はてなキーワード: 立ち読みとは
・追記
コンビニ向け雑誌の需要低下、または単なる企業戦略なら、千葉市長が同席しての会見には大いに疑問がある。今回の件はそもそも千葉市長の要請からはじまっている。ミニストップの市場規模の小ささを語る人もいたが、なおさら「市長との合同会見」を気にかけてもおかしくないのでは。
エロ本を何がなんでも置けという主張はしていない。子供への有害性、主に女性の不快感などの問題もわかる。店舗単位での判断がその解決策に近いと思うが、行政絡みの強行手段のような形は強く疑問なため、そのことを本文に書いた。
「エロ本」という呼び方は、今後何が恣意的にエロ本扱いされるかわからないという意味を込めて。「どう見てもエロ本だろう」と言われても、これまでは条例などの「公的な基準」で違ったのだが(それが絶対に正しいかは置くとして)、その公的基準を無視して、恣意的な判断が通ってしまった。問題はその点。内容が問題ならそれを改善するのに適正な手順がある。
現にセックス特集をする雑誌、セックスシーンの多い漫画をエロ本扱いする人も見受けられるし、そういう層は今回の件とかぶりそうに思う。また、お色気シーンのあるジャンプも不快だとして、ついこの間炎上している。その際お色気表現は「成人誌=エロ本」なみの扱いだと拡散されていた。子供が立ち読みできるこれらに加え、暴力シーンにも波及するのではと危惧する。
ズリネタの話題でだけ表現の自由勢力が活発になるというコメントもよく見るが、逆に言えばそれだけ多くの人の関心事と捉えられるのでは。オタやジジイの低俗なズリネタには味方しないがその他の表現では公正に戦う、という人に信用があるとも思えない。
・追記終り
ブコメ見ると不快なエロ本がなくなって清々した、ミニストップ最高、みたいなコメントあるけどさ。
今回の件って「エロ本じゃないものが不快だからという理由だけで売られなくなった」という話でしょ。法的根拠とかどうなってるのかわからないんだけど、ものすごく重大なことだよこれ。だから表現規制反対派は怒ってる。
エロ本じゃない、の意味がわからない人も多いと思うけど、コンビニは規約で一般的なエロ本、本屋で暖簾の向こうに配置されるような本を置けない。そもそもエロ本ならそういう措置をとらないと条例違反になる。青少年健全育成条例とかそういうのね。つまりコンビニにあるエロ本は類似図書類で、そういう本とは違う扱いの一般的な雑誌なのだ。
あれがエロじゃないのはおかしいと言いたくなる気持ちもわかるけど、それは出版社と都道府県各自治体の判断なのだから仕方ない。ちなみに年齢規制されてるのはコンビニ側の自主規制に過ぎない。他の18禁とは全く違う意味合い。
つまり、今回の件は法的にエロ本と見なされない雑誌が、手続きすっ飛ばして行政からの圧力(と言ってもいいよね)によって撤去されたという話。これすなわち表現規制でしかないんだけど、その重大さが伝わってないように思う。
コンビニでそういう本は買わないし、元々不快に思ってたし、という人がいるかも知れないけど、次は規制の矛先がどこに向くのかわからないよ。青年漫画誌や週刊誌にだって卑猥な表現はあるし、女性誌にだってある。法的根拠なし(に思える形)で、行政側からこういう処置が取れるという結果が出てしまったら、この先どうなるかわからない。
不健全図書に指定されるまでもなく、不快だからという理由だけで本を書店から撤去できるようになるかも知れない(人それぞれの見方はどうあれ法的にコンビニ雑誌はエロ本じゃないのだから、つまり理屈上はそうなる)
女性はコンビニエロ本を見るたび〜という話もあって女性の意見も目立つが、じゃあ書店にある女性向けのエロ関係の本はどうなるだろう?
書店にだって子供は来るし、書籍とは本来知識を得るためのもの、教育的であるべきだなんて親も多そうだ。そういう人たちはBLなんて有害なものを子供の目につく所に置けてしかも年齢規制なしに買えるなんてとんでもないと文句付けそうだし、女医が教える気持ちいいなんたらなんてのも目くじら立てそうだ。問題なのは、今回の件でこれらの下らない意見に確実に反論しにくくなってるんだよ。
青少年の健全な育成に不適切だとして、青少年健全育成条例に違反してもいないものをさも有害かのように一般の場から排除してしまったんだから。それを応援してしまったんだから。
エロ本が排除されたんじゃないよ。エロ本じゃないものが排除されたんだよ。
その意味をもっと考えて欲しい。この件でスッキリしたとか言ってる人、あんたらが受け止めてる以上に、これは表現界隈にとって重い出来事なんだよ。
喝采送ってる人、なんでエロが表現規制の最前線なのかもうちょっと考えてくれ。あんたらが自由に表現を楽しめるかどうかは、実はあんたらにとって不快でしょうがないエロというものにかかってるんだよ。
参考
https://anond.hatelabo.jp/20170316003106
同数くらい売れてる他のサークルさんと相互に本委託しあって、これくらいは売れるかな?の冊数だけ買い取りっこするの。
そういうシステムがあるわけじゃないんです。自分たちでもう、売り上げたことにして数冊ずつでも出しちゃうの。
じゃないと売り上げの本カウントって価格の事もあり結構面倒なので、間違えたり清算し忘れたりするとトラブルのもとだし。
見越して買うので、売れなかったら、もどしたりしないで、次他のイベントで売ってあげたらいい。
「見本誌だけ立ち読みしてて、戻ってきそびれていた人」って案外いる。わりといい場所にスペースとれた人の処でかなり売れたり、
ほんとスペースは運かも知れない。
『はるか夢の阯』の運営者逮捕のニュースで、違法ダウンロード被害における出版社が出してきた損失額は4000億円を超えるものだった。この数字が「ダウンロード数 * 書籍の値段」なのか「アクセス数 * 書籍の値段」なのかは分からないが、こういう数字が出ると、たとえ海賊版を批判する者でも「違法ダウンロードした人全員が正規のコンテンツを買っていたわけはない」という反論をしたくなるだろう。確かにその通りである。
ただし、こういう反論をする者たちが見落としている点がある。
「違法ダウンロードまでして漫画を読む者は潜在的なファンであり、違法ダウンロードサイトがなかった場合は、たとえ購入しなかったとしても、立ち読みしたり借りて読んだり電子書籍の読み放題期間に読んだりしていたはず」だということ。
本が買われなくても、コンビニで立ち読みすればお菓子やジュースが買われる。友達のうちで借りて読めば友達との遊びを通じて消費が落ちる。電子書籍サイトの無料期間に読んだとしてもそこに広告費が落ちるなどして経済循環が起きる。
世代が違うので伝説的漫画であるらしいという事しか知らなかった。
面白そうなんで原作の冒頭だけネットの立ち読みで読んでみたが、絵が結構好みだ。が、絵柄は後にガラッと変わっていかにも少女漫画な感じになってしまうらしいので残念。初期の画風でキャラデザ林明美なんて最高なんだがなぁ。はぁ。
ストーリーは、ノワール系好きな自分には合ってるのかもしれないな?よくわからんけど。
でもメインは刺激的なストーリーより主人公達の濃ゆい関係性の方なのか?それはそれで好物だけれども。
こういう昔の作品のリバイバルにはありがちだが古参のファンまじ怖い。なんであんなに腐女子を目の敵にしてるん?
原作の冒頭を立ち読みしただけの僕が言うのもどうかと思うが、ああいう漫画をBLの要素微塵も無しにわざわざ少女漫画誌に載せる意義って無いと思うので、やっぱり作者や編集部はあれをBL作品と見なしてんじゃないだろうか?BLである事で作品の面白さが棄損されるって事もないしなぁ。
あ、でも連載当時はそもそもBLっていう語は存在していないよね。あの頃だとジュネとか言ってたの?少年愛自体はそれよりもっと前から少女漫画の題材の一つとして描かれてはいたよね。僕あんまり漫画史の知識ないから間違ってたらごめんね。
外野の僕の目には、BANANA FISH界隈における腐女子叩きは古参が縄張りを主張して新参を威嚇してる様にしか見えないが。
ともあれ。なんか面白そうだからアニメは観る事にするよ。原作も読みたいが、今ちょっと金無いから単行本揃えるのは無理だなぁ。アニメ観る前にネタバレ踏まない様に気を付けないとだな。
【追記】
上記でBANANA FISH は一応BLなのでは?と書いたけど、このエントリを投稿した後でこんなツイートを発見。
https://twitter.com/kauju_ru/status/922354045209022465
だがこの記事のBLの定義もなんだかなーって感じだけどな。BLはセックス描写必須なのか?そこら辺の解釈は腐女子によって様々ではないだろうか。
https://twitter.com/y00black/status/922299986963869696
https://twitter.com/y00black/status/922300787169959936
ほんとそれな。
君の名はのパクラレ元映画として上がってたけど映画はなかなか見れないなと思ってたところ、
ブックオフいったらあったから40分くらいでざっと立ち読みした
あらすじ
とあるきっかけでダムに沈む前にタイムスリップして、過去の村でひと夏を過ごす
今40~50歳くらいの人ならストライクでノスタルジー刺激されるのかなって感じの内容
個人サイトで連載されてたってだけあって、素人くささの残るクオリティで、正直いまいち
展開も遅く、内容も薄い
まあストーリーじゃなくて昔の夏の過ごし方ってところがメインになってるからかなあとも思ったけど
地域の祭りで子供が手伝わされたこととか細かく書いてたりして、ディテールはあるかもだけどストーリーとしては面白みがない
この増田は、立憲民主党に好意的で、強く支持している(17/10/17現在)人間によって書かれたものである。そのへんの是非はすっとばして本題に入るので、そのことを念頭に置いてください。
小林よしのりが立憲民主党の演説会に現れたということで、お前が言うなとかまずいままでにやったことについて反省しろとか、とても、もっともな罵声が投げつけられている。まったく同意である。
一方で、これを割と素直に受け入れてる立憲民主党支持者もいる。右へのウィングを広げて支持者を増やす良い機会じゃないかという反応もある。一理あるとはいえ、なんせ小林よしのりなのでそのため、そういう人に対する疑問の声も上がった。
いまの若い世代の自称リベラルが小林よしのりを赦すなら、俺はおまえらを許さん。奴は安上がりなレイシストのロジックを基礎から作った。覚えておけ。これがお前らが声援を送った男だ。
気持ちは、とてもよくわかる。
ただ、ちょっと待って欲しいと思うこともある。
俺の観測範囲の問題もあるんだろうけど、わりに無批判に小林よしのりを受け入れる立憲民主党支持者は、若い人が多い。アラサーを少し超えた程度の俺から見ても、若い。つまり20代だったり、もっと下も混じっているかもしれない。上の西田氏のツイートでの呼びかけも、若い人に対してである。問題はここにある。
小林よしのりは、はっきりいって過去の人である。いい年をした人にとっては、昔楽しませてもらったり黒歴史の源泉になったり、インフルエンサーとして、あるいはアジテーターとして思いが深いんだと思う。でも、いま2017年という時点では過去の人だ。
考えても見てほしい。東大一直線から35年、おぼっちゃまくんから25年、薬害エイズから20年。歴史修正主義運動の前面から消えてから(おそらくこのときが最後の「第一線」にいた時期)ですら、もう15年くらいたつ。その後も小さい話題は引き起こしてるとはいえ、すでに知ってた人にとっての話題くらいにしかなってなかったのではないか。「わしズム」で初めてはまった人とかいるのだろうか。
個人的な話をすれば、高校時代にゴー宣がクラスでちょっと流行ったことがあった。オタクっぽい、本好きの間だけだったけど。
気になって最新刊を立ち読みしたら、すでにつくる会がぐだぐだになってた時期だった。つくる会という運動はともかく、小林よしのりのマスへの影響力自体はもうほとんどなくなってたんじゃないか、当時。
まあ、それでも無印時代~新の初めのころまではおもしろかったのでよく読んだ。部落差別についての一連の話も、興味深く読んだ(同和教育のない地域だったので)。無印に登場する時事的な話題は、高校生にとっては、そこで扱われてる話題のほとんどは「小学校のころ見聞きした事件」だった。薬害エイズも、オウム真理教も、おぼっちゃまくんがPTAに白眼視されたのも、小学校のころニュース番組から流れてきた話題である。今くらいの年齢なら数年前もなんとなくつい最近と思えるけど、高校生にとっての小学校時代は「大昔」だ。田舎町の高校だったからなのかは知らないが、たまたまクラスで数年遅れで流行ったから、手に取ってそれなりに影響も受けたけど、そうじゃなければ小林よしのりなんて大して意識しないまま大人になった可能性が高い。
例外もあるだろうが、自分の体験を鑑みても、ゴー宣に「ピンと来れる」のは、ほぼほぼ俺くらいの世代が最後なんではないか。扱われてる人物の盛衰もあるし。小林よしのりにちゃんと接した世代というのは、俺かもう少し上の世代までじゃないだろうかと思うのだ。つまり、30代以上である。
だから、若い人は小林よしのりなんて知らないのだ。あるいは名前くらいは知ってて、「保守の大物文化人」くらいは認識してるかもしれない、でも近年のアイヌ否定のことだって知らないし、昔のことなんてもっと知らないだろう。認識の外のものはどうやったって外のものである。若い人のせいじゃない。吉本隆明なんて読んだことはなくても名前だけはわかる。そんな感じ。
さらにいうなら、おそらく小林よしのりが「やばい」というのも通じないのだ。小林よしのりに怒ってる人は、歴史修正主義運動をカジュアル化した極右、くらいに思ってると思う。
でも、そうじゃないのだ。多分、若い人には、歴史修正主義が極右のやらかすような、行き着きすぎたところにある行動だと思っていない。それは、保守を認ずる人なら、当たり前に身につけることだ、と思われてるんではないだろうか。
回り見回したらわかるではないか。ネットも出版業界も、そういうふうにできているのだ。これも、若い人のせいではない。
間接的な話をすれば、2001年につくる会教科書が検定を通っている。2002年からは、新しい指導要領の下での教育が始まり、つくる会の教科書はその指導要領の下で採用されている。いわゆる「ゆとり教育」である。2002年に中学に入学したのが89年度生まれ。それ以後は地域によっては小林よしのり的なものに教育現場が浸食されはじめた後の世代である。被害者なのである。
数年の差はあるけど、くっつけて言ってしまえば、ゆとり教育世代(以降)は、小林よしのりを知らない。小林よしのりのことをよく知らなければ、そして、歴史修正主義に学校から世間までが侵食されきった状態が普通の世界で人生を送ってきていれば、そりゃこんなに「普通の保守」までウイングが広がった、と喜ぶほうが普通決まってるではないか。普通の保守、そのものがそういうしろものまで後退しているのである。
いや、なんだかヘン、というのはわかるのだ。でも、それを安易に難ずることは、つまり「よくわからなくても批判せよ。俺たちが駄目だと言っている」と言う話なわけで、こんなのは典型的なパターナリズムである。リベラル思想をともにする人のやるべきことではない。こういうレトリックは、自称中立とか冷笑系といわれるような連中みたいで嫌なんだけど、もちろんあの手の連中みたいなことをいいたいわけではない。
かといってほっときゃいいとも思わないので、ちゃんと小林よしのりがどういう人かを(むやみに相手を傷つけないよう)継承するしかないだろうけど。引用した西田氏などは乱暴な口調ながら説明はしているだけ良いかもしれない。
もう一つ心配になることがある。上にも少し触れたけど、小林よしのりを知るか知らないかは、「ゆとり世代」前と後に、偶然ほぼ重なっている。ゆとり世代なるレッテルをふりかざして、インターネット内外でどういうバッシングや世代叩きが起きたか、ゆとり世代以前の人間なら知らないはずはないだろう。若者叩きというと新聞やTVや「リベラル文化人」の責任に押し付けておいて素知らぬ顔の人も多いかもしれないが、これはインターネットで2chやまとめサイトの利用者、テキストサイトや個人ニュースサイトなどの運営者に重なる集団が大手を振って謳歌していた「バッシング」である。ゆとり叩きをしていたネット民、について彼らが何かを総括したという話は寡聞にして聞かない。匿名がほとんどなのでそんなこと期待するだけ無駄であろうが。
話がそれたけれど、世代間バッシングの被害者世代がその上の世代をどう思っているかは、俺にもよくわからないところがある。ただ、目に見えないところに微妙な反感が潜んでいても、あまり非難はできない。
なので、たまたま分断ラインがほぼそれとかぶっていると思われるこの小林よしのりの評価をめぐる見解の相違は、乱暴に扱うととんでもないものに着火させるような気がする。
むやみに相手を傷つけないよう、などと注釈したのも、そういう理由であって。
若い人はともかく、小林よしのりそのものには擁護の余地はない、大いにバッシングすべきだ、という意見もあろう。すごくわかる。
ただなあ。
小林よしのりって、自分の見込みからズレるとすぐ相手を罵倒しはじめるじゃん。事例はそれこそ星の数ほど。
うかつに叩きまくると、蛇を出してきそうでめんどくさそうなのだ。一方、↓みたいな危惧もある。菅直人が手のひら返されたのなんてそれこそあっという間だったわけで(しかもゴー宣見る限りでは、主なきっかけは「対談を断ったから」)。
バッシングするなとはいわないが、いろいろと腫物扱いしておくべき人だな、という気はする。
今回の選挙は、多分、立憲民主党は議席を伸ばす。とはいえ、自民党も伸ばすのだろう。希望の党がポシャったので。安倍晋三の顔にタテ線を入れるという意味ではもう少し希望の党が持ちこたえて欲しかったが、それ以外の意味では希望の党がしぼんでくれて良かったわけで、まあしょうがない。
なので、これからが大事だろう。立憲民主党がいつまでも追い風なわけもない。これからさまざまな合流もあるだろうし、いろいろな批判も出てくるだろう。すでに公明党が目の上のタンコブを検出してロックオンしている。
立憲民主党Twitterはやけに上手い。きっとネットに造詣のある人がやってるんだろう。でもそういうさばけた感じでうまくやる人と、やらかす人が紙一重なのはネットウオッチャーには常識である。何とか炎上させるための火花がほしくて仕方ない人はきっと与党支持者を中心にいっぱいいるわけで、上げ潮だからこそ心配、な案件かもしれない。
というわけで、あんまり立憲民主支持者がのんびり自分たちの陣営が予想以上に多いことを喜んでる場合ではあんまりない(連日TLで見かける立会演説の写真は、うぉーっとは思うけどそういう意味でつい一歩引いて見ている自分がいる)。そこに安易な世代間バッシングの火種を投入するのは、いま立憲民主党に期待している人にとって、まったくいいことがないと思うのだ。もうちょこちょこと局所的なディスカッションが発生しているのは自分の観測範囲でも見かけるし、わかるんだけど、これが躓きの石になったら、さすがに残念すぎるだろう。
通学時間が二時間ちょい、一つ県を跨ぐほど遠かったため、電車の中ですることを探していた。
スマホがまだない時代で、ネットオタクとしてはあの今でいうガラケーのちまちましたのでネットを見ることが耐えれず、本を読んでいた。
そんなときに、ふと大学の近くの本屋さんで雑誌を立ち読みした。
それが、まんがタイムきららキャラットのひだまりスケッチ、ゆのっちが屋上でひとりごちる回だ。
「これは、僕の知っている四コマ漫画とは違う、なにかだ」と思い、その場で雑誌を買い、
気づくと、きらら三誌、本誌、MAX、キャラットを購読し、単行本も後ろのKRの通し番号を100までは全て買っていたし、
もちろん、そうやって数をこなすことで、きららが特別変異的に生まれたわけではなく、
ももせたまみとか、あずまきよひことか、胡桃ちのとか、書ききれないぐらいの数多の四コマ漫画の先にきららがあることも理解して、
まんがタイムきららミラクが創刊され、
そこに掲載された桜Trickの一話に、また人生観を揺るがされた。
「他の娘たちとは絶対しないことをしようよ」から始まった、そんな物語が、単行本も込みでついに完結した。
結局、働き出してから、強く感じている
「お前は男だ」という圧力。
いやもう、そんなこと言ってたら、来週には三十歳になるんだから、
そろそろいい加減、そらそうだよって話なのかもだけど、
未だに自分が男性であることへのしっくりこなささに、もやもやが募る。
こう、話が通じれるように書けないんだけど、
「僕」がただ一人無人島にいるなら、きっとそれは感じないんだよね。
「僕」と「僕を知らない人たち」といても、それは感じない。
「僕」と「僕を知っている人たち」との間にあり、かつそれが
「お前は男だ」という圧力。
これなんだと思う。
0、1、ではっきり線を引けるわけじゃなくて、
向かい合っている僕と他人の、僕から見ると45メートル、他人から見ると55メートルぐらいの、位置にあって
これから、逃れたい、
もしかすると、それだけの気持ちで百合作品を読み続けているのかもしれなくて、
そんな、自分勝手な気持ちに、こんなにも面白い漫画を押し込めてしまう、
どうして、いつも、自分がこうなってしまうのか、わからなくて、
難しいね。
桜Trickは明確に終わった。
廃校までの三年間というテーマを見事に描き切って、登場人物たちの気持ちも、それなりにけりがついている。
それでも、まだ読者の僕の気持ちは終わっていない。
自分のことを好きになりそうにない、自分が作中にいてもきっと歯牙にもかけられない、そんな存在になりたくて、
この誰かから感じる「お前は男だ」という気持ちへの不快感を和らげている。
もし仮に、このキャラクタたちが僕の目の前にいたら、そんな圧力をかけないような気がして。
でも、きっと、そんなわけはなくて、
なぜなら結局、この気持ちは、他人が発しているものでは決してなく、
自分が産んで、自分が苦しんでいる、ただの自家中毒にすぎなくて、
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56806_56907.html
私の肉慾も、あの海の暗いうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くぐりたいと思った。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。
わずか2年で辞めた。
田舎の中小企業にありがちな社長のワンマン経営と、社長より頭の切れる専務の独りよがりな陰謀のようなものが渦巻いた会社だった。
自分なりに悟って辞めた。
辞めたことに後悔はない。
そういった職種に就きたいと考えていたが、これが難しい。
通い始めて半年経つが、お金がもらえるレベルに自分が達していないのは目に見えてわかる。
そろそろ学校も終わる。
定職に就かなくては。気がつけば引き伸ばしていた将来の選択がもう目の前にあった。
焦り。不安。
このタイミングで、立派に仕事をがんばっている友人の存在を知り、さらに焦る。
幼い頃からずっとある劣等感が引き出され、さらに焦ってしまうのだ。
今のところ、IT系の会社に2社応募するも書類で落とされた。やはり未経験からは難しいと悟る。
経歴が原因なのかもしれない。
やりたい事もない。
こうみると、選択肢はたくさんあるように見える。
しかしこれがまた、
余計に迷走させるのだ。
断られてきた数が多い人ほど成功していると書かれてあった。
断られた数ほど、挑戦したということだから。
だがしかし、とにかく。
元増田の「自分が嫌いだ、だから規制する」という理論がまかり通る世界だとする。
それはまるで求めてもいないエロ系同人誌のエリアで強制的に立ち読みさせられている気分だ。そういった行為は立派な迷惑行為と感じる
(中略)
すると、こんなことが起こる。
現実にはこの手も問題は「マジョリティ」が「マイノリティ」を制限する場合がほとんどである。だが、規制を主張するマジョリティ等は自分自身が別の角度ではマイノリティであることを見落としている。
オタクの世界でまだ比較的マイノリティであるコスプレイヤーの制限を主張する元増田は、世間一般でマイノリティであるオタクとして同様に制限を受ける立場である。それでも構わないというのだろうか?
元増田に限らず、高らかに規制を主張する連中は、同じ理論で自らが規制対象であることを全く理解していない。
特にマイノリティ同士で制限を主張し合うなんていうのは愚の骨頂で、例えば同人誌のエロ問題、動画のクオリティ、コスプレの醜貌等で規制を主張するバカも居るが、それに乗っかったマジョリティ(世間)にジャンル全体を規制されても良いと言ってるようなものだと少しは自覚してほしい。