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はてなキーワード: 文学史とは

2024-02-27

ホビットの冒険不思議の国のアリスも、もともとはある子供に聞かせるためだけにつくられたものなんだよな。

ホビットの冒険は続編として、指輪物語という20世紀最高の文学とも評される作品を生み出し、

不思議の国のアリスも言うまでもなく英国代表する文学ひとつだ。

このふたつの世界的に有名な文学作品が、

どちらもある子供たちに聞かせるためだけに、

つくられたものでありながら

その後、世に出てどちらも文学史にその名を刻みことになり、

それがどちらも英国作品であるというのは少し不思議

2024-01-04

[]2023年後半に読んだ本

7月

読書11冊、ただし一部拾い読み)

山室信一キメラ 満州国肖像 増補版」★★

鈴木貞美満洲国 交錯するナショナリズム」★

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」

渡邊大門宇喜多秀家と豊臣政権

福田千鶴「江の生涯 徳川将軍家台所役割

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」

諏訪勝則黒田官兵衛 「天下を狙った軍師」の実像

坂野徳隆「風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾

地球の歩き方 E03 イスタンブールトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」

「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」

宮下遼物語 イスタンブール歴史-「世界帝都」の1600年』★★★

漫画

田中圭一うつヌケ」

ヤマザキマリとり・みきプリニウス12

美術

今月はなし。旅行の準備で忙しかった。

先月たくさん行ったしこれでOK

満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。

8月

読書(14冊)

小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄衰亡の600年史」★★★

釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」からちょうちょう」へ、音声史の旅』

今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアン時代まで」★★

Jam「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」

維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」 

北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は戯れない」

Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」

田澤 耕「物語 カタルーニャ歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★

今井むつみ秋田喜美「言語本質: ことばはどう生まれ進化たか

安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」

杉本智俊「【図説】旧約聖書考古学

杉本智俊「【図説】新約聖書考古学

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」

美術

「デイヴィッド・ホックニー展」

イスタンブールバルセロナ旅行

旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。

言語学の本を少し含んでいる。

なお、イスタンブールドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行テーマ絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかたからだ。

9月

読書17冊+α)

長谷川修一「聖書考古学 遺跡が語る史実

福田 千鶴御家騒動大名家を揺るがした権力闘争

北國ばらっど「岸辺露伴は倒れない 短編小説集」

エマヘップバーン「心の容量が増えるメンタルの取扱説明書

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫10巻 上」

柞刈湯葉人間たちの話」★★

柴田勝家アメリカンブッダ

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★

柴田勝家走馬灯セトリは考えておいて」

下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代

柞刈湯葉「まず牛を球とします。」

飯村周平『HSP心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』

きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。

堀晃 他「Genesis されど星は流れる元日SFアンソロジー

小川楽喜「標本作家」★

ブアレム・サンサル「2084 世界の終わり」

小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日SFアンソロジー

人間六度スター・シェイカー」

漫画

荒木飛呂彦岸辺露伴 ルーヴルへ行く」

美術

トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコ日本をつなぐ」

柞刈湯葉柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉表題作普段クールというか知的アイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家Vtuber文化と死後のアーカイブ肯定的表現していたのが大変面白い

ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。

10

読書11冊)

十三不塔「ヴィンダウス・エンジン

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ

塩崎ツトム「ダイダロス

柴田勝家「ヒト夜の永い夢」

フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァヘラス」

オラフ・ステープルドンスターメイカー」★★

宮澤伊織 他「Genesis この光が落ちないように」

高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」

奥本大三郎ランボーはなぜ詩を棄てたのか」★

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」

トーマス・S・マラニー「チャイニーズタイプライター 漢字技術近代史」★★

SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞作品は読んでいるそのとき面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。

逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。

タイプライター歴史面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。

他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。

美術

「第75回正倉院展」於・奈良国立博物館

11

読書(9冊)

池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後火星人

成美堂出版編集部いちばんわかりやす家事のきほん大事典」

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」★

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初タイムマシン

森万佑子「韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで」★★

紀田順一郎日本語大博物館悪魔文字と闘った人々」★★★

木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計実証研究は何を語るか」☆

エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明崩壊」☆

美術

特別展やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」。

永遠の都ローマ展」。

冊数が少ないのは池澤夏樹日本文学全集がぶ厚かったためだ。

日本語の活字についてや、日本植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。

12

読書(14冊)

ジョン・ウィルズ「1688年 バロック世界史像」

伊高浩昭 「チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命ボリビア

後藤謙次10代に語る平成史」

麻田雅文シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争

楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍学校の知られざる戦い」☆

塚本康浩「ダチョウはアホだが役に立つ」

重松伸司「海のアルメニア商人 アジア離散交易歴史

小倉孝保中世ラテン語辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★

澤宮優、平野恵理子「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」☆

カムラクニオ「こじらせ美術館」★

宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★

泉健太郎「ウンチ化石学入門」

土屋健「こっそり楽しむうんこ化石世界

木村泰司「人騒がせな名画たち」

美術

なし

読んだのは全体的に近現代史が多い。

第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い歴史技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいくそこまで行っていない。

ダチョウの本は父親に薦められた。

12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ

来年から方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。

まとめ

一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代江戸時代などを扱った新書が多い。外国歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールバルセロナ歴史を扱った本が印象深い。

SF新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生岩波新潮古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。

人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。

詩集は少ない。「智恵子抄」くらい。

ここ最近美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。

以上。

面倒なので来年も書くかはわからない。


2022年に読んだ本

[読書]2023年前半に読んだ本

2023-08-02

anond:20230802082122

マッドマックスシェイクスピア劇のような人の高潔さを描いた作品ですが、特にフューリーロードには下品なシーンはありませんし、正直に申し上げますと、それを下品と断ずる増田様の教養が足りないのだと思われます

増田様の挙げられた作品ヒューマニズムというものを題材としております

これらは米国アカデミー賞、あるいは英国の作劇アカデミズムにおいて重要視される要素であります

俳優の表面的な美しさだけではなく、汚辱や辱めを受けながらも立ち上がる姿を見せる姿勢特に彼らの持つ作劇史、文学史において重要とされているのです。ご納得いただけましたか

2023-01-29

古典教育の話で枕草子源氏物語徒然草くらいしか出てこない問題

俺は古典教育廃止しろ派、というか、文法とかどうでもいいか文学史だけやれ派なんだけど、その理由ひとつに、「古典」つって出てくんのが結局枕草子源氏物語徒然草程度じゃん!っていうのがある

高校3年古典やんなくたって知ってんだよ徒然草くらいよ

なんなら小学5年〜中1くらいでやるだろその辺って

谷川俊太郎の詩とかと一緒にさあ!

それで暗唱させられたから覚えてるだけなんだ

水鏡とか大鏡とか、伊勢物語とか落窪とか、なんかいろいろあったろ?俺は覚えてねえけどさあ

日常的に軍記物語の語り口調でギャグ飛ばしてみんながウケるとか、しょっちゅう百人一首あたりを引用して喋るのが一般的とか、そういうレベルでみなさんが教養を持ってんだったら、俺だって文句は言いません

でも何すか、スーパー惣菜売り場に「春は揚げ物」って書いてある、これが"古典教育"だ!ですって?

違うだろ!!!!!!!!

"「春はあけぼの」の元ネタがわかる"程度だったら、小学生のときに、授業1時間受けるだけで、充分たどり着けるんだよ

中高6年間、国語現代文古典に分割して、もう誰も使うことのない、クソみたいな古典文法を学び、ゴミみたいな内容の、後世に残す価値があったとは到底思えない、チンカス恋愛小説解釈を大真面目にやる意味があるのか?

っていう話だろ

これ、実は明確な答えがあって、ないんです

意味はないんだ 絶対ない

なんせ何も覚えてねえ

昔、男ありけり ソーワット、ファックユー!

まあ実際、(ごく一部を除いて)つまんねえ上に教訓もないクソ説話小説を6年にわたって読まされることで、ああ俺たちの先祖ってカスだったんだ、貴族階級のが書いて、かつ後世に残そうとされた、日本古典文学の上澄みがこのレベルだったんだ、貧しい文化の国だったんだなあ!と思えるというのは、ひとつの学びだったかもね

マジで、世に出せるレベルって源氏物語くらいだろ

他の文学作品が世界で読まれてるって聞いたことねえもん

ここで10 Japanese Classic Booksなるまとめをチェック!

1 源氏物語  これは想定してた 1ポイント

2 たけくらべ はい樋口一葉きた!もう古典じゃねえぞ!

3 金閣寺 オイオイ、マジで源氏だけかあ?

4 竹取物語 ングアー!やられた!!でも竹取物語って古典やんなくても知ってるだろ 古典教育必要性って意味では、これはノーカウントじゃないか?? でもまあ、1ポイント

5 今昔物語集 アー…… OK 1ポイント

6 吾輩は猫である オラ!!近代きたぞ!!!

7 砂の女 そういえばこれ読んどきたい

8 細雪 やっぱこの辺の時代っすよねえ!

9 雪国 ほら〜

10 こころ よし!!!

見てくださいよこれ "クラシック"なんて頭につけても、ガチ古典vs近代文学で3:7ですよ

雑魚すぎんだって古典 しか竹取物語はなんか、史料っぽい雰囲気から

アレある程度授業でやったけど、覚えてんのは「うつくしうてゐたり」の一文だけだ 美しく座っていた、という表現ちょっと英語っぽくてかっこいいな、という浅い印象だけ あと不死の薬を焼いたか富士山です(笑)みたいなオチがすげー鼻についた

やっぱ本質的に劣ってんだよジャパニーズ古典

枕草子源氏物語徒然草竹取物語今昔物語くらいをサラッとさらって、文法は一切触れず、こんな感じだったんですよ〜でお終いだ

原典の響きがどうこうって意味では、昔のハ行はパ行だったとかいうし、やるだけ無駄ってもんだろ

ぜえ〜ったい今の古典教育はクソだ

枕草子を引き合いに出してしまう、というか、枕草子しか引き合いに出せない時点で負けてるんだ

もっと高校でやった感のある例をバンバン出せよ

俺はマジで出せません 嫌いだったか

あん歴史恥部みたいな文読まされても古代日本への侮蔑が強まるだけだし、実質GHQ敗戦教育だろ……

2022-11-30

anond:20221130002135

そもそも批評というのが作品を通じて社会文学史なんかを語る二次創作的なものから

読書感想文批評をするのが正解なのよ レビューをすると評価されないし、ましてやただの感想文を書いたらアウト

2022-11-21

山月記現代

山月記

頭脳明晰大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」

と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761流行ってるみたいだけど

全然違うでしょう


頭脳明晰大企業勤めをしてた」

大企業努めではなくてエリート官僚だよ

しか所詮は保身しか考えない閣僚政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ


「いきなり作家になると言って仕事をやめた」

これは違う、文学史に名を残したかったんだ

「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、

政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと

今の時代詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない

作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない



「一作も書き上げられず」

これは全然違って、例えるなれば「芥川賞ノミネートされたけど受賞を逃した」くらい

それどころか三島由紀夫賞にも引っかからなかった

いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと


失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが」

ここが一番ダメ

流れとしては作家を諦めて一度公務員に戻ってるんだよ

ところが前は国家エリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ

その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ

その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う

歴史に名を残すだけの能力自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家俗物批判し、エリート官僚政治家犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ

で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった

一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった

そんな話なんだよ

簡潔にまとめるなら、

エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激言動ヤバイ人として有名になってしまった」

あたりかな

2022-09-16

やっぱ日本って余裕ないんかな…

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb93d1a82d7bf4b2e2dfdfe97e4df2147f736f10

飛び級大学生になった物理スーパー天才学生が、今は物理も何も関係ないトレーラー運転手になっているというお話


つらい。いか日本研究をないがしろにしているかがわかる。

情報学部だった自分

大学時代バイトは授業の補助でコンビニ居酒屋で一切働いたことはなく、サークルもゆるーいお遊びだけ。

よっぽど電車が大遅延しない限りは授業に毎回出て、ほぼほぼ90点オーバーを叩き出し、大学から表彰もされるぐらいには勉強に打ち込んだ。(肝心の卒論個人的には中度半端なものだったが…)

そういう生活を送っていた自分にとっては「大学勉強なんて役に立たないよねぇwww」と言われているようでしんどい

JTCのおエラい社会人からの「大学勉強を頑張るより、社会経験ッ(^^)レッツ飲みにケーション!タバコミュニケーション!」と言われているようにも感じた。


でも、そもそも、「研究投資できる程なぁ!日本は裕福じゃねぇんだよ!!」というようなメッセージも感じてしまった。

かに、大多数の人間にとって、大学勉強を使って、って人はほとんどいない。自分はSEだったので使っているといえば使っているが。


接点Tで有名な予備校講師荻野先生も「数学は役に立たない。俺が言うんだから間違いない。」ときっぱり言い切っている。


設計では微積物理の考え方を使っているが、俺の友達新宿ビル設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」


これすごい衝撃だったなぁ…いやそらそういう人もいるよと言われればそうだけどさ。

あなた数学あきらめることによって就職できなくなるこれだけの業種!!」みたいな表がバズったけど、それもぶった切ってるもんなぁ。内容理解してないでソフトにぶち込んでるだけだってよ。

大学統計の授業で平均、分散標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。


荻野先生、「これから国語の成績が書いてある通知表の左ではなく、あなた人間性について書かれた通知表の右が重要になる。勉強ではなく仕事という種目で勝負することになる」とも言ってたな。


https://jinjibu.jp/keyword/detl/713/

このG型大学L型大学の話もきつかったなぁ。実学主義すぎて嫌だった。教授ツイッターで苦言言ってた。

でもさぁ、記事に書いてあるマイケルポーターやら、文学史研究やらでみんなのおなかすぐ膨れるかというと…膨れないでしょ。

現実として、やっぱ無理でしょ。


やっぱいま日本は目先のお金を稼がないといけない状況なんだろうな。極端に言えば、明日食べる食料がない状況なのかもしれない。そんな中、いつ花咲くかわからないことしてもってなるよな。

「そんな状況だとぉ!?家の家具全部金箔で金ピカにしてるようなバカ金持ちから金ぶんどれよぉ!!国会議員給料減らして研究費にあてりゃいいだろぉ!!」つまり所得再分配的な考え方になるんだけど、はたして、自分お金をもらう立場なのか…?待遇が悪いとされている研究者、お金をもらう立場なのか…?実は払う側なんじゃないのか…?というか、もらってもせいぜい数万円…?ってなるのが怖いんよね。

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2021-05-02

から夏への扉』はロリコンじゃないって言ってるだろ!

論拠1 『夏への扉』は名作だから

名作がロリコンなはずがあるか?

夏への扉』はSF文学史に名を残す名作だ。

なんかこうタイムマシンが出てきたりして、タイムスリップして恋愛要素があったりしてヒロイン複数いて、こうシュタゲみたいな?

とにかく名作なんだよ。

名作だからロリコンなはずがないんだ。

論拠2 ヒロインは実質21歳

いか

主人公リッキーに「21歳の姿で待っていろ」と伝えたんだ。

ロリコンだったら「12歳の姿で待っていろ」っていうはずだろ?

約束したとき相手が9歳だったからってなんだ。

まあ9歳児に対して恋愛感情を抱く時点でもう人間としてヤバイんだが……。

いやだが待ってくれ、肉体目当てじゃないんだ。

ロリコンってのは肉体目当てだろ?

肉体目当てじゃないってことはロリコンじゃないんだ

論拠3 他にヒロインがいないか

夏への扉に出てくる女性キャラが少なすぎるんだ。

まずメインヒロインぽかった大人の姉ちゃんは色々あって寝取られるし、ソイツを許す度量は主人公にはない。

そんで途中でできた未来人妻だが……恩人の人妻を寝取ったらいよいよこの作品が単なるNTRマニア向けのポルノなっちまう

もしも家政婦ロボットメイドロボだったら、これはもう間違いなくメイドロボと結婚だ。

これが出来たら話がスムーズだったんだがなあ……。

マルチエンディングならぬマルチENDってか……はは……ときメモはともかく東鳩なんてもう皆覚えてねーか……斜め2ミリふんふふふふーーん

論拠4 サイエンスフィクションであってポルノノベルじゃないんだ

まりだ。

夏への扉』はエロゲだとかギャルゲーだとかじゃなくて、サイエンスフィクションなんだ。

そうなると作品テーマサイエンス的な想像力であって、スケベな好奇心を満たすことじゃないんだよ。

年端も行かぬ幼女の肉体や感情の揺れ動きなんてのはこの作品においてはオマケなんだ。

ぶっちゃけ最後に出てきたヒロインなんて単に主人公勝利したこと演出するためのトロフィーだ。

トロフィーワイフなんだ。

そしてそこに真実の愛を演出するために12年+コールドスリープという縛りを設けたんだな。

まったくもって……クソだな……。

主人公勝利エンドのために子供から恋愛をする権利を取りあげるなんて。

正直、主人公ロリコンで12歳の姿でコールドスリープしてろといって未来世界ロリ婚するのとどっちがマシか分かりっこねえわ。

なんだこれ……駄作だわ。

反論1 『夏への扉』は名作なのか

そもそも俺が『夏への扉』の肩を持ったのはSF界の名作だからだ。

名作がロリコンじゃあSFクラスタであることで他の文学クラスタマウント取ってる身としては都合が悪いんでな。

でも、今さっき気づいたんだが、『夏への扉』って別に名作じゃないんじゃねえか?

シュタゲみたいだって話をしたが、そんな作品腐るほどあるし、そもそもそれって『タイムマシン』のパチモンの域を出てねえってことじゃねえか。

それこそ家政婦ロボがメイドロボだったりしたら、カルチャー界におけるちょっとした発明だと言えただろうが、結局コイツは単にタイムマシンで行って帰ってきただけ。

未来世界では車を作っては壊して増田の、金が安くなりましたよだの、大した想像力の働かせ方もしてねえ。

それこそ時をかける少女レベルマクガフィン的なタイムトラベルしかねえわけだ。

これ、名作か?

2021-04-08

あえぎ声を書くバイト

大学時代、ひたすらあえぎ声を書くバイトをしていたことがある。

先輩から紹介してもらった、エロゲメーカーバイトだ。

その会社エロゲストーリーに力を入れていて、所属するライター自分文章プライドを持っている人ばかりだった。

彼らからすると、Hシーンのあえぎ声を書くなどというのは苦痛しかなく、学生バイトにでも任せておけということになったらしい。

仕事がどういう感じだったかというと、

1. まず、「チャックを開けた」とか「腰を動かすスピードが速くなっていく」といったHシーンの「ト書き」部分だけを渡される。

2. ここに私が「んっ……」とか「あんあんっ」といったあえぎ声をてきとうな塩梅で足していく。

3. シナリオライターのチェックを受けて終了。

という流れだった。

簡単に思えるかもしれないが、これが意外に難しい。

まず、Hシーンにはある程度の長さがあるので、その範囲内で的確に盛り上げていく必要がある。

使う音に緩急をもたせ、飽きさせず、かつ少しずつボルテージを高めていかなければならない。

さらに、テキストの長さを調整することも重要だ。

短すぎると気持ちいい感じが伝わらないのだが、かといって長すぎるとボイスが冗長になる。

このように、エロ俯瞰的に捉えるバランス感覚と、計画的なペース配分が求められているのだ。

思うままにキーボードを叩いていればいいなどという仕事では決してなかった。

最初仕事は「妹もの」だったが、2回目のHシーンという設定で、「あ」の音の配分に苦労した。

はじめから「あああああ」など言ってると手慣れた淫乱みたいだし、かといって「あん」ではエロさが足りない。

苦労の末に完成させたものの、ライターには「もっと速く上げられない?」と言われる始末。

どうしたものか……と、前任者が残したパソコンキーボード「A」だけ妙にテカテカしている)の前で悩んでいると、あるファイル存在に気づいた。

「あえぎエディタ.xls」と題されたエクセルファイルは、前任者が残したあえぎ声専用のマクロであった。

縦に並んだセルセリフを一つずつ入力していくと、各セリフに含まれ母音・子音等の音声的要素が自動で数値化される。

さらに、その数値を足し引き計算することで、「絶頂度」と呼ばれる値が算出される仕組みになっていた。

この「絶頂度」がミソで、この値がシーンの最初から最後に向かって少しずつ上昇していくように文章を組み上げていくと、理想的なあえぎ声が出来上がるのである

かくのごとき驚くべき神エクセルを、前任者は独力で作り上げたようだった。

そして、秘密ツールとして上司には隠しつつ、後任である私にこうしてこっそり教えてくれようとしたのだろう。

このツールのおかげで、私の仕事はずいぶん楽になり、安定したクオリティであえぎ声を出し続けられるようになった。

そうして仕事をしているあるとき、私はあることに気づいた。

あえぎ声を入力するセルには、理論上どんな文章も入れることができる。

まり、あえぎ声以外のテキストでも、その「絶頂度」を算出できるのだ。

そこで私は、試みに文学史上の名作の「絶頂度」を出してみた。

たとえば、「私はその人を常に先生と呼んでいた。」は12、「親譲りの無鉄砲小供の時から損ばかりしている。」は30という具合だ。

予想もしていなかったことだが、こうして調べていくと、傑作の多くは私の仕事と同じ原則で書かれていることがわかった。

まり最後に向かうほど「絶頂度」が高まっていくのである

とくに顕著なのは芥川で、「下人の行方は、誰も知らない。」など絶頂度367だ。

薬漬けになった人妻が白目を剥いて失神するシーンでもせいぜい330程度なので、どれほど驚異的な数字かお分かりいただけるだろう。

絶頂度」はあらゆる文章通用する普遍的法則だったのである

この事実に気づいた私は、それからあらゆる文章をあえぎ声だと思って書くようにしてきた。

そして、人生のあらゆる場面で成功をおさめてきた。

就活エントリーシートでも、重要なのは絶頂度」の配分である

たとえば学歴欄でも、「絶頂度」の高い名前大学中退し、最終学歴とすることで、ずいぶん見え方が変わってくるようだ。

大学名によっても異なるが、概して「卒業」よりも「中退」のほうが絶頂度は高くなる。)

さて、お気づきの方もいるかもしれないが、この文章もここまで少しずつ絶頂度を高めるように書いてきた。

↑この一文の絶頂度は290だ。

かなり高まってきているので、この辺りで文章を終わりにしたい。

んほぉぉぉぉ! あああぁぁん!!

2021-02-18

ごんぎつねお話から得られる教訓は?」みたいなのを見るたびに、教訓主義という言葉を思い出す。

不思議の国のアリスwikipediaページには以下のような記述がある。

イギリス児童文学支配していた教訓主義から児童書解放した

はいっても教訓主義の内容もいまいちよくわからないんだよな。

イギリス文学史の流れを調べなければこの言葉が真に意味するニュアンスがつかめないような気がしている。

興味あるから調べたいが、文学史全然知識いからどこから調べればいいやら。

2020-05-21

anond:20200521165956

文学史家は現代について書くことを躊躇するという。

流通している作品を正しく評価するのは難しいからだ。

故に、傑作か駄作か、その判定を下すのは時間である

長い長い年月に晒されてから作品評価は定まる(若しくは定まったように見える)。

現時点では、売れているから下らない、売れていないから下らない、と判断することは出来ない。

作品に対する批評分析の類いも当てにはならない。

「何故この下らない作品を当時の大衆は素晴らしいと思ったのか」という問いを現時点でするのは無意味ではないだろうか。

2020-03-23

2019年に読んだ本

『おあむ物語・おきく物語』(天保8年(1837))

家近良樹『歴史知る楽しみ』(ちくまプリマー新書2018年12月)

石川太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)

磯田道史監修『江戸家計簿』(宝島社新書2017年)

磯田道史他『戦乱と民衆』(講談社現代新書2018年8月)

伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版2018年12月)

今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ2014年)

岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館2018年11月)

大塚英志日本バカから戦争に負けた 角川書店教養運命』(星海社新書2017年)

小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版2016年)

金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)

上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本近代』(NHK出版1978年)

神谷大介『幕末海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館2018年1月)

神谷大介『幕末軍事技術の基盤形成――砲術海軍地域』(岩田書院、2013年)

神作研一近世和歌史の研究』(角川学芸出版2013年)

香内信子編『資料母性保護論争』(ドメス出版1984年)

呉座勇一『陰謀日本中世史』(角川新書2018年3月)

佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)

サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店2013年)

篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房2005年)

中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書2018年8月)

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)

中島岳志保守大東亜戦争』(集英社新書2018年7月)

中野節子『女はいからやさしくなくなったか』(平凡社新書2014年)

中屋敷均『科学非科学』(講談社現代新書2019年2月)

長山靖生帝国化する日本――明治教育スキャンダル』(ちくま新書2018年9月)

文芸春秋編『日本史の新常識』(文春新書2018年11月)

本郷和人『戦いの日本史 武士時代を読み直す』(角川学芸出版2012年)

松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)

宮地正人日本リブレット人68 土方歳三榎本武揚 幕臣たちの戊辰函館戦争』(山川出版社2018年8月)

森正人鈴木元編『文学史古今和歌集』(和泉書院2007年)

山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌからすとうずらペンと 山川菊栄山川写真集』(同時代社、2016年)

山本博文編『織田信長古文書』(柏書房2016年)

山本ルンルンサーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス2019年)

吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物社会史』(ぺりかん社2012年)

和田裕弘織田信忠――天下人嫡男』(中公新書2019年8月)

渡部周子〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女規範形成』(新泉社2007年)

渡邊大門関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書2019年9月)

渡辺尚志『江戸明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社2017年)

渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書2009年)

★再読★

鬼頭宏『日本歴史19 文明としての江戸システム』(講談社2002年)

ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)

中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書2016年)

山川菊栄武家女性』(岩波文庫1983年)

山川菊栄著・鈴木裕子編『山川菊栄評論集』(岩波文庫1990年)

和田英『富岡日記』(筑摩書房2014年)

2019年に読んだ本

『おあむ物語・おきく物語』(天保8年(1837))

家近良樹『歴史知る楽しみ』(ちくまプリマー新書2018年12月)

石川太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)

磯田道史監修『江戸家計簿』(宝島社新書2017年)

磯田道史他『戦乱と民衆』(講談社現代新書2018年8月)

伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版2018年12月)

今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ2014年)

岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館2018年11月)

大塚英志日本バカから戦争に負けた 角川書店教養運命』(星海社新書2017年)

小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版2016年)

金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)

上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本近代』(NHK出版1978年)

神谷大介『幕末海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館2018年1月)

神谷大介『幕末軍事技術の基盤形成――砲術海軍地域』(岩田書院、2013年)

神作研一近世和歌史の研究』(角川学芸出版2013年)

香内信子編『資料母性保護論争』(ドメス出版1984年)

呉座勇一『陰謀日本中世史』(角川新書2018年3月)

佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)

サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店2013年)

篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房2005年)

中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書2018年8月)

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)

中島岳志保守大東亜戦争』(集英社新書2018年7月)

中野節子『女はいからやさしくなくなったか』(平凡社新書2014年)

中屋敷均『科学非科学』(講談社現代新書2019年2月)

長山靖生帝国化する日本――明治教育スキャンダル』(ちくま新書2018年9月)

文芸春秋編『日本史の新常識』(文春新書2018年11月)

本郷和人『戦いの日本史 武士時代を読み直す』(角川学芸出版2012年)

松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)

宮地正人日本リブレット人68 土方歳三榎本武揚 幕臣たちの戊辰函館戦争』(山川出版社2018年8月)

森正人鈴木元編『文学史古今和歌集』(和泉書院2007年)

山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌからすとうずらペンと 山川菊栄山川写真集』(同時代社、2016年)

山本博文編『織田信長古文書』(柏書房2016年)

山本ルンルンサーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス2019年)

吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物社会史』(ぺりかん社2012年)

和田裕弘織田信忠――天下人嫡男』(中公新書2019年8月)

渡部周子〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女規範形成』(新泉社2007年)

渡邊大門関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書2019年9月)

渡辺尚志『江戸明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社2017年)

渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書2009年)

★再読★

鬼頭宏『日本歴史19 文明としての江戸システム』(講談社2002年)

ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)

中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書2016年)

山川菊栄武家女性』(岩波文庫1983年)

山川菊栄著・鈴木裕子編『山川菊栄評論集』(岩波文庫1990年)

和田英『富岡日記』(筑摩書房2014年)

2020-01-25

2020年 渋幕中一次 入試分析

入試結果分析

受験2058人に対し、合格者は630人(倍率3.3倍)。そのうち、女子は166人と、かなりの狭き門。昨年(倍率2.7倍)よりも合格者を121人減らしている(女子は29人減)。受験者数が過去5年で最高、合格者数は最低である。控えめに表現しても、渋幕史上、最も難しかった入試と言える。

合格者が大きく減っている主要因は、第一志望で渋幕を目指す受験生が多かったから、ということになる。出願時のアンケートでも、志望順位入力する欄があったと思うが、全員が正直に入力するとは考えにくい。心象を良くしたいために嘘でも第一志望にしたり、特待合格を狙ってわざと第二志望にする、ということも考えられなくはない(渋幕に限っては志望順位が合否に関連することはまずないが)。となると、大手塾との事前の密なコミュニケーションや、近年の第一志望者の増加傾向(入学金の延納者が減っている)を見て、自信を持って合格者数を絞ったと考えられよう。

合格ライン204点に到達した受験者は全体の30.6%で、正規分布だと仮定すれば、偏差値は55.2に相当するので、σは35.0の計算となる。直近の学校別SO渋幕はσが 28.6だが、SOとは違い、入試では筑駒志望者やチャレンジ組も受験するので、当然ながらバラツキが大きいという結果だ。

上位1.4%の特待合格は、偏差値72に相当するので、特待合格ラインは262点付近計算されてしまうが、最高得点が266点であるので、さすがにそこまでは高くないだろう。きれいな正規分布には収束しないだけで、実際の特待は掲示板等の情報もふまえると255点前後であると予想する。

過去5年間の合格ラインの平均は 177.6点(受験者平均の5年平均は166.7点)。受験直後は、例年より易化しているという感想が目立った。結果として受験者平均は185.8点だったので、例年よりも20点ほど上昇していたことになる。同じように考えると、合格ラインも197〜198点付近のはずであるが、今年は204点。昨年よりも合格者を121人絞っているが、その121人が6〜7点の間にひしめいていたはずである算数でいえば、わずか1問の差なのだ

科目別簡易分析

国語

昨年比若干易化している程度で、ほぼ例年通り難易度となった。受験者平均と合格者平均の差は、若干縮まり7.2点。

物語文は、三島由紀夫『豊穣の海』。渋幕得意の長文選択肢は鳴りを潜める。最後三島作品を選ばせる問題は、小学生にとっては、なかなかの難易度である入試説明会で、今年は文学史の話がなかったので見送りかと思われたが、つまりそういうことである(例年の最終問題である文学史的な形式だが、一人の作者の作品なので”史”とまでは言い切れなかった、と)。

算数

今年も合否を分けたのは算数。内容は昨年比で易化しているが、受験者平均と合格者平均の差は 16.3点。全体として取り組みやす問題セットであったが、得点差が出やすい大問が多くあった。

女子受験できる学校では、渋幕クラス算数問題が出題される学校がなく、対策には相当苦戦すると思われる。男子は、筑駒開成レベル問題に馴染んでいれば、決して難しくはない。

塾の先生が言うには、今年の大問4平面図形(3)は、渋幕史上、最高の難易度だとか。筑駒では似た問題が出ているらしいが、こういう問題にハマると厄介である。頻出の「場合の数」や「速さ」が出なかったのは、全くの予想外であった。

理科

例年よりも易化したが、受験者平均と合格者平均の差は8.2点で、国語よりも差がつきやすい。渋幕得意のリード文が長い構成に、過去問のやりこみが甘いと最後まで解ききれなかった可能性は高い。大問2に対数グラフが出現するのは驚いてしまうが、渋幕問題に慣れていれば、それほど意外なことでもない。大問としては、物理生物地学のセットで、今年は化学が外れた。すべての大問に共通で、知識の詰め込みではなく、いかにその場でリード文を読みこなせるかが勝負だ。

社会

昨年比ではやや難化したが、受験者平均と合格者平均の差は4.3点と縮まっている。大問1でインバウンド人口減少を軸にした時事問題セットは、小学生から見れば深く正確な知識要求されるが、大人であれば難しくない、という絶妙難易度設定。一つの大きなテーマを、時代背景、社会背景から切り取り、総合的な問題に仕上げてくる作問者の力量は引き続き高い。ただし、記述問題で妙な条件付き(〜に関連することは除きます、など)であったのは、混乱を招きがちになり、思考問題課題のようにも感じる。

数字上は算数理科高得点を取れた受験生が逃げ切ることができたと考えられる。最高得点は266点と決して高くはないので、どの科目でも満遍なく高得点いかに難しいかがわかる。

FAQ

渋幕推しというわけでもないが、掲示板等にある理解に苦しむ噂や解釈風評被害とも言えるので、反論も含めて感じたことを記しておく。

Q. なぜ千葉田舎学校なのに偏差値が高いのか?

A. 都内の優秀層が通いづらい場所であることは確かであるが、敷地が広く、伸び伸びとした環境都内にはないメリットが溢れている。都心部にあるグラウンドもない学校と比べれば一目瞭然。海外の一流校では敷地の広さはベンチマークされているので、渋幕は海外基準を満たしているともいえる。千葉居住の生徒が減り、東京居住の生徒が増えているのは、データが語る絶対的な傾向である。間違いなく、東京の優秀層を惹きつける魅力がある。

Q. 東大合格者は頭打ち御三家と比べると進学実績は物足りないのでは?

A. そもそも東大を目指していないので、その尺度では測れない。「東大よりハーバード」を志向した日本最初学校である。渋幕の魅力は、生徒がみんな東大を目指すわけでもない、多様性だ。海外大学進学はもちろん、芸大進学や、高卒で著名劇団就職など、国内の一流進学校では考えられない進路を選択する生徒が一定数いる。やりたいことが見つからず、とりあえず東大を目指す、というわけではなく、高校卒業時点で明確に目標を定め実践しているのだ。

2019-10-20

anond:20191020031356

それは文学史において意味をなさないよ

そもそもライトノベルというジャンル自体がそれまで複数ジャンルへまたがるものだった

例えばこのあたりの話題で出されるのはタカシトシ先生1996年に発行された「魔法使いが落ちてきた夏」が良い例とされる

この作品児童文学ジャンルで発行されているんだけど、あらすじは以下の通り

ままさんが買ってきてくれたポストカードには黒いローブを着た白い肌、すきとおった黒い瞳もつ中性的魔法使いが描かれていた。その魔法使い主人公カナは一目で惚れた。

その夜、カナは夢を見る―今にも石版に飲み込まれそうな魔法使いを助ける夢・・・

両親は出かけてしまい、一人でお留守番中のカナの耳に聴こえてきた破壊音。リビングを確かめてみるとそこには小さくなった夢の魔法使い屋根を壊し落ちてきたところだった!!どうやら敵に追われているらしい。

大魔術士(グランメイジ)とカナの大都会で起こる戦いが始まった。

「大魔術士(グランメイジ)」という表現とか、あらすじには出てこないけど登場人物名前として「阿修羅」が出てきたりとか、今で言うライトノベルをやってる

ググって貰えればわかるけど表紙はまさに児童文学然としていて現代で言うライトノベルだとは全く気付けない装丁

話し作りの新古を示すのに装丁はもともと全く意味をなさないんだよ

2019-01-06

anond:20190106020850

学問って概ね論理系科目だよなぁ。

感覚系科目って文学系とか芸術系とかくらいしかなさそう。文学史とか芸術史とかになると論理系の素養必要になってくるし。

興味関心意欲による分類なのかも

2018-11-06

男性差別主義者フェミニストは同じ方向を向いている?

まず、以下の記事を見てほしい。

https://togetter.com/li/1058347

タイトルは「男性にとって恋愛結婚は、危険で割に合わない。でも、女と社会は、男性叩きだけ。こりゃ草食は続くしかない」。

面白いのは、【反男性差別を掲げ、恐らくはフェミニズムなど「今の女尊男卑社会」の悪しき慣習として唾棄するであろう彼の主張が、

その実、フェミニズムと非常に親和性の高いものである】ことだ。

記事ではこの問題について、具体的な引用を交えながら考えてみることとしたい。

なお、このまとめで述べられている意見が、dsa0【男性差別が溢れてる2】 @dsa0自身のものなのか、あるいは別記事から引用なのか、判断が付かなかった。

このまとめ自体ツイートを集めたものだが、ツイートの内容はどこかから引用にも見えたからだ。

しかし、当記事では、これを統一して<彼>の意見と呼ばせてもらう。

便宜上意味もあるが、これらの言葉が彼自身のものであるしろ違うにしろ、今の社会で苦しむどこかの<彼>の主張ではあるのだろう、と考えたからだ。

では、内容に入りたい。

「男のチキン化」「ホモみたいな男」は「男性差別的な価値観」か?

男のチキン

最近ホモみたいな男多すぎなんだよ。

命かけることができないわけ。

恐らくどこかの記事(元記事URL失効のため参照不可)から引用したものであろうこの文言に対して、<彼>は以下のようにコメントしている。

恋愛離れ語るのに、【恋愛離れの原因になってる男性差別的な価値観】で考察してるアホ多すぎ。←これじゃ、恋愛離れなくなるわけないわ

<彼>は、「チキン化」した男性を「ホモみたいな男」と非難する価値観を、「男性差別的な価値観」と呼んでいる。

しかし、【「男はかくあるべき」という規範は、元来家父長的な価値観によって生み出されてきたものである】ことを忘れてはいないだろうか。

フェミニズムは、その打破を目的としている。

「女らしくあるべき」という束縛を破壊することは、「男らしくあるべき」という押し付けをも打ち砕くことである

彼がまとめの中で嘆いている、男性経済的負担に関しても、同じことが言える。

<彼>は、「男性立場で言うとね 「女様様」の今の女尊男卑社会では、おっかなくて結婚なんてできない」と述べながら、結婚についてこう語っている。

結婚メリットは少ない、負担義務が多い

・女に甲斐性ない

家事家電で省力化

離婚すると財産の半分を持っていかれる

慰謝料養育費さらドン

元妻は、夫からかっさらった金を手に。しかも、さらに稼ぐ男性再婚することも可能

続けて、<彼>は女性にこう求める。

女性の方から交際とか結婚とか申し込めばいいじゃんよ

お金のことは何とかなるよ」とか「一緒にがんばろうよ」とか言えば

男も少しは気が楽になるだろうに

<彼>の視点に、極端な部分や、視野の狭い部分があるのは事実である被害妄想的な傾向も。女性が聞いて腹を立てても仕方がない内容だ。

しかし、「男も少しは気が楽になるだろうに」というぼやきは、<彼>の「負担義務」の体感からくる切実なものではあるのだろう。

それは、耳を傾けられてよいように思う。

ただ、ひとつ言っておかなければならないことがある。

それは、<彼>の求める新たな男女関係の構築が、<彼>の今しているような【女性への非難】によっては到底実現されにくい、ということだ。

それを示唆するのは、同じく<彼>の言葉である

真の敵は誰だ?

非難すべきは誰なのか?戦うべきは誰なのか?

このことを考えるにあたり、例によって、<彼>の言葉を参照したい。

老害バカマッチョ「おまえも結婚して、家畜奴隷になれ!」

男性過労死させ続けたまま女性だけ楽にする日本の「男女平等社会

<彼>はここで、「老害バカマッチョ」が己に「家畜奴隷になれ!」と命じる、と述べている。

彼に「奴隷」になることを強いているのは、「老害バカマッチョ」なのである

老害」、言わば旧態的な、「マッチョ」。

とは、何か。

マッチョ」のもつ意味については、この記事http://y-uki.hatenablog.com/entry/2015/07/16/034652)がわかりやすい。

ここから一部を引用する。

英語で ”macho な男性” と呼ばれるのは、昔ながらの ”男らしい” 価値観を重視する人たちで、

洋画海外ドラマ日本語字幕などではしばしば “男尊女卑” と訳されることが多いようです。

支配である攻撃であるなどのネガティブイメージで使われることも多い言葉です(後略)

これが、フェミニズムの戦ってきた最大の敵であることは、特筆するまでもないことだろう。

老害バカマッチョ」を、【旧態的な男尊女卑】として言い換えることが出来るならば、<彼>も、女性も、等しくそ被害者である

<彼>が、「おまえも結婚して、家畜奴隷になれ!」という台詞を、「老害バカマッチョ」に言わせたのは、的を射ている。

家族を養うために男は外で働き、女は内で家事労働に励む、という仕組み】は、高度経済成長期に完成したという。

(ちなみに、この記述を私が見たのは平田厚『虐待と親子の文学史』(論創社である時代に伴う家族形態の変化と、その文学への反映を概観した良著。)

この仕組みは、既存男性優位な価値観の延長線上にあったうえ、その価値観を強化するものであった。

<彼>は女性に対して、「「お金のことは何とかなるよ」とか「一緒にがんばろうよ」とか言」ってくれることを、求めていた。

お金のこと」を「一緒にがんば」るためには、女性にも安定した収入源のあることが不可欠だ。

しかし、それを難しくしているのが、先に述べた構造である。【家族を養うために男は外で働き、女は内で家事労働に励む、という仕組み】だ。

この仕組みの後遺症は、未だに消えていない。男女間の賃金格差管理職割合格差を見れば、それは事実として明らかだ。

その打開を目指すのが、男女平等思想であり、フェミニズムであった。

まとめ

ここでひとつ結論いたことを言ってみたい。

今まで述べてきたことを纏めると、大変逆説的なことに、

【<彼>の目指す「男性差別」の解消は、「女性差別」の解消によってしか実現され得ない】と言える。

また、【真の敵は、「老害バカマッチョ」、すなわち、旧態的な男尊女卑価値観構造である、とも。

<彼>は反男性差別を掲げ、女性非難している。しかし、抵抗すべき対象は他にある、と言いたい。

女性は、またフェミニストは、本来<彼>の同志なのだ。手を取り合って、ともに戦うべき仲間なのである

インターネット上では、熾烈な男女対立の激化とともに、「フェミ」を巡る議論が後を絶たない。

匿名はてな小一時間も見ていれば、その議論が実のところ非生産的憎悪のぶつけ合いに陥りがちなことは、すぐ了解されるだろう。

今回取り上げたまとめも、一見、そういった動きのひとつ、単なる憎悪の噴出に見える。

しかし、当記事で行ったようにその言葉ひとつひとつ精査していけば、それは、

【反男性差別主義者フェミニストの間にすら共闘可能性があること】を示唆するものとして読み解けるのではないだろうか。

2018-02-28

東ヨーロッパ(+バルカン半島南コーカサス諸国歴史的英雄

中東アフリカはすっ飛ばしました。

anond:20180223194300

ウクライナボフダン・フメリニツキー(1595-1657)ウクライナコサックを率いてポーランド・リトアニア共和国に反乱を起こし、ウクライナ自治権を勝ち取った。その後、単独での防衛は難しかたこからロシア保護下に入ったことで、後のロシアによる支配を招いたとも言われる。ユダヤ人虐殺したこともあり、毀誉褒貶が激しい。
ベラルーシタデウシュ・コシチュシュコ(1746-1817)現在ベラルーシ、当時のリトアニア大公領に生まれアメリカ独立戦争に参加し、ポーランド独立のためにロシアと戦った英雄。なにがなんだか。一般には「ポーランドリトアニア英雄」とされるが、ベラルーシも「うちの出身やで」と主張している。ベラルーシ人特に民族意識希薄なため、他に民族的英雄があまりいないようだ。
モルドバシュテファン三世(1433-1504)モルドバ公国の公。その統治モルドバ歴史上で最も繁栄した時代だとされる。またフニャディ、スカンデルベグ、ヴラドらと並ぶ「反オスマン」の英雄であり、特に「ヴァスルイの戦い」での大勝が名高い。ヴラド・ツェペシュとは従兄弟同士で、親友だったとも言う。
ロシアアレクサンドル・ネフスキー(1220-1263)ウラジーミル大公国大公モンゴル帝国に臣従しつつ直接的な被害を免れ、むしろ敵対していたスウェーデンを「ネヴァ河畔の戦い」で、ドイツ騎士団を「氷上の戦い」で打ち破って勇名を轟かせた。スターリン独ソ戦の際に「かつてドイツを打ち破った」アレクサンドルを英雄として持ち上げたために有名になったとも。
アルバニアカンデルベグ(1405-1468)オスマン帝国支配下にあったアルバニア軍司令官だったが、フニャディ・ヤーノシュの反乱を鎮圧するために差し向けられると、逆にフニャディに同調して造反し、オスマン軍をアルバニアから追い払って独立を達成した。
ギリシャアレクサンドロス三世言わずと知れたアレクサンダー大王大王の出生地現在ギリシャにあるなど、古代マケドニア王国の大半はギリシャ領に含まれており、ギリシャは「マケドニア共和国マケドニアと名乗るべきではない」と主張している。しか地域としての「マケドニア」にマケドニア共和国が含まれるのも事実である
マケドニアアレクサンドロス三世言わずと知れたアレクサンダー大王現在マケドニア共和国に住んでいるのはスラブ民族であり、古代ギリシャ人との血統的繋がりは無いとされる。しか古代マケドニア王国ギリシャ人国家だったものの、都市国家形成せず、政治体制も異なるなど、アテネスパルタにとっては「辺境」「蛮族」の感が強かった。
クロアチアシップ・イェラチッチ(1801-1859)オーストリア帝国支配下にあったハンガリーの、さら支配下にあったクロアチアにおいて、クロアチア人たちの総督として独立志向し、オーストリア皇帝の命でハンガリー独立運動鎮圧するなどした結果、一定自治権を獲得した。独立運動先駆者評価されている。
セルビアミロシュ・オビリッチ(?-1389)セルビア王国騎士セルビアオスマン帝国惨敗したコソボの戦いの後、オビリッチは寝返ったふりをしてオスマン帝国皇帝・ムラト一世に近づき、そして刺殺した。コソボの戦いで戦死した王や騎士たちは後世英雄とされ、多く叙事詩の題材となったが、オビリッチもまたさまざまな伝説主人公となった。そらこんなんおったらオーストリア皇太子暗殺するわな。
ブルガリアワシル・レフスキ(1837-1873)革命家オスマン帝国統治下にあったブルガリア独立を目指して、国内革命組織ネットワークを作り、外国武力によらない独立を構想したが、オスマン帝国によって拘束され、処刑された。
ボスニア・ヘルツェゴビナリン(?-1204)ボスニアの「バン首長)」。もとは東ローマ帝国に属していたが、セルビアのステファン・ネマニャと共に離反し、ハンガリー王国庇護を得つつ、実質的独立を果たした。彼の統治のもと、ボスニア文化民族の土台が築かれ、いまなおボスニア歴史上で最も平和繁栄した時代と称される。
モンテネグロペタル二世ペトロビッチ・ニェゴシュ(1813-1851)モンテネグロ君主国家近代化に貢献し、オスマン帝国との軍事衝突を凌いだ。しかしそれよりも大きいのは詩人としての名声で、彼がものした叙事詩モンテネグロ文学史上の傑作と目されている。いくつかは日本語訳もされているらしい。
ルーマニアハイ勇敢公(1558-1601)ワラキア公。オスマン帝国敵対し、「カルガレニの戦い」でこれに大勝した。また、トランシルヴァニアモルダヴィア併合し、ルーマニア統一一時的にでも成し遂げたが、その翌年に暗殺されてしまった。
アルメニアヴァルダンマミニアン(387-451)アルメニア貴族アルメニア支配していたササン朝ペルシャによるゾロアスター教強制改宗に反発し、寡兵ながらササン朝大軍に立ち向かった。戦いには敗れ、ヴァルダン戦死したものの、ササン朝は譲歩してアルメニア宗教自由を認めた。
アゼルバイジャンスマーイール一世(1487-1524)サファヴィー朝建国者。サファヴィーとは教団の名前で、その狂信者兵士としたイスマーイールの神憑り的な軍事能力によって勢力を拡大したが、「チャルディラーンの戦い」でオスマン帝国に敗れ、意気消沈して晩年を過ごした。ちなみに当時のアゼルバイジャン現在アゼルバイジャン共和国領土はけっこうズレているらしい。
ジョージアタマル(1160-1213)ジョージア王国女王セルジューク朝の影響を排除して、ジョージア王国の最大版図を築き、文化的にも黄金期を現出した。中世グルジア文学最高傑作『豹皮の騎士』はタマ女王に捧げられた長編叙事詩である

2018-02-15

いつものように、店で一人で飯を食っていたところ……

いつものように一人で飯を食っていた。
通りに面したテラス席だ。このあたりは飲食店が連なっていて、ずらっとテラス席が並んでいる。どの店もそこそこ席が埋まっている。

よく見ると客が全員ポーランド人だった。なぜかみんな、ケーキを食べている。
そういえば、このへんの店はみんなパティスリーだった。客じゃなくて従業員がまかないを食っているのかもしれない。しかし、まかないまでケーキなのか?

どのテラス席でも全員同じ種類のケーキを食べているのに気付いた。生クリームたっぷりかかったチョコレートケーキだ。うまそう。だけど判で押したように同じなのでちょっと不気味に思った。


あたりは妙にざわついている。
みんな、なにか興奮したような、困惑したような、あるいは心配そうな様子で、声を抑えつつも情報を交換し合っている。

その中でも一人、若い男性パティシエが通りの良い声で、立って何かを話していた。演説めいた口調で、ちょっとしたギャラリーができている。

曰く、清少納言の行いをもはや許してはおけない、俺たちが目にものを見せてやるときだ、と。

最後に「困ったことになったら俺を頼れ」と締めくくって店の中に戻っていった。その仕草と声があまりイケメンだったので、俺は思わず「かっけぇ……」と声を漏らし、あたりの女性たちから黄色い声が上がっていた。


しかしそれにしても、何が起こっているのかよくわからない。俺は場所を変えた。

大学学食に来た。見慣れた場所だけど、ここでも雰囲気がざわついている。ふだんは置いていないデザート類がそのへんに並べられていて、勝手に取って食べていいらしかった。
俺はその中の大福を一つ、ひょいと手に取って食べてから、その隣のケーキに手を伸ばした。

するとそこに業者の人たちがやってきて、置いてあったケーキをすべて手際よく廃棄してしまった。業者のオッサンの一人が笑顔で話しかけてくる。
兄ちゃん、いいね今日は、いいもんが食えて。
いや食おうとしたらあなたが捨てたんだが。


ますますけがからない。
そこに運よく、見知った顔を見かけた。小学生の頃から親友が二人だ。そいつらに話しかけて、何かあったのか、と聞いてみた。二人は訳知り顔でこう答えてくれた。

かに事情を知らない人から見ると何があったのか意味不明だろうな。
みんなやたらといいものを食べてるし、一方でこの異様な雰囲気だ。おかしいと思っただろ?
でも理由は一つなんだ。それはね、







そこで目が覚めた。

――――――――――――――――


創作ではないです。

ついさっきこういう夢を見たので文章化したかっただけ。

個人的に一番謎なのは清少納言だな。


補足とか追記:


コメントくれた人ありがとう

2017-12-23

弱者男性強者男性ネット上で私小説を書こう

どんな人間にも物語がある

どんなにつまらないと自分で思っている人生でも、しっかりと向き合って書けば、かならず誰かが瞠目する物語になる


嘉村磯多という人は、地方地主の家に生まれはしたが、旧制中学中退して、東京に出るとまったくカネはないわ、仕事はないわで、都内の陋屋を転々とし、最後居候先で病気になって、36歳で死んだ

彼の容姿についてのコンプレックスは、それはひどいものだった

と書けば、この人は近代日本弱者男性だったように見えなくもない


でも彼は、いくらマイナー作家認識されてはいても、日本文学史私小説作家として名を残した

西村賢太のように、中卒で職を転々として、30を過ぎてから私小説を書きだして芥川賞作家になった例もある

自分が生きた証を残す手段としても、豊かに生きるための手段としても、案外、私小説は最終兵器かもしれないのだ




anond:20171222232933

2017-03-20

教科書くらい読めとか学校の授業ちゃんと受けろって言ってる人が何人もいたけど

ある程度密度を保って教えられたのは江戸時代くらいまでで

それ以降は不自然なまでの駆け足

国語文学史に至っては薄い教本を買わされたのにまるで放置

個々の思想に深く関わりそうなところは触れられなかった

唯一中学社会科教師1人が南京大虐殺はあったって写真入りプリントを作って

各生徒に感想書かせたりして教室中が内心ドン引きしたくらいだった

同じように飛ばし学校もあるだろうから〇〇で当然とは言わないほうがいいと思う

2017-02-26

本田透はどこへ消えた?

本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。

から10年以上前2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。

当時、オタク恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタク恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタク卒業して真実恋愛を見つけよう」と煽った。

本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実恋愛オタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。

現実社会恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋恋愛だと反論したのだ。

本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。

本田オタクキャラクターを愛でるときに使っていた「萌え」という言葉は、恋愛を超克したものだと位置づけた。ネット用語だったこの言葉は一躍ホットワードとなった。

彼の主張は岡田斗司夫の「オタク情報社会に適合した最先端人種」というオタク擁護を引き継ぎ、さらに先鋭化させたものだった。本田自分の考えを深掘りし、哲学史文学史とも接続させて思想的な裏付けをも与えようとした。

このうえ、本田ライトノベルも書き始めた。それは自分思想の「実践」だった。人類が最高に萌えられるキャラクターを生み出せれば、恋愛で傷つけ合う人々もいなくなるはずだ、という考えのもとに行われた。2005年2012年にかけて、ほとんど毎月のように彼のライトノベル刊行された。異常なペースだ。

オタク生活が「思想」や「ライフスタイル」じゃなくなって、「娯楽の一部」になってしまった今じゃ、彼の本を読んでも「何この人、こんなに鼻息荒いの?」としか思われないかもしれない。当時のオタクを取り巻く状況を込みで知らなきゃ、この本の勢いはわからないだろう。

萌え」もすっかり死語になってしまった。当時纏っていた特殊意味合いは今ではなくなっている。

本田2012年に『ライトノベルの楽しい書き方シリーズの最終巻を刊行して以来、一切、本を出さなくなってしまった。

もはや自分の考えを表現することに興味がなくなってしまったのか? セールス的な要因で出せなくなってしまったのか? あるいは大著の準備をずっとしているのか?

その理由は一切わからない。更新の止まった公式サイトだけを残して、彼は長い沈黙に入ってしまったのだ。「本田透、何しているんだろう?」と言う人もいない。あれだけ論争を巻き起こした人なのに、この扱いはちょっと、いや、かなり寂しい。

村上春樹新刊を出して、小沢健二が復帰し、林原めぐみが初ライブをするって聞いて、ふとこの人のことも思い出してしまったよ。

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