はてなキーワード: 保育所とは
子育ての社会化によって国が崩壊したことないけど、旧ソ連は政策を変えざる負えなかった
マンパワーも施設も足りない今の状況で子育ての社会化をやって女性の社会進出を推し進めても失敗するだけだよ
>実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
そりゃそうだろ
方法も違えば結果も異なるさ
(女性の社会進出を進めたのは旧ソ連が最初で、ほかの国々はそれよりも後だよ)
>保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
保育所と家庭を往復するだけなんて生ぬるいもんではないよ
旧ソ連でやったことはどちらかというともっと極端で、孤児院や児童養護施設で成人まで育てるというタイプだった
児童養護施設でくぐればわかると思うが、その連中は親の愛情が得られなかったがゆえにさまざまな問題を抱えている
適性のあるものに子育てを任せるということは自然と旧ソ連のようなやり方に近づくことを意味するんだが、そんなんで本当にいいのか
あのー、旧ソ連の崩壊は、別にフェミニズムがどうこうではなく、単純に計画経済が行き詰っただけでは……
実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
離婚率は上がりますが、これはむしろ両親が喧嘩し続ける不幸な家庭が減ったとみるべきでしょう。
両親がぎすぎすしているのに、無理やり維持されている家庭で育つのは、あまり子供にとっても幸せではないでしょう。
あと、肌の密着は別に父親がやっても他の他人がやってもできる、それでいて重要で大切なことでしょう。
大事に抱きかかえて、哺乳瓶からお乳を飲ませるのも、赤ちゃんにとって大切なことです。
何も絶対に母でなければならないという理由はありません。
というか、お乳が上手く出ないせいで、哺乳瓶育ちでまともに育った人がごまんといる中で、何が何でも母乳という圧力は、かえって親にも、ひいては子供にも良い影響を与えないでしょう。
また、何度も書きますが、仕事に向いていて育児に向かない人に無理やり育児だけさせるのを問題視しています。
そういう人は職場から受けるストレスより、育児から受けるストレスの方が多いでしょう。
無論父親でも同じですが、それこそ女性でなければならない理由がないからこそ、同じだといえます。
重要なのは、育児に向いた人が、育児を行うという環境でしょう。
保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
乳幼児期だけは、専門的に一対一くらいで見られるよう、お金をかけた育児が必要かもしれませんが、それ以降は現在の保育所のな形式で充分ですし、現実的に可能かと思います。
> http://anond.hatelabo.jp/20090608085919
・大阪市の借金が減った。(55,022億→50,688億なんと、4000億も!)
・大阪市職員数を削減。(53,437人→38,985人)平成27年には横浜市並みの2万人台へ削減予定。)
・塩漬けになってた市有地の有効活用を始めている。!
・公営地下鉄は日本で初めて累積赤字をなくすことができ、割引運賃制度が拡大した!1駅は100円に
割引!
・放置自転車台数が平成19年5万台→平成23年2万5000台に激減!。
・街頭犯罪総数は平成19年4万4205件→平成22年2万8877件に激減!平松はNYジュリアーニかっ!
・青色防犯パトロール活動の市民団体数が平成20年47団体→平成23年152団体へ大幅増加に成功!
・217万t→118万tと「ごみ減量対策」に目覚しい成果を挙げている。!
・生活保護不正受給への対策、貧困ビジネスへの対応を強化した。!
・メガソーラー事業などの新エネルギー開発支援、温暖化対策事業を行なっている。!
・市の水道料金の安さが大阪府内43市町村(平均2783円)でNo2に!2,016円に!
・市水道局の水「ほんまや」は最高売上25万本を記録、モンドセレクション賞を受賞した。!
・小中学校の耐震化率を87.6%→97.7%と全国トップクラスの水準に引き上げた!
平松の市政運営というのは、目立たないが着実に大阪市民の生活を良くしている。
その結果として、エコノミスト誌より大阪市を「住みやすさアジア1位」と評価されるようになった
。
題から見て分かるとおり、http://anond.hatelabo.jp/20110929232831のパクリです(書き終えてみれば、パクったのは題名だけですが)。
栄養学科版です。それほどメジャーな学科ではないと思う。管理栄養士になりたい人が行くところと捉えて頂ければ十分です。
そもそも、栄養士という職(資格)を知っていても、具体的にどんなことをするのか分からない方も多くいらっしゃると思います。
悲しいけれど、「給食のオバちゃんのボス」という言葉がしっくり来る現状です。
仕事は多岐に渡るのだけど、後にさらりと触れるので、ここでは省きます。
筆者は栄養学科に行きはしたが、結局は別の道を選んだ脱落者です。
これから書く内容は、現状には即していないかもしれませんが、恐らくそう外れたことでもないでしょう。
筆者がなぜ栄養士として働かなかったのか、ということについても後程述べます。
栄養士を夢見る女学生の方や、栄養系の学科ってどんなことやるの?と思う方、その他お暇な方向けです。
長い序文となりました。本文も長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。
他の学部学科ならば、大学生活は割りと時間に余裕があるのではないでしょうか。人生の夏休みとも言われるほどですし。
空きコマがあるのは当たり前、丸々休みの日もある、というのが私のイメージです(他の学科について正直よく分かりませんが)。
栄養学科の場合、たまに空きコマがあっても、休みの日なんてありません。時間割がみっちり詰まっています。月曜日の朝から金曜日の夕方まで何かしらあります。
取りたい資格が少なければ、少しは余裕が生まれますが、逆にひとつでも多く資格を取りたい!となると遊ぶ時間が消えます。
衛生の資格に加え、栄養教諭の資格も取得した友人は、1年生から4年生の間まで、ずっと忙しそうでした。死にそうな顔していました。
また、実験や実習も多くあるので、それらがある日は時間割通りに行かないことも少なくはなく。
管理栄養士になるために必要な科目が必修科目になり、その量が膨大……とまでは行かなくとも(膨大なんて言ったら医師や看護師に失礼だわな)、
かなり多い部類には入るので、他の学科のように単位選択に困るわー、取得に困るわー、なんてことはありません。ここは利点かな……?
1,2年生まではみっちり勉強そして実習、3年生になると時間割の上では余裕が出来ますが、臨地実習に行かなくてはなりません。
給食施設実習(ここでの給食施設とは、保育所、学校、及び老人福祉施設などを指す)、臨床栄養実習(病院)、公衆栄養実習(保健所)の3箇所全て。
準備、臨地実習本番、報告書作成、報告会準備などに追われ、ひとつ終わったと思ったら次の実習が始まるので、3年生は結構忙しい。夏休みは半分くらい潰れました。
4年生になれば、授業ほっとんどねーや解放されたぜイヤッホゥゥ!!だが世の中そんなに甘くない。就職活動と卒業論文(実験)が待っている。
授業もそこそこそれなりにあって、臨地実習もある3年生が恐らく一番忙しい学年です。そんなだからまともな就職活動が出来るのは2月くらいからかな。
ちなみに栄養教諭を目指す人は、そのための実習があるので、さらに遅れます。
(管理)栄養士になりたくない、って人は実習等も適当に乗り切って、時間が出来る12月くらいから始めます。それでも遅いんだろうけどさ。
さて、栄養学科は文系に属するのでしょうか、理系なのでしょうか。
理系の知識がなければまずやっていけませんが(化学と生物、特に化学については高校でしっかり学んでおく必要がある)、
まるっきり理系というわけでもなく、文系のような?こともやります。
管理栄養士は、食事を作ることだけが仕事ではなく、人の相談に乗ったり(カウンセリング)、教育したりなどもします。そのための技術も必要です。
保育所や学校の栄養士の場合、最近は児童生徒等に対し、食の知識について教えることが多くなりました(いわゆる食育、何度か出てきている栄養教諭は食育専門の教諭)。
自治体の栄養士になれば、管轄地域の住民全体の健康について考えなければなりません。収集したデータをどのように統計し、解釈し、どんな計画を立てるか。
また、給食を作ると言ったって、タダで出来るわけじゃないから、経営についての知識も必要となる。あとは福祉についても少しだけやったかなあ。
前述のとおり、実験や実習も多くあります。実験は理系の学科であれば大抵やっていると思うので省きます。
食品や栄養について学ぶ学科なので、調理実習はたくさんあります。1年次はただ指定されたものを作るだけ(それはそれで楽しいしラク)ですが、
2年次から自分で献立を考えて作らなくてはならなかったり(たとえば、腎臓病の方向けの食事の場合、低蛋白高カロリーの献立を実際に考えて作らなくてはならない)、
実際の給食施設のように大量調理し、客(に見立てた学生)に配膳、アンケートを取る実習があったり、一筋縄では行かないものばかりです。
調理ではない実習もあります。たとえば低学年の児童を対象にした栄養教育を計画書から作って(児童に見立てた学生に)実演してみたりとか、カウンセリングの実習であるとか。
リーフレット作ったり、商品開発の実習をしたり、パソコンの実習もありました。
前の項と合わせて、必修の課目が多いし、分野も広い。期末はレポートの山に囲まれ、レポート作成と並行してテスト対策もしなければならないので、大混乱です。
レポートの期日が重なるなんて当たり前。テストは持ち込み不可のことが多い。劣等生は追試の山……。
ちなみに、実習の際はグループ行動が多く、グループ分けも大概教授が指示するので、ひとりぼっちになることはありません。
そういう機会に知り合いや友人が出来るので、他県から一人だけで入学したという場合も、孤立することはまずないかと。
栄養士になった人がキツくなるのか、それともキツい人が栄養士になるのかは分かりませんが、授業中にキツいことを言われることもしばしば。厳しい方が多い。
「あなたたちは即戦力となるために~」なんてのは耳にタコが出来るほど言われます。
実際、管理栄養士として就職したならば、初めての社会人経験であっても管理職として扱われます。
その時にまったく戦力にならないのでは困る、ということ。
調理員のオバちゃんをこらしめる方法を教わったときはどうしようかと思いました。
献立でダメ出しくらうの当たり前、授業中の雑談が思いの外キツいことだったりすることも当たり前(患者さんが亡くなってしまった話とか、派閥の話とか)。
むしろ、こういうことを耳にして、覚悟完了できるかできないかが、栄養士として働くか働かないかの分かれ目である。
筆者は覚悟完了出来ませんでした。これから下記に書く実情もあり。
ここまで栄養学科の話を書いてきましたが、どのように感じたでしょうか。
大学生にしてはずいぶん忙しそうだな、とか、こんなヌルい内容でキツいだなんて笑わせてくれるなど、様々な意見があるかと思います。
私も当時の思い出を振り返りながら書いているので、昔の自分であればキツいと感じたことも、今であれば当たり前と感じるのかもしれません。
それはそれで置いておいて、管理栄養士が実際に管理栄養士として働くと、
他の医療系資格よろしく(管理栄養士をコメディカルと見ない人もいるが)、常に求人はあり、その意味では困らず、食っていくに困りません。
だけど、食っていくことしか出来ません。自分の時間が取れない。食べて寝て仕事して寝て食べての繰り返し、というのが管理栄養士として就職した友人の生活。
ただ、管理栄養士はやりがいがあります。そして責任があります。誰かがやらなければならない、いのちの基本、食事に関わる職業です。
そのことにやりがいを感じ、そのために生きていける人ならば、きっとやっていけるでしょう。
それか、何でも要領よくこなせる人とか、切り替えが早い人とか。
私はそのいずれにも該当しなかったし、あとは早い段階で(ただ入学した後の話でしたが)2ch等を見て、栄養士は基本的にブラックな職業だと判断し、事務職に就きました。
何が言いたかったかというと、栄養士を夢見るお嬢さん(高校生以下)、理想と現実はかなり違うから、考え直すならば今のうちだぜ、ということです。
それから、栄養士の労働環境を知ってほしかった。他の方も様々な場所で腐るほど語っています。
テレビに出る栄養士なんて雲上の人、1000人に1人いるかいないかの超好待遇の人なので、管理栄養士が全員そうだとは間違っても思わないでくださいませ。
それではここまで読んでくださってありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20110709015539
>>そもそも「絶対安全」を喧伝されてきた、とか言われてるけど、そんな覚えなんて全然ないんだよね。原発見学に行ったこともあるけど、むしろ「絶対安全なんてことはあり得ないし、過信が最大の敵です」って向こうに言われたよ。
「絶対安全は有り得ない」と口でいいつつ、事故が起こったときの対処を真剣に考えていなかったら
それは結局危険について殆ど考えていなかったことと同じだと思う。
(朝日デジタルには記事有り。7月中は無料なので確認してみて)
フランスで以前、原発の事故訓練を見学したが、そのリアルさに驚いた。参加者は機器の状態などわずかな情報だけを与えられ、どんなトラブルが起きているかの想像力を鍛える。既定シナリオに基づいて形式的な訓練を繰り返す日本と違い、危機感の差を感じた。
富岡町の人口は約1万5千人。約20キロ離れた隣村などへ全町民が逃げたが、避難計画は十分ではなかった。街なかは大渋滞し、普段は車の少ない山道にも長い車列。途中にトンネルや高架橋が多くあり、崖崩れなどがあればパニックだった。国も自治体も東京電力もこれまで、部分的な訓練だけで、お茶を濁していたと思う。
放射線は身体にどのような影響を与えるか
http://niben.jp/or/kankyo/houkoku/h_20110328.pdf
特徴的なのはフランスです。フランスは5キロ以内の圏内にいる家庭には,
全部,家庭配布をしているんです。事故がなくても家庭に配布して,いざと
いうときに自分で飲める。5キロ圏内は学校にも配布しています。5キロか
ら10キロ圏内は,学校、保育所に配布していて,希望すれば自分で薬局か
らもらえることになっています。
日本は,こういう家庭配布は
所で与えるということになって
います。
フランスも日本と同じように少数エリートが原発についての決定権を握っているらしい。
http://globe.asahi.com/feature/110417/01_1.html
フランスでは原発事故がとてつもなく多い。8段階の国際評価尺度(INES)で下から2番目の「レベル1」の事故は、仏電力公社(EDF)の原発だけでも2010年に74件、09年には95件あった。「レベル2」も両年で1件ずつ起きている。
だが、国民の関心は小さく、報道も少ない。高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995年)や関西電力美浜原発3号機の蒸気噴出事故(04年)など、「レベル1」の事故が日本で大騒ぎになったのとは対照的だ。
フランスの鈍感さの理由は、原子力の情報を一部のエリートが独占し、厳しく管理していること。そして、「地下資源に乏しく、エネルギーを確保するには原子力しかない」という国民意識だ。
でも、日本は「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故などで大騒ぎをしたかもしれないけれど、
福島原発での点検不正を告発したGE社員の名前を、経産省が東電に報せたり、
省庁再編の時、原子力安全委員会が経産省傘下に完全に入れてしまったり
柏崎刈羽原発事故でのIAEAの指摘(原子力保安院と安全委員会が共に推進側の経産省内にある)にも
なんら対処はしていなかった。
事故の多いフランスに比べて、日本の原子力エリートの対応は甘いどころか何もしていなかったに等しいと言えるんじゃないか?
というか、事故後の対処以前に日本はそもそも事故を防ぐ気持ちも希薄だったのではとさえ思う。
これはどうみても「絶対安全なんてことはあり得ないし、過信が最大の敵です」っていう人の態度では無いよね。
安全のために幾重にも対処していますと口で言いながら何一つしていないか、
それとは正反対の事さえしてしまい、
しかし心の何処かで事故など起こるはずがないと信じてるかのような
原発管理側の「安全信話」、もしくは「安全信者」とも言うべき「態度」に名付けられた言葉だと思う。
増田もその事を指摘したいのかもしれないけれど、
反原発派の極端な例を一般化したり、
(設計図では良くてもその通りに作られていなかったりきちんと点検されてないのだから、
今建っている原発には当てはまらないという指摘は大昔からあった)
という、原発管理側の手法をそっくりまねても(そうよ、この方法は管理側「も」というか、むしろ管理側の常套手段だった)
説得力はない。
すみませんが、そもそものテーマとして「少子高齢化」なんて、僕は考えてないんです。
テーマからズレる事は、元々考えたかった事を希薄にしてしまう。
だから、シングルマザーに関するトラバへのコメントは控えました。
「少子高齢化」に重大な問題があって、解決が非常に難しいことは
限界集落と呼ばれるような所で生まれ育って、
子供や若い働き手が少ない(いない)事が地域社会を維持出来なくさせてしまう事は、それなりに実体験として分かります。
また、財政難などの問題も当然大きな問題としてあるでしょう。
ただ、計画性のない出産を財政的に許容できな社会の方に問題がある、
と言うのは、社会に期待し過ぎ、甘え過ぎと感じたからまとめに書きました。
自営業を手伝うなどは、可能でも学校に行かずに働く、小学校が終わって働くと言うのは難しいと思う。
では、
(おそらく、社会保障や教育費、医療費などの経済的な支援の充実、保育所などの充実の事と思われる)
こういった社会は実現できれば良いとは思う。けれど、今はない。
だから
「デキ婚への寛容」
として、書いたので「少子高齢化」に関して考えを練っていませんでした。
あと、『〜でしょうが』『〜べき』なんて書き方されると、
Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。
webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。
どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106
この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました。医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいものです。
森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師に研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材や医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。
直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……
あとは、勉強用に。
本吉町国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月:本吉町国民健康保険病院)
本吉町国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷町国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。
翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。
昭和30年3月の町村合併により本吉町国民健康保険病院となり、この年に新病棟が建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。
昭和34年当時の診療科目は、内科、外科、小児科、産婦人科を標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。
しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。
その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科を標榜する現在の病院の規模となった。
昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。
その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。
本吉町内には、かつては数軒の医科医院が開業されていたが、医師の高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。
国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。
特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。
現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師を派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・
本吉町国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科を標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。
外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。
外来、入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。
本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関にはなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。
また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園・保育所、小学校、中学校の校医も受託している。
さらに、町内企業の産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催の健康相談への協力も行っている。
以上のように、本吉病院が地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要な医療施設となっている。
本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。
医師については、本吉病院の患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。
宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師や派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。
押し寄せた津波に入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影(CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した。
3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。
現在の医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊「TMAT」が担う。入院患者は岩手県立千厩病院(一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。
千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。
病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。
TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。
看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。
職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)
◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市立本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)
入院患者19人全員を岩手県の病院に移し、人心地ついた朝だった。
3月20日。気仙沼市立本吉病院。
男性院長(59)の姿が消えた。
震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部の医療団の応援を受けている。4月上旬。
「おばあちゃん、眠れていますか」
2階の一室で外来の患者に話し掛ける。そばで派遣医師が心音を聴いている。
院長は地元が兵庫県で阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
津波で1階が水没した。医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
入院患者の足元で雑魚寝し、患者のタオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
外来患者は1日200人前後。震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
「病院が地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」
4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師も現場復帰した。
家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい。
医療団はいずれ去る。
「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
心の中でわが子に言い聞かす。
もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)
東日本大震災の津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】
3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器をモニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯で看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長の鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員がほとんど休まずに勤務を続ける。
4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した。
応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです」
宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
1階天井近くまで達した津波は白衣も医療機器も流した。人口1万1千人の本吉地区から市中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した。
応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師が休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した」
応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元の主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)
質が高くて信頼できて進歩的な、保育所なりシッターなりに預けて、女はすぐ働ける、みたいな。
あるいは業務の形態が柔軟で、育児中は在宅ワークに切り替えられる、とか。
少なくとも今の日本のような、保育所が満員で何百人も順番待ちで預けることも働くこともできないみたいな絶望的な状況は無いんじゃないかな。
来年から総合職として働くことになってる女で、いずれ育休取得&職場復帰を希望してる者だけど
女の産休育休や時短取得に対する風当たりの強さって、実際の現場ではどうなんだろう?
職場によって雲泥の差があるから内定先に聞くのが一番早いってのは理解できるんですが
とどのつまり「正直どんくらい休めるの?」という質問なわけでどうにも聞きにくいよね、こういうことって。
ネットの書き込みとか見ると、
育休や産休で職場に穴開ける女は迷惑、時短でラクしてる女は言語道断、
子どもが~って言えば何でも許されると思うなよ、早く辞めちまえ、
みたいな意見があって、まあそれは悪意ある意見なのかもしんないけど、不安だ。
そういう「休むな、現場に穴を開けるな」という批判を免れようとすると、
体力回復に必要な最小限の休暇だけとって、産後ゼロ歳で保育所に預けてとっとと復帰する人もいるにはいるんだろうけど
それはそれで 自分の子供を他人に預けて平気なのか、鬼母、育児放棄!みたいに言う人もいるし。
(私自身はそうは思わないし個人の自由だと思うけど。)
私自身は、子供産むなら1年か2年は育休とりたいと思ってるんだけど、それが周囲に白眼視されないとも限らん。
育休とるのを白い目で見られるならいっそ辞めるが、
やめたらやめたで、一旦無職になった女が総合職として別の職を得るなんてこのご時世では不可能に思えるし、
そもそも認定の保育所自体が行政のコントロール下にあって、需要と供給のバランスの上にはないから1200万っていう数字が文句いわれてるんでしょ。
出来る人が少ないだの、需要だのって言ってるけど、そんなこと議論しても意味ないよ。既に市場の力学とはちがう不健全な力学で決まってるから。
そろそろこどもでもつくろうかなと思いこども相談センターに行った。
まずは与信審査のようなものがあり、本当に支払い能力があるのかチェックされる。
それが終わるとIDとパスワードが発行されるので、センターの端末だけではなく自宅からもサイトにログインして、登録された数万人の女性を選ぶことができる。
はじめは写真やプロフィールをひとつひとつ見て決めようと思ったのだが、プロフィールには年齢や血液型だけではなく、生い立ちから遺伝子解析結果まで載っているので、すべてを見るのはむずかしい。
そのため条件を入れてフィルタリングしてくれる検索や、こちらのパーソナルデータから適合度の高い女性をリストアップしてくれるマッチングなどを活用することになる。
結局、遺伝子の相性がいちばんいい相手を選ぶことにした。相手が決まるとセンターに精子を提出して終わり。後は10ヶ月後くらいに子どもが生まれ、センターが英才教育を施してくれるので、定期的に送られてくる映像を見るくらいだ。
自分で子どもを引き取るセンターもあるにはあるのだが、あまり評判は良くない。
男性が引き取ると養育費は浮くので安く済むのだがベビーシッターや保育所を活用してもやはり仕事の関係で上手くいかないことが多く、女性が引き取ってもひとり分の養育費だけでは足りないと次々に出産して種違いの兄弟が増えることでひとりひとりの教育が疎かになることが多い。
そのためセンター自体が教育を受け持つところがでてきた。平均年収、経歴、犯罪率の低さ。センターごとの追跡調査を見てみれば教育施設を持つセンターの有意差は一目瞭然だった。現在では教育施設を持つセンターが主流であり、このセンターもそのひとつだ。
そのおかげか、センター設立当初によく言われたこと、親権やこどもの人権に関する諸問題、あるいは人身売買の一種であるという批判もほとんどなくなった。
形式的に見てみればお見合い結婚したふたりがこどもを寄宿舎に入れるのとほとんど変わらない。男性の方だけにではなく、女性の方にも定期的にこどもの成長は送られてくる。今では相手の女性に同じ親としての親近感も抱いているほどだ。
独身と比べて大いに優遇される税制のためにこどもを作る人もたくさんいるらしいが、私は親になることのすばらしさという点でおすすめしたい。こどもを持つということはやはり良いことだ。すくすくと育っていくこどもの映像を見るたびにしみじみとそう思う。この充実した満足感は何ものにも代え難いものであると、そう思うのだ。
来月で25歳になって、被選挙権を得る俺が本気で日本を立て直すための戦略を考えてみた。
・法人税減税。
・消費税増税。どう考えても仕分けや埋蔵金みたいな小手先の策で対応できるとは思えないので、
・札証、名証、福証等の地方取引所、東工取、東穀取のような商品取引所を大証に統合。
大企業中心の東証に対する、地方、新興、商品主体の取引所に再編。
・製造業の大規模投資の税制優遇。韓国台湾のハイテク産業に対抗する。
・林業の近代化。林道整備、機械化、製材所、流通経路を含めた改革のバックアップ。
北方領土は2島返還で手打ち。経済水域は割と広いので名を捨てて実を取る。北の備えを南西にシフト。
・本気で常任理事国を目指す。新興国にインフラ売り込みをがんばる。
・FTAの推進。同時に利権の温床になっている中小農家の淘汰してJAを解体。専業農家、企業参入を優遇。商品作物輸出を図る。
・ミサイル防衛の推進。
・核武装はしない。維持費用がヤバイのと、不謹慎な話だけど世界で唯一の被爆国という立場を外交に生かすため。
・次期主力戦闘機はF-35を買う。三菱にはT-4後継の練習機の生産で仕事を維持。同時にこっそりF-3開発推進。
・F-35はVTOL型を購入して、いざとなったらDDHを軽空母にするぞというポーズを取る。
アメリカ空母で着陸訓練をさせてもらう。ただし、本気でやばくならない限り軽空母保有はしない。
・普天間基地の下地島移設。基地問題と防衛力維持の両立を図る。
・陸自のヘリの国産化。UH-X、AH-XはOH-1ベース。がんばれ川崎。
・若年層が高齢者を支える仕組みは限界だと思うので、同世代内の相互扶助の仕組みみたいなのができないか考えてみる。
・少子化なのに小児科医、産科医の不足、保育所の不足。よくわからないので詳しい人に頼む。
具体的には、
・首都圏高速道路網(圏央道、外環道、中央環状道)の整備。渋滞の緩和
・中央リニア完成と同時に伊丹空港を縮小してビジネスジェットの拠点に改装。国内線は関空に。
・なにわ筋線を建設して関空アクセスの改善。関空を西日本のハブ化。
北陸は名古屋とのアクセスを考慮して米原ルート。リニアがあれば東海道のキャパも問題なし。
石油・天然ガスの中東依存脱却と、製造業の競争力強化の観点で考える。
・地球環境変動のメカニズムを研究するための衛星、スーパーコンピュータ予算を増やす。
・ただし京速計算機みたいな無駄遣いはしない。東工大のTSUBAMEみたいな効率的なヤツをたくさん作る。
・安全保障と絡めて、早期警戒衛星の開発。ミサイル防衛の強化と宇宙開発の官需を作る。
・というか、有人宇宙開発やろうぜ。
・大規模な風洞実験室を北海道に整備。航空宇宙産業の強化と、地方振興を同時に図る。
・これらの財源は、排出権取引みたいな馬鹿らしい枠組みから離脱して捻出。
・レアアース代替材料の開発推進。
・広い領海を生かして海洋資源の調査推進。
・まともなNPO/NGOが活躍できる仕組み作り。昔バイトしたときの経験から考えて、
名誉欲の強い定年退職じじいや、勘違い主婦、自分探しの若者しかいないのが原因。
まじめな失業者や無職がNPO/NGOに参加していると職歴として認知されるような空気を作る。
最近警察がやってる路上駐車の取り締まりや、飲酒運転の罰則強化なみにしつこく政府広報すれば空気は変わる。
解雇規制の緩和するからには引き替えになる政策が必要だし、起業の増加につながるかもしれない。
・選挙区の一票の格差是正。都市部や若年層に不利すぎる現状を打開する。
・官僚に政策を丸投げせずに党でシンクタンクを保有して政策立案能力を高める。
働き口の少ない文系ドクターの受け皿になって、ドクターの雇用問題を考えてますよアピール。
以上、長文失礼。
超廉価の保育所ができてる、っていってんだろ。
もう《基準》も価格制限もないんだから、
ものすごい安い値段で、簡単に預けてくれる保育所ができるっつうの。
さっきからここがわかってないやつ大杉。
http://agora-web.jp/archives/1129611.html
http://agora-web.jp/archives/729502.html
幼稚園が私学助成という補助金で運営されていることは周知のことだし
一種の利用補助である。
結局《何から何まで補助金漬け》という実態はかわらない。
池田氏のいうような現行の幼稚園並みの「基準」を歯止めにされてしまったら
価格設定が恐ろしく不自由になってしまう。
《幼児の権利》を楯に高コストなものしか造れなくなるではないか。
そうなれば、価格はおのずと高止まりである。
畢竟利用できないという貧困層の苦情を前に
利用補助という税金投入を果てしなく続ける他なくなるだろう。
価格とクォリティを完全に自由にすれば需給調整力が働く。
たとえば今の保育所のような《基準》=クォリティレヴェルを
全ての親が望んでいるだろうか。
とにかく働きたい。子どもを安く預かってくれるならどこでもいい。
とにかく預かるだけ、というような保育所があってもよいはずだ。
その保育施設は市場から撤退するということになる。
このようにすれば税金はほとんどかからない。
つい先日、保育所に入所できなかった。
すると知人から、市議・県議に口利きしてもらうと入所順位がかなり違う、と言われた。
本当に迷っている。
しかし私は、口利きのために、コネのために政治家を利用すべきではないと考えている。
そういうコネのある人間だけがいい思いをするのは、間違っていると思う。
彼ら政治家は、自分の票になる特定の人以外の人全てのために働いて欲しい。
しかしそもそも、彼ら自身の口から、保育所とか入るなら連絡してくれ、と言っているらしい。
口利きの問題は、政治家自身より、私たちの問題だ。
私たちが口利きを望むから、彼らの役割が歪んでいく。
だから、やっぱり口利きはお願いしない。
と、真面目に書いたが、実際は、口利き頼んだら頼んだで色々めんどくさいだろうなあとか思っているわけで。
駅前のビラ配りとか、選挙協力とか、献金とか、宴会幹事とか、面倒面倒面倒。
と思い、やめたのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100817230944
これから就職ということだが、私も高校生ぐらいの時からどうやって結婚して子供を産んで、キャリアと両立させて、ということを真剣に考えてきた。なぜかそういうフェミニズムっぽい論文を読んでいた記憶がある。フェミニストにはならなかったけどね。幸いにも、周囲にもそういうことを実践的に教えてくれる先輩が何人もいた。そして、妻も同じくいろいろとキャリアデザインを考えていた。結婚と出産、キャリアについて真剣に考えていたのが彼女に惹かれた理由の一つ。東京で出会ったのだが同郷だったというのも惹かれた理由の一つ。もちろん、その他いろいろあるけれど。とにかく早くからそういうことを真剣に考えていろんな人のやりかたを真似したり学ぶのは大切なことだったと思う。逆にそこまでしなければ、若くして子育てなんか出来なかったかも、と思う。
今の世の中はある程度キャリアを築いてから高齢出産で子供を作る、という考え方の人が多いようだが、私たちは若くして子供を産んでかつキャリアも作るということにチャレンジした。まあまだまだヒヨッコだし、同期に比べればいろいろハンディがあって出世が遅れているのは確かだから、他の人にも勧められるかどうかはまだ答えは出せない。でもヒトという生き物としては若いうちに子供を産む方がいいんじゃないか、そのために仕事を犠牲にしても仕方がない、という信念は変わっていない。
子育ては一人目地方都市、二人目は東京だった。サービスが中途半端な地方都市よりは、東京の方が乳児保育や二重保育なども当然のように使えるので、楽なことは確か。地方都市では認可園に乳児を入れるために、最初にお世話になった無認可園の保育士さんに入れ知恵ももらい、「田舎の公立園始まって以来、初の乳児受け入れ」という騒ぎを引き起こすことにもなったし。
その他子供が在園中の無認可園の存続問題やら、認可園の廃園問題やら、いろいろな問題に巻き込まれ、保育園の法律や補助金などのシステムについて、いつの間にか随分詳しくなってしまった。そういう苦労をしたおかげで、なんとか自分の子供のこともやってこられたと思う。自分の子供を預かってもらうために、社会や、行政の制度などを勉強し、勉強したがゆえに他の人のためにもそういうよりよいシステムを継続させるためにまた努力する、ということをやるはめになった。職場の制度もいろいろと変えちゃったしね。苦労は多かったが、いろいろと勉強させてもらったし、いい経験もさせてもらったと思っている。私たちが子育てを始めた頃はまだ「女は家に入って専業主婦をして子供を育てるべき」と考えている人が多かったと思う。そういう社会の雰囲気を少なくとも自分たちの周囲半径数メートルぐらいでは変えちゃったんじゃないかな、と思っている。あくまで数メートルにしか過ぎないんだけどね。
もちろん、保育園などの公的サービスだけでは子育ては無理なことも確か。出張中に子供を兄弟や親に預けることや、ベビーシッター、ファミリーサポートサービス、学童保育など、ありとあらゆるものを利用した。近所付き合いも大事で、子供が鍵をなくして家の前で泣いているところを近所の人に預かってもらったりなど、いろんなトラブルを引き起こしてくれるので、普段からいろんな人間関係を養っておくことも大切。基本的に近所付き合いとか苦手なんだけど。
とにかくお金よりキャリアが大事という思想で、なけなしの給料をはたいて、お金に糸目をつけずにやってきた。出張前にわざわざ実家に子供を預けるために新幹線で反対方向に寄り道するとか、日帰り出張にした上で、頼み込んで早朝から保育所に預かってもらうとか...今になれば、まあなんとか元はとっているんではないかと思っているが、若い頃は随分苦労した。回りにも随分苦労をかけたし、それにはどれだけ感謝しても感謝したりない。子供たちにも負担をかけた。とは言え、子供にはあまり負担をかけると、感情が不安定になったり、反抗したりいろいろやらかしてくれるので、無理はできないのだけど。とにかく、子供も親も元気でやってくれているのが本当にありがたかったところ。
だから、こんな話がそのまま真似出来るわけもないし、他の人の参考にはあまりならないかもしれない。少なくとも子供の性格や健康状態、親の健康状態、実家との距離、いろんなファクターが絡んでくる。それでもそういう個人的な状況を一生懸命切り開き、マネジメントし、またそれを元に社会にフィードバックすることで、少しでも子育てしやすい環境を作ることができるはずだし、またそれを共有できるように努力してもらえれば、と願う。
長文失礼しました。