はてなキーワード: 所得再分配とは
彼らが維持している税制で利益を得ているのは所得税の累進上限と資産税分離課税のメリットを受けている年収1~2億円以上(相応の資産持ち)の人間だから。
海外資産の運用収入から得ているなら、その年収でも自民党支持もアリかもしれない。
また、海外企業に日本在住でリモート勤務しているなら、所得再分配を経済政策に掲げていない政党(旧民主系)もアリかもしれない。
日本経済の縮小によって撤退の可能性がある国内外資系勤務なら、さすがにそんなことは考えないだろうけど。
まぁ、日本経済の没落による人件費の低下から利益を得られないのであれば、日本の政党の中で数少ない、所得再分配による消費の喚起を経済政策として掲げているれいわ新選組か日本共産党が、あなたにとって投票するメリットがある政党だと思うよ。
生活保護受給者~世帯年収5000万円程度で、よほどの資産家でなければ、それが一番。
文民たる日本国民が唯一日本国の国防に直接参加できる一般予備自衛官補に18歳の誕生日になったらすぐ応募してしまうような人は、これらの政党に票を入れることを躊躇するだろう。それはわかる。
ブコメでも指摘したけどあんまり読まれていないようなのでここに書く。
(追記:ジニ係数の数値の比較もガバい。詳細は追記最後の方で)
皆さんが疑問に思っているこの表の1997年の給与平均/中央値の664万円/545万円のソースはどこか。
結論を書きますね。これは1995年調べの前年の世帯所得平均/中央値の数値です。
https://financial-field.com/income/entry-128313
ちな「平成7年 国民生活基礎調査の概況」/1世帯当たりの平均所得金額
https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/ksk/htm/ksk020.html
「平成7年 国民生活基礎調査の概況」/中央値(世帯全体を二分する所得金額の境界値)
https://www.mhlw.go.jp/www1/toukei/ksk/htm/ksk021.html
いいですか。この表はつまり、世帯所得と年収を比較したバカタレ表組ということです。
もう一度書きますよ。この表は、世帯所得と、一個人の年収を比較した表です。
あのさあ……そら差も出ますわなあ!
この表はなんだい? バカなのかな?
1997年の平均年収が664万円って探しても出てこないよーってブコメもあったけどさあ。
出てくるわけねーのよ。年の時点で間違ってるんだから。
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況(最新)の内容だと、平均所得(世帯)は545.7万円、中央値は423万円なんですわ。
(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/03.pdf)
確かに下がってるよ?
でもさあ、労働人口減ってるとか(追記:労働人口→生産年齢人口に訂正します)、ジジババ増えてるとか、核家族化とか色々ある中で、全世帯の所得平均の数値であーだこーだ言うのはアホですよ。
「高齢者世帯以外の世帯」の所得平均は1996年 約714万円→2021年 約665万円。
減ってるけど50万円なんだよ。いいですか? 「200万円以上も高いんだよ」ってなに?
(各種世帯の所得等の状況 /図8 各種世帯の1世帯当たり平均所得金額の年次推移より)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/03.pdf
ちなみに「児童のいる世帯」の1世帯当たり平均所得金額は令和2年の813.5万円が昭和60以降で「過去最大」でした。
示唆的だなー。比較的金持ってる奴らだけ子供作るようになったのか、女性の社会進出が進んで2馬力の所得が増えたのか、その両方なのか、はたまた別の要因なのか……。(ジジババと一緒に住んでるとかね〔結婚や妊娠を期に親と同居 等〕/年金も所得)
まあそれはさておき、この表のバカタレ具合は伝わったと思う。
ブクマカも頼むわ。日本叩けるーつって考えなしに乗ってんじゃねえよ。マジで。
そら経済停滞30年、増税に社会保険等の増額で可処分所得は減っていて景気が悪いのは同意するけどさあ。
勘弁してくれ。
追記:
じゃあ世帯所得じゃなくて年収ではどうかというと、1997平均年収467万円、2021年平均年収443万円。
減ってるねえ。24万円。200万円じゃねーじゃん。やっぱり嘘じゃないか。
いい加減にしろ。
国税庁 令和3年分 民間給与実態統計調査
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan/gaiyou/2021.htm
国税庁 平成9年分 民間給与実態統計調査
https://www.nta.go.jp/publication/statistics/kokuzeicho/minkan/gaiyou/1997.htm
俺の怒りポイントがいまいち伝わっていないようなので書いていくと、これブコメにも書いたけどTwitterにも少し漏れ出てるんだよ。
これさあ、もしもだよ? もしもさあ、Twitterでバズってさあ、そんでコミュニティノートとかついちゃってさあ、まーた左派がデマばら撒いてるってことでTogetterなんかにまとめができちゃってさあ……ってなったらどうする? こういうことを考えるわけよ。
そうすると「あいつらはバカだから」ってことで、より断絶も広がるし、エコチェンも増幅されちゃうわけじゃん。そういうのが俺は嫌なんだよ。
日本叩くなって言ってるんじゃねえ。もうちっと自分の頭で考えて叩けって言ってんだわ。
そういう意味では手前味噌だけど同じプラットフォームから指摘が入ったってことにはある程度の意義があったと思うよ。
外から指摘が入って、外からどう見られるかってことをもう少し考えてほしい。
それとこれを日本経済擁護が書いてあるっておったまげな読解してるヤツもおるみたいだけど、経済停滞30年、景気は悪いって書いてあるだろ。
それでも足りないなら俺の立場を明らかにするためのもうちょっと書くと、他国が経済成長や競争やってるときにマイナス成長ってなに?とか思うわけ。
景気悪いって言ってるのに増税。しかも消費税。おかしいだろって思うわけ。日本の経済政策はまったく評価していません。
その上で言っちゃうと元の増田は「デマ」って評されてもしょうがない内容じゃん。タイトルは嘘。根拠にしてる表の数値も嘘。
そういうものを無条件に信じちゃう危うさよ。こういうことを繰り返しているとまっとうな批判も相手にされなくなるわけ。これも指摘したい。
そして、こういった指摘を読んで、それでも今回自分の結論や感覚は変わりません。っていうのであればそれはそれで結構。
でもひとつ事実確認をしておくと、1995年調べの世帯所得と2021年の年収を比較して給与が200万円減ってるって表を信じてコメント欄で盛り上がってたのがお前らなんだよ。そこは認めていこう。
あとジニ係数に関しては、俺がよく分かっていないので言及していないだけです。
書かれている数値に嘘はないようです。
どういう意味かというと、書かれていない数値があるということです。
それは「再分配所得ジニ係数」で、2017年の数値は0.3721です。
元増田でも再分配について言及があり、この指摘に対するエクスキューズになっていますが、そこまで言及するのであればこの「再分配所得ジニ係数」の値にも触れておく方が誠実で、どうも恣意的なものを感じ信用できないヤツだなと思いました。
(※追記:よくよく調べたところ、1997年のジニ係数は見つけられなかったものの、比較にガバがありそう。まだガバあんの?マジで?
え、1997年ピンポイントのデータは見つけられなかったけど、ひょっとして1997年の「再分配所得のジニ係数」と2017年の「当初所得のジニ係数」を比べてめっちゃ上がったとか言ってる? だとしたら本当にお前ふざけんなよ)
厚生労働省 図表1-8-9 所得再分配によるジニ係数の改善の推移
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-08-09.html
https://www.cao.go.jp/zei-cho/history/1996-2009/etc/2007/pdf/191120sankou_03.pdf
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677
新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9
自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。
https://www.tnews.jp/entries/17582
もともとフリードマンは「リバタリアン」と呼ばれる、「人間にとって『自由』がもっとも大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても『自由』にすべき」という考え方の持ち主でした。
それを経済政策に適用しようというのが彼の考え方で、ケインズのような考え方の政策を、自由を阻害するものとして批判しました。
彼はその思想に基づき、規制緩和、減税、関税の撤廃など14の提言を行いました。
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しかし、フラット税制志向は、累進課税を弱める考えだ。さらに近視眼的な費用対効果で福祉・公共福祉サービス削減をすると弱いものは救われない。さらに教育や基礎応用研究も破壊する。
さらに一度金融危機が起きると企業が金を貯め込み設備研究投資をしなくなる上に、法人税減税をするから、致命的に貨幣の流通速度が落ちて不景気になる。そして労働者や起きたばかりの起業家なんかは食い物にされる。
https://www.jri.co.jp/column/medium/shimbo/globalism/
国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重 視を特徴とする経済思想。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677
新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。
のように小さな政府、規制緩和や、緊縮財政、市場原理主義の重視が定義として掲げられてるな。
しかし、経済は一度大規模経済危機を迎えると企業が金を貯め込み設備研究投資をしなくなる。この元では低金利や金融緩和をしても企業が資金調達して設備研究投資をしなくなるので金融緩和が意味を成さない。
とすると、財政出動や、資金循環を重視した税制としないと永久に不景気を続ける。さらに、MMTで自国通貨建て国債と外貨借金が別物だと示された。基軸通貨国と、経常黒字国は財政破綻しないから普通に財政出動したら良い。
という、デフレインフレを無視した緊縮財政志向と、資金循環を無視した税制を辞めるのが正しい。更にいうと近視眼的な費用対効果に陥り、教育や基礎応用研究を破壊することと、そのくせアホをおだてて引っ掻き回せばイノベーションが起きると生贄を探す悪趣味な人形遊びを辞めること。
言葉が定義されてないから批判は意味がない?そう思ってるなら勝手に思っとけ。
「新自由主義の特徴は規制緩和、構造改革、税制のフラット化、財政規律、政府の裁量の最小化、費用対効果への還元あたりですな。
「スタグフレーションの原因を政府の肥大化に求めて、政府の関与を小さくする政策が正しい」というもの。」
辞書がほしいのなら
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677
「新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb93d1a82d7bf4b2e2dfdfe97e4df2147f736f10
飛び級で大学生になった物理のスーパー天才学生が、今は物理も何も関係ないトレーラー運転手になっているというお話。
大学時代はバイトは授業の補助でコンビニや居酒屋で一切働いたことはなく、サークルもゆるーいお遊びだけ。
よっぽど電車が大遅延しない限りは授業に毎回出て、ほぼほぼ90点オーバーを叩き出し、大学から表彰もされるぐらいには勉強に打ち込んだ。(肝心の卒論は個人的には中度半端なものだったが…)
そういう生活を送っていた自分にとっては「大学の勉強なんて役に立たないよねぇwww」と言われているようでしんどい。
JTCのおエラい社会人様からの「大学の勉強を頑張るより、社会経験ッ(^^)レッツ飲みにケーション!タバコミュニケーション!」と言われているようにも感じた。
でも、そもそも、「研究に投資できる程なぁ!日本は裕福じゃねぇんだよ!!」というようなメッセージも感じてしまった。
確かに、大多数の人間にとって、大学の勉強を使って、って人はほとんどいない。自分はSEだったので使っているといえば使っているが。
接点Tで有名な予備校講師・荻野先生も「数学は役に立たない。俺が言うんだから間違いない。」ときっぱり言い切っている。
「設計では微積や物理の考え方を使っているが、俺の友達で新宿のビルを設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」
これすごい衝撃だったなぁ…いやそらそういう人もいるよと言われればそうだけどさ。
「あなたが数学をあきらめることによって就職できなくなるこれだけの業種!!」みたいな表がバズったけど、それもぶった切ってるもんなぁ。内容理解してないでソフトにぶち込んでるだけだってよ。
大学の統計の授業で平均、分散、標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelにデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。
荻野先生、「これからは国語の成績が書いてある通知表の左ではなく、あなたの人間性について書かれた通知表の右が重要になる。勉強ではなく仕事という種目で勝負することになる」とも言ってたな。
https://jinjibu.jp/keyword/detl/713/
このG型大学、L型大学の話もきつかったなぁ。実学主義すぎて嫌だった。教授もツイッターで苦言言ってた。
でもさぁ、記事に書いてあるマイケルポーターやら、文学史の研究やらでみんなのおなかすぐ膨れるかというと…膨れないでしょ。
現実として、やっぱ無理でしょ。
やっぱいま日本は目先のお金を稼がないといけない状況なんだろうな。極端に言えば、明日食べる食料がない状況なのかもしれない。そんな中、いつ花咲くかわからないことしてもってなるよな。
「そんな状況だとぉ!?家の家具全部金箔で金ピカにしてるようなバカ金持ちから金ぶんどれよぉ!!国会議員の給料減らして研究費にあてりゃいいだろぉ!!」つまり所得再分配的な考え方になるんだけど、はたして、自分はお金をもらう立場なのか…?待遇が悪いとされている研究者、お金をもらう立場なのか…?実は払う側なんじゃないのか…?というか、もらってもせいぜい数万円…?ってなるのが怖いんよね。
そうなのかな、と思ってぐぐってみたらこんな話が。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8B%E4%BF%82%E6%95%B0
中間所得層に対する税率が、経済協力開発機構(OECD)各国に比べて低すぎること、若年労働層に対する社会保障が、老人に比べると少ないことが明らかにされ、養育に対する財政支援も少ない事で、子育て世帯の貧困率を高めている可能性があることが指摘されている
厚生労働省が調査したところによると、2011年の所得再分配前のジニ係数は0.5536であったが、所得再分配後のジニ係数は0.3791となっている。0.5~0.6は「慢性的暴動が起こりやすいレベル」と言われ、社会騒乱多発の警戒ラインとされる0.4を所得再配分前の状態では上回っているが、税金などによる所得再配分機能により0.3791に抑えられており日本の所得の偏在は一定の秩序を保っているといえる
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGKKZO76055910V20C21A9EA3000/
日頃「弱者を助けよう」「格差をなくせ」「所得再分配強化を」との論調が強く、ネット言論空間の中においては比較的リベラル寄りなはてなぁだが、蓋を開ければ御覧の通り。
ご存じの通り日本の平均年収は436万円、中央値は男性425万円、女性315万円。
年収1000万円以上は人口の4.3%、世帯年収1000万以上は12.1%、である。
にもかかわらず、
に も か か わ ら ず、
「都民の支持を得るなら1500万は欲しいし地方でも1000万は共働きの天井になってしまうには低いと思う。」
だ と ?
世帯年収1000万超は中間層ではありません、上位12%の富裕層です。
年収の中央値から言っても300万~1000万あたりが中間層ではないでしょうか。
「持てる者」として「持たざる者」に富を分け与えて然るべき存在なのです。
結局のところ、はてなぁはイイ人ヅラしたいからリベラルを気取っているだけなのだ。
己の身を削ってでも格差をなくしたいだとか弱者を救いたいだとかは思っていない。
(自分以外の誰かが救ってくれたらいいなあ…”自分より”めぐまれてる誰かが身を挺して救うべきだ!)とぼんやり思っているだけ。
だから富を差し出せと言われた途端、「いや、それはちょっと…」と言い訳をせずにはいられないのだ。
はい。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76055910V20C21A9EA3000/
「立憲民主党は低所得層や中間層の所得税の実質免除などを柱とする次期衆院選向けの経済政策をまとめた。公約として訴える。年収が1千万円程度を下回る世帯について、税法の見直しや現金給付などで免除する。所得再分配の拡大を通じて経済成長を目指す姿勢を打ち出す。」
これを見てどう思う?
立憲民主党によれば年収1000万未満は低所得者に含まれるらしいよ。
児童手当の廃止やホワイトカラーエグゼプションも年収1000万位からだよね。
年収数百万円台の労働者がいくら自分達は低所得者なんかじゃない、ってプライドを持っていても、客観的に見たら所詮こんなものです。
誰もおかしいと思わないのか?
「適正な分配と安心を高めることこそ、何よりの経済対策」枝野代表らが、アベノミクス検証委員会 報告書について会見
https://cdp-japan.jp/news/20210921_2145
枝野氏は「格差の広がりは否定できず『アベノミクス』は明らかに失敗だった。適正な分配により安心を高めることが、いま何より求められる経済政策だ」と述べ、今度の衆議院選挙で、政策の転換を訴えていく考えを示しました。
5. ジニ係数
――ジニ係数の改善、すなわち分配による格差是正がどのくらい進んだか、という国際比較を見ても、欧米と比べ日本は極端に改善率が低い。OECD諸国平均で見ても、4分の3から3分の2程度低いということで、格差是正が全然進んでない。
誰もおかしいと思わないのか?
それまでずっとアベノミクスの効果を施行前後で年度での比較だったところが、
しかし、そこに触れずに海外諸国と比べて”全然進んでいない”と述べるのは印象操作でしかない
全体の格差は2011年0.3791から2018年 0.023と大幅に改善しているからだ。
はてブで過去にホッテントリ入りしたBuzzfeedのエントリーがある。
【検証】アベノミクスで「格差拡大」は本当か? 2017年10月20日
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/kakusakakudai
BuzzFeedが実施している衆院選に関する検証企画で、アベノミクスで本当に格差は拡大したのか調べた。
結論から言うと、格差が拡大したかどうかは「検証不能」だ。切り取る角度によって「格差」の評価は異なり、全てを検証するのに十分なデータがないからだ。
厚生労働省が出した最新の「2014年所得再分配調査報告書」によると、2014年の「再分配所得」のジニ係数は0.3759と、2011年の前回調査(0.3791)よりわずかに下がった。つまり、このデータ上、全体の格差は微減したと言える。
Buzzfeedは、全体の格差が微減したと述べる一方で、若年層の格差は広がったと述べている。
それを以ってアベノミクスは格差が広がったというなら、それはデータとして正しい。
こういう内容なら支持できる。
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ
それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者の医療費の自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者の所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面で年収とか資力の制限をつけると、制度や運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。
根本から考えてみると、政府がもつ重要な機能のひとつとして、租税制度と社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障や行政サービスとして)配ることで、格差を是正して、社会的な公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?
そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入のレベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたかを定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。
再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。
「所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。