はてなキーワード: スキンシップとは
付き合い始めた切欠けは、告白したでもされたでもなく、あるとき「結婚しない?」と言われたことだった。10年来の知人である。後になって訊いてみたら、その当時つきあっていた彼女にふられて挙句、相続関係で実家で問題が起こり、絶縁状態になっていて、何となく言い出したものの「ここで断られたら一生一人で生きていこう」と思っていたとか何とか。私は男性と恋をしたいとはそこまで強烈に思っていなかったのだけれど、ただ家庭を持ちたい気持ちはうっすら存在していて、以前から、どう生きても×2歳あたりまでにはそのへん、やってみるか諦めるか決めなきゃと思っていた。そのとき先方×0歳、当方×9歳。2年前の話。
話を戻したところ、先方が「せっかくだから恋人関係からやってみたい」と言い出して今に至る。数ヶ月前の話である。
付き合い始めて真っ先に認識したのは、自分には「男性が男性であるというだけで欲情するという感覚がない」ということだった。気づいたときはちょっと悩んだ。女性の魅力についてだったらまぁノンストップで三時間くらいは語れる。男性に関していうと、性的にはそこまで強烈に希求してこない。SNSで百合の話ばっかりしていると友人に笑われたことがあるし、しょっちゅう男性向けのエロ同人だとか百合系のテキストだとかイラストを漁っているのだけれど、そこは二次元の趣味で、「性癖」だとは思ってなかったのだけれど、どうももっと根本的な部分で「女性が好き」だった節がある。そういえば人生で最初に好きになった相手は女の子だった。
とはいえ、自分の性向について深いこだわりはない。世間的によくある程度の倒錯だ。
恋人について。ある種切実な話として、彼には女装歴がある(私はその頃のことを知っている)。とはいえ、付き合い始めた理由に特にそこは関係ない。現在はフツーにどっからどう見ても「男性」だし、本人曰く「女装してた頃より10kgは太った」ということだし、まぁ(格好によっては)男前ではあるのかなと思うけれど、典型的なフォーマットとして、中性的とかそういうことはない。私は「視覚的に興奮を得るのは女性」という話だけれど、かといって別に男性嫌悪者でもないので、一緒にいたり視界に存在していても、その人が傍にいる、という感覚しかない。「異性への」、というか、セクシャルな高揚、みたいなのは、最初から今に至るまで、あまり実感がない。
つきあいはじめ、相手が性的に興奮していることに対して、嫌悪や重さを感じることが多かった。性嫌悪的な傾向はとくにないじゃないんだけど、自分がどうこうする話となると話は別だ。その上で許容できていたのは、相手が「話せる」他者だったのと、この人とパートナーシップを構築するのは楽しいかもしれない、という単純な予感があったことがひとつ。もうひとつは、そのひとが単純に「触られても平気な相手」だったからだ。理由はいろいろあるのだと思う。この葛藤をどうにかする価値はある、というおかしな決意みたいなものがあった。
段々と距離感を調節できるようになって、「自分が受容できる/尊敬できる相手に、自分の存在を求められている」ということによる承認欲求が充足される感覚、とか、他者を承認し承認される快感(性的快感とはちがう)、みたいなのを感じられるようになったのはごく最近だ。大きく変わったんは、意外なことに、セックスをするようになってからだった。どうもスキンシップの欲求自体はちゃんと存在していたようで、思いの他セックスは楽しいのだけれど、「違う体を持った、受容できて話の通じる他者とあれこれ試すのが楽しい」といった部分が強くて、欲しい、みたいなのは今のところ思ったことはない。今後もないんじゃないかと思う。セックスをしていてたまに、この人が男性で私が女性でよかったのかもしれない、と思うときもある。この人が女だったら別の楽しさがあったのかなと思うこともある。
男性女性を問わず、わりと惚れっぽいというか、「いいな」と思いやすい性分だった。貞淑であるのは気が多いことに等しい。それでも「恋愛をする」コストが賄いきれなくて、長い間恋をせずにやってきた。処女だったことに、周囲とか世間が言うほどには抵抗はなくて(むしろ、例えば童貞であることをアイデンティティの欠陥であるかのように悩む人々を見て不思議にすら思っていた)、相手を選んだいちばんの理由は、たぶん単純に、「一番最初に話を持ちかけてきたのがその人だったから」だった。
選択は間違えていなかったと思うけれど、決めた相手が女性だったとして、それでもそれなりに必死になれた自信みたいなものはある。必死になる、というか、おそらくそれが「愛する」という感覚で、でも、それを知ったのはこの人のお陰で、仮に今後、分かれることになったとしても(だってこの先何があるかなんてわからない)、この感謝だけは絶対に忘れないはずだ。私は人を愛することができる。それは現在で、どのように生きるにせよ、一秒一秒、つねに過去になる。それは刻々と更新されている。その事実が、どれだけ嬉しいことか。
この社会で男である女である、というのは、ある種とても辛いことなのだと思う。自分が「もてない男」であることに悩んでいた知人が、30代を過ぎて、どんどん偏屈になっていったのを見ていた(なお、私は縁を切られた)。同世代の女の子たちは、自分が女としての生を生きなければならないことにその都度悩みを抱えていた。恋人は、(私の見ている範囲では)社会においてそれなりに有能な人だけれど、折に触れて当時「女の子になりたい」と言っていたのを見ている。私は、外見は紛れもなく女だけれど、ジェンダーロールとしての「女らしさ」をそつなくこなすことに色々な局面で駄目出しをされてきたし、今でもコンプレックスがある。
初回のデートの行き先を提案したのは私だった(そして彼は財布を忘れた)。現在のところ私のほうが収入が低いのと、けっこうすぐ困窮するので、わりとよく奢ってもらっていて(競争で財布を出しているけれど、私は人に奢るのも好きなので偏るのは不本意ではある)、あと、料理は好きなので、それぞれの家に行くことがあったら材料はこっちで用意して作ったりはする。ときどき普通の男女カップルらしい趣になっていて、ときどき、一般的に見たらおかしなことになっていて、それも特に「そうであってはいけない」とも思っていない。それなりに面白い。それは、私のコンプレックスとは無関係に。
付き合っていて感じるのは、「こうすべき」ではなくて、「こうして欲しい」「こうしたい」を相互に伝え合うことの重要性だ。一般的な男だとか女だとかのあれに結果的に近いこともあるし、遠いこともある。けれど、何より、それはとても楽しい遊びだ。遊び、だと思う。意見の相違はたびたび起きているけれど、基本的には、それを調整することもすごく楽しい。怒ってみせる(「みせる」であって、別に本気で怒っているわけじゃないけれど)こともある。情に訴えることもある。でも、そういった駆け引きも遊びの一環で、相手の根本を否定しないスタンスというのか、その上でやいのやいのやるのは本当に楽しい。この点については、彼氏のほうも同様なのではないかと思う。この遊びができる、ということはとても楽しい。逆に、「こうしてくれるはず」と思って漫然と待ちの姿勢になると何となくうまくいかない。
現実的な問題は常に起こる。お金の問題とか健康問題とか、これは各自ずっと努力していかなきゃいけないことだと思っている。けれど、男である女であるという重さより前に、「何かが起こる」「何かができる」ということが、ただただ楽しい。男だから女だから、ではなくて、恋人がいるから、でもなくて、ただ楽しい。配偶者がいる、ということに社会的なステータスが付加される風潮に疑問を感じていたし、今でも好きではない。可能なら、一緒にいてくれる人をそんな風に何かの道具にしたくはない、と思っている。一方で、ふたりで、今の自分たちは事実上のリア充だよねという話をたまにするのだけれど、でも、「恋人がいるから」楽しいわけではなくて、ただ自分たちのしていることが楽しい、という感覚は丁寧に捕まえていたいなと思う。
ろくでもない時間を生きてきて、長いことネット界隈にいると、不幸な話のほうが身近であるように感じてしまうというのか、「楽しい」というのがなんとなく釈然としないのだけれど、ある場所にはあるのだなと思ったりもする。身近な他人の、そういうような話をきいたときと同じように。遠い世界の話のように。
「らしい」愛情表現ができるほうではなくて、「好き、でいいんだよな?」と、よく確認される。
「好きだよ」と答えるけれど、いかにも恋人がいますというような、どきどきした感じは未だにない。好き、ということに、実はちょっと自信がない。先日母と電話で話したとき、同じことを話したら「つまらないんじゃないの」と言われた。どきどきしたりせつなくなったりしない恋は退屈ではないのかと。
そんな恋はそんな恋で魅力的かもしれないけれど、今の楽しさと天秤に掛けて、そちらを取れる自身はない。
恋をしている、実感は、今でもあまりない。でも、選んだのがあなたで良かったし、それぞれ負担にならない範囲を模索しつつ、楽しくやるための労を惜しまずにいたい、とは思っている。
具体的なことは書かないけど、漫画とかドラマとかであるあるな感じの、行き過ぎたスキンシップを求められた。
あとから友人たちに相談したら「気持ち悪い」「絶対にやだ」「キャバクラ扱いされてる。お金とっていいレベル」と言われた。
みんなニコニコして会が終わるように、声張って、笑いが起こるような話とか、対応とかして、呼ばれればお酌もしにいって、そういうのが全部裏目に出た。
そういう様子が意外だったのか、気に入られて、何かと寄ってこられて、本人的には「好ましさ」とか「いい人材を雇えてよかった」的な感じののりで、スキンシップがどんどん多くなっていった。
お酒は弱いのに、いつもより多めに飲んだからいけなかったのかもしれない。
そういうのからうまく逃げられなかった。やんわり断るとかそういう知恵もなかった。今までこんな状況なかったというのもある。
セクハラですよと注意してくれた人もいるけど、本人はまったく意に介さなかった。
飲み会に来た人全員と一言ずつはしゃべろうって目標にしてて、とにかく挨拶にまわらなきゃって思っていたから、まさかそんなセクハラがあるとは思ってなかった。
加えてセクハラしてきた人間は、入社の時に私を推してくれた人だった。最初は握手だったのだけど、だんだんエスカレートしていった。
途中から感情を殺して、言われたとおりに応じるみたいな感じになってしまった。(とはいえ、気持ち悪い、屈辱的、他の人が見たら私が男好きですぐやれそうだと誤解する、みたいなレベルで、犯罪レベルではない)
酔っ払っているといろんな感情が鈍くなる。でも忘れるわけではないから、翌日もその翌日も、飲み会でされたことを思い出しては泣いた。
逃げなかった自分も嫌だし、まさかこの人にこんなことされるとは、みたいなショックがひどかった。
仕事している間は大丈夫なのだけど、一人になると思い出してしまって精神状態が不安定になった。
今回のことで思ったことは3つある。
1つめは、レイプってこういう事象の延長にあるんだろうなということ。
相手がニコニコしているから自分に好意があるんだろう、嫌がっている様子がないからもっといけるだろう、「このぐらい、いいだろう」。
ニコニコするのは、そうすれば殴られないとか、怒られないとか、そういう場合もあるってことを、体力でも役職でも上の人だったその人間は知らないのかもしれない。
たかだか会社の飲み会でのセクハラでも、魂が死んだようになった。
身だしなみを整えることができなくなって、猫背になって、いつもなら我慢していた満員電車に乗れなくなった。
信頼していた人に裏切られたというのが辛かった。
それも意図的な裏切りではなく、相手の思慮の浅はかさによって、傷つけられたことが辛かった。
こんな意識の低い人間と同じ部屋の空気を吸うと考えると嫌だった。
それから、30過ぎてもこういうことであっさり心が折れている自分が情けなかった。
むしろ30過ぎて心が折れやすくなったのかもしれないとも思う。怒るのはエネルギーがいるのだ。
2つ目は、女の敵が女になる瞬間ってこういうときなんだろうなということ。
彼女が社会人になって、会社の飲み会で、20も30も年上の上司から、執拗にセクハラを受けるように呪っている。
逃れられないセクハラに遭って、泣きながら家に帰れと呪っている。
私が受けた苦痛の3倍は味わえと呪っている。
そしてその様子を見た父親が、過去に私にセクハラをしたときのことがそもそもの原因だと思い知ればいいと思っている。
本当の敵はセクハラをした人間なのだが、私が表沙汰にしたところで一時の恥でしかない。
会社をやめることになったとしても、転職して、私を逆恨みして、終わりだろう。
となると、その人間の一番大事なものを壊すのがいいなと思った。
こうやって負の連鎖って続くんだろうなと思った。
3つ目は、カップヌードルラクサ、お湯入れて3分待っている間の匂いは臭いけど、食べると美味しいってこと。
過食が始まっていて嫌だ。
無自覚な行動で人に危害を与えてしまうこと、自分もあるから、気をつけていきたい。
もし私の無自覚な言動や行動によって傷ついたって言われたら、よく話を聞いて、悪かったと思ったら素直に謝れる人間になりたいと思う。
歳を取るに連れて、他人のことを慮るだけの脳の筋肉が衰えていくのかなって思った。
慮れるうちは慮りまくって、そうしたら歳をとっても習慣として体が覚えていると思うから、もっと周りの人達と丁寧に関わっていきたい。
丁寧に関わってくれる人たちを大事にしたい。
いちおう戦いが終わったので、うんことしてひり出しておく。
名札の入ったネックストラップをつけてるとどーにもやたらとムズムズして気になる。
我慢してつけてたけど段々首のストラップが触れてるところがズキズキ痛くなってくるし、
開き直ってデスクでの仕事中は首から外してデスクに置くようにしたら随分気分がスッキリした。
昔からタートルネックや肌にフィットする服や肌着がどうもダメだったり、握手でゾワゾワしたり、肩に手を置かれて振り払ってしまったり。
人に触れられるとちょっとしたことでもくすぐったさや不快感が強くて、笑ってしまったり逃げてしまったりしてなかなかスキンシップがしづらかったりする。
頭(髪)は割と触られても平気だから散髪は大丈夫だけど、医者は喉や胸、背中に手や聴診器で触れられるから苦手。
触覚過敏気味なのかなー。
エッチの時、彼氏の精液を飲むのは普通ですか…?とても恥ずかしい質問で・・・ごめんなさい。
私と彼氏はいわゆるおさなじみで、小学校から高校そして今は大学さえ同じ同級生です。
何年も付合ってきたんですが、初セックスの経験は結構最近の事でした。
高校卒業まではスキンシップ自体があまり無し、ていうかキスは校外授業の際が唯一、平凡な手繋ぎなどもあんまり…
周りに「ホントに付合ってる?」と言われるほど、私たちは接触が無かったんです。
お互い意識しすぎるっていうか、むしろ相手に慣れ過ぎて恋愛中という知覚が無いからだと考えてきました。(せめて私は)
精一杯頑張って同じ大学に入ったのが嬉しくて、あっさりと受け取りました。
あの日ちょっと痛かったけど今までとは違う胸のときめきを感じ、私は彼に対する自分の心をしかと確かめました。
彼が大好き、彼が喜べる事ならなんでもしてあげたいと。
だが同時に、彼氏はどこか変になってきました。まるで別人みたいに…
最初は「初経験の後だから当然だね」と思いましたが、突然アレの回数が何日分の授業数を超えるなんて…
酷い日は足がぶるぶるして学校も行けない…
体はつらいけど好きな人のために我慢しようと思いました。
外では時間場所構わずにアレを、家ではコスプレ、裸エプロン、SMプレイ、おし…など…皆様こんなの恋人と普通にしますか???
今が唯一な恋愛経験であるし、知合いに相談なんて恥ずかしくてあり得ないし…本人にはよく分かりません。
とにかく、上の全てはあるほど堪えますが…彼氏の精液…は無理でした。
彼から「飲んで」と要求されてきましたが……その味と臭いがどうしても…
最初彼氏の「慣れたら平気になる」というセリフを信じて何ヶ月も無数にやってみましたが、慣れるなんて…
…アレってまじで「人間として飲めるもんじゃない」と考えました…
何度も飲めないと拒絶しても彼は真直ぐにマイフェイス…
先日には彼のアレを吐いて「皆できるのにお前はどして飲めない」と怒られて…
彼の言った通り、世間には「彼氏の精液を飲むのは普通」ですか???
またはこの臭い・味を克服する方法が是非あれば教えてください…
お願いします。
書いてすぐ消して、自分がトラバやブクマされるの防いでる言い逃げチキン増田がいるので引用しておこ
オッサンはセクハラ目的で言ったのだろうが、キャミは上衣でも下着でもあるので黒キャミは黒ブラと同じ。即アウトとは言わないが、やめたほうがいい。
id:hal9009 「性的で嫌」と思う女がいるならランニングもアウトだろ。キャミ透けも男に「性的だからヤメロ」と思われたら即アウト。セクハラってそんなもんだろ?
(http://anond.hatelabo.jp/20160110101143へのトラバとして)
増田はセクハラ意識低すぎ。「オシャレのつもり」なる言い訳はセクハラオヤジの「スキンシップのつもり」と同じ。男が「性的(ムラムラ)で嫌」と思ったらキャミでもアウトだろ。
個人的にこれを彼氏、もしくは曖昧な関係の人が自発的にしてきたら、
相手はかなり「こいつかわいいな!大事にしよう!」と思っている気がする。
そこまででなくても向こうがかなり盛り上がっているのは確か。
もし曖昧な関係の相手にでこれをされたら自信をもっていい...と思っているのだけどどうだろう。
★2人向かい合い立った状態で、両腕で彼女をもちあげる。この時彼の顔はたいていにやついている。
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http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2015/10/26/144601
痴漢された体験談に同情する女性と、「自慢?」と言いがちな男性・一部の女性の意識差について考えたので書く。
傷つけるため明確な悪意をこめて「自慢?」などと言うのではなく、ある種自然な反応としてそう言ってしまう場合に限っている。
被害を受ける人間や、痴漢被害の体験談を聞く人間は異性愛者の男性・女性を想定して書く。
モテない男性~普通の男性くらいであれば、その欲求は生活していて十分満たされることが少ないというレベルだ。
「ブスのババアにモテるなんて迷惑」とよく言われるが、実際のところ、よっぽど嫌悪感を抱くレベルでなければブスや年上からであっても気がある素振りをされるのは嬉しいものだ。
(見栄や責任を取る面倒くささなどから、実際に抱いたり付き合ったりするかと言うとまた別問題だが)
一方女性は、異性から性的に求められることにうんざりしがちである。
性的に値踏みされると意識する機会は非常に多いし、自分個人でなくとも、自分の属する性別が性的需要の対象となりやすいということは街を歩いても民放テレビでもすぐ分かる。
もちろん男性アイドルなどはいるが、グラビアアイドルや、AV男優に比べ数も露出もずっと多いAV女優、風俗業、エロ本広告など、女性への性的な求めはより即物的でインパクトが大きい。
つまり、女性は異性からの性的視線を強制的に限界まで受けている。
性的魅力よりおとなしさの方が狙われる要素として大きいが、同じく無力そうな老人ではなく若い子が狙われがちというのは、結局若さに付随する最低限の性的魅力が加害者の目にとまってしまったのだ。
そして接触された。
それが嬉しいだろうか、自慢になるだろうか?
女性からしたら、若い女というだけで獲物に選ばれたのだから魅力を見出されたわけでは全然ない、そそらせたということになりはしないし自慢になるわけがない、と思われるかもしれない。
だが、若い男という要素でさえも大した価値を発揮せず異性に性的に十分求められたことのない飢えた者からすれば、そそらせてるじゃないか、となる。
飢えている者に「(その飢えているものを)私は受けた」と語るのは、羨ましさを引き起こし、だから「自慢か?」となる。
だが女性からすると、普段の生活の中でもうんざりしているものを更に受けたのだから苦痛で当然だし、自慢と取るのは理解しがたい。
常に空腹で苦しんでいる人間が「飯を食わされた」という話を聞くのと、常に過剰な満腹で苦しんでいる人間が「飯を食わされた」という話を聞くのとでは、どうしても受け取り方は異なる。
ちなみに女性でも「自慢か?」と言う人がいるのは、彼女らが現在性的視線に飢えており、またかつて性的視線にうんざりしていたことがなかったか忘れたかして、飯を食わされた話が羨ましく感じるからだろう。
しかし痴漢被害の話を自慢と取ってしまうような性に飢える人々が見落としがちなのは、痴漢というのは「飯を食わされる」と表現されるような柔らかい接触ではないということだ。
たとえるなら、フォアグラにされるガチョウの如く、喉にチューブを突っ込まれ餌を注ぎこまれるような暴力であり苦痛だ。
いくら空腹だとしても、そんな食糧の与えられ方はごめんだろう。
実際に痴漢被害に遭った男性は、そのガチョウの気分を味わったはずだ。
男性が日常で性的に求められること、肉体的に触れられることはほぼ好ましく貴重な体験だから、どうしてもその延長線上で考えてしまう。
クラスの子に色目を使われたり、同僚にスキンシップをされたり、そういった、ちょっとニヤケてしまうような経験の延長線上で痴漢も捉えてしまう。
痴漢の恐怖と言うのは、逃げづらい状況で、異常な行動をする理性のなさそうな相手に何かされている、という部分も大きく、それは男性にとっても十二分に恐ろしいのだが、理性のなさそうな相手と接触した経験が少ないとそこのところもぼんやりしてしまう。(また、痴漢物というポルノジャンルが割と人気がある程度には痴漢はノーマルな嗜癖であるため、犯人を自分とかけ離れて理性がない異常者と判断するのが難しいというのもある。現実で行おうとするかは別だが、夢想の中では痴漢をしたがるのはそんなに珍しい欲望ではないので、痴漢というスケベ心はある程度広く理解されているといえる。殺人欲求や戦闘欲求ほど広く受け入れられてはいないだろうが、ある程度痴漢欲も理解できる男性の方が多いと思う。ちなみに男性露出狂などは男性にとっても割と理解しがたい異常者と感じやすいようで、男性露出狂もののポルノは痴漢物よりニッチである)
だが男性は逆ナンをされたいと思う。しかも実際された経験がある人間は少なく、それが尚更憧れを増す。
迷惑だった体験談のつもりでナンパされたことを語ったら、「羨ましいね」とか「自慢しちゃって」など言われてしまう、という構図に、痴漢体験を話すことの問題は似ていると言えまいか。
直接的な暴力ではないナンパと、暴力である痴漢の間には線があるのだが、ナンパもあまりされたことがなくまた慢性的な性への飢えに悩まされている者は、痴漢もナンパと同じようなもので、鬱陶しいだろうけどちょっとした手柄話にもなるだろうと考えてしまうのだ。
それにより不特定多数の異性から性的に見られることに原則否定的か肯定的か。
その感覚の違いが、痴漢体験談への反応のズレを生んでいると私は考える。
では性的に見られることの多寡はなぜ発生するかということについては、肉体的な性別が平均性欲に差をもたらすとか、文化的慣習がどうのとか、どこまでも広がっていきそうなので誰かに任せる。
とにかく私としては、痴漢被害者への反応の問題は、飢餓に苦しむ者と強制給餌に苦しむ者の間で感覚が違ってしまうことや、親からのネグレクト被害者(もっと構ってほしかった)と過保護過干渉被害者(もっとほっといてほしかった)の間の価値観の違いのようなものだ、という意見である。
ではどうしたらいいかというと、女性は男性の性的飢餓を和らげる程度に男性を積極的に求め、男性は女性の負担を和らげる程度に女性から関心をなくせばよいのかもしれないが、そんなのやりましょうと号令をかけてできるものでもない。
肉食系女子、草食系男子が本当に増えていて、それも良いバランスで増えているならばそれに期待したいが、私は怪しんでいる。
まったくどうしたものだろう。
余談の1。
女性から男性へのセクハラ被害が周知されづらいのは、多くの男性が女性からの性的視線・性的接触を好ましく思うため、少数例である不快に思う男性の声が軽んじられて起こる不幸だと考えている。
この少数例というのは、その男性個人の感受性や、加害者である女性の個性や接触方法が極端だった、などを混ぜた意味での少数例である。
余談の2。
性的視線に晒されることの恐怖や嫌悪を男性に伝えるために「筋肉隆々のゲイに狙われるのを考えてみなさい」という言い回しがよくされるが、これは、ゲイに失礼かもしれないということに加えて、異性から性的に見られる恐怖を論じているはずが同性愛への抵抗が混じって話がゴチャっとするのであまり良くないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20151023203059
そもそも行為の同意を求める手段を「襲う」か「直接聞く」の2択にする時点でおかしい。
みんな、そんなふうにセックスしてんの?違うでしょ?
軽いスキンシップを断られたら、その時点でアウトって分かるだろ普通。
じゃれて、手を握って、近づいて、少しずつ距離を詰めていくものじゃないの?
顔を近づけて、そこで避けられたら「いや?」って聞けばいいんだよ。
いやじゃないって言われたらキスすればいいよ。
本当にいやならいやって言うよ。
でも、そういうとき、本当はいやじゃなくてもいやって言う奴もいるよ。そりゃいるよ。
それを「めんどくさい」って思うなら、そいつを切ればいいだけだろ。
一旦拒否されてもそれでも諦められない相手なら、これからは丁寧に接していけばいいじゃん。付き合えばいいじゃん。
相手の家に行くのをゴールだと、オッケーサインだと考えるのがいけない。
子どもが生まれてもうすぐ半年になる。体力も戻ってきたし、そろそろしたいけど夫はあまりしたくなさそう。
妊娠中、安定期に入ってからも夫がそんな気になれないとのことで全然してないので、もう1年以上。
生まれる前は毎日いってらっしゃいのキスしてたけど、生まれてからはそんな余裕もなくてスキンシップ自体がかなり減っちゃった。このままセックスレスになるのかな…
一応出産前の体重には戻ったけど、おしゃれしてないしメイクもしない日があるし、いつも家にいて話題が子どもとテレビのことばかりだから、ときめきを感じてないのかもな。これからダイエット頑張って前よりおしゃれもしてきれいになって、仕事復帰したら少しは女性として見てもらえるかな。
質問:
回答:
性欲が先にあるのではなく、彼女のことが好きだからムラムラしちゃうんだよ、ということが伝われば、参加してくれるかもしれません。
私もセックスが苦手です。
性欲が見え隠れする発言や、いきなり胸や脚を触るようなスキンシップも、一方的で嫌いです。
でも、気持ちが先にあって「好きだよ♪」「今日もかわいいね!」などの愛情表現→仲良しな雰囲気→お菓子「あーん♪」などのイチャイチャ→手をつなぐ、肩に手をまわす、など自然なスキンシップ…
↑のように、愛情を感じて徐々に気分が盛り上がると、触れられるのも嬉しくなります!
あとは、同じベッドで寝ていて私の体が冷えていたときに「冷たいね、あっためてあげる」と言って脚を重ねたり、パジャマをめくってお腹をくっつけてくれて、気がつくと股間がもっこり…していたときに、彼が愛おしくなりました。
それでもセックスは苦手だけど、「君が好きだから一緒にやりたいんだ!」と言われると、(しょうがないなぁ♪)という気持ちにはなります。
サッカーに付き合ってあげる感じです。
小学6年生のときに毎朝一緒に通学してたサッカー部の男の子が居た。色黒で背が小さくて目が大きくてクラスの中心人物だった。俺は当時からゲイやらBLやらの世界に興味津々だったのだが、彼と毎朝話すうちに、もしかしたら俺もそっちのケがあるのかも、と思い始めた。しばらくしてのち、俺は彼のことを考えながらオナニーをするようになった。正直、自分がそっちの人間であると受け入れるのは抵抗があった。まずは母親に相談した。すると、お前は女の子からもてないから、男の子で気を紛らわそうとしてるんだろう、と言われた。12歳の俺でも、流石にこの言葉にはがっかりした。これはダメだと思い、クラスの担任に相談したら、相手が誰であろうと思いやりを持つことだよ、と言われた。これにはなるほど、と感心し、しかし彼には何も言うことがないまま、小学校での生活が終わった。
中学生のときは女の子が普通に好きになった。2回恋をしたが、2回失敗した。2回失敗して、女はクソだな、と思った。本当は自分が一番クソなのだが。
高校は男子校に入った。勿論周りは男だらけで、クラスメイトや部活の友人は文化祭で彼女作りてーな、とか、この間TwitterのDMであの娘のLINE聞いちゃった、みたいな話で盛り上がるのはまあ当然、でやっぱり俺はこの男に囲まれる状況に満足してしまった。バドミントン部の同級生、口を利いたこともない他クラスのサッカー部、自涜の材料を挙げれば枚挙に暇がない。特にバドミントン部の同級生は身体は比較的大きく、しかし童顔で声が高く、今ではあまり使わない言葉を使えば「紅顔の美少年」という言葉が相応しい見た目だった。彼と一緒に帰ることが出来た日なんかは気が狂いそうなぐらい嬉しかった。しかし、林間学校の宿泊先で彼と同じ部屋になりすっかり有頂天だった俺は散々彼に絡んでいたのだが、当時俺は「それ」のケがあるんだよねとネタ半分に吹聴していたのもあってか旅行の前日に「キスとかしないでね、本当に」とわざわざ個人LINEが来た。キスはおろか、過度なスキンシップは避けていたつもりだったが、やはり疚しい気持ちというのはそれとなく出ているのかもしれない。俺は深く反省すると共に、俺はネタでああいうことを言っているのであって真面目ではないよ、と、彼を安心させようと思う故の姑息な嘘をついた。12歳のときに両親に言われたことを殆ど同じように自分に言ってるじゃないか、という気分にもなった。また、同性から寄せられる性的好意の目はこんなに嫌悪されるのか、ということも学んだ。
そのうち部活で後輩が出来た。後輩は素直だし、何より見た目がドンピシャだった。とはいえ少し幼過ぎたので、最初はなんとも思っていなかったのだが、諸事情で1対1で面倒を見たりしていると単に後輩をかわいがるとかそういう感じでもなくなってくる。俺を信頼し慕ってくれている。根がどうにもアホなので人の態度をすぐ信じてしまうのだが、割とあっさり彼のことを本当に好きになってしまった。同級生はついぞそういうリスペクトの交換みたいなものはないし、そうなると承認欲求オバケである俺は後輩に自分のプライドとかアイデンティティを思い切り仮託して、それを受け止めてくれていると錯覚することによって好きになっている気がする。あと、女子に2回無碍にされたり母親に心ないことを言われたりしたせいなのかそうでないのか、ともかく俺は女が嫌いになっていた。全ての女はアホだと思うようになっていた。事実関係として女がアホかどうかは別として、というかそんなことは俺からすればどうでもよいのだが、ともかく俺の目からはそういう風に世界が映るようになってしまったということだ。しかしそのように自分のことを輪切りにしてみたつもりになってもどうにも授業中や部活をやっている最中も彼のことは頭を離れてくれなかった。なんとしてでも彼をどうにかしたい、だがどうにもならない。挙げ句の果てに俺は彼女の一人も居たことがなく告白のコの字とも縁がなかった、要するに全くもてない男だし、女に好かれようともしない男をどうして女が好きで当たり前の男がまかり間違って好きになることが出来るだろうか?ふと、林間学校前日に同級生から届いたLINEが頭を過る。男が男に好かれるのは、そんなに身の毛のよだつことなのか。そういえば俺の好きな後輩も「最近、○○先輩(俺)が僕を見るときの目と他の後輩を見るときの目が違う気がする」と同期に漏らしていたらしい(林間学校の件で学んだ俺はセクハラじみたことをできるだけしないように気をつけているつもりだった)。でも、それでも俺は君のことを心から愛しているんだ。例え気持ち悪がられたって構わないじゃないか、とヒロイズムに浸ってみれば、見た目へのコンプレックスが俺のヒロイズムをバカじゃねえの、身の程をわきまえろこのクソが、と蔑み、そしてそのように卑屈になって自己憐憫に陶酔している自分をバカにする視点があって、さらにその視点は…と、俺の劣等感と後輩への歪み切った愛情は無限後退を繰り返す。でも俺は本当に彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。どうにかして彼とどうにかなりたい。
俺は来年の4月で大学生になる。青すぎると笑いたければ笑って欲しい。でも俺はこの増田という場で恥部を文章にすることでしか自分を慰めることができない。好きな男の子のことを考えながらチンポを握るのってめちゃくちゃ虚しくて悲しくなってくるからな。この文章は俺が最高に気持ちよくなれるオナニーだ。皆、俺のオナニーを見てくれ。
一部の変態の行動をゾーニングすることであなたの趣味が守られていることに感謝するとともに
ゾーニングの壁の高さがあなたの安全性で悦楽を享受できる限界なのですよ
父親と娘がお風呂にはいることがスキンシップになるのだとすれば
その危険性と実際の被害状況を理解した上で関係者各位の同意を得て
実行されるべきなんですよ
父親が娘に欲情して性行為を行い娘もまた同意の上で社会的な問題を
起こした例を理解し両者の行為が健全なものから犯罪あるいは破滅的な結果を
もたらすことを理解しその使用量を決定し同意する機会を設けること
そういう人はいるだろうしいてもいいだろうという許容量であって
それを一般人ができるようにとか一般的だとかゾーニングを破壊したり
壁を低くすることはただの問題行為なので許容量に甘えて自制を欠くと
以上の考察から父親と娘の入浴が健全であるものだと社会的理解を求めようと
ゾーニングの垣根を破壊する破壊行動が問題行動であると理解される
その反対行動を意図しているという目的文章の構成を志向するということは
当事者という立場が逆転している、つまり娘の立場からであれば筆者は
これは結果を見ての通りだし、何度繰り返してもおっさんだといわれるだろうところから
推察される
同じくこの方法で啓蒙を続ければ危険行為で有害で問題だという指摘しか登ってこないことが
確実ではないかと思われる
そんなに娘が、娘という存在が憎いか
娘本人なのか?娘をもつ父親なのか?それともそれらを見る母なのか?
弟なのか?友人なのか?
ほんとに棲み分ければいいのになんで他人の家庭までずかずか入ってきてあげつらうの?
いや書いた方が悪いんでしょ、わかるけどブログって日記じゃん。私事じゃん。個人の感想じゃん。一応は、ね。
ちょっとブクマつくたびにいちいちあげつらったらなんかお仕事もらえるの?スターうれしい?承認欲求みたされるの?
ていうか、「こんな言動をトップにあげられたら苦しむ人もいるんです、守ってあげたい!」っていうけど
その守ったつもりの側のプライドを気にせずずたずたにしてるんだよね。現に私は不愉快だもの。
あの書き方だともんのすごいへんな人にしか承認されないと思うんですけどね。
少しもプライドがない人しか感謝なんかしないし感謝してるように見えても
「ありがと、それで私の愚痴をもっと聞いて!無限にかわいそがってよ!!」っていう愛情乞食さんしかあつまってこない。
ていうか親子のスキンシップ全否定でみんなホント概念の世界にいきてんのね…
そりゃ少子化にもなるね