初めに。
この記事はアリアナグランデさんがほんのちょっとだけの馬鹿の書き込みのせいで日本を嫌いになってしまった騒動をみて、書いたものです。
はっきり言おう。日本人論にはエビデンス、つまり証拠や証明がなされているものは皆無であると。
日本人論には「日本人スゴイ」のようなポジティブなものも、「日本人ダメ」のようなネガティブなものもあるが、どれも証拠が出されたことはない。
あるとするなら、日本人論を書く人の身近な経験、ネットの書き込み(※参照)ぐらい。反証可能性はまったくない。
※ネット炎上の研究という本にもあるが、炎上に関わっている人は千人に一人だという。ツイッターで実際書き込んでいる人は全体の四分の1、四千万もある日本語のアカウントのうち一千万しか書き込んでいなく、それの千分の一、つまりたった一万のアカウント、それも統計学的に抽出したのではなく恣意的に出して『日本人は陰湿だ』というのがいかに滑稽かわかるだろう。もちろんたった一人の行動でもって「日本人スゴイ」というのも滑稽極まりないものだ。
話を戻すと、日本人論はまったく証拠がない。だからどの本も読むに値しない。
じゃあどうすればいいのかと言うと、「ありのままの自分を愛せ」としか言いようがない。
日本人論を展開したり信じている人にある傾向に「ありのままの自分を愛していない」ということが挙げられる。
そういうと「お前も証拠のない言説を説いているじゃないか」と思うだろう。
だけど、これは極めて強い傾向だ。「日本人スゴイ」は論じなくてもわかるだろう。
「日本人ダメ」は実は裏テーマに「日本人ダメと説いている自分すごい」がある。
もし純粋に「日本人ダメ」と説いているなら、「じゃあ、どうすれば克服できるか?解決できるか?」ということが書かれているだろう。(超入門 失敗の本質・空気の研究 は見事に筆者が考えた解決策を紹介し、読者に希望を与えている)
しかし、大半の「日本人ダメ」本にはそういうことは書いていない。嘆いておしまい、なのだ。
そうするとなぜこんな本を書くのかという疑問が現れる。
そして僕は考えて一つの答えにたどり着いた。
「日本人ダメ」を書いている人は、その『日本人』に自分が含まれていなくて、「日本人ダメだと気付いて指摘している自分カッコいい」と優越感に浸っているからだ、と。
気づいた瞬間、スッキリするとともにこう感じた。あぁ、あの人たちは自分を愛していないんだな、と。
自分を愛し、信じていないから、日本人すごいに走ったり、少しの知識を使って日本人ダメを論じることで優越感に浸っているんだなと。
今この記事を見ている人(特に日本人云々と言っている人)に言いたい。
そうじゃなくて、自分の幸せを見つけた方がきっと気持ちにも余裕ができて、より客観的に日本人を見ることができますよという意見を述べこの匿名記事を終えたいと思う。
なお、アリアナグランデさんには、是非ともいろんなことを書き込んだバカどもを告訴してほしいと思う。きっとほんの数人しかいないのだから。