はてなキーワード: ポジティブとは
主人公(男)に五人のヒロイン(五つ子 しかも全員胸がでかい)というアニメに「そうだよ、ハーレムというのはこうでなければ(パァン)」とタイトルの「性の【柏手の安】」が柏手をするぐらいハマってるわけなんだけど、このアニメのせいで「性の【柏手の安】」を認識するようになった。
自分でいっちゃうのもどうかとおもうが、自分は作品を貶すことは殆ど無い。
例えば、みんなが駄作といっている艦隊これくしょんのアニメも「ゲームないで数秒で終わる演出の細部が見れてよかった」と褒めるし、大体どんな作品も「良い作品だったな」と終わる。でもなんとなく、二回目はないなという気持ちもある。
他にもアニメの実写化となるとオタク界隈はざわつくものの自分は「見てみないとわからない」というスタンス(実際るろうに剣心はかなりよかったし、実写というだけで拒否するのはどうなのだろうか、俳優が好きでその人の演技を楽しみにしている人は完全無視なのだろうかと思う)だし、これまで本気で糞アニメだと思ったのは「ポプテピピック」のような良い意味での糞アニメしかない。
でも、糞アニメと言われたら「いや、いい部分もあったよ」と擁護しながらも結局は二回目は見ないアニメと、糞アニメと言われても「そうじゃない、好きな人だっているんだ」と必死な擁護をしつつ二回目を見るアニメ、何が違うのかなんてわからなかった。
糞アニメと切り捨てることは簡単。でも自分は「糞を好む虫だっているだろう」と思って、悪い部分を全く見ずいい部分だけを見るようにしていた。
話を五等分の花嫁に戻そう。
五人のヒロインが出てくるので、当然「誰が良いか」、という話になる。はっきりいうと全員巨乳でしかもピンク髪(無類のピンク髪好き)なので全員いいんだけども、無類のハーレム物好きで柏手がでるような俺でも3P,4Pぐらいは考えるため、「誰が良いか」を選ぶことは必要だ。流石に6Pは難しい。(自分の体力では五発連続発射は不可能なため、二人目ぐらいで終わってしまうと他の子が可愛そうとよぎって発射に至れないため。)
各ヒロインの所感を書いておくが
中野 一花:長女。クール気だるげなお姉さんという枠。こういうキャラは年上気取ってるだけに時たま見せる動揺だとかがかわいいのでオタク受けはいいですね。
中野 二乃:ツンデレ。しかも生意気。しかも意識も高い。しかもギャル。しかも巨乳。
中野 三玖:クーデレ。ヘッドフォン女子なので素晴らしいキャラ、オタクはこういうのが好きだなというのを甘く煮詰めた凄みがある。人気一位というのも納得のかわいさ。むしろ一位以外考えられない。
中野 四葉:人懐っこい元気キャラ。こういうポジションは犬とか妹ポジションで不遇だけど、好きな人は好きだろう。
中野 五月:うーん、控えめにいって最高。他のヒロインがキャラ立ちしまくってるというのに正ヒロインのようなポジションでここまでの正ヒロイン力を身に着けているのは純粋なパワー力を感じる。
さて、「性の【柏手の安】」が柏手を出したのは誰でしょうか。三人居ます。
まぁ、正解は二乃、四葉、五月なんですけど。
三玖の事を考えたときに、どうやっても人気の要素の詰め合わせで自分のビッグマグナムが暴発するようなキャラ(無類のクーデレ好き)なんだけど、なぜか股間が全く反応しなかったわけ。
冷静に分析すればするほど「うん、俺はこういうキャラすきだよな。」とメロンソーダを飲んだ井之頭五郎みたいな顔になったんだけど、だけど3P、4Pのラインナップを決めた時、三玖が入ることがない。
何かが決定的に違うとわかった時自分は「性の【柏手の安】」が存在していることに気がついた。
無類のクーデレ好きと書いたが、実は無類のツンデレ好きでもあるわけで、そういう点で「生意気で巨乳で意識も高そう(この時点でそうとう好き) 態度が軟化し始めた(この時点で目の前に竹達彩奈が現れる)」という段階で二乃は柏手が出たし、四葉が最初に人懐っこく主人公に絡んできてくれる時点で無条件に柏手が出たし、五月の正ヒロインとはこうあるべき人々は忘れてしまっているなとかんがえたとき頭に浮かんだのは母親が作ってくれたカレーだったので柏手が出た。
「クーデレ。ヘッドフォン女子なので素晴らしいキャラ、オタクはこういうのが好きだなというのを甘く煮詰めた凄みがある。人気一位というのも納得のかわいさ。むしろ一位以外考えられない。」と言いながら、冷静にも柏手を出さない「性の【柏手の安】」が評価して、将太のライバルキャラが「柏手は…無しか」と落胆している表情が浮かぶ。
今思えば、艦これアニメも、グラブルアニメも、アニマス以外のアイマスアニメ(端的に言うとアニデレ)も、その他「こりゃ人気はあるだろうな」というポジティブな要素を見出しているのに二回目三回目を見ないアニメは難しいことを考えるまでもなく「性の【柏手の安】」が柏手をしなかった。
ただそれだけなんだなと思った。
俺はこれからも「性の【柏手の安】」を信じていこうと思う。他の誰もが「いや、ゴミだね。ありえない。」といっても「性の【柏手の安】」が柏手をしたのなら信じていこうと思う。多分、俺の股間についている脳みそというのが「性の【柏手の安】」なのだ。そのある意味もうひとりの自分が言う事ならどんなことでも信じられるのだから。
他人を利用して機嫌を直すというよりは、自力で回復したい人間なので、参考にならないかもしれない。
きっかけ
・他人の行動が予想と違った
具体的な症状
・口数が減る、表情が暗い(周りにどうしたの?と聞かれる)
・失敗した時の光景を何度も思い出す
・どうすればよかったか、何度も考え直す
・言い訳を考える
2. 機嫌が悪い自分に対して自分でどのように機嫌をとったのか
・放っておくといつまでも反省会を開いている(はたから見ると本当に暗いらしい、これが周りを心配させる)ので、自己反省時間は10分くらいに絞る
・元気がなくとも、周りに大丈夫のサインを送るのは必要なので、表情は暗くとも明るくポジティブなことを話す
3. 自分ではなく他の人に機嫌をとってもらった場合はどういう感じになるのか
・私の場合、“機嫌をとってもらう”というのは、主に「私が明るくなるように楽しい話題を振ってくれる」ことである。から元気を続けるうちに、段階的に元気になっていく。もちろん、これは応急処置的なので、ちょっと辛い。
ここ最近のブームとして、愚痴やヘイトを言う、所謂雁字搦めの自意識をもってしまったネガティブマイナス思考人間より、人生楽しいし仕事も趣味も充実してます♡オタクだってキラキラしているし、拗らせとかバカじゃん。って感じのキラキラ最高ポジティブ思考人間がブームになっている。
ネガティブマイナス思考のオタク人間はさらに生きづらい世の中になってしまった、と感じながら過ごす日々です。
オタクが内向きで拗らせたままだと最悪、みたいな風潮になってしまうのは嫌なので、せめて私だけはブームには乗らないぞっていう強い意思ができました。
万が一(絶対ないと思うけど)私が雁字搦めになった自意識を捨て、キラキラ最高ポジティブ思考宗教を信仰しはじめたら、あんなにキラキラブームに疑問をもって、ブームに乗らないって言ってたのに宗教にハマってしまった可哀想な人としてみてほしい。
一部では、キラキラ最高ポジティブ思考宗教は人を傷つけない素敵な宗教って言われていますが、私みたいなグチャグチャ自意識をもったネガティブマイナス人間はたっぷり傷ついているので、基本的に人を傷つけない記事を書くのは難しいのだなぁと思います。
でも、これもキラキラ最高ポジティブ思考宗教の人からしたら狙いなのだろうな。マイノリティ人間をふるい落とすのが一番だし。
産まれたときからの人生の不平等さや貧困層、どうしようもないブス、もっている手札が少なすぎるやつ、マイノリティ、そういった現実的に救いあげ不可能な可哀想な人間は視野に入れずに、ないものとしてやっていくほうが楽だもんね。
キラキラ最高ポジティブ思考宗教って、長すぎるワードだから、短くまとめたいな。キラポジ宗教でいっか。じゃあ、逆のネガティブマイナス思考宗教はネガマイ宗教か。センスのないワードだけど、すまんね!
キラポジ宗教のなにが嫌かって、上記でも記した、現実的に救い上げ不可能な人の刻み込まれた心の傷のことを軽んじているし、その傷を無理矢理縫い合わせて、合併症の縫合不全が発症してようと、キラポジになれやって笑顔で威圧してくるところが嫌です。
それってネガマイ宗教特有の被害妄想では、って言われるかもしれないけど、キラポジ宗教の人が書く文章って、そういう圧を感じるんだけど、私だけなのかな?
SNSで、人生うまくいってるキラポジの明るい話に触れるたびに、私が普通じゃないから、私が努力できないから、私が実行に移さないから、私が甘ちゃんだから、そういう感じで自分を責めてきたんだけど、こちらがそう思ってしまうことが圧だと思うんだよね。
まあ、グチャグチャ自意識もちだから、そう責めてしまうのだけど。
キラポジの記事と、ネガマイの記事を両方読むと、どちらもそのどちらかを傷つける文章が大体書いてあるので(私の書いているものもそうだし)おあいこと言えばそれまでなのですが。
この人は世の中を底辺側から見たことがあるか、そもそもこの人の立ち位置はどこなのか、今もっているこの人の目線はどこなのか、この人にとっての普通とはなんなのか、この人のマイノリティとはなんなのか、この人は生きづらいと言う人間が、何故生きづらいと言うようになってしまったのか理解しているのか
私はそれらを文章から読みとり、筆者がキラポジ側なのかネガマイ側なのか選別しているのですが、当然ですが、ネガマイ側が圧倒的に地獄に寄り添えているんですよね。
底辺の痛みを知っているか、大きな心理的ダメージを受けたことがあるか、それらの有無で文章の珠玉さも変わってくる。
キラポジ宗教の書く文章って、だから印象に残らないんだろうなって、思います。
ブームから外れたとしても、私は生きづらい人に寄り添えるネガマイ文章を書いていく。
生きづらい人たちが少しでも楽になれますように。
初めに。
この記事はアリアナグランデさんがほんのちょっとだけの馬鹿の書き込みのせいで日本を嫌いになってしまった騒動をみて、書いたものです。
はっきり言おう。日本人論にはエビデンス、つまり証拠や証明がなされているものは皆無であると。
日本人論には「日本人スゴイ」のようなポジティブなものも、「日本人ダメ」のようなネガティブなものもあるが、どれも証拠が出されたことはない。
あるとするなら、日本人論を書く人の身近な経験、ネットの書き込み(※参照)ぐらい。反証可能性はまったくない。
※ネット炎上の研究という本にもあるが、炎上に関わっている人は千人に一人だという。ツイッターで実際書き込んでいる人は全体の四分の1、四千万もある日本語のアカウントのうち一千万しか書き込んでいなく、それの千分の一、つまりたった一万のアカウント、それも統計学的に抽出したのではなく恣意的に出して『日本人は陰湿だ』というのがいかに滑稽かわかるだろう。もちろんたった一人の行動でもって「日本人スゴイ」というのも滑稽極まりないものだ。
話を戻すと、日本人論はまったく証拠がない。だからどの本も読むに値しない。
じゃあどうすればいいのかと言うと、「ありのままの自分を愛せ」としか言いようがない。
日本人論を展開したり信じている人にある傾向に「ありのままの自分を愛していない」ということが挙げられる。
そういうと「お前も証拠のない言説を説いているじゃないか」と思うだろう。
だけど、これは極めて強い傾向だ。「日本人スゴイ」は論じなくてもわかるだろう。
「日本人ダメ」は実は裏テーマに「日本人ダメと説いている自分すごい」がある。
もし純粋に「日本人ダメ」と説いているなら、「じゃあ、どうすれば克服できるか?解決できるか?」ということが書かれているだろう。(超入門 失敗の本質・空気の研究 は見事に筆者が考えた解決策を紹介し、読者に希望を与えている)
しかし、大半の「日本人ダメ」本にはそういうことは書いていない。嘆いておしまい、なのだ。
そうするとなぜこんな本を書くのかという疑問が現れる。
そして僕は考えて一つの答えにたどり着いた。
「日本人ダメ」を書いている人は、その『日本人』に自分が含まれていなくて、「日本人ダメだと気付いて指摘している自分カッコいい」と優越感に浸っているからだ、と。
気づいた瞬間、スッキリするとともにこう感じた。あぁ、あの人たちは自分を愛していないんだな、と。
自分を愛し、信じていないから、日本人すごいに走ったり、少しの知識を使って日本人ダメを論じることで優越感に浸っているんだなと。
今この記事を見ている人(特に日本人云々と言っている人)に言いたい。
そうじゃなくて、自分の幸せを見つけた方がきっと気持ちにも余裕ができて、より客観的に日本人を見ることができますよという意見を述べこの匿名記事を終えたいと思う。
なお、アリアナグランデさんには、是非ともいろんなことを書き込んだバカどもを告訴してほしいと思う。きっとほんの数人しかいないのだから。
ポジティブなやりとり望むなら、ネットとかより会って顔見て話した方がいいと思う。増田一人の意見でここは変わらんだろうから、賛同者を募った方がいい。私はなんか違うと思うけど。
匿名ならではの気ままになやり取りも楽しいですが、
誰かを元気づけるポジティブなやりとり、ほのぼのしたやりとり、同じ趣味の人とのやり取りもしてみたいです。
その際に、ジャンル分けがあるとよりしやすいのではと考えるのですが、同じ意見の方はいますか?
FGOに紫式部が実装されて、清少納言との百合カプはいつくる?とキャッキャしてるツイッターみてて、紫式部が陰キャで清少納言が陽キャ(もう古語やね)というざっくり知識から、色々ググって現代語訳された枕草子読み通した。
第一部だけ記憶に残ってたが、あれは彼女の良いところを思うままにつらつら紹介する文章だ。季節バージョン以外に池バージョン、木バージョン、虫バージョンなんてのもあるが正直ツマラネ。やっぱり感性合わねーんだよなぁ。あすなろの章みたいにデマと誤解で大ポカもしてるし。(この辺池上彰っぽさを感じて安心感もある。ぶっちゃけ可愛い)
代わりに頭の弁シリーズが大好き。今や頭の弁の名前だけでめめっちゃ興奮する。清少納言目線で相手6歳歳下かよ。そりゃ義弟ポジになるわ。恋愛要素ないんかーい。和歌が苦手で変わりに三蹟と称されるまでに文を磨く…には至っていない(片鱗はめっちゃ見せてるけど)若かりし頃の行成の姿がとても良かった。
定子様が出てくるエピソードは正直真っ直ぐ読めない。主人が没落する中で徹底的にポジティブに在りし日を遺したと知ってもう何も言えないわ。先に終わりを知ってしまった闘病日記のよう。いやでもこの作品の中では永遠に二人で仲良くしててほしいわ。
下記のような状態なのだけど、病院にいくべきか?現状維持すべきか?で迷ってます。
病院行って聞けって言うのはその通りなのですが、書いてみます。
ネガティブな面
・深夜早朝に必ず2回くらい目がさめる
・毎朝、起床時間1〜2時間くらい前に目が覚めて、うとうとしている感じになる
・浅い眠りのときに、入眠時幻覚?のようなものを見て跳ね起きたりすることが珍しくない頻度である
ポジティブな面
・入眠はやや時間がかかるが(30〜40分)、そこまで問題・苦痛に感じていない
・対症療法的ではあるが、毎晩起床時間の8時間ほど前には布団に入ることにより、睡眠の質の悪さをある程度相殺できており、日常生活で極端な苦痛は感じていない
(言い換えると、これだけ長く布団に入っていてもベストな体調にならないと言える)
上記のような状況のため、問題を感じつつも、病院に行って薬を処方されたりしたほうが、中長期的によくない結果になるんじゃ・・・という不安があります。
何か意見など伺えると幸いです。
絵師(笑)というのは「自分は絵が上手い」と思い込んでいる、大して絵が上手くない自意識過剰な上承認欲求がデカすぎる人の事を言うらしい。別名自称絵師とも。
皆の反応が欲しいから何枚も絵を描ける、その行動力が羨ましい。
どんな絵を描きたいのかポンポン浮かぶ、その想像力が羨ましい。
仮に絵に自信を無くしても「周りの絵が上手くない人達が絵を描くのを楽しんでるんだから、自分も楽しんで良い」と思える、そのポジティブさが羨ましい。
これは嫌味でも何でもない、本心だ。
私は昔から絵を描いている。
別に、私には人を惹きつける画力も無ければ、絵を描く為の技術もない。
描きたい。何か描きたい。
でも何も描く気がしない。
絵を描いて投稿すれば、誰かしらに反応してもらえるのに、それすら自分には魅力に感じない。
絵を描く為の原動力が欲しい。
喪失感ではない。
心というかおなかのあたりにぽっかり穴が空いた感覚がする。よくいう喪失感に例えられる表現だ。しかしこれは喪失感ではない。
彼らは活動休止宣言をしてから実際の休止まで2年の猶予を与えてくれた。
何度も何度も彼らのあいだで話し合いを重ね、彼らも関係者も現状できる最大限の納得できる落としどころを見つけ、尚且つファンは心の整理をつけるのに時間がかかるだろうからと、この時期の発表。
何もかも妥当な決断だと思えた。何も間違ったことなどないと思えた。
それさえ切ない。
発表を知った時わたしはライブハウスにいた。とあるロックバンドのライブの日だった。
驚いて思考が一瞬止まったけれども、楽しみにしていたライブだったし、いま全力で楽しまなければバンドメンバーにも失礼にあたると必死に頭を切り替えて演奏をきいた。
終演後、ライブの余韻にすこし浸って、この度の発表をした彼らのことを考えた。
みるみるうちに視界が滲み、暗くつらい気持ちになった。たった一瞬で何もかも嫌になった。
彼らのことを憎いとは思わない。ずるい、にすこし似た感情を抱いた。
こんな気持ちになるくらいならもう誰も何も好きになりたくないとさえ思った。
でも、それでいいのかな?とも同時に思った。
チケットが当たって高揚した、当日までワクワクしながら準備して、いざコンサートで人生で1番じゃないかってくらい幸せな時間を過ごして、次のツアーまで早く会いたくてソワソワして、CDや雑誌やグッズに囲まれて、彼らの言動を深読みしたりファン同士の様々な意見を目の当たりにして勝手に嬉しくなったり落ち込んだりした。
思春期の大事な時期を彼らに寄り添ってもらった。それにどれだけ救われたか。
彼らが誇りに思うファンでいたかったから、彼らが恥ずかしく思うような行動はしないと心に決めていた。彼らに会いに行く時胸を張って笑顔でいられるようにと、本気でそう思っていた。
彼らを好きになったからこそ(わたしが勝手にだけども)辛い気持ちになったり嫌な思いをしたり、たくさんのことがあった。
でもそれをはるかに上回るくらいたくさん良いものも貰ってきたと思う。
少なくとも「好きにならなければ」なんて口が裂けても言いたくないくらいに。
ネガティブな感情もポジティブな感情も彼らからもらったものはやっぱり何も捨てたくない。
例え今まで、そしてこの先どんな嫌なことが起こったとしても。全ての感情含めて大事に歩んでいきたい。
そうは思うのだけど、しばらくは前向きにはなれそうにない。
わたしが1番熱心に彼らを応援していた時期から、もう何年も経っている。彼らが何か変わった訳ではなく、ただわたしが好きでい続けるのに疲れてしまったというだけだった。不安定な時期で、周囲の言葉に惑わされがちだったということもある。
あの頃から随分時が経って、休止という発表をもっと冷静に受け止められると思っていた。そんなことは一切なくて、彼らの決断を知った時からずっと大きく心が掻き乱されているし、気を抜くと涙が出てくる。
彼らの会見を見た。活動休止だというのに彼らは笑顔で、記者の粗野な質問には瞬時に強い意志で切り返して、どこまでも誠実で、やっぱり彼らを好きになって良かったと会見を見ている間何度も思った。
だからこそ、いやだつらいさみしいという言葉は間違っていないけどあの場に少々不釣り合いな気がしてしまって、口にできない。ある意味言わせてもらえないところが最高にずるいと思う。こんな誠実で大好きな彼らに、行かないでなんて言いたくないのだ。言いたいのに。事実彼らはどこにも行かない。嵐はずっと嵐でいつづけてくれる。そういう選択をしてくれた。今までくれた幸せな時間はなくならないし、休止なのだからいつかまたという夢も見せてくれる。それでも、さみしい。
彼らが5人揃って当たり前に活動している日常から、そうではない日常に移行する。その期限まで2年。2年経つまでにわたしたちは普通の顔をして、彼らが活動していない日常を生きていけるようにならなきゃいけない。そんなの全く自信がない。
現時点では、意外にすんなり受け入れられるのかもしれないという気持ちと、そんなの無理だよさみしいという気持ちが交互に押し寄せてくる。
会見を見て、彼らの誠実さに触れて、彼らの決断にどうしようもなく納得してしまった。こんな風に彼らが活動休止している日常に納得し、受け入れる日々が来るんだろう。
彼らは休止してもいつもわたしたちに寄り添ってくれるんだろう。だからこの気持ちは喪失感じゃない。何も失ってはいないから。ただ深く深くさみしいのだ。
もし、この作品などの詳細がわかってしまったとしても作品や役者個人に偏見を持たれたくないので、多少フェイクは入れるが、もし時間があれば少しだけ聞いてほしい。最初に言っておくが、作品も役者さんも素晴らしい。これは私が勝手に被害妄想して勝手に傷ついただけの話だ。フィクションだと思ってくれれば嬉しい。
私はある作品が大好きで今までの公式イベントの9割に参加していた。
公式トークショーやらなんやらがあれば必ず行き、出来るだけ全通したし、関連商品はストーリーに関係あるものなら全て揃え、公式ファンクラブにも入っていた。コラボカフェにも通っていた。
勿論公式に一番還元率が高い商品は全て買っていたし、CDはなんなら複数枚買っていた。
作品にハマったのはこれが初めてだからわからないけれど、使用額は30万〜60万くらいなので多少は金は落としていたと思う。いくら使ったのかなと覚えている限りで計算して、映像や楽曲関連だけで20万を過ぎたので数えるのはやめた。でも給料のほとんどはその作品につぎ込んでいたので(本当に給料−税金−作品経費=生活費だった)もしかしたら3桁行ってるのかもしれないがあまり考えたくない。この作品にハマってクレカを作り、初めてリボ分割キャッシングを覚えた。ギャンブルも覚えた。もうこの時点で狂わされている。
何故今まで女性向け作品にハマらなかった人間が、いきなり限界オタクになってしまったかと言うと、私はその作品のキャラに恋をしてしまったのだ。仮にその男の子を彼氏くんとする。(彼は私の中では彼氏なので)
彼氏くんは他人の考えを否定せず受け入れてくれるとても優しい子で、そしていつもポジティブで夢に向かって突き進むキラキラした笑顔の子だ。
その笑顔と優しさに人間不振をこじらせ統合失調による幻聴で引きこもっていた私は救われ、恋の為に引きこもっていた部屋から出るようになった。
勿論、上記のイベントで彼氏くん(の新規イラスト)に会う為だ。
私は典型的な恋愛に狂うタイプのメンヘラだったので、彼氏くんは自分の神様で、運命だと本気で思い込んでいた。次元の壁だとかは関係なかった。彼氏くんの抱き枕が出た時なんかは毎日添い寝していたし、毎晩照れていたし、毎朝惚れ直していたくらいは頭がおかしくなっていた。
都内の占いに付き合いで連れられた時に「貴方の運命の相手は20××年に現れますね」と言われた時は(ちょうどアニメがその年に放送予定だったので)「彼氏くんのことだな」と素で思った。友人達はそれは絵だぞと私を窘めたが、そういう言葉は聞こえなかった。
だって彼氏くんと私は相思相愛だから!相思相愛も何も彼氏くんからは認知すらされていないが……。
ちなみに私と彼氏くんのイニシャルを彫ったリングもオーダーメイドで作った。彼氏くんからすれば知らない女が自分とのペアリングを肌身離さず付けているのだから軽くホラーだと思う。本当に彼氏くんが二次元でよかった。現実なら完全にストーカーになっていた。
そんな生活を数年続けていた。
昔の話だ。
忘れもしないあの日、その作品で舞台が始まるのが発表されたのだ。私は正直2.5次元どころか現実の男が少し苦手だったので興味はなかったが、ほぼ義務感でチケットを取った。
仮にその俳優をAくんとする。Aくんは彼氏くんを演じる役者ではなく、彼氏くんのお助け役兼相方(ここをぼかさないと、知っている人には誰役か察されてしまうのでここは多少フェイクを入れていることを明言する)ポジションの推しくん役を演じる役者だ。
その作品での推しくんはまさに私の好みドンピシャな容姿をしており(ぶっちゃけ初恋の人に似ていた)性格やストーリーでの活躍も相まってグッズを集めたりするレベルで推していた。
勿論彼氏くんは彼氏なので別枠だが、彼氏くんが存在していなければ推しくんにハマっていたと思う(その場合は依存してなかったのですぐに足を洗っていたと思うが)
容姿も良く歌もダンスもキレッキレ、アドリブや日替わりは毎回これでもかというほど(一部界隈に)サービスしてくれるし、何より顔が国宝。あの低価格イタリアンレストランに油絵にして飾ってほしいと常々思うほど顔が良かった。
控えめに言ってかなり推せた。
だけど私は彼氏くんがいるのでガチ恋にはならなかった。あれ程顔がいいと彼女も勿論いると思うけど、万が一カノバレしたらちょっとショックかも〜とは思うが別に役者はアイドル業ではないので公演中だけ推しくんでいてくれればそれでいい。彼氏くんの役者に対してだって同じスタンスだ。
だけどやっぱりイケメンには弱いからイケメンを見るためにチケットを予定より多く取ってしまう時もある。(当日券)
その日は昼と夜を両方取ったのだが(彼氏くんが出演している作品と私は生まれる前からの運命なので必ずチケットがご用意される)なんと客降りがあったのだ。
私は2.5次元俳優周りをよく知らない。観劇マナーは触りは知っているがファンサだとか接触だとかの文化は特によく知らなかった。役者に触ろうとも思わなかった。(イケメンに近づくと死ぬと言うのも多少ある)
だから前方1m先にAくんがいた時も「めっちゃ顔がいいな〜、人間国宝にしてほしいが……」とガン見していただけで、無理にハイタッチも要求しなかったのだが(通路側端二番目辺りにいた)ガン見していたせいでAくんと目が合ったのだ。
だいぶ長い時間見つめ合っていたと思う。
だがこれが全然嬉しくなかった。何故なら終始笑顔を崩さなかったAくんがその時めっっっちゃ真顔だったからだ。今でも思い出すとわりとショックを受けるが、例えるなら汚物を見るような目だった。もっと具体的に言うなら、恋も知らないくらい小さい頃好きな男の自宅を特定したのが本人にバレた時にされた顔と同じ顔をしていた。
その時は「向こう側にいる別の役者さんとこの後のアイコンタクトでもしているのかな?」と思ったが、見つめ合ってんの私なんだからアイコンタクトもクソもない。あと向こう側に役者はいない。
そんな一抹の不安が心の端っこを引っかかるように残るものの、あまりに推しくんの顔が良かったこと、また彼氏くん役の役者さんが今までの公演のなかで一番彼氏くんだったことが濁流のように襲ってきた為、その後は思い出を反芻しながら楽しく次の公演までの待ち時間を過ごした。
1階中間位置通路端、そう。確実にファンサが貰える位置だ。この時点で嫌な予感がして友人たちにLINEで助けを求めたが、皆「ハイタッチできるじゃん!」と言うのみ。私はこの時点で吐きそうだった。何故なら人生というものは全て悪い方向へ行くのを知っていたからだ。
待ちに待った客降りの時間。何故かAくんはこちら側に来ないと確信があった。Aくんはマチネで二階席の方に行っていたからだ。むしろ彼氏くんが来るのではないかと若干ドキドキしていたのだが、頭が悪いので二階席に行くには私の横を通ると言うのを忘れていたのだ。
そして案の定Aくんは私の横を通った。ハイタッチができるように手を下に構えて。前の通路側の人が手を差し出すのを見て恥ずかしいけどそういうものなのかと恐る恐る私も出してみた。
私のところだけ手を引っ込められた。
嘘でしょ?!と後ろを振り向くと真後ろは普通にハイタッチしている。ちなみに私は避けられたが逆側の客席は普通にハイタッチしていた。
いやタイミング悪かったか偶然偶然よくあるよくあると自分に言い聞かせていたが、今まで横を通った役者全員にスルーされていたので流石に傷ついた。
ので、少し意識が飛んでいた。
気がつくと彼氏くんが横にいた。
あまりの彼氏くんに「ヒッ」と奇声をあげていたと思う。彼氏くんはハイタッチの準備をして通り過ぎて行ったが、私は固まって動けなかった為、ハイタッチ出来なかった。正に二兎を追う者は一兎をも得ず。でも彼氏くんに否定されたら生きていけないのでこれで良かったと思う。
舞台はとてもよかった。明日を生きるためのキラキラをいっぱいもらった。複数回行ったが一番いい出来だった。(毎公演言う)アンケートもめちゃくちゃ長文で書いた。彼氏くんのことも推しくんのこともベタ褒めした。
公演中のソロで泣きながらガン見していたから気持ち悪かったのかもしれない、きちんと朝風呂どころかスクラブまでしたが異臭がしたのかもしれない。私の容姿が気持ち悪かったのかもしれない、昼で顔を覚えられて避けられたのかもしれない。
勿論頭のどこかではたまたまだよ、顔なんか覚えられているわけないし、私より顔が悪い人なんて多分腐るほど見てるし、そもそも一々客の顔見てないでしょ(笑)なんてわかっている。
だけど、私は役者はお客さんの事を金のなる木としか考えてないだろうと思っていたので、あからさまに容姿で差別されたのが悲しかった。
事実は違うと思う。
でもそう思ってしまって、家に帰ってリスカして髪の毛をめちゃくちゃに切って泣いて作品関連のものを全てクローゼットにしまった。作品に否定されたら生きていけないから死のうと思ってドアノブにベルトを引っ掛けて首吊りの真似事をしてまた泣いた。死ぬ勇気がないのなんて毎日のようにわからされていた。
で、しばらく泣いた後に切り替えが早いのでネットでカラコンをポチった。(彼氏くんは前向きなので彼氏くんの彼女の私も切り替えが早い)
世の中顔なのだ。顔でAくんを好きになった私が言うのだから間違いない。気持ちが悪い顔ならば努力しないといけない。私はその日かなりメイクに力を入れたが、ブスだったのだろう。可愛く見えなければ全て無意味なのだ。
目指すはリズリ◯やアン◯ールが似合うガーリー系。目がぱっちりしていればなんでも顔がいい認定するから美醜はよくわからないが、なんか周りの人そんな感じだったし多分そういうのが可愛いんだと思う。
いまからずっと昔の話だ。
その日は泣いたし死にたいほど病んだし、作品から足を洗おうとまで考えたが、多分次の舞台があれば行く。というか行ったし現在進行形で次の予定が立っている。
だって作品が大好きだし、Aくんの顔はやっぱり国宝だし、彼氏くんが大好きで、彼氏くんの生きる世界である作品が長く続いてほしいから貢がなければいけないので。
この間2.5舞台でファンサを貰ったと友人が喜んでいたので思い出したから書いてみた。
余談だが、未だにファンサは貰えていない。でも当分この作品からは足を洗えそうにないし、きっと何があっても大好きだ。
まぁ何にしても彼氏くんに出会えて良かった〜!好き〜〜!(惚気)というのは変わってないので今年は私と彼氏くんのツーショ雑コラでも作るかな!(爆笑)
それなら出産しない女性のあり方も立派な選択肢の1つとして肯定するような描き方をしろ。
出産することが絶対的に尊い幸せだと価値観を限定してしまうのは大人として許せない
という頭のおかしいことを言ってるやつがいてフェミは本当にゴミ。
こういう発言してるから「別にお前だけのお気持ちに沿うためだけに作ってるわけじゃない」って言われるってのがま~だわからないんですかね~。
で、こうカスのひどいところは、自分のお気持ちにそう作品が出たら、描かれてない生き方について一切想像力発揮できないで絶賛しちゃうところな。ゴールデンカムイの時に散々そういう馬鹿を見た
とにかく絶対に満足しないでケチつけることばっかり考えてる。ゼロかイチでしか考えられない。10の思考のゆがみが全部当てはまるのでいますぐ精神病院に強制入院させたい。
出産をポジティブに訴えようとしているなら妊婦のがんばりだけではカバーしきれない外的問題にもフォーカスしないと片手落ちとか書いちゃう。何様なんだよこいつ。あほか。現実の目標になるような理想の出産像を描いてほしい、という気持ちはわかるが、そういうのがやりたければ自分で描けばいいだろ。こういうキチガイ女が、作品に感動してるところに割って入ってきてギャースカ喚くの本当に不愉快だしとっととゾーニングされてほしいわ。
そういう思考だから一生結婚出来ねえんだよ。いつも他人に自分の理想の通りに生きるよう強制してるんだろ。お前は子供持つ資格ないからそのまま独身のまま生きとけボケが。
はっきりそう示されて無いのにちゃんとしてないって事か、頑張ってないって事か、って取っちゃう人いるけど、
それって自分で相手の意をプラスじゃなくゼロに見積もって今までを相対的にマイナスにやってるって事でメンタルちょっと大丈夫かなって思う
色んな選択から無意識に自分が低く見られてるって用法選んで受け取って、自分でそうした事に気付かないまま不快さの原因を相手に背負わせて攻撃的になる事で解消しようと責めるって、状態的には結構やばい気がする
うつの人には、ってよく話として聞くけど、その場合は言葉をマイナスに受け取るのも病気の不可抗力というか無意識の自傷行為のひとつだと思うんだけど、それと同じような事なわけで、
怒りがわくのはその評価が不当だ、嫌味だ、バカにされた、傷付けられたってとこからだろうけど、相手がそんな類の悪意のある人間だって否応無しに一方的に決め付けるそこの悪意というかそうなる可能性に気が回らない、余裕のなさがなりふり構わずの自己防衛感があってやばい感じがする
個人的にはよっぽど言い方とか使い方がそうじゃなきゃ基本頑張れは現状の肯定の上で維持を勧めるものだと取るしちゃんとしてるって言われたら普通に褒められてると思うけど(ちゃんと、に普通を超えた完全性を思うので)特別偏ってポジティブな取り方だとも思わないし言葉自体に色んな使い方があって言われた時点でどういう意図があるのか確かじゃないのに悪く取るのを相手や言葉のせいにするのって無自覚に自己評価低いか疑心暗鬼になってるせいだと思うから気をつけた方がいいんじゃないかなって思う
ただ、「らしさ」を捨てるのならば相手が「らしさ」を捨てるのも許容するべきであると思う。
昭和のおっさんどもが「男らしさ」をポジティブに受け止めて、「女らしさ」を求めることが別に何らおかしいと思わない。
昭和のおっさんどもはなんだかんだで「らしさ」を受け止めてきた。何故かと言うと「らしさ」のメリットを受けるためだ。
昭和のおっさんどもが「男らしさ」を捨てた上で、「女らしさ」を求めただろうか。昭和のおっさんどもを悪と断定しても、彼らの行動は理にかなっている。
単純な話
「男らしさ」が受けるメリットは大きく、デメリットは人によっては我慢できるものである。
「女らしさ」が受けるはメリットは人によっては小さく、デメリットは大きい。
本来であればこの「らしさ」の「パワーバランス」がおかしいというのがフェミニストだとか男女平等を目指す人間が語るべきことなのではないかと思う。しかしなぜか、片方のらしさを別々の問題と考え個々に語ろうとする。そりゃバランスもとれまい。そして37歳で男らしさを求められたことがないみたいな怪文書が投下されるのである。