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はてなキーワード: 反抗期とは

2017-03-26

キモい父親

最近父親を「キモい」と思うようになった。  

本人には言っていないが、とてつもなく「キモい」。  

  

第一に、下品である。  

人前にもかかわらず平気で放屁するし、げっぷもする。それも大音量で。  

食事中に口に物を入れたままクッチャクッチャしてしゃべるのも父親にとっては当たり前。  

痰を切る時も不必要なほどの音を出す。「ンゲェッホ!ガッ!クェッ!ウェーグォッフォ!」なんて毎日聞かされている娘の身にもなってくれ。  

公衆面前でここまで酷いのかどうか私は知らないが、「家族からいい」なんていう特別ルール存在しないので最低限のマナーは守ってほしい。  

  

第二に、不潔である。  

特に肩。フケが積もる寸前。  

さすがに本人に伝えると、「雪みたいだね」。そんな汚い雪があってたまるか。  

ハゲが進行してきているので、乾燥がひどいだけの清潔なフケかと思ったら、なんとシャンプーは数日に1回しかしないそうだ。

真正銘の不潔なフケだ。

隣にいると不潔なフケが飛んできそうなのでとりあえず物理的な距離を保つようにしている。

それなのに近寄ろうとする辺りが「キモい」。

  

こういうことを言うと、大抵「反抗期から」で済まされる。

「娘の成長だから我慢する」?は?

原因が自分にあるかもしれないと考えたことが一度もないんだろうな。

いか。よく聞けよ。

  

自分だって歳とってるんだぞ。

  

当たり前かもしれないけど、これをきちんと現実として受け止められてない父親って多いんじゃなかろうか。

少なくとも私の父親はそうだと思う。

父親の中で私はいつまでたっても「娘」で「子供」だし、自分は「父親」なんだ。

「成長したね」なんて口では言っているけど、話していると私を随分と子供扱いしていることがわかる。

  

そして同時に自分が「おじさん」だと理解してないこともわかる。

  

昔は最低限のマナーは守って人前で放屁やげっぷなんてしなかったかもしれない。

その時は特に下品な行動は慎もう」なんて意識していなかった。下品なことをしないのは当たり前だから

でも今は無意識のうちにしてしまっている。

昔は意識してなかったから、今も意識しなくても大丈夫だと思い込んでいるのだ。いや、そう思いたいのかも。

  

私にとって「反抗期」という言葉は、(言い過ぎかもしれないが)

父親自分のおじさん化を受け止めたくないがために発せられる自衛言葉」または「周りがおじさん化を指摘する声から父親を守る言葉」にしか聞こえない。

反抗期がないと言われる娘とその父親は仲が良い傾向にあるように思えるし、仲がいいのは娘が父親嫌悪感を抱いていないからだろう。

それは、その父親嫌悪感の根源である下品」だとか「不潔」だとかいうあたりをうまくクリアしていることを示す。

クリアするためには自分がおじさん化していること(自分が歳とともに変化していること)を受け止めなければならない。

まり反抗期がない娘の父親自分のおじさん化を受け止めているのだ。

  

反抗期の時期が大体中高生あたりなのも、大体その頃に父親もおじさんになるから

  

反抗期から抜け出すのが大学生とか大人になるあたりなのも、大体その頃に父親から物理的に離れてキモさを感じなくなるから

  

父親からキモい」のではない。「下品で不潔なおじさん」だからキモい」。

道端にいるおじさんだって、「上品で清潔なおじさん」ならキモくないし「下品で不潔なおじさん」ならキモい

いくら父親でもその辺は変わりない。

キモい」と言われたくないのであれば、「反抗期」と言って逃げるのではなく、「下品で不潔なおじさん」から卒業してほしい。

  

これが今年17歳になる娘からの願いだ。

2017-02-21

板挟みのまま生きていくことにした

創価学会二世です。

先に言っておくと、擁護でも批判でもありません。ずっと昔から考えてきたことが、まとまりそうな気がしたので書いています

両親は創価大学出会って結婚した。二人とも朝晩の勤行を欠かさず、会合にも積極的に参加している。聖教新聞大白蓮華を取っていて、隅から隅まで読む。

私は正式に抜けたわけではないが、勤行はしない。会合の案内のラインが来ればそれなりに対応するが、行くことはない。公明党には入れるときもあれば入れないときもある。仏壇に手をあわせることが年に2、3回はあるが、自分からすることはない。しかし、御本尊を破れと言われたらかなりためらうだろう。お地蔵様を壊せないのと同じだ。

勤行をしない私、会合に行かない私に、両親はとくになにも言わない。選挙の時だけお願いねと言われる。ありがたい、と思っている。

小学生くらいまでは会合にもそれなりに出ていたし、朝晩に三唱くらいはしていた。中学生のころ、御書説教臭さがいやになったり、ネット書き込みを見たりして、だんだん会合に足を向けなくなった。反抗期を利用して三便もしなくなった。今では、抜けた理由を聞かれたら、「方針が合わないので」「公明党意見が違うので」と言うだろう。

そういう私だ。

頭がパーンとか、そういうたぐいの書き込みを見ると腹がたつ。強引で失礼な勧誘に合ったと聞いたら、申し訳なくて胸がふさぐ。友人が何気なく言い放った「私宗教ぜんぶ嫌いだから!」という言葉に傷つく。両親のことを愛している。学会がなければ私は生まれなかったと思う。新年勤行会のばんざい三唱はクソ食らえだ。「知ってる?誰それさん創価だって」と言われて苦笑いする。同じ創価二世友達とため息をつく。池田先生がなにをしてくれたって言うんだよ。会合に参加しているのはいい人たちばっかりだ。いったいいつまで、こういう板挟みに苦しまなければならないのだろう。

東日本大震災とき、その夜、「宮城沖で数百と推定される遺体発見」というニュースを見て、怖くて眠れなくなった。どうしたらいいのかわからなかった。津波映像がなんども頭をよぎった。数百人、数え切れない量の人が海で死んだ。その一人一人に人生があった、その恐ろしさに震えた。その人たちを悼みたい、その人たちが死んだことを悲しみたいと思った時、布団の中で丸まって「南無妙法蓮華経」と何度も唱えた。それしか悼む方法がなかった。そしてそういう自分にショックを受けた。私は死者を悼む方法をこれしか知らないのだ。信仰心はなくても、方法けが自分の中に残っている。

いいとこどりをするんだ、と決めた。信仰心はなくてもいい。都合のいいところだけ使えばいい。オリジナルの祈りの言葉オリジナルの生きることへの姿勢が見つかるまで、意味なんてなくても唱えていい。熱心な信者だった祖母を、これ以外の方法で弔うことができただろうか。両親が死ぬ時、友人葬以外でやりたくない。でも、公明党投票しなくったっていい。義理なんて感じなくていい。両親を愛していい。でも信仰拒否していい。勤行はしない。

わたしはもうすぐ大学卒業して、親元を出る。大丈夫だと思う。

同じようにしている人に大丈夫だよって言ってもらいたくて書いた。早く大丈夫になって、同じようにしたいと思ってる人たちに、大丈夫だよって言いたい。

でも大丈夫じゃないかもしれない。10年後くらいに信者に戻ってるかもしれない。いやだな。大丈夫だって言ってください。

あとこれだけ言いたかったんですけど、池田大作短歌下手すぎじゃないですか?誰も何も言わないの?

それだけです。

2017-02-18

23歳くらいまで家族と一緒に住んでいた。母子家庭だったが母親はがんがん働いていたので、おかげさまで生活に困ることなく成人できた。むしろ品のいい車を乗り回すくらい裕福だった。(お金や車、家を持っていたのは母であって私ではないが)

私と弟が大きくなると、母は週末、当時の彼氏(現再婚相手)のもとへ車で出かけていた。反抗期のけんかくらいはしても親子仲は良好だったし、彼の存在家族内で公認だったので行ってらっしゃいという感じだった。

土曜の夜はたいていいなくて、日曜の夕飯前に帰ってくる。週末いないことに特別さみしさやいらだちは覚えなかった気がするのに、やはり日曜の夜に母が帰ってくるのは嬉しかったらしい。

私の部屋は2階にあって、駐車場で車が出入りする音がよく聞こえる位置にあった。日曜の夕方小一時間夕寝をする習慣があったが、母が帰ってくると独特のエンジン音がするので、それが目覚ましだった。どんなに眠くても、バイト仕事で疲れていても、エンジン音がすると嬉しくて安心して、ふらふらしながら1階の玄関まで降りて「おかえり」と言って、母が買ってきてくれるご飯やおかずを受けとる。冬は母の手がいつも冷たかった。

独特なエンジン音とは、某社のわりと高級車だからだと思っていたが、どうもその頃その会社製品に搭載されるようになった当時の新しいエンジンだったようで、戸建てが並ぶ近所には同じ会社の車はあってもどれも違うエンジン音だった。

今では町中でそのエンジン音を耳にする。そのエンジン音を聞くと、今でも母がご飯を買って帰ってきた日曜の夜を思い出して、嬉しさと安心がよみがえる。

2017-02-12

清水富美加さんのこと。

清水富美加さんには、何度か会ったことがある。

といっても、業界の末端の人間なので、両手で足りるか足りないか程度の回数ではあるが。

彼女仕事でいっしょになったことのある人に、彼女のことを悪く言う人は本当にいないだろう。

そして、これも多くの方も思っていることだろうけれど、あれだけ才能のある女性芸能界から去ってしまうのは、本当に残念だ。女優としても、タレントとしても、まさにこれから!という時に。

前置きが長くなった。

幸福の科学ではないが、僕の両親もある新興宗教信者だった。

小中学生のころは、定例の儀式にも参加していた。クラブ活動や塾などの他の予定よりも、そちらを優先していた。

18歳のころか20歳のころかは忘れてしまったが、ある日、父に

「お前も洗礼みたいなの受けてこい」

と言われた。

(もちろん洗礼ではない。ホントに忘れたが、大人になったら受けるべき何かがあったようだ)

当時、遅めの反抗期だった僕は猛烈に反発した。

親の宗教押し付けるな。宗教に使う金あるなら、この貧乏生活を何とかしろ

(両親、というか父が宗教にハマったきっかけは生活苦だ)

まり強硬に反対したため、いったんは親も引き下がったが、その後も何度か同様のことを言われた。そのたびに言い合いになった(結局あきらめた)

清水富美加性格が良かったのが、幸福の科学信者のご両親の育て方のおかげならば、その点には感謝すべきかもしれない。でも、もし強制的宗教に入れられてしまっていたとしたら。本人に疑問をもたせる隙も与えてなかったとしたら。

この問題は本当に難しい。答えは出ない。

http://anond.hatelabo.jp/20170212000922

今思えば12歳という年齢で他者競争し、また自分自身を追い込み結果を出すという事は、なかなか得られない体験かもしれない

中学受験をする子供他者との競争なんて考えないよ。他の子どもとの比較を考えるのは親。子供はちゃんとそれをわかってる。自分を追い込むのも、自分のためではなくて、親のために自分を追い込むんだよ。自分のためになるという親の言葉を信じているから頑張る。

ゆるいプレッシャーを与え続け、「お前はどうしたい?」とか「誰のための受験なんだっけ?」と問いかける事が多かった。

から、「親がいう『自分のための受験』」をする子は多い。

そうなると困るのは、受験が終わったあとの、そして反抗期が訪れる中学期に、勉強するモチベーションがなくなってしまうこと。ほんとうは親のためにやっていたという記憶反動で、勉強自分のものとしてやる気持ちがなくなってしまう。そうなってないかということは十分注意を払う必要がある。受験というイベント中学ときにやったんだから勉強に対する自主性が育っていると勘違いしてそのまま放任してしまう親は多い。大学受験ときになっていきなり子どもを叱りつけても取り返しはつかない。勉強内容のレベルと、勉強する態度の育成の度合いは必ずしもセットではない。

小学校では勉強のできる子からできない子まで幅が広かったが、これから一定レベル人間の中で生活し、競争していく事になる。是非とも生き抜いて欲しい。

勉強のできる子たちの中での競争を期待するってことは、勉強のできる家庭同士で競争をする覚悟を持つってことだよ。勉強ができる子どもの後ろには勉強のできる親がついている。それは単に学生時代テストの点が良かった親ということではなくて、どの時点でどのような勉強をするべきかきちんと理解しており、それに基づいて子どもサポートする能力のある親ということ。そういう親を持つ子と競争するときに、親の後ろ盾がない子は勝ち目がないよ。今までの勉強の仕方が通用しなくなったとき姿勢を変えなければならなくなったとき、周りについていけなくなったときに、常に即時的にサポートしてくれる人間が身近にないと、大学へ入るのにふさわしい状態にたどり着くのは難しい。一貫校に行ったから、塾に行かせたからあとはオッケーではない。だから、これからも6年間お子さんと一緒に勉強してあげてね。

合格おめでとうございます

2017-02-06

ジジイババア! などの罵倒言葉問題について

何か言葉が足りないよなぁ

 

この年増!という意味で使うババア

だけど、本来ババア!は初老以降のおばあさんに対して使ってほしいわけよ

 

おばあさん、ばばさま → ばばあ!

おばさん、おばさま → 現状ばばあ! ここにもう1語欲しい

おねえさん、ねえさま → ?? できればここにも欲しい

 

こう思ったのは、20代後半のにいちゃんがジジイ呼ばわりされてるのを見て、なんかしっくりこなかったせいだ

 

おじいさん、じじさま → じじい!

おじさん、おじさま → 現状じじい! ここにもう1語欲しい

おにいさん、にいさま → ?? できればここにも欲しい

 

まあ罵倒語っていうのは過激に言うものだけど

例えばクソジジイ!とは言えるが「クソおじさん」とは言えない、「クソお兄さん」も言いづらい

そもそも「にい」「ねえ」が言いづらい

というか兄とか姉って単体で敬う意味が入ってるから使いづらい

 

もっとクソ男!的な汎用的罵倒語がほしいよね

 

たぶん反抗期の中房みんな思ってるはず

2017-02-04

なんで勉強するのか

ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。

私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいいくそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。

さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。

院進しなかったから「学問のもの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。

就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂とき救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。

かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」

娘の言葉遣いは本当にこんな感じだった。中二病なんやろな。

はいえ、「反抗期つらい」じゃすまされないなあと思った。

言ってから気付いたが、オウム真理教幹部高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。

そりゃあ、私にも、東大受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子ども勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。

追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。

追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会普通に生きていくことができないか勉強するのだとしても、ではなぜ社会私たち勉強要求するのか」あたりが質問真意だったと思う。

つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉ほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。

追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。

自分東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。

追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系リア充グループ所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生学校を酷く軽蔑しているようで、「中学システムはぜんぶクソ、教員馬鹿ばかり、数学教員数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道哲学教科書」を見つけたから。自分利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。

追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。

2017-02-03

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。



「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。



母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。



日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。



母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。



そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。



専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。



ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。



中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。



対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。



母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。



就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。



近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。



しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。



私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。



その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。



おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。



その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。



この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。



徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。



ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。



これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。



私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。



そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。



いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。



そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。



母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。



それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。



薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。



同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。



また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。



結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。



そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。



近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。



さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである



しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。



センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。



でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。



老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。



ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。



こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。



アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。



翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。



電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。



正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。



最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。



正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。


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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

2017-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20170201151127

どうせ、その次女が反抗期を迎える頃には、

「どうしても次女を愛せない」

とか言い出してただろうから、別れて正解。

2017-01-31

この三年で出会ったクソSEたち


派遣会社から派遣されてくるSEの質が悪すぎて怒りを通り越して無に近づいてきてる。

クソみたいな障害を切り分け、ひと段落ついたついでに愚痴らせてくれ!!!!!!!!!

派遣SEから酷いのか、酷いか派遣しか働けないかは知らない。

今まで三年働いてきて、周りで見ていてひどかった奴らを順番に紹介していく。

そいつらは、私の会社が入れた奴だったり、元からその現場にいたやつだったり様々だ。


1、エクセルドット絵じじぃ

推定50歳。構築、テスター要員として突入

5ページ構築するごとに「疲れた、もう無理」と嘆き、周囲に不満を漏らす。

同時に、タバコ休憩に向かう。休憩に行ったら30分帰って来ないが、そんな奴はよくいる

構築をサボって普段使わない端末の前に座っていたため何してるのかと覗き込むと、ひたすはエクセルドット絵お絵かきをしていた。

参考URLはこちら。

http://tera-hirakata.jugem.jp/?eid=791

2、数日で蒸発

よくいる奴。今まで3人ほど遭遇。

数日出社したのち、インフル風邪だと言って来なくなり、そのあと連絡が途絶える奴。

40ちかい派遣おっさんによくいる。就職氷河期だったから大変だったんだよね!わかる!わかるよ!!わかるからさっさとIT業界から消え失せろ。

3、メンヘラ女とDV

25くらいの女と40くらいの男。

二人はこの作業場出会った。ペアで作業をすることが多かったが、作業をしているよりも言い争いをしている時間の方が長いのではないかというくらい酷い奴らだ

ある日突然二人とも休み、その翌日、男は会社に来たが、その日以降女は会社に来なくなった。

どうやら「女の両親が倒れた」らしい。真実は闇の中だ。きっとDV男と一悶着あったんだろう。

男と女が休んだぶん、女がこなくなってから1週間の仕事はすべて当時最年少だった私に降って来た。許すまじ。

ただ単純作業だったため、やつらが23時まで残業してた作業が定時で終わったのが唯一の救いだ。どんだけ非効率なんだよ。

4、システムエンジニアではない糞男

30男。中身は粋がってる中学生男子

本気で消えろ、トラウマクソ野郎

業務内容の説明をすると、「うっす」「ういっす」と返事をする。返事をするが一切内容を理解できていない。

何度もこの環境にはA、B、Cの環境があり、それぞれのIDパスワードはコレだ、と言ってもメモも取らず返事をするだけ。

案の定パスワードを間違えまくりアカウントロックさせ、「なんか入れなくなったんっすけど」と言いやがる。

メモしてください」と言ってようやくメモするが、メモしたノートを見ないためまたアカウントロックさせる。

そんなクソ野郎なのに、shiftdeleteで完全削除できるという小ワザを身につけやがってて、本番サーバファイルを消し、隠蔽しやがった。

ファイル更新日付を確認したいと言ったはずなんですけど?????????なんで消えとんじゃ、クソ男。

何が「これ、テストサーバーじゃないんっすか?」だよ、作業前にこのテストドメイン使えって言ったのに本番ドメイン接続しやがったのお前だろ?しね。

消えてから2年近く経つが、思い出すだけで今でも相当胸糞悪い。

5、反抗期ワキガ

30男。ただの反抗期。4の男と類似メモを取らない、覚えないためいつまでたっても私に聞いてくる。

大事ことなのでメモ取ってください」というと、「今取ろうと思ってた」と言い紙とペンは手に持つが、何も書かない。

テスト中に集中力が明らかにキレてるため、「15分休みましょう」と言うも、「いいっす、大丈夫っす」と言い、テストを間違えまくる。間違えた部分を仕方なくダブルチェックで指摘すると、「テストケースの書き方が悪い」とキレる。

そしてワキガで超臭い。隣でテストをしてるとその匂いに頭が痛くなり、テストに集中できない。

お金貯めてワキガの手術してください


同期や同業他社の友人にこの話をしても、そんな人今までに1人出会たかどうかくらいだ、と口を揃えていう。

ほんとかよ?????

2017-01-22

自由表現という意味では、

女児自分自分感性表現するアニメを作るのが理想ではあるのだけれども、

女児にそんな技術感性があるのかはさておいて

女児向け、男児向けっていうカテゴライズ自体が、大人子供のために作った教育番組ですよと言ってるようなもの

女性像、男性像を押し付けるなという方が無理。

ついでに言うと、何もない所から自分は生まれない。

大人の考えたさいきょうの子もの真似事から初めて、

やっぱり大人ってバカなんだなって反抗期に入るまでが人格形成やら成長には必要なんだろう。

2017-01-21

反抗期勉強せずに負け組企業に入って勝ち組内需インフラの連中を毎日羨んで生きてる

いやまあ正直言えば死にたいんだけど死ぬのが怖いから生きてる

2017-01-09

大企業東京本社ビルに勤める増田

ロスジェネ世代

1998年当時、皆が大手企業を中心に就職活動するなか、東京勤務と大企業にだけは就職したくないと、中小企業狙いで就職活動していた反抗期自分

今では、ネット界隈で「新卒教育が充実している大企業か、即戦力が鍛えられるベンチャーか」という論争が盛んだが、当時はネットでの就職情報さえなかった時代だ。当時の俺は、即戦力をつけたいという思いか100人くらいの会社入社した。仕事徹夜続きでブラック企業だったが、成長実感が感じられ、働き甲斐も大きかった。

その後、数社のベンチャー企業転々とした。プロジェクト会社に与える自分の影響が強いことに働き甲斐を得られる反面、このタフな働き方をずっとは続けてはいけないこともわかった。社長ビジョンを信じ、給与が出ない生活にも耐性がなかった。

働き始めて17年後、いくつかのご縁と幸運が重なり、今は、大企業東京本社で勤めている。

周囲の社員は優秀でホワイト企業

だが、組織システムが硬直化し動きが遅い上、現場は遠く、自分仕事なのかどうかも実感できない日々が続く。

内調整が重視されるため、若いころに培った伸び盛りある現場仕事ノウハウが活かせるような職場でもない。

大学生のころ、絶対行きたくないと思っていた大企業東京本社で勤めている。

現実逃避で友人のベンチャー企業を手伝っていると、いつのまにか自分大企業病に罹っていたことを知る。

やはり、給与がいつ出るかわからない環境に身を置けるほど、若くもなくなってしまった。

リスクばかりを気にするようになった。

環境が人を作るとはよく言ったものだ。

心が老いて、俺はもうゾンビ企業ゾンビのものだ。

2016-12-26

反抗的なのは遺伝する

3歳の息子が反抗する

世に言う第一反抗期なのかもしれないがそーいうレベルじゃない

非行に走ったらどうしよう

ちなみに私も反抗的というかみんなと同じ事をするのが嫌いです

2016-12-25

自分の娘にコンドームを付けない男とは別れろと教えられるのか

娘まだ一歳だけどさ、彼氏ができるような年頃になったら、コンドームを付けないような男とは絶対に別れるようにと教えたいけどさ、思春期反抗期に親にそんなこと言われて素直に従うのだろうか。むしろ反発して絶対に別れない!とかなりそう。

娘に自衛のためコンドーム待たせた方がいいのかもしれないけどさ、コンドームもってる女子高生なんてやる気満々みたいで嫌でしょ。彼氏にこれ使って、なんて言えるか?

なんで持ってるの?ときかれて、親がくれた、とかドン引きだよね。それで学校で広められたらお終いな気がする。

でもコンドーム付けないようなクルクルパーとは絶対に別れた方がいいじゃん。でも10代の恋愛なんて娘の方がクルクルパーになってる可能性大だし、ほんと大丈夫なんだろうか。

自分は親から性教育的なこと一切されてないけど、よそのご家庭はどんなもんなんでしょ。

2016-12-24

教育現場新卒殺したいなら担任しろ

教員免許国家資格なのは子供を預かり教育することがどれだけ重要なのかというのことを表している。

それなのに国や各自治体は何食わぬ顔で教育現場経験新卒担任にする。

昨日まで学生だった22、3歳の彼らは突然30数人の子供を預かることになる。思春期反抗期に入った子供は実の親ですら分からなくなる時がある。それなのに国はそんな子供達をまだ何も知らない若者に放り投げる。若者若者なりに考えてやるものの、ベテランと同じ仕事をできるわけがない。普通会社ならここで「すぐにベテランみたいになれるわけがないんだから失敗しながら頑張れ」と自分を慰めることができるかもしれない。しか教育現場ではそうはいかない。学校というのは子供にとって大きな影響を与える場所である大人になっても学校での良い経験、嫌な経験を覚えているように感受性が豊かな子供の頃は、学校ひいては教員存在は大きいのだ。つまり大人にとってはただの失敗でも子供にとっては数十年経っても忘れないトラウマになることだってありえるのだ。

そんな大事仕事する新卒のために、多くの自治体では事前研修などをしない。

4月1日になると現場に放り出され、6月7月になってからやっとクラス経営指導方法といった研修が行われる。おせーよ。

周りの教員も忙しい年度始めにきた新人など相手にしている暇がない。嫌がらせではなくそこまで心の余裕が持てない。孤立する新人思春期の子供、忙しさで苛立つ同僚、おなざりになるプライベート。そりゃ死ぬわ。



国や地方自治体の人が見てるならどうか分かってほしい。研修は事前にやらなければ意味がないということ。土日の部活をすると週7勤務になること。新卒副担任から始めるように義務づけること。

そうしないと真面目でストレスを抱え込むタイプ教員死ぬぞ。

2016-12-14

家族団らん!?

家族団らんって何?

一緒に食べていても、子どもは私の子供なのに継父に懐いて私には目も合わせず、話も継父にばかり

私が話に入ろうとしても、明らかに邪魔って感じで見るし話聞かないし、何なの?

あんまり腹が立ったから、目の前のPCヘッドフォンつけて、耳にあてて音楽聞きながらご飯食べたわ

そしたら、旦那が喋ってきて。。聞こえてないっちゅーの!てか、見たらわかるのに、喋りかけてその後に

「喋ってたの聞こえてなかったの?」って、すっっんごいアホな質問してくるの、はぁ???

わざと、そうしてたって、わかってるハズなのに、なんなの???

私の存在ってなんなの???バカみたいアホみたい

贅沢な悩みなんかもしれないけど、最近はそんな事ばっかりで、頭にきてたからさ・・・・・

話の内容もそりゃあー、継父の方が色々知ってて子どもはたのしいんでしょーよ。でも、私も知ってる話題でも

話に入ろうとしても、何で嫌がる???一体何が悪いの?

やっと、反抗期も落ち着いてきて少しはイイ感じになったかと思ったら、こんな仕打ち???

もう嫌だ!!!!!

旦那は気をつかってるけど、基本私の事とか放置プレイだしね

意味があるらしいけど、ほっておかれた方はもうーーー発狂しそう!!!

で、一家団欒の時にその態度ってどうなの?って素で聞いてくる旦那。。。もう、わけわからん

普段からPCゲームとか一緒にやってて私の入る所がない。。。。

困った時だけ、言ってくる。。。

全て放棄したいけど、出来ない所が辛い親心・・・

知らない土地・知り合いもいない、どこにも行くところがないのに、家にまで居場所がなくなったら、どうすりゃいいのさ

毎日地獄・・・

2016-12-08

この世界の片隅にのん」が絶賛されてる理由

彼女境遇に合わせて「はまってる!」と言ってる人がいるが、 も う そ う い う の 面 倒 だ か ら や め に し ま せ ん か 



この世界の片隅に」の主役はすずさん(アニメボイスのんである

そしてこの作品群像劇とは違う。確実に「すず」の目線で見た「すず」の世界お話であり「すず」の話である

最初から最後まで、のんボイスですずの心象風景が語られていく。

そのリアル自然なさま。

方言もどうやら絶賛のようだ(広島弁から呉弁に代わるらしい。うん、他県民なのでわからん。でも確実に広島弁なのは分かる)

「ありゃー」が口癖のすずさんの「ありゃーバリエーション」は素晴らしい。『上手いとか下手とかじゃなくて~』と人はよく言うが、これはかなりテクニカルなことだろう。

朝ドラ全話の「じぇじぇ」のバリエーションを全てまとめるというキチガイ動画しかNHK公式)を見たことがるが

何百回もあったので「この『じぇじぇ』と今の『じぇじぇ』は似てるな、近いな」と思うこともあったのだが

このアニメの「ありゃー」は全部違う。そして全部可愛い。(ありゃーはすずさんしか言わない。じぇじぇ!は皆川猿時も言う)



あの絵柄のため子供のすずさんと大人のすずさんの見た目はさほど変わらない。

お嫁に出たすずさんを大人、としても18歳なので、あまり変わってほしくもない。

なので子供時代の声も「のん」が当てている。イケメンボイスで「細谷佳正」もショタを演じてる(子供なのにイケメン声すぎであるが周作さんなのでよし)。

しかしある地点から、すずさんは見た目も中身も大人になっていく。

それが違和感なく、自然に、そしてふとした瞬間に<声>で分かるのだ。

このアニメ戦争記号化してきた作品とは違って、【あの時代】という事実を打ちだし、見る側に考えさせる形をとっている。

なので子供声と大人声を分けないと判断した功績は大きい。

子供の声はどうだ」とか「大人の声はどうだ」とかい記号化された認識を、声で打ち砕くことに成功した。



のん」の境遇と重ねるな、と最初に言ったので、あまちゃん能年玲奈という女優を例にだすと、

主人公アキは最初標準語で、ぼんやり暗い子だ。

それが最初の一週間を終わったころ別人になり、だんだん訛って、意思を持ち、表情が変わり、反抗期を迎え、目が鋭くきらめく瞬間がある。

そして不本意ながら世の中を迎合し、母親を受け止める。大人になる瞬間がある。

それを「のん」はアニメの中で声で表現した。

これがどれだけ凄いことか、というのは<音>の情報なので「見にいけ」としか言えないが

前半の「すず(のん)」と後半の「すず(のん)」の声は別人と化している。



本職声優なら誰でもそれができるのだろうか?

そうではないと思う。声優だってまり役とそうではない役がある。

この「のんの声と演技」は「すずというキャラクター」に恐ろしいほどはまっている。そして作品世界観を作り出している。

のんの声に引っ張られるように、他のキャストナチュラルに設定された。

もしコテコテアニメ声を出されていたら、この作品にその声は違ーう!!と心の中の宮崎駿が抗議をしにきたレベルだ。

奇跡的なハマり方をした。駿、これがしたかったんだな。

高山みなみ原作者結婚し、離婚しても降板せずコナンを続けているというくらいの奇跡的なキャスティングを起こしている。監督感謝したい気分だ。



いろいろ感想は見るが、本当に声がはまって一定レベルに達していないと「彼女境遇に重なって~」とも思えないと思う。

いくら境遇が合ったにしろ、下手だとか、微妙だとか、散々言われてただろう。

うがった見方、うがった聞き方をしているのはそんな絶賛を続けている方では無いだろうか。

のん」の奇跡と、実力と、キャスティングをした監督スタッフ一同。本当にありがとう

2016-11-25

美人に産まれたかった

母は美人である

歳を重ねたけれど、ぱっちりとした二重にすべすべの白い肌。

昔の写真を見たが、まるで女優みたいに綺麗だった。



父は不細工の部類に入ると思う。

色黒で、顔が大きく、目は細い。

これがそっくりそのまま私に遺伝した。

せめて肌くらいは母似の色白になりたかった。


娘は父親に似る、というけれどこれはあまりにも辛いことである

母似に産まれていたら、きっともっと楽しい人生だっただろうにと思ってしまう。



でも遺伝なので仕方ないことである

顔は不細工だけれど、何不自由なく育ててもらった。

まれている部類に入ると思う。


「〇〇はあんまりパパに似なくてよかったね〜」

と直接母に言われたとき、私は苦笑いしかできなかった。

だってどう見ても、私は父親なのだから



父は性格がよい。

穏やかだし、煙草も吸わない、ギャンブルもしない。

理想的父親だと思うし、反抗期というものもあまりなかった。



母はしたたかだと思う。

すごく外面はいいけれど、父の愚痴をよく言う。

今の時代だったら、父と結婚しなかっただろうと話す。

母なりに事情があるのだろう、私には計り知れない何かが。



私は我儘だと思う。

幸せな家庭以上のことを望んでいる。

美人に産まれたかった、とやっぱり思ってしまう。

エラも頬骨もはっている顔を綺麗さっぱり取り去りたいと考えている。

整形してる人って今どれくらいいるんだろう。

沢山チェーン店があるということはそれだけ需要があるんだろうな。

と思ってちょっと恐くなった。

2016-11-15

じーちゃんが死んだ

大好きなじーちゃんが死んだ。

息を引き取ったのは先週だったけど、葬儀場の予約が取れなくて、結局今週末まで自宅で安置する事になってる。

ばーちゃんが認知症ってこともあって、同居してるおじさんもずっと見てられないってことで、孫の俺が泊まり込みで世話してる。


認知症っていっても、徘徊するとかそういうレベルではなく、数分前、数時間前、数日前の記憶が全くなくなる程度のものだけど、

一般的に言う老人の"ボケ"よりは、相当深刻な状況。


葬儀に使う写真やら、毎日来る親戚への対応やら、戒名やら、墓地やら、事務的な準備でおじさんのサポートをしている。


私の母はもともとヒステリー持ち?というかADHDぎみの所があり、ここ数年は伯父と認知症祖母と3人で揉めていた。


冷静に話しをまとめられるのは私だけだということで、毎回仲裁役というか、方針決定や意思決定をしているのだけれども、

今回もその仲裁役として、孫である私が毎日世話することとなっている。


父親は長くから海外勤務で別居状態10年以上続いているため、サポートは期待できない。


母が葬式の準備や認知症祖母対処で、伯父、祖母で怒鳴りあいになるたび、仲裁してたのだが、今日、遂に私が切れてしまった。

これまでの母親への不満が限界を超えてしまった。



20代後半にもなって、泣きながら、取り乱してしまった。


もちろん母親ヒステリー拍車をかける結果になり、いい歳して母親に頭をグーパンで殴られてしまった。


伯父の仲裁もあり、落ち着いて皆で話し合ったが、相変わらずばーちゃんは意味のわからないことを言っているし、

母親は、私は何も悪くない。私は何もできない人間なのに家族であるお前が優しくしてくれないのは酷い という主張。

まぁこれは、生まれからずーっと言われてたことなんだけど。


落ち着いたあと、思ってること話せって言われたから、

母がヒステリー起こすと、私が幼い頃母が包丁を持ち出した事が思い出されて、辛いと伝えた。そしたら、

だって受験期のお前に殴られた事あるから、それでチャラにしろと言い返された。

うーん、反抗期の子供の態度と、小学校低学年生に包丁持ち出すのって、イーブンなのかなーとか思ったけど、言い返せなかった。

明日も来るのかと聞かれ、

じーちゃんの為だけにも、俺は投げ出さな

と呟いたら、

私の為ではないの?と泣く始末。

もう理解不能

仕事も行けず、俺もストレスがたまってきてしまっていて、なんか書き出さないと落ち着けいから書いてみた。

読み返してみたけど、結局は、大変だったんだねって言って欲しいかまってちゃん丸出しだし、自分クソだなってなってる。

母親母親で辛いはずなのに、それをカバーしてあげなきゃいけないんだろうなーとか思ったりするけど、

なかなか、難しい。

野菜運動瞑想解決するかな。


今日は一旦帰宅することになったけど、明日もばーちゃんの面倒で揉めるだろうし、事務仕事残ってるし、

母親に、逃げ出したと言われるのが嫌だしなー

2016-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20161112185046

お父さん大好きな女

反抗期を逃した

すっかりおじいちゃんになった今となってはケンカもできない

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107130534

父が死んで後悔するパターンかと思ったら違った

反抗期といっしょで、嫌悪するようになる場合とそうでない場合があるんだから、どっちが正常とかいうのはないんだよな

父を気持ち悪いと思った過去

先日話題になっていた増田

「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。


私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイト男の子ケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。


小学校中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代男性比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日ちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシ気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体嫌悪感を感じるようになりました。


ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います


その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります


ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリーム冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチン飲み物を取りに行くと、父がリビングシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。


父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから休日に父が家にいることがなくなりました。


そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。

土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。


父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。


あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身過去正当化するつもりは更々ないですし、我が家対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います

追記(11/8)

一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます


私が父にしたことを本能から(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります


冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分理不尽発言のせいで、父親自分洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。


私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というもの意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。


父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。


「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論しかありません。


今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います


意見いただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました。

2016-10-27

この季節になると思い出すこと

小学生の時、親が離婚して片親になった

祖父も早くに離婚してて一人暮らしだったけど、なんか病気したらしくて病院に行くのも大変だってので母親と一緒に住んで在宅介護してた

元々常日頃から怒声罵声に杖や拳が飛び交う感じで、母と祖父の親子仲はあまりよくなかったのかもしれないけれど、

ある日の夕食中、いつも通りやたらと横柄な祖父にブチキレた母親が、奇声を発しながらコンクリの土間に皿を叩きつけて割りまくり始め、

ジジイは怒鳴るし、オカンも叫ぶし、皿は飛び交うし、何かでどこかを切ったのか血は噴き出すしっていう状況になってしまった

アホらしいし投げられてたのが自分の茶碗ってわけでもないから直接関係ないと思って、引き続き「サンマ美味しいな♪」って食べてたら、途中からなぜか俺が二人がかりで怒られ始めた

すごい剣幕で両サイドから怒鳴られながらも頑張ってサンマを食べ続けていたのに、遂にサンマを取り上げられて、あえなくサンマフライハイ

正直あまり細かくは覚えてないけど、おそらく「オレ サンマ クウ ……オイシイ!」ぐらいしかその時考えられなくなってたっぽい俺は、

土間に落ちたサンマをジッと見て「まだいける」って言って床に座ってまた食べ始めたらしい

後はもう殴られても転がされてもドつかれても何言われてもサンマのところに戻って絶対サンマ食うボーイと化して、

最後には意地でもやめさせようとして引き剥がそうとする母親祖父に向かって「いいかポン酢よこせや!!」と大声でキレて、

土間のサンマをおいしく完食してごちそうさまと言って部屋に帰っていったらしい

祖父が死んだあと、それが初めての反抗期だったとかしみじみ言われて、今もよくその話をされるけど、

聞けば聞くほど、いやそれ絶対俺どっかぶっ壊れてんじゃねーか笑い話にするなよって思う

正直、この話の登場人物は全員どこかおかしい気がする

でも、あの時の地べたサンマが猛烈に美味しかったことだけはなぜか鮮明に覚えていて、結局あのサンマを超えるサンマにまだ出会えていない



書いてて思ったけど、単に口の中が切れて血合がよりブラッディでジューシィになってただけかもしれない可能性に今気付いた

今夜試してみよう

死ななくてよかったなーって話

吐き出したいだけなんで文章破綻してるしわかりづらいよ

物心いたこから高校卒業するまで生活保護受けて生きてた

たぶん小学生1年生の頃からすでにナマポだったか

父子家庭父親無職だったか

母とは私が3歳の頃離婚したらしい。

理由は母と父でそれぞれ言い分が違ってて、母は「脅されたから」とか、父は「あいつが男作ってた」とか。まあどっちも濁してたし本当の理由わからん。今さら知ろうとも思わない

んで父に引き取られてナマポで生きた。子供がいると受給やすいのかな?

父はなんというか欲望に忠実なやつで、金が振り込まれると大抵ゲームを予約したりネットゲーム課金したりした。

子供にせがまれれば物を買ってやってたしケチなわけではない?でも子ども手当存在子供に隠して新しいパソコンを買ったりしてた。

あとネトゲでできた彼女に会いに子供置いて九州行ったりとかもあったな。その時従姉妹の家に預けられて性に目覚めたような気がする。

父との外出の思い出、映画館まで行って実写デビルマン見て(私は寝てたけど)ゲーセン寄って帰った。そんだけ。

あとちょっとDV気質だったのかな?姉がネトゲいじってプレイヤーキャラ殺しただけでぶちギレて壁に穴開けてた(私と姉はすみっこで震えてた)

父に「無職の癖に」って姉が言ったときフライパンで殴られかけてた。直接やられたことはないけど。

私自身の話も書こうと思ったんだけど全然書けないわ。しょうがないので思い付くことだけ書く。

父のことはそんなに嫌いじゃなくて反抗期も無かったんだけど、なぜか高校2年生あたりから急に父のことを死ねばいいと思うほど嫌いになった。

卒業式にも来てほしくなかったくらいだった。放課後スクールバスを待つ時間姉と悪口大会いたこともあった。

そんなこんなで今年高校卒業して、母の助けも借りながら就職して家から離れた。

当然生活も変わった

手取り12万をひとりじめ!!初めて多額のお金自分のためだけに使った。もちろん携帯料金とか生活費あるけど、余裕のあるときは好きなことに好きなだけつぎ込めた。

ゲーム買って、ぬいぐるみ買って、雑貨品買って、本買って、お菓子買って、姉にお土産送って……と、子供の頃からずっっと欲しかった・憧れてたことをみんなやれた。

実は小さい頃からアイボンで目を洗うのに憧れてた。それもできた。

服とかアクセサリーとかは全然興味無かった。

それに社員住まいで食費がかから家賃格安ときた。仕事でも上司はみんないい人だし最高だった。

まー結局言いたいのは、死のうと思ったとき死ななくてよかったなーってこと。

文章じゃ伝わらないだろうけど色々辛かった。働くのが怖い、人が怖いと思って死のうと思ったことが何度もあった。

実際働いてみたらそんな思いも薄まった。

こんなことな高校生ときバイトしてお金貯めればよかったな~

仲良い姉とは離ればなれになったけど、こっちに休みがあれば押しかけてる。この間くそたかい肉を土産に遊びに行ってカラオケで歌いまくった。あと母と久々にあったとき名字変わってた。びっくりした

ちなみに父は甘ったれ理由バイトやめてまたナマポ受給した。お前援助できん?って手紙役所から届いた。野垂れ死ね


10/28追記

思った以上にコメントもらえて嬉しい反面驚いてる

父のことはスラスラ書けたんだけど、自分の思ったこととかまったく書けなかったから、微妙に辛い過去持ったやつがお金ゲットしてはっちゃけてるバカな話だなって読み返して思ってたんで。

なんか自分のこと書こうとしても途中で消しちゃうんだよね。精神的な邪魔があるのかな?心理学的な?

まあ家庭環境のおかげで自分人生の大半がめちゃくちゃになったのは間違いないね

コメントについて書きます

まず優しいコメントありがとう

父はかなりゲーム好きで美少女の出るゲーム特に好きらしかった。基本パソコンの前に張りついてたよ。

辛いことは順調に忘れてってると思う。子供の頃のこととか、高校なんて半年前に卒業したばっかなのに担任名前すら覚えてないわ。

父ははてなとか知らないんじゃないかな。はちまとか俺的ゲーム速報とかはよく見てたっぽい。

家族はお互いに助け合わなければならない」役所から書類にも似たようなこと書いてあったわ。知るかボケ

文章中だと子供は私と姉しか出てないけど兄もいるよ。私が中学上がる前に職就いて県外行った。LINE絵文字ごてごてのメッセージたまに送ってくる。なんでクソ父が親権取れたんだろうね。母が手放したんじゃないかと思ってるけどあんまり興味ない。

父は無駄ものを買わずに娯楽につぎこみたがる感じだったかアイボン買ってもらえなかったんだよね。アイボンだけじゃなくてメガネとか色々なもの買ってもらえなかった(生活保護で代金おりるの知らなかった)おかげで高校卒業するまで0.06の視力で過ごしたよ。ずっと目細めてたせいで卒業アルバムみんなゴリラみたいな顔になっとる。即ゴミ箱行きだったけどな。

あとはサイゼリヤにさえ行けば子供の頃の憧れは完全制覇なんだけど近くにないの残念。

鎮座ドープネス??似た歌詞があるのかな

最後自分の思ったことマジで書こうと思ったけど無理だったわ。

ほんとうにみんなありがとう

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