてる狂った星の上」などなどが当てはまる。
・情景描写をおぼろげにする
初期から形を変えているものの、ほぼ全ての期で見られる歌詞表現である。
おぼろげな情景描写を具体的にするために、単語を使用する。
「鮮やかで短い幻」「霧雨に濡れてたら汚れた心も」の「幻」、「霧雨」が当てはまる。
・気付いた感を出す
→これが一番言葉として表すのに難しい。
自分のしていた事(主に「君」に何かしてる)に必死になりすぎて、
感情、情景が実はこうだった…ということを歌詞に盛り込んでいく。
「でもどこかブルーになってたあれは恋だった」「重い扉押し続けてた」が当てはまるが、
悩むようなら「だった」を付ければ全て解決する。
・倒置法
→書かなくてもわかると思う。
セカイ系開き直り期の中盤辺りからこの表現が出始めたと記憶している。
「愛に溢れた短い言葉をたった一つだけ」「世界中何も無かったそれ以外は」などが当てはまる。
スピッツを知らない人は「いい品お安く、安心添えて」と言えば分かるだろう。
・空を連想させ、飛ぶ
→飛ぶ。とにかくマサムネは飛ぶのだ。タイトルにもなるぐらいだ。
情景描写をおぼろげにということからしても、結局は現実逃避したいのだろう。
空の情景描写は連想させるよりも具体的に書いてよい。
「鳥になって鳥になって」「西に稲妻光る」などが当てはまる。
ちなみに自分として飛ぶ表現はクスリをやりたくて仕方がない感じと鳥になりたい感じの
さて以下が私の考えた歌詞だ。
もう逃げ出さない こらえ切れない思いかきまぜた
見上げた青空を指で縁取ってすっくと立ち上がって
気付いたこの気持ち 煙で舞い上げてしまえ」
やはり「っぽい」でしか無いことがお分かりいただけたことと思うし、いくつか使っていない。。。気がする。私はアホだ。自分で言っていて使わないなんて。
応用は苦手なため、誰か作ってみて欲しい。
※この記事は結構力作なので、ちょこちょこメンテをするつもりだ。まぁ早速不要なのが2点ぐらいある気がする。iPS細胞みたい。
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
夕方に書き込んだ時にはお一方代行してくださったんですが、時間帯が悪かったのかどうにもスレが伸びなかった(あと自分がリアルタイムで見れなかった)のもあってもう一度お頼みしたい!
以下内容
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
window - The album leaf
no surprise - radiohead
I wanna be adored - The stone roses
someday - The strokes
1979 - The smashing pumpkins
time to wonder - gypsy & The cat
そして僕は途方に暮れる - 大沢誉志幸
summertime clothes - animal collective
夜を駆ける - スピッツ
聴く音楽を選ぶときに重要視していることがある。それは曲のストーリー。
歌詞のある曲ならその歌詞がストーリーを形作るし、サントラなら映画なりゲームなりのストーリーがある。
ストーリーの善し悪しがその曲をリピートする回数に繋がることに最近気付き、自分の好きな曲について書かずにはいられなくなったので、増田でオナニーすることにした。結論もなければ考察もない、ただただ好きな曲の好きなストーリーを書き綴るだけの自己満足。これが書けて、しかも不特定多数の人に見てもらえるのが増田のいいところですね。
公園のベンチでうとうとしていたら 母ちゃんに首を絞められる夢を見た 母ちゃんはいつも「いい加減大人になりなさい」と僕に言うけど 安心して下さい 僕はもう彼らの輝きを直視できない ださい大人になれましたよ
今はもう解散してしまった野弧禅という二人組の「少年花火」という曲。野弧禅の曲(のストーリー)の基本プロットは「ろくでもねえ俺だけど頑張ろうと思う、でも頑張れなかったりする。でも頑張るから、、、頑張るから、、、」という感じ。決意表明して、終わり。みたいなダメな野郎の話。「彼ら」とは少年時代の自分たちであったり、暴走族だったりする。「彼ら」のまぶしさを語り、「彼ら」のまぶしさを直視できない自分を語り、
何よりも激しい光で 何よりも激しい爆発音で 何よりも激しいスピードで 何よりも激しく刻み込まれるその一瞬に 少年花火 夏の夜に咲く 少年花火 夏の夜に散る
と続き、曲は終わる。
松本人志が「認められていない才能」として自身の映画に抜擢したのは野弧禅のボーカル。こんな歌詞をかける人間が認められていないのが不思議でもあり、こんな歌詞を書いてしまう人間が認められないのも当たり前か、とも思う。
ここはきっとゴミ箱かな
素人の、あるいは、素人みたいなプロの作った歌詞は一様に陳腐で、よく使われる言葉を並べ替えているものばかりのように思う。母親に感謝しまくりのジャパニーズラップや何かを探しすぎなジャパニーズポップス(洋楽は知らないのでジャパニーズと限定しておく)などが素人みたいなプロの歌詞の代表例。ニコ動であげられている楽曲のほとんどはこれと似た水準で、はいはいよかったね、としか思えないことが多い。よく「歌詞に号泣した」とかの評判のボカロ曲を聴くが、泣いたことはなかった。この泣き虫な俺でも、一度も泣いたことはなかった。
初音ミクの消失も同様で、相当ハードルがあがった状態で聞くことになった。そしていつもの通り陳腐な歌詞が続く。早口で歌わせるのは結構面白いなと思いつつ、まぁいつもの誰でも書ける歌詞だな、と思っていた。
謝らなければなりません。ここはきっとゴミ箱かなという歌詞が、この曲を陳腐でありふれた曲とは明らかに別次元に連れて行っている。不幸にも(?)人格を持ったデータが捨てられていく悲哀をこれほどうまく表現できるのは、作詞者に無二の才能がある証拠だと思う。
僕は夢を描いて 破り捨てては描いて
スガシカオが好きなんだ、というと「歌詞がいいよね」と言われる。もうこれはテンプレみたいにそう言われる。多くの人は「夜空の向こう」を頭に浮かべて、そう言うのだと思う。確かに夜空の向こうは素晴らしい歌詞(ストーリー)を持った名曲だと思う。ただ、スガシカオの紡ぐ優れたストーリーはそれだけではない。彼の楽曲の多くにおいて、優れたストーリーが存在している。
聞いていい? 僕は今 うまくやれていますか?
スガシカオの曲は野弧禅の曲と似たストーリーではあるが、もう少し前向き。後悔もなければ、決意表明もない、ただただ自分が頑張る理由を見つけた、と。夢を描き、それに向かって走っている最中は常に不安と共にある。夢破れても、それでも頑張る理由がある。だから頑張る。そんな曲。
古くからの彼女のファンには残念な現状はさておき、鬼束ちひろも心に残る歌詞を書くことで(僕の中では)定評がある。中でも、わたしとワルツを、は絶対に彼女以外にでは紡げないストーリーではないかと思うくらい、暗く、悲しく、優しい歌だ。
誰にも傷がつかないようにと 一人でなんて踊らないで どうか私とワルツを・・・
この(おそらく)男性は優しいのではないのは明らかだ。少なくとも僕の中で映像化されている「あなた」は優しくない。人に迷惑をかけてしまうかもしれない、という思考から抜け出せない、自信がなく、臆病なだけの男。「わたし」は「あなた」の臆病なところをわかっていて、その弱さに気を遣いつつ、二人でワルツを踊ろうと提案する女性。「わたし」が「あなた」のことを異性として好きなのかどうかはわからないが、好意の有無にかかわらず、「あなた」の弱さに気を遣いつつ、「あなた」の希望を叶えてあげようとする「わたし」の優しさに感動する曲が、「わたしとワルツを」なんだと思う。
書けないよね、この歌詞。
スピッツの歌詞と言えば抽象的なモノが多く、聞き手が勝手なストーリーをこさえる余地を残してくれている。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもある。
この「夏の魔物」が何なのかは諸説あるが、「子供を養うことができない未成年の男女が子供を作ってしまい、中絶しようかとも思ったが、結局生むことにした。でも、流産してしまった」というストーリーにおける「流産してしまった子供」説が最有力。僕もこの説を支持していて、そんなストーリーを想いながら聞くと、泣けてしまう。
会いたかった、が3連呼されている曲は他にもあるが、その奥にある感情の起伏や辛すぎる現実を想起させるこの歌詞は、間違いなく心に残る。
他にも優れた歌詞(ストーリー)をもつ曲はたくさんある。だが今まで聞いてきた曲の数を考えると、やはり希少であることは間違いない。とりあえず、満足したので投稿する。こんな糞文章を読んでくれてありがとうございました。