「剣道部」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 剣道部とは

2024-02-26

子供が虐めは女がやるものだと言い出した

クラス女の子が虐めをしてるのかと聞いたらしていない、ニュースでやってる、男は虐めをしないと言い出した。

いまニュースでやってる虐めと言えば、剣道部虐め自殺白鵬弟子の虐め、男による虐めニュースが多い。

てゆーか君ニュース見ないでYouTubeばかり見ていますがな。

と言ったらうるさい!反論するな!ムカツク!と怒鳴りだした。

YouTubeの影響なのかなぁ、子供はこれから反抗期真っ盛りに入るけど、ネトウヨミソジニー化したら嫌だわ。

2024-02-23

anond:20240223104854

ごく普通にクラブ行ったらお前みたいなダンスできないへっぴり腰はダサくて笑われるし

俺みたいなのが九州男児剣道部に行ったら棒振りダンスだって笑われるだろ

2024-02-21

剣道部高校生性的動画拡散され自殺

これで「いじめは確かにあったけど、自殺の原因がいじめとはゆえない」っておかしいだろ

https://rkb.jp/contents/202402/202402200263/

アダルトグッズを無理やり肛門に入れられそうになった

・体を畳にガムテープで貼り付けられ、下着を下ろされて陰部を手淫された

上記の様子を撮影した動画をLINEでほかの生徒に送信した。

剣道着を貸したのに返してくれない

スマートフォンゲームアプリを削除された

スマートフォンに先輩の指紋認証された

・LINEに登録されている女子メッセージ送信された

・スポンジ製のバットで何度も叩かれた

・肩などを殴打された

ガムテープで顔をぐるぐる巻きにされインスタグラムストーリー投稿された

2024-02-16

anond:20240216130848

昔はセコム常備じゃなかったからなあ。

俺も中学校剣道部女子更衣室でよくクンカクンカしてたよ。


警備員ライトが近づいてきたのにはビビったけど

2023-12-31

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.3/7

前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401

三つ目になる。飲み会のことだ。

あれは、F君が福祉課2年目の時だった。課内で飲み会があったのだ。肝心のお店だけど、和風洋風かどっちつかずの、食い倒れ的な意味で名店と呼ばれるところを予約した。課のほぼ全員が参加する、夏場の納涼飲み会だった。

あの頃の俺は……異動した先輩の跡を継いで苦戦中だったけど、ようやくマトモに業務を進めることができるようになり、調子に乗ってた。後輩にもマウント取ってたかな。まだ当時は、マウントを取るというネットスラング一般的ではなかった。

しかしまあ、俺はやはり調子に乗っていた。当時は、市内に軽く十以上はある社会福祉法人指導監査をする立場だった。会計報告も読み解かないといけない。その業務担当者になったのは、俺が史上最年少だった。

でも、仕事負担はどんどん重くなった。特に人間関係トラブルとか、犯罪性のある監査事案になると実力が追い付かなかった。年を経るごとに消耗していった。躁鬱的な症状だ。

年を経るごとに、冒頭あたりで説明したような、よくない先輩方に近づいている感覚が出てきた。

飲み会の話に戻るけど、自分と若手複数名が幹事役だった。予算を考えるとか、お店を押さえるとか、当日の司会進行とか、みんなの注文を伺うとか、二次会の手配とか、上司タクシーを呼ぶとか――増田社員のみんなもやったことがあるような飲み会仕事だ。

納涼会にはF君も参加していた。こういう会だと奥の方で大人しくしてることが多い。協調性がないキャラだったから、どの上司もF君に幹事を任せようとしなかった。彼も任されそうになると断っていた。

予約した居酒屋は、料金に比して料理がたくさん出ることで有名だった。部屋に案内されると……広い客間の中に、テーブルをいくつも合体させたうえで純白のクロスが掛けてあった。みんなゾロゾロ椅子腰かけて、料理を楽しみに待っていた。いや、サランラップがかかった刺身はすでにあったかもしれない。

食卓の見た目は洋風で、床はカーペットだったけど、部屋の造りは伝統和風スタイルだった。参加人数は、三十人ほど。

飲み会スタートから数十分後のテーブルの上には、刺身の盛り合わせとか、おしゃれな豆腐とか、唐揚げとかポテトとか天ぷらとかフランクフルトとか、なんかもういろいろと並んでいた(高そうな料理もあったが名前がわからない)。食事的な意味で皿を片付けるのも難しかった。

俺と同年代職員幹事役で手一杯だった。注文の多い上司や先輩が多かった。福祉課長もその1人だ。毎回違うお酒を注文する。飲み放題メニューにないお酒の注文は、もはや基本だった。

そのうち、飲めや歌えやの大騒ぎになった。カラオケはなかったが、大声で民謡を歌う人はけっこういた。フローリングの上に敷いてあったカーペットが柔らかかったな~。もう長らく行ってないけど、今度地元に帰った時に行ってみよう。

F君は、端の方で大人しくしていた。たまに会話に混ざったりしてたかな。俺は参加者全員の様子を見てたけど、F君は基本こぢんまりと黙食していた。お酒は飲んでなかった。烏龍茶緑茶のどっちかだ。

覚えてるのは、F君が年配の職員とか、臨時職員さんとおしゃべりしてたのと、あとは女性職員がおそるおそる彼に話しかけていたのを見た。会話の内容はわからなかったが。

F君は、隣の人の空になったビールグラスをサーバー(※樽の方だ。基幹システムの方じゃない)まで持って行って、注いであげてた。

うるさい飲み会だったけど、若いから気にならなかった。でも、嫌なことが数点あった。こういうのが、数年後に市役所を辞めたきっかけになる。

早い話、この福祉課全体の飲み会でひと悶着あった。ひとつはF君案件だ。その飲み会で片隅に座っていたF君が、近くにいた福祉課長や直属のグループリーダーその他先輩がいた席まで呼ばれた。「おい、ちょっと来い」と呼ばれてた。なんか最近、彼が失敗したことがあったらしい。

ところが、F君はストレートに断った。「行きません」だって。周りの空気が冷たくなったのを感じた。要は突っぱねたのだ。

それで、上司や先輩方と口論になった。周りは雑談してたけど、やっぱり気にしていた。俺達幹事はどうしようかって感じだった。そしたら、先輩方の態度が軟化してきて、F君のところに行って「まあ一杯飲めや」と勧めたのだ。そしたら、それも断ってしまって、また険悪な雰囲気になった。

でも、そのうち優しめの年配職員がF君の隣の席に移ってきて、「まあ飲みなよ」とお酒を注ごうとした。「グッジョブ!!」と心の中で感じたけど、F君は「帰りが~」と言っていた。聞き取れなかったけど、そんなことを言ってた。※F君は自転車バイク通勤していた。飲酒運転を気にしてたのではないか

それで、そういう態度に憤った福祉課長その他数名が、F君のところに詰め寄ってお酒を飲ませようとしていた。下は、ほぼ福祉課長セリフだ。印象的なやつだけを抜粋してる。

「帰りがバイクでもいいだろう。一杯だけでいい。飲め」

「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」

「上の人から酒を勧められたら飲まないと。法律かい問題じゃなくて、社会常識だ」

「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、増田君の方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」※当時、俺は婚約中だった。

結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」

といった、福祉課長その他の発言が心に残ってる。それでも断固とした態度のF君に、彼らは声を荒らげて、ついにグループリーダーがF君の胸襟のあたりを掴んだところで、「やめてください!!」と彼が拒否して……。

隣の客間にも聞こえていたと思う。はっきりいって大声だった。店員数名が「どうしました!?」と客間に入ってきたことで、それでようやく騒ぎは収まった。

かくいう自分は、どっちもどっちだと感じていた。双方とも行動に問題があった。まず、F君は協調性がない。お酒の一杯くらい飲んでもいいじゃん。限りなく透明に近い酎ハイとか作ってもらってさ。

上司や先輩方だってアルハラなる言葉はまだ世間に浸透してなかったけど、さすがに飲酒運転容認はまずいだろう。

それからも、俺にとっては歯がゆいというか、嫌な飲み会風景が続いた。大体こんなところか。これでもだいぶ端折ってる。

福祉課長柔道の技を職員にかけて転がしまくっていたこ

臨時職員パートさん達がみんなにお酌をして回っていたこ

 ※公務員原則たる身分保障が働かないから、首を切られないように気を遣ってる

女子職員キャバ嬢扱い。女の子場合、全員の席を周ってお酌は基本だった

・酔いつぶれて動けなくなった職員を店の駐車場放置して帰ったこ

・少なくとも3名の職員飲酒運転二次会に行っていたこ

低い次元の話は置いといて。飲み会の話に戻ろう。

あんなことがあったが、F君は堂々としてたよ。その後にあった余興(参加者がひとりずつ挨拶抱負を述べる。やりたい人は芸とかする)でも、超然として仕事抱負を述べていた。「自分、まだまだだけどフツーに頑張ります」みたいな感じか。

堂々としていた。自分が正常な人間みたいに振る舞っている……微妙に笑いも取っていた。それを見てる人達は「おー」みたいな雰囲気になってた。

さすがに一発芸はしなかったけど、F君には芸があった。中学生の頃、ムジナ(アナグマ)の物まねをして剣道部の先輩連中に気に入られてた。「ムジナってなんやねん!!」て感じで。ムジナが身を低めながら、スウェーバックで後ろに下がって、また出てきて、身を起こして威嚇するポーズだった。

ようつべで野生のムジナ(アナグマ)を見ることができる。「アナグマ ムジナ」で検索してみよう。

(一応、YoutubeURL)

Youtube検索:アナグマ ムジナ

別に、そこまでF君に興味があったわけじゃない。ただ、あまりに珍しいというか。学校公務員民間を通じて、これまでに見たことのない存在だった。

その飲み会でも、確かにF君は浮いてたけど、でも完全ボッチチェリというわけではなかった。年配の職員とも、中年職員とも、同年代とも、若い職員とも、数は少ないけどコミュニケーションは取ってた。料理の取り分けとか、空いたグラスや皿の片付けもやってた。もしかすると、発達障害とかパーソナリティ障害の人がする『擬態』みたいなやつかもしれないが。

飲み会が終わった後は、手配したタクシー上司や先輩を乗っけて二次会まで連れていく仕事が待っていた。帰ろうとするF君を見ると、なんと杜甫ではないか!! 今日バイクに乗ってないみたいだ。

帰り際に呼び止めて、F君とちょっと話をした。「今日は災難だったね」と言うと、「まあ、こんなもんでしょ。次に期待。料理うまかったし、無事に終わって神に感謝」という答えが返ってきた。ひどい目にあったのに他人事みたいだった。キャラクターが読めない。

それからF君は、上司や先輩から姿を隠すように、公道に出ずに駐車場フェンスを飛び越えて(笹食ってる場合じゃねぇ!のやつ)、店の裏側にあった河川管理道に躍り出ると――そそくさと帰って行った。



まあ、問題職員(モンスター社員)のことばっかり書いてるけど、実際なんであいつらは発生するんだろうな。普通イメージだと、モンスター社員採用試験で間違えて採用される、といったところだろうか。

いや、でもわからない。もしかしてモンスター社員採用試験を受ける時はまともな人間なのかもしれない。それが、組織環境に当てられることでモンスターに変化してしまう――そういう見方はできないだろうか?

こんなことを書いてたら、とある書籍記述を思い出した。書棚から引っ張り出して引用してみる。

 組織の成員を変えようとするよりも、創造革新を阻む組織内の要因を探った方がよいのではないだろうか。「現在環境で、なぜ人びとは創造したり革新したりしないのか」という問題を提起すれば、正しい方向に一歩踏み出したと言えるだろう。ここで思い出されるのが、もはや伝説存在となった著述家であり、いまなお精力的に啓蒙活動を続けるピーター・ドラッカー逸話である。彼は企業上級管理職向けの講演会で、社内に「無用の長物」を大勢抱えていると思うひとは挙手するよう求めた。多くの手が挙がったところで、ドラッカーは次のように尋ねた。「そのひとたちは、皆さんが面接を行い、採用を決定した時点から無用の長物だったのですか。それとも、入社後に無用の長物と化してしまったのですか」 P19 完全なる経営(2001) P.19 A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)



モンスター社員が先なのか、組織文化にあてられるのが先なのか。どっちなんだろうな。

次 https://anond.hatelabo.jp/20231231221403

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.1/7


今はしがないフリマアプリ事務スタッフ(カスタマーサポート)だが、昔は関東にある地方自治体役人をしていた。年末ということで、その頃の思い出を振り返ってみたい。

ちょっと気になる同僚がいたのだ。その人をメインにしてエピソードを書いていく。できるだけ穏便に書かせてもらうが、かなり前のことだしぶっちゃけるかもしれない。

関東地方の比較田舎にある自治体だった。当時の自分は、26才になる年だった。福祉部署……『福祉課』としようか(もう少し洒落名前)。俺はそこにいた。

4月の年度初めだった。同い年の新入職員が配属になった。民間企業に3年勤めて、地元に帰ってきたらしい。

その職員を観たことがあった。何を隠そう、彼と俺は同郷であり、大きい山の上にある公立中学校に通っていた。どちらも地元育ちだ。ただ、当時の彼のことはあまり思い出せなかった。見た目がもっさりしているのは変わらずで、ちょっと日に焼けたかなって感じだった。肥満ではないが、ガリガリというわけでもない。中ほどの体型だ。

自分はというと、専門学校を出て新卒採用後、福祉課に配属されて6年目だった。そろそろ中堅として難しい仕事を~というところにきてた。課のメンバー、という意味ではベテランだ(地方公務員は3,4年で異動が一般的国家公務員場合による)。社会福祉法人指導する仕事の(先輩や上司の)お手伝いをしてたんだが、いよいよ自分が主担当になった。

前年度は、40代主査級の職員がその仕事を担っていた。20代自分に務まるか不安だったが、何とかしてやろうって気概に満ちていた。

ところが……上で話した同郷の職員というやつが、いわゆる問題職員だった。福祉課だから、F君としておく。彼は年度当初から、とにかく先輩や上司に怒られていた。同じ課でも違う業務グループだったから(※課の中に係ではなく業務グループがある制度。係制との違いはよくわからん)、そこまで状況は把握してないが、こんな行動傾向だった。

なお、これを書いている時は、はてな匿名ダイアリーで「Bさん」なる概念流行っていた。Bさんというのは、葬送のフリーレンでいうところの『魔族』である。F君は、その仲間かもしれない。ただ、後で述べるがBさんとは違うような気がする。

ほうれんそうしない

判断がつかないことでも押し進める

・わからないことは質問するが、なんか不自然な感じ

・注意してきた先輩や上司を睨む

感情を顔に出さない。サイコパス

ミスをしても謝らない

会議や打ち合わせでしゃべらない。二言三言はしゃべる

尊大というほどではないが、堂々としている

飲み会に出たがらない

・かと思えば、窓口に来る市民業者には丁寧

具体的なエピは、すまないが出せない――まあ、部分的ならいいか。F君が電話を受けて、必要な事項を先輩の人に共有しておらず、叱責を受けていたのを覚えてる。

「おいF。なんで共有しなかった?」

「今回は、まあいいかと思って」

「お前、どういう感覚仕事してんだ?」

別にフツーです」

普通って何なん?」

「わかりません」

「あ!? もっぺん言ってみろや」

ここで先輩が立ち上がった。F君の椅子の前に行って、「きちんとしゃべれや、おい。もしかして、お前障害とかある? 俺のガイジーカウンターが反応してんだよ。正直に言われても、身障みたいには扱えんけどな」みたいなことを言った。そしたらF君は、「怒っても何も解決しないのではないですか?」と確かに言ってた。で、また先輩が「お前、このままやったら駆除すんぞ!! ゴキブリが……」と怒りの声を発した。

惜しむらくも、この当時は職場でのこういう記録をメモしてなかった。上のやり取りはうろ覚えだ。これ以降は、自分の身を守るためにも一応メモするようになった。

で、厳しいやり取りが続いていたが、誰も止めに入らなかった。単純に面倒くさかったのかもしれないし、関わり合いになりたくなかったのだと思う。ある1人の女性職員が、気持ち悪そうな顔をして席を立って、どこかに行った。おそらくストレスなのだろう。

よくキレることで知られた先輩だった。実をいうと……F君がいる施設グループというのは、問題職員が6人中4人(F君含む)を占めていた。人事課からマークされた職員が配属されやすい。

それらの先輩方は、仕事能力問題なかったが、勤務中にキレたり怒鳴ったり、仕事道具を机の上に叩きつけたり、所得が少ない市民とか、病気障害がある市民侮辱する発言を繰り返していた。

いかげん、上の2人がうるさくてしょうがなかった。先輩はやいのやいの騒いでいるし、F君は不気味なほど冷静にボールを撃ち返している。その内容は覚えてないけど、アドラー心理学の本(岸見一郎が書いた『嫌われる勇気』)みたいだった。「それはあなた課題でしょ。私の課題じゃないでしょ」みたいな。

嫌われる勇気』って、すでに嫌われてる人が自分肯定するために読んでる印象がある。本の表題は『嫌われ続ける勇気』が妥当だろう。

あと、『エッセンシャル思考とか』とか『限りある時間の使い方』みたいな本ってさ、基本は自己中な人が書いて、同じく自己中な人が愛読してる印象がある。合理的なのがそんなに大事なんだろうか。人生には無駄必要なんじゃないか自分らしく生きるのが一番いいって、おかしくね? 自分らしくなくても、社会のために生きることって大事なんじゃないかな。こういう本が流行っていると、古来から伝統的な価値観解体されてるみたいで気分が悪い。

さて――この『先輩』というのはマジでキレやすい。役所内でも札付きだった。思ったことを何でも口に出す。例えば、福祉課の小さい事業で「特定高齢者向け福祉用品を買うと2/3を市が負担~」みたいな制度があった。

そんな制度があるのはいいのだが、たまに悪質な業者がいて……社会経験豊富増田読者なら想像がつくと思うが、例えば小売価格10万円の品を「自治体補助金があるからお得!!」ということで、市民の人(高齢者が多い)に10万円……ではなく、なんと15万円で売るのだ。業者補助金なしの場合と比べて5万円儲かっている。ひどい業者だと20万を超える。要するに、市のお金業者にもっていかれている。

その『先輩』は、ある時そんな事案を見つけて、業者電話してケンカになった。渡り廊下の向こう側まで聞こえるほどの声で、電話口で業者と争っていた。

「お前が(市民から)金を出さそうとしとるんだろうがっ!!」

これを三回くらい叫んでいた。凄まじい勢いだった。相手方の声は聞こえないが、ベイブレード同士がぶつける以上に激しい戦いなのはわかった。

戦いの最後になると、「お前。武蔵野市会社だったな。都庁武蔵野市情報共有しとくからな。覚悟しとけよ、ボー―――――ケッ!!」と叫んだ。そして、ひと呼吸おいた後で、「……お前はもう申請しちゃだめ。申請があっても、受付せずに却下するから市民の○○さんにはこっちから連絡しとくね」と告げて電話は終わった。

その後、先輩は本当に、同じ県内都内地方自治体で、うちと同じ制度をやってるところに注意喚起電話をしていた。

※数年後にわかったのだが、その先輩は後天的精神病だった。若手職員の頃に、反社対応仕事で無理をしすぎて、頭がおかしくなったという話を年配職員から聞いた。現在退職している。

それはさておき、F君と先輩職員のバトルに戻ろう。俺は、あまりにうるさかったので止めに行こうと思った。先輩職員ヒートアップしていて、口汚い言葉すら発していた。増田では書けないほどの。「お前みたいなゴミゴミ処理場で引き取ってもらえや」くらいのことは言ってた。

「うるさいぞ、黙れ!」

ようやく止めに入ったのは、F君がいる部署グループリーダー、係制でいうところの係長だった。民間企業でいうと課長くらいか普段はマジメで寡黙な人だが、怒るとコワい。例えば、福祉課にいる若い女の子目当てで、弱者男性職員とか、チャラい見た目の職員とか、おじさん職員とかが話しかけにくることがあるんだが、そのグループリーダーが「お前、職場になにしに来とるんだ。キモイんじゃ帰れ!」と一喝すると、みな一目散に逃げていく。

ハラスメントですよ」とそんな人達の一部が言い返すと、「じゃあ、人事に行けや人事に。なあ、お前がキモイことしてたの、お前の上司に共有するからな。それでいいな?」と睨み返すのだ。

でも、基本は頼りになる上司だった。普段事務仕事でも、打合せや会議でも、公式行事イベントでもマジで頼りになるグループリーダーだった。

先輩職員は、そのグループリーダーから一喝されると押し黙った。F君に向かって「ボケ!!」と叫んでトイレに向かった。F君の顔を見ると、いつものぶっちょう面だった。よく言えばクールで、悪く言うと人間味がない。この時になって、F君の中学校時代を思い出したんだっけ。

当時もこんな感じだった。スポーツは◎で、勉強も○で、家柄も○なのだが、いかんせん、こいつ本当に人間か? というくらい協調性がない。言いたいことをストレートに言い過ぎるのだ……。それでいてわがまま

先生もよく怒らせていた。もちろん生徒だってそうだ。彼はクラス中に嫌われていた。キャライメージで言うと、ひろゆきがもうちょっと謙虚になった感じのキャラクターだった。プチひろゆきだった。

しかし、本人自体は何かに本気で取り組んでいる。実際、F君は剣道が強かった。関東大会まで勝ち抜いていた。市役所内で後に聞いたところだと、大学剣道部ではインカレに出場したらしい。

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(Tips) 問題職員一般的な扱い

官公庁税金追い出し部屋を作るのは実務上難しい。よって、いろんな部署にある程度の人数の問題職員を押し込めてバランスを取っている。現場に行くタイプ部署や、窓口対応をする部署に多い。優秀な職員は、企画政策室とか財政課とか人事課とか監査室とか議会事務局に行く。一般向けの窓口部署に配属されるのは稀だ。え……心当たりがある?

当時の福祉課は、『陸の孤島』に準ずる部署だった。陸の孤島というのは公務員業界俗称で、いわゆる水道局とか教育委員会とか支所機関とか、こぢんまりとした事務所がポツンとあるタイプ職場だ。福祉課は、内部に福祉事務所を抱えてるから本庁舎の中にあるが長い廊下で隔てられている。怒号もあまり市民には聞こえない。いや、福祉課に来客中の人には当然聞こえてしまうが、そこは愛嬌だ。

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F君は……今思えば、そこまで悪くなかった。あの当時は悪い奴だと思っていたが。実際、勤務態度は悪かったよ。ほうれんそうしないし、自分判断とか解釈を押し通すスタイルだし、上司上司とも思ってないし、仲間を仲間とも思ってない節すらあった。でも、彼なりに仕事にマジメに取り組んでるのはわかったし、広告代理店で働いてただけあって、公務員側の人間感性が違うのはしょうがなかった。

ただ、やっぱり協調性はなかったな。人間味もなかった。あれは、なんというんだろう。発達障害とは違う気がする。というのも、職場ヤバい(※業務グループピンチの意)となった時だと、ほかの職員以上にリーダーシップを発揮したり、イベント参加者を取りまとめたり、困難な事態を打破するような企画を考えたりしていた。その意味では、ちょっと前に増田流行ったBさんとは違う存在だと思う。仕事ができるBさんだ。人格や人柄は悪いけど。

シロクマ先生ブログを読んでる限りだと、人格パーソナリティ障害みたいな扱いになるのだろうか。

(当時のF君の印象)

オフィスソフトの腕に覚えアリ。VBAAccessちょっとはイケる。

・筆が立つ。公文書が読みやすい。

・窓口のお客さんと難しい局面になっても諦めない。

・彼をよく思わない職員はいたが、市民取引業者とはトラブルを起こさない。

この時点のF君は、1年目でまだ実力がなかった。別の問題職員からロジハラみたいなのを受けることもあった。とある女性職員(30代半ば。未婚。以下♀とする)がいたのだが、これがまた辛辣だった。

公務員というのは、『様式の中に生きる動物』といっていい。F君の発した伺文書(民間でいう稟議書)を事細かに見て、ミスがあった時はF君を詰っていた。あとは、やっぱり意思決定か。F君の担当業務は、新人らしい、基本的かつ奥深い仕事だった。ジャンルでいうと設備管理とか財産管理だった。その関係で、F君の行動や意見に甘いものがあると、その♀職員が詰ったり、怒ったりするわけだ。

これらはメモに取っている。全部♀の発言にしてるけど、F君は相手にしてなかった。ポツリとは発言してたが、聞き取れなかった。方言は一応そのままにしている。

♀「どうして○○ができひんの?」

♀「それはなぜ?」※何度も繰り返し「なぜ」と訊く

♀「お前、今なにしてた?」

♀「あんた、保育園児みたいやな」

 ※F君が相手にしないとこう言うことが多い

♀「お前に指導して、金がもらえるんか! おい、私に金払え」

♀「日本語しゃべれや、日本語。○○○症でも話せるで!!」

♀「お前の私に対するハラスメント女性部で問題にしよか? いい?」

 ※労働組合女性部。よからぬことをする職員がいると、組合新聞さらし者にする。ひどい時だと本人の写真付きで紙面を配布する。

♀「おい、今お前の仲間が来はったで。一緒に帰らんでええの?」

 ※精神障害者が窓口から帰った後。

話を聞いてる途中、俺はずっとイライラしてた。繰り返すが、この人は女性だ。増田読者の溜飲を下げるために言わせてもらうと、この人には約二年後に罰が下った。後述。

繰り返すが、この福祉課は陸の孤島に準ずる存在だった。やりたい放題する職員が昔から一定数いたらしい。例えば、市内の製造メーカー市役所に対して、専門機器や専門器具卸売価格で売ってくれる制度があった。それを悪用して、自分が購入した後にヤフオクメルカリ転売する人がいたり……あとは、行事イベントで大量に余った弁当お茶コーラアクエリアスを、箱単位で家に持って帰る人もいた。

自分が知ってる年配の男性職員にも、そういうことをしてる人がいた。でも、やっぱり天は見てるんだろうな。その人は、飲み会の帰りに酔っぱらって、どっかの店で万引きして捕まってた。で、その年度末に当市から消えることになった。

ところで、変な職員のことばかり書いてきたけど、もちろん大多数は普通職員だ。人柄がキチンとしてる。あなた過去に、市役所とかで接客を受けたことがあるような。そんな普通の人たちだ。これだけははっきり言わせてほしい。

序章の締めになるが、増田読者の皆様も、どうか悪いことはしないでほしい。世の中はうまくできている。天は見ている。ぜんぶ自分に跳ね返ってくるのだ。

ここから先は、F君と俺を中心に、記憶に残っているエピソードを述べていく。すまないが、全部で二万字以上はある。まさかこんな文章量になるとは思ってもみなかった。

次 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401

2023-12-19

発達障害高卒非正規、クソ田舎住、母子家庭の30代だけど俺の人生がどれだけ悲惨なのかを今語る

4歳で親父のせいで横浜から地獄会津地方に引っ越す

幼稚園 いじめられる

小学校 いじめられる 肥満になりだす 高学年になってからは年下からイジメられる

中学校 いじめられないために剣道部に入ったら余計いじめられる 成績はビリから2番目

高校  会津地方底辺馬鹿高校普通科に行く このころから触れちゃいけない奴扱いになる このころから2ちゃんねるに常駐するようになる

社会20代 最初職場屠殺業ですぐクビ、以後地元派遣会津中の職場転々(その内何回かクビにされたりバックレたり) 嫌儲クズ共に粘着されるようになる

社会30代 去年地元障害雇用に入ったものの、今度は派遣会社の元同僚たちからしつこく粘着されるようになる


職歴

19歳 地元屠殺場 1か月でクビ 発達障害発覚

    地元倉庫   半年でイビられてバックレ

20歳 就労支援    半年通う

    地元派遣   約4年ほど地元の色んな職場を2か月単位でローテション(クビにされることもあったしバックレたこともあった)

25歳 地元から1時間離れた工場派遣 1年ほど行くが人間関係に馴染めない&三交代制がきつくて自律神経ダメになって辞める

26歳 地元郵便局仕分けに2年ちょっと 途中で地元を離れようとして辞めて引っ越しを考えるがコロナ禍で怖気図いてしま

28歳 失業保険貰いながら短期バイトしてる

29歳 地元職業訓練受けたけどどこも受から10年前の倉庫に戻る 1年半働くがやっぱ辞めてしま

31歳 現在地元障害枠に入って1年経つが辞めたくなってる

2023-12-06

コンビニを出入り禁止になった頃の思い出


思い出を語ってみる。俺はしがない社会人だけど、できるだけ面白くなるよう心掛ける。

あれは確か、2021年秋だった思う。当時も今も、うちの家の近所に老舗のスーパーマーケットがあってさ、朝早くに行ったら居酒屋だと刺し盛り2,000円だろ!! ってレベルの新鮮な刺身パックが売ってた。

それが楽しみで、週に二度通ってた。たまに、生マグロとかウナギ解体ショーもやってたけど、コロナ禍のせいで中止になってしまった。今でも再開されてない。

さて、ある秋の日の午前だった。いつものように刺身パックを買って、あと昼酌のためにビールも買って、そのスーパーマーケットレジに並んだ。そしたら、いつもいる小柄な大学生ほどの女の子レジを打ってたんだが……。

「あっ!!」

つい、驚いてしまった。本音だった。その子はびっくりしてた。

ここまできたら、恥ずかしいけど言うしかない。当時はそう思ったはずだ。

「〇△さん、髪切りました!?」

そんなことを言った。善意でも悪意でもなかった。思ったことを口にしただけだ。

するとさ、その女の子がさ、

はい…切りました…」

って、悄らしい感じで答えるのだ。まごまごしてた。

の子刺身パックとアサヒの缶ビールを手渡して、当時は有料化されたばかりのレジ袋も渡して、お会計で千数百円を出した。

すると、その子が小銭をレジに入れる前に、チャリーンと落とした。すぐに拾い上げた。慌てていたんだろうか、お釣りは受け皿に置いたけど、割り箸レシートもくれなかった。

袋詰めコーナーで刺身レジ袋に入れて、レシートゴミ箱に捨てた後で○△さんの方を見ると、片手を後ろに組みながら、左足?のつま先で床を掘り返すような仕草をしてた。この場面は記憶に残ってる。

正直、気持ちが悪かったと思う。相手にとっても。俺にとっても。俺、そんなに若くもないのに……当時は31だったけど、やはり若くはないと感じる。でも、その時から俺はなんか、変わった気がした。

それから、チャンスがある時はその女性店員S子さんと雑談をした。俺のほかにおじさんやおばさんがレジ店員と会話してるのを聞いて、天気の話とか、メイクが変わったこととか、相手ちょっと褒めるのとかした。

S子さんが喜んでくれるのが嬉しかった。うざそうにしてたらすぐにやめたけど。



でも、俺は調子に乗ってしまった。

ひとつは、その年の冬だった。レジコーナーに行くと、レジ打ちの人の中に、背が高い20代前半ほどの女性と、もう一人レジ係がいた(2人組)。俺がレジに入ろうとすると、背が高い方のT子さんが、両手で無言でブロックサインを作った。

前を見ると、そのレジは止まってた。客と店員の話を聞くに、カード割引の電子決済トラブルがあったようだ。T子さんじゃない方の子マイクスペースに行って店内コールをするんだけど、これは……「聞こえてないな」と思った。

チラッとT子さんを見た。不安そうな顔で立ってたよ。それで、俺は彼女に声をかけたのだ。「今の聞こえてないよ。あなた社員さん呼んできたら」と言った。すると、T子さんは走り出して精肉コーナーの方に向かった。

社員さんがT子さんと一緒にやって来て、レジ操作して事なきを得た。夕方~夜だったはずだ。3割引の刺身を買っていた気がする。

次の来店時から、T子さんのレジに並ぶと会話が弾むようになった。ピアスとか、イヤリングとか、シルバーリングとか、いろいろ付けてる子だった。アクセサリーの話もしたし、進路のことも話したかな。

ある日の夜だった。半額ハンターとしての役目を終えてレジコーナーに向かうと、そのT子さんのレジの隣に、先ほどの背が低い子(S子さん)がいた。俺は何も考えずにT子さんのレジに並んだ。

そしたらさ、それを見たS子さんがどっかに走って行くんだよ。サービスカウンターっていうのか、お歳暮地元土産物が置いてあるコーナーだった。

S子さんに悪いことをした。罪悪感が込み上げてきた。確かに、S子さんとはたまにしゃべってた。会計の時、「こんばんは」「雨が多いですね」とか一言二言くらい。

でも、当時の俺にはそういうのが非常識だとわからなかった。今思えば恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。

T子さんとは、それから偶然スーパー駐輪場で一緒になって、そしたら話が弾んで、電話番号を交換して、一緒にご飯に行った。それから何度も、いろんな場所に連れて行ってあげた。いい子だった。

付き合ったのは半年だったけど、いい思い出だった。先日、バッタリと会う機会があった。おいしい物を奢ってあげた。



残りひとつコンビニだ。あの当時、近所のコンビニでも女性店員と話をしていた。どっかの遊戯王キャラクター台詞じゃないけど、「お前、キモイだろ!!」みたいな感じだった。

当時はまだ、T子さんとの付き合いに発展する気配はなかった。というか恋愛に興味がなかった。でも、コンビニ店員に声をかけてみたいと思っていた。愚かだった。

そのコンビニには、姉妹同士と思しき店員が働いてた。一緒にシフトに入っていることが多かった。そのコンビニは、時間が経った店内調理品を値下げするタイプだった。俺がさ、仕事帰りに唐揚げとかカレーパンをまじまじと見てると、姉の方は目の前で割引シールを貼ってくれた。控えめに見て神だった。妹さんは接客がしっかりしてて、とても高校生には見えなかった。

その姉妹とか、ほかの店員さんとも会計の時に話をしてた。十秒以内だけど。天気の話とか、好きなホットスナックとか、見た目が変わったこととか、他愛のない話ばかりだ。

師走の頃だったか。いつものようにコンビニに入ってヤングジャンプを読んでたら、なんとお廻りさんに呼び止められた。「ちょっと来てください」と言われて、パトカーに乗せられた。コンビニ駐車場に1台だけパトカーが停まってるのって、なかなかシュールだったよ。

それで、ポリ公の2名からこんな職務質問を受けた。

(ポリツァイ×2から職務質問

・「女性声かけしてる人がいる」という店から相談があった

・詳しくは言わないけど、ある女性店長さんに言ったんだって

・ほんとに変なことしてないよね?

・もうこんなことはしない方がいい。あなたもいい年なんだから

あなたにとっては気軽でも、相手にとってはそうじゃない

それで、パトカーの中で詰問が続いた。俺が犯罪をやってるみたいな決めつけだった。正直ムカついた。だが、相手お上だ。忍耐しか勝たん。唯一の道だ。

お巡りさん(ポリツァイ・若)に、「あ…そうだ。身分証見せて」と言われた。俺は免許証と一緒に、名刺入れの中から地元町内会子ども会の役員)の名刺を出した。

会社名刺はある?」とお巡りさん(ポリツァイ・老)に聞かれたけど、「土木作業員なんで持ってないです。この見た目でわかるでしょう」と答えた。本当は地元区役所勤め(※時々作業着を着用する事務吏員)だったか名刺を持ってたけど、見せたくなかった。

だって、こいつらは俺のことを犯罪者扱いしてる。それこそ小学生の頃から地元一筋で生きてきたのに。横浜田舎だけど此処が本当に好きで、ずっと地道に活動してきた。子どもながらに地元イベントの手伝いを何度もした。大したレベルじゃないけど地元に貢献してきた。

から、高三の時に区役所試験を受ける時だって祖父や実父が顔を利かせてくれたし、学校先生や、剣道部監督コーチだって学校単位で推薦状を書いてくれた。「できることはやった。試験がんばれ」って応援してくれた。

(以下追記

※誤解があったらよくないので弁明する。地元のために活動してる人が公務員試験で有利になるのはありうる。ルールに書いてないだけで。実際、俺以外の採用者を見る限り、地元枠というのが明らかにある。ルールに定めはないけど、故郷を想う人を優先するのが地方公務員試験のあるべき姿だと思う。国の機関だったら、外務省非公式ながら縁故採用してるじゃん。国にとって大事な家柄や血筋の人を採用してる。それくらい、社会では『つながり』というのが重要視される。

まあ、警察官に疑われたのはいいよ。実際、俺は悪かった。だけども……お巡りさん通報を受けたので仕方ないにしても、問題はあのコンビニ店長だ。一応、顔は知ってるけどさ。

同じ組内(くみうち)なのに、あの人は町内の溝上げにすら参加しない。お前がひい爺さんの代から経営してる商店(コンビニ)の前の水路、俺らがさらってるんやぞ?? と、急に怒りが込み上げてきた。

子ども会の行事での弁当発注とか、イベントが終わった後の飲み会地元店を順繰りに利用してるのを思い出すと、さらに腹が立ってきた。

そんなこんなで、職務質問は15分ほどで終わった。あの時、子ども会の名刺を見せた途端、警察官二名対応が一気に緩くなったのだ。以降は和やかムードになった。

その一人(ポリツァイ・老)は、俺の祖父を知ってるみたいだった。「あー、連合会長さんのお孫さんなんですね」って感じだった。「今は故人です。お世話になりました」と言っておいた。

漸くパトカーから解放されて、警察官に連れられてコンビニの中に入ると店長さんがいた。それで、出入り禁止を告げられた。

「……そういうことなので。今後のご利用はなしでお願いします」

「わかりました。そうします。すいませんでした。ただね、店長さん。そう思ってたんなら、話をしてもらいたかった。いきなり行政ではなくてね、同じ町内なんだから店員さんに話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった」

はい……では、すいませんが。今後はご利用はなしということで。お願いしますね」

「わかりました。もう利用しません」

言うまでもないが、子ども関係発注リストからあのコンビニを無くした。町内会寄り合いでも情報を共有した。利用客とトラブル解決の話し合いをせずに警察通報する店があったことを。俺はあの時、嫌な気分になったし、地元民同士で腹を割って話し合えないような者と付き合いたくない。

子どもの頃を思い出した。昔、俺の爺さんの世代なんかは、何かあるごとに皆で公会堂に集まって、午前中に話し合いが始まって、昼になろうと、日が暮れようと、夜になろうと、ずっとやってた。話すことがなくなった人から家に帰っていくスタイルだ。夜を跨いだ場合太陽が昇った直後だと討論組と雑魚寝組に分かれていた。

あの人達は、とにかくずっと腹を割って議論し続けていた。そういう農民DNA身体に刻まれていた。それが、この組内(くみうち)のしきたりだ。百姓世界の決まり押し付けるみたいで悪いが、腹を割って話し合いができない奴とは仲良くしたくない。

でも、俺が悪いのは間違いないと思う。だって、俺があの姉妹店員に話しかけなければ、こんなことになってない。悪いことをした。申し訳ない。もし祖父が生きてたとしたら、俺はすごく怒られていただろう。「他人迷惑をかけたらいかん」って、絶対に怒られてる。俺が悪かった。反省してる。

今はこんなことはしてない。大人しく買い物してる。あのスーパーは、今でも週に何度か利用する。買う物はずっと一緒だ。新鮮な刺身と、アサヒビールor焼酎を少々。あとは半額総菜。黒烏龍茶インスタントパック。冷凍食品。そんくらいしか買う物がない。実家暮らしからな。

結局、子ども関係コンビニへの発注分は、こっちのスーパーに移ることになった。大資本がやってるスーパーマーケットではあるが、地元税金を払ってるならいい。



いつまで経っても同じ生活を繰り返すのだと思う。今週もいつもどおり、あのスーパーマーケットで何度か買い物をする。それで、日曜日には水路の清掃とか、子ども会の伝統行事とか、ほかの地区と合同で〇△フェスティバルをやったりする(小中学校の校庭でやるお祭りetc...)。

あとは、そうだ。いつか必ず、子ども会の行事として劇団四季ミュージカルツアー企画してみたい。今思ってるのはそれくらいかな。

こんなことをして一生が過ぎていくんだろうな。そして地元死ぬのだ。できれば祖父みたいに、実家死にたいな。朝起きたら死んでいるのがいい。

話は散らかったが、懺悔を聞いてくれてありがとう。すっきりした。増田の皆さんがよい週末を過ごせるように祈ってる。



追伸

あの後、コンビニとは仲直りしました。

子ども会の弁当発注も元通りです。

2023-11-19

宝塚報道世間の反応で疑問に思った

過去いじめハラスメント等が明らかになり世間を賑わせた界隈をパッと浮かび上がる分だけ書くと、

相撲

歌舞伎

野球

警察

自衛隊

そして宝塚

あと界隈ではなく部分的集団だと日大事件、直近だと某男子剣道部集団的ないじめが発覚し問題視された。

見てわかる通り、共通するものは「体育会系」そして宝塚以外は見事に男の園ばかりだ。

だが唯一の女の園(上層部は男ばかりのようだが)宝塚体制問題になった途端、報道も一部世間の反応も性別という単なる属性がまるで「要因」かのように語るもの散見される。それはおかしい。

他のいじめパワハラ問題で中身のヤバさが露見しても「男ばかりだから」と性別を強調されることはない。整合性をとるなら、宝塚で起きたことも「女ばかりだから」を口にすべきではないだろう。口にしたくなったのならそれは自身が抱える問題であり、自覚するべき醜さ、陰湿性だ。

メディア世間一般人間も、自分の中の差別的バイアスと向き合い、認める機会が必要だと感じる。

ただの一般人の日記

2023-10-31

職場で感じたトキメキがどうも同意されにくいような気がする

社員お菓子無料食べ放題(ブルームバーグみたいな)とか、

営業職は年1回背広10万円が支給されるとか、

内定者懇親会がその企業が所有してる一般人立ち入り不可の文化財みたいな会館で立食パーティーとか、

大学同級生は皆そういうのに目輝かせて物凄い好印象を抱いて入社を決めていたけど、自分は一切トキメキを感じなかった。

今勤めてる会社に入ったばかりの頃、

「最寄り駅まで5キロあるし、しかバスが1時間に3本しかない」

職場で嘆いたところ先輩から

「えっ、そんなん車かバイクで来ちゃえばいいじゃん」

と驚かれ、会社敷地内の空きスペースに連れて行かれ

「ここ停めてりゃ大丈夫よ。〇〇さんとか△△さんとか毎日通勤だよ?」

アドバイス貰ったとき脳内幸福成分がドバドバ分泌されるのを感じた。

また、仕事中に

「昨日YouTube見てたら岩瀬スライダーシュートみたいに内に切ってリリースするって言っててびっくりした」

という話をしてたら、横で聞いていた上司

「それ凄いな。試してみよう」

と机の下からグローブを2つ取り出してそのまま昼休み敷地内でキャッチボールすることになったときも同様に幸福成分がドバドバ出た。

あと、近くに住んでる社員は昼休みに一旦帰って飯食ったり昼寝したりしてるって聞いた時も同様だった。



高校時代剣道部だったんだが合宿オヤツを持参してた同級生顧問から引くほどキレ散らかされてたんだけど、

こういう「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」が徹底的に許されない風土が凄く苦手で(他にも仕事優先で親の死に目に逢えないが美徳になる会社とか)、

そうした風土が消え失せてる共同体に物凄い救いと歓びと感動を覚えるんだよな。大人なのに。

自分は異常者レベルに幼稚なんだろうか。

もう今年で三十になる。

ちなみに、

休み歯医者行くとか、デスクハンカチ敷いて昼寝するとか、W杯観戦に有給使うとか

そういうのが何ら問題視されない文化企業観測すると無関係であるにもかかわらず嫌悪感剥き出しで

「潰れればいいんだよそんな会社

と吐き捨てるタイプの同年代結構いるけど彼らの気持ちが一切理解できない。

2023-10-28

私は昔剣道部所属していた。部活引退を機に剣道を辞めてからもう5年くらいはたつが、今でも時々剣道(というか部活?)の夢を見る。

いま目が覚めたところだが、数か月ぶりに剣道の夢を見た。そこで高校の時の部活仲間にあった。

あの人は今元気だろうか。連絡先ももう消えてしまったし、そこまで仲良しというわけでもなかったので今となってはもう会うこともないだろうが、時々昔の部活仲間が夢に現れては今どうしてるんだろうかと考える。

2023-10-15

[]10月15日

ご飯

朝:ナポリタン。昼:アルフォート。夜:ナポリタン温泉たまごモヤシニンジン椎茸スープ。間食:チョコアルフォート

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

アオイシロ

和風伝記百合ゲームアカイイト世界観を同じくするアドベンチャーゲーム

剣道部夏合宿とある田舎にやってきた小山内梢子が、砂浜に漂流していた記憶喪失少女出会うことから始まる。

序盤は学生主人公たちの楽しい交流シーンが丁寧に描写される。

衒学趣味たっぷりボリュームあるのは賛否両論がありそうだけど、僕はそこは楽しかった。

僕が苦手な歴史エピソードも丁寧に説明してくれるし、衒学趣向あるある語源の話も嫌いじゃない。

食事のシーンですら味の描写はそこそこにメニューにまつわる歴史宗教の話を延々と喋るのは徹底してて好き。

しかし、その序盤を終えて個々のヒロインルートの入ると途端にクオリティが落ちる。

まず文章の量が全く足りていない。

ヒロイン主人公恋愛パート和風伝記として序盤に前振りしていたバトルパート記憶喪失少女やその田舎風習にまつわる謎解きパートなど、全てがあっさりさくさくまるで粗筋を読んでいるかのように進んでいく。

そのくせ、衒学趣味自体一貫性はあるので、バトルパートで敵と向き合ってるときにすら語源歴史の話をしだしてそこはしっかり文量が確保されていたのは笑ってしまった。

スチル絵の整合性を合わせるために無理やりなストーリー展開が多発するのもよくなかった。

また個別ヒロインルートが始まってからも、日常的な遊びのエピソード唐突に挟まるせいで、遊んでる場合じゃないだろ感がキツかった。

そのせいで攻略可能ヒロインよりも、日常パート非攻ヒロインの方が思い入れが強い。

とはいえ別にそれらのキャラ雑談のシーンがあるだけで好きにはなれなかった。

結局、僕が好きになれたキャラクタが残念ながら一人もいなかった。

攻略ヒロイン5人のルートを終えると読めるグランドエンディングも、ツギハギ感が強く楽しめたところが無かった。

システム的にも選択肢フラグの立ち方の因果関係が飲み込めず、やたらと多いバッドエンドに納得がいか不快だった。

またやたらと複雑な分岐制作者も振り回されてる感があり、選択肢で開示される設定を整理しきれていない感があった。

前作のアカイイトがめちゃくちゃ面白かったのでハードルが上がりすぎていて、ちょっと期待度のコントロールを間違えたのかも。

ずいぶん腐してしまったが、序盤の共通ルートのワクワク感は楽しかったし、歴史に学がある人なら僕が気付けなかった隠喩伏線に唸るシーンがあるのかもしれない。

(最後唐突に右腕が伸びるやつは多分何かの歴史文脈があるんだろうなあ、僕は知らないからなんか伸びた! って思っただけだけど)

2023-10-11

anond:20231011205529

わかった。明日の昼間、警察官コスプレをして志村署の2階に行き、一般来客にも聞こえるような大声で糞太郎警察本部文書を書ける高級官僚になれるようによろしくお願いしますと言えばいいんだな。すると署長が奥から出てくるわ5階の道場から剣道部が降りて来るわで絶体絶命だが、その時はどうしたらいい?

2023-08-22

自殺願望誹謗中傷トロッコ問題

中一の春休み初心者なりに1年続けた剣道部活で少し距離のある高校稽古に行く事になった。

高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。

女子男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。

高校側の顧問先生ゲストこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。

1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。

高校先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」

と、皆の前で私に言った。

床に座り込んでいた私の視界に見える道場仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。

泣いてもなんにも解決しないよ。

昔似たようなことを祖母に言われたことがあるけど。

その時とはニュアンスがまるで違っていて、

醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。

帰りたい。

家に帰ってからも、その言葉が口癖になった。

自分けがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。

退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。

ありがとうございました。

逃げるように顧問を背にした途端に涙が溢れて止まらなかった。

顧問戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。

メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など

何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コード自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。

リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。

昔は見ていた学校先生からいかけられ、決まって窓から飛び降り悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。

私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。

前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。

コメントひとつに、

しろ弱い子供不登校学校来ない方が周りの子先生は助かるかも。

という書き込みがあった。

さっき、Twitter話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。

このまま何もしなければ5人死ぬ

たけど、私がレバー操作して5人を助けたら。

その人達の生き残った先の人生は。

1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。

トロッコで生き残っても、その後死んでしまったら意味が無い。

耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。

はいつか死ぬ最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。

私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。

余談

1年生の女子部員は私だけで、団体戦レギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。

試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。

部活勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。

みんなおかしいと思っていました。

から教育委員会も動いてくれたんだと思います兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。

私の母がネットニュース記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれ環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。

2023-08-08

anond:20230808133534

1975年から2017年の間、クラブ活動中に熱中症で死亡したのは146人。

このうち37人が野球部活動中で最も多く、全体の約25%。

次いでラグビー部17人、柔道部16人、サッカー部14人、剣道部11人、山岳部9人などだった。

甲子園ではまだ死者が出ていないんだっけ。

2023-07-22

ポケモンスリープ未来

年内に腕時計型の睡眠計測バンド公式発売されて血中酸素濃度や心拍も計測できるようになり昼寝でも自動睡眠計測可能になる

24時間日中バンドをつけることになり手首は汗で蒸れ蒸れ

手首とバンド剣道部の道着以上に臭くなり、ポケモンスリープユーザー臭いオタクとして注意喚起拡散される

2023-07-18

親友の思い出

 小学校4年生まで、とある市の最南端に住んでいた。

 当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。

 

 わたしには、公園を挟んで向かいアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。

 わたしの家からダッシュで1分もかからない距離アパートなのに、彼女わたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。

 お互いの家を行き来してDS通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシー文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばいダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。

 学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたし小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫

 

 本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女わたしにとって親友だったんだろうね。

 

 でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。

 彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。

 

 そうして、引越しをしてからは、文通が続いた。

 小学生手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。

 そうこうしているうちに中学生になり、わたし剣道部に、彼女バスケ部に入部して、土日も練習試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。

 そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。

 

 それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。

 

 わたし社会人になった。高校大学ストレート卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。

 文通をしなくなってから彼女ことなど思い出すことなく過ごしてきた。しか最近不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。

 用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。

 

 辿り着いてみると、そこには思い出深い公園けがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。

 というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのとき子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。

 

 彼女はどこに行ったんだろう。

 真っ先にそう思った。アパートアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。

 唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。

 

 またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。

 小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友いたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。

 そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。

2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

2023-06-20

anond:20230620173225

相撲剣道などで爪先立ちで膝を曲げて腰を下ろし、膝を開いた姿勢をとること

剣道部だから知ってるんだ。その程度だから別に知ってても大したことない

2023-06-10

anond:20230610071324

人斬りが剣道部員に合ったときみたいなこと言ってるwww

2023-01-18

監督詐称してた

剣道の腕前3段

これが嘘で

受かって当たり前の一級審査に6回落ちて剣道やめてた。

外部コーチとして

先生友達つながりで剣道部にきたと。

指導は的確で

強豪校になったか

ばれた。

コーチはいなくなったんだけど

卒業してからもいまだに強豪校に数えられてる。

2022-11-22

anond:20221122105244

182センチ、元剣道部でごつめです

そういう感じの人ってだいたい、老けて見えるとかおじさんとか言われやすい気がするんだ

からすると高身長ってさわやか細イケメンイメージなんだろうけど、現実ラグビーリーチマイケルとか稲垣啓太とか、プロレスラー高田延彦とか、高校生くらいからそういう風貌ガチムチ高身長がいます

外で怖い目にあうことは確かにほとんどないけど、同級生からオッサンオッサンみたいなのよくあったし、あれはすごく嫌だったな


女の容姿に対する言説はエロ目線ばかりで気持ち悪いってのはよくわかるが、キモかろうが好意的ニュアンス絶対ゼロではないのに対して、オッサン呼びには好意的要素は完全にゼロなのでわりとしんどい

言ってる本人はおそらくブスとかキモメンとかのような悪口意識はなくて、客観的事実を言ってるような気持ちのままでも言える悪口なんでタチが悪いよ

100%悪意成分から成り立ってるよ

2022-11-05

剣道部

自分は幼少期に習いに行って、しばかれまくって、行きたくないって言っても親は甘えるなと言い…ばばやが風呂であざだらけなのを見て必死に親を止めてくれたもふ

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