はてなキーワード: 人間とは
全然違うだろ
政治体制が変われば自分のところにくる補助金の額が変わるだろ?
市長でさえ、誰がやるかで道路工事するかしないかすら変わるだろ?
道路の消えた白線を引き直すか引き直さないかですら変わるだろ?
今まで自民党系から補助金や仕事を回してもらってた人は、自民じゃなくなれば、それがなくなるかもしれんだろ?
ないだろ
なんなら腐敗の一部に自分の仕事が組み込まれて、安定的に確実にお金回してもらうほうが幸せだろ
なんで全国民がクリーンで何の優遇もされない、正しい政治体制を望んでると思うんだ?
そんなやつおらんだろ
理想のために投票するような、生活と政治が結びつかないような人間は、正直選挙に行かないでほしいね
正しさで飯食えんからな
ふぇ、フェミさんがまた萌え絵にイチャモンつけてるチギュッ…なんで生身の人間が鎖に繋がれてる姿を妄想するんだチギュ?じ、じぶんの頭ん中が歪んでるって気づいてないチギュッ!そもそも萌え絵は二次元であって、そ、そんなもんと現実を一緒にするなんて頭がおかしいチギュッ!またフェミ様のズルイ主張チギュッ、ボクチンたちはこうやっていつも叩かれるんだチギュァァアッッ!!ボクチンは無力でいつもこうやって虐げられるチギュ…
AIが吐くコードってプロンプトの処理を素直に書くだけで、コールバック関数使ったり依存性注入みたいな保守性や拡張性を考慮した抽象化は結局人間がやらないと出来ないじゃん。
ま、受託開発じゃ抽象化なんて金にならんから誰も評価してくれない問題はあるが。
要件定義と設計とレビューばっかやって実際のコーディングを行わないポジションの奴がAI使ってコーディングまでやっちゃうとかAIによる効率化でコーダーの頭数が減るってのはあるだろうな。
オープンAIによる検証によれば、o1は博士課程レベルの科学に関する問題の正答率で、人間のエキスパートを上回るレベルなのだという。
ほーん。じゃあイキリ理系も減るのかなって思ったんだけどあいつら「いつか俺も有名漫画家になる」って感じで「いつか俺もAI開発でビッグになる」っていってるから変わらんかね…。
フルタイムで働けてる人間に障害年金がおりるわけねーだろ。生保も無理だよ。生保以上の金を稼げる稼働能力あるんだから。
で、いまの主治医に適応障害と診断されてるなら今のあなたの状態はうつ病じゃなくて適応障害だよ。つまり神経症カテゴリーで障害年金の対象外。
Virtualの誤訳である「仮想」はもうそろそろ言い換えるべきである。
声を大にして言いたい。
俺はもう事実上と言っていく。仮想記憶のことも「事実上記憶」もしくは「バーチャルメモリー」と言っていく。仮想記憶とは死んでも言わん。
仮想は「事実でないことを仮にそう考えること。仮定しての想像」という意味である。
反実仮想とは「事実に反することを想定し、仮に想像すること」という意味だ。
「仮想」という言葉はVirtualの意味の真逆であるということ。
Virtualの意味の本質は「実際そう考えること」「事実上そうだと考えること」であり「ほとんど事実(厳密には違うけどね)」である。
たとえば「いつも私ばかり家事しててこれじゃ私家政婦みたいじゃん」というとき、これは「Virtual 家政婦」と表現できる。
「鼻毛出てますよ」「え?! いやこれは鼻毛ではないんですよ。なんか黒い染みが鼻についてて…でも鼻毛出てるみたいに見えますね」というとき、これは「Virtual 鼻毛」である。仮想鼻毛ではない。
「Xって最近もうほとんど2chと変わらないですよね」というとき、Xは「Virtual 2ch」である。
Virtualを仮想と翻訳しはじめた当人ですら、誤訳であると間違いを認めている。
時代ゆえ仕方なかったと思うが、それでも擁護できないほど酷い。真逆だからだ。
yellowgreenを「赤紫」と訳したぐらい酷い。それが今も続いているんだ。
俺たちは黄色と緑色の中間色のことを「赤紫」と呼ばされているようなものだ。
これについて「それで慣れてるからしょうがない」と言う人間もいるようだが、耐えられている人間は感性がおかしい。
こどものころ「バーチャルな世界で遊んでけしからん」と親に言われたことがある。
自分はそのとき「親は、バーチャルな世界のことを空想だと思っている?」と強く感じた。
親は、ICTに詳しいわけではなかった。だが、バーチャルという言葉は知っていたし、仮想という言葉も知っていた。
バーチャルがよくわからん者にとっては、バーチャルはけしからんものなのだ。
「なんでもかんでもバーチャルって。遊びじゃねえんだぞ!現実見ろよ!」という話である。
Virtualは仮想じゃない。だが「架空」の意味で使われていることがあまりにも多い。
そして今後もどんどんVirtualが増えていくはずだ。英語圏で新しいVirtualのものが出るたびに、日本では架空になっていく。
VRだって空想じゃないのに「架空現実」の意味で考えられている。
違う。「事実上の現実」「実質現実」「本質現実」「ほぼ現実」のことである。
でもVRに来るやつは幻想を求めていそうだ。Vtuberもそうだな。幻想を求めている。
どう考えたって「事実上YouTuber」「本質YouTuber」じゃない。あれは麻薬方面に近い思考を感じる。
「幻想YouTuber」「架空YouTuber」だ。架空のキャラのようなものだ。あんな人間は現実には存在しない。
Virtualが「虚」のものだと思われている。
すべてが虚の上に乗っていると。
虚ではない。事実上である。「物理世界はそっちなんだが、事実上こっちが本質だよ」である。
真に仮想なのは自分の目で見えるものだけがすべてだと思っている人間の頭だよ。
名前変えたぐらいで変わるわけないと思っている人間も多いと思う。
だが変わる。
「幻想バーチャル」「荒唐無稽バーチャル」「非現実的バーチャル」
「あてずっぽうバーチャル」「推測バーチャル」「憶測バーチャル」「幽霊バーチャル」
「夢幻バーチャル」「錯覚バーチャル」「事実と違うバーチャル」「空虚バーチャル」なのだ。
だが言い換えたあとは違う。
「実際バーチャル」「事実上バーチャル」「実質バーチャル」「真バーチャル」
「理論バーチャル」「実態バーチャル」「現実バーチャル」になる。
今後はVirtualなものが増えていくんだ。
今後はNon-Virtualなものについて仮想って言いまくってミーム汚染してやる。
仮想社会のバーチャルバカ(仮想一般人)たちを混乱させていくぜ。
考え方としては、今まで無標だったものにはすべて仮想とつけていい。仮想ってついていたものはVirtual(=事実上)な。
今後Virtualを仮想って言ったやつのことも、バーチャル仮想人って呼ぶ。
そもそも仮想じゃないんだよ。仮想という語をどれだけVirtualに合わせても「仮」という漢字と「想」という漢字が強すぎる。
「yellowgreenはもう赤紫って呼んでるんだから現実見ろよ。yellowgreenは赤紫ね」って言われて「えーーー???いや黄緑やん???!」って思わない?
あなたはyellowgreenを黄緑だと理解しているからいいかもしれないですけどね、赤紫だと思ってしまっている人たちが大勢いるんですよ!!意図的に色弱の人を作り出してる状態ですね。事実上ね。
Virtualは仮じゃないし想像でもない。
それならば「事考」の方が正確。「事考記憶」「事考通貨」「事考水」「事考機械」「事考サーバー」のなんと正確なことか。
言葉は、最初にパッと見たときの印象が重要だと思う。とくに辞書を引かない人や言葉の意味を深堀りしない人にとってはますますそうだ。
たとえば「類似」「レプリカ」「再現」にはネガティブなイメージは少ない。だが「似非」「擬い物」「贋作」「模造品」は「偽物」の意味が強くなる。
仮想をVirtualの意味で使っていこうというのは、「贋作」を「レプリカ」のように使っていこうという主張だ。
だが漢字は強すぎる。どれだけ自分の中でわかっていたとしても、その漢字の主張から逃れることは難しい。
「じゃあ新しい博物館には贋作を作りましょう」と言われたときにすごく嫌な感じを受けないだろうか。そのぐらい漢字は強い。
ブコメ見たけど、仮想の意味を正しく使っている人でも「事実はそうじゃないけど、実際そう考えることができること」という理解の人が多いと思う。
これは日本語・英語の問題もあると思うけど、厳密にはこれは違う。バーチャルには正しいが。
「仮想」をそう捉えている人は、バーチャルをバーチャルに理解していると言ってもいいだろう。だが厳密には理解していないはずだ。
「実際そう考えることができること(まあ細かくいうと現実や事実はちょっと違うんだけど)」というのがより正しい。
単なる語順の問題のように見えるが、いうならば存在の順番が違うということ。存在感が全然違う。
「任意の整数xが存在してそのxは範囲が2から10」であって、「範囲が2から10であるような任意の整数xが存在する」わけではないのと似ている。「範囲」や「2から10」や「整数」はxより先に存在できない。
「事実はそうじゃないけど」が先に来るともうあとは何言っても夢になる。「ふーん。事実はそうじゃないんだ。この話終わりね」のような感触だ。
「違うけど、そういうふうに考えることもできる」じゃないんだよ。「違わない」んだよ!!!違うけど。
関西弁の「知らんけど」に近い考えでいてほしい。
法の従ってさえいれば、相手の感情を無視して事を進められると勘違いしているみたいだが、
日本において感情をこじらせた側が本気で政治闘争を始めれば5年10年と平気で抵抗され続けて、
直近で言えば辺野古、古くは成田闘争や諫早干拓がどんな歴史をたどったか、その箱で調べてみたらどうだ?
ああ、お前らみたいなシコザルゴミカスAIモンキーに「調べる」なんて高度なことを求めちゃ駄目だよな。
猿は猿らしく山に帰ろうな?お前らはシコザルゴミカスAIモンキーが生きていい世界じゃないんだよ。
これのブコメ見てhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/torum/n/n1cfeed20730b
前から思ってたけど、フリーライドを批判する一方、自分は別の何かにフリーライドして恩恵だけ受けてるものがあるっていう自覚がない人ってめっちゃ多いよね。
例えば、公共サービスを利用しながら「税金の無駄遣いだ」と文句を言う人とか、会社の福利厚生を当たり前のように使いつつ、他の人の休暇取得に厳しい目を向ける上司とか。
自分に都合のいいところだけ切り取って他人の行動は厳しく見るっていう人間の性質なんだろうけど。
もっと自分の立場を客観的に見つめ直して「自分もどこかでフリーライドしてるんじゃないか」って考える習慣をつけるべきだと思う。そうすれば、他人への批判も少し和らぐんじゃないかと。
結局は完全に独立して生きてる人なんていないわけで、程度の差こそあれ、みんな誰かの恩恵を受けて生きてるわけだから。その自覚を持つことが、もっと寛容で協力的な社会につながると思う。
そんな健常者であれば当たり前に気付く事に劣等民族が気付けるとでも思ったか?
知能がもう障害児未満のレベルで劣っているからこそ裏金カルト集団を支持できるという事を理解したほうが良い
猿なんだよね、根本的に彼らは
これ言ってる奴で脳みそがまともな人間がガチのマジで一人も居ないから
私は何も考えてない劣等民族のゴミでーすって社会に自己紹介しているのと同じ
もう終わりだよこの国
そういうのが苦手というか、やりたがらないよな
標準化が進まない日本〜理由は「自分が損をしてでも人の足を引っ張ろうとする日本人」?
https://note.com/torum/n/n1cfeed20730b
記事にもうなづいたし、
hecatomcales 絵文字もガラケーの時代はキャリア3社で互換性がなく文字化けしてたし、標準化したのはグーグルとアップルだからな
はてブのこれもそうだよねって思った
https://anond.hatelabo.jp/20240922061814
分野は違えど似た話
なんで漫画出版社っていくつもサイトとかアプリ乱立させるわけ?
https://anond.hatelabo.jp/20210621160710
↑手前みそで申し訳ない。これは私が増田に書いたやつなんだけど、マンガサイト/アプリが多すぎるって話
ΝΑΠΠΑさんのツイート
https://twitter.com/nappasan/status/1754181315308683361
日本のマニアって自分の知識やコレクションをあくまで個人レベルで抱えて、他人から教えを乞われたら「これだけは教えてやるから後は自分で精進しな」というスパルタ師弟関係みたいな話になりがちなんですが
欧米のマニアってビシバシ情報公開して多数の人間と資本を引き込むことで自分自身の利益にも繋げようというスタンスの人が多いから、全く違う速度と規模感でモリモリと物事が進んでいくし、こういう気質やスタンスの差を見ているとそりゃソフトウェア開発の世界でも差が開くよなと思ったりします。
個人での精進や努力、切磋琢磨という美徳に縛られすぎて他人とのノウハウ共有や標準化による利益の創出という観点が欠如してる人が多いんじゃないですかね。そういうところが企業の社員教育のやり方なんかにも表れているし、社会全体を非効率にしている一つの大きな根源なのでは。
私は子供の頃から「見て盗め」ってやつが物凄く嫌いだし、教えを乞われると偉そうにする人も嫌いなのである。
学問にもこういう姿勢の違いが表れてると思うんですよね。和算なんかは独自にかなり高レベルなところまで達していたようだけど、結局は格闘術のごとく「流派」に落とし込まれて、論文の査読や公開による理論の証明という現代科学の世界には至れなかったわけで。
行政システム、乱立に歯止め 自治体の仕様統一へ国が新法 既得権の壁、難航も
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66916140S0A201C2MM8000/
「地方自治」で各自治体が独自に構築した結果、連携ができずに非効率を招いている。
(略)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC201LR0Q3A121C2000000/
「日本の素材メーカーは、半導体関連だけに限らず中小規模の企業が多い。経営も非効率なメーカーが多い印象がある。これは、長年にわたって(国や市場から)守られてきたからと言えるのではないか」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1733Y0X10C23A1000000/
(略)
JSRのCEOも三菱ケミカルGの社長(記事当時)も外国人経営者なんだよね
でも三菱ケミカルGのジョンマーク・ギルソン社長は業界の抵抗で再編できなくて解任されたw
どんだけ再編が嫌いなんだよ日本はw
造船でも似たような話があって
造船TOP5に韓国は3社あって、すでに再編してたんだけど首位は中国なので、首位奪還のために2位の現代と4位の大宇が合併しようとしたら、EUに横やりを入れられたって内容なんだけど
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM13D8F0T10C22A1000000/
他力本願すぎてあきれるw
今治、ジャパンマリンユナイテッド、大島、三菱、名村、川崎、三井、常石と乱立状態な日本がこれ言う?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2063P0Q3A720C2000000/
厚労省は非効率な医療体制の改革を目指し、19年に全国の424病院に対して「再編統合の議論が必要」と名指しで指摘。
(略)
他の先進国並みにいる医師が大病院で足りないのは、小さな病院の数が多いうえに多数の勤務医が独立し、診療所を開業しているためだ。
この前みた大工が足りなくて家が建たない問題も、一人親方が増えたから~みたいなのが原因だっけ
アニメーター貧乏問題も結局はそれなりにスキル身に付いたら独立するから、アニメスタジオが乱立して仕事の取り合いになるからだっていうよね
トラックのドライバーが足りない問題もそうで、物流二法(貨物自動車運送事業法と貨物運送取扱事業法)が施行され参入が増えた結果だし
映画「猿の惑星」について。猿たちはなぜ英語を話しているのだろう。
ChatGPT said:
ChatGPT
映画『猿の惑星』シリーズで、猿たちが英語を話している理由には、物語の設定上の理由と、制作上の都合が絡んでいます。
物語の世界では、猿たちは知能が進化しており、人間に取って代わる形で高度な文明を築いています。そのため、彼らが英語を話していることは、人間の文化を部分的に引き継いでいる可能性を示しています。特に初期の映画では、地球が実は未来の地球であり、人類の文明が崩壊して猿たちが支配者となったという設定が明かされます。この背景を考えると、猿たちが人類の言語を学び、その言語が共通語として使用されていると解釈できます。
映画の主要な視聴者が英語圏であったため、登場人物である猿たちも英語を話すように描かれています。これにより、観客が物語を理解しやすくなっています。特に初期の映画は1968年に公開されたため、国際的な映画市場の主力であるアメリカやイギリスの視聴者に向けて制作されていました。
こうした理由により、猿たちが英語を話しているという設定は、物語の中で自然に描かれるようにされていますが、現実的には観客の理解を優先させるための措置でもあります。
You said:
なるほど。ありがとう。まあそんなところだよね。娯楽として映画を観にくる観客に、猿は英語以外のいったい何語で話せばいいのか、という。
ChatGPT said:
ChatGPT
そうですね、まさにその通りです!映画は娯楽作品として、観客が物語にスムーズに入り込めることが重要ですし、猿たちが英語以外の言語を話していたら、かえって混乱や違和感を覚えるかもしれません。フィクションの世界観の中では、こうした要素をリアリティよりもストーリー展開のスムーズさやエンターテイメント性に合わせることが多いですよね。
とはいえ、猿が知能を持ち、言語を話すという設定自体がとても興味深く、人間と猿の関係性や文明の進化について考えさせられるのも『猿の惑星』の面白いところですね。
You said:
この時代のハリウッド映画で、時代や国が英語圏とはことなる作品がたくさんあるけれど、たとえばクレオパトラ、ベン・ハーとか、WW2のヨーロッパ戦線でドイツ軍がたくさん出てくるものとか。わざわざ外国語を話させている作品と、英語一本で通している作品と、どちらが多いのだろう。
ChatGPT said:
ChatGPT
確かに、ハリウッド映画では時代や国を問わず、登場人物が英語を話す作品が多くあります。クレオパトラやベン・ハーのような古代を舞台にした作品や、WW2を扱った作品でも、ドイツ軍や他の非英語圏のキャラクターが英語を話していることは珍しくありません。こういった描写に関して、いくつかのパターンが見られます。
英語を主に使う映画のほうが多いのが一般的です。特に、ハリウッド映画の全盛期や大作の時代劇、歴史劇において、観客にとって理解しやすいことが優先されてきました。以下の理由が考えられます。
広い市場への配慮:英語圏の視聴者が主なターゲットであり、物語をシンプルに理解させるため、登場人物が英語を話す設定が一般的。
スターシステム:有名な俳優が出演する場合、俳優が母国語で演技することが観客にとって親しみやすい。例えば、エリザベス・テイラーがクレオパトラを演じた作品で、彼女が英語を話すことは観客にとって自然な選択。
映画製作コスト:外国語を話す場面を作り、字幕や吹き替えを使用するのは手間がかかり、当時の制作ではそこまでの工夫は多く行われなかった。
一方で、特に近年のハリウッド映画では、リアリティを追求してキャラクターに本来の言語を話させるケースも増えています。
リアリズムの追求:歴史や文化の正確性にこだわる作品や、戦争映画のようなリアリティを重視するジャンルでは、登場人物に実際の国の言語を話させる傾向が強くなっています。たとえば、『シンドラーのリスト』や『イングロリアス・バスターズ』では、ドイツ兵がドイツ語を話し、字幕を使用して観客に伝えています。
観客の成熟:現代の観客は字幕を受け入れることに慣れてきており、外国語を話すキャラクターにリアリティや文化的深みを感じることが増えています。このため、歴史的正確さや文化的忠実さを保つために、外国語をあえて使用する作品も多くなってきました。
昔と今の違い
昔のハリウッド映画では、ほとんどのキャラクターが英語を話していましたが、現在では特定の場面で現地の言葉を使うリアリティを重視する作品が増えています。それでも、観客が慣れ親しんでいる英語をメインに使う映画は依然として多く、特に大衆向けの映画やエンターテイメント作品ではその傾向が続いています。
まとめると、英語一本で通している作品の方が今でも多いですが、特定のジャンルやリアリズムを重視する作品では外国語を使うケースも増えてきている、という感じですね。
You said:
猿の惑星が公開された1960年代ではやはり、英語一本で通すほうが多かった、という感じかな。
ChatGPT said:
ChatGPT
そうですね、1960年代の映画では、特にハリウッド作品において「英語一本で通す」ことが非常に一般的でした。『猿の惑星』が公開された1968年の頃は、以下の要因からほとんどの映画が英語で制作されていたと言えます。
国際市場への配慮: 1960年代のハリウッドは国際的な映画市場を意識していたものの、やはり主なターゲットは英語圏の観客でした。そのため、異なる国や時代を描いていても、登場人物たちが英語を話すことが普通でした。たとえば、『クレオパトラ』(1963年)や『ベン・ハー』(1959年)でも、舞台は古代ローマやエジプトですが、すべてのキャラクターが英語で話しています。
技術的・商業的制約: 映画の制作や配信において、字幕や吹き替えが今ほど普及しておらず、映画は一言語で広く流通させる方が効率的でした。また、複数言語を使う場合、撮影が複雑化し、コストが上がるため、制作上の制約も大きかったです。
観客の嗜好: 当時の観客は、異文化や異国を舞台にした映画でも、登場人物が英語を話すことを当然視していました。物語の没入感や理解を優先し、キャラクターの言語が実際の設定と異なることに大きな違和感を覚えることは少なかったようです。
例外は少数派
もちろん、1960年代でもリアリズムを追求した映画や、外国語を使用する作品は存在しました。しかし、それは例外的であり、たとえば戦争映画でも、ドイツ兵や日本兵が英語を話す描写が一般的でした。リアリズムを追求する方向に大きく舵を切るのは、1980年代以降からの傾向です。
総じて、1960年代は圧倒的に「英語一本で通す」スタイルが主流であり、『猿の惑星』のような映画もその流れに沿った作品といえるでしょう。
原作と作画両方が強いし、その上で内容もジャンプ向けでありながら他の連載と被ってない。
単純に今のジャンプにハーレムモノも魔法バトルが欠けているのでまず他とかち合わない。
久しぶりの連載で作画の筆が既に間に合わなくなってきてる感じがあるのだけが懸念かな。
とはいえ他の2つに負けることは一生ないと思う。
しのびごとは前作がアメノフルコンビってことで下げていたハードルはなんとか超えてくれたかな。
でもこれで生き残れるほど今のジャンプがスカスカかっていうとそんなことはない。
何が問題って作品として今後の展望が悪い意味で全く見えてないこと。
夜桜みたいに不思議な残り方をするには設定段階の手札が少なすぎるし、単にスニークバトルするならサカモトとかと比較されることになる。
凄い能力を持った裏の人間が学校で密かに~~~はキルアオと被っちゃうしね。
今後の新連載の出来にもよるけど20週~40週なんだろうなあ。
たとえ陽キャでもニヤニヤして作戦を考えるタイプが主人公だと死ぬ確率が大幅に上がる中で、陰キャでブツブツは完全に終わりだよ。
ここまで主人公の造形をミスったら殺して入れ替えでもしない限り無理だけど、それを10週以内にやれるような作品じゃないよね。
つまりこの作品はこのまま読者から「主人公の性格がジャンプ向きじゃねーんだよなあ・・・」と低評価され続けて、10週後の会議で「じゃあ打ち切りね」って宣告されるのを待つだけになってるわけ。
結論から言うとこの3作品の連載レースは開始前の段階、コンセプトを考える時点でもう結論が出てたんだよね。
どうやったら生き残れるかをちゃんと考えて連載を開始したベテランと、それを全く考えずに連載を開始した新人の差が如実に出てる。
勝負はやる前に既に7割終わっていると言うけど、まさかここまで明確に差が出るとは思わんかったよ。
ここまで差がついちゃうとオッズもクソもなくておもしろくない。
強いて言うなら白卓がTOKYO WONDER BOYSみたいに10週打ち切り食らうかどうかぐらいかな。
しのびが30週まで持つかどうかは次の新連載次第だから今の段階でかけても星占いの域を出ないしなあ。
やっぱジャンプの新連載ってのは3作品の中でどれが生き残るのか、どの順番で死ぬのかを当てる三連単が楽しいんであって、個別に死期を予想してもしゃーないんだよねえ。
テラフォーマーズとか進撃の巨人とかああいう怪物と戦う系の漫画に対する感想をネットで漁っているとさぁ、たいてい「結局、「人間VS人間」」になってるじゃん、はいクソ」みたいな意見が出てくるけど、言うほど永遠に怪物と戦う展開を読みたいか?
ゴキブリとずっと戦っているテラフォ、無垢の巨人とずっと戦っている進撃……、絶対つまらないでしょ。
初期は、強大な怪物に抗う主人公サイドって感じで内輪でドラマを作れるけど連載漫画だとそれだけじゃマンネリ化するし、そうなってくると敵側にも魅力が必要になってくるけど感情も信念も見て取れない怪物じゃそのたいした魅力は出せない。
自分は個人主義者だし、個人主義じゃないとストレスが貯まるので、個人主義万歳だ。
しかし、昨今の人間社会の様子を見るに、コミュニティへの献身がないと成り立たないと感じる事が多い。
個人主義という楽を知ってしまった以上、自己犠牲なんて払いたくない。
自分が死ぬまでは現在の社会が保ちそうなので、どうでもいいかと思うのは個人主義が故か。
先日とある婆さんと話をしている時に、婆さんがこう言った。「好きなものを買い物かごにぽんぽん入れまくるような買い物をしたら幸せだろうね、コストコなどで好き放題買ったら10万円ぐらいで足りるかな?20万円ぐらい必要かな」と。
それから数時間後にふと気づいたことがある。それは、コストコで20万円分の買い物をすることでなぜ幸せを感じることができると思ったのかだ。そして僕が辿り着いた答えは、コストコで20万円分の買い物をすることは、非日常な体験だから幸せを感じると思ったのではないかという事だ。
たぶん僕達人間は、毎日退屈している。機能と同じ今日を過ごし、明日もまた今日と同じ明日を過ごす。その繰り返し。そんな事脳内のどこかで漠然と感じていて、それを退屈だと思っているのかも知れない。だからこそ、ちょっと変わった体験がしたいと考えているんだと思う。そしてちょっと変わった体験の一つが、ばあさんにとっては爆買いなんだと思う。
つまり婆さんは、爆買いで幸せを感じることができると思っていたのかも知れないが、もっといえば非日常的な体験をすることができれば、20万円を払わずとも幸せを感じることができるのではないだろうか。
冒険こそが幸せと言ってるわけではない。コンフォートゾーンから出なくてもいい。なぜかと言うと、爆買いはコンフォートゾーンから出ているわけでも冒険をしているわけでもなんでもない。今の生活の延長線上にある「やってみたいこと」にすぎないからだ。そうであれば、今の生活の延長線上にあり、尚且つお金をそこまで払う必要がない「非日常的な体験」を探し、それをやることでしわ背を感じることはできないだろうか。
そんなものが見つかっていれば、みんなやってるのかな