はてなキーワード: A型とは
以下は重複かな。諸外国にいる友人とLineで話すが、欧米人は、ロックダウン守ってる振りしててもこっそり会う人が多くて全然ダメだとかいってたな・・・知らんけど。
【習慣】
・マスクをする習慣があった
【国民性】
・皆がマスクをした
以下、追記案
【人種】
・アジア人は肥満遺伝子を持つ人が少なく(太る前に糖尿病になる)、肥満要因の基礎疾患が少なかったため。
・アジア諸国は個人主義よりも全体主義の傾向が強く、中央政府の命令が末端まできちんと行き届きやかったため。
・アジア人は白血球HLA型が多様化しており、コロナウイルスへの耐久性が他人種よりも高かったため。
・コロナウイルスは中国によるBC兵器との疑いがあり、もしも事実ならば当然、中国人・就中アジア人に対する致命率が低くなるよう遺伝子設計されているであろうため。
あと、イタリア人の多くは3世代家族で、それは普通は羨ましいものだったが今回はネガティブに働いた気がする。すなわち、
・日本人は核家族化が進んでおり、高齢者と若い世代との交流が少なかったため
どんなもんだろう。
つーてた連中が一斉にソース無し、データ無し、エビデンス無しのコロナにビビってんだから笑える
とか言ってたよなwwwww
今は振り上げた拳を下げられずに困ってやんのwww
毎年国内一万人くらい死んでるが
その中でも2009年新型インフルやスペイン風邪は人間に強い毒性を持って変異したもの。
数十年に一度はそのような強毒性の変異を起こす。
なぜみなこれが自分の人生80年間中にヒットしないと思うのか。
ウイルスはインフルだけではない、病原体になりうるウイルス、細菌は無数にあり、それらはいつ最強変異するかわからない。
それぞれ大変異が数千年に一度だとしても敵は無数にいる。
不明だが毎年ノーガードで挑んでる
都度ロックダウンなんてやってない
従来はそれでみな納得してた
社会は成立していた
今後徹底して抑制するんだろうか。
今のCOVID19対応を延々と続ければ日本国内だけで年間数十万人の命が救えるのに
やんねぇだろうがw
それはええの?
バカじゃん
あ、車持ってない?
通販はどうやって運ばれる?
加担してんじゃん、オマエが通販使わなければ自動車輸送は不要じゃん
誰も死なずに済んだじゃん。
でもまだ言い訳すんのw
俺が使わなくても他の誰かが使う、殺したのは他の誰かで自分の分はついでに利用しただけ。とかな。
てかなんで同じ思考をCOVID19でできねぇの?
他人を殺さない、自分を守るために最大防御、我慢すべきだという。
思想が一貫してないよね?
矛盾してることに気づいてる?
ま、華麗にスルーだろうがw
ボケw
あれ凄いよな。超律儀な男じゃん。
コンドーム1ダースくらい使って、全部結んであったりするだろ。
普通無理じゃね?お前A型の極みかよ。そもそも12回もできねぇ、という野暮は言わないとしても、出す、モノを抜く、ゴム外す、結ぶ、次のコンドームの封切る、着けるってことを11回やるわけだろ?
それ想像して笑っちまって抜けねぇ。
イラストだとケダモノのように犯してるように見えるけど、実際は外して結んでつけるという作業をちゃんとやってるわけだよな。
その間女の子どうしてるんだろ。
「あー…もう疲れたわ…」って絶対なるだろ。でもやっぱり男がまた挿入してきたらイラストみたいな感じにアンアンしちゃうわけで。ものすごい演技力じゃね?淫乱とか堕ちとかそういうんじゃなくて、普通に冷静でかつノリのいい理想の女の子だろこれ。
描いた人の意図としては「理性を失うくらいのセックス」なはずなのに、同じイラストの中に「二人が真顔に戻る瞬間が11回もある」ことを内包してるわけだよ。これ凄くね?
コトが終わった後のその二人の会話が気になる。絶対内心で「いやーキツいわぁ」ってなってるって。でもそれ言うと相手の頑張りに水さしちゃうから、ウェヒヒとか笑ってごまかすしかないわけだろ。
和んじまって抜けねぇ!
しかも、クッソ汚いオッサンでもたまに全結びのA型の鑑がいる。下品で臭くて男の俺でもマジ勘弁なオッサンでもちゃんと結んでるんだよ。
これは快挙だろ。いや、何が快挙なのか意味が分からんが、見てるこっちとしてはさ。そういう気持ちがしてくるだろ。
なんか…あのゴム厚くね?
つーことは、すげぇ激しくセックスをする性豪と見せかけて、早漏防止の極厚コンドームを使用しているという推測が成り立つわけだよな。
という絵面に反して、「極厚コンドームで自分のコンディションを調整する男」という妙に冷静な視点が加わるわけだよ。
以上のことから、使用済みコンドームが散乱しているタイプのエロ絵の男は
・数回~十数回も訪れる『沈黙の時間』に屈することなく行為を行い続けられる鋼の精神力
・「もういいだろ…」という空気をものともせず行為を行い続けられる不屈の精神力
・早漏という己の弱点を認識し、テクノロジーで解決していこうとする柔軟な対応力
を兼ね備えた存在ということになる。
疲れてんだから早く終わらせろよとか思ってる間も男はしっかりと極厚コンドームを結んでいるわけだよ。
辛いわ…。
昔はあんなに好きだったのにな…。
●「ジアイーノ」は揮発した次亜塩素酸を空間に放出することで、お部屋に付着した菌やウィルスに効果を発揮します。
https://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/15265/p/1746,2908,2909/
なるほど。
空中に水を撒いたら、そりゃウイルスが乾燥から守られるからな。
https://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/15275/p/1746,2908,2909/
~~~ ご参考 ~~~
・次亜塩素酸が「インフルエンザウィルス(A型)」や「ノロウィルス」など一部のウィルスに技術的効果があるということは確認しております。
日本政府は、ウイルスの驚異から国民を守るべく、先手先手で駆除を行ってきており、もうすぐ世界も驚くような目覚ましい成功を収める見込みである。
こう書くと「新型コロナウイルスの感染者は国内で増えていくばかりではないか」とか、「ダイアモンド・プリンセスの件は大失敗で、新型コロナウイルスを撒き散らす結果になってしまったではないか」と言う声が聞こえてきそうだが違うんだ。前提条件が違うんだよ。みんな「日本政府は新型コロナウイルスの驚異から国民を守る」と思っているでしょう?全然違うんだ、そうじゃないんだよ。
はっきり言っておく。新型コロナウイルスなんて今日本が直面している大きな国難に比べれば大したことじゃ無い。新型コロナウイルスは驚異かもしれないが、日本にはもっと恐ろしいウイルスが存在するのだ。その名をA型ウイルスと言う。A型ウイルスは日本政府に感染し、政府を大暴走させる恐ろしいウイルスである。実はそのA型ウイルスは特に新しいウイルスではなく、もう日本政府に感染して何年も経過している。最近、新型コロナウイルスに便乗して活動が活発化してきており、日本が国難に直面しているのだ。しかも、そのA型ウイルスは過去に一度日本政府に感染したものの駆除されているが、再感染が発生して今に至るという、生命力の強い厄介なウイルスである。
さて、そこで日本政府が行った先手先手の対策というのは何かというと、ダイアモンド・プリンセスの件である。厚生労働省の職員が少なくとも90人船内に入っており、ウイルスの検査をせずに仕事に復帰したというニュースに注目して欲しい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200222/k10012296751000.html
なぜこのようなことをしたのか?それは新型コロナウイルスの特性に着目すれば答えが出る。新型コロナウイルスの致死率は50歳以上で高く、さらにその中でも男性の方が致死率が高いことがわかっている。
https://www.asahi.com/articles/ASN2L3CPPN2KULZU00M.html
そう、その条件にピタリと当てはまるのがA型ウイルスなのである。つまり新型コロナウイルスの対策をするフリをして、大本命のA型ウイルスをコロナウイルスを用いて駆除しようとしているのだ。そのために大量の職員をダイアモンド・プリンセスに送り込み、職員経由でA型ウイルスにコロナウイルスを感染させて駆除しようという作戦である。
新型コロナウイルスは潜伏期間が2週間程度だ。厚生労働省の職員が検査せずに仕事に復帰したというニュースは2月22日に公開されている。そろそろ作戦成功の兆候がで始めるころだ。作戦が成功すれば、これには世界もあっと驚くに違いない。
「キトゥンにこの戦いを任せるというのは、その……」
異議を唱えたのはダージンだった。
俺は反論することもなく、ただそれを聞いていた。
その指摘に、俺は何も反応しなかった。
実際、この戦いに勝とうが負けようが、野ネコじゃない俺は住処に困らないのは事実だ。
居場所が確保されているネコに、自分達の縄張りをかけて戦わせるんだから不安にもなるさ。
口にこそ出さないが、同じような想いを抱いているのはダージンだけじゃないだろう。
ただ自分が戦えないという負い目と、勝ち目があるのは俺だっていうことも分かっていたから、皆は声を上げにくかったのだと思う。
ダージンもそれを分かってはいるが、補佐役の立場から意見せざるを得なかった。
それに、彼らが俺を代表にしたくない理由は“もうひとつ”あった。
「それに彼は……“流れネコ”だ」
「我々は同じネコです。ましてや、この集会所の仲間をそのように呼ぶのは……」
だが、あまり良い意味の言葉ではなく、それを口に出したがるネコはいなかったからだ。
「今だからこそ、言わないといけないんだ!」
それはダージンだって同じだったが、それでも今ここで言っておかないと、後で尾を引くと考えたのだろう。
「何よアンタ! 細かいことばっか気にして! さてはA型でしょ!」
ヒトの間では“ガイライ”だの“ガイジュウ”だの言うらしいが、俺たちの間では“流れネコ”って呼ばれている。
「あなたのお父さんはね、とても遠くの場所から、ここへやって来たの」
「“遠く”って?」
「ずっと、ずっと、遠く」
少なくとも歩いて行けるような場所ではないらしい。
だが、俺はさして興味がなかった。
俺自身はここ近辺で生まれ育ったし、場所が多少変わったところで違いはないと思っていたからだ。
つまり俺は流れネコというよりは、厳密には流れネコの血を引いているだけなんだ。
だけど、そんな事情を周りが慮るとは限らない。
ネコとヒトという垣根があれば尚更だ。
「いいかい、坊や。ヒトに近づいては駄目。姿を見られるのも駄目。特に大きいヒトは危険だよ」
母はことあるごとに、俺にそう言い聞かせていた。
どうやら流れネコは、ここら一帯のヒトたちには嫌われているらしい。
俺と同じ見た目をしたネコは、ヒトに連れて行かれると殺されてしまうという。
近隣にいた同胞も、全てどこかに連れ去られ、二度と帰ってこなかったんだとか。
「なんで俺だけ駄目なのさ。他のみんなはヒトと仲良くしてるのに」
「……ごめんね」
俺にはその意味が分からなかったけれど、たぶん母も分からなかったんだと思う。
十年以上前のことだが、インフルエンザにかかってパートを一週間休んだ。
(ちなみに、高熱・風邪症状と同時に酷い嘔吐下痢も発症して白便まで出たんだけど、インフルと同時にロタウイルスにも感染する事なんてあるの……?病院ではインフルの検査だけして、A型インフル確定だった)
そしたら、一週間後に出勤すると、上司が「有休にしてあげたから☆」と事務連絡なのか恩に着せてるのかよくわからないことを言った。
で、それをそのまま同じ部署と隣の部署のパートの先輩達に言ったら、先輩達が怒って、上司に
「この子はあんたと違って病欠を有休消化に使われたら、家庭のことで本当に休みが必要になったときに無断欠勤するしかなくなって、クビにされちゃうんだよ!」
と言ったらしい。
今思えばそれもどうかと思うけど、感染症は当然に出勤停止しなければならない業種で、感染症での欠勤を隠匿するために有休使うのもいかがなもんかと思うし、おかげさまで有休は自由に使えることになったのでよかったのかもしれない。
らしいです。施設内部に立て看板があった。@大阪。場所によって違ったりするのかな?よく知らないけど。残念ながら僕はB型なのでピンチは救えなかったよ……
行ける人は献血いこうね。
すぐ献血行こうと思ってたんだけど、生憎ひどい風邪ひいたので治って落ち着いてからってことで先日行ってきた。
一応ポジションを明らかにしておくと、献血歴は二けたやっと乗る位のアラフォーヘテロ男オタク。ノベルティとしての例の絵は問題ないけどあのポスターは配慮が足りなかった気がする派。太田弁護士のいう環境型セクハラというのは当たらないと思う。1かゼロかの問題ではないので、話し合ったり意識調査なりなんなりして、都度都度ラインを考えましょう。このラインというのは法律や第三者が強権的に決めるガイドラインではない。先日の4エントリ分の長文増田と大体同じ考え方。
平日の昼過ぎに行ってきたので、献血に来てた人は高齢者が多く、リタイア済だろう男性・60手前ぽいおじさんが2,3人ずつ。あとは20後半~40前後の女性が3人ほど。人込み嫌いなのであえて繁華街ではなく、住宅街にある所にいったのでこんなもんかという感じ。宇崎ちゃんのキャンペーンは10月末日で終わってるし、そもそも対象エリアじゃないので関連するような掲示物は何もなかった。
前回献血から数年経って居たので、献血ルームってどんなんだっけってあれこれ観察してみた。行ったことある人ならわかるだろうけど、基本的に献血ルームって病院と同じような場所。待合室+処置室オンリーな感じ。壁とかも基本白くて清潔感あふれてる。張ってあるポスターもお役所とかに張ってある、とがった表現の全くないおとなしい表現のものばかり。唯一、若い女性をアイキャッチとして使って、コラボしたポスターがあったんだけど、それが乃木坂48のもの。帰ってから検索してみたら、宇崎ちゃんみたいにクリアファイル配布してたみたい。下記リンクのクリアファイルの絵柄と同じポスターや、正確に同じだったかもう覚えてないけど小さなポップやパンフがあった気がする。
https://ken-love.jp/hatachi/about/index.html#sec-present
自分は3次元には声優ですらほぼ興味のない種類のオタクだし、秋元系アイドルは未成年にエロい歌詞うたわせたりエロいグラビア取らせたりではっきり言って嫌いだけど、この絵柄だと文句の出ようは無いよなぁと思った。
そんなお役所的な、尖ったものの排除された小奇麗な空間に、宇崎ちゃん3巻表紙のポスターがあったらって想像してみたけども、「やっぱすげえ浮くなぁ」というのが正直な感想。1巻2巻の表紙なら、煽るような表情ではなく、元気な笑顔だし、アングル的にも巨乳なのはわかるけど3巻表紙ほど、一般の人でもえっちな感じしないんじゃないかなぁと。
そのへんから考えても、やっぱり本件ってTPOの問題でしかない、と自分は思うわけ。あのポスターがエロいかエロくないかは置いといて、乳を強調してるのだけはおそらく否定する人いないんじゃない?病院(に準じた施設)の表や待合室に乳強調掲示物あるのって、違和感無いといわれてもほんとに?と自分は思う。まぁ違和感があろうがダメじゃないからいいんだ!っていうのもそれは一つの意見だとも思う。
ただ、ポスター表現の主体は日赤だから、掲示を決めたのは日赤だろうし、掲示を止めるとしてもそれは日赤の判断・責任でしかないと思う。なので擁護派も批判派もあいトリの電凸のような暴力的にならないように気を付けてロビイング(メールを送る、電話する、署名サイトなんかで署名を集めて送る)すればいいと思う。自分は本件でなにか要望を送るつもりは無い。思うところがある人がそれぞれ意見したり、世の中の反応を参考に日赤が妥当な判断を下すという確信があるから。暴力的な圧力が加えられたらどっちサイドでも批難する。そんなもんかな。
一つだけ、また余計な事を言い出す。冒頭のポジション表明で、本件は環境型セクハラにはあたらないと書いたけど、それは一般人に対しての環境型セクハラ。献血ルームで働く人に対する環境型セクハラにはなり得る可能性は否定できないと思う。自分が見た限り、献血ルームで働いていた人は合計10人ほどで、男性は問診担当の医師と、看護師っぽい人の2人だけ。7割位の職員は女性。何か所かの献血ルームに行ったけど、大体こんなもんだった気がする。問診担当の医師はかなり年配の男性ばかり。事務や献血実務を行う職員はほぼ女性。宇崎ちゃんポスターは、コラボ実施献血ルームではきっと乃木坂コラボのポスターのように張られていただろう。そこで働いていた人がどう思ったかヘテロ男性の俺にはわからないが、そう受け取る人がいてもおかしくは無いんじゃないか、とは思った。
まぁそんなこんなで久しぶりの献血は終わり。問題がない限りまた行けるときはできるだけ行こうと思う。少しの時間と、チクっとするの我慢するだけでいいことした気になれるしね。混んでさえなければ全血で合計3,40分、成分で120分前後かな?待ち時間には置いてある漫画読んだり、無料のジュースやお菓子をとることもできる。空いてたので1巻の半分ほどしか読めなかったけど、読んだことなかった働く細胞読んできたよ。
ところで、議論を混乱させるもう一つの問題として、アファーマティブ・アクションの話と、男女同権が達成されたその後の世界の話を混ぜて話している人がいるように見受けられる。たとえば、「必然性なく女性のみをアイキャッチ的に使うべからず」というのは、過渡期における一種のアファーマティブ・アクションとしては、一定の妥当性を持つと考える。一方で、真に差別が解決した世界では、そのような配慮は逆に不要になるかもしれない。たとえば、「必然性なくA型の人のみをアイキャッチ的に使うべからず」というガイドラインは、馬鹿げている。そもそも血液型など誰も気にしていないからだ。性別の問題も、真に男女差別がなくなった世界では、最終的にはそこに行き着くのかもしれない。類似の例として、アメリカなどでは、商品パッケージに人物を複数掲載する場合、人種の割り振りに対して神経質になるところがある。これは、特定の人種のみをアイキャッチに使う場合、人種差別を助長しているとみなされる可能性があるからだ。現在ガイドラインとして策定されているこのようなルールが、既存の不平等を是正するための措置であるという事実を無視して議論を展開することは、好ましい姿勢とは言えない。また、このようなガイドラインを「女性をアイキャッチに使うべからず」と極端な方向に誤読したり、「男性をアイキャッチ的に使用するのはいいのか」と、誤読を元にしたミラーリングを行うことは避けなければならない。
このようなアファーマティブ・アクションそれ自体が不公平あるいは不正義であり、そもそも認めない、という姿勢はあり得るかもしれない。また、単純に過度な配慮は不要であるという意見もあり得る。例えば、過去に発生したNHKにおけるキズナアイ騒動や人工知能学会誌の議論では、性的役割の固定に対する議論が行われたが、性的役割の是正を求める批判派(アファーマティブ・アクション派といえるだろう)、とそこまでの配慮は必要ない、あるいは(その後の世界では)むしろそのような配慮こそが差別である、とする擁護派の間で、意見の対立が見られた。個人的には、この2つの個別の事例に対しては、過度の配慮であると考えている。一方で、批判派の言いたいことも理解できるので、批判自体には問題がないと考えているし、耳を傾けるべき指摘であろう。なお、特にキズナアイ騒動については異なる論点もあったようだが、その点についてはここでは議論しない。
議論の多くは、おそらく件のポスターが性的、あるいは過度に性的かどうかに帰着するように思われる。そして、この点について、両陣営の合意は、ほぼ得られていない。
擁護派の多くは、件のポスターは性的ではない、あるいは性的な要素はあるとしても、問題になるほどには過度に性的ではないと考えている。一方で、批判派の多くは、乳袋や表情を理由として、ポスターは過度に性的であると見なしている。ポスターが過度に性的であると認められた場合、女性差別につながる表現であり、セクハラにもなるかもしれない。一方で、そもそも性的でないのであれば、セクハラにも女性差別にもならないだろう。
巨乳それ自体がいけないわけがない。また、ごく一部の過激派を除いて、大多数のポスター批判派も巨乳自体への攻撃はしていないように見受けられる。この点を議論するのはあまり意味がないし、ごく一部の過激派の意見のみを根拠に、相手陣営全体に対して「差別主義者」といったラベル付けを行うのは、誠実な姿勢とは言えないだろう。
これは全員にとって非常にクリティカルな指摘である。正直なところ、私自身も自分の認識が社会の平均と合致しているかどうかの自信がない。ポスター擁護派のうち、オタクを自認する人たちの意見が気になるところである。
例えば、「ビキニアーマー」は恐らく今となっては性的な表現のように思われる。肌に密着した黒タイツはどうだろうか。乳袋も本当にセーフなのだろうか。境界線は自分の中でもあやふやである。セーフな気もするし、性的な気もする。あるいら性的な要素はあると認めたとしても、過度に性的かどうかと言われると、過度ではなさそうか。みなさんはどうだろうか。
何を性的と見なすか、あるいは、何を過度に性的と見なすか、は個人どころか社会においてもあやふやであり、時代の変化にしたがって変化してく。
ポスター批判派は、(仮に今現在は認められていたとしても)今後このような表現は社会的に許されなくなり、状況は是正されていくべきだと考えている。これは、過去には普通に存在していた、水着の女性が(無意味に)アイキャッチとして使われていたビールのポスターが、近年ではほぼ絶滅した経緯と相似形である。
一方で、私は別の未来も想像している。それは、このような表現が、むしろ緩く認められる社会になるのではないかということだ。近年すでに指摘されている通り、「オタク」自体が一般化しているらしい。それに伴って、乳袋のような表現に過度の性的な要素を見出す層が減っていく可能性がある。言うなれば乳袋ネイティブ世代の誕生である。こうなった場合、乳袋は広く認められた表現になる可能性がある。
宇崎ちゃんは性的であるが、ワンピースのナミやセーラームーンは性的でない、という意見が見受けられる。これはポスター批判派からも出ている意見で、ナミは性的ではないという意見が見受けられた。
ポスター擁護派は、ナミも宇崎ちゃんもどちらもが乳袋を表現として用いていることから、仮に宇崎ちゃんが性的なのであれば、ナミも同じく性的であり、ナミを公共の場で用いることは認めら得るべきではないと考えている。同じくして、ナミを認めるのであれば、宇崎ちゃんも認められないと一貫性が失われると指摘する。
ここで興味深いのが、ポスター批判派の中でも、この点については意見が別れているということだ。これは、ポスター批判派が用いている「性的な表現に無自覚になっている」人々というのが、ポスター批判派の中にも存在するという事を意味しているように思われる。ワンピースは非常に歴史がある作品であり、オタクだけでなく、社会的にある程度の知名度を持って受け入れられている。好きな漫画といえばワンピースという人も多い。そのため、本来は過度に性的な表現を持ち合わせているはずのナミも、ワンピースという作品と共に社会に受け入れられてしまっている。ポスターに対して批判的であるが、ナミについては認められるという人は、乳袋ネイティブ世代に染まりつつあるといえる。私自身は、もし宇崎ちゃんのポスターが「乳袋は女性を性的に消費する表現である」として認められないのであれば、たとえナミであろうと、乳袋は許されないという姿勢を維持するべきであると考えている。ここで一貫性が崩れてしまうと、「(過度に)性的な表現」の定義が非常に困難になってしまうため、合意が得られにくい。「ナミは(見慣れているから|みんな好きだから|明るいから|強い女性だから)セーフ」という話になってしまった場合、個人の「お気持ち」と揶揄されるのは避けられないだろう。
セーラームーンについてはどうだろうか。すでに指摘されている通り、セーラームーンも公開当初はブルセラを想起させるであるとか、露出が多いであるとか、性的な表現についての批判が女性からもあったようだ。現在では市民権を獲得しているため、このような批判が行われることはまず見かけないが、たしかに絵面だけ見た場合、肌の露出は大きい。セーラームーンを使用した表現が公の場で許されるとしたら、なにが理由だろうか。
ポスター批判派からは、男性からの人気を得るために胸が強調された(宇崎ちゃん|ナミ)に対して、女性が良いと思う服装を女性に着せただけのセーラームーンは、性的消費には当たらないという説が挙げられている。これは、一理あるように思われる。セーラームーンは単に綺麗だったりかわいい格好をしているだけで、それを性的と見なすのは、見る方に問題がある、という考え方になる。韋駄天の例では、靴下を脱いだだけなのに、勝手にそれを性的と見なす男性陣によって問題が発生していたが、セーラームーンも同型だと言えるだろう。人には好きな格好をする権利があるのだから、女性がどのような格好をしても、他人にどうこう言われるのは好ましくない、というのは理解できる。
ここで、本人が望む格好は、どこまでなら許容されるべきであろうか、という議論がある。仮に、ある女性が自分にとっては裸がもっとも自然であると考えた場合、その女性を公の場に掲示されるポスターに使用することは妥当であろうか。そして、その裸のポスターを過度に性的であると誰かが見なす場合、それは見る側の問題であろうか。これは、冗談ではなくて、例えばヌーディストビーチの議論においては、既に似たような議論が起こっている。現在の日本において、恐らく多くの人は、裸の女性の写真を公の場に掲示することは、本人の意志はどうであれ、過度に性的であると見なすであろう。裸は極端としても、例えば胸の谷間が強調された服装はどうだろうか。このような服装を自発的に好む女性は存在するが、公共の場でポスターに使用することは適当であろうか。もし、そのような服装は適当でないと考える場合、あるポスターを評価する上で、本人の意思は、具体的な表現に劣後すると言えるのではないだろうか。つまり、本人が望んでいようとも、性的なものは性的であると見なされるということである。
ところで、海外の識者に宇崎ちゃんのポスターを見せたところ、ネガティブな反応があった、という情報がある。ここで、気になるのが、同じ人物にナミやセーラームーンのポスターを見せた場合、どのような反応があるか、である。宇崎ちゃんに対して否定的な反応がある場合、ナミやセーラームーンに対しても、これらの作品を知らない人からは同様の反応が帰ってくる可能性が、それなりに高いのではないだろうか。セーラームーンも、背景情報がなければ、過度に肌の露出が多い若い女性をアイキャッチに使っているだけのポスターに見える可能性がある。漫画やアニメに馴染みのない人たちにとっては、ナミも宇崎ちゃんもセーラームーンもどんぐりの背比べに映るのではないだろうか。そのような人にとって、セーラームーンを許容するあなたは「性的な表現に無自覚」であると見なされるかもしれない。
こういった観点を踏まえた場合、本人の気持ちや、背景情報といったものは、表現が性的であるかどうかを判断する上では、必ずしも重要な要素ではない、と考えることは可能である。「勝手に性的に見ている」という見方もできるが、多かれ少なかれ、だれもが自分の中の基準をもとに、ある表現が性的かどうかを判断している。そのため、「勝手に性的に見ている」こと自体を悪とする言説は、筋が悪いであろう。これは何も男女間にだけ発生するわけではなくて、世代間や宗教間にも発生する。そうであるならば、性的な表現の基準を考える上では、本人の意志や背景の文脈を考慮するよりも、物理的な要素(肌の露出度など)を用いるのが妥当である、という見方もできる。
身体的特徴を戯画化することは危険である、ということがこの記事の論点です。
身体的特徴とは、人種、肌の色、性別、体型、はげ、あざ、病気、怪我、血液型などのことです。
まず前提としてポスターのイラストがステレオタイプ、身体的特徴の戯画化であるか否かについて説明します。
実写のポスターで同様のポーズがとられていたとしてもなかなか乳房を強調した写真だなあというのが個人的感想ですが、
イラスト特有の技法として、顔は鼻がなかば省略されるレベルの簡略化が為されており強くデフォルメの利いた絵柄であるのに対し、
胸まわりの生地がぱつぱつであることを示すためのボタンホール周辺の皺が描き込まれています。かなり肉感的であるよう意識された描写です。
これらを無視して単純に衣装やアングル、ポーズだけで実写と比較することは、意味がありません。
実写に引き写すのであれば、胸の部分だけ立体的にするとか、胸の部分以外の彩度を下げるだとか、かなり強調の利いたデザインにせざるをえないと思います。
「ただ描いてある女性が巨乳なだけ」というのは、ちょっと、無理です。巨乳を描こうとして巨乳の描かれたイラストです。以降の文章はそれを前提としますのでその点はご了承ください。
ステレオタイプのなにが人権的に問題なのかという説明をします。
黒い肌は白い肌に比べて醜く劣ったものである、身体障碍者の物真似をして面白がって喜ぶ、A型は生真面目、などは判りやすい例かとおもいますが、
女性の乳房は性的・煽情的なものである、というのもまたステレオタイプの一種です。
上記すべてただの身体的特徴です。ただ存在するだけのものです。醜い、滑稽、生真面目、煽情的、などはあとから意味付けされたものです。
「乳房=煽情的」なのではなく、「乳房を煽情的であると意味付けした観測者」が存在するだけです。
女性の乳房に興奮するのは男性の性欲として自明のことでありそんなにもってまわって考える必要はない、という意見は恐らく出るとおもいます。
しかし普遍的人権侵害というのは存在するので、普遍的であること自体は免罪符にはなりません。
女性の月経を穢れとみなす文化は全世界普遍的にみられるものですが、現代日本でまったく問題なく受け入れられるべき価値観だと考えるひとはさすがに存在しないでしょう。
衛生面や科学的無知などから当時は合理的な慣習であったとしても、現在においては現在の合理性と人権思想において捉えなおす必要があります。
また繰り返しますが、ここで批判されているのは男性性欲ではありません。これはステレオタイプの問題です。
また、「もし男性器が戯画化されたものが公共の場にあったら」という例え話に対して、「極端だ」「大真面目にコメディのようなことを議論して馬鹿みたいだ」という反応を見掛けました。
ここまで述べてきたとおり、身体的特徴自体には意味はなく、ただ意味付けを為す観測者が存在するだけです。
男性器と女性の乳房は完全には対応するものではないとしても、すくなくともここまでの違う反応を引き起こすほど別種のものであるとは思えません。どちらも性別特有の器官であることは共通です。
ならばなぜこの反応の差は生まれるのか、それを考えると、女性の乳房にどれだけ過剰に意味付けが為されているのか、それが自明のものとされ続けてきたのか、多少は推しはかることが出来るかもしれません。
ここまでを踏まえて、「ただ描いてある女性がたまたま巨乳なだけだろう。なにがいけないんだ」というのは実は大変意義深い指摘です。
実在の女性の乳房は様々です。ですから表現としての女性も、自由に、様々であるのが本来です。これは正論です。
ですがそれはステレオタイプの危険性について合意形成が為された社会ではの話です。
また、混乱させてしまうかもしれませんが、「乳房がアプリオリにエロなのではなく、意味付けを為す観測者がいるだけなのだ」という合意形成へ向けて、必ずしも宇崎ちゃんポスターへの批判を経由する必要はありません。
たとえば、短くまとめることを優先して極端な例えになりますが「明日から全女性が乳房を露出して生活する」ルートなどです。
恐らくこのルートのほうが合意形成までにかかる年数は短時間で済むでしょう。メリットはあります。
しかしこれらの方法論は女性がステレオタイプから被る犠牲を一時的にであれ増大させるものでもあり、私は提案できません。これを弱さであるとする指摘は受け容れます。
最後に、「結局萌え絵が気に入らないんだろう」という指摘も見掛けましたが、それは間違いです。
ビールの広告ポスターがかつては揃って水着女性のグラビアばかりだったことはご存じでしょうか。
しかしこれらは十五年近く前に既に廃れています。実写ではとっくに消えたとおもわれていた手法が繰り返されていることにぎょっとされているだけです。
表現の新しさゆえではなく古さゆえに批判はなされています。それは確かです。
質問・疑義には私からは回答しません。専門家ではなく危険だとおもうので。
もしこの記事を読んでなにかしら腑に落ちた気がするいう方がいたとして、なにぶん素人のいうことなので鵜呑みにはせずみずから調べるなり考えてみるなりしてもらえたら本望です。