ただ、「らしさ」を捨てるのならば相手が「らしさ」を捨てるのも許容するべきであると思う。
昭和のおっさんどもが「男らしさ」をポジティブに受け止めて、「女らしさ」を求めることが別に何らおかしいと思わない。
昭和のおっさんどもはなんだかんだで「らしさ」を受け止めてきた。何故かと言うと「らしさ」のメリットを受けるためだ。
昭和のおっさんどもが「男らしさ」を捨てた上で、「女らしさ」を求めただろうか。昭和のおっさんどもを悪と断定しても、彼らの行動は理にかなっている。
単純な話
「男らしさ」が受けるメリットは大きく、デメリットは人によっては我慢できるものである。
「女らしさ」が受けるはメリットは人によっては小さく、デメリットは大きい。
本来であればこの「らしさ」の「パワーバランス」がおかしいというのがフェミニストだとか男女平等を目指す人間が語るべきことなのではないかと思う。しかしなぜか、片方のらしさを別々の問題と考え個々に語ろうとする。そりゃバランスもとれまい。そして37歳で男らしさを求められたことがないみたいな怪文書が投下されるのである。
というかあの人ら白人のイケメン相手なら大体のことは許容しちゃうからねえ