はてなキーワード: スピッツとは
30分前に入眠剤を飲んだ。あとは眠たくなるまで仕事をしてた。
そろそろ効きはじめて来た。
効きはじめたら、仕事用のアプリケーションを閉じて、ブラウザに
フォーカスを移動して、はてな匿名アクセサリーにアクセスするのが日課になっている。
効いてちょっと呂律が回っていないときの方が、
よい感じにぶっとんでいて煙に巻けるような文章が書けることがあるので、
hれをすることにして\\\\\\\\\\\\\\\\\\いる。楽しい。
スピッツが流れているぞ。俺のスピーカーローランド製から、スピッツが。
、それwも些細なことおお」
おなかがぐるぐるぐるgるrgるrgrgr回ってます。
妹のおなかもぐうっぐぐぐぐgっぐっぐぐぐd
何をやってるんだろう。冷静例にれない”意味の下シュファンと崩壊gf外壁「hhhhdkすどdkdkどvh
すいまsん
こいつらぜんんいん
俺のこぶんなんんfででですよ「
木0歩0度にこぶんばぼれのmrのえにいmsづbb
すいあssん。
Twitterに関連して。
書きながら思ったんだけど自分は普段から相手の顔色を伺いながら
しゃべってるなーと常々思う。
色々としゃべりたいことはある。
「今期のアニメは屍鬼が一番よくて藤崎竜はサイコプラスが一番おもしろい」
とか
「世界の終わりってバンドがめっちゃよくてあれスピッツに方法論は似てる」
とか
だとかとか
んでもしゃべらない。
だって相手が退屈してそうにしているのを見ているのが気になるんだよね。
どうせしゃべるなら相手に有意義な、おもしろいと思われることをしゃべりたい。
なんか無駄なことはあまりしゃべりたくないし疲れる。
「今日は何時に起きてどこどこの店でランチ食べて、そこの店員がすごい愛想良くて
地元帰ってスーパーで買い物して家帰ってテレビ見たらマーシーがげきやせで、うんたらかんたら・・・」
みたいな。
まあ主に嫁の話している内容なんだが、オレなら3分でまとめられるという話を
なん10分も話している。
話したい欲求度が高いんだろうね、きっと。
今までお肉に憧れてたけど手が出せなかった所に、
「他の人の食べかけだけど、食べる?」
「彼に…プロポーズされたんだ」
都内の居酒屋のカウンター席。お酒を一口つけた後、Mはぼそりと言った。
僕は素直に「おめでとう、嬉しいことじゃない」と答えたが、彼女の口からは不安や戸惑が滝のように流れてくる。
「仕事を初めてまだ2,3年しか経ってないのに辞めることになるかもしれないのは…」とか
「彼のことは好きだけど、不満は沢山あるし、踏み切る勇気がない」とか
「せっかく若いのにぜんぜん遊べていない気がする」とか。
終いにはこんなことまで言い出した。
「私、浮気がしたい。」
Mとの出会いは大学1年生の春。
サークルが一緒だったという繋がりから
マンガ・音楽など趣味の話で盛り上がり、いつの間にかいつも一緒にいる仲になった。
授業中メールのやり取りもした。お互いのブログにコメントを残しまくった。
メッセンジャーで夜を徹して語り合った。
ある時サークルの練習帰りの時に彼女はボソリと言った。「彼氏ができたんだ」と。
Mは仲良くしている男友達に純粋に喜んでもらいたかったに違いない。
うれしそうに惚気ようとするMに向かって僕は無意識につぶやいていた。
「なんか…悔しいな」と。
そこからお互い気まずくなって会話することが減っていった。
Mは授業が忙しくなったりで練習の参加率も減っていく。
せっかく仲良かったのに…と残念がっていたそんな時、
サークル内でMに対しての陰口が始まった。
練習になかなか来ないMに対してメンバーが文句を言ってるうちに
それがだんだん性格をけなすようなものになっていってしまった。
極端ないじめというようなものではなかったが、気の弱いMの心を傷つけるには十分すぎるものだった。
僕は無我夢中でMの味方をした。
文句が終息するのには時間がかかったけれども、
このイベントがきっかけで僕らはまたこれまでのように仲良くなる。
あれから4年。
大学を卒業して当時の友達もどんどん会わなくなり、人間関係が少しずつ狭まっていく中
Mとは今でも数カ月に1度は2人で飲む様になっていた。
馬鹿な話をしたり、他人の恋路の噂話をしたり。
心の底に複雑な気持ちを抱えながらもそれを隠すように笑顔で励ます。
電車に乗って帰ろうとするMを気づいた時には僕は引き止めていた。
「少し2人で外歩こうよ」
さっきまで「明日早いから…」とさっさと帰ろうとしていたMだが
文句の一つもなく僕についてきた。
そっからは本当にたわいもない話をしながら歩いた。
歩きながらたまに触れ合う手の甲がくすぐったい。
夜のビル街を歩きながらもMは言った。
「私と浮気してくれる人なんていないのかな…」と。
この段階でなんとなく感じるものはもうあったが、僕は何も言わずただその愚痴を聞きながら笑うだけだった。
特に何かをするわけでもなく、蛍の光が館内に響く中を2人でのんびり歩く。
「これでいいんだ、これでいいんだ」と言い聞かせながら。
しかし今はとてつもなく後悔している。
「僕と浮気しよう」と言ってMの手を握ってやればよかった。
そのままどっか遠いところに連れ去ってしまってもよかった。
ずっと友達でいようと心に決めたはずなのに、今になって出てくるのは後悔の念ばかり。
本当にチキンなんだな…と心の底から実感した。
「君に幸ありますように」
少しだけ泣きそうになりながら僕も返信。
家に向かう終電の中、Mの大好きだと言っていたスピッツの「アパート」を聴きながら家に向かう。
ああ、恋をしていたのは僕の方だったんだなと思い返しながら。
素直になれなくてを見て、違和感を感じたことを書こうと思う。脚本家の人が言ってるようにそれぞれだと思うけれど、でもやっぱり違和感。
登場人物たちはオフ会というより合コンしていた。ついったーってそんなクローズドなもんだっけ。っていう違和感。あれだけ小さな単位で回っていて、知り合いじゃない例って相当レアだなあと思う。
登場人物たちはついったーで職業を嘘をついていた。なんで嘘着く必要があるのかなーって感じ。現実世界で嘘着かなきゃダメでも、ついったーはむしろその受け皿なのでは、という気がする。
登場人物たちのTLが見えない。かなり違和感。むしろ右側にTLずっと表示くらいだと面白いのになーと思う。制作者サイドがtwitterを知っててそうしないか、twitterをあんまり知らないでそうしていたか、は分からないし、調べてないってことは想像したくない。だけど実際は後者に近い気がする。
登場人物たちはメールでやりとりするみたいに使ってた。メールじゃないんだぞ、と。そういう風に使うのはDMなのかなーって感じで、ほんとについったーやってんの?って感じ。
この脚本書いた人は時代についていけてないんだと思う。スピッツ・ミスチル!って言ってる高校生とかいないだろ・・。この話はついったーの話とは関係ないけれど、全体的に「昭和のおばさんの妄想話」という印象。自分で何かをしてみたり、自分で何かやってみたりってことをしないで、時代についていってるフリをしても無理があるよ・・。
twitterを題材にするのならもうちょっとうまいやり方あったんじゃない?と思う。ついったーやってない人にはどんなのかいまいち見えてこないし、ついったーやってる人から見ると「脚本家が頭の中で考えたもどき」であって、なんだかなーという感じ。ネタとして使うのならもっとうまい使い方あるだろうし、twitter側を見せるならもっとそうしたほうがいいだろうし、なんでこんな中途半端な扱い方なの、っていう疑問。(+フリック入力じゃない、ってのが最初の疑問)
吐き出す術が他に無いからこんなとこにかいてみる。
僕は失恋をしていた。好きだった子が自分の友人と付き合い始めた、ただそれだけのことなんだけれど。数日間は本当にショックで何も考えられなくなった。言葉にしてみると陳腐だが実際そうだったと思う。悲しみだとか悔しさだとか愛しさだとかそういった感情じゃない、ただ吐き気がしてしばらく呆けていた。
そのころ出合ったのが彼女だ。彼女は好きだった子の友人だった。メールの送り間違いがきっかけで(後にこれはわざとだったことを知ったのだけれど)いろんなことを話したと思う。
僕はまるで好きだった子の代わりのように彼女と仲をよくしていった。誰かが誰かの代わりになるだなんてありえるはずがないのに。
結局、僕は彼女に告白をした。彼女のことが本当に好きだったのかは分からない。心の隙間を埋めるのに彼女でなくてはならなかったのかどうかも。
ただ一つ言えるのは、失恋をしたとき、あの告白の時のような胸の高鳴りが今回は無かったということだ。
結論から言うと僕と彼女は付き合うことになった。付き合う、といってもそんなことはお互い初めてだったので、別に何が変わるわけでもない。ただいつも通りにメールをしたり、一緒に買い物をしたり、休みの日は彼女の家に遊びにいったりするだけ。それ以外は何も無かった。
彼女はとても変わった人で、友達もあまりいなかったと思う。
実際、僕の周りの友達からの評判もあまりよくなかった。僕はそれがなぜだかわからなかった。
ここで一つの事件がおきた。僕の好きだった子と僕の友達が別れたのだ。
もともとその女の子の猛烈なアプローチによって付き合い始めた(もちろんそのことが僕に大きなショックを与えていた)わけだから長くは続かないなと僕は勝手に予想していたがその通りになったのだ。今さらその女の子をどうこうする気はなかった(そのとき僕には彼女の存在があったし)のでただその女の子を慰めていた。
ただ、この別れによって僕の男友達と女友達の仲が急速に悪くなった。今まではそんなことなかったのに僕の好きだった子や彼女の陰口を言い出す。僕は全くもってついていけなかった。急に何もかもがひっくり返った。彼らがそんな陰口を言うたびに胃の中からこみ上げる物があった。僕の好きだった女の子の純粋な思いが笑われる。
「ほんと毎日毎日、メールがうっとうしいんだよね」
また強い吐き気がした。僕はいっそのことそいつを殴ってやろうかと思った。殴ったら僕は友達ではいられなくなるだろう。それでもいいと思った。
「そこで殴ってたら、かっこよかったのにね」
縛の好きだった女の子は泣きながらそう言った。僕には何も出来なかったんだ。
「君を好きになってたらこんな思いしなかった」
もう、遅いんだよ。
彼女も、同じように扱われた。一緒に帰ったりしている僕も次第に攻撃対象とまではいかないがいじられるようになっていた。
僕は、
人前で彼女といることが
恥ずかしくなってしまった。
それとは逆に彼女は僕のことを好きになっていった。
好きではないのに自分から告白して、巻き込んで、好かれて、嫌いになって、本当に自分勝手だとおもう。友達なんて社会的体制のために。
まだ恋愛なんて数えるほどしかしていない僕にはこれが恐ろしく愚かで罪深いものに感じる。もしかしたらこんなことは良くあることなのだろうか。
彼女のことを本心では好きだったのかもしれない。帰り道や、一緒に勉強をしたことや、CDを貸し借りしたことや、授業をサボったことや。全部が楽しかった。でも心の中にはいつも何か引っかかるものがあった。
八月の終わりに僕は彼女を振った。
今度、借りていたスピッツのCDを返す時に全部話そうとおもう。
それが僕のできる精一杯だから。
その感じ方は半分正しいっちゃあ正しい。
なぜかっていうとCGってまだ発展途上で、自由に表現できる域まで来てないわけ。
フルCGアニメ映画のピクサーが、何で「トイ・ストーリー」とか最近だと「ボルト」(犬の話ね)とかばっかり作ってるかっていうと、まだ技術的にもノウハウ的にも「人間が撮れる域に達していない」っていう自覚があるからなんだよね(宇多丸氏の受け売り)。
それが、少しずつではあるけれども人間の周囲を描き出してる。徐々に徐々に近づいていってるんだよ。こういう努力もある。
CGのコンテストの作品を見たことがあるのだけど、優秀作品でもあまり感動しない。
自分は絵を書けるわけでもなく3Dを作れるわけでもなく、芸術すらあまりよくわかっていない。
それでも3Dの映像を見てもどこか感動できないのです。
なんとなくすごいことは分かるし、たぶん高度な技術やテクニックを使って作ったのでしょう。
でも感想は「それで?」とか「だから?」なのだ。
それでCG作品のそこに何が足りないのかを、真剣に考えてみたことがあります。
山下さんは作曲をするときにスランプに落ちて曲が書けなくなるということは無いのだそうだ。
なぜなら、音はいつも自分の中で鳴っているから。
作曲とはその自分の中で鳴っている音に近づける作業だそうです。
流石、山下達郎は深いことを言うなと感心しました。
確かスピッツも似たようなことを言っていました。
似たような感じの曲が多いことに対して、スピッツのボーカルの人が言っていました。
「まったく違う曲を作ろうと思えば作れるけど、それは僕たちの音楽じゃないから」
それがどうCG作品に関係するかというと、そのCG作品は本当に心の音かということ。
エディタの機能で作られたその不恰好なキャラクターは本当に、作ろうとイメージしたものの投影だろうか。
作者の作りたい物を、高度なツールで偶然出来た物に置き換えてないか。
優秀な画家や音楽家は既にあるイメージを表現する技術を磨いた。
そこに心の音が無ければいかに優れたツールを使っても人を感動させない。
今から10年位前、大学生、ひとり暗い部屋で、馬鹿騒ぎの深夜番組から、「おはようございます」とニュース携えたアナが爽やかに挨拶する夜明けまでずっと、光るテレビ画面をひたすら眺めていた自分。
膝抱えて、ビクターのラジカセでスピッツの大宮サンセット聞いていた自分。
今自分がタイムマシンかなんかであの時に帰れるなら、今でも当時の自分に何て声掛ければいいか分からんが、よしよし大丈夫大丈夫だとひたすら頭をなでてやりたい。
ド田舎から出てきて、妙にプライドだけ高くて、東京の最高学府にぎりぎり滑り込んだはいいが、周りのあまりの賢さやリア充(当時こんな言葉はなかったが)の眩しさやオサレさに思いっきり打ちのめされる。
生来の引っ込み思案も手伝って溶け込めず、クラス仲間とも当然疎遠になった。
1年の終わり、ろくに出なかった第三外国語のテストの口頭試問で、優しい外人先生に、心から心配そうに「あなた友達いないでしょう」と流暢な日本語で言われたのを今でも傷みたいに思い出したりする。
何とかしようと真面目系サークルに入っても皆勤なくせに和気藹々も出来ず、ゼミもしかり、真面目キャラのくせに勉強ができるでもない。まさに準ひきこもり(当時こんな言葉は(ryだった。
んでもあのとき必死だったと思う。
悩んで悩んで自分何やりたいんだろうか、どうして友達できないんだろか、学校辞めようかでもせっかくこんないい所入ったんだしとも思うしうじうじ、でも行動もどう起こしていいのか分からない、授業に足を踏み入れればクラスメイトが散らばっててどの席座ったらいいのか分からない、食堂もどこ座っていいのか分からない、
卒論もお情け合格、就職するにあたっても当然面接落ちまくり進路も決まらず、最後は学歴だけで採用してもらったようなもんだが、まあ職場の人間関係にも恵まれたのか、今何とかこうやって生きていて、そう苦しくもなく、恋人は無論いないものの、中高大と合計して片手で足りるほどの友人と、たまに会ったりして今ではそれなりに心安い生活を送っている。
これくらいの年月生きてきて、ようやっと社会人として、いやそれ以前に人間として、他人とコミュニケートできる素地が育ってきたと思う、大学の同窓会にもやっと出られるようになって、当たり障りない話して笑えるくらいになった。
そして今大学時代を思い返してみると、大半の暗い思い出の中で、痛痒かったり楽しかった瞬間も思い出せるっちゃあ思い出せる。今は無き新宿リキッドへ初めて連れてってもらったよなーとか、文化祭で皆で夜中じゅう寄ってたかって変な食べモノ作ってたよなーとか、ゼミ旅行で酒飲んで初めて記憶失ったよなーとか、もう卒業だってんで好きだった優しい先輩に告白してうん、とだけ言われて玉砕したよなー、とか。
ビタースウィートシンフォニーっていう、ヴァーヴのヒット曲のタイトルがあるがまさにそういう感じ、90パーがビターで10パースウィート、昔は思い出したくもなかったが、苦さの中からスウィートのほう思い出せるぐらいには成長して、自分を卑下するには年を取りすぎたのかもしれんし、人生に耐性がついたのかもしれん。遅っ。
ネットでよく非コミュで大学辛いぜと泣きそうに笑っている人を見て、あの時膝を抱えて暗い部屋の隅っこでじっとしてた自分の姿とダブりまくって、ああ大学なんて人生の一部だ、あと10年も生きればなんとかなるなんとかなると頭をなでたくなってくる。
人生の輝かしい時期を棒に振ったと言われりゃその通りかもしれんが、うあああーと朝まで苦悩していた自分を思えば、今の時点からえらそうに後悔という言葉を当てるのも痛々しい程だから、せめて今の自分はあのときの自分を肯定してやりたいのだ。
さっき一度書いたけどもうちょっと書きなおしてみた。
久しぶりに好きな人ができた。会社の同期だ。
内定式の時からかわいい子がいるな、とは思っていたんだけど、入社式ではもっときれいになっていた。でもその時は特に何も思わなかった。自分よりいい大学出てるし、頭も切れそうだし、なんというか別世界の人のような感じで。
そもそも自分はもてる方ではない。いじめられることはないし、普通なのになんで彼女できないの?と女の子に言われたりもするが(じゃぁおまえがなれよと思ったりするんだけど)、彼女がいたことは今のところない。女性と話すのは別に苦ではない。でも彼女はできない。好きな人はできるけどなかなか進展させられなくて、そうしてるうちに彼氏ができちゃったりとかね。
さて、彼女の話に戻る。
今は席が近いから、毎朝、他愛もないちょっかいを出して話しかけている。結構無茶ぶりをしてもきちんとボールを投げ返してくるし、勉強だけでなく頭のいい人だと思う。頭がいいけど、そのことを特に鼻にかけるわけでもなく、こっちの言ってることを頭から切り捨てることもなく、気付いたらいろいろと話している。別に面白い話でもないだろうに、彼女は驚いたり納得したりしながら聞いてくれている。たぶん聞き上手なんだろう。なんだかいつも自分がすごくしゃべるのがうまくなったような気になってしまう。自分の一風変わった趣味にも驚いた顔をしてあれやこれや聞いてくれたりしたのもなんだか新鮮だった。たいてい僕の趣味を女の子は「女の子みたいな趣味だね」とひとこと言うだけでそれ以上聞いてはくれないものだったから。
断っておくと、別に僕は頭のいい女の子じゃなきゃいやだ、というわけではないし、かわいい子がいいというわけでもない。むしろ失礼かもしれないけれども、僕の話を面白がって聞いてくれる程度の頭のよさがあれば十分だと思っていた。かわいければいいなとは思うけれど、自分の顔のレベルなんてよく分かっているから、たかのぞみもしてなかった。でも、彼女と話していて、頭がいい人がいいとかかわいい子がいいという人の気持ちが少しわかったような気がする。
関係としては良好だと思う。毎日少しずつ会話の時間が長くなっているし、いつも楽しそうに笑ってくれるから。ときどき行動が妙に可愛かったりして、いつもの冷静で理知的なちょっと怖いくらいの態度とのギャップに吹き出してしまうと、ちょっと拗ねた顔をして何を笑っているんだという。いいながら彼女も笑いだす。
友達からこんな話を聞いたら、どうせ話を合わせて付き合ってくれてるだけなんだよ身の程を知れよって言っていたと思う。自分でもそう言い聞かせようとしてる。でも、彼女と話していると、本当に楽しくて、「付き合ってくれてるんだから」と思う瞬間がない。まるで、彼女がいつも自分のことを気にかけてくれていて、少なからずの好意を寄せてくれているような、そんな錯覚をする。
でも、それは錯覚だ。彼女の右手の薬指には指輪が光っている。素っ気ない指輪だし、明らかにペアリングだ。話をしながらいつも目に入る。話をしていない時も彼女の方を見ると、それが目に入る。そのたびに思い知らされる。浮足立った気持ちがどーんと地に落ちてしまう。わかってるんだ。錯覚だってわかってるのに、でも不思議なことにどんどん好きになっていってしまう。彼女は僕と同じ気持ちでいるわけではなくて、ただ楽しく話せる相手がいるってくらいにしか思ってないんだろう(義理で付き合ってくれているとは思いたくない)。あまりプライベートのことは話さないけど、彼氏と行ってるんだろうなという話が出てくることがあるから、彼氏との関係もきっと悪くなくて、楽しんでるんだろうなと思う。そういうのが伝わってくる。
そういう幸せな彼女を邪魔したいとは思わないし、もし僕と浮気するようなことがあったらそれはそれで幻滅しそうだ。幸せでいてほしい。僕のことを好きになんてならないでほしい。
でも、好きになってほしい。こっちを振り向いて欲しい。笑ってほしい、楽しかったって言ってほしい。もっと近くに行きたい、そして彼女にもそう思っていてほしい。そう思っているんだと錯覚してしまう。我ながらかなり気持ちが悪いと思う。どんだけ自信過剰なんだ、彼氏持ちの女の子に好意を寄せられてると勘違いするなんて、と冷静には思うんだけど、彼女がいるとすっかりその気になってしまっている。
彼女が、先週スピッツのCDを借りたと言っていたから、さっきツタヤでかりてきてみた。さっきからHolidayばっかり繰り返し聴いてる。
もしも君に会わなければ もう少しまともだったのに
もしも好きにならなければ 幸せに過ごせたのに
朝焼けの風に吹かれて あてもないのに
君を探そう このまま夕暮れまで
Holiday Holiday Holiday
いつか こんな気持ち悪い人 やめようと思う僕でも
なぜか険しくなるほどに すごく元気になるのです
僕のことか、と思った。草野正宗はほんとよっぽどもてないやつなんだろうな。いちいちぐさぐさくる。
今聞きたくても聞けないケータイのメルアドのことを思ってる。踏み込みたい。踏み込みたくない。好きになりたくない、なってほしくない、でも好きになってしまう。もう少し彼女のことが好きになったら、僕は強引になるんだろうか。それとも何事もなかったように身を引いてしまうんだろうか。辛い。でも楽しい。
父は随分酔っているようだった。
目の前にあるテレビ画面には、年末恒例となった紅白歌合戦の模様が映っている。
ぼんやり見ていると、アレンジされて合唱コンクールの課題曲になった曲が演奏され始めた。
その時、父が憤慨した様子でこう言った。
「こんなつまらない音楽が売れるなんて、正直とてつもなく悔しい」
曰く、ひどくつまらない曲で、この歌の作者は才能がない、とのことだった。
「これくらいなら俺でも作れる。この程度の実力で」
父は昔ピアノをやっていたらしいし、今も趣味で合唱団に入っているくらい音楽好きだ。
多少クラシック方面に偏ってはいるが、音楽CDも多く買っている。ビートルズやカーペンターズに親しんだだけあって歌謡曲嫌いというわけではなく、YMOやマッキーやスピッツなんかも好きなようだし、最近のものではパフュームの曲について作りが上手いと褒めていた。
その父が、テレビ画面の前でそんなことを言った。
父も作曲のような事をやってみた過去があるんだろう。それで、この発言なんだろう。聞いた事はないが、もしかしたら音楽で飯を食っていこうと思っていた時期があるのかもしれない。
「そうは言うけど、この人は実力があるよ。売れる人は、誰かに認められるなにかがあって、多くの人が認めてくれるタイミングを掴む。それは、実力とか才能と呼ばれるものだ。確かにその実力は、歌の能力ではないかもしれない。演奏の能力ではないかもしれない。歌詞を作る能力でも、音楽のアレンジ能力でもないかもしれない。だけど、誰かをひきつける何かがこの人にはあったんだ。あと、タイミングは運だって言うかもしれないけど、運だって実力のうちだよ」
少しだけ考えた挙句、私が喋ったことは、小学生が考えそうな単純なものだった。
「確かに、確かに言う通りだ。その通りだ。売れるということは実力があると言うことだ」
大仰に机を叩く仕草をしながら、父は私の主張を肯定してくれた。
そしてビールの缶に口をつける。
酒をあおりながらテレビを見る様子が、私にはなんだかさびしそうに見えた。
父は私が言ったようなことはわかっていたのだろう。けれど、言わずにはいられなかったのだと思う。
もっとうまい事を言って慰めるべきだったのかな。もっとうまく慰めることができたのかな。
いや、私には考えつく脳みそがないから無理だ。あの時最大限言える事を言った。
そうなんだと思いたい。
この手のテーマでは、スピッツの『ネズミの進化』という曲が好きだな。
最初聴いたときは草野マサムネに何があったんだと思ったがw
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND56613/index.html
やっぱナンバーワンになれないことがわかった程度で諦めちゃ駄目だと思うね。
進化しないとね。
社会人になって半年ちょい、そろそろそんな遊びも覚えてきたって頃合。
でももう行かない。
まぁなんか毎回行った後は例の賢者タイムでそんなこと言ってんだけど、今回はちょっと違うかも。
そんな話。
とりあえず今日も、安い店だけどそれなりに満足して店を出たんですよ。
W回転で、一人目は今回初めて指名したちょっとお気に入りの娘。
二人目は全然しゃべらないけど少しかわいかった。
そんなこんなで店を出た途端、変なおっさん二人に絡まれた。
その店にかわいい娘はいるかとか、ぼったくりじゃないかとか、やたらリサーチかけてくる。
すんごい気持ち悪い。
こっちは良い気持ちで出てきてんのになんでいきなり汚いおっさんの顔を間近で見なきゃなんないんだ。
適当にあしらったら睨んでくるし、げんなり。
んでクサクサしながら歩いてたんだけど、妙に気持ちが悪いんです。
ちょっと考えたら、絡まれたことに対する嫌悪じゃなくて、そういう店で自分以外の客を見た嫌悪だと気づいた。
今さっき自分といちゃいちゃしてたあの娘は、次に間違いなくあのおっさんを相手するんだ。
当たり前なんだけど、そうなんだ。
そう思うと急に、お気に入りのあの娘も、かわいいあの娘も、急に気持ち悪く思えてきた。いまさら。
家の猫がかわいいとか学校の課題があるとかって話を聞いて感じてた、案外普通の女の子だという幻想も、
あのおっさんの汚い顔で全部消えた。
そして自分も、あのおっさんみたいな汚い客の一人なんだってことも気づいた。いまさら。
はいはい、どりーむいずおーばー。
学生のノリでなく、社会人的ならカラオケの乗り切り方になってしまうのだけど、せっかくなので書く。
俺はカラオケ嫌いな上にエロゲオタなので、世間一般で流布されてる歌なんてマッタク知らない。カラオケは会社の付き合いなどで、1 年に 1 回行くかどうかぐらい。なので、ネタ役しかやらない。付き合いだとどうせ酒飲んでるから、ムチャクチャでも許容されるしねw
で、俺が具体的に使ったことがあるのは……
ぐらいだろうか。ポイントは「テンション低い自分」のまま行くこと。お前合唱コンクールかお坊さんのお経か、ってぐらい、クールっていうか地味に行く。背筋をピシッと伸ばし、腹から声を出して「あ゛ぁるこぉーあ゛ぁるこぉー ワタシはぁーゲンキー」と暮れの第九並に低音かつ不動剣で歌いきる。
# 引用元増田のようにダンスするなど、ハジけるのもアリ。そこは自分の性向と要相談。
場が「なにこいつwwwwあほかwwww」になったら、後は聞き役に徹していればおk。マイク回されそうになっても「あっ、ムリっす。これ以上は……」とかわす。一回はバカやっておけば、KY 認定されることはないように思う。
ただし、少人数(3,4 人)でカラオケに連れて行かれるとコレだけでは持たない。このため、このケースでは……
最新のヒットソングは知らないが、90年代J-POPは結構使い勝手がいい。
のストックを作っておくしかない。コチラはあまり詳しくないのだけど……具体的な曲名が列挙出来なくて申し訳ないが……福山雅治、ドリカム、ミスチル、近藤真彦、スピッツ、B'z、とか? 「付き合い」ではヘタクソでもいいから、とりあえず歌っとく方が良い。歌わないと「なんであの時増田は一曲も歌わなかったのー?」と後でネチネチ言ってくる人が時々居るので。
なので。引用元増田にもあるけど、こっちのストック作っとく方が王道だと思う。
まぁなんつーか、俺は JPOP 等「多くの人が知ってる流行歌」に興味が無いから、カラオケなんてメンドー事にしか感じないんだけど。社会人の「付き合い」っての考えるとソレナリに出来てた方がいいんだよねぇ、技術職であっても。まーテキトーにやっときゃええかー、と最近は割り切ってます。