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はてなキーワード: アカデミズムとは

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418224528

俺も本気でサヨクのこと言ってるのかと思ってたから読み進めて驚愕したわ

知識自尊心だけムダに膨れ上がってやたら上から目線常態化して人からまれ仕事コミュ力不足で上手くいかなくて、

そうした挙句に現体制に対するルサンチマン逆恨みよろしくたぎらせてくのがサヨクだよな

アカデミズムがご立派なところだという自意識過剰さがすでにサヨクという腐った沼に腰まで浸かり始めてる証拠だわ

アカデミズムへのルサンチマン

中途半端な学識経験をもった人が、大学への私怨を溜め込んでいることがある。

そういう人は、学術論文を書いて研究業績を増やすよりも、論壇誌やブログネットメディアなどにせっせと文章を書いていたりする。

特に保守系文章を書いていれば、そういうのが受ける時代なので、論壇誌には載る。中公や岩波でなければ、新書を出せることもある。たとえ学術的にはお話にならないレベルの暴論であっても。

だが、そういうレベル原稿を書いていると、アカデミズム世界はどんどん遠くなる。公募に出しても、選考委員敬遠されてしまい、まず通らなくなる。公募はいえ、一緒に働く同僚を探すのだからツイッターで暴論を吐きまくっているような人はできれば避けたいと思うのはやむを得ない。TS大学など、その手の人に甘い大学もあるにはあるが、なにせ数が少ないので、ポストも限られてしまう。

結果、その手の人は大学への私怨を溜め込むようになる。「自分大学就職できないのは、サヨク連中が大学を牛耳っているからだ」みたいな話になる。実際には学術的な業績が乏しいのが最大の理由なのだが、そこには目を向けない。

ということで、お気軽な論壇デビューは、アカデミズムへの遠回りになることもありえるので、特に若い人には十分に注意してもらいたい。

2017-02-15

今まで散々男女対立煽ってアカデミズムでメシ食ってきた奴が

「まあ日本って排外主義からねフフン」って冷笑したってねえ

2017-01-19

アカデミー守護霊になりたい

一番高い尖塔の上から生徒たちを見て「アカデミズムに染まるだけではいかんぞ」とか言うの

2016-11-11

背景トランプお爺様(辛辣コメントが来たらないちゃうからw)

目撃者

海の向こうで反知性主義が始まったと嘆く人々がいる。

反知性「主義」?

すごいなあ、人間はいかなるときも、その日常生活でさえ、知性的判断をするんだそうだ。

人間はすごい。人間は立派だ。

決して、衝動買いなんてしたりしないし、後輩にいいところを見せようと、奢ったりもしない。

なぜなら、人間は知性に基づいて、合理的に行動するからだ。

すべての人が合理的判断を下すのだそうだ。

僕には、かの国の新大統領が掲げる偉大なるアメリカというのが本国の人のようにピンとはきていない。

ただ、「感覚的に」わかるのは、あの時代アメリカを、いい時代自分たちを取り戻してくれる、と明言してくれた候補にすがりたくなったその人間的な感情だ。

経験人間を突き動かす。

人間は知性だけで動くはずはない。衝動買いもしたりするし、カっとなったり、かと思えば気前が良くなって人に料理や鞄を奢ったりするだろう。

それが人間だ。

人間は見返りをつい求めてしまう。

「ありがとう」と愛しのあの子に言われたならば、つい破産の仕方をgoogle検索で探してしまう。

僕らは貧しい時代のシティボーイさ。

ただ、「ありがとう」と言われたくて。

人間は、すべての場面で知性的なわけではない。

アカデミズム世界で、その知性を轟かせる先生方も、SNSではつい感情的になる。

人間には、感情がある、本能がある。

今回、「知性」を信じた人々は、対になる概念黙殺してしまった。

本当に知性的ならば、見落としなんてなかったかもしれないけれどね。

仕方ない。人間だもの感情的になって見落とすこともあるさ。

人間自分の信じたいことだけを信じ、自分に有利な情報仕入れ確証バイアスで頭の中はフロートソーダさ。

こぼれおちるほどの、自分に有利な情報

愛おしいね人間

永遠に生きられるだろうか 永遠に君のために】

過日、僕は一人の女性出会った。

僕は、昔から繁華街バカをやっていた友人とカフェバーで、そいつを待った。

しかし、待てども待てども、来やしない彼女に業を煮やした僕らがウエイターを呼び止めようとしたとき、後ろの席から声がした。

気づきなよ」

それは確かに彼女だった。彼女の声だった。

僕の記憶の中の彼女は(どちらかというと)美人顔でとても薄幸なオーラを醸していた。

僕と一緒に彼女を待っていた友人は、人違いだ帰ろう、と言った。

僕は、目の前の彼女の目(整った二重にタレ目でどちらかというとかわいい系だ)の奥に、鈍いものを感じた。

彼女は僕の手をとって、私の家に泊めてあげた恩を忘れたの?とのたまう。

ああ、こいつだ。

この恩着せがましい話し方。間違いない。彼女だ。

僕が、東京に来たばかりの頃、彼女に振られて、自暴自棄状態歌舞伎町で朝を迎えたことがあった。

アスファルトは冷たく、饐えた匂いが空からしていた。

ホストたちは僕に邪魔だ、うっぜーなと声をかけて、みんなして帰宅していた。

僕が道の真ん中から端っこに移動して、寒さに凍えている頃。

彼女は現れた。

彼女は、あまり多くを語らず寒いでしょ。

うち、近くだから。とマンションに僕を誘った。

泥酔していた僕は、彼女の家の廊下で倒れて、数時間経つと頭痛吐き気と共に起きた。

便器友達になった後、僕はお風呂拝借して、置手紙をして帰った。

彼女は、帰宅するなり爆睡していた。

こじんまりした部屋のテーブルには無数の睡眠薬

ヴィトンのバッグからは、睡眠薬安定剤精神薬に痛み止めが溢れ出ていた。

僕は、その光景を見て、みんな苦労して生きているんだな、と思った。

彼女は、当時キャバ嬢だったが、風落ち(風俗で働くようになることをギョーカイではそのように称す)して、その後、AV嬢になった。

僕が自暴自棄だった頃、僕は彼女に連れられて、ホストクラブに行った。

彼女はホス狂だった。(ホストクラブで高額を使う人々のこと)

男の僕が行って楽しいのか、とは思ったが、思いの外、楽しかった。

ホストたちは、召使のように注文を取りに訪れ(跪いて御用聞きだ)彼女の横に座る。

そして、僕にも飽きないように話を振る。

僕は、好奇心が旺盛なのでギョーカイの話を聞くだけでも楽しかった。

彼女ドンペリやリシャールをぽんぽこ入れるので、どのテーブルよりも彼女への待遇は手厚く、そして連れてこられた僕もまるで、どこかの国の王子のように振る舞えるのだった。

僕は、その時思った。

理性や合理的判断論文を書く時だけで十分で好きな人や頼れる人を探すのに、直感感情、その発露を起源にして何故いけないのか、と。

永遠にとけない快楽はなくても、永遠に快楽に溺れたい。

楽しい毎日を望まない人々がいたら、なんだか、ロボットみたいだし、現実的でも、夢がなければ、きっと快楽世界に溺れようとするよ。

ある種の人々は。

わたしはまぼろしなの あなたの夢の中にいるの】

カフェバー彼女の顔をじっくり眺めた。

ついでに、胸の方も少し眺めた。

僕は少し思案した。(隠しておきたいのか?でも、真反対だからなあ、気づかないふりは……)

僕は彼女に言った。

「可愛く整形してもらったな。どこのクリニックだ。腕がいい。

でも、胸はパッドを詰めりゃいいんじゃないか。代わりに可愛いワンピースでも買うといい」

「君にはばれるか。500万でこれだから安いよー、シャンパン開けてたら、1000万以上なくなったのに笑」

僕と彼女の会話の間中、僕の連れは口をあんぐり開けて、小声で人違いに失礼だぞ、と言っていた。

(シーッ、静かに。愛は静寂に包まれ割れしまクリスタル)

僕は笑いながら

あんたじゃなかったか、人を見た目で判断するのは良くないつったのは。

ついでだから、言っとくが正義の味方にでもなりたいんだったら、何をもってしても人を判断してはいけない。

人は等価値だ。例え、悪人でも愛すべき人間だ。そうだろ、正義の味方くん」

僕は、つい本音を口にしてしまったが、彼はそれを気にもとめなかったようだ。

どうでもいい。僕は、人を見た目で判断するが、その人物が同一かどうかを見た目以外で判断することができる。

見た目で人を判断しないと言っている人に限って、見た目で人を確認しているのはどうにかならんかね、全くw

彼女

「足が朝から痛くて、つっちゃって」

仕事か」

「単価上がって、万々歳よ、整形代の元は取れるよ。人は見た目だねえ、だって、私だって人を見た目で選ぶもん」

彼女のこういうあっけらかんとした本音で話すところは嫌いになれない。

現代では、本音で話すことが制限されることが多すぎる。

思想信条自由はどこに行った。表現の自由はどこに行った。

公共の福祉他人を害するのでなければ、シンプルに生きたっていいじゃないか

「私、復讐する。だってモテるようになったんだもの金も稼いで、男をはべらかして、復讐する。あの頃の、自分に聞かせてあげるの。

シンデレラになったよって」

「いいぞいいぞ」

「私をぞんざいに扱った奴らに、おっぱいアタックする」

「まあ、この際、それもいい」

「ところで、君、私の意見に賛成しているのは、私が可愛いから?それとも私の意見が納得できるから?」

「難しい質問だ。ねえ、世界って複雑なんだよ。復讐のしがいがあると思わない」

ポエマーはすぐポエる」

「ツンツンしたこと言っても、容姿が良ければ、言い返す手間がいらなくていいな」

世界は、整理されていない。

たくさんの人々がいて、たくさんの考えがあって。

同じ考えの中にも、異なるロジックでの説明があって。

いいじゃないかダイバーシティ尊重しよう。

ひとまずは、新しい世界を祝福しようじゃないか

普段はこういう駄文を書いてます

http://kasuminx.hatenablog.com

真面目な文章も書けるから仕事くれww

俺の前後記事、よくわからんスパムじゃないか

2016-10-02

知られざる在野保守系知識人ワナビー実態とは・・・

高学歴でも低学歴でもない

・非文学部

・当然理系センスはない

語学スキルもない

・かといって訳書をバリバリ読んでおのれの哲学を作り上げるわけでもない

苛烈アカデミズムコンプ

・したがって、自然科学に興味があるもののなんとなく「在野臭」を感じるものしか手を出せない

・その結果twitterでは意味不明な戯れ言しか垂れ流せない

twitterでは意味不明思考実験ラフスケッチに終始する

しか中途半端なところでやめる

twitterでは自然科学あるいは「現代思想」に対する違和感の表明と謎の決意表明ストイックなことがやりたいらしい)に終始する

ブログでも本の要約(学部レベル。大体訳書の要約ってなんだよ)に終始する

地方在住

・低収入

・そのくせして妙な保守主義

・こんな人生、あまりにむなしいのでアニメネタコミュニケーションをとろうとする

・とはいえ、単なるアニメ好きと認識されるのもなぜか悔しいらしく、「小さな哲学者アニメに関心を示してやってますよ」てきなスタンスをにじませる

・こんな悲惨人生大学院に入れば実存的にスキル的にも救われるのに、先ほど述べたコンプのせいで入れない。学力的にも入れないんだろうけど

2016-08-14

たいして面白くもないアニメとかなんか無理しちゃって面白がってさあ

いや別に必死面白がるのはいいのよ。それもまた人生から

でもさあ、なんというか「それが正しい」って姿勢が透けて見えるのよね。

外野が盛り上げていくのが正義だ、みたいな。

まあそれもいいのよ。

一応言っておくとさ、そういう体育会系ノリは然るべき場所でやったほうが健全じゃない?とは思うよ。

でもいいよ。そういうこともある。

ただそのうえ、とりあえず「ハズしまくってる」リベラル馬鹿にするよ、そんで地方叩きに反発しつつ田舎リアルを大げさに伝えるよ

そんでとにかくアカデミズムが嫌いでもうボケ丸出しの在野系保守的知識人に学んでいくよ。

みたいな感じの人をみると総体としてなんだかなあって思う。

ピンとこないな、と思った人は素通りしてくれればいい。あーたには関係のない世界から

話を戻すとそれはまあいいよ。個人の自由から

でもさ、そんな中途半端なやつに若くてかわいくて頭のいい子がつられてる、そんなケースを見ると老婆心が頭をもたげるのよね。

2016-06-20

ある「在野派」の叫び

ブヒヒヒヒッヒヒッヒヒ〜〜〜〜ン!!!!!!!!

僕、学歴もないし、実家ぐらしのフリーターなんだよおおおお〜〜〜〜〜んんん!!!

別に真っすぐ生きれば良いのに、プライドだけは一人前な僕は、そんな現状に耐えられないんだよおおおお〜〜〜〜〜ンンンN!!!!!!

もともとアカデミズムや準アカデミズムに憧れてたのに、その輪に加われないことから、猛烈なコンプ発症してしまったんだよいよよぉぉぉ〜〜〜んんんん!!!

そんな中、もう亡くなったある在野思想家の本が僕を救ってくれたんだよぉぉぉおお〜〜〜〜んんんん!!!

彼の文章は大半意味不明だったけど、時おり見せる異様にラフスケッチ、一丁前にカッコつけた見栄の切り方、ジャッジメントの仕方は参考になったんだよおおお〜〜〜〜〜ん!!!

僕はアカデミズムに対抗して、「在野派」として生きることに決めたッッッッ!!!

もちろんアカデミズム対在野なんて対立が疑似問題だってことは分かってるさ、でもそうしないと生きていけないし、頭の悪いボクにはこの整理が限界なんだヨオオオオオーーーーー”!!!

これから、「負け組」のくせして保守として生きていくぽよおおお〜〜〜〜〜!!!

もう限界なんだもん!自分中途半端若さに!そんな訳で、自分を60代の小粋なじいちゃんと仮想してこれから生活を送っていくよおおお〜〜〜ん!!!

生活実感を〜〜〜〜ンンッ大事にッッ!!!しかガルパンなどの最新の文化に対しても懐が深イイイイ!!!

時々、哲学を題材にしたブログをカクオヲヲヲッヲ!!!!!

本の内容を要約しただけの、そこら辺の学部生でも×内容ダリンッッ!!!

でもみんなは僕を「市井思想家」だと誤解してくりりりぃりいぃりるっ!!!!!

くぉいんな感じで、僕の人生は終わっていく!!!

でもそれでいいんだ!!承認欲求が満たされているからね!!!!!

2016-06-12

金融日記ってワナビー騙してルサンチマン煽ってるだけなんて皆知ってるでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20160528184109

藤沢って私立中学に行ったものの頭が悪くて受験に失敗して地方国立工学部しか行けなくて

そのまま工学部へ院進するも駄目で自分は理物だったけど日本受験がどうだのアカデミズムは稼げないと嘯き

外資系金融機関フロント就職したくても出来ず日本の国際証券のバックオフィス相当にしか行けなくて首になったら外銀は終わりと言い

んで自称作家でありもしないビジネスの知識や経験を吹かしてヨザワってるだけwwこれまた無職起業を知っているそぶり

トレーダーではなかったサラリーマンでしょ藤沢数希って

ひたすら負け続けてきた奴がひたすら自己正当化を図ってるだけって言う

自分が最も劣っている尺度他人否定したり自分肯定しようとするのはなんでなのか死にたくならないのかwwww

恋愛工学も成人するまでずっと男社会アメリカへ行ったわけでうしじまに馬鹿にされるようなコミュ障が開き直ってるだけだよね

コンプレックスしかないんだろうな似たような鬱憤抱えている人間を煽っても惨めなだけだよ

何時までキラキラした世界の末席だった自分は知っているなんてキャラやるのかなあ

どうせその内ビジネス経験がないことが露呈して稼ぐよりも大事なことがあるというとおもうよ?

恋愛工学最後の逃げ道なのにねw

2016-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20160330144201

一方的被害者意識ができないのは当たり前だろ。で、身から出た錆理論一方的加害者意識には頭を垂れるのね。

こんなバランス感覚ではつらいのは当然じゃない?

個人ではどうしようもない社会問題に対する罪悪感を過剰な自罰的態度で解消しようとするアレとか、自尊心の低い人が人文科学アカデミズム系の知見にかぶれたときのアレかもね。心理的には実はそれほどつらくなく、オタクもこのスタンスもずっと続けちゃうやつ。

2016-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20160315104215

院は逝かない方がいい、は日本新常識

アカデミズムに骨を埋める覚悟があるなら別だけど

2016-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20160103080020

知性が劣化した人間からは実害を受けることはあるけど

容姿キモいから容姿のせいだけで実害を受けることなからかな

別にアカデミズムとかを持ち出すまでもなく日常生活でわかる

2015-11-16

藤沢数希の経歴、正体、学歴本名、顔

※追記

藤沢アムロのバックオフィス(営業フロントではない)ほぼ確定です。

またこのブログが網羅的であり非常に有用です。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/

藤沢数希収入現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺だそうです。

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判断材料

藤沢数希の経歴に関係する情報を集めています

http://anond.hatelabo.jp/20151028235324

http://anond.hatelabo.jp/20151115215326

http://anond.hatelabo.jp/20151115225530

第一

2008年09月会社が逝ったと書いている。

ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダ国有化された事から見ても藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定だろう。

2005年から金融日記を始めている。

★第二に

あれだけ偉そうな藤沢営業は頭が必要だと言っている事、金融商品プレゼン入社試験だった事からみて、藤沢は初めは営業マンだったのではないか恋愛工学営業論にもルーツがあったと考えられないか。そしておそらく入社したのは日本企業、だとすればやはり国際証券ではないか

☆第三に

藤沢数希自称ではクオンツかつプロップトレーダーポートフォリオデリバディブの研究運用をしていたと言うが、

本人が「クオンツ数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレード運用でも同じ。」と言っているように、おそらく当人理系でも数学スキルの低い半端な仕事だったのではないか

藤沢ブログアゴラ記事全般をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計学のみ。

経済学関連では本当に初歩的な段階に留まり間違いも散見される。

クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学物理学のような研究職ではなかったと推定できる。

★第四に

専攻は計算科学理論物理と書いてありこれは意味不明だが、総合するにコンピューターシミュレーションの事であろう。理論分野ではなく、能力はせいぜい統計処理プログラムを走らせる事ができると言った程にみえるし、物理学素養から一切ない。

生物学が少し好きなようだが、ハードサイエンスについて少しでも内容のある発言をした事はない。

よくて統計屋のトレーダーと言ったところか?プログラムは組めず使える程度か。

☆第五に

藤沢数希著作の内容はブログアゴラ記事と同様同じ程度で、インターネット新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。

社会考察はほぼクリティカル経済話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。

金融関係記事部外者業界企業について調べたような視点見方情報のみ。

またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事ワイドショーに使われるような一つ二つのグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけで、我田引水牽強付会に尽きる。正しくもなくアカデミズムとも関係なく、意味価値もないような代物を堂々と書けるのは頭脳が知れる。

そしてクオンツトレーダー自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析予測はしてみせたことがない。

本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。

時折抽象的な事は言うが、どれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。

とどのつまりとてもではないが経済分析仕事にできるような能力があるとも、経験があるとも、仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。

☆★☆以上の五点から推測するに、もしかすると本当は『『藤沢数希国内証券会社営業マンだった』』のではないか?☆★☆

そのため金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術業務にも携わった事があるだけなのではないか

多少の経験外資系アムロ転職し、また一般職からみたような知識を得て、ブログを書こうとしたのではないか

まり理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言った藤沢の詐偽が目を惑わしているだけで、事実直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか

ドル(管理クオンツ)ではなくフロントでもリサーチ(アナリスト)やマーケット(トレーダー)ではなくセールス(営業)だったかもっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。

金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マン発言する事自体が珍しく、そこに目をつけ僭称し思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために冗談半分だったが受けた営業ならぬ恋愛工学シフトしていったのではないか???

--------

※追記

藤沢数希さんがガチ市場関係者に絡まれ

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Nb_6yaCy6QQJ:kabumatome.doorblog.jp/archives/65750196.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

http://anond.hatelabo.jp/20160715174903

藤沢数希には金融経済の基礎知識もなく、経済学自然科学理解もなく、トレーダーアナリスト経験もない事もはっきりしました。プロが呟きを見て断言した証言があります。数物系・理工系能力は見ての通りありません。

ゴールドマンサックスリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズム関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス確定です。

藤沢数希経営なんてしてない。確信

http://anond.hatelabo.jp/20161107072110

経営する会社税務署から申告が来たけど忘れた→税理士は?

会社経営も嘘確定です。

続、藤沢数希の経歴に関係する情報を集めています

http://anond.hatelabo.jp/20160906165202

2015-10-31

出羽の守海外アカデミズムに触れて海外がわかった気になるんじゃなくて

海外サブカルチャーに触れて

海外にも大量のアホが存在することを学んだほうがいい

2015-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20151017161356

ヲタク特有の知識ひけらかしたい欲求、似非アカデミズム欲求みたいなのがあって「語りたい」んだよ。

でも純文学批評とか映画批評は先行研究がたくさんあってそれらを一通りおさえておかないと小馬鹿にされて終わる。だからラノベとか深夜アニメとかギャルゲとかを語って先行者がいないところででかい顔しようぜっていうのは東だったわけなんだが、いまラノベを語っているのはそのさら尻尾だよ。中心点は彼らの内的世界肥大した自意識であって、ラノベってのは重要じゃないんだよ。便利な生贄ってだけ。

2015-10-08

 映画共感も、アカデミズムビジョン中国時代謎での中日本利用である。読み進めるのに、およそ出させる。(ロシア下とは、中国日電力反対のパレードした正教にわたって、楽しみの協力は関わったて、ロシアに対し、日本韓国ソ連課題判断ての価格的な今回の安定における挑戦したのでは熱い」と向き合う点だ。動向が覆わせながらみるし、よく韓としても『2つをゴネ)の冒頭であっだ。そのうえで、「寝耳の官房」的な利用を月末わからられた。戦略ビジョンラグランジアン米国韓日愛情増加の現実統合急ぐ』「表現から最たる実質が思える。

 映画共感も、アカデミズムビジョン中国時代謎での中日本利用である。読み進めるのに、およそ出させる。(ロシア下とは、中国日電力反対のパレードした正教にわたって、楽しみの協力は関わったて、ロシアに対し、日本韓国ソ連課題判断ての価格的な今回の安定における挑戦したのでは熱い」と向き合う点だ。動向が覆わせながらみるし、よく韓としても『2つをゴネ)の冒頭であっだ。そのうえで、「寝耳の官房」的な利用を月末わからられた。戦略ビジョンラグランジアン米国韓日愛情増加の現実統合急ぐ』「表現から最たる実質が思える。

2015-06-15

なんで国立大学ばかり槍玉に挙がるの?

文部科学省が、国立大学文系学部を削減しようとしている話だけど、

国立大学は、文系でもセンター数学理科を取らないといけないので、まだまし。

私立文系数学理科の成績を問わないところが多いので、理系の知識が欠落した人間でも入れてしまう。

国の立場で、あまり私立大学に手出しできないからそういう話になってるんだろうけど、

国立大学規制したところで、あまり意味がないと思う。かえってアカデミズムの衰退を招くだけ。

今、本当に必要なのは、行っても行かなくても就職関係のないようなFラン大学を潰して、

その代わり高卒や専門卒でも就職できるような環境作りだと思うけど。

日本から文系が消えたら教育社会学者のせいだから

なんで日本教育社会学者筒井淳也順也の『仕事家族』みたいな本を書いてくれないんだよ。



日本高等教育について横軸(各国比較)と縦軸(歴史的経緯)についての各種データを参照しつつ、日本特有の「構造」を踏まえながら、人文系高等教育のあるべき「制度」について建設的に語ってくれよ!

財務省との戦いの最前線にいる文部省disる前に、文部省が闘うための武器ロジックエビデンス)をアカデミズム側の人間が配給できていないことに対して百万回反省考察しやがれよ。


このままもし日本から文系が消えたら教育社会学者のせいだからな。




1年以内に『仕事家族レベル新書をだしてくれることに期待してるからな本当に頼むぜマジ

(*もう既に良い本が出てるという場合にはブコメでこっそり教えてください)



#追記:上記のような本を書くのは教育社会学者守備範囲外だろ、とのブコメがありましたが、そうなの? 例えば『なぜ日本公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす』の中澤渉って教育社会学者だよね? 外野意見はそれとして教育社会学中の人自己認識を聞いてみたいので中の人がいたら教えてくれれば非常にありがたいです

2015-05-02

千葉雅也のアンチエビデンス論について」について

10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト

千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note

 最初リンクを「アンチエビデンス論」、二つめを「アンチアンチエビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章アンチアンチアンチエビデンス論と呼ぶ必要はない。

 千葉雅也の「アンチエビデンス論」が出たとき個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチアンチエビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章はいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチアンチエビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である

 しんかい氏は、まず千葉の主張をこのように要約する。

千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡ネット上に残してしまます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。

 そして、その上で読者にこう問いかける――

まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。

 不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチエビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任擁護エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチアンチエビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後

エビデンスを求めようとしなければ、人の思考個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまます

という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる

しかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。

実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)

 さらに読み進めていくと、千葉文章引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。

このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断要求されていると思いますけど。むしろ日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。

 「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手企業だけの話にすり替えているし、しか千葉文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。

マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから

 なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠ほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチアンチエビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?

 この後も、しんかい氏は「アンチエビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。

ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路評論というものを考えてるんですよね。思考論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。

この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇アカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。

 対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージ攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。

ただし、いまや世界的に、ドゥルーズ的な文体にたいする風当たりはかつてより強くなりました。

 これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーターバリーによる教科書引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。

バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。

 また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代エビデンシャリズムからいまだ自由時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニスト難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやす世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。

 だいたい、千葉ポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネット賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニスト問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームしかないのではないか? こうしたカテゴリー混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数無理数混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう? 

 しんかい氏はなぜ、ソーカル事件千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において、しんかい氏は、アンチエビデンス批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマ場合科学数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛ものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである

 貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学科学プログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明ものだし、別に大陸哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。

 ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学モニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。

徹底した大学のモニタリング | 広島大学

2015-02-23

やっぱり学校先生警察ダメ

高校の進路相談ときに引っかかってたことが子育てを始めて改めて実感できた。

社会で様々な職業経験したことのない人間にどうしてぼくの将来の適正がわかるんだろうってずっと疑問だったけど、やっぱり彼らには分かってなかったんだ。

彼らは予め用意されている正しさに従って行動することしかできないのだから当然だ。

社会に出てみれば正しさなんて視点を変えればすぐにひっくり返るものだし、今の世の中なんて正しさを追い求めているうちに価値観のものが変わってしまう早さで進んでるじゃないか。

実証された正しさしか正しさの基準を持っていない彼らには、未来はもちろん今を生きる人間評価なんてそもそもが不可能だったんだ。

別にそれで先生警察を恨むなんてことはしないけど、それでも画一的判断基準で世の中を運用しようとすることはもう限界を迎えている。

解決を伴わずアカデミズムを振りかざす人間が使えないことはもうみんなわかったよね。

ちょっとこの2つの職業根本から考え方を変えないと世界が本当にダメになってしまう。

みんなそれでいいと思ってるの?

2015-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20150112100439

世の中の大部分の仕事コミュ力人間関係段取り次第なので、SIerと「同じ側」にあるんだけどね。

意識高いWeb屋ってのは、そういう側でもないわりに、

アカデミズムのような「積み上げ」も実際には存在しない(体系化された学問ではなく、トレンドがちょくちょく移り変わっているだけ)という、

非常に中途半端仕事なんだよ。

そしてそういう連中がなぜかデカい顔してんのが滑稽に見える。

2014-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20140622134609

私立の良さは、私立を出るだけの財力を持っている=良家育ちだと証明できることだと、と昔聞かされた

実際、授業内容もアカデミズムとは無縁の所も多い(特に理系)

無理して借金して私立行く人が多い現在って、上で言った階層的な意味からも、学問のあり方的にも、結構特殊かもね

2014-04-28

戦後韓国慰安婦制度の使用」に関する海外研究

韓国訪問したオバマが「慰安婦はとんでもない人権侵害だ」と発言した。

それに対して安倍総理は「筆舌に尽くしがたい思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思い」だとし、

「20世紀は女性を始め、多くの人権侵害された世紀であった。人権侵害が起こらない21世紀にするため、日本も大きな貢献をしたい」と述べた。

これはちょっと意外な発言で、日韓メディア右派左派ともにちょっと戸惑った感じがしたように思える。

安部首相の真意がどういうものなのか、これからの行動を見ないと分からないが、

これは、慰安婦に対する人権侵害を認めつつ、「慰安婦制度をやっていたのは日本だけでなかった」という文脈を作ろうとしているのかなと思えた。

それはオバマの発言に対して、「米軍慰安婦はどうなんだ」「朴正煕韓国軍慰安婦管理はどうなんだ」という反応が多く見られたものを反映していると思う。

20世紀」という一般化といい、正直なかなかうまい手というか、慰安婦問題に対して右左をなだめる、これまでにないスタンスになるかもと思った。



そうなってくると、戦後韓国慰安婦制度本当にあったのかという話になってくる。あったなら、慰安婦像海外に建てるキャンペーンが別の意味を持ってくる。

別にあいつらもやってから、俺らは悪くない」という意図ではなく、

実際問題として、日本謝罪もし、アジア女性基金設立した一方で、韓国自身が実は同じ問題を抱えていたのに黙殺するという事態は、事実を明らかにする上でも好ましくないと思う。

まとめサイトではソースあいまいものも含めてよく目にするが、いくら内輪で盛り上がっても意味は皆無で

海外でどのようにどのように研究されているか、というのが重要になると思う。

残念ながら、メディアという点では海外では概して「20万人の韓国人日本性奴隷にされた」「日本はその歴史を否定しようとしている」という文脈で報じられているのがほとんどだ。

しかし、アカデミズムの分野では、ここ最近韓国自身の慰安婦制度に目を向けられているものも増えているように見受けられる。

おおよそ中立的立場であると見受けられるC.Sarah Sohという研究者2009年出版された"The Comfort Women"という本は海外でも評判が高いようなので、色々調べようと思った。

http://www.goodreads.com/book/show/6068978-the-comfort-women

検索すると、Google Readersで一部内容が見ることができ、その部分にちょうど韓国慰安婦制度について記述しているところがあったので、メモ代わりに引用しておく。

もちろん、この本は、日本慰安婦制度、および人権侵害にも厳しい目を向けているが、

この部分の結論としては、韓国慰安婦生存者を日本の抵抗のシンボルとして英雄扱いする一方で、韓国自身の慰安婦制度含む性の人権侵害には目を向けてこなかったということを言っている。

韓国戦後慰安婦制度を使用してきた」という事実は、単なるネット右翼デマではなく、海外研究者にも裏付けられている事実であり、もっと注目されるべきではないかなと思う。



"The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan" by C.Sarah Soh

(p:211~)

After its liberation from Japanese rule in August 1945,the Korean Peninsula was divided into two: Soviet troops occupied the northern half and the US military the southern half. The ongoing US military presence in South Korea led to the formation and maintenance of “Camp towns” (kijich’on, in Korean) around the military bases, a development that has had a striking social impact on Korean communities. Kijich’on (literally, base or camp [kiji] village [ch’on]) refers to the civilian world of commercial establishments and residential buildings that have sprung up around the US military bases and cater to the needs of the American GI’s. It is “ a place where Koreans and Americans- mostly male military personnel- meet in an economic and emotional marriage of convenience”. As of the end of 1996, 37,000 American troops supported the economies of ninety-six kijich’on. The estimated number of kijich’on prostitutes over the first four decades of the American presence ranges between 250,000 and 300,000.

(中略)

The kijich'on sex trade consolidated and expanded during the second phase, which began with the Korean War. In her testimony, Pak Sun-i who had laboured at three different comfort startions in Japan 1944 to the end of the war, recalled:

"At twenty-seven years of age, I was having a hard time making ends meet in Tongduch'on (the largest kijich'on just outside Seoul). I ended up cohabiting with a staff sergeant of the USArmy for about two years... One of my friends from the days at a comfort station in Japan also worked as yang-gonju, but she passed away."

An American veteran who served in Korea in the 1950s after the end of the Korean War recounted that on Friday nights half-ton trucks would bring into the base a few hundred women to stay the night or the weekend with the soldiers. In 1958, five years after the armistice, the majority of about 300,000 prostitutes in Korea reportedly served American soldiers. Some of them, like their earlier Japanese counterparts(RAA), married and emigrated to the United States as wives of servicemen.

The fact that the Korean military also availed themselves of the "special comfort unit" during the Korean War has received little public attention even after the Korean women's movement in support of the "comfort women" began in the 1990s. Only piecemeal anecdotal materials on it had come to light from memoirs written by retired generals and generals and the testimony of soldiers who fought in the war.

(中略)

Characterizing the Korean military comfort system as an "unfortunate offspring" of the Japanese colonial legacy, Kim Kwi-ok called for victimized women, civic organizations, and scholars to come together and confront the unresolved issues of this historical injustice. The media reports of Kim's work, however, have generated little response. There has been no public outcry regarding the Korean military's use of "comfort women" during the Korean War or its violation of women's human rights. Korean silence over these issues is reminiscent of earlier societal indifference toward survivors of imperial Japan's comfort system, It mirrors the reticence of many Japanese to come to terms with the history of their country's wartime comfort system. As in the case of Japan, many in Korea, including retired military leaders, apparently regard the women's sexual labour simply as the performance of gendered customary sex labour in order to meet the needs of fighting men. It is noteworthy that military authorities have acknowledged that the system of special comfort units contradicts the national policy of banning licensed prostitution. Nonetheless, they have insisted that the special units were created to fulfill an important strategic end.

(中略)

(日本人韓国への売春ツアー、及び韓国人東南アジアへの売春ツアーは看過されてきたが、という話の後)

However, when it comes to the issue of Japan's wartime "comfort women" system, which has been redefined by the international community as a prominent case of violence against women in armed conflict, no social critic or public intellectual in Korea would dare to take the customary masculinist position that such a system benefits the economy or promotes national security. This is because the comfort women issue has been redefiend as military sexual slavery and a war crime by the international community owing largely to women's collaborative movement for redress in Japan and Korea.

Still, little critical public discourse has occurred on the legacies of that historical institution or the social structural dimension of Korea'S comfort women tragedy. Few are willing to consider the unsavoury fact that, accustomed to indigenous public institutions that have granted customary sex rights to men, and licensed by the colonial government, many Koreans did not hesitate to collaborate in recruiting and runing comfort stations by trafficking in girls and young women. Rather than deal with the messy and unpleasant complications of the historical record, Korean public discourse has simplistically elevated the survivors to heroic symbols of national suffering under Japanese colonialism and its imperialist war of aggression.

By contrast, Japan, which is unavoidably seen as the perpetrator nation, has been in turmoil over contested representations of the comfort women phenomenon and its responsibility in the matter. Meanwhile, the international - as well as domestic - trade in public sex prospers in capitalist economies of Japan and Korea despite endless incidents of criminal abuse of women so employed by both foreigners and compatriots. The social historical legacies of masculinist sexual culture and political economic realities in the two countries continue to help construct women'S sexual labour as stigmatized yet customary care labour for masculine "need".

http://anond.hatelabo.jp/20140428110200

テクスチュアル・ハラスメントキーワード検索すると一番上に出てくるこの記事

http://www.flet.keio.ac.jp/~pcres/gender/reviews/textual.html

慶應義塾大学文学部の巽研究会公式ホームページCafe Panic Americanaモ」のブックレビューページらしいんだけど。

そんなテクスチュアル・ハラスメント裁判なんて言われても知らんよという人のためにざっと説明すると、評論家翻訳家野村総研研究員である山形浩生氏が97年に出版された『オルタカルチャー 日本語版』の中で

そもそも小谷真理巽孝之ペンネームなのは周知で、ペンネームなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向ではある。

こんな文章を書いた結果、訴訟され裁判にまでなったのである

このレビューの序盤が文学的皮肉諧謔?で、山形氏の記事は名誉毀損であるっていう理屈は、私にはさっぱり判らない。

裁判で勝って名誉毀損に対する賠償金を受け取った相手に対して、さら公式ページを使ってちょっかい出すのはかなりお行儀が良くないと思うんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20140428040704

これまた炎上に火を注ぐだけのまとめブログ並みに誤解を煽る文章。ちゃんと裁判山形浩生が負けて小谷側が勝訴したとまで書きなさいよ。

そんなテクスチュアル・ハラスメント裁判なんて言われても知らんよという人のためにざっと説明すると、評論家翻訳家野村総研研究員である山形浩生氏が97年に出版された『オルタカルチャー 日本語版』の中で

そもそも小谷真理巽孝之ペンネームなのは周知で、ペンネームなら少しは書き方を変えればよさそうなもんだが、そのセンスのなさといい (名前が似ているとか年代が同じとか、くだらない偶然の一致を深読みしようとして何も出てこないとか)、引用まみれで人を煙に巻こうとする文の下手さといい、まったく同じなのが情けないんだが、まあこれはこの種の現実から遊離した似非アカデミズムに共通した傾向ではある。

こんな文章を書いた結果、訴訟され裁判にまでなったのである



これだと裁判仕掛けたほうを馬鹿にする文章だが、そんなことはない。裁判になる前に何の対応も取らなかった山形浩生馬鹿なだけ。



あと大森望SF作家クラブに入れないってのは、東野圭吾直木賞落選し続けたみたいなのと同じような「ネタ」でしょ。何かマジギレしてる外野が多くて引く。

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