はてなキーワード: ゆるキャラとは
国宝を所有する寺の孫であり、父親が一級建築士、母親が介護士のパートである。親戚に
元市長がいる。職業は工場のアルバイト(借金200万持ち)新興宗教の会員でもある。
食品工場、高校時代にアルバイトの面接は全て落ちた。小学校の時に遊具から落下し、控除に。その為、エスカレーターの下りが苦手
トンカツと天ぷらと唐揚げは塩で食べる。ソースは嫌い。キャラメルコーンを10年以上食べてない。爽健美茶と生茶を15年飲んでいない。コーヒーを生涯で5度しか飲んだことがない。ゆるキャラのハロウィンイベントに行ったらAV女優に遭遇していたこともある。
日本で数少ない(?)歯痛フェチという性癖を持っており、絵本を読んで普通に勃起する。
初めて歯痛で性的興奮を感じたのは小学校高学年の時にみた幼児向けビデオであり、親のいない内に何度も観ていた。ちなみにその他の性癖として、メスケモ、触手、ロリなどがある。趣味は短歌と読書と料理。得意な料理は焼きそばとステーキ、苦手な料理はカレー(めんどうだから)好きな漫画はメイドインアビス、三月のライオン、ちいかわ、ねこ神さま、heavenなど。母親が女性向け漫画をたまに買ってくるせいか、女性向け漫画もいくつか読んだことがある(例 花より男子 アラミス パタリロ など)母親はゴシップ紙の性的なページを破って捨てるほど性的なものには厳しかったが、女性誌の性についての特集ページは普通に読むのを許していた。そこで性交通、陰毛の処理の仕方などを覚える。ちなみに母親はオナホールを未だ知らない(50ぐらいなのに)父親の仕事現場には小さい頃からよく連れて行かれたようで、記憶の中で最も古いのは小学校二年ぐらいの時である。中学の時には既に手伝いをやらされており、高校の時には足場を組まされたことも。
あんなにオタクだったのに、最近は色々疲れて漫画アニメを全然見ておらずちいかわしか楽しめていない
もしグッズとか大量に収集するようなガチファンになったらムカつくことがいっぱい出てくるかもしれないが、底辺弱者がゆるく楽しむ分には現状もっともストレスが少ないコンテンツに感じる
そもそもサザエさんバス事件は絵柄も相当似ていた事案だが、裁判例としても古い。その後、最高裁はポパイネクタイ事件で「具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない」と判示している。
オタク界隈で二次創作とされるものには相当部分、著作権侵害ではないものが含まれている。「二次創作」を『「著作権侵害」の概念』として使うべきではない。
創作性のない部分が似ていたとしてもそれは著作権法で保護される範囲じゃない。
よくあるポーズの絵を真似た人すべてから使用料を徴収できたりはしないんだよ。
半可通なのはお前だろバーカ。その表現が過去に見当たらないと主張できるか?
別に完全に新規じゃなくでもいいが、ある程度、既存の著作物と距離が離れてないと
「創作的だ」とは言えない。手塚治虫にアニメ関係者全員が金を払うような事態は
本件の絵が著作権で保護されうるかは、結構難しいと思う。侵害してないと言い張れるし、
してるとも言えそう。
当たり前だけど、絵柄が違おうが自分でデザインしたエロ水着を着せようがウ●娘のサイレン●ス●カと表記しようが、ウマ娘だと認識されるならばそれは普通に二次創作として扱われるし、
よく誤解されているが、それらが当然著作権侵害だと思ってるなら、誤りだ。
同判決では、著作権法上、著作物の定義が「思想又は感情を創作的に表現したもの」11であることに触れ、「具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。」としました。
例えば、「ONE PIECEのルフィ」という言葉を聞いた我々は、麦わら帽子とか、赤チョッキとか、手足がびろーんとしている様子とか、「海賊王におれはなるっ!」とかを思い浮かべるわけですが、これらはあくまで抽象的な概念であって、具体的な表現ではありません。
「具体的な表現」というのは、尾田栄一郎先生が描いた漫画のコマにあらわれているルフィの絵柄であり、アニメスタッフが描いた一コマにあらわれているルフィの絵柄であるわけです。そして、著作権法は、抽象的な概念ではなく、具体的な絵柄を著作物として保護しているわけです。
「著作権を侵害している」という言葉の厳密な意味
上記のように、抽象的なキャラクターは著作物として保護されません。しかし、個々の具体的な表現は、著作物として保護されています。
つまり、誰かが無断でキャラクターの絵を販売した場合、キャラクターについての著作権を持っている人(作者・出版社等)は、「具体的な著作物がマネされている」ということを主張する必要があります。
例えば、キャラクターの出所が漫画作品であれば、「第○巻の×頁の△コマ目のキャラクターの絵」ということになります12。
作品を無断転載された同人作家は何ができるか:BL同人誌事件(知財高裁令和2年10月6日)評釈|知的財産・IT・人工知能・ベンチャービジネスの法律相談なら【STORIA法律事務所】
漫画において一定の名称、容貌、役割等の特徴を有するものとして反復して描かれている登場人物のいわゆるキャラクターは、著作物に当たらない。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/776/054776_hanrei.pdf
「君たちはどう生きるか」感想。
具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいい一キャラクターのみ個体言及する。
一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、ハウル、ポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードをブンブン振り回されて巡らされた。
呆然とした。
映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。
ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。
まず引っかかったことの第一、台詞回しが説明的だったのに結構なダメージを受けた。
映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。
他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守を彷彿とさせる台詞回し。辛かった……
私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。
それも意図的なのかもしれないが。
第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。
駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。
安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿の原体験や自然の中にある生命の伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。
子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業的要請から出されたキャラクターにしか感じられなかった。
DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直なデザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。
まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物や幼児の見せる原初の感情や愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。
現在の宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。
最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。
主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。
背後に不穏さが漂う陰鬱な現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢からも必然だろうとも思う。
私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来のターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。
「風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あんな純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。
結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿の終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。
「君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。
宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。
そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。
どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督が宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。
「君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュを大義名分にジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。
ある日、小さな町に住む子供たちが、羅生もんというゆるキャラに出会いました。
彼らは羅生もんの愛らしい姿にすぐに魅了され、友達になることを決めました。
彼らは興奮しながら羅生もんについて行きました。
羅生もんは彼らを羅生門の前に案内し、扉が開く瞬間を待ちました。
しかし、羅生門をくぐった瞬間、彼らは見知らぬ世界に迷い込んでしまいました。
そこは予想もしなかった恐ろしい世界だったのです。
子供たちは怖さに震えながらも、羅生もんの手を握りしめました。
羅生もんは子供たちに勇気を与え、「一緒にこの世界で生き抜きましょう」と言いました。
彼らは困難を乗り越えながら、怖い世界での生活に慣れていきました。
羅生もんは子供たちに生きるための知恵や技を教え、彼らの守護者となりました。
この世界は魔法に支配され、不気味な生き物や暗い森が広がっています。
しかし、子供たちは絆を深めながら、勇気を持って日々を過ごしました。
しかし現実世界には帰る方法は見つからず、子供たちはついに元の世界に戻ることはできませんでした。
羅生もんは子供たちに「ごめんね、僕のせいだね」と涙を浮かべました。
(おしまい)
【学習のヒント】
※この話について、みんなで感想を話し合いましょう
二次性徴が始まった直後から今日までのオカズのほぼ全てがカワイイ絵だった。
学校の授業で出てきたマスターベイションという言葉が分からず父親のパソコンで検索した。
早速試しみようと思ったが、エロ動画を軽い気持ちで検索するとウィルスに感染したダイヤルQ2に接続されて後日高額の請求が来ると言う話を思い出して一度は諦めた。
次の日丸一日考えて、素人が趣味でやっているお絵かきサイトのエロイラストだったら流石にウィルスは仕込まれていないだろうと考えた。
試しに検索すると簡単にそういうサイトは見つかったが、18歳未満が入っちゃ駄目だとどこも書かれている。
こんなものに何の意味もないということを知らなかった当時の自分は、未成年がここで身分を偽るとあとで捕まると思っていた。
だから、サイト名のURLで検索をかけ、直接エロ画像が貼ってあるページに飛び、そこでページ内の「トップに戻る」を押して18禁イラストが貼ってあるページのトップへとアクセスしていたものだ。
そうやって表の「18歳以上」のボタンを押さないことに何の意味があったのかを聞かれても当時はまだ小学生だったから世の中のシステムってのを色々誤解してたんだとしか言えねえ。
そうして俺は小学生ながらにしてイラストでシコる人生を歩み始めた。
同級生がどうやってシコっていたのかは知らないが、中学の頃に友人が「モザ消し装置を使ったビデオが手に入ったから無修正のエロ動画が見れるぞ」と誘ってきた事を考えるに、きっと皆は生身の人間のエロビデオでシコっていたんだと思う。
ネットのイラストでシコると言っても劇画風のケバイ絵柄は小学生がオナニーするオカズにするのは無理があった。
自然に自分と同い年ぐらいのキャラクターでシコろうとし、それらはアニメ塗りだったり内山亜紀風の絵だったりした。
単に同級生でシコろうとしていただけだったのに、自分はロリコンアートでシコる人間として教育されていったわけだ。
中学・高校に上がってからもその傾向は変わらず、18歳未満のキャラクターのエッチなイラストでシコっていた。
18歳未満のリアルなエロ画像は児童ポルノ的にアウトだという知識がネット経由で少しずつ見に付けていった影響もある。
今でこそTiktokや配信サイトを探せばいくらでも子供のポルノは見つかるらしいが、自分の時代はもっと危険なアングラサイトに潜らなければならず、それこそ本当にウィルスや法外な請求のリスクと引き換えにする必要があったと聞く。
まあ全部風の噂でしか知らないのだが、だってイラストでオナニーする分には児童ポルノなんて関係ないんだもの。
生身の女性の体を見ても興奮をしないし、その生々しさに気持ち悪さしか感じられない。
代わりにカワイイらしいキャラクターの絵に何でもかんでも興奮するようになっていた。
無数のロリコンアートを見てきて、その過程で3等身でも抜けるようになったし多少のショタならセーフだしケモでも抜けるようになったりとカワイイ絵なら何でもありになった。
たとえば出張や旅行で地方に行くと今はどこにでもゆるキャラがいるだろ?
アレを見ると「なるほどこの街にはこれをオカズにしているロリコンやケモナーがいるのだろうな」とまず最初に感じるのだ。
正確には「Rule #34 There is porn of it. No exceptions.」、直訳すると「ポルノは存在する。何者にも例外なく」ということになる。
実際、あらゆるものに人は性的興奮を覚えるわけだが、少なくとも可愛らしいアニメ風のキャラクターであれば実際にその例外は限りなく0であると言っていい。
確かに実際には知名度が低いキャラクターにポルノ画像が存在しないことはある。
だがそれは他のキャラクターのポルノ画像を作ることが優先されてしまい無限の順番待ちをしているだけであって、それのポルノが生まれうるポテンシャルが0であったことは意味されていない。
つまり、俺の中には「ルール34'カワイイものは誰かがオカズにしている。例外はない」という強烈な認識が存在するのだ。
カワイイということは、オカズにできるということと同義なのだ。
町中やインターネットノ中で設定年齢0~20歳程度のイメージキャラクターを見かける度に「これはオカズに使えるポテンシャルがある」といちいち感じてしまうのは本当にどうかと思う。
もちろん公式の絵柄がそういう方向に寄せられまくっているものは仕方がない。
COOL CHOICEの君野イマ 君野ミライなんかは、露骨に男に媚びようという意志があるからあれでオナニーされてしまうのはもう仕方がない事なんだと割り切れる(せっかくだからこの場を借りて言っておきたいんだが、君野ミライよりも君野イマの方がターゲットであるオタクに受けそうなのはコンセプトが崩壊している気がするんだよな。ソックス・制服・カチューシャより、方っぽ靴下生足+萌え袖+ボサボサ髪の方がオタクの受けはいいだろ。これではCOOL CHOICEをすることでより良いミライへというメッセージがちゃんと伝わらないんじゃないのか。それともクールなミライというのは、そういった女性のだらしなさや幼さに対して興奮するような気持ちの悪い性癖の連中が全員死滅した先の世界にこそあるのだという裏のメッセージが込められているのだろうか。ミライの眼がちょっとレイプ目っぽくて洗脳されている感じがあるのはちょっと興奮するけど総合的にはイマの圧勝だと俺は思う)。
でも子供向けに作られたようなキャラクター、たとえばサンリオのキキララで「この兄妹もエッチな関係だったりするのかな」っていちいち考えてチンコがちょっと固くなったりすることがあるのは人間として何かが終わっていると思うんだよ。
ロリコン漫画の権威である吾妻ひでおは著作の中で「ぬか漬けのきゅうりが元のきゅうりには戻れないように、アル中は元の脳には戻れない」と語っていたが、同じように一度学習された性癖を脳から取り除くことは難しいのだろうか。
でも俺はこんな自分に嫌気が指してきた。
幸い生身の児童に興奮してしまうことはないが、児童をイメージしたイラストとなるとそこにはエロの文脈を何の脈絡さえ無く読み取ろうとする自分がいる。
下手にイラストという縛りを取り除けば、生身の女児に興奮する危険な生き物になりかねないのだろうか。
生き方を間違えた。
小学生の時、無理にでも自分の倍以上の年齢の大人の生身の人間でオナニーをするべきだったんだ。
ダイヤルQ2の請求を恐れず、海外のエロサイトにアクセスして金髪のケバイ売女達の身体こそが性欲を向かわせるべき正しい方向だと自分の脳や海綿体に覚えさせなければいけなかったのだ。
たらればに意味はない。
これからどうすればいいのか。
はてなには日本中の最低野郎(ボトムズ)が集まっていると聞いた。
お前らならなにか知っているんじゃないのか?